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2005年9月

2005.09.02

四国、よいとこ 21 オクラの花。

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 二〇〇五年八月二十八日朝。

 高知県土佐山田町にいったら畑にきれいな花が咲いていました。黄色に中央が赤色の花です。ハイビスカスやムクゲと似ています。
 その畑で農作業をしていた女性に「何の花ですか」と聞くと、オクラだということでした。
 後で調べたらオクラは、アオイ科トロロアオイ属です。アフリカ東北部原産です。英名okraの語源はガーナで話されるトウィ語(Twi)のnkramaだといいます。若い果実が食用に供されます。果実には独特のぬめりがあり、いわゆる食物繊維が豊富です。
 花が咲くのは夜から早朝にかけてで、昼にはしぼんでしまといいます。

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四国、よいとこ 22 自転車も運んでくれます。

 二〇〇五年八月二十九日夜。

 高知市内でタクシーに乗ったら、このタクシーが自転車も一緒に運んでくれるタイプのものでした。
 自転車でいっていたが雨が降り出して困ってとか、自転車で飲みにいったけどかなり飲んでしまって…という人が利用しするとのみとです。
 ちなみにSハイヤーのタクシーでした。

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四国、よいとこ 23 ニンニク入りの小麦粉を…。

 二〇〇五年九月一日。

 家に帰ってから夕食の用意。
 高知県いの町の弟がつくった小麦粉を水で溶き、たっぷりとニンニクを入れました。そして、しっかり暖めたフライパンに入れます。とろ火で湯っきり焼き上げます。
 しょう油をつけて食べると美味。

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2005.09.03

四国、よいとこ 24 たっすい。たすこい。

 二〇〇五年九月三日。

 「たっすい」
 「たすこい」
 という土佐弁がマイブームです。
 弱い。気力がない。
 くらいの意味でしょうか。
 「おまんは、たっすいねや。もっとがんがん、いい仕事をせんかや」
 自分にいいきかせていることです。
 明日は午前五時起きで、雨の中、オートバイで仕事にいく予定です。
 たっすいけんど……。

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2005.09.06

四国、よいとこ 25 台風と焼きニンニクとの関係。

 二〇〇五年九月六日。

 六月五日は香川県坂出市へ。
 夜、とってもいいことがありました。

 台風がやってきました。
 六日は、事務所のある三階建てのビルが風で揺れていました。
 土砂崩れなど、あしたが心配です。

 「あすは朝から被災地にいくことになるかもしれない。体力をつけなければ」
 で、家に帰ってから弟が持ってきてくれたニンニクを、たくさん焼いてパクパク。
 おいしい!!

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2005.09.09

四国、よいとこ 26 カン、カンとカンカン石をたたいてる。

 二〇〇五年九月七日。

 台風がいってしまいました。
 午前中の高知駅発の高速バスに乗って、高松市に。
 ここで、前からほしかった「カンカン石」(サヌカイト)の端切れを入手。
 たたくと、いい音がします。

 青空の 雲、ヒューヒューと 飛んでいく
 台風明けの
 高松の朝

 カン、カンと カンカン石を たたいてる
 静まれ、静まれ
 はやる心よ

 帰りの高速バスでスースー。目が覚めると左手に美しい景色が…。
 手前に、ため池。向こうに濃い緑の、なんともいえないいい色をした山々。

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四国、よいとこ 27 かつおたたき握り寿し

 二〇〇五年九月八日。

 午前中、高知市で仕事をし、午後零時、高知駅発のJRの列車で高松市へ。
 車内で、高知駅の店で買った六百円の「かつおたたき握り寿し」の弁当を食べました。
 うまい。
 高松市で仕事を終えて、夜、高速バスで高知市に帰ってきました。

 カバン抱き 「さぁ、寝る時間」
 いい感じ
 高速バスで いききする日々

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四国、よいとこ 28 サバの刺身

 二〇〇五年九月九日。

 仲間の一人がサバの刺身が食べたいというので、高知市の繁華街の鮮魚店へ。
 五匹さばいてもらいました。
 若い衆が料理していましたが、手際よく骨をとってしまい、美しく仕上げる姿は感動ものでした。

