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2005年10月

2005.10.01

四国、よいとこ 66 鹿児島県長島町の棚田

 二〇〇五年九月三十日。

 午前七時半、鹿児島県川内市(せんだいし)のホテルから出発。
 同県長島町へ。
 棚田を見てまわりました。
 手前に棚田、向こうにというシーンを撮りました。

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 長島海峡横断フェリーに乗って熊本県牛深市へ。

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四国、よいとこ 67 天草の隠れキリシタン

 二〇〇五年九月三十日のつづき。

 熊本県牛深市から河浦町へ。
 崎津カトリック教会(天主堂)を見ました。

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 同教会の庭に立っていた「由来記」を載せます。

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 河浦町から天草町へ。
 まず大江天主堂へ。
 ここはキリシタン解禁後にできたものです。
 そして、近くのキリシタン資料館・天草ロザリオ館へ。豊臣政権、徳川政権のキリシタンのへ弾圧、それにたいする民衆の武装蜂起、武装蜂起失敗後の長く続くキリシタン弾圧…がよくわかります。
 天草のキリシタンは一六三七年の天草・島原の乱の敗北で壊滅的な打撃を受けたかに見えました。
 徳川政権は、踏絵などのキリシタンあぶり出し制度で人々を監視してきました。
 しかし、乱から百七十年後の一八〇五年、天草下島の西筋に五千人余の隠れキリシタン信者が発覚しました。
 心を引かれたのは数々のマリア観音です。

 子を抱く 観音像の 背を見れば
 十字の印
 「隠れ」の信仰

 そして、苓北町(れいほくまち)の富岡城跡へ。

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 このとりで 落とせず死んだ
 四郎らの 無念を思う
 富岡城跡

 有明町には「四郎ケ浜」がありました。

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四国、よいとこ 68 熊本県三角町(みすみまち)の三角西港近くの海沿いの旅館で。

 二〇〇五年九月三十日のつづきのつづき。

 ここは熊本県三角町(みすみまち)の三角西港近くの旅館の二階にいます。もう午後五時半です。
 すぐ前が海で、その向こうが普賢岳。左手は中神島。
 夕日の下を漁船がいきかっています。

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 旅館のおかみさん(七十歳)は「いまどき漁師だけでは生きていけない」。
 この旅館には、船舶試験を受けにきた人たちが泊まるといいます。
 普賢岳が噴火した時は「普賢岳が真っ赤になりました」「灰がひどくて、どこもかしこもコンクリートを吹きつけられたようになりました」。

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2005.10.02

四国、よいとこ 69 熊本県・阿蘇山 「いつでもね。噴火する気は、あるんだよ」

 二〇〇五年十月一日。

 午前七時半、熊本県三角町(みすみまち)から出発。
 阿蘇山を走り回りました。

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 牛を放牧している所を見ました。

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 放牧の 牛の背中に
 三ケタの 数字を記す
 所有の悲しさ

 火口を見にいきました。
 なぜか韓国語の客がいっぱい。
 ライダーもいっぱい。
 僕と同じホンダのマグマ二五〇ccに乗ってきた男性と立ち話。
 何年前だったか、売り出してからすぐに買ったそうです。しかし、オートバイはピカピカ。後ろにがんじょうな荷物入れをつけ、盗難装置もつけています。「プラス二十万円かかっています」
 北九州のナンバーでした。
 おっと、火口の話でした。
 すごいですねー。

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 「いつでもね。噴火する気は、あるんだよ」
 阿蘇の火口の
 硫黄の煙

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四国、よいとこ 70 熊本県白水村(はくすいむら) 水源のおいしい水。

 二〇〇五年十月一日のつづき。

 熊本県白水村(はくすいむら)の白川水源にいきました。
 入場料百円也。
 こんこんと水がわき出ています。
 たくさんの人々が容器を持って、ここの水をくみにきています。
 おいしい水です。  
 この写真を見てください。

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 ここの近くの店でおみやげを買い、宅配便を頼みました。
 リュックサックのものもだいぶ、それに入れたので楽になりました。
 そして、同村の竹崎水源へ。
 ここもすごくきれい。
 川底の砂を押し上げるようにして何カ所から水がわき出ています。

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 のむと、これもおいしい。
 地元の男性は「白川水源より、こっちのほうが水量が多い」といっていました。
 この周辺に何カ所も、水源があるようです。
 一度、ゆっくりすべてをまわってみたいとおもいました。
 本日は帰りのフェリーの時間があり断念。

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四国、よいとこ 71 熊本県白水村(はくすいむら) 荷物いっぱいのオートバイの主は…。

 二〇〇五年十月一日のつづきのつづき。

 熊本県白水村(はくすいむら)の白川水源の入口の手前に、荷物てんこ盛りのオートバイがとめてありました。沖縄の弦楽器も積んでいます。
 「どんな人だろう。テントを張って寝ているようだけど…。一か月単位のツーリングをしているようだな」
 気になりました。
 そのオートバイとライダーが白水村の出口の所の休憩していました。若い女性でした。
 「好奇心の強い男」である僕は、当然、話しかけました。
 「広島市を出発しました。船で沖縄県にいき、ゆっくりまわってきた、いま広島市に帰るところ。出発して五カ月目。野宿生活です。きのうは寝ていないので、眠い。イラストをかいて、それを売って生活の足しにしてきました」
 すごい女性がいるものです。感動!!
 別れ際に「気をつけてね」と、声をかけてくれました。
 貴女も気をつけていい旅を。

