高知市 「地域史」のリポート書いてる夢を見ました。
二〇〇八年六月三十日。
「地域史」の リポート書いてる 夢を見る
現実世界は
構想だけだが
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二〇〇八年六月三十日。
「地域史」の リポート書いてる 夢を見る
現実世界は
構想だけだが
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二〇〇八年六月三十日。
午前七時、約束をしていた人に電話。
その結果を受けて資料をつくり、数十枚も印刷。
庭のジャガイモの花を撮影。
とにかく午前九時までに。ということで、弟に乗用車で送ってもらって高知市内の自由民権記念館に。
九時半から始まる「戦争と平和を考える資料展」(主催・ピースウェイブ2008inこうち。六日まで)にパネルの追加を二つ持って行きました。
セーフ。
午後は、もう一人の人と一緒に、その受付に。
夕方は、高知市の繁華街でやる平和七夕の飾りつけに立ち会いました(ビデオでの撮影)。
一方、夕方、思い立って、あるテーマで「あす、記者会見をしませんか」と某氏に持ちかけたら「よーっし、やろう」。
早速、計五人で、「お知らせ」やら、「会見資料づくり」やらの準備に。
準備が完了したのは、とほほ、もう午後十一時です。
昨日、妻から「あなたの性格は執ようで、しつこい」という指摘を受けました。
なるほど、自分でも驚くほど、「執ようで、しつこい」やり方で、ものをなしとげようとします。
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二〇〇八年六月三十日。
午前中の平和資料館・草の家の「現地記者会見」の模様がサンサンテレビの「SUNSUN(サンサン)スーパーニュース」で、午後六時十七分から二分ほど放送されました。
字幕は「南国市の山中で戦争遺跡 『旧日本軍の施設跡』発見」。施設の全体像を映像で紹介しました。
同館の岡村正弘館長のコメントもありました。
「高知も戦争があったと実感できる教材が発見された 身近に感じてもらう教材ということで大変重要だと思う」
追伸
高知新聞の七月一日付朝刊は二十面トップで「南国市片山 山腹に地下壕二カ所 大戦末期の見張り施設か 草の家発表 山全体 要塞の可能性も」と報じました。
朝日新聞、毎日新聞にも載りました。
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二〇〇八年七月一日。
午前九時前に高知市の自由民権記念館に、戦争展の新しい展示を八人がかりでつくりました。
一人が撮影していた写真六枚を知り合いにA2のパネルにしてもらいました。そして、二人の協力を得ながら説明のシートをつくって。
一人が当日の新聞の切り抜き三枚を拡大コピーし。
四人で展示のしつらえをして。
写真の迫力で、いい展示ができあがりました。
パチパチ。
夕方まで会議や戦争展関係の作業。気がついたら「わおおおーっ、授業に遅れそう」。本日は、ハングルと「地域史」(自由民権運動)の授業です。
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二〇〇八年七月二日。
本日は、英語の予習をやって、ビラまきの作業をやって、午後三時から授業へという日程です。
しかし、起きても眠い。
正午過ぎまで二度寝、三度寝するはめに。
起きて風呂に入っていたら妻のけたたましい声。
「あなた、やっているわよ」
戦争展の様子をNHK総合テレビでやっていました。
集束焼夷弾の原寸模型のシーン、南国市片山の太平洋戦争中の軍事施設の展示のシーンを見ました。
そのあと雨の中、夫婦で外回り。
帰ったら庭にトケイソウが咲いていました。
やったーーーっ。
今年二回目です。
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ブログ高知 新聞版
第一号 二〇〇八年七月三日 藤原 義一
戦争展に、どうぞ。
六日までです。
今年も高知市の自由民権会館で「戦争と平和を考える資料展」が開かれています(主催、「ピースウェイブ2008inこうち実行委員会」)。
午前九時半から午後五時までです(最終日の六日は午後四時まで)。入場は、なんと無料。
私も企画の一部に参加させていただいています。「桟橋通四丁目」電停近くです。ぜひ、足を、おはこびください。
以下、小学生向けの説明文です。
● おじいさんやおばあさんが子どもだったとき、日本は、お隣の朝鮮(いまは北朝鮮と韓国)を自分のものにし、中国やアメリカ、イギリスと戦争をしていました。
● この写真は、南国市片山の山の中に、いまも残っている、当時の日本の軍隊の基地です。
アメリカの軍隊が海から上陸してきたときに、ここに立てこもってたたかおうとしていたんですね。
● これは高知県の四万十町の農村、宮内という所にあった日本の軍隊の飛行場に残っていた飛行機の車輪です。
軍隊は、この田んぼを飛行場にして、まわりの民家を宿舎にしました。
その飛行場で、爆弾をつけた飛行機でアメリカの軍艦にぶつかる訓練をしていました。ぶつかると、飛行機を操縦している人も死んでしまいます。
● このビデオを見てください。アメリカ軍の爆撃機が日本を攻撃している様子です。
高知市にもアメリカの爆撃機が、たくさんやってきて爆弾や焼夷弾(しょういだん)という家や人を焼いてしまう爆弾をたくさん落としました。
これが焼夷弾の実物の大きさの模型です。
このなかに、小さな焼夷弾が三十九個入っていて空から落ちている途中で、ぱーっと散らかって地上に落ちて、まわり全体を火の海にしました。