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2005.09.10

四国、よいとこ 29 カボチャのおいしさ。

 二〇〇五年九月十日。

 大阪の人、兵庫の人と電話をしていたら、日付が変わってしまいました。
 「なんだか腹が減った。食べるものはないか」と、探しましたが、米も尽きています。
 最後に残っていたのが、弟が、かなり前に持ってきてくれていたカボチャ。
 四つに切って、また四つに切ってという具合にして水炊き。
 やわらかくなったところで少ししょう油を入れました。
 できあがり。
 これが、ほくほくとおいしい。
 真夜中の男の手料理でした。

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四国、よいとこ 30 雨粒をたたえたピンクのフヨウ

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 二〇〇五年九月十日午前。

 仕事で高知市の交通公園に通りかかったら、雨の中、ピンクのフヨウが奇麗に咲いていました。
 思わず写真を撮りました。

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2005.09.13

四国、よいとこ 31 子規は日清戦争の従軍記者だったんだね。

 二〇〇五年九月十三日。

 早朝から愛媛県へ。
 まず松山市。
 駅前の正岡子規の碑の説明を読むと、彼は、明治天皇の侵略戦争、日清戦争の従軍記者だったんだね。
 一八九五年、新聞「日本」の記者だった彼は、従軍記者として遼東(りょうとう)半島におもむいています。
 どんな記事を書いたことやら……。

 松山市から大洲市(おおずし)へ。
 松山市に帰って、駅前のビジネスホテルへ。

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2005.09.15

四国、よいとこ 32 高知市の寺田寅彦記念館の白いマンジュシャゲ

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 二〇〇五年九月十五日。

 勢い込んで午前八時に事務所に着きました。
 あんまり早すぎるので近くの高知市小津町の寺田寅彦記念館に。
 庭に、赤いマンジュシャゲ、白いマンジュシャゲと何種類もの花が咲いていました。
 ことしマンジュシャゲをじっくり見られたのは初めてです。
 いい庭ですよ。街中にぽっかり存在する静寂の地です。

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四国、よいとこ 33 高知県幡多郡出身の中年男性の「かきくけこ」。

 二〇〇五年九月十五日午後。

 高知県幡多郡出身の中年男性いわく。
 「人生の五訓は、かきくけこだ」

 か 感動。
 き 興味。
 く 工夫。
 け 健康。
 こ 恋心。

 もし「け」を失っても「か」「き」「く」ぐらいは持ち続けていたいものだと思いました。

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2005.09.16

四国、よいとこ 34 「みんな輝く楽しい学校」

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 二〇〇五年九月十六日。

 午前七時半過ぎの上りで高知駅から田野駅に向かっていました。
 左手の建物の壁に大きく「みんな輝く楽しい学校」の文字。
 「おーっつ!!」と感激しました。
 そんな学校であってほしいと思います。
 高知県南国市の市立後免野田小学校でした。
 このキャッチフレーズに拍手。パチパチ。

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四国、よいとこ 35 たんぽの脇に群れ咲く赤のマンジュシャゲ

 二〇〇五年九月十六日。

 午前七時半過ぎの上りで高知駅から田野駅に向かっていました。 の続きです。

 田の脇の 赤マンジュシャゲ
 めでながら
 くろしお鉄道 田野(たの)へと向かう

 田の脇の赤いマンジュシャゲは、僕の中の「高知」の原風景の一つです。

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四国、よいとこ 36 「ちょびっと だれたら…」

 二〇〇五年九月十六日。

 田野町いきのつづきです。

 土佐くろしお鉄道の列車に「へーっ」という、つり広告がありました。

 ちょびっと
 だれたら
 ホッと
 やすみに
 きいや
 ゆっくりのんびり
 田舎はえいよ

 高知県夜須町羽尾地区のログハウスの広告でした。
 なかなか土佐弁はええねや。

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四国、よいとこ 37 「百笑」という地名の読み方

 二〇〇五年九月十六日。

 前日に高知県四万十市に「百笑」という地名があって「どうめき」と読むということを聞きました。
 調べてみましたら「百笑町(どうめきちょう)」でした。
 赤鉄橋の東側の所の地名だとのことです。
 もう一つ県下に「百笑(どうめき)」がありました。
 これは小字(こあざ)ですが、春野町にあります。
 広岡のサンシャイン広岡店の周辺の小字とのことです。

