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2005年6月

2005.06.01

花づくり禁止の続き

 二〇〇五年五月三十一日、戦争中の花栽培禁止令のことを友人に話したら、『草の根の反戦・抵抗の歴史に学ぶ』(歴史教育者協議会編、平和文化)を見せてくれました。
 愛沢伸雄さんの「花を守った人びと」が載っていました。 

 <1941(昭和16)年、戦争の勃発とその後の戦勝で花の需要は増え、(房総半島南端の千葉県)安房の花栽培は景気がよく、作付けは450ヘクタール、出荷は40万俵、組合数も20組合になった。当時は金せん花やストック、寒菊などが多く作付けされていた。
 しかし、戦況が変わると食糧物資が乏しくなり、食糧生産が農政の第一目標になった。農家には農産物の作付け割当てが強制され、なかでも千葉県と長野県では花卉(かき)が禁止作物に指定されたため、花栽培農家は壊滅的な打撃をうけることになる。
 ところで、1938 (昭和13)年の「国家総動員法」第1条の「戦時に際し、国防目的達成の為国の全力を最も有効に発揮せしむる様、人的及び物的資源を統制する」を受け、まず41年の「臨時農地管理令」によって、地方長官は必要なときに「農作物の種類その他の事項を指定して作付けを命ずることができる」と、花栽培を制約した。そして、42年の「農業生産統制令」では「地区内に於いて生産されるべき農作物の種類、数量または作付面積……に関して生産計画をたて、地方長官に届け」ることとし、結局花栽培を禁止した。いわゆる「花禁止令」は「食糧管理統制令」の一環として発令され、軍需物資と食糧増産が政策の第一におかれ、不要の作物とされた花の作付けは禁止されたのであった。他府県では種菌程度のものは残させたものの、とくに千葉県や長野県では徹底的に抜き収りが強制されたという。
 こうして、アジア太平洋戦争の激化のなか、食糧増産のかけ声のもとで花栽培農家に圧力をかけ、一切の花作りを消し去ることになる。……>

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2005.06.05

ジョン万次郎の直筆

 二〇〇五年六月五日夜。
 風邪で三日間休みましたが、ようやく回復基調です。

 本日、高知県の知人から手紙が届きました。
 その中に彼女の家にあるジョン万次郎の直筆の額のことが書かれてありました。

 天と地
 月日は流れ
 地上の川や海に
 風流る
            1853・2・12
               ジョン マン

 味わいのある文章です。
 なぜ、彼女の家にということも書かれてありましたが、それは、いつか紹介します。

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2005.06.08

真夜中の刺身盛り合わせの値段。


   真夜中の刺身盛り合わせの値段。


 仕事の帰り。
 JR国分寺駅南口に降り立つ。
 午後十一時半か。

 仕事に空きがなくて、晩飯が食えなかった。
 家に電話する。
 妻しかいないので、妻が出る。
 「食べるもの。飲み物。ある?」
 「なんにもない」

 「まぁ、家事は妻なんて、そんなことはないよなー。僕は平等主義者なんだもんね」
 つぶやきながら、駅前のスーパーに向かう。
 地下の食料売り場では、店員の一人が刺身のパックにシール張りの最中。
 シールを張り終わった刺身盛り合わせを取り上げる。
 「千二百八十円」だったのが
 「四百五十円」になっている。
 買った!!

 家に帰ると妻の寝所は真っ暗。
 「刺身を買ってきたけど、食べないかい」
 「もう、いい」
 今夜も、遅くまで走っていたんだろう。
 買ってきた焼きそばを料理して、
 刺身をおかずに、むしゃむしゃと独りで食べ始める。
 「四百五十円」の味だ。
 
 食べ終わって刺身の賞味期限を見たら、あと四時間になっていた。
 加工日は、昨日六月七日の三時四十二分。
 ふーんと思って、
 「四百五十円」のシールをはがしてはがしみみたら
 「半額」が、出てきた。
 その下を一つはがしてみたら、
 「二百円引き」と、あった。
 この刺身盛り合わせの短い間の価格の歴史を見てしまった。

