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2005.09.29

四国、よいとこ 65 鹿児島県川内市(せんだいし)といえば…。

 二〇〇五年九月二十九日のつづきのつづき。

 ひたすら鹿児島県川内市(せんだいし)へ。
 きょうは、ここで泊まります。

 弟が映画で知ったまちだといいます。
 調べてみると「釣りバカ日誌9」(松竹。一九九七年)のことでした。
 横浜営業所長から営業部長に抜てきされハマちゃんの上役となった男性(小林稔侍さん)を軸に話が展開します。
 営業部長、バツイチで高校生の息子と暮らしています。
 彼は、密かにスナックのママ(風吹ジュンさん)に心を寄せるがいます。
 ママは、スナックを閉め、いなか(センダイ市)に帰ることとなります。
 失意の営業部長は、問題を抱える息子とやりなおすためにも会社を辞めるといいだします。
 そんな彼に、鹿児島県川内市に「ふるさと文学館」を建設する仕事がきました。
 実は、ママのいなかのセンダイ市は、東北の仙台市ではなく鹿児島県の川内市でした。
 で、……。

 僕のほうは川内市といえば、以前、「しんぶん赤旗」日刊紙の昨年八月六日付の「終戦59年目読者の手記/いま語る平和の誓い/大阪府堺市小宮征夫(67歳)/遊戯にも〝兵隊さん〟が…」を思い出しました。
 <ラジオは毎日、大本営発表の帝国陸海軍の戦果を流していた。新聞には日本軍が占領した中国や東南アジアの版図が描かれ、そこに日の丸の旗が立っていた。太平洋戦争中の一九四二年、鹿児島県の大きな川沿いのまち、川内市に住んでいた私は、五歳だった。
 菓子も配給制になり、幼稚園の遊戯にも兵隊さんが登場した。「♪兵隊さん兵隊さん旗を立てて 今日はどこへ行きますか お国のために 強い兵隊さんになれる子どもを呼びにいく」(題は不明。歌詞は、こうだったと思うが…)。私たち園児が木銃をかついで行進しながら合唱するのだった。
 「♪肩を並べて 兄さんと きょうも学校へ ゆけるのは 兵隊さんのおかげです…」(「兵隊さんよありがとう」)。そんな歌とともに川内国民学校一年生になった。
 校門をくぐると、まず、天皇の写真をまつったほこら・奉安殿に最敬礼。朝礼では直立不動の姿勢で皇居の方向にまたもや最敬礼。訓話の最中はトイレにいってはならない。何人もの児童が立ったまま「おもらし」をした。私も、その一人で上級生に付き添われ、汚れた服のままとぼとぼと家に帰った。母の顔を見るなり「わっ!」と、泣き出してしまった。
 四五年、二年生。授業そっちのけで防空壕への避難訓練だ。「♪イヤな所だよ 軍隊は 金の茶碗に 金の箸 仏さまでも あるまいに 一ぜん飯とは情けなや…」(「軍隊ストトン節」)。ひそかにはやっていた歌をうたっていたら、母がくちびるに手を当てて「しっ!」と、私をにらんだ。
 そして川内空襲。家を焼かれ、米軍機の銃爆撃にさらされて家族が逃げまどった日々。空襲で私を除く家族全員が負傷。五歳の妹は左足を切断された。
 叔父四人のうち三人は白木の箱で帰国した。
 「…億兆一心にして国家の総力を挙げて、征戦の目的を達成する…」と開戦した天皇は「…堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び…」と、降伏した。無責任な話だ。でも私はスーッと体が軽くなった。>

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