 僕らのほうは夕方、大分県佐伯市(さいきし)に到着。
 佐伯港から夜八時出発の宿毛フェリーで高知県宿毛市に。

 寝転んで 波の思いを 聞いている
 まどろみの中
 フェリー、宿毛(すくも)に

 夜十一時、宿毛着。
 宿毛市のホテルに泊まりました。
 このホテルのサービスは、ペットボトルの「四万十水」。
 ホテルで弟が僕の短歌評。つまり、批評不可能なほどの低レベルということのようです。

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四国、よいとこ 72 あの高知県立高知追手前(おおてまえ)高校三年生のときの九州一周修学旅行は…。

 二〇〇五年十月一日のつづきのつづきのつづき。

 あの高知市の高知県立高知追手前(おおてまえ)高校三年生のときの九州一周修学旅行は、どこを見たんだっけ…。
 記憶がほとんどない僕は、一緒にいった友人にメールで問い合わせました。
 すぐに、返事がきました。
 「(宮崎市の)青島ではラクダに乗った記憶があります」
 「別府の地獄谷を見て、青島、鹿児島へ。
 鹿児島では桜島の溶岩と西郷隆盛が自刃した岩穴が印象に残っています。
 鹿児島からはたしか、雲仙、阿蘇山火口、熊本、長崎へ。
 長崎ではグラバー邸を見た記憶があります。
 その後の記憶は定かではないですが、長崎の原爆ドーム(?)が印象に残っています」
 すごい記憶力です。
 僕は、今回、青島、桜島、阿蘇山火口にいきましたが、いずれも「初めてきた所」でした。
 記憶がなくなっているのです。恐ろしいことです。
 もっとも、あれは十七歳のときのことで、僕は、いま五十八歳。無理もないか……。

 この旅行で、また書きたいことがあります。
 一つは天草の子守唄のこと。

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四国、よいとこ 73 軍に抵抗した人の碑を見て、一週間のツーリング、終了

 二〇〇五年十月二日。

 高知県宿毛市(すくもし)を出発。
 四万十市のトンボ自然公園。
 ホテイアオイに会えました。

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 弟は、この花について「母が、伊野町の家に池をつくって、この花を咲かせていた」といいます。
 僕は、覚えがありません。
 その母が亡くなって、ずいぶんとたちます。

 そして、大方町の入野松原。
 「堀内雍喜頌徳(しょうとく)碑」がありました。

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 「堀内雍喜頌徳碑建設委員会 昭和四十九年六月二十六日」とあります。
 「堀内雍喜氏顕彰碑文
 一億玉砕の叫ばれた太平洋戦争の末期 本土決戦を呼号する防衛軍は敵の上陸作戦を阻止するため名勝入野松原伐採の計画をたて之が実行を強要した。時の中村営林署長堀内雍喜氏は国家百年の大計を論じ身命を賭して軍の計画に反対し遂にその無謀な企てを断念させることができた。当時絶対的権力を奮った軍の圧力に屈せず断乎として信念を貫き松原の危機を救った堀内署長の功績は讃えてもなお余りあるものがあり、吾々(われわれ)大方町民の感謝措(お)く能(あた)わざるところ、ここに顕彰の碑を建てその遺徳を伝える所以(ゆえん)である」
 裏には「堀内雍喜頌徳(しょうとく)碑建設委員会 昭和四十九年六月二十六日」とあります。
 一九四五年、陸軍がアメリカ軍の上陸を阻止するための防衛陣地構築用資材に入野松原伐採計画を立てた時、堀内署長が身を賭してこれに反対したというのです。

 この二カ所を訪問した後、一路、高知市の自宅に。
 午後四時到着。
 一週間のオートバイのツーリングが終わりました。

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2005.10.03

四国、よいとこ 74 高知市 朝倉ゼミナールのすごさ。

 二〇〇五年十月三日。

 高知市に朝倉ゼミナールというムーブメントがあります。
 これが、すごいものです。
 どこがすごいかというと…。
 インターネットを検索してみたら、ホームページがありました。

 http://hb4.seikyou.ne.jp/home/asazemi/

 ここです。
 一度、訪れてみてください。

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2005.10.04

四国、よいとこ 75 高知市 唐人町って…。

 二〇〇五年十月三日。

 夜、高知県いの町の弟が野菜を持って、わが家にやってきました。
 「あの、おまんく(妻の実家)にいくところの天神橋の手前に唐人町ってあるろう。あれは、豊臣時代に強制連行してきた朝鮮人と関係ある町名やと」
 頭がスパークしました。豊臣。二度の朝鮮侵略。高知。そんな言葉がいきかいました。
 弟もくわしいことは知りません。
 「調べなくては」
 くわしいことを知っている人、いませんか。

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四国、よいとこ 76 温かいご飯にナスの丸焼き。

 二〇〇五年十月四日。

 仕事で南国市へいきました。
 そして、高知市に戻って「ものもいわず」仕事、仕事。
 だいぶはかどりました。

 夜は早い目に切り上げてオートバイ用品の店に。
 タンクに乗せるバッグとグローブを買って悦に入っています。

 家に帰って、風呂、洗濯、食事の用意。
 温かいご飯で、おかずはナスを丸焼きのみ。
 いいんだよねー。これが。
 実は、高知にきてから食生活を改善中。
 「肉をできるだけ排して魚に」「野菜をできるだけとる」が基本です。

 生活時間も変わりました。
 以前は午前十時とか午後二時に起きることの多い仕事でしたが、こっちにきてからは切り替えました。
 いつも午前六時には起きています。
 階段を忌避していましたが、階段を見つけると「嬉々として」上るようにしています。
 そて、その成果は……。

