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2006年1月

2006.01.01

四国、よいとこ 209 二〇〇六年、ゴー。

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 二〇〇六年です。お元気ですか。

 元日は「二十四時間プラス一秒」だそうですね。「一秒」でも、なんか得した気分です。
 ことしも、よろしくお願いいたします。

 日照りにも 雪にもめげて
 たっすいが
 四国の仕事 楽しんでいる

 二カ月で 五十九歳か いい歳だ
 金髪頭を
 鏡に映す

 戦争の おろかさ伝える
 掩体壕(えんたいごう)
 機銃の跡に 悲鳴聞いてる

 あの日から ピースライブは 十四回
 高知の人の
 確かな足取り

 靴脱いで ステージを跳ぶ 十九歳
 ロックの心は
 愛と平和と

 土佐弁で 平和の憲法 読み上げる
 二十二歳の
 穏やかな顔

 九条を 守れの署名
 各戸ごと 訴える群れ
 清水も十和も

 この四国
 チェルノブイリに するつもり?
 プルサーマルの その手をとめよ

 よれよれに アイロンかけてる
 妻がいる
 単身夫(たんしんおっと) お世話になってる

 元日は 二十四時間 一秒で
 なんだかめでたい
 二〇〇六年
  
 「たっすい」は土佐弁で「弱い」という意味です。
 掩体壕は、軍用機格納庫のこと。高知県南国市に七基残っています。
 高知県土佐清水市、十和村(とうわそん)の「九条の会」に感激しまました。

 写真は二日、高知城からのものです。

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2006.01.04

四国、よいとこ 210 あったかい年賀状

 結婚の 写真刷り込む
 年賀くる
 「おお、とびきりの 幸せ笑顔」

 こころざし 四十四年 貫いて
 いま次の道
 先輩の顔

 「わが家(や)にも おいでください」
 年賀あり
 優しい言葉が しみる、このごろ

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四国、よいとこ 211 高知市 「成積をよくしたい」 のミス

 二〇〇六年一月二日。

 妻と高知市内を散歩。
 ある神社にいったら、そこの絵馬に「成績がよくなるように」ということを書いたものが三つありました。
 うち二つが「成積」と書いてありました。
 妻が見つけたものです。
 「よく、このミスがあるのよ」
 妻は、中学校の国語教師です。

 絵馬を見て 用字用語を チェックする
 妻、ベテランの
 国語の教師

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四国、よいとこ 212 愛媛県宇和島市 携帯電話ボックス

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 二〇〇六年一月四日。

 朝、愛媛県の宇和島駅にやってきました。
 出張です。
 改札を出て、すぐ右に公衆電話ボックスのようなものがありました。
 携帯電話ボックスでした。
 要するに、この中に入って電話するとほかの人の迷惑にならないし、まわりの音も入らないというものです。
 実際に使わせていただきました。
 うん、なかなかいい。

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2006.01.05

四国、よいとこ 213 いびきと抱き枕との関係…。

 二〇〇六年一月五日。

 いびきのことを話していたら、「抱き枕をして、横になって寝れば大丈夫」という話がありました。
 効き目があるかどうか。一時、買ってみることにしました。

 いびきをかかなくなるにはどうすればいいか、ご存知の方、教えていただけませんか。

 追伸

 とにかく、「いびきに悩まされずに、ぐっすり寝たい」が僕の熱望です。
 シングルベッドに寝ていましたが、ダブルの布団に寝ることにしました。
 ずいぶんいい感じです。
 九日には、抱き枕を買い込みました。
 確かに、いびき防止にはいいようです。
 が、気がついてみたら「天向いて」いびきを寝ています。

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2006.01.07

四国、よいとこ 214 高知市 中学生の時の同学年生二人とあったよ。

 二〇〇六年一月六日夜。

 高知市で開かれたある新年会にいったら、中学生の時の同学年生二人(いずれも男性)がきていました。
 かつての少年たちも、ことしは五十九歳、六十歳になります。
 「○○君は、がんで…」
 「○○君は、痴呆症になって…」
 八日には同窓会があります。
 「ぜんぶで七十人くらいくる予定。大阪の○○さんもくる」
 楽しみです。 

 中学生のころから世話になったT夫妻、大学生のとき世話になったO夫妻もきていました。
 「あんなにやせていたのに、こえてしもうてわからざった」
 「金髪にしちゅうきわからざった」

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四国、よいとこ 215 高知市 「数センチ雪乗せて着く下りの列車…」

 山あいは 雪の最中か
 数センチ 雪乗せて着く
 下りの列車

 二〇〇六年一月七日午前八時前、JR高知駅のホームで。
 午前八時発の上りの列車に乗ったら、しばらくして降雪のシーンに遭遇しました。

 ぽかぽかの 列車の中から
 山々の 雪景色見る
 ぜいたくな時

 岡山駅についたら下りの新幹線は十一分遅れ。「米原の雪のため」とか。

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四国、よいとこ 216 香川県丸亀市の、しょうゆ豆。 

 二〇〇六年一月七日。

 このところ、「おいしいもの」にこだわっています。
 で、今夜は、ある人にいただいた「さぬきの郷土料理 しょうゆ豆」をいただいています。
 ソラマメの加工品です。
 これは丸亀市の株式会社大西食品のものです。
 ひとことでいって「うまい」。
 
 実は、マメはあまりすきでありませんでした。
 しかし、これは、いい。
 つまみながら「ちょっと一杯」というのも可能なほどのじぶい味、おとなの味ですね。

 おいしいものをつくってくれて、提供してくれる人々に感謝!!!!

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2006.01.09

四国、よいとこ 217 高知市 マッサージ機の力。

 二〇〇六年一月八日。

 午後、高知市内の電気器具量販店に。
 デモンストレーション中のロボットのようなマッサージ機を利用。
 三十分間も。
 うーん、いいです。
 高くて買えないけど‥‥。
 日曜日の、こんな楽しみもあるのかと発見しました。

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四国、よいとこ 218 高知県いの町 音楽歌舞団カチューシャがやってきたころのこと

 二〇〇六年一月八午後。

 高知県いの町の旅館で、われらの町立伊野中学校の同窓会がありました。ことしから来年にかけて還暦を迎える学年です。
 いくつか思い出したことや発見がありました。

 ○ 町立伊野小学校の五、六年の時、小学校の講堂で音楽歌舞団カチューシャの公演があり、全校児童が見ました。
 「リンゴの花ほころび 川面にかすみたつ‥‥」という歌もうたいました。
 団員の中に伊野町出身の三宮(さんのみや)さんという若い女性もいました。
 同窓生の女性の一人は「魅せられた。ひきつけられた」と語っていました。

 ○ 伊野小学校六年生のとき、あるクラスの女性たちがストライキをやりました。
 「担任の男性の教師が男子にえこひいきする」というのが、その理由です。
 彼女たちは授業をボイコットして、ある級友の家で気勢をあげたということです。
 その時のナンバーツーだった女性いわく。「その家のお母さんが、カレーライスをつくってくれて食べた。おいしかった。ストライキは、一日で終わった」

