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2005.11.03

総集編 短歌の花だより 春

 春


   オダマキの花に懸想されたよ


 オダマキに 懸想されたか 一日後
 追加の鉢を
 買い込んでいる

 二〇〇五年三月十六日午後、泊まり明け。
 職場の帰りに近所の花屋にいきました。
 「わーっ、すごい」と、いうほど美しい花がありました。
 オダマキでした。
  キンポウゲ科オダマキ属。多年草(耐寒性)。原産地は、日本だそうです(園芸種)。
 翌日夜、また同じ花屋にいってオダマキの鉢を、もう一つ買ってきました。


   アネモネ・シルベストリスの美


 街中(まちなか)の
 喧騒(けんそう)なんぞ ものとせず
 花屋の店先 アネモネ、静か

 二〇〇五年三月二十三日、泊まり明けの午後、職場の近くのスーパーの花屋に、白い美しい花の鉢が置いてあるのを見つけました。
 長い花茎の先端に、一つだけ白い花が咲いています。
 数センチの白色の弁が五つの花です。
 雨に濡れながら、魅入られてたたずみました。
 家に帰って調べました。
 アネモネ・シルベストリスと書いてありました。
 キンポウゲ科、アネモネ属の多年草です。
 花には花弁はなくて、花弁のように見える部分は萼片(がくへん)だそうです。


   ハクモクレンの「私、ここよ!」の声


 突然に 「私、ここよ!」と 声上げて
 ハクモクレンは
 姿現す

 二〇〇五年三月二十五日、東京都小金井市を歩いたら、あちこちにハクモクレンが咲いていました。
 見るものの胸が「きゅん」となるような美しい花ですね。


   ムラサキハナナは風の中で


 乱れ散る 桜のもとで 今、盛り
 ムラサキハナナは
 主役を演じる

 風止まる 一瞬待って
 どアップで
 ムラサキハナナ ばしゃっと取り込み

 二〇〇四年四月一日から店頭表示が消費税額を含めた総額表示に変わりました。この日午後、出勤前に東京都国立市にいって大学通りの桜とムラサキハナナを見ました。
 ムラサキハナナは、アブラナ科ショッカサイ属です。原産地は中国。花は、四弁で紫色です。
 二首目は、府中市栄町でのできごとです。


   桜の花と透けるような青空


 咲き誇る ピンクのバック 真っ青で
 いい絵になってる
 千鳥ケ淵も

 空青く 桜吹雪の 中にいて
 夢見ごこちの
 泊まり明け午後

 去ってゆく 桜を描く キャンバスは
 今、満開の
 微笑みの中

 花の下 寝そべっている 娘さん
 英文法の
 勉強中だよ

 黒い実を 口に入れれば
 「すっぱ、あま」
 オオシマザクラに 「おいしかったよ」

 手を広げ 桜吹雪を 走りぬく
 ピンクの花は
 幸せを呼ぶ

 花吹雪 心につけて
 微笑んで
 泊まり勤務の わが席につく

 降る花を 両手を広げ 受けている
 遅咲き桜は
 ありがたきかな

 また、きっと 来春、会おうね 桜たち
 あいさつしながら
 散る花を見る
 
 二〇〇四年四月三日午後、泊まり明け。東京都千代田区の千鳥ケ淵緑道に桜を見にいきました。一、二首です。
 そして、同年四月九日午後に東京都新宿区、渋谷区の新宿御苑にいきました。三、四首です。
 桜は、バラ科サクラ属の落葉高木群です。
 九月二十九日午後、出勤の途中で、例によって東京都国分寺市の、もとまち図書館の「リサイクル図書」で『さいたさいた百十郎桜(ひゃくじゅうろうさくら)』(作・赤座憲久、絵・田中槇子、新日本出版社)をゲットしました。
 読んで百十郎桜のことを知りました。
 岐阜県各務原市(かがみがはらし)の市内を流れる新境川(しんさかいがわ)の両岸には、川に沿って桜の木が立ち並び、一帯は桜の名所として知られています。
 この桜は、地元出身の歌舞伎役者・市川百十郎が境川放水路の完成を記念して、一九三一年に苗木千本を寄贈したものです。
 「百十郎桜」と呼ばれています。
 三月下旬~四月上旬にかけての「桜まつり」の期間には、市民の花見の場として賑わいを見せます。
 いつか、桜の季節に、この本を持って、ここにいきたいと思っています。
 名鉄各務原線市民公園前駅下車徒歩二分。 JR高山本線那加駅下車徒歩五分。
 十月五日、ネットサーフィンしていて「四高桜」のことを知りました。
 一九四一年四月六日、全国学生漕艇に優勝した第四高等学校(現・金沢大学)漕艇班八人と京大生ら三人は、滋賀県今津町で合宿練習をしていて、琵琶湖を縦断している途中、突風にあおられて遭難。十一人全員が昼前に大溝沖で命を失いました。
 翌年の四二年、妙淋寺で一周忌の追悼法会が営まれ、四高関係者と地元大溝の人たちが協力して、湖岸に千本のソメイヨシノの苗を植え、萩の浜の一角に「四高桜」と銘した石碑を建てました。
 二〇〇一年、「四高桜」を調査した結果、枯死した木も含め、百七十七本あることが判明しました。
 二〇〇二年、「四高桜」が、県道拡幅工事のため姿を消すこととなったので、百十二本を湖岸の別の場所に移植し、その後、樹勢の衰えたものは伐採され、現在残るのは十七本だけになっているということです。
 二〇〇三年二月十八日、身近な自然として「四高桜」を守り育てることを目的に「四高桜を守り育てる会」が設立されました。
 碑は、JR湖西線「近江高島駅」下車、タクシー五分の所にあります。御問い合せ(事務局)は、高島観光協会。電話:0740-36-8135  FAX:0740-36-8159。
 「琵琶湖哀歌」(作詞・奥野椰子夫、作曲・菊池博)は、四一年、この事故を悼んで作られた歌です。

