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2005年7月

2005.07.06

クチナシの花

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 二〇〇五年七月五日。朝の出勤のとき庭のクチナシを見たら、これから開きますよという感じの花がありました。
 いつも全開の花しか見ていないので新鮮でした。

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ノウゼンカズラが斜め上に向かって咲く仕組み

 二〇〇五年七月四日。
 散歩をしていてノウゼンカズラと出会いました。
 よく花を見てみると、雄しべと雌しべらしいものが、上の花びらにぴったりとくっついているんですね。
 こういう仕組みで、花が斜め上に向かうようになっているのではないでしょうか。

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ムクゲの季節になりました。

 二〇〇五年七月五日。
 朝の出勤の途中、ムクゲの咲いているのを見ました。
 ことしは初めてです。
 「また会えたね」
 と、いう感じです。

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2005.07.12

『プリズンホテル秋』 自分の人生を丸ごと…。

 二〇〇五年七月十一日。浅田次郎さんの『プリズンホテル秋』を読了。

 この本を読んでいると、自分の、必死だった、報われなかった、切なかった、踏みつけられた、けっこう楽しかった……。そんな人生を丸ごと「よし。よし。」と抱きしめてあげたいような気持になります。

 いいせりふがいっぱいです。
 いくつも赤線を引きました。
 たとえば、

 「……どうしてもなりたいって思い続ければ、子供は何にでもなれるのよ」

 「カシラが言うにはよー、バイクってのァ、小僧にゃ乗れねーんだと。決して後ろにさがれねえ、走っていなきゃ倒れちまう、雨が降りゃ雨に向かって、風が吹きゃ風に向かって走り続けにゃならねえって、バイクってのァそういうもんなんだってさー」

 「俺、わかんねえもの。自分がどこの誰だか、何をしているんだか、ずっとわからねえんだ」

 「金ならある。いくらだってある。いや、そんなものしか俺は持ってないんだ。いいか、おまえは天才だ。才能は汚しちゃいけないんだ。いいな、ミカ、がんばれ。才能に涙はいらない。おまえの汗で磨くんだぞ」

 めげずに、も一度がんばろう。そう思わせてくれる作品です。
 浅田さん。ありがとう。

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2005.07.17

四国、よいとこ 1 高知市、いの町、南国市の路面電車

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 二〇〇五年七月十六日、東京都から高知市に引っ越してきました。

 高知といえば土佐電氣鐵道株式會社(土佐電鉄)の路面電車。
 いの町、高知市、南国市をゆうゆうと走っています。
 三つ路線があります。

  【桟橋線】 以下は、電停
 高知(JR高知駅前) 蓮池町通 はりまや橋 梅の辻 桟橋通一丁目 桟橋通二丁目 桟橋通三丁目 桟橋通四丁目 岸壁通 桟橋通五丁目
 【後免線】 以下は、電停
 はりまや橋 デンテツターミナルビル前 菜園場町 宝永町 知寄町一丁目 知寄町二丁目 知寄町 知寄町三丁目 葛島東詰 西高須  県立美術館通 高須 文珠通 介良通 新木 東新木 田辺島通 鹿児 舟戸 北浦 領石通 清和学園前 一条橋 明見橋 長崎 小篭通 篠原 住吉通 東工業前 後免西町 後免中町 後免東町 後免町
 【伊野線】 以下は、電停
 はりまや橋 堀詰 大橋通 高知城前 県庁前 グランド通 升形
 上町一丁目 上町二丁目 上町四丁目 上町五丁目 旭町一丁目 旭駅前通 旭町三丁目 蛍橋 鏡川橋 鴨部 曙町東町 曙町 朝倉 朝倉駅前 朝倉神社前 宮の奥 咥内(こうのたに) 宇治団地前 八代通 中山 枝川 伊野商業前 北山 鳴谷 伊野駅前 伊野
 この電停の多さが魅力です。

 高校時代には「伊野」、「大橋通」間によく乗りました。
 大学時代には「伊野」、「朝倉」間によく乗りました。
 路面電車は、懐かしい思い出をいっぱい詰め込んで街中を走っています。
 「高知」(JR高知駅前)で乗って、「はりまや橋」御免線に乗り換えて「菜園場町」。そこから歩いて数分が、今度の僕んちです。

 まっさらの 畳の香りに 包まれて
 独り寝初日
 「うん。これもこれ」 

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四国、よいとこ 2 純信さん、お馬さんの屈辱の地

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 二〇〇五年七月十六日。
 近所を自転車で走っていたら、堀川の岸に、ここに幕政時代に松ケ鼻番所があったよという表示がありました。
 堀川、鏡川、潮水(浦戸湾)の水がまじわる所で、水上交通の要衝(ようしょう)だったとのこと。物部川(ものべがわ)流域、仁淀川(によどがわ)流域の産物が浦戸湾に集められ、松ケ鼻を通って高知城下に運ばれたといいます。

