« 四国、よいとこ 252 「在宅持続陽圧呼吸療法装置」という機械。 | トップページ | 四国、よいとこ 254 徳島市 「死ぬときは所詮(しょせん)一人よ」という短歌をめぐって。 »

2006.01.26

四国、よいとこ 253 高知市 「ひろめ屋敷」と敬愛する槇村浩さんのこと。

20060130_057

 二〇〇六年一月二十六日。

 僕のペンネームは、石川浩です。
 十八歳の時、高知大学一年生の時につけました。
 ちょうど四十年前のことです。
 石川は歌人の石川啄木さんから、浩は高知の詩人の槇村浩さん(まきむら・こう。本名・吉田豊道さん)からとりました。
 将来、すっごい、世の中の人々の心に「熱いもの」を伝える詩人になりたいと思ったからです(五十八歳になりましたが、まだ、この願いはかなえられていません)。

 槇村さんは、一九一二年に生まれています。
 一九三一年、プロレタリア作家同盟高知市支部をつくり、その後、「植村浩」の名まえで作家活動をしました。
 反戦運動、労働運動にも参加しました。
 三二年二月創刊の『大衆の友』で、詩「生ける銃架」を発表し、新人賞をうけます。
 僕の好きな詩です。読んでいると、ぞくっとします。
 同年二月、日本共産青年同盟に加盟します。
 翌三月、詩「間島パルチザンの歌」を発表します。
 翌四月二十一日、高知市の「ひろめ屋敷」で検挙されます。
 そして、未決一年、非転向のため三年の刑となります。
 三五年六月、高知刑務所を出獄します。
 三六年一月、高知「人民戦線事件」で検挙され、留置されます。
 三七年一月、重病のため釈放、高知市新本町の土佐脳病院に入院します。
 三八年九月三日、同病院で死去。二十六歳でした。

 きょう気づいたのは彼が逮捕された場所が「ひろめ屋敷」だったことです。
 僕が通っていた高知県立高知追手前高校とはすぐ近くです。
 「うーーーっ、あそこらで、あいつらに逮捕されたのか。侵略戦争に反対だという思いを詩にし、その思いを実際の行動にうつしたために‥‥」。
 
 土佐藩の家老だった深尾弘人蕃顕(ひろめ・しげあき)は、幕末の時代、四代の藩主に仕えました。
 彼の屋敷が姿を消した明治維新後も、この一帯は市民から親しみを込めて「弘人(ひろめ)屋敷」と呼ばれてきました。
 いまでは、ここに、屋台村・「ひろめ市場」があります。

|

« 四国、よいとこ 252 「在宅持続陽圧呼吸療法装置」という機械。 | トップページ | 四国、よいとこ 254 徳島市 「死ぬときは所詮(しょせん)一人よ」という短歌をめぐって。 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30274/8351236

この記事へのトラックバック一覧です: 四国、よいとこ 253 高知市 「ひろめ屋敷」と敬愛する槇村浩さんのこと。:

« 四国、よいとこ 252 「在宅持続陽圧呼吸療法装置」という機械。 | トップページ | 四国、よいとこ 254 徳島市 「死ぬときは所詮(しょせん)一人よ」という短歌をめぐって。 »