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四国、よいとこ 219 マイパソコン復活。

 二〇〇六年一月九日。

 マイパソコン復活。
 年末から体調もよくなかったけど、パソコンの調子も最悪。
 デリートがきかない、シフトを使う文字が打てないなどなど。
 「一日たりともパソコンのない生活は成り立たない」状態ですので、超つらい。
 本日夜、またパソコンを使えるようになりました。
 ウインドーXP、OK。
 通信端末、OK。
 インターネット、メール、OK。
 ウイルス退治、OK。
 ワープロ、OK。
 ファクス、OK。
 なんか体調までよくなりそうな感じです。

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四国、よいとこ 220  「野菜をおいしく食べる」の研究(?)。

 二〇〇六年一月九日。

 最近、「野菜をおいしく食べる」の研究(?)をしています。
 料理の基本は、ここにあるのではないかと思うにいたったからです。
 今夜はシマアジのアラを二ケース買ってきました(計二百円)。
 そして、ダイコン一本、ニンニク三個と水炊きに。
 調味料はしょう油だけです。
 なかなかいけました。
 ダイコンがおいしい。

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2006.01.10

四国、よいとこ 221  香川県の小豆島 妻の父が、ここで海軍特別攻撃隊員として‥‥

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 二〇〇六年一月十日。

 仕事で香川県の小豆島へ。
 高知駅前午前七時十分発の高速バスに乗って、高松駅に。そして、フェリーで小豆島の草壁港へ。午前十時半着です。
 三時間二十分です。意外に近いですね。
 一九四五年、妻の父は、ここで五人乗りの海軍の特殊潜航艇の艇長として特別攻撃の訓練をしていました。小豆島突撃隊です。
 アメリカ軍の艦載機に機銃掃射され右肩を撃ち抜かれ、広島県の呉海軍病院に。
 広島市へのアメリカ軍の原爆投下による重傷者が、この病院に運び込まれる中、鳥取県の三朝(みささ)海軍病院に移送され、ここで終戦を迎えています。

 写真は、小豆島の内海町古江の古江湾を望む場所にある「特殊潜航艇基地跡の塔」です。

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四国、よいとこ 222 高知市 「真夜中の月確かめて干している‥‥」

 真夜中の 月確かめて
 干している
 いつもながらの 夜の洗濯
 
 二〇〇六年一月十日夜のことです。
 洗濯は毎日しますが、なぜか夜になってしまいます。
 清潔好きです。
 でもアイロンをする気がしないので、いつもよれよれの物をきています。
 うらぶれた感じですが、それが僕らしいところです。
 ま、月一回、東京から妻がきたときは、たくさんの衣服にアイロンをかけて、二階の一室いっぱいつるして帰っていきますが‥‥。

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四国、よいとこ 223 高知市 韓国映画「アナーキスト」のすごさ。

 二〇〇六年一月十日夜。

 DVDで韓国映画「アナーキスト」を見ました。
 日本の植民地下の朝鮮のアナーキスト、義烈団の物語です。
 舞台は、中国の上海(しゃんはい)です。

 「どちらかか善で、どちらかが悪か」という描き方ではなく、複雑な状況を複雑なままに描いています。
 日本の侵略下の人々の不幸です。

 「あなたたちは天才。日本人と、どこが違うの」

 「われわれが、いまやろうとしていることは、本当に、われわれの理想だろうか」

 「日本人を、いくら殺しても、独立はできん。お前は、英雄ではない。貴様らの理想は、もう終わりだ」

 久しぶりに、胸にどしんとくる、すごいものを見ました。

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2006.01.11

四国、よいとこ 224 尾崎豊さんの「アイ ラブ ユー」を韓国語で歌う。

 二〇〇六年一月十日夜。

 尾崎豊さんの「アイ ラブ ユー」を韓国語で歌っているCDで聞いて感動しています。
 何度も、何度も聞いています。

 「サンンヘヨ」
 なんと美しい言葉でしょうか。

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四国、よいとこ 225 高知市 おしゃれな短歌って‥‥

 二〇〇六年一月十一日。

 午後、ある集まりで横に座った年上の女性が「あなたの短歌って、おしゃれだよね」と、いってくれました。
 なんだかうれしくなりました。

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四国、よいとこ 226 韓国のリーチェさんの歌「オギヨディオラ」(韓国語)

 数十回 「オギヨディオラ」 聞き入って
 一緒に舟を
 ゆったりとこぐ

二〇〇六年一月十一日夜。

 韓国のリーチェさんの歌「オギヨディオラ」(韓国語)をリピートで何度も何度も聞き込んでいます。
 オギヨディオラは、船頭の掛け声だそうです。
 歌の世界に吸い込まれていきます。
 いい。ものすごくいい。こんないいものがあったんだ。
 こんな意味です。

 黒く透きとおった あなたの瞳
 額を伝う 汗のしずく
 私の背中は 紅い土
 種をまいてみようか

 陽はのぼり 沈む 月ものぼり沈む
 流れ流れて どこに行くのやら
 陽はのぼり 沈む 月ものぼり沈む
 その天球を 漕ぎ渡ってゆく

 オギヨディオラ
 オギヨディオラ

 動きをとめた風 雨もあがった
 さあさあ 舟をこげ

 天空の星も 大地の花も
 ひそやかに わが道を 生きてゆくように

 ふと気がつけば 河が微笑みかけている
 私たちも 微笑みがこぼれる
 捨てて 捨てて 忘れて忘れて

 風が動きはじめる 雨がおちてくる
 さあさあ 舟をこげ

 風が動きはじめる 雨がおちてくる
 さあさあ 舟をこげ

 オギヨディオラ
 オギヨディオラ

 英語バージョンもあります。


 Your eyes are clear enough to see through
 The drops of sweat shimmer on night the sky
 Finding delights will leads you to the light
 It never shines when you stop and cry

 Sun is rising and down
 Moon does all the same dance
 Roads tell us how to reach the sky
 Sun is rising and down
 Moon does all the same dance
 Roads in between us become one

 Ogiyodiora
 Ogiyodiora

 See,the wind blows back,and the rain comes close
 So why don't we row the boat again

 Even stars are living on there own
 With shining all secrets without any lines
 From one by one,we have different breath
 But,now there is no yours and mine

 Sun is rising and down
 Moon does all the same dance
 Roads tell us how to reach the sky
 Moon does all the same dance
 Roads in between us become one

 If you find out the smile of the river,one day
 Means that our smile's come,too

 Forget I do,forget we do and through all away

 See the wind has gone,and the rain faded out
 Why don't we row the boat again
 See the wind blows back,and the rain comes close
 So,why don't we row the boat again

 Ogiyodiora
 Ogiyodiora


 日本の映画「がんばっていきまっしょい」(一九九八年)の主題歌にもなったそうですね。

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2006.01.12

四国、いいとこ 227 高知市 「揉貫(もみぬ)き井戸」って、どんなもの?