 一、遠くかすむは 彦根城
   波に暮れゆく 竹生島(ちくぶじま)
   三井(みい)の晩鐘(ばんしょう) 音絶えて
   なにすすり泣く 浜千鳥

 二、瀬田の唐橋(からはし) 漕(こ)ぎぬけて
   夕陽の湖(うみ)に 出で行きし
   雄々しき姿よ 今いずこ
   ああ青春の 唄のこえ

 三、比良の白雪 溶けるとも
   風まだ寒き 志賀の浦
   オールそろえて さらばぞと
   しぶきに消えし 若人よ

 四、君は湖の子 かねてより
   覚悟は胸の 波まくら
   小松ケ原の 紅椿(べにつばき)
   御霊(みたま)を守れ 湖の上

 二〇〇四年五月二十二日午後、東京都新宿区の新宿御苑を散歩しているとカラスたちが、盛んにオオシマザクラを「攻撃」しているのに出合いました。
 よく見ると攻撃ではなしに、この木の実を食べているのです。
 サクランボのような赤い実、紫になった実、黒紫の実とありますが、カラスは黒紫のものをついばんでいました。
 僕も黒紫を食べてみましたが、唇が紫になってしまいました。
 オオシマザクラは、バラ科サクラ属。一重の白い花を咲かせます。
 六首目は、二〇〇五年四月八日。東京都三多摩の野川公園で。
 この日、ここで見た桜で一番気に入ったものです。
 翌日午後。ある人に「どこどこの花見をしたの?」と「追及」されましたが、ことしは、まだ、新宿御苑、野川公園、井の頭公園、神代植物公園のみです。
 八首目は、同年四月十八日、東京都三多摩の東京都立武蔵野公園で。
 野川に沿って残る草原や雑木林を配した公園です。
 桜が約千本あります。ヤマザクラ、ソメイヨシノ、サトザクラなど。
 いまが盛りです。
 武蔵野公園は、ここです。
小金井市前原町二丁目、東町五丁目、府中市多磨町二丁目。JR武蔵小金井駅北口から京王バスの多麿霊園・多磨町行き、「多磨町」下車、徒歩三分。京王線調布駅北口から武蔵小金井駅行き、乗車二十五分「武蔵野公園」下車。JR武蔵小金井駅北口から調布駅行き乗車二十、「武蔵野公園」下車。
 七首目は、二〇〇五年四月十四日、神奈川県横須賀市で。


   ヒメリンゴの花が降り積もる


 ヒメリンゴ 白い花びら
 バイクにも 降り積もっていて
 わが庭の春

 二〇〇四年四月のことです。
 玄関の右手にヒメリンゴの木があります。咲いたなと思っていたら、数日たったら散り初めて、玄関の前の庭を真っ白にしました。
 ヒメリンゴは、バラ科リンゴ属の落葉低木です。花は、つぼみのときは紅色で、開花して白色になります。リンゴを小さくしたような実をつけます。