 価格といえば、
 一昨日、社会保険業務センターから、
 頼んでおいた「年金見込み額のお知らせ」がやってきた。
 あと一年と八か月、厚生年金料を払い続けて必要がある。
 六十歳。ここで、僕は定年の予定。
 はい、あなたは「百十三万一千四百円」、年金がもらえます。
 ただし、これは年間の価格。
 十二で割ると、
 ふーーっ。
 これで生活を支えていくのか。
 その日暮らしの、いまの生活を数分の一に圧縮しなくていけない。

 しかし、六十三歳になると、年間の価格が増えまーす。
 「百九万六千三百円」でーす。
 十二で割ると、
 ………

 僕が厚生年金に加入したころには、
 四十年も働けば、
 それなりに暮らしていける額が支給されることになっていたはずだった。
 それを、けちけちと切り刻んできた人たちがいる。
 このうらみは、たっぷり晴らしてやる。
 いまに待ってろ。

 踏みつけられた憤りには時効はないし、
 人間の人生には賞味期限なんてないのだから。

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2005.06.14

ビヨウヤナギ、素敵でしょ。

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二〇〇五年六月十二日午後。休み。
 三十分あいたので東京都国分寺市の殿ヶ谷戸庭園にかけこみました。
 少しですがビヨウヤナギが咲いていました。
 いろいろ撮ってみましたが、うまく撮れません。
 また、挑戦してみようと思います。

 十日、東京も梅雨入り。
 そのせいかむしむしと暑いですね。
 たまりきれず十二日夜、ことし初めて扇風機のお世話になりました。

 二〇〇五年六月十三日午前。こんな写真が撮れました。

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2005.06.16

キンシバイは雨に打たれて

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 二〇〇五年六月十五日。
 泊まり明け。
 東京都渋谷区千駄ヶ谷五丁目の千鳩(ちはと)児童遊園地に向かいました。
 昨年のこの時期、キンシバイがたくさん咲いていたからです。
 うわーっ。雨に打たれて奇麗に咲いていました。
 じっくり楽しんで家へ。
 そのまま寝てしまい、起きたら十六日午前八時半でした。
 さて、出勤です。

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2005.06.19

アジサイを、ついに撮りました。

 アジサイの 花の好みが 狭くなり
 やっと会えたよ
 うん、この形

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 二〇〇五年六月十七日午前。
 東京都府中市栄町の都営団地の庭で、こんなアジサイに出合いました。
 このところ、ずーっとアジサイを撮りたいと思っていましたが、自分のイメージにあう花にめぐり合えませんでした。
 これはイメージどうりの花です。

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ザクロの花の魅力は…。

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 二〇〇五年六月十七日午後。
 出勤途上の東京都国分寺東元町二丁目で撮りました。
 ザクロの花です。
 日々多様に変化して、すごくひかれる花です。

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ここも戦場だったのか。

20050619_001

 ご覧ください。この表示。
 ここは東京都渋谷区千駄ヶ谷五丁目。明治通り沿いです。
 六十年前、ここにあった国民学校がアメリカの空襲で焼かれたといいます。
 ここも戦場だったのです。

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キングサリが満開でした。

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 二〇〇五年六月十九日夕、あるところで黄色いフジのような花を見つけました。道沿いの両側にいっぱい咲いています。
 聞くと、キングサリだといいます。
 マメ科キングサリ属の落葉中高木です。

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2005.06.24

わが庭のユリの花。きれいでしょう。

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 二〇〇五年六月二十三日午前、わが家の小さな庭のユリの花を撮りました。
 数日前から二つほど咲いていましたが、こちらに顔を向けてくれていませんでした。

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アジサイの花って、どんなもの?

