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2005.10.19

四国、いいとこ 95 高知県南国市(なんこくし) 七つの掩体壕(えんたいごう)が語りかけること。

 高知県南国市(なんこくし)には太平洋戦争の時のコンクリート製でドーム状の掩体壕(えんたいごう)が七基残っています。田んぼの中の市有地にある七つのこんもりした掩体壕。一番大きい掩体壕は高さ八・五メートル、幅四十四メートル、奥行き二十三メートル、コンクリートの厚さは五十センチはあります。

   ☆  ★ 

 掩体壕は、航空機をアメリカ軍の空襲から守るための格納庫です。同市内にコンクリート製九基、土などでつくられたもの三十二基の計四十一基がありました。
 土などでつくられたものは敗戦後に解体され、コンクリート製のものも二基が壊されました。
 太平洋戦争の最中の一九四四年三月十五日、偵察搭乗員の訓練をおもな任務とする高知海軍航空隊が開隊し、士官百六十人、兵員三百六十人、機上作業練習機「白菊」(乗員五人)五十五機が配置されました。
 これらの掩体壕は、この航空隊の関連施設としてつくられたものです。
 当時、どの掩体壕にも中央の滑走路からそれぞれの掩体壕までは東西三本、南北四本の幅約四十メートルの誘導路がはりめぐらされていました。

   ☆  ★ 

 かつて、ここには香美郡三島村がありました。
 帝国海軍は、一九三九年、三島村に飛行場を建設することを決定。四一年一月二十三日、このことを発表しました。
 西村豊馬村長は、村民有志を三島小学校講堂に集めて高知県知事の通達を伝えました。
 「三島村に、海軍航空隊の飛行場をつくることが決定した。田の中に赤い旗が立てられている範囲内の者は、みんな立ち退いてもらわんといかんことになった。誠に急なことで村民に申し訳ないが、戦争に勝つために協力してもらい、本日承認ねがいたい。直ちに立ち退きに取りかかってほしい」
 誰も反対できる人はいませんでした。
 接収面積は約二百十二ヘクタール、三島村の七割に上ります。接収地域には村役場や三島小学校など三島村の中心施設も含まれていて、村は消滅しました。
 三島小学校が解体され、児童たちは、二人がけの机を隣の立田村の立田小学校に運びました。
 津波、洪水の時に村人が避難し、命山と呼んでその信を集めた室岡山(命山。標高二八・二メートル)には、坑道が掘られ、爆弾で崩されました。豊かな農をもたらした秋田川も埋め立てられました。
 飛行場建設の最中の四一年十二月八日、昭和天皇はアメリカ、イギリスなどとの戦争を始めました。
 いま、南国市の高知龍馬空港の外の南側に日章開拓農業協同組合が一九八五年三月にたてた「開拓記念碑」がたっています。
 そこには三島村接収の時のことが刻まれています。
 「この地は…元の三島の里である 沃土は農を興し、黒潮に恵まれて文化の香り高く、県下屈指の優良村として栄えた。…(その三島村が海軍の基地建設用地になり)総面積二千百八十四反を接収、二百六十三戸、千五百余の住民ら急遽(きゅうきょ)撤去を命ぜられる。人々互いに別れを惜しみ父祖の霊位を抱き、慌ただしく村を去る」 

   ☆  ★ 

 一九四四年六月、いまの南国市の前浜地区、久枝地区の五十七万四十二平方メートルも接収されました。高知海軍航空隊の掩体壕と誘導路(幅約四十五メートル)を建設するためです。
 掩体壕や誘導路の建設には、地元の女性、高知市内の中学校の生徒、高知刑務所の受刑者、強制的に日本に連れてこられていた朝鮮人も駆り出されました。
 掩体壕と誘導路は網の目状に結び、航空隊内の滑走路に通じさせました。
 いま、地元では南国市の七基の掩体壕に番号をつけています。
 七号掩体壕は、大湊(おおみなと)小学校(元・前浜国民学校)のすぐ北にあります。
 動員されていた高知市の私立土佐中学校の三年生の生徒たちは、この掩体壕づくりの作業をしました。
 高知海軍航空隊の兵舎に泊り込んで作業しました。
 兵舎の廊下を拭く作業をサボっていたら「海軍精神注入棒」が尻にとんできました。
 掩体壕は、こうしてつくりました。
 土で掩体壕と同じ大きさの小山をつくります。そして、大勢の人々がその上にあがって踏み固めます。固めた土の上に、むしろやセメント袋などを敷き詰めます。土の上にセメントを流し込み、塗り固めます。セメントが固まったら、中の土をすべて取り除きます。こうして掩体壕ができあがります。
 いま、この掩体壕の内側には、つくったときの、むしろとセメント袋の跡がはっきり残っていす。
 この掩体壕は、農道と農業用水路の真上につくられました。
 海軍高知航空隊は、この水路のかわりに直径約二十センチメートルの土管を設置しようとしました。
 それでは雨天のときの水はけが悪く、上流の田んぼに支障が出そうでしたので、地元の農民たちが海軍航空隊側に、もっと大きな径の管に取りかえてほしいと申し出ました。
 相手の技術責任者は「何をいうか、お前たち。敵は一刻も待ってくれないぞ。そんなことが聞けるか。お前たちは非国民か。二度というな。帰れ」と、農民たちを追い返しました。
 戦後、農民たちは、この掩体壕の後部を打ち抜いて、道と水路を通しています。