   ハナニラは「春の星花」


 英名は 「春の星花」
 なるほどね
 緑宇宙の ハナニラを見る

 ハナニラが 上水沿いに 群れ咲いて
 迎えてくれる
 夜の散策

 ハナニラの 香りの中に 一人いて
 地上の星々
 写し撮ってる

 二〇〇四年三月から気にかかっている花は、ハナニラです。
 この年になって初めて知った花です。
 わが家の隣の家の塀の所にも咲いています。
 妻、めいと東京都新宿区、渋谷区の新宿御苑にいった時にも群生していました。
 夜中、JR中央線三鷹駅から玉川上水に沿って散歩した時にも土手に群生していました。
 三首目は、二〇〇五年四月十六日午後、東京都国分寺市東元町二丁目で。
 ハナニラは、ユリ科イフェイオン属です。多年草。草丈十-十五センチメートル。花色は、青、白です。春早く星をちりばめたように開花することから、英語ではspring starf-lower(スプリングスターフラワー)というそうです。


   フジの紫の花が咲き誇る家


 バック、青
 ベランダおおい 咲いている
 一本の木の フジの花々

 東京都国分寺市東元町のNさんの家は、がっしりした三階建て。その家の二階のベランダを囲うようにフジの花が咲いていました。よく見ると庭の一本の木が、そういうふうに広がっているのです。青空を背景に、紫の豊かなフジの花がそよぎます。絶景です。Nさんって、いい意味で、ずいぶんぜいたくな人だなあと感心しました。
 二〇〇四年四月二十四日朝に、この絶景を「発見」。次の日の朝も見にいきました。
 フジは、マメ科フジ属です。花の色には、紫 、白、薄紫、桃があります。


   キンランの花の微笑み


 ほの暗い 雑木林(ぞうきばやし)の 中にあり
 微笑んでいる
 キンランの花
 
 二〇〇四年四月二十六日。休日。午後、東京都府中市の浅間山(せんげんやま。標高八〇メートル。浅間町四丁目、若松町五丁目)にいきました。
 ムサシノキスゲが、もうあちこちに咲いていました。
 ムサシノキスゲは、ニッコウキスゲの変種で低所の乾地におりた型。ユリ科ワスレグサ属の多年草です。オレンジ色の花です。  
 シャガ、キンラン、ギンラン、それに「名前を知らない花」が咲いていました。
 キンランを、四カ所で撮影しました。
 キンランは、ラン科キンラン属の多年草です。原産は、中国、朝鮮半島、日本(本州・四国・九州)。
 浅間山までの交通は、JR中央線「武蔵小金井」から京王バス府中行き「浅間町」下車、徒歩三分、または、西武多摩川線「多磨墓地前」下車徒歩十五分。


   エンドウの白いチョウの花


 庭の隅 エンドウたちに 水やれば
 花が咲いてる
 白いチョウチョウ

 二〇〇四年四月二十六日午後、オートバイのミニ旅行からわが家に帰りついて、庭のエンドウ(豌豆)に花が咲いていることに気付きました。
 この年の一月、高知県に住む弟が種をまいていったものです。
 エンドウは、地中海原産のマメ科のつる性越年草です。
 エンドウの花は、白っぽいものとか、赤っぽいものなどいろいろあるようです。
 ところで、この日、庭にヤマユリが二つ芽吹いていることに気付きました。僕の植えたものです。
 この初夏には花が楽しめるでしょうか。


   ツツジは花に雨をたくわえて


 花びらに
 雨つぶいっぱい たくわえて
 小公園の ツツジ輝く

 朝もやを わけて輝く 白ツツジ
 妻と一緒の
 秋の宝登山

 二〇〇四年四月二十七日午後、東京都国分寺市の元町公園で。
 傘がそりかえるほどの強い風雨の中、たくさんのツツジが咲き誇っていました。紫、ピンク、白。
 僕は、この公園を勝手にツツジ公園と呼ぶことにしました。
 ツツジは、ツツジ科です。
 十月十一日。結婚記念日。一九七〇年十月十一日結婚ですから、すごーく長い日々をともに過ごしていることになります。
 この日朝、二人は埼玉県の長瀞(ながとろ)駅前にいました。
 不動寺でナデシコの花を見て、宝登山ロープウェイへ。ここの入口右手に桜が咲いていました。種類は不明ですが、この時期になぜか桜です。
 山頂駅に着いて歩いていると白いツツジの花がいっぱい。
 なぜ、いまの時期に。
 後で地元の人に聞いたら五月にも咲いたそうです。
 宝登山動物園を見ました。
 そして、ロープウェイを下りて旧新井家住宅を見ました(これは「マイフォト」にアップしました)。
 そして、長瀞駅近くのラドン温泉で戸田劇団の時代劇と歌謡ショーを見ました。
 結婚記念日とあって妻に贈り物を「買ってもらって」、この日が過ぎ去りました。