 東京の妻に電話したら、「まだ、仕事中」。
 彼女も自由に羽ばたいています。
 めでたし、めでたし…………。

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2005.10.06

四国、よいとこ 77 いの町、安芸市、高知市でロケした映画。

 二〇〇五年十月五日。

 夜、高知市の人、太田紘志さんの『ようたヒロシの ふれあい時間』(リーブル出版)というエッセイ集を手に入れました。
 なかなかのものです。
 その中で、高知県でロケされた映画で、高知市民図書館で視聴することができる映画が紹介されていました。
 その中の一つ、「あなた買います」は、いの町、安芸市、高知市でロケしたということです。
 近々、見ようと「決意」しています。

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四国、よいとこ 78 巡礼を迎え入れるか、紫のキキョウ鮮やか…。

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 二〇〇五年十月六日。

 巡礼を 迎え入れるか
 紫の キキョウ鮮やか
 ここ、土佐国分寺

 巡礼の 道との表示
 あぜのよな でこぼこ道を
 バイクでたどる

 快晴。
 仕事で高知市から南国市へ。
 昼休みに、南国市の国分寺に寄りました。
 そのおかげか、きょうも快活に仕事できました。

 弥生の集落。
 戦国時代の金堂。
 太平洋戦争のときのトーチカ。
 ……
 このまちには、いろんなものが残っていますね。 

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四国、よいとこ 79 高知 ダイコンの「抜き菜」がおいしい。

 二〇〇五年十月六日。

 高知県いの町の弟が持ってきてくれたダイコンの「抜き菜」がおいしい。
 これは高級食品ですね。
 いためたり、おじやの具につかったりで堪能しました。
 弟によると、塩を振った半日漬けも「うまい!」とのこと。

 「仕事の虫」もおさまらないが「遊びの虫」もおさまらない僕。
 九日、十日は休みをもらいました。
 弟、三連休を利用して東京からやってくるわが妻と三人で、高知市から山越えて徳島県の剣山のふもとを通って、兵庫県の淡路島にいく予定です。
 車を運転できるのは弟だけ。よろしくお願いいたします。

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2005.10.08

四国、よいとこ 80 「僕の彼女を紹介します」。やっぱり、いいですね。

 二〇〇五年十月七日。

 「僕かの」(韓国映画「僕の彼女を紹介します」)を
 見てる中年 涙して
 「こんな映画を つくってみたいよー」

 夜、DVDで韓国映画「僕の彼女を紹介します」を見ました。
 劇場でも見ましたから二回目です。
 
 「『ごめん』くらいいったらどうなんだ」
 「私の辞書には、そんな言葉はないの」
 「『ごめん』って名前にしたらどう。そうしたら、『ごめーん』ってやるから」
 すごい、一度、いってみたいせりふです。
 
 見進むうちに涙が出てきます。

 それにしても、主演の彼女、いろんな表情ができて、表情を見ているだけであきませんね。

 それはそうと、JRで高知にくだってくると、「大歩危(おおぼけ)」という駅があって、どやされた感じ。「はい。すみません。反省します」という感じ。
 そして、しばらくすると、「後免(ごめん)」という駅があります。

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四国、よいとこ 81 高知市文化プラザの「戦争」

 二〇〇五年十月八日。

 高知市の、わが家の近くに高知市文化プラザがあります。
 そこの周辺に、こんなメモリアルがあります。
 
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 近くに、こんな表示がありました。

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 目を閉じてみましょう。
 ここは一九四五年、太平洋中の高知市、菜園場(さえんば)橋。
 「あっ、アメリカの、皆殺し戦闘機が急降下してきます。パイロットの白人の目が笑っています。……」

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2005.10.10

四国、よいとこ 82 兵庫県の小豆島の由良要塞の跡

 二〇〇五年十月十日。

 八日、東京都の妻が高知市にやってきました。
 九日、十日と僕も休みをとって、いの町の弟と三人でドライブ。
 高知県の早明浦(さめうら)ダム、同県本山村の大原富枝文学館、そして、兵庫県の小豆島にわたり、洲本市由良のエトワール生石(おいし)という研修施設に泊まりました。
 前が海です。
 裏の山の上に戦前の由良要塞の跡があると聞いて、十日朝は、そこに直行。
 その後、洲本市立淡路文化資料館に。
 そして、バスセンターで妻とバイバイ。

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四国、よいとこ 83 「僕かの」の紙飛行機に泣いている。

 二〇〇五年十月十日。

 ぎこちなく 暗い空気が 流れてる
 恋人だろう?
 君たち、しっかり

 「僕かの」の
 紙飛行機に ないている
 なんて優しい 彼氏なんだろ

 最初は、現実の世界。
 次は、韓国映画「僕の彼女を紹介します」の世界。

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2005.10.14

四国、よいとこ 84 高知市 「体が右にまがっちゅう」の指摘。

 二〇〇五年十月十四日。

 七月に理髪店にいったきりだったので、いくらなんでもと思って高知市はりまや町の理髪店にいきました。
 頭を洗う段になって、頭を出したら、
 「頭を、ぐっと、左に寄せてください」
 洗い終わって理髪師さんがいいました。
 「真っ直ぐに頭を出しているとおもうちょったでしょう。ところが、右の端やった。あんたは、体が右にまがっちゅう」
 「えーっ」と、いう感じでした。
 しかし、思い当たることがいくつかあります。
 ありがたい指摘でした。
 治すにも、自分が欠点を自覚していないと、そうしようとも思いません。
 高知の人はモノをはっきりいうてくれるがで助かります。

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四国、よいとこ 85 高知市 「帯パラ」は、みんなに優しい。

