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2006年5月

2006.05.01

四国、よいとこ 511 高知市 連休明け、弟とプサン方面にいくことになりました。

 二〇〇六年五月一日。

 連休明けから四日間の旅行は韓国のプサン方面に決定。
 手続き完了。

 弟といきます。
 宿はCクラスです。

 プサンについての勉強は、これから。

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2006.05.02

四国、よいとこ 512 高知市 「いままさに ビルの間に 落ちる太陽(ひ)が 爆発するよに 一瞬光る」。

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 二〇〇五年五月二日。

 いままさに ビルの間に 落ちる太陽(ひ)が 爆発するよに 一瞬光る

 きょうの夕方、仕事帰りのオートバイから見た夕焼けです。
 夕焼けは、あまり美しくないまちなみをも、こんなに美しく彩ります。
 すごいよ。君は。

 ところで、何の脈絡もありませんが、高知市にもホームレスの人たちがいます。
 JR高知駅前の男性は、いつも座ってうつむいています。しっかりした顔立ちの僕と同年輩らしい人です。
 借金に追われ、自家用車で寝泊りしながら暮らしている男性もいると聞きます。

 「なんとか手をさしのべられないだろうか」
 そう思いますがテーマの重さの前に立ちすくんで、そうできないでいる日々です。

 二十歳代に東京の上野駅の近くに家族と住んでいました。
 あるとき、あんまりかわいそうなのでホームレスの男性を、わが家に招いて一夜、歓待したことがやりました。
 しかし、それは一夜のことで、一夜明ければ、彼を、また、路上に追いやるしかありませんでした。
 いつの日にか、僕も彼らの役に立ちたい。

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四国、よいとこ 513 高知市 「十時過ぎ 携帯電話も お留守番…」

 二〇〇五年五月二日。

 十時過ぎ 携帯電話も お留守番
 妻、自転車で
 暴走中かな

 妻のこと 「初夏のソナタ」と
 いうべきか
 老い見せもせず 疲れも知らず

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2006.05.03

四国、よいとこ 514 高知市 長い不思議な夢をみました。 

 二〇〇六年五月三日。憲法記念日。

 何度も何度も同じ夢のつづきをみて、ついにおきたのは午前八時前でした。

 主人公は僕と同じくらいの歳の漫画家。
 友人の案内で、あるまちにやってきました。

 まちの入り口は幅一メートルほどの道。
 左はがけで下は海。
 右の山側は少し奥まっていて、記念の石碑が山のように積まれています。
 「あっ。この風景は見たことがある。あの石碑は僕が子どもの時にも見たものだ」
 小学校入学前に一時住んでいて、すっかり忘れていた土地でした。

 少しいくと古ぼけた五階建ての団地があります。
 不思議なことに、そこのまわりは石の柱にとりまかれています。
 「子どものころには、太平洋戦争中にここに設置されていた大砲の跡があったはずだ」

 もっといくと、左手の川の向かい側にクレーンのような機械が何台かあって、こちら側の厚い板を向こう側に運んでいます。
 子どもたちが、その運ばれる板の上に乗って遊んでいます。
 「僕らの時も、あんなふうにして遊んでいた」

 木造一階建ての集会室に案内されました。
 十人ほどが集まりました。
 しばらくたつと、「はい、みなさん、こちら側にきてください」
 この集会室は、がけの所に建っていて三分の一ほどが、がけに飛び出ています。
 そこで、時間をおいて山側に人を集めバランスを調整するとのことです。

 「これは漫画にしよう」
 外へ出て散歩し始めた漫画家は、ノートを取り出して鉛筆でスケッチを始めます。
 すると、まわりで遊んでいた子どもたちが、ノートや鉛筆を取り上げようとします。
 執拗です。
 彼らの目は「このまちのことは、かいてはいけないんだよ」と訴えているようです。
 なぜなのでしょう…。

 「五階建ての団地」というのは二十歳代に住んでいた東京の湯島の団地のイメージでした。
 スケッチを邪魔した子どもたちの中には、この団地に住んでいた当時小学生の女の子(いまは児童文学者)も出てきました。
 それに亡くなった職場の先輩も元気に登場していました。

 それにしても長い夢で少し疲れました。
 ふろに入ってしっかり目をさまして、仕事、仕事。

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2006.05.04

四国、よいとこ 515 高知市 「あの人も おおあの人も 名を連ね 九条守れの 新聞広告」。

 二〇〇六年五月三日。

 あの人も おおあの人も
 名を連ね
 九条守れの 新聞広告

 高知新聞の十二面全面に「こうち九条の会」の意見広告が載りました。
 「憲法9条をすてて 戦争をする国にしますか 私たちは絶対にイヤです!」のタイトル。
 「土佐弁の憲法9条 戦争はせんぞね」も載っています。
 個人三千五百十五人、団体七十五が名を連ねていました。

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四国、よいとこ 515 侵略戦争の時代にも屈服しなかった文学者たち。

 二〇〇六年五月四日。

 文学者は、自分の人生も、自分の文学に忠実でなければならないのではないかと思います。

 昭和天皇の侵略戦争の時代、その寸前まで恐ろしくまっとうなことを書いていた「進歩的な」文学者たちが、天皇の侵略政策の前に屈服していきました。

 貫きとおせた文学者は、ほんの一握り。

 小説家の小林多喜二さん。
 特別高等警察に殺されました。
 詩人の槇村浩(まきむら・ひろし)さん。
 実質的に殺されました。
 小説家の宮本百合子さん。
 何度もの検挙に耐え、頑強に生きぬきました。

 貫きとおせた文学者。
 ほかにもいるでしょうが、残念ながら、いま、ほかの人の名前が思い当たりません。

 いま、こうした人々の業績に光を当て、「なぜ、がんばりぬけたのか。どこが他の人たちと違っていたのか」についても研究してみる必要があるのではないでしょうか。

 今夜は槇村さんの詩「野兎の歌」を読んでいます。

 「(ふん、芸実家ってものは、獄中ですらきれぎれながら守りたてている組織を、あまり勝手に外で解散しすぎるじゃないか。……」)
 声を出して読んでいると、とめどなく涙があふれてきて、なかなか最後までいきつきません…。

