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2008年2月

2008年2月14日 (木)

高知県での学徒動員の記録 はじめに

 『高知県での学徒動員の記録』の執筆を開始します。

 以下、学校別に資料が入手できた所から始めます。

 それぞれの項目も新しい資料が手に入り次第、書き加えます。

 脈絡はありませんが、ご勘弁ください。

 二〇〇八年九月には、一応の句切りをつけ、小冊子にするつもりです。

 資料、取材対象者など、ご紹介いただければ幸いです。

         二〇〇八年二月十四日

                    藤原 義一

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高知県での学徒動員の記録 【高知県立佐川高等女学校】 大阪府泉大津市の軍需工場・東洋アルミニウム泉大津工場に動員されました。

【高知県立佐川高等女学校】

 高知県立佐川高等女学校は、一九二二年(大正十一年)四月八日に佐川尋常小学校(いまの佐川町立佐川小学校)仮校舎で開校。翌年三月三十一日に新築校舎を竣工、高知県高岡郡佐川町乙移転。いまは、高知県立佐川高等学校です。

 高知県立佐川高等女学校の四年生(一九四一年入学)は、一九四四年十一月十一日から大阪府泉大津市の軍需工場・東洋アルミニウム泉大津工場に動員されました。
 工場内の寄宿舎に寝泊まりしました。
 飛行機の部品をつくりました。
 生徒の一人、堀久子さんは「この十五歳・六歳の少女たちは、飢えと過労と睡眠不足、頻繁な夜間空襲の中で、望郷の念にかられながらも、精巧な飛行機の部品を作らなければ搭乗する兵隊さんに申しわけないと、懸命に飛行機の部品を作っていました」と、書いています(『少女たちの勤労動員の記録 女子学徒・挺身隊勤労動員の実態』。戦時下勤労動員少女の会)。
 四年生は四五年三月に卒業しましたが、その後も、同年六月三十日まで、ここに動員されました。
 この間、過労のために女生徒一人が死亡しました。

 下級生の一部は高知県下での風船爆弾づくりにも動員されています。このブログの「風船爆弾 高知県でもつくられていた。」に書いてあります。

 【参考資料】

 ● 『少女たちの勤労動員の記録 女子学徒・挺身隊勤労動員の実態』。戦時下勤労動員少女の会。

 【探している資料】

 ● 『青い空の下で』。堀久子。株式会社汐文社。

 【参照】

 http://www.kochinet.ed.jp/sakawa-h/rekishi/natukasi1.htm

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高知県での学徒動員の記録 【高知県立第一高等女学校】

 【高知県立第一高等女学校】

 大阪市の大阪機工株式会社へ。

 一九四四年十一月から四五年八月まで。

 寮。

 戦闘機の部品、機首のカバー、翼の一部の製作。

 他の学年の高知県下での風船爆弾づくりについて、このブログに掲載。

 【参考資料】

 ● 『少女たちの勤労動員の記録 女子学徒・挺身隊勤労動員の実態』。戦時下勤労動員少女の会。

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高知県での学徒動員の記録 【高知県立第二高等女学校】

 【高知県立第二高等女学校】

 三年生。

 一九四四年十一月から四五年六月まで。

 大阪市の大阪機工株式会社加島工場。

 寮。

 旋盤、魚雷の電管づくり。

 【参考資料】

 ● 『少女たちの勤労動員の記録 女子学徒・挺身隊勤労動員の実態』。戦時下勤労動員少女の会。

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2008年2月29日 (金)

高知県での学徒動員の記録 【高知市の南海中学校】 関東軍と一緒に海岸線に横穴やタコ壷壕(つぼごう)を掘って……。

 一九四四年(昭和十九年)八月、学徒勤労令が公布されました。
 高知市の南海中学校(いまの高知県立高知小津高等学校)では、上級生は兵庫県尼崎の工場へ、下級生は交替授業を受けながら日章の高知海軍航空隊の飛行場での作壕や農地改良、河川改修作業に動員されました。
 一九四五年(昭和二十年)三月、決戦教育措置要綱が出て、中学生の授業は原則的に停止になりました。
 当時、同校の生徒だった森川藤●「鳳」の中が「皇」●さん(一九四七年卒業)は、つぎのように書いています(『南海百年』。高知小津高等学校百年誌)。
 「二年生になって間もなく、山本五十六長官の機上戦死が報ぜられ、まるでその事が引金であるが如く、学徒動員が発せられ、ペンをスコップに持ち変える生活が多くなった。(中略)
 三年生になってからは、授業らしき授業もなく、学校を離れて、高知航空隊のバラック兵舎に起居して滑走路作りに精出した。『総員起こし』に始まり、『巡検ラッパ』に終るこの生活は、三月末の、敵機大群の波状攻撃で、兵舎もろとも教科書や身回り品まで灰燼(かいじん)に帰する事で、涙とともに終りを告げた。(中略)
 四年生の生活は、朋友ドイツの降伏。沖縄の全滅に始まった。ひしひしと迫りくる危機感に怯(おび)えながら、次は本土決戦なりと、関東軍と一緒に海岸線に横穴やタコ壷壕(つぼごう)を掘ることに励んだ毎日。まるで己(おのれ)の墓穴を掘るにも似た姿ではなかったろうか。」