 江戸時代、五台山竹林寺の僧・純真さん(一八一九年-八八年)と鋳掛屋(鍋釜の修復業)の娘、お馬さん(一八三九年-一九〇四年)が「恋をした」というとがを受けて、松ケ鼻番所で、「さらし刑」に処されたといいます。

 「さらし刑」というのを調べてみました。
 「江戸時代、重罪人や心中未遂の男女を人目にさらし、辱めた刑。三日を限度として、追放・磔(はりつけ)などの本刑に先立って行われた」(『スーパー大辞林』)

 純信さん、お馬さんについて、いくつかのホームページを見ました。
 だいたい、こんなことだったというふうに出ていました。
 お馬さんは、五台山(高知市)のふもとの鋳掛屋の長女でした。母親の手伝いで、洗濯物を届けに竹林寺に出入りしていて、そこで純信さんと恋仲になりました。お馬さんは十七歳、純信さんは三十七歳でした。
 やがて、純信さんの想いは、人目を忍んで「かんざし」を買うほどになりました。世間に知れ、「不倫の破戒僧」として謹慎の身となりました。
 お馬さんは、竹林寺への出入りを禁止されました。
 思い悩んだ純信さんは意を決して、一八五五年五月十九日の夜、竹林寺を抜け出し、楠目村の安右衛門さんという人を道案内人に稚児姿に扮装させたお馬さんを連れて駆落ちをしてしまいました。
 しかし、番所を抜け、琴平(香川県)へたどりついたところを追跡の役人に捕らえられ、二人は高知城下へと連れ戻されました。
 取り調べの上、二人は繋がれて山田橋、松ケ鼻、思案橋の番所で、三日間さらし者にされました。
 純信さんは国外(土佐藩以外)、伊予の国(愛媛県)川之江へ追放されました。
 お馬さんは安芸川から東へ追放され、神峰寺(安芸郡安田町)のふもとの宿屋で働いていました。
 そのうち、純信さんは行商人に身をやつして、お馬さんのところへしのんできました。
 しかし、ばれてしまって純信さんは、また国外へ、お馬さんは今度は仁淀川以西へ追放となりました。須崎の池ノ内の庄屋のお預けとなりました。
 純信さんは、岡本要(おかもとかなめ)の俗名で、川之江で寺子屋の師匠として暮らしました。
 お馬さんは、そのうち池ノ内の大工・寺崎米之助さんに見初められて結婚、二男二女を得て平穏な家庭の主婦となりました。
 そのうち、東京・滝野川に移り住み、そこで六十五歳の生涯を閉じました。

 写真は大鋸屋橋から。左手に松ケ鼻番所があったといいます。右手にいくと僕んちがあります。

 純真と お馬の恋を 罪とした
 幕府、土佐藩
 指弾するべし

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四国、よいとこ 3 パン・サラダバイキングのモーニングサービス

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 二〇〇五年七月十七日朝、JR高知駅近くにいったら、駅の左手に
パン・サラダバイキングのモーニングサービスをやっている店がありました。
 パン、サラダは食べ放題。ドリンクが一品つきます。午前六時半から十一時まで。四百五十円。
 アイスコーヒーに卵焼き、サラダ、果物……。
 バランスもいいし、出勤のコースだし。グーです。

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四国、よいとこ 4 高知市北本町の露地野菜市

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 二〇〇五年七月十七日午後、高知市北本町のホームセンターで、シャンプー、歯磨き粉、フック、ガムテープなどを買い込んでふうふういいながら家に歩いて帰っていたら、途中、北本町に無人の露地野菜市がありました。
 ナスが七つで百円!!
 ついつい買ってしまいました。
 家に帰ってから「焼きナスにしようか」。
 しかし、しょう油をまだ買っていませんでした。
 できあがったのを何もつけないで食べましたが、けっこういけました。

 「あれもない。これも忘れた」 悔いている
 足りないだらけの
 引越し二日目

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2005.07.20

四国、よいとこ 5 「五年以下の懲役、又は一〇〇〇万円以下の罰金」

  二〇〇五年七月十八日朝。
 高知市九反田(くたんだ)の堀川ぞいを歩いていたら、電柱にすごい表示がついていました。
 「ゴミの不法投棄を禁止します。
 違反したものは『廃棄物の処理及び清掃に関する法律』により五年以下の懲役、又は一〇〇〇万円以下の罰金に処せられます。
   高知市長
   警察署長」
 「すごい法律やねや。いくらなんでも罪が重いねや」
 そう思いつつ、よく見たら「五年」と「一〇〇〇万円」の所は、後で白い紙をはって書いてあるものでした。
 住民の怒りの表明でしょうか。
 それにしても、本当は、何年で、何万円なのでしょうか。

