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2005年4月

2005.04.02

東京のソメイヨシノの開花宣言

 二〇〇五年三月三十一日。
 午前。東京都国分寺市の市立第一小学校のグラウンドの桜の一つが咲いていました。
 この日、東京のソメイヨシノの開花宣言。
 仕事で調布市へ。
 美しいハクモクレンを見ました。

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やっほー、「殿ヶ谷戸庭園パスポート」を入手したよ。

 二〇〇五年三月三十一日朝。
 カタクリが咲いていますという表示を見て、東京都立殿ヶ谷戸庭園(東京都国分寺市)に入りました。
 出勤の電車までの余裕は三十分。
 足早にカタクリの所へいってパシャ、パシャ…。しかし、どうもうまく撮れません。
 そのうち、再挑戦しなくては。
 コブシの花も綺麗でした。

 ところで、ここに入るときに、「殿ヶ谷戸庭園パスポート」を買いました。
 六百円也。
 顔写真をはらなくてはなりませんが、これで一年間、この庭園に入ることができます。
 一回百五十円ですから、僕にとってはだいぶお得です。

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2005.04.03

カタクリの花を撮ったよ。

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 二〇〇五年四月三日午後。
 東京都府中市を自転車で散歩。
 ムラサキハナナ。
 コブシ。
 桜。
 と撮って、帰ろうとしたら、地元の男性が「一箇所だけですが、カタクリが咲いていますよ」。
 案内してくれました。
 ちょっと見つからない所です。
 花が四つ咲いていました。
 写真です。

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コブシの花は微笑んで咲く。

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 みずからの 白い花びら 敷き詰めて
 四月のコブシ
 微笑んで咲く

 二〇〇五年四月三日午後。
 東京都府中市を自転車で走ると、あっちにも、こっちにもコブシの花が咲いていました。

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2005.04.04

ぽかぽかの翌日の花冷え。

 ぽかぽかの 翌日、一転 花冷えで
 何着ていくか
 探してる朝

 二〇〇五年四月四日朝。数度しかないようです。
 昨日は、すごいぽかぽかの陽気だったのに…。

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2005.04.05

ハナモモ・ゲンペイってすごーい。

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 二〇〇五年四月五日。
 泊まり明けの午後、東京都の新宿御苑へ。
 平日だというのにいっぱいの人です。
 中国語が飛び交います。
 「わーっ」と声を上げたのはハナモモ・ゲンペイ(花桃・源平)。
 白、桃、紅と一本の木から異なる色の花が咲いています。
 ハナモモ・ゲンペイは、バラ科。落葉高木です。中国原産。

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ヨウコウを愛でるヨウコさん。

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 「すごいわね。ヨウコウだって。
 私はヨウコ、きれいねえ」
 見入る人々

 二〇〇五年四月五日午後。東京都の新宿御苑。
 紅紫、一重咲きのヨウコウ(陽光)がみごとでした。
 バラ科サクラ属。カンヒザクラ群の園芸品種。アマギヨシノとカンヒザクラを交雑して作出したものです。

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このツバキ、すごいでしょう。

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 二〇〇五年四月五日午後。東京都の新宿御苑。
 あのツバキ(椿)が咲いていました。
 温室の近くです。
 大きくて、鮮やかです。このツバキのファンです。
 ツバキは、ツバキ科の常緑高木。
 「春」に花の咲く「木」が名前の由来だといいます。

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ハナニラ、ハナニラ、ハナニラ…。

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 二〇〇五年四月五日午後。東京都の新宿御苑。

 ハナニラ(花韮)が咲いていました。
 ユリ科の球根植物です。
 メキシコからアルゼンチンにかけてが原産。葉がニラに似ていることが名前の由来だといいます。

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やっほー。 ムラサキハナナです。

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 二〇〇五年四月五日午後。東京都の新宿御苑。
 やっほー。 ムラサキハナナ(紫花菜)です。
 アブラナ科です。別名、ショカッサイ、オオアラセイトウ。
 中国原産で江戸時代に渡来しました。菜の花と同じアブラナ科の植物で、紫色の花の咲く菜の花が名前の由来です。

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新しいオートバイがやってきた。

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 二〇〇五年四月五日夕方、近くのオートバイ店に頼んであった二五〇CCのオートバイを取りにいきました。
 ホンダのFTRです。
 家まで引いてきて、早速、試乗しました。
 いい音。いい乗り心地。
 いいまでのオートバイと仕様が違うので、運転には少しとまどいますが、すぐに慣れると思います。
 こいつと走りぬくぞ!!!!