 二〇〇六年一月十二日。

 朝、自転車で高知市の新堀川の桜井橋の所を通ったら、橋のたもとに「桜井跡」という高知市教育委員会の看板がありました。
 この近くに桜井と名づけられた「揉貫(もみぬ)き井戸」があったといいます。
 その看板の要旨。

 中新町(旧町名)は元来、潮田を埋め立てた町で、井戸の水質は極めて悪く、住民の半ばは江の口川上流に堰(せき)をつくり、川水を飲料水としていました。
 その解決のため、土佐藩十代藩主・豊策(とよかず)の城下町奉行・馬詰権之助親音(いまづめもとね)は、一八〇〇年に近江国(滋賀県)の井工四人に土佐で初めて「揉貫き井戸」を掘らせたところ清水が湧(わ)き出たといいます。
 当時、井側に桜樹があったことから桜井と名づけ、その由来を刻んだ記念碑を建てたといいます。

 きょうは気がつきませんでしたが、ホームページを見ると、車道の真ん中に、十センチ四方ほどの「櫻井跡」と刻まれた石が埋め込まれていたということです。いまでもあるでしょうか。

 ところで、この「揉貫き井戸」というのは、どんな工法で掘るのでしょうか。
 なぜ、ここで近江国の井工がでてくるのでしょうか。

 追伸

 一月十五日朝、もう一度現場にいってみました。
 ありました。
 まさに道路の真ん中に「櫻井跡」の石が埋め込まれていました。

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2006.01.15

四国、いいとこ 228 高知市 若者たちは自分の未来をつかもうとしています。

 二〇〇六年一月十四日。

 十三日、十四日と、平和のために行動している高知市の青年たちと話しました。

 ことし大学を卒業する予定で大学院に進学しようと勉強している女性。
 ことし調理師学校を卒業してカナダに勉強しにいこうとしている女性。
 ことし韓国に映画のことを勉強しにいこうとしている男性。この人は、発言することがすべて詩になっている、天性の詩人です。
 今月上演される芝居にでるということで、その成功のために一生懸命になっている女性。

 話を聞いていてうれしくなりました。
  「うん、がんばってるね。いい未来をひらいてね。心の中で応援してるから」
 そんな声をかけたいと思いました。

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四国、いいとこ 229 「みんなの笑顔と、天丼と、憲法九条」

 二〇〇六年一月十四日。

 横浜市の二十代の女性から素敵な年賀状をいただきました。

 九十一歳の祖父の言葉が書き込まれていました。
 彼に好きなものは何かと尋ねると、「みんなの笑顔と、天丼と、憲法九条だ」といったというのです。
 うーん。すごいおじいちゃんですね。
 おじいちゃんと彼女に乾杯。

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四国、いいとこ 230 高知市 芋けんぴのピラミッド

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 二〇〇六年一月十五日。

 朝、高知市の、ひろめ市場前を通ったら「芋けんぴのピラミッド」がありました。
 うーん、すごいデコレーションです。

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四国、いいとこ 231 高知市 ヤマモモの木を二本買ったよ。

 二〇〇六年一月十五日。

 高知市の日曜市でヤマモモの木を買いました。
 二本で四千円。

 さっそく、わが家のちいさな、ちいさな庭に植えました。

 五年たったら実がなるとのことです。
 五年か。
 たぶん、五年後には、いま住んでいる家にはいないと思います。
 次の家、ついの住みかに持っていくことになるかも知れませんね。

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四国、いいとこ 232 NHK総合テレビの「巧名が辻」は、けっこう面白いらしい。

 二〇〇六年一月十五日。

 NHK総合テレビの「巧名が辻」は本日で二回目。
 原作と違ってよさそうですね。

 原作は、「巧妙に」人を殺しぬき出世していく話ですが、テレビでは戦争に批判的とか。
 テレビでは、千代が戦争反対なのです。

 これは、妻の評価ですが。

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2006.01.17

四国、よいとこ 233 高知市 旭さん、ルリ子さんの映画「大草原の渡り鳥」を見たよ。

 二〇〇六年一月十七日。

 やっほー、休みだよ。
 いい天気。
 洗濯をして干しました。
 さぁ、自転車で市内めぐり。
 帯屋町でパソコン用の通信エッジの解約。
 喫茶。
 ひろめ市場で五百円の定食。
 やっぱり職場にいって仕事。

 こんなことをしていては休みにならないと、ついに、あたご劇場へ。
 二本立ての映画を見ました。

 一本は、日活の「大草原の渡り鳥」(一九六〇年)。小林旭さんの渡り鳥シリーズの第五作です。
 小林旭さん(滝伸次)、宍戸錠さん(ハートの政)、浅丘ルリ子さん(清里順子)、白木マリさん(セトナ)、南田洋子さん(和枝)という面白いキャスティングです。

 あらすじは、以下のとおり。

 北海道の摩周湖の尾根道を、ギターを持った滝伸次と少年・越谷信夫の馬が釧路へ向います。
 (カウボーイのような帽子をかぶった長身の青年が、ギターと拳銃を持って馬で旅行しているという設定がすごい)
 信夫の母親・和枝を訪ねてきた伸次は、釧路に着いた夜、和枝がマダムになっているキャバレー「ブラック・ベア」に流しに入りました。和枝はボスの高堂と出張中で留守でした。
 高堂は東京から直行した旅客機がつけられるような飛行場を作ることを計画していました。それには邪魔になるアイヌ部落を取払わねばならりません。高堂のアイヌ部落襲撃は日ましに激しくなりました。
 伸次は民芸研究家の順子とともに、アイヌ部落を守ることにしました。
 (アイヌをいじめ、自然を壊す銀行や暴力団は悪だ、アイヌや美しい自然は守るべきだという正義の主張です)
 アイヌ部落が世話になる清里硫黄精練所に殺し屋風の男・政がやってきました。高堂が清里に貸した二百万円の取立てにきたのです。
 乱暴を働らく政を、伸次が止めました。
 (この政も馬に乗って旅をしています。うっそー。それにしても、この映画に出てくるアイヌの習俗と言葉はちゃんと考証されているのかなぁ…。それにしても、アイヌ部落周辺の景色の美しさ。大サービス)
 そんな時、信夫が行方をくらましました。信夫は「親切なおばさんがいた…」と、和枝を母とは知らないままに一時を過してきたのでした。
 返済金の取立てがきびしくなりました。
 伸次は、信夫の養育費としてあずかってきた二百万円を清里にさし出します。
 清里の息子・茂はこの金を持って「ブラック・ベア」に乗りこみました。しかし、賭博場に連れこまれ、たちまちスッてしまいました。
 そこへ、伸次がやってきました。政を相手にし、伸次が勝ちます。伸次の賭博はイカサマでした。政はこれを知っていたのですが、勝ちをゆずったのです。
 高堂は、アイヌ部落の祭へくるであろう伸次と信夫を硫黄精練所へおびき出すことと、そのスキに部落を焼打ちにすることを企みました。
 祭の夜、アイヌ部落は火の海となりました。
 信夫は硫黄精練所の廃坑の中に連れていかれました。
 伸次が拳銃を構えて廃坑に立ちました。背後から狙った茂を、一瞬ふり返って撃ちました。
 伸次と政は高堂を殴ちました。
 近づいたパトカーに「七年前の××銀行強盗は俺(おれ)の単独っていうことになっているが、本当は、その野郎が主犯だ」と政がいいます。
 高堂の腕に手錠がかかりました。
 伸次は信夫を順子に託して、また、旅に出ました。
 (バンバン拳銃を撃ちまくった伸次が、なぜ逮捕されないの。拳銃を持っているだけでも逮捕されそうなのに。不思議、不思議。ラストがすごいよ。小林旭ののびやかに歌う「赤い夕陽よ…」が流れ、夕焼けに包まれた馬と小林旭の映像が涙が出るほどいいのです)