 百笑(どうめき)聞く
 その日のために 走ってる
 きのうも、きょうも そして、明日(あした)も

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2005.09.19

四国、よいとこ 38 「ここが、わしの田んぼ」

 二〇〇五年九月十八日。

 早朝から高知県大野見村萩中へ。
 高知市朝倉から車に積んでもらっていきました。

 稲刈りを見ました。

 その途中で、その稲刈りを見ていた近所の年配の男性の家にいって、声をかけました。
 「冷たいものを飲むかよ」
 「コイをかいゆうけんど、池や川を見んかよ」
 「ここが、池。ここがコイの川。ここが、わしの田んぼ。イノシシの防護柵をしちゅう。コメとモチゴメを植えちゅう。ナシもユズもつくりゆうぜよ。ほんで、ここが蜂蜜の場所」
 三人の息子は、それぞれに家を出て、跡継ぎはいないとのことでした。でも、娘がいて赤ちゃんがいました。
 お土産にナシとユズをくれました。
 山林労働と農業をしているとのこと。俳優のような彫りのある、いい顔をしていました。
 農への誇り、それを引き継げない息子たちの現状への思いを痛いほど感じました。

 帰りは、魚の市で一日干しを仕入れてきました。

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四国、よいとこ 39  「十文字」のあいさつ文

 二〇〇五年九月十九日。

 十七日に東京から高知市にやってきた妻が、十九日に帰るということになりました。
 十九日午前、高知市の義父、義母が、妻を高知空港まで車で送るといってやってきました。
 空港いきの車に、僕も同乗しました。
 道々、最近、義父、義母たち宛に、東京在住の僕たちの息子が、結婚式のときの写真を送ってきたことが話題になりました。そえられていた手紙には、ノートのキレッパシのようなものに「十文字」の文が書かれていたとのこと。
 あっぱれ(!?)な息子です。
 そんな息子に育てた父、母として恥じ入りました。しょぼん。
 妻は、「なんということか。東京に帰ったら息子をしばいちゃる」なんて豪語していましたが、息子の前に出たらメロメロで、「しばく」なんてできそうもありません。

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四国、よいとこ 40 南国市の掩体壕、赤岡町の絵金蔵 

 二〇〇五年九月十九日のつづき。

 義父に頼んで高知県南国市の掩体壕(えんたいごう)に車をまわしてもらいました。
 前浜に、古墳のような、小山のような掩体壕がありました。

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 その周辺に三つの掩体壕がありました。
 戦争中の高知海軍航空隊のものです。
 ものすごく心を動かされました。
 いつか、くわしく、ご報告できると思います。

 そして、車は、同県赤岡町の絵金蔵へ。
 江戸時代の土佐の絵師・金蔵の作品を収蔵しています。
 知り合いに金蔵の「やしゃご」がいます。
 絵師・金蔵についても、いつかくわしいご報告をしたいと思っています。

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四国、よいとこ 41 「この娘(こ)、なんとか幸せになってほしいなぁ」  

 二〇〇五年九月十九日のつづき。

 実は、この日は、七月末に東京都から高知市にやってきてからの初めての休日でした。
 午後四時から高知市の路面電車「橋詰」停留所近くの映画館・シネプラザ1・2で、前から見たかった韓国映画「彼女を信じないでください」を見ました。
 詐欺罪で刑務所に入っていた若い女性が、持ち前の詐欺術で仮釈放になります。そして、……。と、いう話です。
 見ていて、その娘の気持ちに同調して、「この娘(こ)、なんとか幸せになってほしいなぁ」と、のめりこんでしまいます。
 やっと彼女が、幸せをつかんで、僕の目にも涙、涙……。
 ところで、この映画館の基本料金は、千八百円。ですが、この日はサービスデー(毎月一、十、二十日)で千円でした。しかし、観客は僕をふくめて九人。こんなにいい作品なのに…。

