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2005.10.02

四国、よいとこ 73 軍に抵抗した人の碑を見て、一週間のツーリング、終了

 二〇〇五年十月二日。

 高知県宿毛市(すくもし)を出発。
 四万十市のトンボ自然公園。
 ホテイアオイに会えました。

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 弟は、この花について「母が、伊野町の家に池をつくって、この花を咲かせていた」といいます。
 僕は、覚えがありません。
 その母が亡くなって、ずいぶんとたちます。

 そして、大方町の入野松原。
 「堀内雍喜頌徳(しょうとく)碑」がありました。

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 「堀内雍喜頌徳碑建設委員会 昭和四十九年六月二十六日」とあります。
 「堀内雍喜氏顕彰碑文
 一億玉砕の叫ばれた太平洋戦争の末期 本土決戦を呼号する防衛軍は敵の上陸作戦を阻止するため名勝入野松原伐採の計画をたて之が実行を強要した。時の中村営林署長堀内雍喜氏は国家百年の大計を論じ身命を賭して軍の計画に反対し遂にその無謀な企てを断念させることができた。当時絶対的権力を奮った軍の圧力に屈せず断乎として信念を貫き松原の危機を救った堀内署長の功績は讃えてもなお余りあるものがあり、吾々(われわれ)大方町民の感謝措(お)く能(あた)わざるところ、ここに顕彰の碑を建てその遺徳を伝える所以(ゆえん)である」
 裏には「堀内雍喜頌徳(しょうとく)碑建設委員会 昭和四十九年六月二十六日」とあります。
 一九四五年、陸軍がアメリカ軍の上陸を阻止するための防衛陣地構築用資材に入野松原伐採計画を立てた時、堀内署長が身を賭してこれに反対したというのです。

 この二カ所を訪問した後、一路、高知市の自宅に。
 午後四時到着。
 一週間のオートバイのツーリングが終わりました。

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