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2005.04.07

韓国映画「純愛中毒」の展開

 二〇〇五年四月七日。
 DVDで韓国映画「純愛中毒」を見ました。
 スリラー恋愛映画というのでしょうか。
 意外な展開に、「そ、そうなるのか…」。
 女性を魅惑する若い男優イ・ビョンホンさんの演技におうところの多い作品でした。

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2005.04.08

「桜花(おうか)」という名の人間爆弾。

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 二〇〇五年四月七日。
 写真は、午後、JR横浜線の淵野辺駅南口で見た桜です。
 すごく綺麗でした。

 ところで、数年前から、桜といえば、「桜花(おうか)」を思い起こすようになってしまいました。
 「桜花」は、一九四四年に開発された人間爆弾です。
 頭部に爆弾。一人分の操縦席。翼。火薬ロケット推進のエンジン。
 爆撃機の腹に設置され、一人の操縦士を乗せて、放たれました。
 離着陸のための車輪はありません。
 ただ、「敵」にぶち当たって爆発するためにだけに放たれた人間爆弾でした。
 日本の侵略戦争の桁はずれた残虐さを示す兵器でした。

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オオイヌノフグリの二本の角(つの)

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 地に座り レンズくっつけ 撮っている
 二つ角(つの)持つ
 オオイヌノフグリ花

 二〇〇五年四月八日。休み。
 午前中からオートバイで東京都三多摩の野川公園へ。
 ずーっとうまくいかないオオイヌノフグリの花の撮影に挑戦しました。
 オオイヌノフグリは、ゴマノハグサ科クワガタソウ属。
 ヨーロッパ原産の帰化植物です。早春からコバルト色の花を咲かせます。花弁は四枚、雄しべは二本です。

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野川公園の桜と池との風景

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 手を広げ 桜吹雪を 走りぬく
 ピンクの花は
 幸せを呼ぶ

 二〇〇五年四月八日。東京都三多摩の野川公園で。
 この日、ここで見た桜で一番気に入ったものです。

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ミツマタの花。初めて見ました。

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 繊維状 ミツマタばかり 見慣れてて
 花は初めて
 五十八春

 二〇〇五年四月八日。東京都三多摩の野川公園で。
 ミツマタは、ジンチョウゲ科ミツマタ属。中国中南部・ヒマラヤ地方原産。江戸時代初期に渡来しました。枝が三つ又に分かれているのでこれが名の由来。樹皮には強い繊維があり、和紙の原料になります。

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東京・井の頭公園の夜は、花見の宴会でいっぱい。

 二〇〇五年四月八日夕。
 夕方六時半、東京都のJR吉祥寺駅前で妻と待ち合わせ。
 近くの井の頭公園で夜桜見物。
 し、しかし、これは何だ。
 飲んで、しゃべって、騒いでの花見客でいっぱい。すごいエネルギーです。
 二人で一回りして、すごすご帰ってきました。

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Zeroを聞きました。すごいですね。

 二〇〇五年四月八日夜。
 NHK衛星第二の「BS日本のうた」(再放送)で韓国のZero(男性)の歌を聞きました。
 「約束」。
 「Good bye」。
 すごく高い、いい声です。

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2005.04.10

クリスマスローズの楽しみ

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 二〇〇五年四月九日午前。
 妻のお誘いで東京・三多摩の神代植物公園に。
 ここにも花見客が押し寄せてきていました。
 押し寄せるだけの価値のはあります。素晴らしい桜の花です。
本日の収穫は、いろんな種類のクリスマスローズ。
 初めて見ました。
 クリスマスローズは、ユキワリソウ、オキナグサ、オダマキなどと同じキンポウゲ科です。

 神代植物公園への交通。
 京王線「つつじヶ丘」から京王バス 深大寺行き 「神代植物公園前」下車
京王線「調布」から小田急バス 吉祥寺または三鷹行き 京王バス 深大寺行き 「神代植物公園前」下車
JR「三鷹」・「吉祥寺」から小田急バス 調布または深大寺行き 「神代植物公園前」下車

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テッセンの季節がやってきました。

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 二〇〇五年四月九日。
 東京・三多摩の神代植物公園。

 売店でテッセンを見ました。
 「わー、テッセンだ。うれしいな」
 という感じ。
 妻と京都市にいったとき初めて知った花です。
 花の名は、妻に教えててもらいました。
 テッセンは、ことしも、いろんな場所で、僕を楽しませてくれることでしょう。

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花吹雪を心につけて…。

 花吹雪 心につけて
 微笑んで
 泊まり勤務の わが席につく

 二〇〇五年四月九日午後。
 ある人に「どこどこの花見をしたの?」と「追及」されましたが、ことしは、まだ、新宿御苑、野川公園、井の頭公園、神代植物公園のみです。

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ハリミノウゼンの装い。

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 二〇〇五年四月十日午後。
 泊まり明け。
 東京都の新宿御苑へ。
 きょうは温室へ。
 ハリミノウゼンを撮りました。
 ノウゼンカズラ科です。
 原産地は、ブラジル南部,アルゼンチン
 つる性植物です。花は淡紅紫色です。

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ヒスイカズラの誘い。

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 二〇〇五年四月十日午後、東京都の新宿御苑の温室。

 いっぱいの客が、つぎつぎと「ヒスイみたい」「きれい」「気味が悪い」などの声を上げて見入っていきます。
 ヒスイカズラです。
 マメ科のつる植物。花は青緑色で、宝石の翡翠(ひすい)のようです。フィリピンの熱帯雨林に自生します。自生地でも数が減ってしまっている絶滅が危ぐされています。