 「なんの用?」
 迷惑様子の 息子いて
 「そんなら、いいや」と 電話切ってる

 妻に、「電話でいいから、はよう、しばけ」と指示(?)しましたが……。

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2005.09.23

四国、よいとこ 42 「たっすいがは、いかん!」の仕掛け人。

 キリンビール株式会社高知支社が「たっすいがは、いかん!」キャンペーンをしています。
 と、いっても二〇〇五年七月末に高知市にやってきてから気づいたことです。
 のれんもあります。
 「たっすいがは、いかん! キリンラガービール」
 と、いうやつです。
 同支店のホームページに、このキャンペーンのことが書いてあります。
 「たっすい」というのは土佐弁で「弱い」というような意味です。
 「おまんは、たっすいねや」といわれれば、やっぱりカチンときます。
 二〇〇五年九月二十三日夜、高知市の自宅で、「キリンラガービール 生」の缶を飲んでいますが、要するに、これより「たっすい」他社のビールを批判しながら、「うちのは、たっすうのうてうまいど」といっているのでしょう。
 強くありたい高知の男や女たちは、やっぱり「たっすい」のはいやです。
 で、それならキリンラガービールを……という作戦でしょうが、心憎いばかりにすごいコピーです。
 このコピーを思いついた人に乾杯。
 僕のような「たっすい」男も、心身ともに強い男になりたいと思っているのです。

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四国、よいとこ 43 電動生ごみ処理機を買いにいきました。

 二〇〇五年九月二十三日。

 夜、高知市内の大型電器店で電動生ごみ処理機を買いました。
 安くはありませんでした。
 首尾はどうか。
 また、ご報告します。
 いま「グーン」という音をたてながら働いてくれています。
 「独り暮らし」の中年男の環境への挑戦です。

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四国、よいとこ 44 弟が育てたサツマイモ。

 二〇〇五年九月二十三日夜。

 昨夜、高知県いの町の弟が、自分が育てたサツマイモを持ってきてくれました。
 これを四つ丸焼きにして、遅い夕食にしています。
 うまい。
 農のいとなみに乾杯。

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2005.09.24

四国、よいとこ 45 高知県南国市(なんこくし)十市(とうち)の石土池

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 二〇〇五年九月二十四日。

 仕事で午前六時半に高知市を出発して南国市に。午後十二時半にようやく事務所に帰ってきました。
 途中、高知県南国市(なんこくし)十市(とうち)の石土池を見ました。
 池にホテイアオイが咲いていました。
 美しい風景でした。
 ホテイアオイは、ミズアオイ科ホテイアオイ属です。南米原産の帰化植物だそうです。

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四国、よいとこ 46 韓国映画「英語完全征服」。

 二〇〇五年九月二十四日。

 夕方になると、さすがに疲れてしまいました。
 午前五時半に起きて走り回ったのですから。

 この無気力感は「映画失調」だと気づきました。
 で、DVDを買いに走りました。

 やっぱり韓国映画になりました。
 「英語完全征服」。
 主役の女優の勝利ですね。
 いわゆる美女の彼女が、普通のどじな女性を演じきれるのはすごい。

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2005.09.25

四国、よいとこ 47 新高(にいたか)ナシの高知市針木にやってきて…。

 二〇〇五年九月二十五日。

 仕事で高知市針木にいきました。
 針木は、いま新高(にいたか)ナシの収穫の季節です。
 新高ナシは、高知県で昔から栽培されていた「今村秋」と新潟県の「天の川」のかけ合わせてでき、高知の「高」と新潟の「新」をとり、一九二七年に命名公表されました。
 高知県の新高ナシの果実は大きくて、重さは一キログラムを越えるものが珍しくありません。

 針木といえば、後に私たちの母になる・冨士子が戦中に結婚していた男性の母が住んでいました。新高ナシの農家でした。
 高知市の旭小学校の同級生だったそうです。冨士子は和紙の紙すきをし、夫は大工をしていたといいます。
 夫は陸軍にとられ、銃剣術の試合中に胸をつかれたのが元で徳島県の陸軍病院で亡くなったといいます。
 長男もいましたが赤ん坊のとき、栄養失調でなくなったといいます。
 冨士子は、その後、付き添いの看護婦をやっていましたが、無理やり風船爆弾用の紙をすかされていました。
 そして、戦後、新しい結婚をし、僕たち兄弟が生まれました。

