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2008年3月 1日 (土)

高知県での学徒動員の記録 【高知市の私立土佐高等女学校 その五】 兵庫県の二つの工場に動員されました。

 一九九四四年(昭和十九年)十月の学徒動員令によって五年生が兵庫県伊丹の大阪機工猪名川工場に、四年生が兵庫県加古川の日本毛織加印工場に出動しました。
 五年生は、十一月九日夜八時、高知駅を出発し、翌日、猪名川工場に着きました。引率者は、岡、小笠原、平賀、沢村の四教諭で滝石登鯉(のぼり)校長も同行しました。
 四年生は、翌十日午後八時、出発し、翌日、加古川着。引率者は、横田、長尾、中村、土屋の四教諭でした。
 教官は、一か月交代で監督にあたりました。
 猪名川工場では、兵器をつくっていました。
 高知県からは高知高等学校、安芸中学校、中村中学校も動員されていました。
 私立土佐高等女学校の生徒たちは、旋盤、ボール盤の操作から仕上工の作業までやらされました。
 始めは二交替の昼間作業でしたが、やがて三交替で深夜作業までやらされました。
 冬季の保温設備がなく、寒いときには工員が石油缶に骸灰などをたくので、夜などは黒煙もうもうと場内に満ち、むせかえるけむたさでした。
 夏季には、宿舎のノミやシラミにさいなまれて安眠できない状態でしたが、ノミとり粉は手に入りませんでした。
 この工場には医療設備がなく、病気になれば市内の開業医に行かなければなりませんでした。
 加印工場は、毛織物の紡織工場で製品は陸軍、海軍の軍服になっていました。
 地元の加古川高等女学校の生徒も動員されていました。
 工場は、加古川を隔てて二つに分かれ、その両方に配属されました。
 作業は同じようなもので、紡績機につく者と織機につく者がありました。
 冬季の保温設備は、作業の必要上、一定温度は保たれるようになっていました。
 この工場には工場医がいて、設備もだいたいそろっていました。
 卒業が迫ってきました。一九四四年度に学制が変更されて中等学校は四年で卒業することになり、一九九四五年(昭和二十年)三月には五年と四年とは同時に卒業することになりました。
 しかし、卒業後も、上級進学者、外地就職者、結婚者を除いて引き続き動員先で働かなくてはなりません。
 三月十八日に加印工場の四年生、二十日に猪名川工場の五年生の卒業式をおこないました。学校側は校長と付添教官で、来賓は、その工場の当局者、勤労動員署長くらいでした。加印工場には、近衛師団長に内定して赴任途上の森中将が父として参列しました。
 一九九四五年(昭和二十年)三月、加古川で卒業証書授与式をおこないました。
 七月四日、アメリカ軍機が高知市を空襲しました。同校には焼夷弾二個、その付属物五個が落とされました。このうち生物学教室、講堂に落ちた者は屋根をうちぬき床を貫いて地下までめりこみました。焼夷弾は不発でした。
 こうした中で、猪名川工場の卒業生は浅津教諭などと七月十三日に帰校、加印工場の卒業生は石川教諭らと七月十六日に帰校しました。

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