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2005.02.26

禁止されたハングルで詩を書いたユン・ドンジュの「死ぬ日まで空を仰いで」の志(こころざし)。

 ユン・ドンジュのことを知ったのは、二〇〇五年二月二十一日のことでした。
 五十七年以上も生きてきたのに、この人のことをこれっぽっちも知らなかったことを恥じました。
 ○彼は、朝鮮人です。
 ○一九一七年十月三十日、日本の植民地下、朝鮮独立運動の拠点・中国東北部の間島で生まれ育ちました。まもなく幼児洗礼を受けました。
 ○平壌(ピョンヤン)の崇実(スンシル)中学に学びました。同校が日本による神社参拝強制に抵抗したため廃校の危機に陥りました。そこで彼はソウルの延禧(ヨンヒ)専門学校分科に移りました。その時代に彼は朝鮮語のハングルで「序詩」と呼ばれる詩をつくりました。そして、ソウルの延世大学文科を卒業しました。
 ○一九四一年十一月二十日の「序詞」は、こんな詩です。
 インターネットで見つけた、いくつかの訳を掲げます。

 死ぬ日まで空を仰ぎ
 一点の恥辱なきことを、
 葉あいにそよぐ風にも
 わたしは心痛んだ。
 星をうたう心で
 生きとし生けるものをいとおしまねば
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば。
 今宵も星が風にふきさらされる。

 死ぬ日まで空を仰ぎ
 一点の恥辱(はじ)なきことを
 葉あいにそよぐ風にも
 わたしは心痛んだ
 星をうたう心で
 生きとし生けるものをいとおしまねば
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば
 今宵も星が風に吹き晒される

 死ぬ日まで天を仰ぎ
 一点の恥辱(はじ)なきことを
 葉あいにそよぐ風にも
 わたしは苦しんだ。
 星をうたう心で
 すべての死んでいくものを愛さなければ
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば。
 今宵も星が風に吹き晒される。

 ○その後、一九四二年に東京の立教大学英文科選科に学びます。日本留学中、ハングルで詩を発表しました。ハングルの詩集を発行しようとして果たさず(当時はこれだけで反逆行為とされました)、書かれた詩はソウルの友人宛に手紙に隠して送られました。官憲の目を避けるために手紙は焼き捨てられ、詩篇だけ甕(かめ)に入れて地中に埋め保存されました。この時期に書かれた詩で残っているのは五編です。
 ○同年十月に京都の同志社大学英文科選科に留学しました。
 ○一九四三年、京都で、ハングル研究・普及を目的とした学術団体・朝鮮語学会が「独立運動」をしたとして弾圧された事件(朝鮮語学会事件)に連座し、京都下鴨署に検挙されました。逮捕時に日記や原稿を没収され、いまもって行方不明です。そして、治安維持法違反で追訴され、懲役二年の刑を宣告されます。福岡刑務所の獄中で正体不明の注射を繰り返しうたれ、一九四五年二月十六日、で亡くなりました。二十八歳でした。
 ○死後、ソウルで遺稿集が発行され、いまも読みつがれています。
 ○同志社大学にはユン・ドンジュの歌碑があります。
 ○日本では、彼の『空と風と星と詩』という本が発行されています。
 ○日本映画「さようならクロ」のなかで、クロの学校葬の場面で渡辺美佐子さんが、彼の詩「序詞」を朗々と読み上げています。

 彼のこと、もっと詳しく知りたいと思っています。
 ご存知のかた、教えていただければ幸いです。

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