● これは当時の高知市掛川町の地図です。
みなさんは、おいくつですか。この地図を書いたのは当時八歳の酒屋さんの息子です。
焼夷弾がどんどん落ちてきて、たくさんの人が、この防空壕という逃げる所にいったそうです。
この男の子は、近くの鏡川に逃げました。
この防空壕に入っていた人たちは熱で蒸し焼きになったような感じで亡くなりました。
この八歳の男の子のお母さんも、妹も、ここで亡くなっています。
● ここにあるのが、そのアメリカの攻撃のあとの高知市の街です。
ほとんどの建物が壊れていますね。
● もちろん、アメリカの爆撃機が爆弾を落とそうとしたとき、どうするか、みんないろいろ考えていました。
爆撃機に見つからないように、家の電灯の光が、そとにもれないようにしました。こんな傘を電灯につけていました。
逃げるとき、頭にかぶる、こんな防空頭巾(ぼうくうずきん)も持っていました。
ここにあるのは火を消すための消火弾です。
でも、実際には役に立ちませんでした。
一時間のアメリカの爆撃機の攻撃で何百人もの人が亡くなりました。
● 戦争が終わって日本人は、戦争をしかけて他の国の人々に迷惑をかけたことを反省して、もう日本は決して戦争をしませんと約束しました。
みなさんも学校で習うと思いますが、それが日本国憲法第九条です。
● ここには、ほかにもたくさん展示があります。
できるだけたくさん見て帰ってください。
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二〇〇八年七月三日。
プリンター
ピーヒャラ、ピーヒャラ 音立てて
個人新聞 刷り上げていく
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二〇〇八年七月四日。
石川啄木の短歌の表現形式での試み
石川啄木(一八八六年二月二十日ー一九一二年四月十三日)の短歌の表現形式を再評価していいのではないでしょうか。この原稿では、啄木の短歌の表現形式での試みについてのべます。
【短歌のリズムを目で見せる】
石川啄木の第一歌集は『一握の砂』(発行日・一九一〇年十二月一日)です。
作品は、すべて三行分かち書きです。
いくつか例をあげ、それが、どういうリズムになっているかを示します。
東海(とうかい)の小島(こじま)の磯(いそ)の白砂(しらすな)に
われ泣きぬれて
蟹(かに)とたはむる
五、七、五/七/七
頬(ほ)につたふ
なみだのごはず
一握(いちあく)の砂(すな)を示しし人を忘れず
五/七/五、七、七
大海(だいかい)にむかひて一人(ひとり)
七八日(ななやうか)
泣きなむとすと家(いえ)を出(い)でにき
五、七/五/七、七
いたく錆(さ)びしピストル出(い)でぬ
砂山(すなやま)の
砂を指もて掘りてありしに
五、七/五/七、七
ひと夜(よ)さに嵐来(あらしきた)りて築(きづ)きたる
この砂山は
何(なに)の墓(はか)ぞも
五、七、五/七/七
しつとりと
なみだを吸へる砂の玉
なみだは重きものにしあるかな
五/七、五/七、七
ひと塊(くれ)の土に涎(よだれ)し
泣く母の肖顔(にがほ)つくりぬ
かなしくもあるか
五、七/五、七/七
いと暗き
穴(あな)に心を吸はれゆくごとく思ひて
つかれて眠る
五/七、五、七/七
この歌集にはカギカッコを使った作品も載っています。
「さばかりの事に死ぬるや」
「さばかりの事に生くるや」
止(よ)せ止(よ)せ問答(もんだふ)
【書き出しを一字分空白にする表現】
啄木は、一九一二年四月十三日、二十七歳で亡くなります。
その死から間もない六月二十日発行された第二歌集『悲しき玩具』の作品の表現は、第一歌集より多様になっています。
作品は、前作と同じくすべて三行分かち書きです。
この歌集では、何行目かの書き出しを一字分空白にするという作品も登場しています。
以下、三行目の書き出しを一字分空白にした作品の例。
呼吸(いき)すれば、
胸の中(うち)にて鳴る音(おと)あり。
凩(こがらし)よりもさびしきその音!
以下、二行目、三行目の書き出しを一字分空白にした作品の例。
ぢつとして寝ていらつしやいと
子供にでもいふがごとくに
医者のいふ日かな。
以下、二行目の書き出しを一字分空白にした作品の例。
人間のその最大のかなしみが
これかと
ふつと目をばつぶれる。
以下、一行目の書き出しを一字分空白にした作品の例。
廻診(くわいしん)の医者の遅さよ!
痛みある胸に手をおきて
かたく眼(め)をとづ。
また、これまでに紹介した作品でも一部わかりますが、「、」「。」「!」「ーー」「()」「「」」が使われています。
いくつか例をあげます。
家(いえ)を出て五町ばかりは
用のある人のごとくに
歩いてみたれどーー
かなしきは、
(われもしかりき)
叱(しか)れども、打てども泣かぬ児(こ)の心なる。
「労働者」「革命」などといふ言葉を
聞きおぼえたる
五歳の子かな。
【啄木が切り開いたものを発展させていきたい】
短歌の魅力の一つは、音読したときのリズム性にありますが、啄木の試みは、短歌を活字で読む際、目でもリズムを感じてもらえるようにしようということではなかったでしょうか。
いま、一部の短歌雑誌には自由律ということで、啄木のような表現形式の作品の欄があります。
しかし、全体としては、「一行書き、できるだけ一字空けはしない、カギカッコ、句読点などは使わない」という表現が主流になっています。
私は、啄木が切り開いた短歌の表現形式を発展させていきたいと思っています。
注・啄木の作品は『啄木歌集全歌評釈』(岩城之徳。筑摩書房。一九八五年三月二十五日発行)によりました。
(以上)
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