 「赤い夕陽よ…」は、「赤い夕陽の渡り鳥」という歌です。
 「♪赤い夕陽よ 燃えおちて 海を流れて どこへゆく ギターかかえて あてもなく 夜にまぎれて 消えてゆく 俺と似てるよ 赤い夕陽…」

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四国、よいとこ 234 高知市 「花と竜」を見ました。

 二〇〇六年一月十七日。

 あたご劇場の続きです。

 もう一本の映画は日活「花と竜」(一九六二年十二月二十六日)です。
 主な出演者は、石原裕次郎さん、浅丘ルリ子さん、岩崎加根子さんなど。
 骨格のしっかりした映画でした。
 浅丘さんがいい。
 これについては、また、書きたいと思っています。

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2006.01.18

四国、よいとこ 235 高知市 「あんまり、いじろいでも、いかんぜー」

 二〇〇六年一月十八日。

 朝、こんな言葉を聞きました。
 「あんまり、いじろいでも、いかんぜー」
 「あんまり、急がさないほうがいいよ」
 と、いう意味だそうです。

 夜、ある女性に「『あのサー』、なんていいなや。あんたに似合わん」
 と、いわれました。
 へんな横浜弁(?)が、いつのまにか染みこんでいたんですね。 

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2006.01.19

四国、よいとこ 236 高知市 道端のスイセンに寄せて

 二〇〇六年一月十八日。

 二車線の 車道のわきの
 スイセンが しっかり咲いて
 新しい年

 これは、僕の働いている高知市の事務所の近くの光景です。

 新しい年は、着実に前に向いて動いています。
 きょうも平和のために献身する青年たちの発言にジーンときました。

 「詩人の言葉」で語る青年たちです。
 「平和って何だろう」と正面から問いかける男性。
 この三カ月の自分の中の前向きの変化を美しい言葉で語る女性。
 などなど。
 何人もの青年から心がポーッとするような素敵な言葉を聞きました。
 「僕は、この青年たちが大好きだ」
 痛切に、そう思いました。
 
 このことは、いつか、なんらかの形で、みんなに伝えたいと思っています。
 あんまりにも感動的で、いまは的確に表現できません。  

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四国、よいとこ 237 高知市  「恋しい」と 口に出したら…

 二〇〇六年一月十八日。

 「恋しい」と 口に出したら
 それなりに 恋しくもなる
 かの地の妻が

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四国、よいとこ 238 高知市 「ラーメンを 飲み干している…」

 二〇〇六年一月十九日。

 ラーメンを 飲み干している
 ああ、うまい
 これじゃ、しばらく 太ったままか

 自転車で帰宅していると、自宅の近くの「めちゃおいしい」ラーメン屋にさしかかりました。
 一度入ったきりですが、あの時のおいしさが忘れられません。
 しかし、脂っこいものは避けたい思いもあったりして…。
 ええい、きょうは入ろう。
 う、うまいーーーっ。
 やっぱり、いい。つゆがいいんです。

 でも、最近はできるだけ野菜と魚のおかず水にしています。
 はりまや橋の所に「バイキング方式」の食堂がありますが、そこをよく利用するようになりました。
 おかずは、お好みのものを皿に入れて…。「グラムいくら」です。
 オニオンスープと、ご飯は「中」…という具合です。

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四国、よいとこ 239 「渡り鳥」の映画と映画「南国土佐を後にして」との関係。

 二〇〇六年一月二十日。

 小林旭さんの「渡り鳥」の映画は、同じ日活の映画「南国土佐を後にして」(一九五九年)と関係があったのか。
 この日夜の発見です。

 「南国土佐を…」のあらすじは、次のようなものでした。

 「ダイスの眼」と異名をとる賭博の名手・原田謙司は、刑期満了を期に母・のぶと恋人・春江の待つ故郷・高知に向いました。
 刑務所で聞いたペギー葉山の歌「南国土佐を後にして」が、彼に特別攻撃隊で死んだ兄を思い出させ、彼は心を改めたのでした(戦争とのからみが出てくるのが、このころの映画らしいですねー)。
 亡き兄の許婚者だった、今は東京の料亭「よさこい」を経営しているはま子は、この歌が好きで昔よく歌っていました。
 謙司が帰郷すると、春江は借金のためヤクザの北村と結婚しなければならぬ身の上となっていました。
 自分の店で働いている麻子を謙司と結びつけようとしたはま子は、彼を麻子の兄・中村の世話で港湾事務所に入れました。
 しかし、前科が知られて彼は職を追われました。
 ふたたび東京に出ようとする謙司をとめる春江に、北村一味の短刀が迫りました。
 が、その時、謙司のかつての仲間・会津が現れて二人を救いました。
 東京に出た謙司は、ペギー葉山に会って勇気づけられ、はま子のもとに下宿して職を探しました。
 ある夜、北村に追れた春江が高知から逃げてきました。
 追って東京にやってきた北村は、百万円の借用証をつきつけて、謙司をおどしました。
 仲間の会津を呼んだ謙司は、その金のために、もう一度ダイスを振ることを決意しました。
 ナイトクラブ「モカ」の一室で、謙司は一世一代の勝負に乗り出しました。
 そこに、かつて謙司の就職を断わったことのある大川証券の社長が麻子とともにやってきました。
 勝負は、謙司と大川の対となり、金額は百万円につり上りました。
 ちょうどその時、ペギー葉山の歌う「南国土佐を後にして」が謙司の耳にひびいてきました。
 出たダイスの目はオール・シックスでした。
 百万円を手に入れた謙司は、その金を北村に返して彼ら一味をたたきのめしました。
 かけつけた春江と謙司は固く抱き合いました。
 春江に、故郷の母親のことをたのんだ謙司は、今は心も晴れ晴れと、ひとり警視庁に歩をはこぶのでした。