 それはそうと、温室はいいにおいですが、さすがにこの季節は暑い。汗びしょになりました。

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「あの人と一緒に暮らして楽しかったね」

 このところ殊勝なことを考えています。

 僕が十九歳のときに知り合った、妻のことです。
 女性解放を唱え、「日本女性史の研究を一生の課題としたい」と、豪語する男性と結婚したのですが、実際は、家庭では女性解放にならなかったかもしれません。
 苦労をかけています。
 妻は、元気、元気です。
 一方、僕は、さえません。
 妻は、百歳以上生きることでしょう。
 僕は、あと何年かかもしれません。
 で、いま考えていることは、妻が「あの人と一緒に暮らして楽しかったね。よかった」というシーンを、できるだけたくさんつくっておきたいということです。
 その「思い出」が、長生きする妻の、なんかの支えになるかもしれないと思うからです。
 少し「妻孝行」しなければと思っている五十八歳です。

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2005.04.13

ジシバリの花に託して「生」を問う…。伊藤千代子の手紙。

 ジシバリの 花に託して 「生」を問う
 伊藤千代子の
 手紙読む朝

 二〇〇五年四月七日付の「しんぶん赤旗」日刊紙に、伊藤千代子の手紙が紹介されていました。
 一九二九年五月八日、夫・浅野晃の妹・淑子にあてたものです。

 <朝霧にぬれた麦畑や大根畑のひろびろとつづいた野方町からあの岡から谷の辺りはどんなに気持ちいいだろうと私も時々思い出します。ここではね今地しばりの花ざかりです。高い煉瓦(れんが)の塀に沿ってまるい黄色な頭を春風にユラユラゆすぶっています、淑ちゃんは地しばりをご存知じですか、強情な大変力のある面白い花ですよ。ダリアの畑へでも菊へでもおかまいなしにずんずん押し込んでいって肥料を横取りしてしまいます。
 田舎では野菜や桑を荒らすのでお百姓は眼の仇(かたき)にしていぢめています。命あるものはみんなあらん限りに生きようとしているのですね。生きようとするからこそ、その大切な命をも投げ出すのですね。……> 

 <生きようとするからこそ、その大切な命をも投げ出すのですね。>に、ぐっときました。

 伊藤千代子は、一九〇五年七月二十一日、長野県の諏訪の南真野の農家に生まれました。幼くして母と死別。湖南小学校から中州小学校へと転校し、祖父母の援助で諏訪高等女学校(現・諏訪二葉高校)に学び、高島小学校の代用教員の後、仙台尚絅女学校から東京女子大に進みました。
 伊藤千代子は、生活に苦しむ人々に心をよせ、世の中の矛盾と不公平さを許せず、東京女子大学内でカール・マルクスの『資本論』を学ぶなど、社会諸科学研究会で中心的に活動しました。
 郷里では初の普通選挙をたたかう革新候補の藤森成吉を支援、岡谷の争議、山一林組の製糸工女らを激励しました。
 一九二八年二月末、日本共産党に入党。二十二歳でした。党中央事務局で文書連絡や印刷物の整理などの活動を始めました。
 同年三月十五日、党印刷所に出向いたところを特高警察に襲われて逮捕されました。
 治安維持法による野蛮な弾圧で逮捕、市ヶ谷刑務所に投獄されます。
 千代子は獄中での狂暴な拷問や虐待にも屈せず、同志を励ましたたかい続けました。
 はじめの手紙は、一九二九年五月八日、市ヶ谷刑務所からのものです。
 ジシハリは、キク科ニガナ属の多年草。別名は、イワニガナ、ハイジシバリ。
 細い茎が地面を這い、茎から根を下ろして増えるので地面を縛るように見えます。葉には柄があり、葉身は円形もしくは楕円形で長さ一~三センチメートル。花は黄色の頭花で直径二~二・五センチメートル。四月から六月にかけて花を咲かせます。
 伊藤千代子は、獄中で党員の夫の天皇制政府への屈服を知り、衝撃を受けますが、同調を拒否します。
 一九二九年八月、市ヶ谷刑務所で拘禁精神病を発症し東京の松沢精神病院に移送されます。そして、それから一カ月ちょっとで、肺炎で亡くなりました。
 一九二九年九月二十四日のことです。二十四歳でした。