 あなたも、ぜひ、この詩を読んでほしい。
 まっすぐな芸術をまげなかった「野兎」の魂を。

 僕が大学一年生の時につけたペンネームは「石川浩」。
 石川啄木と槇村浩からいただきました。
 その名にふさわしく生ききりたい。
 そう思う日々です。

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2006.05.05

四国、よいとこ 516 高知市 「おいしくて、たっぷりあって、安い」のが必須条件。

 二〇〇六年五月四日。

 昨日の夜から、東京都の妻が高知市にやってきています。
 四日夜は、高知市筆山町の妻の父、母、弟と僕たち夫婦で有名な郷土料理の店に。

 実は、ここは僕の中学校の同学年の女性がやっている、大きな所です。
 店は繁盛しています。
 しかし、刺身は「もの」が少なくて「つら」だらけ。
 ウナギのカバヤキを頼むと三切れ。
 おいしいのですが、ものたりません。

 という感じで、われら庶民にはちょっとあいません。
 やっぱり、「おいしくて、たっぷりあって、安い」のが必須条件です。
 食事に「格式」など何もいらないのです。
 少なくても僕にとっては。

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四国、よいとこ 517 高知市 すごくきれいでした高知県立牧野植物園のヒトツバタゴ。

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 二〇〇六年五月五日。

 妻がやってきてから僕の初めての休日です。

 妻のリクエストで午前中から高知県立牧野植物園に。
 実は、ことしになってから牧野富太郎さんが高知県で結婚していたのに上京して別の女性にほれて、高知県の妻を捨てて…ということを知って、かなり僕の、この人への評価が下がっています。
 しかし、妻のリクエストとあらばしかたありません。
 オートバイの後ろに乗せていきました。

 二つの花が素晴らしかった。
 一つはヒトツバタゴの大木です。
 柔らかい「雪」のような花が素敵です。

 もう一つは温室のピンクのフェレノプシス。

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四国、よいとこ 518 高知市 「花のよさこいタウン こうち春花(はるはな)まつり」の、よさこい鳴子踊り。

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 二〇〇六年五月五日。

 高知県立牧野植物園の後は、妻と二人で高知市中央公園の「花のよさこいタウン こうち春花(はるはな)まつり」に。
 ステージの、よさこい鳴子踊りがよかった。
 この踊り、どんどん進化を遂げています。

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2006.05.06

四国、よいとこ 519 高知市 カナダにいった「まな」さんの近況。

 二〇〇六年五月六日夜。

 わーい。
 サイト「なままな」が更新されました。

 高知市からカナダに働きにいった十九歳か二十歳の娘さんがどうなることかとハラハラしていました。
 元気にやっているようですね。
 五十九歳の僕は、すっごく安心しました。

 「まな」さん。
 大きく羽を広げてはばたいてください。
 君は、気持ちが真っ直ぐだから、すっごく優しいから、それを的確に表現する力を持っているから、そして行動的だから、どこでも、きっと歓迎されるよ。
 大丈夫。

 身体にだけは、気をつけてください。
 いつか、「なままな」のままで、高知市に帰ってきてください。

 いま、「優しい年下のお姉さん」、山崎ハコさんのCDを最大音量で聞いているので、かなりシックになってます。

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四国、よいとこ 520 高知市 妻がやってきて、妻が帰っていくまで。

 二〇〇六年五月六日夜。

 三日夕方に高知市にやってきた東京都の妻が、東京都に帰りました。

 六日夜帰ってきたら、僕の独り住いの家が、ぴかぴかになっています。

 「ご飯、食べる? できてるわよ」
 「新聞? 階段に置いてあるわよ」
 「どうぞ。お風呂、わいてるわよ」
 妻がやってきてから、こんな調子です。

 僕みたいな、「何の対応もしない男」に、この女性は、何でここまでしてくれるんだろうか。
 わけがわからなくなくなって、かなり恐怖を感じました。

 僕にあるのは、この「舌」だけ。
 「ありがとう」
 「うれしいよ」
 「愛してるよ」
 「やっぱり、君しかいない」

 なんという、「舌先」だけの中年男。

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四国、よいとこ 521 山崎ハコさんの「織江の唄」。名曲です。

 二〇〇六年五月六日夜。

 山崎ハコさんの「織江の唄」を聞いていて泣きました。

 ♪ しんちゃん しんしけちゃん うちは、あんたにあんたに会いとうて…
 ♪ しんちゃん しんしけちゃん うちは 独りになりました あすは小倉の夜の蝶…
 ♪ しんちゃん しんしけちゃん うちは うちはあんたが好きやった ばってん、お金ににゃ勝てんもん…
 ♪ そうやけん、手紙くれんね しんしけちゃん…
 
 こんなん、もう「過去」にしてほしいよねー。

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四国、よいとこ 522 明日の夕方から「プサン作戦」。

 二〇〇六年五月六日夜。

 明日の夕方から「プサン作戦」。
 高知市からバスで大阪にいって、そこから飛行機でプサンへ。

 まだ何の計画もしていません。

 寺。
 仏像。
 花。

 そんなものを見ることができればいいと思っています。

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2006.05.11

四国、よいとこ 523 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 ① 凸凹コンビの出発

 二〇〇六年五月七日。

 高知市の僕と、おとなりの、いの町の弟が韓国のプサンへの旅をくわだてました。
 プサンに三泊して計四日。
 一応、ツアーです。
 韓国側の旅行社の社員がキメ(金海)空港で出迎えてくれて、免税店に連れていってくれて、プサンホテルまで送ってくれます。帰りも、プサンホテルに迎えにきてくれて、土産物店に連れていってくれて、キメ空港でチェックインしてくれます。
 でも、後は自由行動です。
 今回は地下鉄、国鉄、バスで移動するつもりでいます。
 弟が今年になってから独学したハングルで単語は読めるようになっています、僕もほんの少しわかります。
 さぁ、五月七日夜八時五十分、はりまや橋から大阪市の、うめだ駅までの高速バスで出発。

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四国、よいとこ 524 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 ② 一時間半でプサンに着きました。

 二〇〇六年五月八日。

 梅田駅に午前五時半着。
 バスで関西国際空港へ。

 空港の食堂で食事をしながら、「出国申請書」を書きました。
 アシアナ航空のカウンターで航空券を受け取ってチェックイン。

 飛行機は、OZ113。
 午前十一時五十分発、午後一時二十分着です。
 機内食は安上がりなものでした。

 出迎えは韓国人の女性でした。
 僕たちのほかに母娘二人の計四人。

 ロッテホテルの免税店に案内するあいだにプサンなどについて説明してくれました。
 ● プサンの人口は約三百六十万人です。千二百万人のソウルに次ぐ人口です。
 ● 韓国で一番大きな港があります。世界十位です。
 ● ウオン、円は為替レートです。千ウオンが百円くらいです。
 など。