 二〇〇五年十月十四日。

 夕方、高知市帯屋町商店街の「帯パラ」にいきました。
 雨が降ったりやんだり。
 で、ここで「帯パラ」が活躍。
 ここに、円形のベンチが三つあります。この上に大きなパラソルがついていて、雨が降り出すとぱーっと開いて雨をさえぎってくれるんです。
 優しいベンチです。
 この夕は、この下でイラク戦争反対のアピール行動がやられていました。
 「命に国境がない」ことを十九歳の女性のロック歌手がうたっていました。

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四国、よいとこ 86 高知、東京 電話のない数日間。

 二〇〇五年十月十四日。

 「何日も 電話なかった」
 妻がいう
 自分も何も いってこないで

 妻「も」、結構、自己本位です。
 似た者夫婦だから、しかたないか。

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2005.10.15

四国、よいとこ 87 高知県土佐山田町 JR土佐山田駅構内のに映画の宣伝。

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 二〇〇五年十月十五日午前。

 高知県土佐山田町のJR土佐山田駅の上り線のホームにいます。
 ひょいと見たら、構内に映画の宣伝の看板がありました。
 「カチューシャ物語」です。「愛すればこそ別れゆく乙女の悲しさよ!……」
 ポスターの男女二人の絵が、なんだか戦後初期の筆致で懐かしい。
 それにしても、いつまでやっているんだろう。書いていません。場所は「ゑびす昭和横丁」。
 で、インターネットで探してみたらありました。
 映画館の宣伝ではありません。
 この町で八回かやってきた、催しの看板でした。
 この「横丁」に月光仮面が出現し、宇高連絡線のデッキのうどん屋が再現され、山口百恵さんの映画のポスターが飾られ…ということのようです。
 あのうどん屋さん。しょううまかった。味も当時のままでしょうか。
 次回は十二月十日、十一日(偶数月の第二土日開催)の予定とか。いってみようか……。

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四国、よいとこ 88 高知県大豊町 JR大杉駅の駅舎は「地元営」!?

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 二〇〇五年十月十五日午前。

 高知県大豊町のJR大杉駅にいます。
 真新しい駅舎です。
 二〇〇四年一月二日に焼失。
 しかし、そのままにされていました。
 地元の住民が運動し、県が五百万円、JRが五百万円出し、町が地元の力を借りて駅舎をつくりました。
 駅舎はできましたが、JRは人員を配置せず。地元の人たちが「とまレール大杉の会」をつくり、ボランティアで運営しています。
 週三日は女性が午前六時から午後六時まで勤務。週四回は、松下健一さん(65)が午前六時から午後七時まで勤務。
 切符売り、そして、売店の運営もします。
 駅前の食堂、喫茶店は、建物はあるものの開いていません。
 いまの政治の中で切り捨てられていく「地方」、そうはさせまいと懸命の努力をする住民たちの姿を見る思いでした。
 駅舎で本山町いきのバスを待っていると、松下さんがコーヒーをいれてくださいました。

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四国、よいとこ 89 農民に酒を飲むことを禁止した野中兼山という男。

 二〇〇五年十月十五日夜。

 最近、高知県のいの町、春野町、高知市、宿毛市、本山町、土佐山田町をまわっていると野中兼山(のなか・けんざん)の名前をよく見ます。
 江戸時代の高知の山内藩の奉行職をしていた人です。
 この日朝、高知駅のデパートで小川俊夫さんの『野中兼山』(高知新聞社)という本を買いました。
 わかりやすく、リアルな本でした。
 農民に酒を飲むことを禁止するなど彼の悪辣非道な政治家ぶりが浮き彫りになっています。
 彼を利用するだけして、都合が悪くなるとぽんと捨てて、兼山の死後、野中一族を長期に宿毛に流した山内のトノサマもひどい男です。
 と、いまさらながら怒っています。

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2005.10.16

四国、よいとこ 90 徳島市 「セルフ」の、うどん店。

 二〇〇五年十月十六日。

 三日前に風邪をひいてしまいました。
 絶不調ながらバスで高知市から徳島市へ。
 「歴史と向き合い未来を準備する美しい若者の姿」(高知新聞、二〇〇四年十二月九日付の「楽」さんの「閑人調」の言葉)を見ました。

 仕事を一応終えて、徳島駅前で「セルフ」の看板を探しました。
 「あっ、あった」
 うどんの「セルフ」です。
 お盆と皿を取って、それにおでん、てんぷら、おにぎりなどをとり、最後に、うどんをもらいます。
 気軽だし、お腹の態勢に合わせることができます。
 香川、徳島にいったら「セルフ」を探している、きょうこのごろです。

 さいたま市の高校の同級生(男性)からメールをいただきました。
 う・れ・し・い。

 東京都の妻からは電話。
 「荷物、届いた?」
 長袖のシャツも入っていました。
 うるうる。

 午前零時前、仕事の「つづき」がやっと終わりました。
 さぁ、シャワーして、寝るか。

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2005.10.18

四国、よいとこ 91 高知市 豊臣秀吉の朝鮮侵略の爪跡を示す地名。

 二〇〇五年十月十七日。

 高知市内の鏡川の雑喉場橋(ざこばはし)のたもとに、昔の地名、唐人町(とうじんまち)の由来を書いた立て札がたっています。
 豊臣秀吉の朝鮮侵略の爪跡を示す地名だったとのことです。

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四国、よいとこ 92 高知市 温泉はあるんですか?