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四国、よいとこ 48 高知市朝倉の「たこ焼き喫茶店」

 二〇〇五年九月二十五日。

 高知市朝倉に「たこ焼き喫茶店」があるのを「発見」しました。
 喫茶店前の左手に「たこ焼き」の屋台があって、たこ焼きを買うと喫茶店で食べられるようになっています。
 たこ焼き十個とアイスコーヒーで、この日の朝・昼食終わり。

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四国、よいとこ 49 わーい。明日から、かなり遅い「夏休み」です。

 二〇〇五年九月二十五日。

 わーい。明日から、かなり遅い「夏休み」です。
 
 今夜は弟が高知市のわが家にきています。
 あす朝から二人でオートバイでツーリングをする予定です。
 高知県、愛媛県。そして、九州へ。

 引き続き、勝手に、ご報告します。

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2005.09.26

四国、よいとこ 50 オートバイのツーリングのはじまりはじまり。

 二〇〇五年九月二十六日。

 午前七時半、高知市の自宅を出発。弟と二人のオートバイのツーリングです。
 まずは海岸線から。
 桂浜、宇佐、春野、須崎と約一時間走って須崎市内のガストで朝食。
 温かい上着を着てきてよかった。
 汗はぜんぜんかきません。
 とってもいい季節に、季節の中を走っています。

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四国、よいとこ 51  「青空を 流れに抱いて ゆったりと…」。

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 二〇〇五年九月二十六日。つづき。

 午後十二時半、愛媛県の松野の「駅の道」で昼食。
 窪川町、大正町、十和村、四万十市と走ってきましたが、やっぱり四万十川は美しい。
 最初の写真は、窪川町の野地橋から大正町に向けて撮ったものです。

 青空を 流れに抱いて ゆったりと
 四万十川は
 農の中いく

 二つ目の写真は、十和村の沈下橋でイダを釣る少年。

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四国、よいとこ 52 「手を広げ 体いっぱい 太陽(ひ)を受けて…」 

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 二〇〇五年九月二十六日。つづきのつづき。

 愛媛県の西予市明浜町を八幡浜市に向けて走りました。
 左が海側。切り立った高いがけの所が多いので、ぞくぞくしながら走ります。僕は高所恐怖症です。
 でも、宇和海はきれい。
 がけを利用したミカン畑がたくさんありました。

 手を広げ
 体いっぱい 太陽(ひ)を受けて
 ぎらぎら光る 宇和海、左

 午後五時過ぎ、八幡浜市着。ビジネスホテルに落ち着きました。
 明日は三崎港からフェリーで大分県へ。

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2005.09.27

四国、よいとこ 53 ひよっとして「瀬戸の花嫁」の…。

 二〇〇五年九月二十七日。

 午前七時半、愛媛県八幡浜市を出発。三崎に向かいます。
 途中、左手に伊方原発がありました。
 そういえば、前日、最初に「泊まらせて」といた旅館では「きょうは伊方原発の定期検針があって人がいっぱいきていますから、部屋はありません」と断られました。
 ここも、がけがミカン畑になっています。

 がけ開き ミカンを植えて
 営々と 暮らし築くか
 三崎の人は
 
 急に「瀬戸の花嫁」(作詞・山上路夫)の歌が口をついてでました。

 瀬戸は日暮れて 夕波小波
 あなたの島へ お嫁に行くの
 若いと誰もが 心配するけれど
 愛があるから だいじょうぶなの
 だんだん畑と さよならするのよ
 幼い弟 行くなと泣いた
 男だったら 泣いたりせずに
 父さん母さん だいじにしてね

 岬まわるの 小さな船が
 生まれた島が 遠くになるわ
 入江の向うで 見送る人たちに
 別れ告げたら 涙が出たわ
 島から島へと 渡ってゆくのよ
 あなたとこれから 生きてく私
 瀬戸は夕焼け 明日も晴れる
 二人の門出 祝っているわ

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四国、よいとこ 54 国道九四フェリー

 二〇〇五年九月二十七日。つづき。

 午前八時四十分、三崎到着。近くに佐田岬灯台があるそうです。
 九州の佐賀関への国道九四フェリーは出たばかり。次は午前九時半です。三十一キロを七十分でいくとのことです。
 切符を買ったら次のような注意書きがついていました。
 「船内では、事項(?)防止の為ロープ等で自動二輪車を固定致します。
 その旨、御了承の上御乗船下さい。
 御乗船後、一切の異議は申し致しません」
 なんというきっぱりとした表現でしょう。