 配役は…。

 小林旭さん(原田謙司)
 小林旭さん(兄の義之)
 浅丘ルリ子(春江)
 南田洋子(はま子)
 中原早苗(麻子)

 このヒットを受けて、これをヒントにした「渡り鳥」の映画ができたというのです。

 最初は五九年。それから計八作つくられ、最後は六二年です。
 ギターと拳銃を手にした主人公が全国各地を渡り歩いて、その土地に巣くう悪玉をやっつけます。

 作品名は以下のとおり。

 「ギターを持った渡り鳥」
 「口笛が流れる港町」
 「渡り鳥いつまた帰る」
 「赤い夕陽の渡り鳥」
 「大草原の渡り鳥」
 「波濤を越える渡り鳥」
 「大海原を行く渡り鳥」
 「渡り鳥北へ帰る」

 ゆっくり、一つひとつ見直していきたいと思っています。

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2006.01.20

四国、よいとこ 240 高知市 「草木の精 牧野富太郎伝 花と恋して(二幕)」を見ました。

 二〇〇六年一月二十日。

 夜、高知市の県民文化ホール・グリーンで劇団笛の会の「草木の精 牧野富太郎伝 花と恋して(二幕)」(作・演出・西森良子さん)を見ました。

 いくつか触発されたことがありました。

 ● この劇によると、高知県佐川村に住んでいた牧野さんは自由党に入って活動していて、のちに、その運動と決別したとのことです。
 資料で見ると彼が自由民権運動にたずさわっていたのは一八八一年(明治十四年)ころとも八三年ころともいうのですが、いつごろから、いつごろまで、どこで、どんな思いで、どんな運動をしていたのでしょうか。
 そして、いつ、どんな思いで離党したのでしょうか。そのころの自由党は、どんな状態だったのでしょう。
 一九三七年の年賀状には「大日本帝国万々歳」と書くにいたった人物の青年期の歩みとして知りたいものです。

 ● 劇中で「お月様桃色」というわらべうたが出てきました。
 「お月様(つきさん) 桃色(ももいろ) 誰(だれ)がいうた 海女(あま)がいうた 海女の口を引裂(ひきさ)け」
 僕の子どものころにも聞いた歌です。どんな意味で、どんないわれのある歌なのでしょうか。
 確か何冊か、それについての本があったと思いますが‥。

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2006.01.21

四国、よいとこ 241 高知県大月町 「お月灘(つきなだ)、桃色」という江戸時代の土佐の庶民の暴露???

 二〇〇六年一月二十日。

 おつきさんももいろ
 たれが言うたか 海女が言うた
 海女の口をひきしゃけ

 海女の口をねじあげえ
      ねじあげえ

 インターネットを検索していると、どうも、この歌の秘密は高知県幡多郡大月町にあるらしいとわかってきました。

 大月町に以前、月灘村というのがありました。
 ここでは、「お月さん」でなくて「お月灘」と発音するそうです。
 サンゴにまつわる歌だとうことです。
 江戸時代の土佐藩は、月灘で貴重な桃色サンゴがとれるのを極秘にしていました。
 しかし、人の口に戸をたてられず、こうしたわらべうたになったといいます。
 また、家が貧乏なためこっそりとって売り、見つかって処罰されたという意味だとの説もあるそうです。

 とすると、土佐藩・山内グループへの圧制への庶民の反逆の歌なんですね。

 いずれにしても、もう少し、ちゃんと調べたいと思っています。

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四国、よいとこ 242 高知県大月町 「お月さん桃色」の続き

 二〇〇六年一月二十一日。
 以下、高知県大月町役場のホームページの記述です。


  「伝説」

 お月さん桃色

   ♭
  お月さんももいろ
 だれんいうた 
 あまんいうた
 あまの口
 ひきさけ♭
 
 大月町小才角は、珊瑚発祥の地として知られ、「お月さん桃色」の里謡が語り継がれ、現在では松谷みよ子さん原作の絵本や、劇団などによって、漁師の娘と若い猟師の悲話としても全国に広まっています。

 この里謡の『お月さん』は、月山霊場南照寺(現月山神社)を指すとされており、寺の近海を「お月灘」と呼び、この一帯で宝石珊瑚が多く採れたことから、「お月灘の珊瑚を桃色と誰が言うた。海女が言うた。海女の口引き裂け」と解され、珊瑚漁禁制下で「珊瑚」を口にすることを戒めていたと考えられます。

 高知県では文化九年(1812年)に室戸の漁師が、釣り針に珊瑚をかけたという記録が文献に残っています。その後、戎屋幸之丞という人物が、珊瑚採取用の網を考案しましたが、当時土佐藩は珊瑚の採取を禁止していたため、その苦労は実を結びませんでした。この禁制の影で、釣り針や網にかけたり、浜で拾ったりして、珊瑚をひそかに隠し持っていた者もいたようです。

 この地に伝わる里謡「お月さん桃色・・・」は、禁制の時代に美しい桃色珊瑚が珍重されていた事を物語っています。
 今でも珊瑚製品は高価な宝飾品として、大月町、宿毛市、土佐清水市などの特産品となっています。

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2006.01.22

四国、よいとこ 243 高知県越知町 松根油、その後。

 二〇〇六年一月二十二日。

 松根油(しょうこんゆ)のことを、もっと知りたいと思ってきました。
 意外な本に、そのことがふれられていました。『赤い校長』(瀬川虎信著、梶原守光発行、土佐出版制作室)です。
 終戦直後の高知県越知町の越知国民学校のことです。

 校庭にはおびただしい松の根っこが放置されていました。
 太平洋戦争の末期、ガソリン代用の油をとるために諸所方々の山々から掘り出された大きな松根でした。
 終戦直後、四国を猛烈な台風が襲いました。
 松の根っこが、押し寄せてきた水に浮き上がって、あちらこちらへ流れ動きました。

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四国、よいとこ 244  「こんなにも、会いたがってる僕がいる‥」

 二〇〇六年一月二十二日。

 こんなにも 会いたがってる 僕がいる
 妻の電話が
 切れた、その後

 五十八歳でも、古女房に会いたいという「心のパワー」があるのは、われながらうれしいですね。なんちゃって‥。

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2006.01.24

四国、よいとこ 245 韓国の「ガンのパパ」と「カモメのパパ」。

 二〇〇六年一月二十三日。

 仕事で高知市から広島市へ。
 自分で感心したのは、いき帰りともあまり寝ないで黙々と活字に向かい合ったことです。

 『食わず嫌いの韓国 ドラマに探る「現代韓国と韓国人」』(チョ・ヒチョル著、グラフ社)を読了しました。
 「ガンのパパ」と「カモメのパパ」の話も面白かった。
 小学生、中学生で外国で留学する子の面倒をみるために母親が一緒にいきます。そして、父親が韓国で独り暮らしをしながら仕送りをすることになります。こんな父親を「ガンのパパ」、キロギ・アッパというそうです。
 ソウルに妻子を残して地方に単身赴任する父親は「カモメのパパ」、カルメギ・アッパというとのことです。