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四国、よいとこ 525 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 ③ コーヒー二杯で一万六千九百四十ウオン、ロッテホテル恐るべし。

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 二〇〇六年五月八日。

 案内されたのは免税店はロッテの八階でした。
 一回りしましたが、買いたいようなものは何もなし。
 そこで、「ホテルの喫茶店でコーヒーでも飲んでいようか」。
 この喫茶店は全体が熱帯の密林のようになっています。
 入って「コピ、ツー」。
 ハングルと英語の合体です。
 おいしいコーヒーでした。
 ところが、これが高かった。
 二杯で一万六千九百四十ウオン。
 あんまりだ。
 それと、密林ですが、ほとんどの木や花がつくりものです。
 Aクラスのホテルといいながら安上がりなやり方です。

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四国、よいとこ 526 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 ④ 黄色いウリがおいしそう。

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 二〇〇六年五月八日。

 僕たちのホテルは港の近くのCクラスのプサンホテル。
 チェックインして、早速、まわりを散歩しました。
 果物をいっぱい入れた車をひいた男性がいました。
 黄色いウリがおいしそうです。
 三つで五千ウオンだといいます。
 高すぎると思いましたが買いました。

 追記

 後に市内をまわってみると一つ千ウオンくらいが相場でした。

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四国、よいとこ 527 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 ⑤ 二人分で入れ物が十六の食事に満足。

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 二〇〇六年五月八日。

 プサンの港のほうにいきました。
 港の近くで十数人の男性たちが集まって何やらゴソゴソやっています。
 近づいてみると花札の勝負でした。
 三組ほどが金を賭けてやっています。
 花札。日本が持ち込んだ悪しきものの一つです。

 ジャガルチ市場を見学して国際市場へ。
 ここで、食堂に入り、二人でイカのプルゴギ定食(八千ウォン)、とうふチゲ(五千ウォン)を注文しました。
 次々に料理が出てきました。
 数えてみると容器が十六もありました。
 これで一万二千ウォン。
 ロッテホテルのコーヒー二杯よりずーーーっと安い。
 一番おいしかったのはキムチと黄色いダイコンの漬け物でした。
 コマッスンミダ(ありがとう)。おいしかったです。

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四国、よいとこ 528 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 ⑥ プサンの平和のメモリアル。

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 二〇〇六年五月八日。

 プサンの地下鉄のナンポドン駅の近くに平和のメモリアルがありました。
 若い男女の姿とハトたちを組み合わせた構図です。
 すごくいいもので気に入りました。

 プサンホテルに帰ってテレビをつけると、ピョンテク市のアメリカ軍基地拡張反対の激しいたたかいの姿を報道していました。

 追記

 四日、五日のピョンテク市のアメリカ軍基地拡張反対のデモが警察、軍と衝突、六百人を超える拘束者が出ました。
 八日、「ピョンテク米軍基地拡張阻止・汎国民対策委員会」は、緊急会議を開き、幅広い国民的な連帯と平和的な運動で基地拡張を撤回させていくことを決めました。

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四国、よいとこ 529 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 ⑦ 朝の地下鉄のタブロイドの新聞。

 二〇〇六年五月九日。

 曇り。
 きょうは、ポモサ(梵魚寺)にいきます。
 午前七時、プサンホテルを出発。
 近くの喫茶店でモーニングサービス。
 地下鉄ナンポドン駅へ。
 近いところは九百ウォン、遠い所は千ウォンです。
 自動販売機に千ウォンを入れて切符を買いました。
 いき先はポモサ駅です。

 電車は座れる状態ではありませんが、「イモを洗う」状態でもありません。

 若い女性をはじめ携帯電話で話しています。
 楽しそうです。

 かなりの人がタブロイドの新聞を読んでいます。
 高校生のような女性が熱心に読んでいます。
 よっぽど若い世代の感覚にもあった面白い新聞なのでしょう。

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2006.05.12

四国、よいとこ 530 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 ⑧ 金井山中のカササギ。

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 二〇〇六年五月九日。

 地下鉄ポモサ駅に到着。
 さて、ポモサ(梵魚寺)はどこでしょうか。
 見ると三キロ先との表示が。
 バスも出ています。
 弟が「歩いていかんかえ」。
 では、では。

 ポモサ(梵魚寺)は、金井山の中腹です。
 道路は舗装されていますが、なにせ上りです。
 ぜい、ぜいいいながら上ります。
 「ギュン、ギュン」の音。
 カラスより小さくて肩羽と腹面が白で、後は黒の鳥でした。
 「あれはカチ、日本でいうカササギだよ」

 途中で休み、昨日買ったウリを一つずつ食べました。
 ウオーキングの女性たちや男女がどんどん追い抜いていきます。

 休んでは歩き、休んでは歩きしていると、後ろから歩いてきた青年が声をかけてくれました。
 「織田信長。豊臣秀吉。徳川家康。服部半蔵。リスペクト(尊敬している)」
 なぜ、韓国の山中でこんな固有名詞を聞くのかという感じでした。
 「でも豊臣秀吉は、朝鮮をインベイド(侵略)したんだよ」

 なお、カササギは、スズメ目カラス科。『広辞苑』によると日本のカササギは十七世紀に朝鮮半島から持ち込まれたとされているそうです。

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四国、よいとこ 531 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 ⑨ 琵琶(?)を弾いている男性の像の得意そうな表情。

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 二〇〇六年五月九日。

 わーい。やっとポモサ(梵魚寺)です。

 女子中学生(高校生?)たちが教師に引率されてきていました。
 写生が課題のようです。
 女の子たちが、僕の英語で書いた文字のTシャツ(高知県の「平和の風」がつくった韓国製のものです。「軍隊なんかいらないよー」と主張しています)を見てアメリカあたりからきたと思ったのか「ハーワーユー」などと盛んに声をかけてきます。
 いい子たちです。

 一回りして、一番気に入ったのが琵琶(?)を弾いている男性の像。
 その、「僕ってうまいだろう」という感じの得意そうな表情がいい。

 けど、わーーーっ疲れた。
 と、思っていたら弟がとんでもないことをいいだしました。

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四国、よいとこ 532 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 ⑩ 頂上あたりの城と城壁・金井城への誘い。