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2005.04.14

人間爆弾「桜花(おうか)」」について 続き

 人間爆弾「桜花(おうか)」のことを、この間、少し書きました。
 もう少しくわしく調べてみました。

 ●特別攻撃の訓練をしていました●

 「しんぶん赤旗」日刊紙、二〇〇二年八月四日付に「俳優の江見俊太郎さん 特攻体験をトーク 『人間爆弾でした』 軍事で平和はつくれない」という記事が載っていました。
 <俳優の江見俊太郎さん(78)が、太平洋戦争中のみずからの特別攻撃(特攻)隊員としての体験と平和への思いをこの夏、語っています。
 これまでも、ことあるごとに平和の問題で発言してきた江見さん。二日には東京都府中市の「一九四五―二〇〇二 夏ふたり」の集いでサクソホン演奏の中川美保さんと共演し、二人の「トーク」で特攻隊員としての体験を語りました。
 江見さんは早稲田大学二年生のときの一九四三年十二月に学徒出陣。四五年二月からは福岡県の築城(ついき)海軍航空隊で特攻隊員としての訓練をしました。
 初めはロケット・桜花(おうか)に乗り組むことになっていました。桜花は、一式陸上攻撃機などの下部につるされて運ばれます。そして、アメリカ軍の艦艇に接近した所で空中発進され、体当たり攻撃するというものです。
 「人間爆弾でした」という言葉に、会場から「わーっ」という驚きの声が。
 一式陸上攻撃機が次々と撃墜されると、こんどは複葉(ふくよう)の屋根のない、赤トンボといわれる練習機に二百五十キログラムの爆弾を積んで特攻の訓練をしました。
 「私の日誌によると終戦の前日、八月十四日まで夜間の編隊訓練をしていました」
 江見さんは、この体験にもとづいた手記「消えない星」も朗読しました。戦争が引き裂いたむくな恋の物語です。会場の人々の目には涙が…。
 ……
 江見さんは「小泉首相は『備えあれば憂いなし』といって危ない有事法制三法案を通そうとしていますが、この『備え』というのは軍事力のことです。これは平和にはつながらない。本当の『備え』というのは戦争が起きないようにすることです。これからも聖戦といわれて侵略戦争に駆り出された体験を語っていきます」と抱負をのべています。>

 ●「桜花」がつくられるまで●

 「桜花」は、一九四四年五月一日、1081航空隊分隊長の大田正一少尉が、隊司令の菅原英雄中佐に構想を明かした人間爆弾です。
 同年五月か六月、大田少尉、菅原中佐の推薦により、構想を航空技術廠長の和田操中将に提案。中将は航空本部に進達。航空本部の伊東裕満中佐と軍令部の源田実中佐が協議して研究を進めることになりました。
 同年八月初旬、大田少尉が、あらためて民間技術者(東京大学航空研究所、三菱名古屋発動機製作所)の協力を得て作製した「人間爆弾の私案」を航空本部に提出しました。
 同月十六日、航空本部が、大田私案に「○大部品」の秘匿名称をつけ、航空技術廠に改正試作を下令しました。試作番号「MXY7」。
 同月中旬、第一線部隊を除く全国航空隊で、秘密裡に「生還不可能の新兵器」の搭乗員希望者を募集。航空技術廠、「MXY7」の単座練習機「K1」の試作を開始しました。
 同月十八日、軍令部第2部長黒島少将、軍令部会議で火薬ロケット推進の「○大兵器」を発表しました(「部品」が「兵器に変わりました)。
 同月下旬、航空本部、○大を「桜花」と命名。
 同年九月十五日、「桜花」を基幹とする特殊専門部隊の編成準備のため、準備委員長岡村基春大佐(341航空部隊司令)などを横浜航空隊付に発令しました。
 同年十一月十九日、及川軍令部総長が「桜花」計画について昭和天皇に上奏しました。

 ●開発の一端を担った人の証言●

 神奈川県相模原市の鈴木元夫さん(七十八歳)は、「桜花」の開発の一端をになったといいます(「しんぶん赤旗」、二〇〇五年四月十三日付)。
  <(一九)四四年一月から横浜市の海軍航空技術支廠(しょう)の爆撃部設計係になり、同年夏から「桜花(おうか)」の開発の一端をになっていました。
 「桜花」(全長六・〇六六メートル、翼幅五メートル)は、頭部に千二百キロの爆弾を装てんし、二つの翼と一人ぶんの操縦席をつけた、火薬ロケット推進方式の飛行機でした。離着陸のための車輪はありません。一式(いちしき)陸上攻撃機などの腹につるされ、放たれて「敵」にぶつかっていく人間爆弾でした。
 私は、「桜花」がどんな角度で「敵」に当たっても爆弾が爆発するような発火装置の設計を担当していました。>

