二〇〇五年十二月十七日。
土曜日でも仕事。朝、高知駅を高速バスで出発し、JR高松駅に。
途中で雪が降り始めました。
高松駅の構内に「連絡船うどん」というのがあるのを「発見」(駅の外からも入れます)。
「おーっっっ」という感じで入って「きつねうどん!!」。
うまい。
あの、「いまはなき」宇高連絡船(高松市、岡山市間)のデッキでやっていた店だということです。
栄光のうどん屋です。
初めてあのうどんを食べたのは、一九六五年夏、高知大学一年生のころだったと思います。
京都市の学生で学生の集会があって、先輩たちと参加しました。
そのとき、ここのうどんを食べて「うまーい」。
その後、名古屋市での学生の集会、東京での学生の集会などに参加するたびに、ここのうどんのお世話になりました。
東京に出て、高知市出身の後輩と結婚し、「里帰り」や仕事で高知に帰るたびにお世話になりました。
連絡船好きでした。
デッキのうどん好きでした。
それがいつの間にか消えていきました。
宇高連絡船のうどん その後
二〇〇五年十二月二十日。
宇高連絡船のうどんについてフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』が面白いことを書いていました。
以下、引用。
宇高連絡船(うこうれんらくせん)とは、岡山県玉野市にある宇野線宇野駅~香川県高松市にある予讃線・高徳線高松駅間を航行し、 日本国有鉄道(国鉄)・四国旅客鉄道(JR四国)が運営していた鉄道連絡船。
ホバークラフトによる「急行」も運航されていた。
1988年(昭和63年)4月10日、本四備讃線(瀬戸大橋線)が開業したことから、前日限りで普通便とホバー便の運行は廃止され、宇野周辺の利用者のために残された高速艇の運航も1990年(平成2年)3月に休止、翌年廃止となり、国鉄・JR四国の運営した「宇高連絡船」は消滅した。
なお、平行して運行していた他の会社(四国フェリー・宇高国道フェリー)の宇高航路は、瀬戸大橋の道路の通行料が高いことなどから今でもトラックドライバーなどから愛用され、存続している。」
宇高連絡船の思い出としてよく語られるのは、連絡船デッキで販売されていた讃岐うどん。宇野から高松へ向かう船の中で食べるうどんは、茹でてから数時間経っているため、味は最高のものではなかったが、故郷へ帰る香川県民はもとより四国島民にとって、ふるさとへ帰ってきたと実感させる特別な食べ物であったようだ。船上ではないものの、高松駅構内で「連絡船うどん」の名で現存しているが、あくまで当時の味を「再現」しただけのものであり、麺はJR四国グループの製麺/うどん店「めりけんや」が作ったもの。当時と同じ製麺所から仕入れている麺ではない(連絡船に麺を納入していた製麺所は現在も営業を続けている)。このため、「ホンモノではない」という声も多い。
ホンモノが食べることができるのは、どの店?
僕のイメージは、甘辛いあぶらげ、スマキのスライスしたのが二つ、ネギのみじん切りが入ったものです。
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