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 二〇〇六年五月九日。

 弟がいいだした「とんでもないこと」というのは「クムジョンソン(金井城)にいこうよ」と、いうことです。
 この山の頂上あたりの城と城壁です。
 日本の侵略にそなえて一七〇三年に築かれたものだということです。朝鮮を植民地にした天皇の日本が壊し、戦後、再建したそうです。
 弟は「八年前に一人でいったことがあるけど、近場だ」というのです。

 「い・こ・う・か」
 僧侶に道を聞いたら「左にいってください」。
 岩ばかりの上り道です。
 弟が「ここは通ったことがないなぁ」と、いいはじめます。
 とにかく、つらい山道でした。
 いきかう男女は、きちんとした登山の服装をして、リュックを背負っています。
 こちらは食糧はウリ一つ。弟は観光案内の本や地図を持ち、僕はカメラ二つ持ってというかっこうです。

 でも、チンダルレ(ツツジ)がきれいです。
 所々、石を三角に積んでいます。
 「ネイモンゴルでも見たなぁ。仏教の何かの祈りだろうか」
 目の前を何か小動物が走りました。

 弟が「リス! リス!」。
 時々、「ポッ、ポー」。
 キジのようです。
 また、リスです。

 休み休みしながらの登山です。
 ウリ一つを分けて食べました。
 これで食糧は、もうありません。
 元々、水さえありません。
 何ということ。
 いきかう登山者たちは、途中で楽しそうに食事をしたり元気、元気。

 それにしても最初の目標・金井城北門が、まだ見えません。
 不安。
 「おかしいなぁ。八年前には、すぐついたんだけど。それに、こんな険しい上り道じゃあなかった」
 不安が増します。

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2006.05.13

四国、よいとこ 533 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 ⑪ やっと金井城の北門。西門。東門。…歩け、歩け。

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 二〇〇六年五月九日。

 やっと金井城の北門が見えました。
 いってみると門の左右に、どこまでも石を積んだ城壁が続いています。
 高校生たち(?)がたくさんやってきました。

 さて、僕たちは西門に向かいます。
 上って、下りて、上って、下りて…。
 どこにもチンダルレ(ツツジ)が咲いています。
 西門に着きました。
 そろそろ下りたいところです。

 東門の方向に向かいます。
 比較的下りが多いコースです。
 午後二時ころ、雨が降ってきました。
 ちょうど東門が見えてきました。
 東門に走りこんで雨宿り。
 カッパも持たないで山登りとはわれながら無謀です。

 しばらくして小降りになったので、左に下りていくことにしました。
 舗装した道路に出ましたが、道路を横切り、ひたすら真っ直ぐ下へ下へ。
 しかし、もう下にいけなくなりました。
 で、三つ目の舗装道路を下っていくことにしました。
 とぼとぼと歩いていたら、しばらくすると後ろからバスがきます。
 「とまって!!」とアピールしたら幸いにとまってくれました。

 そして、地下鉄のオンチャンジャン駅近くで降車。
 午後三時です。
 やれやれ。
 ポモサ駅から地下鉄の駅でいえば六つ目です。
 調べてみると十キロメートル以上山道を歩いていました。

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四国、よいとこ 534 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 12 食堂の「クミョン」の張り紙???

 二〇〇六年五月九日。

 地下鉄オンチャンジャン駅の近くの小さな食堂に入りました。
 女性二人でやっている店です。
 僕は、うどんとキムチの入ったスイギョウザを注文。
 うどんがきました。
 食べようとしていると料理人がやってきて「よくまぜてから、お食べください」。
 ここでもキムチと黄色いダイコンのつけものがおいしい。

 店内の各所に大きな文字で書いた張り紙がありました。
 「クミョン」
 と、書いてあります。
 「何か、おすすめ料理かな」
 とも思いましたがわかりませんでした。

 後で弟が「禁煙」と書いてあったと教えてくれました。
 「クミョン一つ、お願いします」なんていうと大笑いのところでした。

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四国、よいとこ 535 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 13 プサンの地下鉄のガスマスク。

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 二〇〇六年五月九日。

 やっと地下鉄ナムポドン駅に帰ってきました。
 ホームでふと見たら大きなケースが置いてあって、その中にガスマスクがたくさんありました。
ギョッという感じでした。

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四国、よいとこ 536 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 14 キョンジュいきはプサン駅からでなくプジョン駅からでした。

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 二〇〇六年五月十日。

 プサン三日目。
 雨です。
 午前七時半、プサンホテルを出発。
 本日はキョンジュ(慶州)いきです。

 地下鉄ナムポドン駅からプサン駅へ。そして、国鉄のプサン駅(写真)へ。
 切符売り場にいくと、「外国人の窓口へいってください」。
 その窓口は女性でした。
 「キョンジュいきはプジョン駅から出ています」
 英語でメモをつくりながらいきかたをてきぱきと教えてくれました。
 「地下鉄プサン駅へいき、それからプジョンドン駅にいきます。それから国鉄のプジョン駅にいって切符を買ってください」
 JR高知駅で、外国人にこんなにてきぱきとサービスができるだろうかと考えました。
 弟は「八年前には、ここからキョンジュいきが出ていたんだけど…。新幹線が開通したので変わってしまったのかなぁ」。

 プジョン駅の切符売り場では、こちらのいうとおりインプットして、こちら側に置いてあるディスプレイに結果を表示してくれました。値段も出ています。
 午前九時十分発、急行ムグンファ(ムクゲ)です。

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2006.05.14

四国、よいとこ 537 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 15 急行ムグンファ(ムクゲ)には日本語のアナウンスも。

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 二〇〇六年五月十日。

 国鉄プジョン駅の待合室にもガスマスクがありました。

 さぁ、出発です。
 急行ムグンファ(ムクゲ)では、ハングル、日本語、中国語、英語でアナウンスがありました。
 これはいい。安心です。

 ということで安眠の時間に。
 というのも前夜もプサンホテルのカラオケの音が夜中までうるさくて寝ては起き状態だったからです。

 しかし、車内でも寝ては起き状態になりました。
 こんどは「おじさん」「おばさん」の携帯電話での会話です。
 大音響で延々と話します。
 弟の声が大きいので時々注意するのですが、それ以上です。

 キョンジュ駅に近づくと車窓の外は農村風景。
 田んぼは、まだ田植えをしていません。

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四国、よいとこ 538 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 16 うわーっ。ソックラム(石窟庵)にはリス、リス、リス…。

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 二〇〇六年五月十日。

 急行ムグンファ(ムクゲ)はキョンジュ駅に到着。
 駅を出てプルグクサ(仏国寺)いきのバス停を探します。
 右にいったら違う方面でした。
 弟が通りがかりの青年に聞くと左のほうでした。
 案内してくれました。親切!!
 「(バス停が)ありました」
 ありがとう。