 ●一式陸上攻撃機も改造されました●

 山本正夫さんが『岡山の記憶』第五号(二〇〇三年)に「回想記 無残な“死出の穴”づくり―海軍機一式陸攻の人間爆弾「桜花」―」を書いています。
 <……19年(記者注・一九四四年)2月に私は現倉敷市水島にあった3菱重工業水島航空機製作所に入所して海軍機の1式陸攻(G4M1~3)を作っていました。私は第2組立に属して胴体組立のうち爆弾倉を作り、いわゆる鋲打ち作業をやっていました。
 戦争は次第に熾烈となり、学徒動員の生徒や女子挺身隊を相棒に懸命に鋲打ち1筋に励み、毎日が残業々々の連続で、定時の5時から3時間半の残業を強いられていました。
 いつからだったか爆弾倉に設計の変更があり、機内の床より直接爆弾倉内に降りる穴を作ることになりました(注:爆弾倉内の爆弾を吊るす天井の上は機内の床になっています)。後にいわれた〝桜花装備〟(会社ではマルダイ装備)というもので、爆弾倉の中に特攻兵器の爆弾「桜花」を積み、この中に人が乗り込んで操縦し体当りをする人間爆弾に乗り込む穴です。この桜花は大きく、1式陸攻に取り付けると弾扉(だんぴ)を締めることができないので初めから取り付けられず、下から見ると弾倉は丸見えの状態でした。
 この桜花に乗り込むための死出の花道は、1辺500ミリの正方形、厚さ12、3ミリぐらいの穴でした。この500ミリの穴を作るために、誠に手数がかかりました。でも作りながら、この穴の中をいつかは若者が降りて、ふたたび帰って来ない旅に出るのだと思いながら胸をしめつけられるような気持で作っておりました。
 ……
 その後工場もB29の爆撃によって大半が被害を受け、やがて終戦となり1式陸攻の製作も終わりました。思えば「増産!増産!」と尻をひっぱたかれながら、何号機まで作ったであろうか。最初のG4M1の1号機から数えて、私の作った爆弾倉の号数は6百あるいは7百何十機分であったと思う。完成機は、とてもそれまでは出来てはいない。1機分の爆弾倉が出来れば、それに白墨で番号を書き込んでいたのでそのように思われる。
 マル大装備も中途からなので何機分を作ったか記憶はないが、完成されたものは何十機と言うくらいではなかったかと思われます。
 ……
 当時、従業員は男性が兵役で少なかったのか、女子挺身隊や学徒動員の女の子がたくさん入っていた。私のところにも岡山女子師範の生徒さんで津山出身の人が入ってきて1緒に鋲打ちをやった。……
 20年6月22日、水島の工場はアメリカ軍の爆撃を受けた。当日は工場が休みだったので出勤していなかったが、岡山の家でも「ドロドロ」という爆発の音が聞こえてきた。翌日出勤してみると、私が仕事をしていた爆弾倉の治具のあたりに大型爆弾が落ちたのか、直径十数メートルくらいの大穴があき、深さ5メートルくらいの底には水がたまっていた。
 ……
 以後は、工場の片づけばかりだった。1週間後の29日未明、今度は岡山市が大空襲をうけ、私は身重の妻と2人で逃げた。
 水島の工場の被弾でその前に置いてあった1機も爆風をうけて、リブ(骨組み)の間は全部内側にへこんでしまっていた。これでは使い物にならないが、この機がどうなったのか知らない。
 工場の片づけの最中の8月2日、第2回目の召集がきて、会社を辞め、入営した。今度は広島の工兵隊だった。8月6日の原子爆弾で、私は被爆した。>

 一式陸上攻撃機は、一九三七年に開発され、一九四一年四月に海軍に正式採用された双発の攻撃機です。搭乗員は七人です。
 燃料タンクにインテグラル式タンクを採用したことから、航空燃料を四千七百八十リットル搭載できました。インテグラル式タンクというのは、主翼内が燃料タンクになっているものです。その一方、燃料タンクには防弾設備が一切なく、敵戦闘機の機銃弾が一発命中しただけでも火を噴き、墜落していくという飛行機でした。
 「桜花」は、終戦時までに七百五十機が製造されたといいます。