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 この写真の右、僕たちのオートバイです。

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 僕たちの乗るフェリーがやってきました。

 フェリーが着きました。
 オートバイが先です。
 定員八十人。乗客のほとんどは年配の人。観光バスの人たちでした。
 せっかく僕が寝ているのに、女性、男性たちは、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃよくしゃぺります。
 妻も、よく、仲間の女性たちで東北旅行をしてますが、こんなにしゃぺっているのでしょうか。
 僕と旅行するときは、「静かなること岩のごとし」ですが。

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四国、よいとこ 55 下半身を欠く臼杵(うすき)の石仏

 二〇〇五年九月二十七日。つづきのつづき。

 三崎を出る前に決めた行き先・大分県臼杵市(うすきし)深田の石仏群へ。
 いつころのものかはっきりしないようです。
 天然の凝灰岩の岩壁に彫りこんだものです。
 六十余体が現存しているといいます。

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 伝説の一つにつぎのようなものがあります。
 奈良時代に、この地に黄金の鉱石を溶解して中国、朝鮮にまで送り出していた炭焼古五郎という者がいました。
 亡くなった娘を供養するため、中国から彫刻僧を呼び寄せ百余体の石仏をつくらせたといいます。

20050927_098

 身を溶かせ
 国家の悪政 いさめたか
 臼杵(うすき)石仏 下半身欠く

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四国、よいとこ 56 「健康が一番です。一億円の宝くじにあたるよりいい」

 二〇〇五年九月二十七日。つづきのつづきのつづき。

 大分県佐伯市(さいきし)。
 歯が痛くなって薬屋へ。
 薬剤師と、おばあちゃんが話していました。
 「健康が一番です。一億円の宝くじにあたるよりいい」
 僕は、心の中で「健康で、一億円の宝くじにあたったら、もっといい」といっていました。
 一億円当たったら、目の前に海がある山の中腹に、「図書室」のある家をつくって妻と二人で住みたいと思っています。
 ま、無理でしょう。宝くじも買っていないので…。

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四国、よいとこ 57 「オートバイでよかった」

 二〇〇五年九月二十七日。つづきのつづきのつづきのつづき。

 国道10号で宮崎入り。
 いい感じの道路でした。
 山の中。起伏と適当なカーブに富む一車線の道路。
 「オートバイでよかった」という感じです。

 日向市(ひゅうがし)でビジネスホテルに。午後五時です。
 ホテル「付属」のうどん屋で夕食をとって、ホテルの部屋でビールタイム。
 それにしても、このホテル、いいです。
 昨日の部屋より少し明るい(もっとぱーっと明るいほうがいいとおもうのですが、ホテルはどこも暗い…)。トイレと風呂が別。トイレはウォッシュレット。部屋は広い。テレビにはコントローラーがついている。全体として豪華なつくり。
 値段は似たようなものなのですが…。
 ちなみに、このビジネスホテルは「ルミエール日向」です。

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四国、よいとこ 58 「前を向いて行きましょう!」

 二〇〇五年九月二十七日。つづきのつづきのつづきのつづき…です。

 キリンビール高知支社に「たっすいがは、いかん!」キャンペーンのいわれについて問い合わせをしていましたが、この日、支社長の宮本典晃さんから返事がきました。一部を紹介させていただきます。

 いつもラガービールをはじめとする、キリン製品のご愛飲を頂きましてありがとうございます。
 お問合せを頂きました件で、メールさせて頂きます。
 まず、ご意見頂きました「たっすいがは、いかん!」の件でございますが、
 2003年末より、たっすいがは、いかん!キャンペーンをスタートいたしており、この9月で第7弾を迎える事が出来ました。
 おかげ様で「たっすいがは、いかん!」とたくさんの高知の皆さまにご支持を頂いており、高知支社一同心から感謝しております。
 この「たっすいがは、いかん!」という言葉ですが、「たっすい」とは、土佐弁にすると「か弱い」などの意味になります。
 その言葉に「がは、いかん!」とつける事によって「前を向いて行きましょう!」「元気に行きましょう!」と表現させて頂きました。
 高知の皆さんにもっともっと元気になって頂きたいという思いから考えついた言葉です。
 また、芯のある、高知県民の皆さまにはぴったりな言葉だと思っております。