 二〇〇五年十月十七日。

 わが高知市に温泉はないものか。
 インターネットを見たら、こんなデータがありました。
 一つひとつ「検証」してみたいと思っています。

 ● 三翠園温泉 088-822-0131 高知市鷹匠町 天然高温泉 塩泉 露天風呂 大浴場 旧山内家公邸跡に建つ歴史の宿 
 ● 城西館 088-875-0111 高知市上町 トロン温泉大浴場
 ● 湯の川ファミリー温泉 088-822-1935 高知市円行寺 立ち寄りのみ
 ● 円行寺温泉精養軒 088-872-3898 高知市円行寺 硫化水素泉
 ● 冨久美味 088-842-2933 高知市浦戸 大浴場
 ● 国民宿舎桂浜荘 088-841-2201 高知市浦戸 公営 全室より太平洋を一望
 ● サンピア高知 088-866-7000 高知市高須 炭酸カルシウム温泉 大浴場 素泊りOK

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四国、よいとこ 93 ジョン万次郎の書いた色紙。

 二〇〇五年十月十八日。

 休み。
 オートバイで高知県の春野町の知人宅へ。
 ジョン万次郎の書いた色紙を見せてもらいました。

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2005.10.19

四国、よいとこ 94 高知市 高知大学教育学部付属幼稚園のキンモクセイ。

 二〇〇五年十月十九日。

 おお、かくも 「私、ここよ」と 主張する
 キンモクセイに
 誘われてきた
 
 一週間ほど前からオートバイで高知市内を走っていてもキンモクセイのかおりがしていました。
 事務所にも、いいかおりが入ってきているので、きょうの昼休み、その発生源を探してみました。
 すぐそこの高知大学教育学部付属幼稚園の庭でした。
 ちょっと数えただけでも九本のキンモクセイが咲いていました。
 本当にいいかおりです。
 胸いっぱいに吸い込んで短い散歩を終えました。

 夜九時過ぎ、関東地方で地震。
 東京の、わが家に電話しましたが、妻は、まだ帰宅していませんでした。

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四国、いいとこ 95 高知県南国市(なんこくし) 七つの掩体壕(えんたいごう)が語りかけること。

 高知県南国市(なんこくし)には太平洋戦争の時のコンクリート製でドーム状の掩体壕(えんたいごう)が七基残っています。田んぼの中の市有地にある七つのこんもりした掩体壕。一番大きい掩体壕は高さ八・五メートル、幅四十四メートル、奥行き二十三メートル、コンクリートの厚さは五十センチはあります。

   ☆  ★ 

 掩体壕は、航空機をアメリカ軍の空襲から守るための格納庫です。同市内にコンクリート製九基、土などでつくられたもの三十二基の計四十一基がありました。
 土などでつくられたものは敗戦後に解体され、コンクリート製のものも二基が壊されました。
 太平洋戦争の最中の一九四四年三月十五日、偵察搭乗員の訓練をおもな任務とする高知海軍航空隊が開隊し、士官百六十人、兵員三百六十人、機上作業練習機「白菊」(乗員五人)五十五機が配置されました。
 これらの掩体壕は、この航空隊の関連施設としてつくられたものです。
 当時、どの掩体壕にも中央の滑走路からそれぞれの掩体壕までは東西三本、南北四本の幅約四十メートルの誘導路がはりめぐらされていました。

   ☆  ★ 

 かつて、ここには香美郡三島村がありました。
 帝国海軍は、一九三九年、三島村に飛行場を建設することを決定。四一年一月二十三日、このことを発表しました。
 西村豊馬村長は、村民有志を三島小学校講堂に集めて高知県知事の通達を伝えました。
 「三島村に、海軍航空隊の飛行場をつくることが決定した。田の中に赤い旗が立てられている範囲内の者は、みんな立ち退いてもらわんといかんことになった。誠に急なことで村民に申し訳ないが、戦争に勝つために協力してもらい、本日承認ねがいたい。直ちに立ち退きに取りかかってほしい」
 誰も反対できる人はいませんでした。
 接収面積は約二百十二ヘクタール、三島村の七割に上ります。接収地域には村役場や三島小学校など三島村の中心施設も含まれていて、村は消滅しました。
 三島小学校が解体され、児童たちは、二人がけの机を隣の立田村の立田小学校に運びました。
 津波、洪水の時に村人が避難し、命山と呼んでその信を集めた室岡山(命山。標高二八・二メートル)には、坑道が掘られ、爆弾で崩されました。豊かな農をもたらした秋田川も埋め立てられました。
 飛行場建設の最中の四一年十二月八日、昭和天皇はアメリカ、イギリスなどとの戦争を始めました。
 いま、南国市の高知龍馬空港の外の南側に日章開拓農業協同組合が一九八五年三月にたてた「開拓記念碑」がたっています。
 そこには三島村接収の時のことが刻まれています。
 「この地は…元の三島の里である 沃土は農を興し、黒潮に恵まれて文化の香り高く、県下屈指の優良村として栄えた。…(その三島村が海軍の基地建設用地になり)総面積二千百八十四反を接収、二百六十三戸、千五百余の住民ら急遽(きゅうきょ)撤去を命ぜられる。人々互いに別れを惜しみ父祖の霊位を抱き、慌ただしく村を去る」 