 ●「桜花」の特別攻撃の実際●

 一九四四年十月一日、百里ヶ原基地(茨城県小川町)に、第721海軍航空部隊(神雷部隊)が新たに編成され、横須賀鎮守府に編入されました。「桜花」を主戦兵器とした最初の航空特攻専門部隊でした。
 同年十一月一日、茨城県鹿嶋市(現在の地名)の神之池基地に移転、「海軍神雷部隊」の門札が掲げられました。
 神雷部隊は、「桜花」パイロットの桜花隊、「桜花」を運ぶ陸攻隊、これらを援護する戦闘機隊の三つが基本的な要素。桜花隊員の募集は最初、一九四四年八月中旬、全国航空隊からその目的と生還不可能の条件を明示して隠密裏におこなわれれ、応募者の中から約二百人が十月から十一月にかけて721航空隊に着任し、十一月末には四個分隊編成となりました。
 母機の陸上攻撃機には精鋭の飛行隊をあて、援護戦闘機として二個飛行隊が配置されました。
 同年十一月二十九日、「桜花」五十機を搭載した空母「信濃」が米潜の雷撃で沈没(横須賀→呉)。
 同年十二月一日、連合艦隊司令長官が神雷部隊にレイテ攻撃を内示しました。
 同年十二月十九日、「桜花」五十機を搭載した空母「雲龍」が米潜の雷撃で沈没(佐世保→比島)。
 一九四五年一月八日、「桜花」五十八機を搭載した空母「龍鳳」が目的地をフィリピンから台湾に変更。
 同月二十日日、「桜花」隊第一陣が南九州(鹿屋、出水、宮崎、都城)に進出を開始しました。
 同年三月二十一日、第一回神雷「桜花」特別攻撃隊(「桜花」十五機、陸上攻撃機十八機、戦闘機三十機)は、鹿児島県の鹿屋基地を出撃し、九州沖に向かいました。しかし、米機動部隊約五十機の待ち伏せにあいました。戦死百六十人(「桜花」十五人、陸上攻撃機百三十五人、戦闘機十人)。
 同年四月一日、第ニ回神雷「桜花」特別攻撃隊出撃(「桜花」三機、陸上攻撃機三機)。
 同十二日、第三回神雷「桜花」特別攻撃隊出撃(「桜花」八機、陸上攻撃機八機)。
 同月十四日、第四回神雷「桜花」特別攻撃隊出撃(「桜花」七機、陸上攻撃機七機)。
 同月十六日、第五回神雷「桜花」特別攻撃隊出撃(「桜花」五機、陸上攻撃機五機)。
 同二十八日、第六回神雷「桜花」特別攻撃隊出撃(「桜花」一機、陸上攻撃機一機)。
 同年五月四日、第七回神雷「桜花」特別攻撃隊出撃(「桜花」六機、陸上攻撃機六機)。
 同月十一日、第八回神雷「桜花」特別攻撃隊出撃(「桜花」三機、陸上攻撃機三機)。
 同月二十五日、第九回神雷「桜花」特別攻撃隊出撃(「桜花」三機、陸上攻撃機三)。
 同月二十五日、第一回神雷「桜花」特別攻撃隊出撃に対する連合艦隊告示。「第一神風特別攻撃隊神雷部隊桜花隊」の名称で発表。
 同年六月二十二日、第十回神雷「桜花」特別攻撃隊出撃(「桜花」四機、陸上攻撃機四機)。

 「桜花」関係の戦死者は三百人を超えました。
 「桜花」特別攻撃の「戦果」は、駆逐艦「マンナート・L・エーブル」(「桜花」に突撃された時すでに航空特別攻撃により損傷していました)を一隻撃沈し、数隻に損害を及ぼしたに過ぎませんでした。

 ●千葉県にも「桜花」の遺跡が…●

 「しんぶん赤旗」日刊紙、二〇〇四年八月二十一日付、南関東のページには「千葉・館山/戦跡保存で全国シンポ/房総の特攻基地跡など見学 」が載りました。
 <第八回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会が二十日、千葉県で始まりました。初日は戦争遺跡を見学するフィールドワークが行われ、関東や沖縄、韓国などから百人以上が参加。茂原市の掩体壕(えんたいごう)群や、夷隅町、大原町に残る特攻基地跡などを見学しました。
 ……
 夷隅町に残る特攻機「桜花」基地跡は、草深い山奥に暗い口を開けていました。「桜花」は敵艦隊に体当たりするグライダー型「人間爆弾」で、本土決戦を想定していました。同基地跡は勤労奉仕でかりだされた住民が掘ったという証言もあります。
 参加者はツルハシの跡が残る壁面を触れ、「大本営は逃げる場所、特攻基地は死ぬ場所だ」と話していました。>

 次のような記事もありました。
 <(千葉県)内陸部の安房郡三芳村には特攻兵器「桜花」の基地があった。「桜花」といえば、大型攻撃機の腹に抱きかかえられ、目標近くで切り放される人間爆弾である。大戦末期には南房総の山中からカタパルト(射出機)で射ち出して、ロケット噴射で山を越え沖合の艦船に人間もろとも突入させようとしたのである。>(「しんぶん赤旗」日刊紙、一九九五年一月二十七日付、「朝の風 五十年後のフィールドワーク」、筆者「春」)。

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2005.04.15

ご近所の桜。青空に映えてすてきでした。

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 二〇〇五年四月十四日午前、東京都国分寺市東元町二丁目の民家の庭に咲いている、すてきな桜を見ました。
 道から見入っていると年配の気品のある女性が庭に出てきて、二人で桜談義。
 「撮っていいですか」
 「どうぞ」
 と、いうのが、この写真です。
 桜には、青空が似合いますねー。
 「お茶も出しませんで」
 「いえ、いえ」
 この後、仕事で神奈川県横須賀市にいったら、そこでは、もう桜たちは「また、来年ね」のあいさつをしていました。

 また、きっと 来春、会おうね 桜たち
 あいさつしながら
 散る花を見る

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「二人ぼっち」の日々。

 二〇〇五年四月十五日。

 三月に息子が結婚して、僕たちは、ついに「二人ぼっち」になりました。

 娘は、すでに結婚して、二人の孫娘がいます。
 娘からは、ときどき「遊びにきて」と声がかかります。

 しかし、息子夫婦のほうは、そんな声をかける余裕もなく、せかせかと生きています。
 といっても、もともと、息子は、十八歳から、ずーっと家を出て、年に何回か、わが家にやってくるという、「薄い関係」でした。