   ☆  ★ 

 南国市に残る小山のような七つの掩体壕は、いまの私たちにいろんなことを語りかけてくれます。
 一号掩体壕は、アメリカ軍のグラマン艦上攻撃機によって激しい機銃掃射を受けた大小合わせて約六十個の弾の跡がついています。
 一九四五年三月十九日、アメリカ軍のグラマン艦上攻撃機が三波にわたって高知海軍航空隊を空襲しました。
 この掩体壕の近くの畑で野菜を手入れしていた男性の農民二人、動員されていた生徒約三十人は掩体壕に逃げ込みました。
 グラマン機は掩体壕すれすれに飛んできてバリバリ、バリバリと機関銃を撃ちました。弾が掩体壕に当たってチュン、チュンと不気味な音をたてます。
 そして、近くの前浜国民学校の玄関前、講堂と校舎の西に爆弾を投下しました。
 前浜国民学校(現在・大湊小学校)は休校でした。同校に出勤していた猪野信意校長、教師の永吉高秀さんは、この爆撃の中、同校の「御真影」(昭和天皇と皇后の写真)、「教育勅語」などの勅語を持って逃げました。
 高知海軍航空隊では戦死傷数人、一式陸上攻撃機と陸上攻撃機銀河が破壊され、格納庫、庁舎、兵舎が一部損傷しました。
 掩体壕(えんたいごう)と誘導路を建設する工事に動員されていた高知市の県立高知城東中学校三年生たちの「合宿飯場小屋」も炎上しました。
 当時、同校三年生だった高橋道久さんは「私もグラマンの一番機に銃撃され、横飛に避けて生まれて初めて赤鬼のような顔の米軍パイロットと相互に目礼しあったしまつでした」と記しています(『高知追手前高校百年史』、発行・高知県立高知追手前高校校友会)。
 南国市は七回、アメリカ軍のB29爆撃機、空母艦載機グラマンの攻撃を受けました。
 高知海軍航空隊には高射砲はありませんでした。七・七ミリ旋回機銃と二五ミリ機銃で応戦しました。
 機関銃を構えるコンクリート製のトーチカは一基でした。
 これは南国市物部の物部川堤防に現存しています。高知高専の南東に当たる場所で、直径一メートルの円筒形。コンクリートの厚さは二十センチです。
 アメリカ軍機三機の撃墜を確認したといいます。
 うち一機のプロペラとエンジンが沖合の海底で見つかり、いまは香美郡吉川村の吉川村天然色劇場で展示されています。

   ☆  ★ 

 高知海軍航空隊の当初の目的は偵察搭乗員の養成でしたが、一九四五年春、アメリカが沖縄県に上陸すると、特別攻攻隊員としての訓練が中心となりました。
 同航空隊に特別攻撃隊「菊水部隊白菊隊」が編成されました。「赤トンボ」と呼ばれていた機上作業練習機「白菊」(乗員は、操縦、偵察の二人)に二百五十キロ爆弾二つを搭載して沖縄のアメリカ艦船に体当たりするためでした。機関銃も装備せず、燃料は片道分だけでした。
 五月二十四日から六月二十五日までの間、「白菊」二十六機が鹿児島県の鹿屋(かのや)基地を経由して沖縄に向け出撃。搭乗員五十二人が戦死しました。
 五月二十七日午後六時四十八分から七時三十七分にかけて十五機の「白菊」が鹿屋基地を発進しました。

   ☆  ★ 

 高知海軍航空隊による被害は、一九四五年八月十五日の終戦後も続きました。
 高知海軍航空隊の送信所(三・七ヘクタール)は、飛行場の北方約五キロメートルの南国市陣山にありました。
 終戦後、同通信所の敷地には、香長平野に駐屯していた約六万五千人の「四国防衛軍」の武器、弾薬が集積されました。
 県の指示、アメリカ占領軍の監督のもと勤労奉仕の人たちが弾丸の中の火薬を抜き取り少しずつ焼却する作業をしました。
 十一月十九日午前、その解体作業中、勤労奉仕の人が一度に多量の火薬をほうりこみました。この火が枯れ草に広がり大きな炎になって燃え広がりました。そして、大爆発がおきました。
 五戸が全壊、四戸が全焼、約千七百戸が半壊しました。
 (二〇〇五年十月十九日)

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