 まずは近くの食堂で朝食。
 そして、くだんのバス停へ。
 バスは先払いでした。
 プルグクサ近くに到着。
 観光案内所にいったら日本語の上手な若い女性が応対してくれました。
 観光案内所を手に入れて出ていこうとすると、その女性がおっかけてきました。
 「ソックラム(石窟庵)にはいかれましたか。目の前のバスが、ソックラムいきです。一時間に一本しかないので先にソックラムにいからてはどうでしょうか」
 「ありがとう」
 そのバスに乗ることことにしました。
 舗装されていますがまわりくねった道です。  
 運転手は、右手でポールを握って左手だけで運転していきます(ちなみに運転席は左です)。
 到着してから、またテクテクと歩きます。
 「あっ、リスだ」
 前日のとは違った「かわいい感じ」のリスです。
 次々とリスが出没します。
 
 ソックラムは、咲き誇るチンダルレと寺院の調和が美しいところでした。

 花崗岩(かこうがん)を丸彫りした高さ三・二六メートルの釈迦像を見ました。
 しかし、遠くからガラス越しで。
 たぶん像の下で見上げると一番かっこいい姿だと思うのですが…。

 ソックラムから出て石段を降りていると、またまたリスです。何匹もいます。
 観光客の「おじさん」が「タラムジ」と教えてくれました。
 二十数匹ものリスと出合ってソックラムをあとにしました。

 ソックラム(石窟庵)近くからバスでプルグクサ(仏国寺)近くにやってきました。
 プルグクサに上っていく途中で、またリスを二匹見ました。
 さっきのとは違う種類のものです。

 「仏国寺」を「百科事典マイぺディア」で引くと最初に建っていたのが「のち、兵火にかかった…」とありますが、この寺の英語の表示によると一五九三年の日本の侵略で焼尽したということです。
 この「事典」は変ですねー。

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四国、よいとこ 539 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 17 キョンジュ駅近くのエゴノキの白い花と古墳。

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 二〇〇六年五月十日。

 プルグクサ(仏国寺)からの帰りもバス。
 キョンジュ駅近くにくると街路のエゴノキ(メジュナム)の白い花がきれいです。

 国鉄のプジョン駅いきの切符(午後四時五十九分発)をとってから、引返してエゴノキを撮影しにいきました。
 そこで気がついたのが「小山」。
 「慶州皇吾里古墳群」といって新羅時代の塚だそうです。
 街中に、古墳がこうした形で残されていることになんだか感激しました。

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四国、よいとこ 540 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 18 キョンジュ駅近くの軽トラックの果物売りの「おばさん」。

 二〇〇六年五月十日。

 キョンジュ駅近くの路上が市になっていました。
 道路に軽トラックを置いて果物を売っている「おばさん」がいました。
 黄色いウリを五つ買いました。
 五千ウォンでした。

 パトカーがやってきてスピーカーで「駐車違反だからどけ」(たぶん、こういったと思います)と叫びます。
 「おばさん」の軽トラックは歩道のすぐ近くだから無理もありません。
 「おばさん」が大声で警官に何かいい返しました。
 そしたら、パトカーがいってしまいました。

 午前中に、同じ場所でパトカーがえらい勢いで駐車している乗用車を怒鳴りつけて追い散らしているのを見ていたこともあって、つくづく「おばさんは強い」と思いました。

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四国、よいとこ 541 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 19 キョンジュ駅ホームでの出会い。

 二〇〇六年五月十日。

 国鉄キョンジュ駅のホームでプジョンいきの列車を待っていました。
 僕と同年輩の韓国人の女性が話しかけてくれました。
 きれいな日本語です。
 キョンジュ市内で民宿をやっているとのことです。
 車内でも話しました。
 「私は以前はクラシック音楽のほうをやっていました。しかし、それをやめて日本語を学び、日本語教師をしていました。夫も、ことしYMCAを定年になりましたが、日本語も英語もできます。娘が日本人と結婚して東京にいます。娘の夫の父が高知に住んでいます」
 いい人に出会えました。

 この日、ナンポンドン駅のホームに降り立った時も四十歳代くらいの韓国人の女性に話しかけられました。
 「私、天理教の信者です」

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四国、よいとこ 542 チンダルレ(ツツジ)とタラムジ(リス)の旅 20 「俺が愛するのは熊の足の裏に…」って何?

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 二〇〇六年五月十一日。

 最終日。
 つまり日本に帰る日です。
 午前七時二十分、プサンホテルに旅行社の韓国人の女性が迎えにきてくれました。
 空港の前に土産物店。
 そして、空港。
 チェックインしてくれて「バイバイ」。

 大阪いきは午前九時三十分出発。
 空港でCDを買いました。六枚組の「歌謡舞台」というものです。

 アシアナ航空の飛行機の中で同社の出している雑誌『エンターメント』五月号を読みました。
 韓国のドラマ「君はどの星から来たの」のせりふが出てきます。
 スンヒがボクシルに語りかけます。
 「俺が君が好きだ! 君が愛するのはお前だ! 俺が愛するのは熊の足の裏に、無知で力が強くて、頭突きが得意で、俺の話は一つも聞かない田舎娘のボクシル!」
 「君が愛するのはお前だ!」というのは「僕が…」の誤訳のようです。
 「熊の足の裏」を愛するというのがよくわかりません。
 うーん。
 本当は、どういう意味なんだろう。


 関西国際空港からは高速バスで高松市へ。高松市から高速バスで高知市へ。
 とんとん拍子で夕方、自宅に着きました。

 ところで、今度の旅では『旅の指さし会話帳 韓国 韓国語』(情報センター出版局)が活躍しました。
 弟は、この本を片手に行動。
 十日午後、地下鉄プジョンドン駅近くの食堂で「ヨギヨー」(注文などのときの呼びかけ)、「コンブパプ」(おわんに入ったご飯)が通じたと悦にいっていました。
 次回は「しゃべれる、聞ける」になっていたいものです。
 十二日午後に連絡のついた妻に「この夏は二人でキョンジュにいこう。それまでにハングルをマスターしておいてね」。
 十四日夜の電話では、妻はハングルの教科書を買ったとのことです。