 本当は、家族間で、どんどんいききして、楽しい時を過ごしたいと思うのですが……。
 まぁ、それぞれの性格ですからね。

 さきほど、妻は、浴槽で「恍惚(こうこつ)の人」になっていました。
 もう一階でいびきをかいていることでしょう。
 僕は、二階で、こんなことを書いています。
 ところで、僕も、もう寝なくては……。
 一日は、なぜ、二十四時間しかないのでしょうか。

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2005.04.16

ハナニラは地上の星。

 ハナニラの 香りの中に 一人いて
 地上の星々
 写し撮ってる

 二〇〇五年四月十六日午後、東京都国分寺市東元町二丁目で。

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2005.04.17

ヤマシャクヤクの美しさ。

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二〇〇五年四月十六日。出勤前に東京都国分寺市の都立殿ヶ谷戸庭園に。
 ヤマシャクヤクを撮ることができました。
 なんだかいい気分です。
 ヤマシャクヤクは、ボタン科ボタン属の多年草です。

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ラクウショウの気根(きこん)の拳(こぶし)。

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 「生きるんだ!」
 そんな叫びが 聞こえそう
 ラクウショウの 気根(きこん)の拳(こぶし)

 二〇〇五年四月十七日午後、泊まり明け。東京都の新宿御苑へ。
 ラクウショウの気根を見ました。

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君の名は? 「オオアマナ」。

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 二〇〇五年四月十七日午後。東京都の新宿御苑で美しい花に出合いました。
 何という名前の花でしょうか?

 四月二十八日午後、一泊の出張の後の泊まり勤務の後です。
 しかし、めげずに新宿御苑に。
 おかげで、この花の名がわかりました。
 オオアマナでした。
 ユリ科アマナ属です。

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ムラサキハナナの群生

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 二〇〇五年四月十七日午後。東京都の新宿御苑。
 ムラサキハナナの群生を見ました。

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シャガは「めっちゃきれい」。

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 娘さん 「めっちゃきれい」と 叫んでる
 シャガさん、あなたを
 ほめてくれてる
 
 二〇〇五年四月十七日午後。東京都の新宿御苑。

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2005.04.18

ニュースです。ムサシノキスゲが咲き始めていますよ。

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 二〇〇五年四月十八日。休み。
 新しいオートバイは快調。
 妻がつくってくれていた弁当を持って東京都三多摩の東京都立浅間山公園(せんげんやまこうえん)、都立武蔵野公園にいってきました。
 浅間山は、標高八〇メートル。僕向きの山です。
 頂上の一つで弁当を食べました。おいしい!
 さてさて、「大ニュース」です。
 ムサシノキスゲが一本ですが、もう咲いていました。
 ムサシノキスゲは、ワスレグサ属です。
 もうすぐ、いっぱいのムサシノキスゲが咲きそろうことでしょう。
 世界中で、ここだけでしか見られないシーンです。
 五月になると、ここで「キスゲフェスティバル」が開かれます。
 浅間山公園にどうぞ。府中市浅間町四丁目、若松町五丁目。JR中央線武蔵小金井駅から京王バス府中行き、「浅間町」下車、徒歩三分。西武多摩川線多磨駅下車、徒歩十五分。

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ヤマブキがきれいです。

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 二〇〇五年四月十八日。東京都三多摩の東京都立浅間山公園(せんげんやまこうえん)。
 ヤマブキがきれいに咲いていました。
 美しい野の花がいくつも咲いていましたが、名前がわかりません。名前がわかったら書き込むつもりです。

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東京都立武蔵野公園の桜千本、いま盛り。

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 降る花を 両手を広げ 受けている
 遅咲き桜は
 ありがたきかな

 二〇〇五年四月十八日。東京都三多摩の東京都立武蔵野公園にやってきました。
 野川に沿って残る草原や雑木林を配した公園です。
 桜が約千本あります。ヤマザクラ、ソメイヨシノ、サトザクラなど。
 いまが盛りです。
 写真は、ウコンです。
 武蔵野公園は、ここです。
小金井市前原町二丁目、東町五丁目、府中市多磨町二丁目。JR武蔵小金井駅北口から京王バスの多麿霊園・多磨町行き、「多磨町」下車、徒歩三分。京王線調布駅北口から武蔵小金井駅行き、乗車二十五分「武蔵野公園」下車。JR武蔵小金井駅北口から調布駅行き乗車二十、「武蔵野公園」下車。

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ハナミズキがきれいでした。

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 二〇〇五年四月十八日。東京都三多摩の東京都立武蔵野公園。
 ハナミズキがきれいでした。写真。

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ニリンソウがたくさん咲いていました。

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二〇〇五年四月十八日。東京都三多摩の東京都立武蔵野公園。
 ニリンソウがたくさん咲いていました。写真。