   ニセアカシアの花は白いフジ


 ニセなんて 人間どもは 名づけたが
 私は私
 ニセアカシア、白

 登り坂 たもとの左 「白いフジ」
 見上げて、ゆっくり
 一歩踏み出す
 
 東京都府中市の浅間山に咲いていた「名前を知らない花」は、ニセアカシアでした。
 マメ科の落葉高木。北アメリカ原産。白く垂れ下がって咲く、フジに似た花が特徴的です。
 二〇〇四年四月三十日朝、東京都国分寺市南町の坂のたもとの四本の、この「白いフジ」に気がついたのが最初の出合いでした。
 詩人、童謡作家の北原白秋(きたはら・はくしゅう)さん(一八八五年一月二十五日ー一九四二年十一月二日)の「この道」は、彼が札幌を訪れた際に郷里・福岡県の柳川のニセアカシアを思い出して作ったものだそうです。

 この道はいつか来た道
 ああ そうだよ
 あかしやの花が咲いてる

 あの丘はいつか見た丘
 ああ そうだよ
 ほら 白い時計台だよ

 この道はいつか来た道
 ああ そうだよ
 お母さまと馬車で行ったよ

 あの雲もいつか見た雲
 ああ そうだよ
 山査子(さんざし)の枝も垂(た)れてる

 歌の中のサンザシは、バラ科サンザシ属の落葉低木です。春に白い花を咲かせます。成熟した果実は赤色や黄色で食用にもなります。


   オドリコソウは風に抱かれて


 菅笠(すげがさ)で 顔おおってる
 オドリコソウ
 優しい風に 抱かれ踊る
 
 「花のある風景の中にいない日」が二日も続くとイライラしてきます。
 「まわりの空気が薄くなって息苦しくなるといった感じ」です。
 ということで、二〇〇四年四月二十九日は午前中からオートバイを駆って東京都三多摩の東京都立野川公園へ。
 この公園の売店で軽食を取って、自然観察園へ、というのがいつものコースです。
 ここで地べたに座り込んでオドリコソウ(踊り子草)と約二時間付き合いました。
 オドリコソウは、シソ科オドリコソウ属の多年草です。
 同じシソ科オドリコソウ属の仲間にヒメオドリコソウがありますが、これはヨーロッパ原産の帰化植物です。花の姿はオドリコソウとよく似ていますが、花の色は濃いピンクです。
 写真を撮っていると何人もから「何という花ですか」と聞かれました。あまり知られていないんですね。
 なお、都立野川公園への交通は、西武多摩川線「新小金井」または「多磨」下車徒歩十五分、京王バス(調布-武蔵小金井)「野川公園一之橋」下車、小田急バス(三鷹-武蔵小金井)「野川公園一之橋」下車、小田急バス(三鷹-朝日町・朝日町三丁目・車返団地)です。


   リンゴツバキがひかえめに咲く   


 半開き うつむきかげんの 赤い花
 リンゴツバキが
 ひかえめに咲く 

 二〇〇五年一月十二日午後、フィリピン旅行から帰ってから最初の出勤。また、「ヘビーな日常」が始まりました。
 翌十三日午後、泊まりの仕事が終わり、ひさしぶりに東京都の新宿御苑の温室に。
 温室に入ると甘い果物のにおい。これが好きです。
 初めてリンゴツバキの花に出合いました。
 一重の真っ赤な花弁です。花びらはわずかに開くのみです。円錐形の奥から黄色い雄しべがのびています。
 うつむき加減に咲く清楚な印象の花です。
 日本での平均的開花時期は四月ごろといいます。
 果皮の厚い五~七センチメートルの果実をつけます。
 ツバキ科ツバキ属。別名・ヤクシマツバキ。
 中国地方や四国、九州、沖縄などに自生します。