   ☆  ★ 

 一九四四年六月、いまの南国市の前浜地区、久枝地区の五十七万四十二平方メートルも接収されました。高知海軍航空隊の掩体壕と誘導路(幅約四十五メートル)を建設するためです。
 掩体壕や誘導路の建設には、地元の女性、高知市内の中学校の生徒、高知刑務所の受刑者、強制的に日本に連れてこられていた朝鮮人も駆り出されました。
 掩体壕と誘導路は網の目状に結び、航空隊内の滑走路に通じさせました。
 いま、地元では南国市の七基の掩体壕に番号をつけています。
 七号掩体壕は、大湊(おおみなと)小学校(元・前浜国民学校)のすぐ北にあります。
 動員されていた高知市の私立土佐中学校の三年生の生徒たちは、この掩体壕づくりの作業をしました。
 高知海軍航空隊の兵舎に泊り込んで作業しました。
 兵舎の廊下を拭く作業をサボっていたら「海軍精神注入棒」が尻にとんできました。
 掩体壕は、こうしてつくりました。
 土で掩体壕と同じ大きさの小山をつくります。そして、大勢の人々がその上にあがって踏み固めます。固めた土の上に、むしろやセメント袋などを敷き詰めます。土の上にセメントを流し込み、塗り固めます。セメントが固まったら、中の土をすべて取り除きます。こうして掩体壕ができあがります。
 いま、この掩体壕の内側には、つくったときの、むしろとセメント袋の跡がはっきり残っていす。
 この掩体壕は、農道と農業用水路の真上につくられました。
 海軍高知航空隊は、この水路のかわりに直径約二十センチメートルの土管を設置しようとしました。
 それでは雨天のときの水はけが悪く、上流の田んぼに支障が出そうでしたので、地元の農民たちが海軍航空隊側に、もっと大きな径の管に取りかえてほしいと申し出ました。
 相手の技術責任者は「何をいうか、お前たち。敵は一刻も待ってくれないぞ。そんなことが聞けるか。お前たちは非国民か。二度というな。帰れ」と、農民たちを追い返しました。
 戦後、農民たちは、この掩体壕の後部を打ち抜いて、道と水路を通しています。

   ☆  ★ 

 南国市に残る小山のような七つの掩体壕は、いまの私たちにいろんなことを語りかけてくれます。
 一号掩体壕は、アメリカ軍のグラマン艦上攻撃機によって激しい機銃掃射を受けた大小合わせて約六十個の弾の跡がついています。
 一九四五年三月十九日、アメリカ軍のグラマン艦上攻撃機が三波にわたって高知海軍航空隊を空襲しました。
 この掩体壕の近くの畑で野菜を手入れしていた男性の農民二人、動員されていた生徒約三十人は掩体壕に逃げ込みました。
 グラマン機は掩体壕すれすれに飛んできてバリバリ、バリバリと機関銃を撃ちました。弾が掩体壕に当たってチュン、チュンと不気味な音をたてます。
 そして、近くの前浜国民学校の玄関前、講堂と校舎の西に爆弾を投下しました。
 前浜国民学校(現在・大湊小学校)は休校でした。同校に出勤していた猪野信意校長、教師の永吉高秀さんは、この爆撃の中、同校の「御真影」(昭和天皇と皇后の写真)、「教育勅語」などの勅語を持って逃げました。
 高知海軍航空隊では戦死傷数人、一式陸上攻撃機と陸上攻撃機銀河が破壊され、格納庫、庁舎、兵舎が一部損傷しました。
 掩体壕(えんたいごう)と誘導路を建設する工事に動員されていた高知市の県立高知城東中学校三年生たちの「合宿飯場小屋」も炎上しました。
 当時、同校三年生だった高橋道久さんは「私もグラマンの一番機に銃撃され、横飛に避けて生まれて初めて赤鬼のような顔の米軍パイロットと相互に目礼しあったしまつでした」と記しています(『高知追手前高校百年史』、発行・高知県立高知追手前高校校友会)。
 南国市は七回、アメリカ軍のB29爆撃機、空母艦載機グラマンの攻撃を受けました。
 高知海軍航空隊には高射砲はありませんでした。七・七ミリ旋回機銃と二五ミリ機銃で応戦しました。
 機関銃を構えるコンクリート製のトーチカは一基でした。
 これは南国市物部の物部川堤防に現存しています。高知高専の南東に当たる場所で、直径一メートルの円筒形。コンクリートの厚さは二十センチです。
 アメリカ軍機三機の撃墜を確認したといいます。
 うち一機のプロペラとエンジンが沖合の海底で見つかり、いまは香美郡吉川村の吉川村天然色劇場で展示されています。

   ☆  ★ 

 高知海軍航空隊の当初の目的は偵察搭乗員の養成でしたが、一九四五年春、アメリカが沖縄県に上陸すると、特別攻攻隊員としての訓練が中心となりました。
 同航空隊に特別攻撃隊「菊水部隊白菊隊」が編成されました。「赤トンボ」と呼ばれていた機上作業練習機「白菊」(乗員は、操縦、偵察の二人)に二百五十キロ爆弾二つを搭載して沖縄のアメリカ艦船に体当たりするためでした。機関銃も装備せず、燃料は片道分だけでした。
 五月二十四日から六月二十五日までの間、「白菊」二十六機が鹿児島県の鹿屋(かのや)基地を経由して沖縄に向け出撃。搭乗員五十二人が戦死しました。
 五月二十七日午後六時四十八分から七時三十七分にかけて十五機の「白菊」が鹿屋基地を発進しました。

   ☆  ★ 

 高知海軍航空隊による被害は、一九四五年八月十五日の終戦後も続きました。
 高知海軍航空隊の送信所(三・七ヘクタール)は、飛行場の北方約五キロメートルの南国市陣山にありました。
 終戦後、同通信所の敷地には、香長平野に駐屯していた約六万五千人の「四国防衛軍」の武器、弾薬が集積されました。
 県の指示、アメリカ占領軍の監督のもと勤労奉仕の人たちが弾丸の中の火薬を抜き取り少しずつ焼却する作業をしました。
 十一月十九日午前、その解体作業中、勤労奉仕の人が一度に多量の火薬をほうりこみました。この火が枯れ草に広がり大きな炎になって燃え広がりました。そして、大爆発がおきました。
 五戸が全壊、四戸が全焼、約千七百戸が半壊しました。
 (二〇〇五年十月十九日)