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ツバキは赤いじゅうたんを敷いて…。

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 みずからの 花を敷き詰め 咲き誇る
 胸刺すシーン
 ツバキの気迫

 二〇〇五年四月十八日。東京都三多摩の東京都立武蔵野公園で。

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ムラサキハナナとナノハナ

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 二〇〇五年四月十八日。東京都三多摩の東京都立武蔵野公園。
 シーンは、ムラサキハナナとナノハナがつくりだしたシーンです。

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2005.04.20

ご近所の群れ咲くナノハナ、目に焼いて…

 ご近所の 群れ咲くナノハナ
 目に焼いて
 「よっし、出発」 出勤の道

 二〇〇五年四月十九日午前のことです。

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2005.04.21

加賀乙彦さんの長編小説『永遠の都』

 加賀乙彦さんの長編小説『永遠の都』を二〇〇五年二月二十八日から読み続けています。
 新潮文庫で七冊です。
 いま三冊目が終わろうとしています。
 一九三五年から四七年の時代の中の日本を描いています。
 その時代の葛藤に引き込まれていきます。
 僕が生まれたのは四七年。それ以前の時代の「感じ」がよくわかります。
 作者が、事実に歌わせた小説です。

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僕の「うそぶきの短歌」

 二〇〇五年四月二十一日のつぶやきです。

 妻に「ケチョンケチョンに」いわれたときなどに僕がつぶやく短歌は、「白鳥は かなしからずや 空の青 海の青にも 染まりただよふ」です。
 妻は「あんたは、その短歌が好きやねー」といいますが、彼女は、これが、若山牧水の原作と一字だけ違うのに気がついていないようです。
 原作は「白鳥は かなしからずや 空の青 海の青にも 染まずただよふ」です。

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2005.04.22

ヒメリンゴの微笑み

0030422_2_209

 二〇〇五年四月二十二日朝。

 わが庭ではアンズは、すでに花が散り、実をつけはじめています。
 ハナカイドウが咲いたと思ったら、白いヒメリンゴの花も咲いてきました(写真)。
 ヒメリンゴは、バラ科 リンゴ属の落葉低木です。

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2005.04.24

ニリンソウのつもりでトリカブトを…。

 大変なニュースを知りました。
 二〇〇五年四月二十一夜、青森県の七十歳代の男性がトリカブトを食べて食中毒症状を起こし、二十三日午前一時ごろ、死亡したというのです。
 この男性は、ニリンソウのつもりで、このトリカブトを自宅近くの山林で採取したものです。
 家族四人であえ物にして食べ、近所の人にもおすそ分けしたといいます。
 食中毒症状患者は、亡くなった人を含め計六人に。全員が入院しました。四人は快方に向かい、一人は重症のままといいます。
 ニリンソウとヤマトリカブトは、同じキンポウゲ科です。インターネットで調べてみると、花が咲く時期は両者はよく似ています。
 以下の、サイトに両者の違いが詳しく載っていました。
 http://www.pharm.tohoku.ac.jp/~yakusoen/goshoku/goshoku.html

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憲法九条 忌野清志郎さん、かく語りき。

 すごい言葉と出合いました。

 「ロックの基本は、愛と平和だ。イエーイッ!」
 「一番の環境破壊は、戦争だと思う。戦争が一番の環境破壊なんだ。イエーイッ!」
 「この国の憲法を知っているか。戦争をしないんだ。戦争に加担しないんだ。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンみたいじゃないか。みんな。この国の憲法は、まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか。イエーイッ! なんで世界中に自慢しないんだ。イエーイ。日本の憲法を、世界中に自慢しようぜー」

 二〇〇五年四月二十四日午後、東京都の代々木公園のアースデーの舞台の演奏の合間に、ロック歌手の忌野清志郎(いまわの・きよしろう)さんが語ったことです。

 ジョン・レノンの歌というのは「イマジン」のことだと思います。
 そして、日本国憲法第九条をあらためて紹介します。

 第2章 戦争の放棄

 第9条

 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 「イエーイ。日本の憲法を、世界中に自慢しようぜー」

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2005.04.25

ヤマブキソウが輝いていました。

20050425_198

 二〇〇五年四月二十五日午後、東京都国分寺市の万葉植物園で見た花です。
 ヤマブキソウだとのことです。
 ケシ科クサノオウ属。
 花弁は四枚です。

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2005.04.28

ナノハナと青空と。

20030428_039

 青空に ナノハナ入れて 撮っている
 マクロレンズで
 表現できたよ

 二〇〇五年四月二十五日午後、兵庫県姫路市の新中川橋の近くで。

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ツルニチニチソウ

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 気になっていた花の名前が二〇〇五年四月二十八日、わかりました。
 ツルニチニチソウでした。
 キョウチクトウ科です。
 写真などは、またアップします。
 いまは、とにかく「眠い!!」。

 写真アップしました。四月二十二日、東京都三多摩の井の頭公園で撮ったものです。

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