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2006.05.15

四国、よいとこ 543 「俺が愛するのは熊の足の裏に…」の意味を教えていただきました。

 二〇〇六年五月十五日。

 ある人が前回のハングルの「俺が愛するのは熊の足の裏に…」の意味を教えてくれました。
 「俺が愛するのは美人ではない…」だそうです。

 この青年は、彼女に、ずいぶんひどいことをいっているのですね。
 それで、どうなったんでしょうか。

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四国、よいとこ 544 高知県四万十町 「これより 美人多し 最徐行」。

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 二〇〇六年五月十五日。

 仕事で、朝から高知市から県下の四万十町へいきました。
 オートバイでです。
 同町に入ってからユニークな看板に出くわしました。
 「これより 美人多し 最徐行」
 うーん、面白い。
 よくぞ、こんなことを考えつきましたね。

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四国、よいとこ 545 高知県四万十町 窪川アグリ体験塾のメタセコイア。

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 二〇〇六年五月十五日。

 高知県四万十町でメタセコイアの並木を見ました。
 窪川アグリ体験塾の門の所から中に続いています。
 たぶん韓国のテレビドラマ「冬のソナタ」にも、こんなシーンがあったと思います。

 メタセコイヤは、スギ科メタセコイア属です。落葉高木。
 一九四五年、中国で「発見」され、四九年、日本にも伝えられたといいます。
 生きている化石植物といわれています。

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2006.05.16

四国、よいとこ 546 五十八歳、中学校教師の「母の日」。

 二〇〇六年五月十五日。

 夜、東京都の妻に電話したら、いつもどおり、のっけから「早く切ってよ」モード。
 仕上げなければならない仕事があるといいます。
 夜十一時ですが。

 息子、その妻の名前で、十四日に、「缶入り紅茶」が届いたといいます。
 「母の日」のお祝いです。
 その夜、息子から「いちおう、母の日だから」「気がつく人がいて…」という電話があったとか。
 息子が、そんなことに気がつくとは「誰も」思っていません。
 彼の「つれあい」、とってもいい人です。

 珍しく、娘からは何の対応もないといいます。

 高知市の妻の母には、東京から僕と妻の名前の「豆腐料理」が送られているはずですが、まだ、着いていないとのことです。
 残念。

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四国、よいとこ 547 僕と「いとしのパソコン、デジカメ」。

 二〇〇六年五月十六日。

 夕方、四月三十日に壊してしまったパソコンが生き返って手元に帰ってきました。
 「ああ、いとしのパソコンよ」
 と、いう感じです。
 使ってみると快調。

 仕事の必要から使い始めたパソコンとデジカメ。
 いつのころからか、これがなくては暮らせないようになってきました。

 一九八四年からワープロを使い出しました。
 そして、一九八〇年の後半にはパソコンに乗り換えました。
 一九九九年ころからデジカメを使い始めました。

 いまでは、パソコンとデジカメの「とりこ」になっています。
 なにせ、外出するときにも必ず、この二つはバッグに入っています。

 「鉄腕アトム」っこの僕も、こんなことが可能な時代がくるとはちっとも考えていませんでした。

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四国、よいとこ 548 僕の名曲、ザ・ブルーハーツの「リンダ リンダ」。

 二〇〇六年五月十六日。

 さっきから一時間もザ・ブルーハーツの「リンダ リンダ」を繰り返し聞いています。
 すごいですね。
 僕の名曲の一つです。

 映画「リンダリンダリンダ」も、何日か前にDVDで見ました。
 彼女たちの「リンダリンダ」の演奏を聞けただけでもグーでした。

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2006.05.17

四国、よいとこ 549 「身のまわり 本、新聞を 積み上げて‥‥」。

 二〇〇六年五月十七日。

 身のまわり 本、新聞を 積み上げて
 パソコンといる
 わが部屋のさま

 せっかく妻がきて掃除してくれていた部屋が数日たっと、もとと同じの雑然としたものになってしまいます。
 毎日、片付けてはいるのですが‥‥。

 きょうは、朝、高知市から広島市へ。夜、帰ってきました。
 広島で『ありのままの韓国』(山本裕人さん、文芸社)を買いました。
 帰りに半分くらいまで読みましたが、「へーっ、そうなのか」が連発の刺激的な本です。

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四国、よいとこ 550 山口百恵さんは「歌うこと」がなくなって‥‥。

 二〇〇六年五月十七日。

 山口百恵さんの曲を聞きなおしました。

 デビュー当時のキーワードは「女の子」でした。
 こんなに「僕のこと」を愛してくれて、僕への愛に忠実で、自由奔放な「女の子」がいれば、すばらしいなと当時の十代、二十代の心をとらえました。

 しかし、彼女は、しばらくして「成熟したおとな女性」に成長しました。
 「馬鹿にしないでよー」と、歌いはじめました。
 二十歳やそこらでです。

 そして、彼女は、いきづまりました。
 これから、どんな歌をうたっていくのだろうかと。
 
 結婚して、あれこれ夫婦間のいい争いがあって、子どもができて苦労して‥‥。
 そんな歌が彼女にうたえるでしょうか。

 で、引退しました。
 「歌えること」がなくなったので。

 そして、彼女は、二十歳やそこらのまま、僕たちの中で「存在」し続けています。

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2006.05.19

四国、よいとこ 551 高知市 「♪悪魔のごとき土佐キテイ‥‥」。

 二〇〇六年五月十九日。

 十八日、十九日と高知市は大雨。

 十八日午前、高知市の妻の実家の近くの家にいって貴重な話を聞きました。
 その時、その男性(僕の高校、高知県立追手前高校の大先輩でした)が、「ぜひ、読んでほしい」と、『軍国美談と教科書』(中西敏夫さん。岩波新書。一九八八年八月二十八日発行)を貸してくれました。
 読んでみると、こんなところがありました。

 ‥‥軍国日本は、‥‥中学生・女学生や小学生までをも戦争の渦中にひきこんだ。工場や農村への勤労動員と学童疎開がそれである。すると、中学生や小学生のあいだにまで反軍・厭戦(はんぐん・えんせん)の気分がひろがりはじめた。大戦末期、近くの造船工場に動員されていた高知県の県立城東中学三、四年生のあいだでは、誰がつくったのかもはっきりしないつぎのような歌がうたわれはじめた。そして、たまの休みに高知市内の学校に帰ってくるかれらによって、在校中の一、二年生のあいだにまで、あっという間にひろめられてしまった。
  寒風ついて浦戸浦/進むはどこぞ土佐キテイ(注・動員工場名)
  悪魔のごとき土佐キテイ/われらは奴隷と早がわり(以下略)
 ‥‥」