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高知県での学徒動員の記録 【高知市の高知高等学校 その一】 県下で堆肥増産草刈、開墾業、麦蒔き、炭焼き……。

 高知高等学校の生徒たちの勤労動員の記録です。

 一九四三年(昭和十八年)八月十三日から十六日まで。二学年文科、理科の学生が、高知県香美郡日章村(いまは南国市)に高知海軍航空隊で土木作業。

 八月二十三日から九月一日まで。県下の三つの作業地に宿泊しての堆肥増産草刈作業に従事。二学年理科の一部は高岡郡斗賀野村(いまの佐川町)。二学年理科の一部の一部は上分村(いまの須崎市)。二学年文科は東津野村(いまの津野町)。

 十月二十六日から二十九日まで、鴻ノ森開墾作業。

 十一月十日から二十日、一学年文科が、高岡郡松葉川村(いまは四万十町)での麦蒔作業。

 十一月二十五日から十二月七日、一学年、二学年理科が朝倉、一宮(いっく)で土地改良作業。

 十一月二十八日、一学年、二学年文科が鴻ノ森開墾地で麦蒔作業。

 十二月十七日から二十二日、東孕大石谷で炭焼き作業。

 一九四四年(昭和十九年)五月二十三日から六月九日、一学年文科が吾川郡弘岡下ノ村(いまは高知市春野)に動員されます。

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高知県での学徒動員の記録 【高知市の高知高等学校 その二】 土佐造船や土佐製鋼に動員されます。

 一九四四年(昭和十九年)五月ころから、二学年以上は、土佐造船や土佐製鋼に動員されます。週三回です。仕事は雑役でした。
 土佐造船へは桟橋から種崎行きの船で通いました。帰りは夕方五時ころの船でした。

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高知県での学徒動員の記録 【高知市の高知高等学校 その三】 愛媛県新居浜の住友化学の工場に動員されました。

 高知高等学校の学生たちは、県外の工場に動員され始めました。 
 一九四四年(昭和十九年)六月、二学年理科乙一、二組は、愛媛県新居浜の住友化学の工場に動員されました。
 壮行会が十日に開かれ、十二日に高知を出発しました。
 八月、二学年文科一類も新居浜の住友化学に動員されました。
 出発は十四日でした。
 三浦朱門さん、大野久男さん、大森薫さん、阪田寛夫さん、立石敬三郎さんも一緒でした。海辺の工員住宅に寝泊りしました。一軒三間の規格型の住宅に数人ずつ分宿しました。一足先に理乙の志村博さんらが、ここに動員されていました。
 ワーフという炉から出てきたコークスを粉砕する現場や火薬の原料ガスを三百気圧に加圧するコンプレッサーの現場で働きました。
 そのうち、学生の中から次々と入隊者が出て、ワーフの現場の作業だけになりました。
 ワーフの仕事は十二時間勤務、二十四時間休みという形でした。
 寮から工場までの道すがら市立の図書館がありました。坂口堅三さん、南健一さんが貸し出し係り少女と知り合いになり、三浦さんらは図書館地階の書庫に入って本を借り出すことができるようになりました。書庫には閲覧禁止の棚があって伏字だらけのプロレタリア文学などがおいてありました。三浦さんは、その棚のレマルクの『その後に来るもの』という第一次世界大戦後のドイツを書いた小説を見つけて、それを繰り返し読みました。
 卒業をひかえた日、同高校の配属将校・宇賀大佐がきて学生らの軍事教練の検定をしました。防火用水池用に掘った凹地が広いグラウンドになっていて、そこが検定試験場になりました。前日降った雪が白い敷物のように広がる中を、三浦さんら五、六人は徒手で行進し、向きを変え、整列し、回れ右をしました。
 卒業免許授与式は、監督教員宿舎でおこなわれました。
 いずれも、一九四五年(昭和二十年)三月までの動員でした。

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高知県での学徒動員の記録 【高知市の高知高等学校 その四】 兵庫県尼崎の住友金属プロペラ製作所に動員されました。

