高知市 山原健二郎(やまはら・けんじろう)さんのこと。
二〇〇七年九月二十五日。
少し前に、高知市筆山の山原健二郎(やまはら・けんじろう)の墓にいきました。
墓の左手に妻・房子さん(故人)の歌碑がありました。
だれかれの
ことばも途絶(とだ)え
のびなやむ
票を見つめて
しヾまに耐切(たえき)る
切迫感のある短歌です。
でも当選しました。
山原健二郎って、こんな人です。
高知県出身。一九二〇年八月十一日生まれ。
高知県立城東中学校(今は高知県立高知追手前高校)を卒業後、県下の本山小学校の代用教員になりました。
東京の二松学舎専門学校卒業後、中国戦線に召集されました。
戦後、高知新聞の記者を経て、高知県立安芸高校、県立小津高校などで教壇に立ちました。
四八年から五二年まで公選の高知県教育委員を務めました。
五三年、日本共産党に入党しました。
五六年から高知県教組副委員長、高知県総評副議長などを歴任しました。
五九年には勤務評定反対闘争で弾圧を受け、逮捕・投獄されました。
六三年、高知県議会議員に当選。二期六年。
六九年、高知全県区から衆議院議員に当選。
以来、二〇〇〇年六月まで十期三十年六カ月、衆院議員を務めました。
九六年には、小選挙区比例代表並立制下での初選挙で、小選挙区高知一区を制し十選を果たしました。
この間、七〇年、県副委員長、八〇年三月、中央文教部長。第十八回党大会(八七年)で中央委員、九六年に幹部会委員(二〇〇〇年十一月第二十二回党大会まで)、また党衆院議員団長、党議員団総会副会長を務めました。
高知市上町(かみまち)二丁目に、山原健二郎資料室があります。
山原さんの思いを伝える展示室です。
収蔵資料は、山原さんの著書、写真、手紙、原稿、名刺の裏に書いた演説メモ、絵葉書、色紙、かけじくなど数千点(写真は展示品から)。
三階建ての「資料室・党事務所」の一階は党高知県国会事務所、県後援会事務所、二階が山原健二郎資料室、三階が党衆院議員四国事務所と「しんぶん赤旗」四国支局が入居しています。
資料室入館は、無料。 開館時間は、午前十時―午後四時です。休館日は、月曜日です。
【お誘い】
以下のブログへも、ぞうぞ。
● 短歌の花だより
http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/
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コメント
久しぶりに山原さんの名前を目にしました。初当選の選挙戦で窪川を訪れた時、僕はまだ小学生だったでしょうか。小さな集会所の演説会で両親に持たされた花束を持っていきました。あれから40年近く経ちました。今でも山原さんの誠実な人柄と笑顔は忘れられません。まだ資料館訪ねていません。近いうち行ってみようと思います。ありがとうございました。
投稿: ぴろし | 2007年10月23日 (火) 23時30分