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2005.04.13

ジシバリの花に託して「生」を問う…。伊藤千代子の手紙。

 ジシバリの 花に託して 「生」を問う
 伊藤千代子の
 手紙読む朝

 二〇〇五年四月七日付の「しんぶん赤旗」日刊紙に、伊藤千代子の手紙が紹介されていました。
 一九二九年五月八日、夫・浅野晃の妹・淑子にあてたものです。

 <朝霧にぬれた麦畑や大根畑のひろびろとつづいた野方町からあの岡から谷の辺りはどんなに気持ちいいだろうと私も時々思い出します。ここではね今地しばりの花ざかりです。高い煉瓦(れんが)の塀に沿ってまるい黄色な頭を春風にユラユラゆすぶっています、淑ちゃんは地しばりをご存知じですか、強情な大変力のある面白い花ですよ。ダリアの畑へでも菊へでもおかまいなしにずんずん押し込んでいって肥料を横取りしてしまいます。
 田舎では野菜や桑を荒らすのでお百姓は眼の仇(かたき)にしていぢめています。命あるものはみんなあらん限りに生きようとしているのですね。生きようとするからこそ、その大切な命をも投げ出すのですね。……> 

 <生きようとするからこそ、その大切な命をも投げ出すのですね。>に、ぐっときました。

 伊藤千代子は、一九〇五年七月二十一日、長野県の諏訪の南真野の農家に生まれました。幼くして母と死別。湖南小学校から中州小学校へと転校し、祖父母の援助で諏訪高等女学校(現・諏訪二葉高校)に学び、高島小学校の代用教員の後、仙台尚絅女学校から東京女子大に進みました。
 伊藤千代子は、生活に苦しむ人々に心をよせ、世の中の矛盾と不公平さを許せず、東京女子大学内でカール・マルクスの『資本論』を学ぶなど、社会諸科学研究会で中心的に活動しました。
 郷里では初の普通選挙をたたかう革新候補の藤森成吉を支援、岡谷の争議、山一林組の製糸工女らを激励しました。
 一九二八年二月末、日本共産党に入党。二十二歳でした。党中央事務局で文書連絡や印刷物の整理などの活動を始めました。
 同年三月十五日、党印刷所に出向いたところを特高警察に襲われて逮捕されました。
 治安維持法による野蛮な弾圧で逮捕、市ヶ谷刑務所に投獄されます。
 千代子は獄中での狂暴な拷問や虐待にも屈せず、同志を励ましたたかい続けました。
 はじめの手紙は、一九二九年五月八日、市ヶ谷刑務所からのものです。
 ジシハリは、キク科ニガナ属の多年草。別名は、イワニガナ、ハイジシバリ。
 細い茎が地面を這い、茎から根を下ろして増えるので地面を縛るように見えます。葉には柄があり、葉身は円形もしくは楕円形で長さ一~三センチメートル。花は黄色の頭花で直径二~二・五センチメートル。四月から六月にかけて花を咲かせます。
 伊藤千代子は、獄中で党員の夫の天皇制政府への屈服を知り、衝撃を受けますが、同調を拒否します。
 一九二九年八月、市ヶ谷刑務所で拘禁精神病を発症し東京の松沢精神病院に移送されます。そして、それから一カ月ちょっとで、肺炎で亡くなりました。
 一九二九年九月二十四日のことです。二十四歳でした。

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