 といっているうちに次の日になりそうです。
 日本のカルメギ・アッパも、もう一冊読みかけの本を読みながら、寝るとしましょう。ワッハッハ。

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四国、よいとこ 246 高知市 鮪(マグロ)の腹身は、いいよ。

 二〇〇六年一月二十四日。

 高知市の独居中年は結構忙しい。
 さぁ、仕事が終わった。きょうは買い物と、じっくり食べる夜にしよう。

 古本屋にいって高知県関係の本を買い込みます。
 中央郵便局にいって仕事の関係の郵便を出します。
 一年以上も前からほしかった韓国映画「猟奇的な彼女」のDVDを買います。この映画、何回も見たのですが‥。
 仕事で必要なDVD-MAMディスクを買います。
 さて、次は食材です。
 ナス。ハクサイ。マグロの腹身。うどん。キムチ。

 帰宅すると洗濯。
 料理。水炊きです。

 さてさて、食事です。
 うん、いい。
 マグロの腹身は肉がたっぷりついています。
 うーん。満足。

 「猟奇的な彼女」を見て韓国語のため口を勉強して寝るとしましょう‥。

 で、みんな幸せかい。
楽しくいこうぜ。エーイ。

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2006.01.25

四国、よいとこ 247 「猟奇的な彼女」に、また泣きました。

 二〇〇六年一月二十四日。

 「猟奇的な彼女」を、また見ました。
 また泣きました。
 なんで、こんなにいいんだろう。

 何回も見て、「なぜ」か徹底的に研究する必要があるなと感じました。

 いつか、こんなのを撮ってほしいね。ジローさん。
 いつの間にか固有名詞だけど、ジローさんって、誰のことでしょうか‥‥。

 さっき、このブログを読んでいただいた方からメールをいただきました。
 かまっていただいて、ありがとうございました。
 本当にうれしいです。

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四国、よいとこ 248 高知県伊野町 母と「とんがり帽子」の歌。

 二〇〇六年一月二十五日。

 二十二日、歌手の川田正子(かわだ・まさこ)さんが亡くなりました。七十一歳でした。
 「里の秋」。「みかんの花咲く丘」。「とんがり帽子」。彼女のうたった歌のリストを見ると懐かしいものばかりです。
 「とんがり帽子」(作詞・菊田一夫さん、作曲・古関裕而さん)は一九四七年のNHKラジオの番組「鐘の鳴る丘」の主題歌だったそうです。ドラマは、戦争が終り、復員してきた一人の若者と戦災孤児たちが共同生活を営みながら成長していく姿を描いたものだったといいます。

 緑の丘の 赤い屋根
 とんがり帽子の 時計台
 鐘が鳴ります キンコンカン
 メイメイ仔山羊(こやぎ)も 鳴いてます
 風がそよそよ 丘の家
 黄色いお窓は おいらの家よ

 緑の丘の 麦畑
 おいらが一人で いる時に
 鐘が鳴ります キンコンカン
 鳴る鳴る鐘は 父母(ちちはは)の
 元気でいろよと いう声よ
 口笛吹いて おいらは元気

 とんがり帽子の 時計台
 夜になったら 星が出る
 鐘が鳴ります キンコンカン
 おいらはかえる 屋根の下
 父さん母さん いないけど
 丘のあの窓 おいらの家よ

 おやすみなさい 空の星
 おやすみなさい 仲間たち
 鐘が鳴ります キンコンカン
 昨日にまさる 今日よりも
 あしたはもっと しあわせに
 みんな仲よく おやすみなさい

 幼いころ、この歌を母に習ったシーンを思い出します。
 高知県伊野町の国鉄伊野駅の近くの踏み切り付近を二人で歩いていたときのことです。なんか「異国」を舞台にした歌かなと思いました。「鐘が鳴ります キンコンカン」と歌いました。
 放送が始まったのは私が生まれた年ですから、それから四年くらいたってからのことでしょうか。

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四国、よいとこ 249 童謡「兵隊さんの汽車」の恐ろしさ。

 二〇〇六年一月二十五日。

 歌手の川田正子(かわだ・まさこ)さんのことを検索していたら「兵隊さんの汽車」(作詞・富原 薫さん、作曲・草川信さん)に出くわしました。
 歌がつくられたのは、一九三八年だといいます。
 
 汽車汽車しゅっぽしゅっぽ
 しゅっぽしゅっぽっぽ
 兵隊さんを乗せて
 しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
 僕らも手に手に日の丸の
 旗を振り振り送りましょう
 万歳万歳万歳
 兵隊さん兵隊さん万々歳

 汽車汽車来る来る
 しゅっぽしゅっぽっぽ
 兵隊さんを乗せて
 しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
 窓からひらひら日の丸の
 旗を振ってく兵隊さん
 万歳万歳万歳
 兵隊さん兵隊さん万々歳

 汽車汽車行く行く
 しゅっぽしゅっぽっぽ
 兵隊さんを乗せて
 しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
 まだまだひらひら日の丸の
 旗が見えるよ汽車の窓
 万歳万歳万歳
 兵隊さん兵隊さん万々歳

 子どもたちを「侵略戦争万歳」に思想動員する歌でした。
 四三年の児童唱歌コンクールで彼女は、この歌をうたって二位に入賞したといいます。

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2006.01.26

四国、よいとこ 250 戦前の沖縄県にあった県営鉄道のこと。

 二〇〇六年一月二十六日。

 沖縄県から高知市に帰った男性に「戦前、沖縄県には鉄道があったんだよ」と教えていただきました。
 びっくりしました。なんとなく、「沖縄には鉄道がなかった」と思い込んでいたからです。

 ホームページを見ると「 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」にデータが出ていました。
 それを頼りにメモをつくっておきます。

 戦前の沖縄本島内には沖縄県営鉄道の鉄道がありました。
 沖縄県営鉄道は、一九一四年十二月に与那原線の那覇~与那原間が開業。その後、大正末期までに嘉手納へ向かう嘉手納線や糸満に延びる糸満線も開業しました。
 四五年(昭和二十年)三月には運行を停止しました。
 鉄道の施設はアメリカ軍の空襲や地上戦によって破壊されました。
 戦後は復旧することなくそのまま消滅しました。
 二〇〇三年八月に運輸営業用の本格的な鉄道としては戦後初となる沖縄都市モノレールが那覇市内に開業しました。

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四国、よいとこ 251 愛媛県 ミカン農家を詠った短歌二首を読みました。

