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2005.05.17

マンジュシャゲの球根のまんじゅう

 二〇〇五年五月十三日、十四日が休みになり、ぽんと高知県にいきました。
 僕の高校一年生のときの数学の先生の妹さんに会うためです。
 十三日午後から夕方にかけて、じっくりと戦中、戦後の体験を聞かせていただきました。
 そのなかにマンジュシャゲの球根を食べた話がありました。
 その前に、少し前置きをします。
 彼女は、一九四五年八月の終戦後、高知県中村の高知県立中村高等女学校に入りました。
 四六年十二月二十一日の南海大地震(マグニチュード八・一)で中村高等女学校の校舎、白藤寮、コンクリート塀が大破しました。
 四七年、六・三制実施で高知県立中村高等女学校が、高知県立中村女子高等学校となりました。併設中学校設置しました。
 四八年、新学制実施により高知県立中村女子高等学校として発足しました。
 彼女のマンジュシャゲの話は、併設中学校のあったころだったといいます。
 とにかく食糧難の時代でした。
 教師に「マンジュシャゲの球根を集めてきなさい」といわれ、生徒たちでマンジュシャゲの球根を採りにいきました。
 球根は、粉にして、まんじゅうのように握ってふかしました。
 「これがマンジュシャゲの球根のおなんじゅうよ」と、いわれました。
 陶器のようにつるつるした感じのまんじゅうでした。
 食べました。
 しかし、そのまずいこと、まずいこと。「これだけは、なんともいただけなかった」と、彼女は述懐していました。
 マンジュシャゲには、リコリンという毒があります。特に球根の部分は毒性が強く、口にすると吐き気や、下痢、中枢神経の麻痺を起こし、死に至ることもあります。
 しかし、リコリンは水によく溶けるので、
球根をすりつぶし、よく水にさらして毒抜きすることで良質のデンプンを得ることができます。
 彼女たちが、マンジュシャゲの球根で、おまんじゅうをつくるときにも、きっと、球根をすりつぶし、よく水にさらして毒抜きするという工程があったことでしょう。
 僕の生まれたのは一九四七年二月二十三日。マンジュシャゲの球根のおまんじゅうのころでした。

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