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2006.05.21

四国、よいとこ 552 高知市 「土佐キテイ」の続きです。「奴隷は進むキテイ牢」。

 二〇〇六年五月二十一日。

 「551」の続きです。

 「土佐キテイ」は、土佐機艇工業(高知市仁井田)のことでした。

 『高知追手前高校百年史』によれば、一九四四年八月八日から高知市の城東中学校五年生は、ここに勤労動員されています。

 八月   百五十八人
 九月   百三十人
 十月   百三十人
 十一月  百三十人
 十二月  百三十人
 翌年一月 百三十人
 といった記録が載っています。

 二十一日夕、また大先輩の話を聞かせていただきました。
 一九四四年四月に城東中学校入学とのことです。
 先輩から、こっそり「土佐キテイ」の歌を教えてもらったといいます。
 歌詞全文を教えてくれました。

 寒風ついて浦戸浦
 進むはどこぞ土佐キテイ
 悪魔のごとき土佐キテイ
 われらは奴隷と早がわり

 足に鎖はなけれども
 自由の女神いませねば
 青春の夢露と消え
 奴隷は進むキテイ牢

 キテイは何をつくっていたのでしょうか。
 五年生たちは、どんな「労働条件」で働いていたでしょうか。

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2006.05.22

四国、よいとこ 553 携帯電話代、月四万四千三百十七円の情熱。

 二〇〇六年五月二十二日。

 四国に住む、ある青年の話です。
 二月十九日に首都圏の女性と再会し、燃え上がりました。
 携帯電話の料金は、それまでは六千円くらいでした。
 ところが三月分の請求は、月四万四千三百十七円だったそうです。

 すごい情熱ですね。
 この恋よ、美しく実れ。
 心から、そう思っています。

 追記

 二十三日夜、携帯電話で元恋人(現・妻)に連絡していました。
 「もしもし」
 「いま自転車で走ってるところなの」
 「じゃ、また」
 「じゃあ、またね」

 何という淡白な‥‥。

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2006.05.23

四国、よいとこ 554 高知市 雨粒を乗せたキンシバイ。

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 二〇〇六年五月二十三日。

 高知は、午前中から土砂降り。
 午後になってからやみました。

 仕事の帰りに見た高知城の公園の雨粒を乗せたキンシバイ(金糸梅 ヒペリカム)が素敵でした。

 キンシバイ(金糸梅)は、オトギリソウ科、オトギリソウ属の半落葉小低木。中国原産です。
 初夏、枝先に濃い黄色で、五弁の花を次から次に咲かせます。

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2006.05.24

四国、よいとこ 555 誰からストレスを与えられますか? 五人に一人が「だんな」!!

 二〇〇六年五月二十四日。

 愛媛新聞二十一日付に大阪市の「毛髪クリニックリーブ21」のアンケート調査が載っていました。
 誰から一番ストレスを与えられるかと尋ねたところ、女性の一位は「だんな」。
 五人に一人がストレスの最大要因と回答したといいます。

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2006.05.25

四国、よいとこ 556 「フィパラム(口笛)」を何度も聞いています。

 二〇〇六年五月二十四日。

 なぜか、「北朝鮮歌謡曲集」というCDが部屋にありました。
 いつか気が向いて買い込んで、そのままになっていたものでしょう。
 今夜、本格的に聞きました。

 最初の「フィパラム(口笛)」の曲がいい。
 作詞・チョ・ギチョンさん。作曲・リ・ジョンオさん。歌・チョン・ヘヨンさん。

 【一番】

 昨夜も 吹いたよ フィパラム フィパラム
 もう何カ月 吹いたかな フィパラム フィパラム
 ポッスンニ(?)の家の 前を通ると この胸は ときめいて
 なんだか 切なくて フィパラム 吹いたよ
 フィフィフィ ホホホ フィフィ ホホホ
 フィフィフィ ホホホ フィフィ ホホホ

 一九九〇年の作品だとのことです。
 歌手のチョン・ヘヨンさんは、一九七二年八月十日生まれ。「人民俳優」だということです。

 「フィパラム」と「フィフィフィ ホホホ」の繰り返しが「くせになりそう」ですね。

 【二番】

 一度見ると なぜか また見ないではいられない
 何度見ても その姿を また見たいよ
 きょう 計画三百を 達成したと にっこり笑う時
 この胸に 情熱の火がつくんだ この思いを どうすればいいのだろう
 フィフィフィ ホホホ フィフィ ホホホ
 フィフィフィ ホホホ フィフィ ホホホ
 フィフィ ホホ フィフィ ホホ
 フィフィ ホホ フィパラム 

 【三番】

 昨夜も 吹いたよ フィパラム フィパラム
 もう何カ月 吹いたかな フィパラム フィパラム
 革新者の 花束を抱いて フィパラム 吹けば
 ポッスンニ(?)も 僕のこの心を わかってくれるだろう
 フィフィフィ ホホホ フィフィ ホホホ
 フィフィフィ ホホホ フィフィ ホホホ
 あーあー フィパラム 
 あーあー フィパラム 
 あーあー フィパラム
 フィフィ ホホ フィパラム
 フィフィ ホホ
 フィフィ ホホ

 「きょう 計画三百を 達成したと にっこり笑う時」や「革新者の 花束を抱いて 口笛吹けば」が、「ちょっと…」ですが…。

 知っている歌に感じが似てるなと思いました。
 そうだ。
 日本の「高校三年生」に曲相が似ていますね。

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四国、よいとこ 557 高知市 無料の広告雑誌。

 二〇〇六年五月二十五日。

 本日から出勤先が高知市内の新事務所になりました。

 朝、自転車で出勤していたら、はりま屋橋の交差点で若い女性たちが雑誌のようなものを両手で上に差し上げていました。
 手を出してもらいました。『ホットペッパー高知版』六月号(三十ページ)という広告ばっかりの無料の雑誌でした。

 「大きくない高知で、こんな商売ができるとは」と驚きました。

 県庁前の交差点でも配っていました。

 新事務所は電車通りで「上町電停」の近く。
 これまでの所よりかなりにぎやかな所です。

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四国、よいとこ 558 高知市 花の鉢を三つ買ってきました。