 一九四四年(昭和十九年)七月、三学年理科一、二、三組は兵庫県尼崎の住友金属プロペラ製作所に動員されました。
 八日、壮行会がおこなわれました。
 教師には八波直則先生もいました。
 同工場で飛行機のプロペラと酸素ボンベをつくりました。ボンベは、落下傘部隊が使用する小さなもので、それを学生たちが鋳型にはめ、旋盤を使ってつくりました。作業は三交代制でした。
 学生たちは、住友金属の至誠寮に寝泊りしました。十畳敷きの部屋に六人くらい詰め込まれました。神戸商大予科の学生と一緒でした。
 寮に、教官が二人ずつ、一週間か十日交代で監督に来ました。
 同年九月末までの動員でした。

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高知県での学徒動員の記録 【高知市の高知高等学校 その五】 兵庫県伊丹の大阪機工に動員されました。

 一九四四年(昭和十九年)八月、三学年理科甲二、三組は、兵庫県伊丹の大阪機工に動員されました。
 十五日出発でした。
 一九四五年(昭和二十年)三月までの動員でした。

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高知県での学徒動員の記録 【高知市の高知高等学校 その六】 竹原の三井電三井電錬に動員されました。

 一九四四年(昭和十九年)九月、二学年理科甲一組は、竹原の三井電三井電錬に動員されます。
 十七日に壮行会。十八日に出発しました。

 なお、九月八日には、修学年限を二年半に短縮、最後の三年生の予餞式がおこなわれました(高知には一学年だけ在校)。

 一九四五年(昭和二十年)三月、一学年理科乙も、ここに勤労動員されました。

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高知県での学徒動員の記録 【高知市の高知高等学校 その七】

 一九四四年(昭和十九年)十一月には一学年が高知県下の農村に動員されます。
 一日から三十日まで、一学年理科乙一組、安芸郡馬ノ上村(いまの芸西村)へ、一学年理科乙二組は長岡郡瓶岩村(いまの南国市)、高岡郡蓮池村(いまの土佐市)へ。
 十日から三十日、一学年理科甲一、二、三は高岡郡仁井田村(いまは四万十町)へ。

 十一月中・下旬には高知には文科一学年だけが在校していました。

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高知県での学徒動員の記録 【高知市の高知高等学校 その七】 一学年が県下の農村に動員されました。

 一九四四年(昭和十九年)十一月には一学年が高知県下の農村に動員されます。
 一日から三十日まで、一学年理科乙一組、安芸郡馬ノ上村(いまの芸西村)へ、一学年理科乙二組は長岡郡瓶岩村(いまの南国市)、高岡郡蓮池村(いまの土佐市)へ。
 十日から三十日、一学年理科甲一、二、三は高岡郡仁井田村(いまは四万十町)へ。

 十一月中・下旬には高知には文科一学年だけが在校していました。

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高知県での学徒動員の記録 【高知市の高知高等学校 その八】 一学年文科が兵庫県尼崎の住友鋼管に勤労動員されました。

 一九四五年(昭和二十年)一月、一学年文科が兵庫県尼崎の住友鋼管に勤労動員されました。
 十八日に出発しました。

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高知県での学徒動員の記録 【高知市の高知高等学校 その九】 一学年が兵庫県尼崎の古河電工に勤労動員されました。

 一九四五年(昭和二十年)三月、一学年理科甲二、甲三が、兵庫県尼崎の古河電工に勤労動員されました。

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高知県での学徒動員の記録 【高知市の高知高等学校 その十】 岡山県玉野市日比の毛利鉱山精錬所に動員されました。

 一九四五年(昭和二十年)四月、二学年理科甲一、岡山県玉野市日比の毛利鉱山精錬所に動員されました。
 七日に出発しました。

 同高校は、一九四五年(昭和二十年)七月四日のアメリカ軍の空襲で本館、講堂など施設の大半を失いました。残ったのは図書館の書庫、教官宿舎、精思堂(校庭の一角の修養道場)。寮の被害は、食堂だけでした。
 この空襲で、焼けた下宿先の井戸の中から、国文の森敬三先生が頭だけ焦げた姿で見つかりました。

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高知県での学徒動員の記録 【高知市の高知高等学校 その十一】 岡山県玉野市日比の三井鉱山精錬所に動員されました。

 一九四五年(昭和二十年)八月、一学年理科甲が、岡山県玉野市の三井造船に勤労動員されました。

 【参考文献】

 ○ 『私の慕南歌 回想と随筆』。八波直則。雄津(おづ)書房。
 ○ 『自由の空に 旧制高知高等学校外史』。財団法人南●「さんずい」と「冥」●会。旧制高知高等学校同窓会。

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