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2006.01.26

四国、よいとこ 254 徳島市 「死ぬときは所詮(しょせん)一人よ」という短歌をめぐって。

 二〇〇六年一月二十六日。

 ずいぶん迷いましたが、やっぱり書いておくことにしました。
 二十四日付の徳島新聞に載っていた、つぎの短歌のことです。

 「死ぬときは所詮(しょせん)一人よ」と主婦たちの回転寿司(かいてんずし)の皿が増えゆく

 徳島市の森野和代さんの作品です。
 なんという虚無的な、なんという「はみかえった(土佐弁です)」、たくましいシーンでしょうか。

 「」の中のこと、つまり死については高知県伊野町天神町四丁目に住んでいた学齢前からつきつめて考えていました。
 五歳くらいの時のことだと思いますが、夜、このことを、つきつめて考えすぎて、「消えてなくなる!!!! なんにも考えなくなる」ということが、ものすごく怖くなって「わーっ!!!!」と叫んで町内を走り回ったことがあります。

 ま、どんなにあがいても、いずれは「無」になりますが、そのことの確認もしながら、懸命に回転寿司の皿を増やすことにしましょう。

 でも、生きている限りは、世の中がなんとか前に向かって進めるように、そのために僕なりの力を発揮できるようにと思います。
 東京都に住んでいる妻も、きっと、そう思って、今夜も走っていることでしょう。
 本日夜、携帯電話をコールしたら「会議中」ということで連絡を絶ちました。
 がんばれ。わが愛妻。

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