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2005.10.20

四国、よいとこ 96 高知県大正町 津賀ダム工事での朝鮮人労働

 二〇〇五年十月二十日。

 朝から高知県土佐清水市へ。
 JR高知駅のホームで、この日の高知新聞朝刊
を読んでいて、投書のページの「津賀ダム工事での朝鮮人労働で学習」という記事にひかれました。
 窪川町本町の県立中村中学校生、田辺小夏さん(15)の投書です。
 大正町下道で戦争中に朝鮮人を使って津賀ダムを建設したとのことです。
 九月二十五日、この問題について勉強会をしたといいます。
 同校では十一月下旬、韓国に研修旅行にいくとのこと。彼女は「六十年前、日本人は朝鮮人にどんな差別をしたのか、強制連行とは何だったかも、勉強してきます」と、書いています。
 えらい。
 僕も、この問題についての基本知識くらいは獲得したいと思っています。
 ちょうど僕のバッグの中にあった『友情の川 日・韓高校生交流の記録』(幡多高校生ゼミナール)という本では、幡多高校生ゼミナールの人たちも、この問題を調査したいとうことです。

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四国、よいとこ 97 高知県土佐清水市 なんだか懐かしいまち。

 二〇〇五年十月二十日。

 仕事で、高知県土佐清水市にいます。
 美しいまちです。
 一度、チャンスをみて、ゆっくり歩いてみたいと思います。
 高知市の高知県立高知追手前高校の女子の同級生が、このまちの出身でした。高校時代は高知市で下宿していました。優しい話し方をする人で、色が白くて髪が真っ黒なチャーミングでした。
 高知市の高知大学の一年生の時、クラスの仲間たち(T君とM君でしたか…。もう一人いたかもしれません)と高知市から自転車でここにきたことがあります。スポーツ用ではなく、僕は父が出勤用に使っていたものを借りてきたと思います。
 新婚旅行のときにも立ち寄ったと思います。
 ということは、今度が三度目でしょうか。
 ここで、十年前、東京から電話で話したことのある男性と出会いました。元校長です。
 漫画家の手塚治虫さん(故人)に似た、素敵な七十歳でした。

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四国、よいとこ 98 高知県土佐清水市 高知海軍航空隊第二十二分隊第五班・上杉利則。

 二〇〇五年十月二十日。

 高知県土佐清水市で『七つボタン』(上杉利則著、南の風社)という本をいただきました。
 高知市への帰りのバス、列車の中で読了しました。

 著者は、「95」で書いた高知海軍航空隊にいたとのことです。
 一九四四年九月からです。「第二十二分隊第五班」です。
 ここは偵察搭乗員を養成する所でした。
 しかし、四五年三月をもって上杉さんたちの訓練は中止になりました。
 それから、彼ら航空兵が、やらされたことは……。
 当時の上杉さんは、いまでいえば高校生の年齢でした。

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四国、よいとこ 99 高知市 テッポウユリを植えました。

 二〇〇五年十月二十日。

 夕方に高知県土佐清水市から高知市に帰り着きました。
 「前からやりたかったこと」をはじめました。
 「なんでもや」にいって、プランター、土、球根を買って、わが家の、ものすごく小さな庭を「花の園」にするということです。
 プランター一つ、土の袋一つ、テッポウユリの球根四つを買い込みました。
 「最初の一歩」です。
 「植え時」は九月から十二月。「花時」は五月から七月。
 夜の農作業、完了。
 
 そうそう、いの町の弟が、ナスと抜き菜を持ってきてくれていました。
 感謝。

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四国、よいとこ 100 「乗り物で立てったこと、ないなぁ」。

 二〇〇五年十月二十日。

 「そういえば、四国にきてから、乗り物で立てったこと、ないなぁ」
 列車、路面電車、バス。
 いずれも、どの時間帯にでも座っています!!
 東京での暮らしとは、どえらい違いです。

 つづき

 二十一日朝、東京都にいきました。
 JR浜松町駅から山手線に乗ったら例の「牛馬輸送列車」でした。
 席を使えなくしていて、みんな立っているのです。
 恐るべし東京のJR。
 人間様をなめんじゃないぞ。

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2005.10.21

四国、よいとこ 101 『定年ちいぱっぱ 〝二人はツライよ〟』

 二〇〇五年十月二十日。

 『定年ちいぱっぱ 〝二人はツライよ〟』(小川有里著、毎日新聞社)を読了。
 著者は高知県立高知追手前高校の出身で同学年。
 軽妙なタッチでかかれていますが、内容はかなりヘビー。
 一読をおすすめします。

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2005.10.23

四国、よいとこ 102 高知市 朝晩が冷え込んできましたね。

 二〇〇五年十月二十三日。

 夜中に仕事先からオートバイで自宅に帰っていると、もう寒くて、寒くて…。
 高知市も冬のムードになってきました。
 もっとも本日は昼間は初夏のように暑かったのです。
 どうも、体の調節がうまくいきません。
 それはそうと、わが家は暖房器具なし。
 そろそろ何か手に入れなくては…。

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2005.10.24

四国、よいとこ 103 松山市 「おつかれ」と 鏡の自分に いってやる…。

 二〇〇五年十月二十四日。

 「おつかれ」と 鏡の自分に いってやる
 ここ松山の
 ビジネスホテル

 午前七時半、高知駅前発の高速バスで松山市へ。
 懸命に仕事をして終わったのが夜九時過ぎ。
 仲間の予約してくれた市内のビジネスホテルへ。
 ここで、パソコンをひらいて、もう一仕事。
 小さな机の前にすわったら目の前に鏡がありました。
 うーん、太陽(ひ)に焼けた、けっこう引き締まった顔をしています。
 なんちゃって。