20050623_083

 学名は 「水の容器」の 意味という
 梅雨(つゆ)を貯めてる
 アジサイを撮る

 二〇〇五年六月二十三日午前、出勤前に東京都国分寺市東元町二丁目でアジサイの花をとりました。
 アジサイの学名、Hydrangeaは、「水の容器」という意味とか。ユキノシタ科アジサイ属です。原産地は日本。
 一般に花といわれている部分は萼(がく)で、花は中心部で小さくめだたないといいます。
 写真の、中心のものが花でしょうか。

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感激しました。沖縄県の小学六年生の男の子の詩。

 二〇〇五年六月二十三日昼、NHK総合テレビの中継で見た、沖縄全戦没者追悼式(糸満市)。与那原東小学校六年生の上原凛(りん)君(十二歳)が読み上げた自作の詩に感動しました。

 今ぼくにできること
 戦争がいやだといえること
 戦争のこわさをつたえていくこと
 そして平和を願うこと

 人の心をとらえ、行動にかりたてます。

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2005.06.28

上原凜君の詩「平和な今」

 上原凜君の詩の全文を「さーやん」が教えてくれました。
 ありがとうございました。
 元は「琉球新報」のホームページといいます。


   平和な今     上原 凜

 ぼくは戦争を知らない
 戦争は人の命をうばい
 すべてのものをうばうという
 そんな戦争が今でもどこかで続いている
 どうして?

 ぼくは戦争を知らない
 戦争は家族をバラバラにし
 人の心をメチャクチャにするという
 そんなバカな事がいつまでもやめられない
 どうして?

 ぼくは戦争を知らない
 美しい山や自然が戦争でこわされ
 明るくおだやかな生活が
 戦争でなくなっていくという
 そんな悲しいことが ずっと 終わらない
 どうして?

 ぼくは戦争はいやだ
 友達といっしょに笑い
 家族と共に食事をする
 そんなふつうなことが
 いつまでも続いてほしい

 ぼくは戦争はいやだ
 げっとうの花がさき
 青い海で元気に泳ぐ
 そんなことが
 ずっと続いてほしい

 ぼくは戦争はいやだ
 学校で授業を受け
 たん生日をみんなで祝うそんなあたりまえのことが
 なくなってほしくない

 今ぼくにできること
 仲間を大切に思うこと
 仲間と協力し合うこと
 そして
 いやだと思うことは
 はっきりNOといえること

 今ぼくにできること
 戦争がいやだといえること
 戦争のこわさを伝えていくこと
 そして
 みんなで平和を願うこと

 ぼくは戦争を知らない
 でも ぼくは戦争はいやだ
 今ぼくにできること
 毎日を大切に生きること
 人の痛みを感じること
 平和な今に感謝すること

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2005.06.29

「降るのよ蛍が」のシーン

 二〇〇五年六月二十八日夜、ベッドに横になって手をのばしたら宮本輝さんの小説『蛍川(ほたるがわ)』がありました。
 角川文庫のもので、十年以上も前、映画「蛍川」を見た後で買った物だと思います。
 この間の日曜日に、本の整理をしましたが、そのとき、まぎれこんだものだと思います。
 読んでみました。

 このなせりふがありました。
 「降るのよ蛍が。……蛍の群れよ。群れっちゅうより、塊りっちゅうほうがええがや。いたち川のずっと上(かみ)の、広い田んぼばっかりの所から、まだずっと向こうの誰(だれ)も人のおらん所で蛍が生まれるがや。いたち川もその辺に行くと、深いきれいな川なんじゃ。とにかく、ものすごい数の蛍よ。大雪みたいに、右に左に蛍が降るがや」
 一度、こんなシーンを見てみたいことですね。
 来年以降になるでしょうが、このなシーンが見られる所、ご存知ありませんか。

 映画の蛍のシーンも、もう一度見直したいものだと思いました。

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2005.06.30

ノウゼンカズラはのびる、のびる。

20050630_011

 よじ登り 空(そら)つかもうと 花咲かす
 ノウゼンカズラか
 友らほがらか

 二〇〇五年六月三十日。特別の休み。
 午前九時から夜九時まで、地域を走り回りました。
 世の中を変えようとする群像を、間近に見ました。
 感激しました。

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額縁の中の生花のヒマワリ。

20050630_041

 二〇〇五年六月三十日。
 いいでしょう。これ。
 東京都府中市新町の喫茶店で。
 感動しました。

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