 二〇〇六年一月二十六日。

 愛媛のミカン農家を詠った短歌を二首読みました。

 輪唱の如(ごと)く響ける蜜柑(みかん)摘む鋏(はさみ)の音色の中に加はる

 過疎の島の老人たちが蜜柑(みかん)摘む猪(いのしし)が食べた後のみかんを

 一首目は、松山市の高橋博さんの作(愛媛新聞、一月二十三日付)、次が今治市の渡辺スエ子さんの作(同、一月二十四日付)です。

 僕も、こんな人の心を打つ短歌を読んでみたいものです。

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四国、よいとこ 252 「在宅持続陽圧呼吸療法装置」という機械。

 二〇〇六年一月二十六日。

 「在宅持続陽圧呼吸療法装置」という物を初めて見ました。

 電気で作動する箱型の機械にホースがついていて、その先に「鼻マスク」がついています。
 睡眠時無呼吸症の治療のためのものです。
 布団に横たわって、寝る時に「鼻マスク」をつけて機械のスイッチを入れると、スースーと空気がでてきます。
 睡眠時に息が止まらないように鼻から空気を入れ続けるというものです。

 うーーーーん。

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四国、よいとこ 253 高知市 「ひろめ屋敷」と敬愛する槇村浩さんのこと。

20060130_057

 二〇〇六年一月二十六日。

 僕のペンネームは、石川浩です。
 十八歳の時、高知大学一年生の時につけました。
 ちょうど四十年前のことです。
 石川は歌人の石川啄木さんから、浩は高知の詩人の槇村浩さん(まきむら・こう。本名・吉田豊道さん)からとりました。
 将来、すっごい、世の中の人々の心に「熱いもの」を伝える詩人になりたいと思ったからです(五十八歳になりましたが、まだ、この願いはかなえられていません)。

 槇村さんは、一九一二年に生まれています。
 一九三一年、プロレタリア作家同盟高知市支部をつくり、その後、「植村浩」の名まえで作家活動をしました。
 反戦運動、労働運動にも参加しました。
 三二年二月創刊の『大衆の友』で、詩「生ける銃架」を発表し、新人賞をうけます。
 僕の好きな詩です。読んでいると、ぞくっとします。
 同年二月、日本共産青年同盟に加盟します。
 翌三月、詩「間島パルチザンの歌」を発表します。
 翌四月二十一日、高知市の「ひろめ屋敷」で検挙されます。
 そして、未決一年、非転向のため三年の刑となります。
 三五年六月、高知刑務所を出獄します。
 三六年一月、高知「人民戦線事件」で検挙され、留置されます。
 三七年一月、重病のため釈放、高知市新本町の土佐脳病院に入院します。
 三八年九月三日、同病院で死去。二十六歳でした。

 きょう気づいたのは彼が逮捕された場所が「ひろめ屋敷」だったことです。
 僕が通っていた高知県立高知追手前高校とはすぐ近くです。
 「うーーーっ、あそこらで、あいつらに逮捕されたのか。侵略戦争に反対だという思いを詩にし、その思いを実際の行動にうつしたために‥‥」。
 
 土佐藩の家老だった深尾弘人蕃顕(ひろめ・しげあき)は、幕末の時代、四代の藩主に仕えました。
 彼の屋敷が姿を消した明治維新後も、この一帯は市民から親しみを込めて「弘人(ひろめ)屋敷」と呼ばれてきました。
 いまでは、ここに、屋台村・「ひろめ市場」があります。

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四国、よいとこ 254 徳島市 「死ぬときは所詮(しょせん)一人よ」という短歌をめぐって。

 二〇〇六年一月二十六日。

 ずいぶん迷いましたが、やっぱり書いておくことにしました。
 二十四日付の徳島新聞に載っていた、つぎの短歌のことです。

 「死ぬときは所詮(しょせん)一人よ」と主婦たちの回転寿司(かいてんずし)の皿が増えゆく

 徳島市の森野和代さんの作品です。
 なんという虚無的な、なんという「はみかえった(土佐弁です)」、たくましいシーンでしょうか。

 「」の中のこと、つまり死については高知県伊野町天神町四丁目に住んでいた学齢前からつきつめて考えていました。
 五歳くらいの時のことだと思いますが、夜、このことを、つきつめて考えすぎて、「消えてなくなる!!!! なんにも考えなくなる」ということが、ものすごく怖くなって「わーっ!!!!」と叫んで町内を走り回ったことがあります。

 ま、どんなにあがいても、いずれは「無」になりますが、そのことの確認もしながら、懸命に回転寿司の皿を増やすことにしましょう。

 でも、生きている限りは、世の中がなんとか前に向かって進めるように、そのために僕なりの力を発揮できるようにと思います。
 東京都に住んでいる妻も、きっと、そう思って、今夜も走っていることでしょう。
 本日夜、携帯電話をコールしたら「会議中」ということで連絡を絶ちました。
 がんばれ。わが愛妻。

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2006.01.27

四国、よいとこ 255 高知県いの町 弟の「借地農業」の土地。

 二〇〇六年一月二十七日。

 休み。
 オートバイで高知県いの町の弟が「借地農業」をやっている所にいきました。
 かなり広い所です。
 手作業の農業ですので大変です。
 二人で、弟が前に借りていた山の上の畑にいきました。
 ここも結構広いのですが、イノシシに荒らされるためやっていけなくなりました。
 一年前にやめたそうですが、もう草ぼうぼう。荒れ野になっていました。
 日本の農業、結構つらいです。

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四国、よいとこ 256 高知市 「古本・かたりあふ書店」訪問記。

 二〇〇六年一月二十七日。

 かねて何人から「あそこには、いい本があるよ」と推薦されていた高知市六泉寺町一一〇の九の「古本・かたりあふ書店」にいきました。
 うわーっ、本でいっぱい。
 すき間に入り込んで物色しました。
 ありました。ありました。
 自由民権運動の本。
 戦争中の詩人の本。
 戦争体験の本。
 戦後の教師たちの運動の本。
 男性の店主と話していたら、一九九七年に僕が出した『歌集 離れ住む日々』を読んでくれていました。
 その上、『歌集 離れ住む日々』流の短歌を何首も詠んで、書店の機関紙「かたりあふ通信」に載せていました。
 すっごーーい。
 その通信の最新号は、五百十二号になっています。

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四国、よいとこ 257 高知市 わが庭から水が冷吹き出しました。

 二〇〇六年一月二十七日。

 夕方、高知市のわが家で「大事件」が発生しました。
 弟と庭に花壇をつくろうと作業していた時のことでした。
 弟がクワをふるっていたら水がバーッと水が噴出しました。
 なんと、地下十センチの所に水道管が施設されていたのです。
 うわーっ。
 次々と電話しました。
 結局、市水道局の宿直の人がきてくれることになりました。
 数分後にきてくれました。
 「現場」をスコップで掘り返し、欠損部分を確認。欠損部分を切り取り、新しいパイプでつなぎました。
 機敏な作業です。さすがプロです。
 ありがとうございました。
 市水道局に感謝。