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2005.10.25

四国、よいとこ 104 高知市の「つくし」という居酒屋の機関紙の縮刷版。

 二〇〇五年十月二十五四日。

 高知市の「つくし」という居酒屋の機関紙の縮刷版をいただきました。
 一九七〇年十月号から九六年六月号までです。
 ちょうど僕が高知にいなかった時期です。
 高知大学の同級生の父・富永三雄さん。高知の陸軍に反戦ビラをまいた人です。
 宮本正心さん。彼の娘さんと一緒に仕事をしました。
 日和崎宣夫さん。電話だけですがつきあいがありました。
 浜田文平さん。お世話になりました。
 奈路広さん。本人は忘れているだろうけど、一度、四万十川の船の上で一緒に漁の写真を撮りました。
 山原健二郎さん。お世話になりました。巨星でした。

 このつづきはどうなっているのでしょうか。
 いつか、じっくり、「つづき」も読んでみたいものです。

 ところで、はからずも、本日、兵庫県の住職夫妻と電話で話すことができました。
 二人とも高知大学で同じ時期に学んだ人です。
 そうか、僕が高知大学を辞めたのは一九六八年二月。上京したのが同年十月。
 ずいぶんと僕も人生のベテランになりました。
 実態は、まだ子どものようだけど…。

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2005.10.27

四国、よいとこ 105 高知市 「赤い夕陽の渡り鳥」、「銀座の恋の物語」の二本立て

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 二〇〇五年十月二十六日。

 午前中、仕事で高知市愛宕町一丁目にいきました。
 あたご劇場という映画館がありました。
 十一月四日までかかっているのは小林旭さんの「赤い夕陽の渡り鳥」、石原裕次郎さんの「銀座の恋の物語」。二本立てです。正午、午後三時五分、六時十分に上映します。
 高知県いの町の町立伊野中学校の生徒だったころ見た映画でした。
 なっつかしいーーーい。
 
 この日夜、いの町の弟が高知市のわが家にやってきました。
 当時の、いの町の話になりました。
 いくつかの映画館がありました。
 伊野小学校の近く、旭町にシネマがありました。日活系でした。
 僕は、ここで父に連れられて「キング・コング」を見た記憶があります。「武器なき斗い」もみました。弟は、ここで「松川事件」を見たといいます。
 弟によると、大衆演劇の劇団もきていたといいます。舞台の合間に彼が、トコトコと舞台の上がってパフォーマンスをして拍手喝さいを浴びたそうです。まだ小学校に上がっていないころだったといいます。
 椙本(すぎもと)神社の近くに伊野文化がありました。松竹系でした。
 弟は、ここで「赤胴鈴之助」、「鞍馬天狗」を見たといいます。
 いま、いの町には映画館はゼロ。いつか、映画館を復活させたいものです。

  【付録】

  「赤胴鈴之助の歌」(藤原信人作詞、金子三雄作曲)

 剣をとっては 日本一に
 夢は大きな 少年剣士
 親はいないが 元気な笑顔
 弱い人には 味方する
 おう! がんばれ 頼むぞ
 ぼくらの仲間 赤胴鈴之助

 父の形見の 赤胴つけて
 かける気合も 真空斬(ぎ)りよ
 なんの負けるか 稲妻(いなづま)斬りに
 散らす火花の 一騎(いっき)打ち
 おう! がんばれ すごいぞ
 ぼくらの仲間 赤胴鈴之助

 山は夕やけ 一番星は
 母によく似た きれいな瞳(ひとみ)
 つらいときにも 勇気を出して
 正しい事を やりとおす
 おう! がんばれ 強いぞ
 ぼくらの仲間 赤胴鈴之助

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四国、よいとこ 106 何だかむなしい夜もあるさ。

 二〇〇五年十月二十七日。

 ぐちぐちと しゃべってみたい 時もある
 独りで切ない
 ある夜のこと

 弟は、あす早朝からオートバイで愛媛県大洲市にいくとのこと。
 僕は休み。
 オートバイで幡多方面にいってみようかと思っています。

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四国、よいとこ 107 定着を 恐れているのか この男…。

 二〇〇五年十月二十八日。

 定着を 恐れているのか この男
 勢い込んで 
 旅に出る朝

 休みだからゆっくり寝ようと思っていたのですが、やっぱり七時台に起きてしまいました。
 そぁ、いこうか。

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2005.10.30

四国、よいとこ 108 高知市 酒店の機関紙を読みました。

四国、よいとこ 108 高知市 酒店の機関紙を読みました。

 二〇〇五年十月二十九日。

 二十八日から東京都在住の妻が高知市にやってきていました。
 二十九日夜、僕が家にかえったら、高知市九反田の酒店の機関紙「安岡酒店BLUES」十月号を見せてくれました。
 「土佐の酒蔵の看板息子たち…」は土佐山田町の松尾酒造の五代目、松尾禎之さん。
 松尾さんは、「えびす昭和横丁」の企画にも参加しているんですね。
 酒屋の機関紙。けっこう、いい味です。

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四国、よいとこ 109 高知県土佐清水市 足摺岬で見たツワブキの花。

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 二〇〇五年十月二十八日。

 うわーっ、休み。
 朝八時半からオートバイで一路、足摺岬へ。
 国道56号から国道321号というコース。
 途中、海岸、海がきれい。
 足摺岬にツワブキの花が咲いていました。
 地元の人たちが植えて育てているものだということです。 

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四国、よいとこ 110 高知県土佐清水市 太陽のつくった海の中の橋。

20051029_210

 二〇〇五年十月二十八日

 高知県土佐清水市の足摺岬のつづきです。
 ごらんください。太陽のつくった海の中の橋です。

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