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2005.09.28

四国、よいとこ 59 宮崎県日向市 えっ、皇紀二六〇〇年

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 二〇〇五年九月二十八日。

 午前八時前、宮崎県日向市(ひゅうがし)のビジネスホテルを出て、同市の美々津町に。
 驚きました。
 皇紀二六〇〇年(一九四〇年)関連の巨大な碑と錨(いかり)が、飾られていたのです。碑は「日本海軍発祥之地」、錨は「両爪錨」というものです。
 ここは神武天皇東征水軍進発の地だという神話の記述をもとにしています。
 皇紀二六〇〇年を祝って、大阪毎日新聞社、日本海軍協会、大日本海洋少年団の主催で、軍船「おきよ丸」を造船し、ここ美々津港から大阪市の中ノ島まで神武天皇の東征の跡を巡航し、奈良県の橿原神宮(かしはら)に「神盾」を奉献したとのことです。
 そして、皇紀二六〇〇年記念事業で一九四二年九月十日に、この巨大な碑と錨(いかり)がつくられたのです。
 碑文には「昭和十五年十一月 紀元二千六百年宮崎県奉祝会」「内閣総理大臣 海軍大将 米内光政 書」と彫りこまれています。
 現地の「日本海軍発祥之地」碑顕彰保存会の看板の記述によると、戦後、アメリカ軍によって碑文が破壊されたものを、一九六九年九月十二日、地元有志の要望、防衛庁などの協力で復元されたといいます。

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2005.09.29

四国、よいとこ 60 宮崎県高鍋町 県農業科学公園のいい風

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 二〇〇五年九月二十八日のつづき。
 
 さて、宮崎県高鍋町の宮崎県農業科学公園にやってきました。
 広い芝生がありました。
 その中の大きな木の下で仰向けになって風に吹かれて寝ました。
 少し強めの秋風がわたって気持ちがいいこと。

 温室もありました。
 ブーゲンビリアを手の届くような低い所で咲かせていました。

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四国、よいとこ 61 宮崎市 国道220号のヤシ並木

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 二〇〇五年九月二十八日のつづきのつづき。

 宮崎市の国道220号に入ってから気がついたのですが、街路樹に背の高いヤシの木を植えています。
 みごとな風景です。

 ヤシ並木 マンジュシャゲ赤
 マッチして
 220号 ゆるやかカーブ

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四国、よいとこ 62 宮崎市 青島(あおしま)の波状岩(はじょうがん)

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 二〇〇五年九月二十八日のつづきのつづきのつづき。

 宮崎市の青島(あおしま)にやってきました。
 本当に島なんですね。
 島を取り巻くような波状岩(はじょうがん)がすごい。何枚も写真に撮りました。
 ハマユウが実をつけていました。
 青島には、高校三年生のときの修学旅行できたと思っていましたが、こんな所とは…。ここにはきていなかったのでしょうか…。
 おみやげはハマユウの種。
 青島への道の所にある宮崎県立青島亜熱帯植物園にもいきました。
 「さぁ、次へ」と思っていたら雨。午後二時ごろ近くのホテルに入りました。
 このホテル、夕食も朝食もバイキングでしたが、メニューの多いこと、多いこと。
 貧乏性なので「刺身てんこ盛り」など元をとってしまいました。

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四国、よいとこ 63 鹿児島県鹿屋市(かのやし)の特別攻撃の歴史

 二〇〇五年九月二十九日。

 雨。午前七時半、宮崎市を出発。国道220号を一路南下。
 行き先は鹿児島県の鹿屋市(かのやし)です。百十キロメートルかなたです。
 午前十一時前に目的地の鹿屋航空基地史料館着。
 戦中の空の特別攻撃の史料を見て、関連の本を買いました。
 ある人の出撃日、死亡日、死亡場所を知りました。

 青年に 遺書書かしめて 死なしめた
 統帥(とうすい)思う
 特攻基地跡

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四国、よいとこ 64 鹿児島市 桜島の退避壕(たいひごう