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四国、よいとこ 6 高松市で、うどんを食べたよ

 二〇〇五年七月十八日。
 朝から仕事で高知市から高松市へ。
 JR高知駅前の高速バスターミナルからは、高松市いきが十三本出ています(午前七時十分から午後七時四十分まで)。
 車内でしばらく作業していましたが、そのうちムムムム……。
 昼食は、うどん屋へ。
 東京の「しょう油でにつけたような汁」の、うどんばかり食べていてうんざりしていました。ひさしぶりに「本当の、うどん」を食べられます。
 入った店は以下のようなやり方。
 注文して、どんぶりにゆでたうどんをいれてもらいます。好きな天ぷらを好きなだけ、それに乗せます。おにぎりなどもとります。そこで、お勘定。四百円也でした。給湯器で、うどんのどんぶりに汁を入れます。
 うん。おいしい。
 気がついたら、うどんの汁をぜんぶ飲み干していました!!

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2005.07.27

白いムクゲが、きりっと咲いてた。

 新しい 任地に向かう 雨のなか
 白いムクゲが
 きりっと咲いてた

 二〇〇五年七月二十六日午後、東京都国分寺市東元町で。

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四国、よいとこ 7 岡山市の路面電車

 二〇〇五年七月二十七日午前。

 きょうは四国から少し離れて岡山市にいます。
 岡山駅から路面電車が二路線通っています。
 電停は計十五です。

 http://211.12.247.190/OKADEN/OkayaMap/

 小規模な路面電車ですが街中をゆうゆうと走っている姿は爽快です。

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2005.07.28

四国、よいとこ 8 「逝いて還らぬ教え児よ…」

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 二〇〇五年七月二十八日午後。

 新しい職場の近くに高知市の城西公園があります。
 近くを通っていたら「戦死せる教え児よ」の碑がありました。
 高知の中学教員だった竹本源治が一九五二年に高知県教職員組合の機関誌に発表した「戦死せる教え児よ」の詩が刻まれています。

 逝いて還らぬ教え児よ
 私の手は血まみれだ
 君を縊(くび)ったその綱の
 端を私も持っていた
 しかも人の子の師の名において
 嗚呼!
 「お互いだまされていた」の言訳が
 なんでできよう
 慙愧(ざんき) 悔恨 懺悔(ざんげ)を重ねても
 それが何の償いになろう
 逝った君はもう還らない
 今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
 涙をはらって
 君の墓標に誓う
 「繰り返さぬぞ絶対に!」

 碑の文章を読んでいたら背筋がぞくっとしました。
 「繰り返さぬぞ絶対に!」
 こんな詩を書く人がいて、この詩をこういう形で残そうとする人たちがいる……。高知って素敵です。

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2005.07.30

四国、よいとこ 9 土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)

 二〇〇五年七月三十日午前十時九分、高知駅発の土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)に乗りました。
 この日乗った列車は、二両編成。二人掛けのいす、一人掛けの補助いすがあって、その外の右側が窓ガラスなしのデッキになっているものです。
 デッキは後免駅(ごめんえき)、奈半利駅(なはりえき)のみで利用できます。
 僕のいきたいのは、この途中の安芸駅です。
 後免駅に着いたら、さっそくデッキに出ました。
 窓から見える平野は、稲のたわわに実った水田、刈り取ったばかりの水田、田植えのために水をはった水田…とコントラストがみごとです。
 太平洋も見えてきました。奇麗な砂浜に打ち寄せる波。「わーっ。海を見たのは久しぶりだなぁ」。
 テニアンの海を思い出しました。
 トンネルが四カ所ありました。
 トンネル内走行中は強風が吹きつけます。要注意です。
 夜九時まで安芸市で仕事をして、「さぁ、帰るぞ」。
 列車は、ゆっくりとスタートしました。

 土佐くろしお鉄道株式会社の土佐くろしお鉄道は、高知県で鉄道事業を行っている第三セクター方式の鉄道会社です。旧国鉄および日本鉄道建設公団から現在の中村線、宿毛線、阿佐線(ごめん・なはり線)の三路線を引き継ぎ、運営しています。
 高知県と沿線自治体で、同社の株式の九割以上を保有しています。
 同社の設立は、一九八六年五月八日。本社は、高知県四万十市です。 
 阿佐線(ごめん・なはり線)は、二〇〇二年七月一日に開業しました。
 各駅に高知出身の漫画家やなせたかしさんデザインのイメージキャラクターを設定しています。

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