   アザミの花が群れ咲く田んぼ


 アザミ咲く 田んぼの上を
 こいのぼり
 五十四匹 グングン、泳ぐ

 アザミ咲く 浅間山(せんげんやま)の
 陥没壕(かんぼつごう)
 侵略の傷 いまもうずくか

 二〇〇四年四月二十九日午後、東京都立野川公園から近くの東京都三鷹市・ほたるの里三鷹村(大沢二丁目一七番付近)にまわりました。
 短歌は、そこの風景です。
 アザミは、キク科アザミ属の多年草です。田んぼいっぱいに咲いていました。
 「ほたるの里三鷹村」は、三鷹市内に散在するハケと緑と湧き水を保全し、あわせてサケが遡上(そじょう)できるような清流の回復を図ることを目的に、一九八八年六月に発足しました。村の組織は「村制」をベースとして、村長をはじめ助役、収入役、事務局で構成しています。会員数二百十人、うち子ども会員は八十人です。
 十月十八日、休日。
 午後一時ころから夕方まで、オートバイで府中市、国立市、国分寺市をまわりました。
 まずは府中市の浅間山(せんげんやま)。
 登り口近くに陥没した跡がありました。
 一応補修しているのですが、先端の所から深い穴に続いています。
 太平洋戦争中、ここは陸軍燃料廠(りくぐんねんりょうしょう)で、たくさんの濠を掘ったということですから、たぶん、その時の濠の一つでしょう。
 この山には高射砲陣地跡も二つあります。
 次は、府中市の押立、白糸台へ。
 ここらは住宅街になってきていますが、まだ田んぼがあります。
 いい気分です。
 そして、国立市のママ下湧水(まましたゆうすい)へ。
 しばらくこないうちに大きな道路ができてしまって、都会の中の田舎という感じでなくなっています。
 でも、湧水は、とうとうとという感じ。
 ペットボトルに入れて飲みました。
 甘い。
 そして、国分寺市の国分寺にいって、ご近所ツーリングはお仕舞い。


   ジシバリに託した伊藤千代子の「生」


 ジシバリの 花に託して
 「生」を問う
 伊藤千代子の 手紙読む朝

 二〇〇五年四月七日付の「しんぶん赤旗」日刊紙に、伊藤千代子の手紙が紹介されていました。
 一九二九年五月八日、夫・浅野晃の妹・淑子にあてたものです。
 <朝霧にぬれた麦畑や大根畑のひろびろとつづいた野方町からあの岡から谷の辺りはどんなに気持ちいいだろうと私も時々思い出します。ここではね今地しばりの花ざかりです。高い煉瓦(れんが)の塀に沿ってまるい黄色な頭を春風にユラユラゆすぶっています、淑ちゃんは地しばりをご存知じですか、強情な大変力のある面白い花ですよ。ダリアの畑へでも菊へでもおかまいなしにずんずん押し込んでいって肥料を横取りしてしまいます。
 田舎では野菜や桑を荒らすのでお百姓は眼の仇(かたき)にしていぢめています。命あるものはみんなあらん限りに生きようとしているのですね。生きようとするからこそ、その大切な命をも投げ出すのですね。……> 
 <生きようとするからこそ、その大切な命をも投げ出すのですね。>に、ぐっときました。
 伊藤千代子は、一九〇五年七月二十一日、長野県の諏訪の南真野の農家に生まれました。幼くして母と死別。湖南小学校から中州小学校へと転校し、祖父母の援助で諏訪高等女学校(現・諏訪二葉高校)に学び、高島小学校の代用教員の後、仙台尚絅女学校から東京女子大に進みました。
 伊藤千代子は、生活に苦しむ人々に心をよせ、世の中の矛盾と不公平さを許せず、東京女子大学内でカール・マルクスの『資本論』を学ぶなど、社会諸科学研究会で中心的に活動しました。
 郷里では初の普通選挙をたたかう革新候補の藤森成吉を支援、岡谷の争議、山一林組の製糸工女らを激励しました。
 一九二八年二月末、日本共産党に入党。二十二歳でした。党中央事務局で文書連絡や印刷物の整理などの活動を始めました。
 同年三月十五日、党印刷所に出向いたところを特高警察に襲われて逮捕されました。
 治安維持法による野蛮な弾圧で逮捕、市ヶ谷刑務所に投獄されます。
 千代子は獄中での狂暴な拷問や虐待にも屈せず、同志を励ましたたかい続けました。
 はじめの手紙は、一九二九年五月八日、市ヶ谷刑務所からのものです。
 ジシハリは、キク科ニガナ属の多年草。別名は、イワニガナ、ハイジシバリ。
 細い茎が地面を這い、茎から根を下ろして増えるので地面を縛るように見えます。葉には柄があり、葉身は円形もしくは楕円形で長さ一~三センチメートル。花は黄色の頭花で直径二~二・五センチメートル。四月から六月にかけて花を咲かせます。
 伊藤千代子は、獄中で党員の夫の天皇制政府への屈服を知り、衝撃を受けますが、同調を拒否します。
 一九二九年八月、市ヶ谷刑務所で拘禁精神病を発症し東京の松沢精神病院に移送されます。そして、それから一カ月ちょっとで、肺炎で亡くなりました。
 一九二九年九月二十四日のことです。二十四歳でした。

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