 二〇〇五年九月二十九日のつづき。

 鹿児島市に向かう途中。食堂で昼食。まわりで年配の男女が楽しそうにかたらっていました。
 何を話しているのかと聞き耳を立てましたが、ちっとも意味がわかりませんでした。
 日本は、どんがい広い。
 さて、鹿児島市。桜島にいきました。
 溶岩だらけの、すごい景色です。
 まわりに、いくつも退避壕(たいひごう)があります。

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 写真の右下にも退避壕があります。

 活火山なのです。
 売店でドラゴンフルーツを買って食べました。

 そして、桜島港にいき、桜島フェリーに乗船。鹿児島本港までです。
 二十四時間航行しているんですね。すごい。
 デッキから見ると軍艦らしい船もいきかっていました。どこの国のものでしょうか。
 戦争をしない、軍隊を持たない日本のものでしょうか……。

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四国、よいとこ 65 鹿児島県川内市(せんだいし)といえば…。

 二〇〇五年九月二十九日のつづきのつづき。

 ひたすら鹿児島県川内市(せんだいし)へ。
 きょうは、ここで泊まります。

 弟が映画で知ったまちだといいます。
 調べてみると「釣りバカ日誌9」(松竹。一九九七年)のことでした。
 横浜営業所長から営業部長に抜てきされハマちゃんの上役となった男性(小林稔侍さん)を軸に話が展開します。
 営業部長、バツイチで高校生の息子と暮らしています。
 彼は、密かにスナックのママ(風吹ジュンさん)に心を寄せるがいます。
 ママは、スナックを閉め、いなか(センダイ市)に帰ることとなります。
 失意の営業部長は、問題を抱える息子とやりなおすためにも会社を辞めるといいだします。
 そんな彼に、鹿児島県川内市に「ふるさと文学館」を建設する仕事がきました。
 実は、ママのいなかのセンダイ市は、東北の仙台市ではなく鹿児島県の川内市でした。
 で、……。

 僕のほうは川内市といえば、以前、「しんぶん赤旗」日刊紙の昨年八月六日付の「終戦59年目読者の手記/いま語る平和の誓い/大阪府堺市小宮征夫(67歳)/遊戯にも〝兵隊さん〟が…」を思い出しました。
 <ラジオは毎日、大本営発表の帝国陸海軍の戦果を流していた。新聞には日本軍が占領した中国や東南アジアの版図が描かれ、そこに日の丸の旗が立っていた。太平洋戦争中の一九四二年、鹿児島県の大きな川沿いのまち、川内市に住んでいた私は、五歳だった。
 菓子も配給制になり、幼稚園の遊戯にも兵隊さんが登場した。「♪兵隊さん兵隊さん旗を立てて 今日はどこへ行きますか お国のために 強い兵隊さんになれる子どもを呼びにいく」(題は不明。歌詞は、こうだったと思うが…)。私たち園児が木銃をかついで行進しながら合唱するのだった。
 「♪肩を並べて 兄さんと きょうも学校へ ゆけるのは 兵隊さんのおかげです…」(「兵隊さんよありがとう」)。そんな歌とともに川内国民学校一年生になった。
 校門をくぐると、まず、天皇の写真をまつったほこら・奉安殿に最敬礼。朝礼では直立不動の姿勢で皇居の方向にまたもや最敬礼。訓話の最中はトイレにいってはならない。何人もの児童が立ったまま「おもらし」をした。私も、その一人で上級生に付き添われ、汚れた服のままとぼとぼと家に帰った。母の顔を見るなり「わっ!」と、泣き出してしまった。
 四五年、二年生。授業そっちのけで防空壕への避難訓練だ。「♪イヤな所だよ 軍隊は 金の茶碗に 金の箸 仏さまでも あるまいに 一ぜん飯とは情けなや…」(「軍隊ストトン節」)。ひそかにはやっていた歌をうたっていたら、母がくちびるに手を当てて「しっ!」と、私をにらんだ。
 そして川内空襲。家を焼かれ、米軍機の銃爆撃にさらされて家族が逃げまどった日々。空襲で私を除く家族全員が負傷。五歳の妹は左足を切断された。
 叔父四人のうち三人は白木の箱で帰国した。
 「…億兆一心にして国家の総力を挙げて、征戦の目的を達成する…」と開戦した天皇は「…堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び…」と、降伏した。無責任な話だ。でも私はスーッと体が軽くなった。>

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