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2006.01.28

四国、よいとこ 258 高知県いの町 弟の、母の思い出。

 二〇〇六年一月二十七日。
 弟と話していたら亡き母の話になりました。
 以下、弟の話。

 母は小さいときから「絵が上手」で通っていたといいます。
 小中学校生のとき、僕が家で図画の宿題をやっていると、よく僕の図画に筆を加えて修正しました。
 ある時、文集の表紙の絵をかいていました。

 それを、こんな絵にされました。
 しま模様の山に落ち葉がさらさら落ちてくるデザインでした。
 僕は、それを期限を過ぎてから出しました。
 表紙には女の子の作品が決まっていました。
 でも、先生が「僕の」絵を気に入って、僕の絵が表紙になりました。
 その女の子の絵は裏表紙にまわりました。

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2006.01.29

四国、よいとこ 259 高知市 ひろめ市場のマッサージチェア。

 二〇〇六年一月二十八日。

 夕方、仕事が終わってすぐ、高知市内の、ひろめ市場にいきました。
 お目当てはマッサージチェアが二つあるコーナーです。
 百円のコインを入れると十五分楽しめます。

 結局、四十五分も楽しみました。
 両方試しましたが、僕には向かって右側のほうがいい。

 ところで、このマッサージチェア、買うと三十五万円とのこと。
 ちょっと手がでません。
 まあ、ここで楽しませていただきましょう。

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四国、よいとこ 260 高知市 帯屋町商店街のアーケードでのNさんの歌声。

 二〇〇六年一月二十九日。

 夜の高知市帯屋町商店街のアーケード。
 Nさん(若い男性)が、ギター一本でさわやかに歌っていました。
 自分で作詞、作曲した歌をうたっている人です。

 いつも、すごい歌をうたうので、じっと聞きました。
 歌い終わって、僕がパチパチパチ。

 お互いに歩み寄って交流しました。
 「CD、あったよね」
 「注文でつくっています」
 「じゃぁ、つくって送ってよ。お願い。いつも、すごい歌い手だと思って聞いているよ」
 「そうですか」

 別れた後、彼は、また新しい歌を歌っていました。
 青年は未来に向かって歌う。
 パチパチ。

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2006.01.30

四国、よいとこ 261 「奉 支那事変凱旋(がいせん)記念」の文字に思ったこと。

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 二〇〇六年一月二十七日。

 休みで高知県いの町へ。
 郷社天満宮にいきました。
 「奉 支那事変凱旋(がいせん)記念」と掘り込まれた石灯ろう(?)がありました。
 支那事変は、一九三七年七月七日に始まる、日本帝国主義の中国にたいする全面侵略戦争のことです。
 日本が中国に侵略をしたことを喜んだ日本の民衆の「負の記念碑」です。

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四国、よいとこ 262 高知市 路面電車、210号車の履歴書。

 二〇〇六年一月二十八日。

 夕方、高知市の菜園場(さえんば)から上町(かみまち)一丁目まで路面電車に乗りました。
 車内に「私の履歴書」というポスターがありました。
 この210号車の履歴が書いてありました。

 一九五二年八月、山口県の日立製作所でつくられました。
 それから、ずーっと高知で走っています。
 全長十一・六メートル。定員六十人。二軸ボギー車。

 すごい、よくもっているなぁ。でも、大丈夫なのかなぁ。

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四国、よいとこ 263 高知市 「開成門」を見ました。

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 二〇〇六年一月二十九日。

 昼休みに高知市小津町の事務所の近くをうろうろしたら、高知県立小津高等学校の「開成門」に出くわしました。
 土佐藩が殖産振興、西洋科学振興などの目的で一八六六年二月、九反田に創設した開成館の表門です。
 いまは、ここにあります。
 近くに大砲が置いてありました。

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四国、よいとこ 264 高知市 市役所の庭のキンカンが実っています。

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 二〇〇六年一月二十九日。

 高知市役所の庭のキンカンが実っています。
 キンカンはミカン科です。
 おいしそうです。

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四国、よいとこ 265 高知市 高知市 洞ヶ島町の薫的(くんてき)神社の獄舎。

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 二〇〇六年一月二十九日。

 雨宿り高知市洞ヶ島町の薫的(くんてき)神社に立ち寄りました。
 正面右手に高知刑務所の獄舎が移築されているにびっくりしました。
 なぜでしょうか。
 このことは、少し調べて、のちほど、ご報告します。

 追記

 同神社の資料によると、つぎのようなことだったようです。

 勲的(くんてき)さんは、禅宗曹洞宗祥鳳(しょうほう)山瑞應(ずいおう)寺の僧侶でした。
 宗門の権威と伝統の寺格を守るために生命をかけて烈しく土佐藩・山内政権に抵抗しました。
 そのため、一六七一年一月四日、無実の罪で入牢させられました。
 勲的さんは、痛憤し、食を断ち、同月十日、舌をかんで憤死しました。
 四十七歳でした。
 ここに残る獄舎は、彼がとらわれていた所といいつたえられています。

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四国、よいとこ 266 高知市 高知市 薫的(くんてき)神社の安芸盛(さかん)の墓と鬼頭良之助の「百度石」。

 二〇〇六年一月二十九日。

 高知市洞ヶ島町の薫的(くんてき)神社のつづきです。

 ここに、労働運動の指導者・安芸盛(さかん)さんの墓と侠客の鬼頭良之助の「百度石」がありました。
 この二人は義兄弟だそうです。
 このことについても、少し調べてのちほど、ご報告したいと思っています。

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四国、よいとこ 267 高知市 高知市 ノレソレって美味!!!

 二〇〇六年一月二十九日。

 夜、高知市で仲間二人と ノレソレを食べました。
 う、うまいーつ。
 この人たちは、ずっとこんなうまいものを食べていたのか。

 ノレソレは、アナゴの稚魚だそうです。

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四国、よいとこ 268 高知市 「やじごばったら、いかんぞ」。

 二〇〇六年一月二十九日。

 いい土佐弁を聞きました。

 「やじごばったら、いかんぞ」
 「肩ひじをはってはいけませんよ」という意味だそうです。

 そうですよねー。
 そのまんまで生きていきたいものですね。

 前日には「きうは、ほたえてください」という言葉を聞きました。
 感じは、すごーっくわかりますが、政府が、僕に相談もなく勝手に決めている言葉では、何というのかな。

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四国、よいとこ 269 「サランへヨ 電話で妻に いい寄れば‥」

 二〇〇六年一月二十九日。

 「サランへヨ(韓国語で「愛しています」)」 
 電話で妻に いい寄れば
 「なに、それ、意味がわかんない」

 その続きは「なあんだ。いま眠たいの」でした。
 五十八歳らしい対応でした。

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