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 二〇〇六年五月二十五日。

 高知市の新事務所がさびしいので鉢を三つ買い込んできました。
 ハイビスカス二つ。アガパンサス一つ。

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2006.05.27

四国、よいとこ 559 「徴兵は命かけても‥‥」の作者・石井百代(ももよ)さんのユッカの花の短歌。

 二〇〇六年五月二十六日。

 きょうは朝から仕事で岡山市に。

 夜、帰ってから歌人の石井百代(ももよ)さん(一九〇三年一月三日生まれ。八二年八月七日、死去)の資料をあれころと読み直しました。
 石井さんは、「徴兵は命かけても阻むべし母・祖母・おみな牢(ろう)に満つるとも」(七八年九月十八日付の朝日新聞の「朝日歌壇」に掲載)の作者です。

 花の短歌もいくつかありました。
 そのうちの一首。

 「天をつく勢いみせて伸びきおいユッカの花は鈴なして咲く」
 一九六五年十二月五日号の「しんぶん赤旗」日曜版の「読者文芸 にちよう短歌」に載ったものです。
 彼女が開業医の夫と静岡県に住んでいたころの短歌です。

 ユッカ(イトラン)は、リュウゼツラン科ユッカ属の植物の総称です。北アメリカ、中央アメリカおよび西インド諸島の暑く乾燥した地域が原産です。

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2006.05.29

四国、よいとこ 560 岡山市 備前焼の、これは何??

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 二〇〇六年五月二十八日。

 これは備前焼です。
 岡山市で見ました。
 何でしょうか。
 説明を聞いてびっくりしました。

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四国、よいとこ 561 韓国映画「恋する神父」を見ました。

 二〇〇六年五月二十八日。

 夜、韓国映画「恋する神父」を見ました。
 韓国映画「猟奇的な彼女」のパロディがふんだんに入っていて愉快でした。

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2006.05.30

四国、よいとこ 562 高知県 竹本源治さんの「戦死せる教え児よ」の詩碑が訴えていること。

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 二〇〇六年五月三十日。

 東京新聞の五月二十三日付朝刊の「発言」欄に、東京都北区の男性の会社員(32)の「『歴史』に学び、過ち繰り返すな」という投書が載りました。
 高知県の公立中学校教師だった竹本源治さんの詩「戦死せる教え児よ」を紹介し、「教育基本法改正案が出ている今こそ『歴史』に学び、過ちを繰り返さないことが大切ではないでしょうか」と結んでいました。

 僕は、この詩が大好きです。
 ときどき高知市の城西公園の西側の「戦死せる教え児よ」の詩碑(自然石。高さ約二メートル、幅約一・八メートル)の前にたたずみ、気持ちを新たにしています。

 竹本さんは公立の小学校、中学校の教師で、高知県教員組合(一九四七年九月二十一日結成)の組合員でした。

 同組合の雑誌『るねさんす』四十二号(五一年十一月発行)に「送らじなこの身裂くとも教へ児を/理(ことわり)もなき戦(いくさ)のにはに」という短歌を発表しています。
 そして、引き続き、同誌四十四号(五二年一月発行)に、この詩「戦死せる教え児よ」を発表しています。

 逝いて還らぬ教え児よ
 私の手は血まみれだ!
 君を縊(くび)つたその綱の
 端(はし)を私も持つていた
 しかも人の子の師の名において
 嗚呼!
 「お互いにだまされていた」の言訳が
 なんでできよう
 慚愧(ざんき) 悔恨 懺悔(ざんげ)を重ねても
 それがなんの償いになろう
 逝つた君はもう還らない
 今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
 涙をはらつて君の墓標に誓う
 「繰り返さぬぞ絶対に!」

 当時は、高知県池川町(現・仁淀川町)の池川中学校の教諭でした。

 竹本さんは、一九年一月二十八日、池川町生まれ。山林地主の三男でした。
 池川青年学校を出て、四四年、地元の瓜生野(うりうの)国民学校で教壇に立ちます。
 四五年六月、応召し陸軍歩兵二等兵に。
 幼いときから頭に入った皇国史観のまま「神州不滅」と日本の勝利を信じていました。戦友が「戦艦陸奥が海に爆沈した。この目で見た」といっても「陸奥は、どこかに温存されている」と思っていました。
 そうした太平洋戦争中のみずからへの反省が、この詩、短歌を生みました。  
 竹本さんは、戦後の四七年、教師に復職し、池川中学校、弘岡中学校(いまは春野町立春野中学校)などで社会科と国語を教えました。
 戦後民主教育の反動的再編の政策がおし進められる状況になり、日本教職員組合は、五一年一月の中央委員会で「教え児を再び戦場に送るな」のスローガンを掲げ、全面講和、中立維持、軍事基地反対、再軍備反対の「講和に関する決議」を可決しました。
 竹本さんの短歌、詩は、こうした中で生まれたものです。
 五三年七月二十八日、ウィーンで開かれた第一回世界教員会議で、日本代表団がこの詩が紹介したとき会場には拍手がまき起こりました。ウィーン放送局が、ドイツ語訳で、この詩をラジオ放送したとき、「ウィーン放送局員をしてハンケチで顔をおさえさせた」(『日教組十年史』、日本教職員組合)といいます。

 竹本さんは、越知町の片岡小学校校長を最後に七八年三月、退職。二年後の八〇年五月二十四日、六十一歳で死去しました。

 その十年後の九〇年六月、高知県管理職教員組合結成二十五周年を記念して、この詩碑が建立されました。

 全日本教職員組合高知県教職員組合のホームページのトップページに、この詩の全文が掲げられていますhttp://hb2.seikyou.ne.jp/home/kochikenkyouso/index.htm

 二〇〇五年十一月三日、仁淀川町用居(もちい)の竹本さんの生家の庭に義弟の竹本嗣夫(たけもと・つぎお)さんが「送らじな‥‥」の石の歌碑(縦八十センチメートル、横一メートル)を建立しました。

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四国、よいとこ 563 高知市 僕たちのハングル教室は超少人数学級。

 二〇〇六年五月三十日。

 午前六時、起床。
 新聞、ふろ、着替え…と、いつもながら忙しい朝です。

 自転車をこいで、高知市の中心部にあるハングル教室に。
 店の一角を借りての教室です。
 生徒は、三人です。

 一人は、その店の主人。僕より年上の女性です。
 彼女は、とにかく勉強熱心です。
 ハングルを読める、書ける。すごい人です。

 もう一人は、これも僕より年上の女性。
 彼女は、耳がよくて、発音がいい。

 そして、僕。
 まだまだ、ちっともわかっていません。
 二人についていっているだけです。

 教師は一流。
 ネイティブの理知的な韓国人青年です。

 きょうの教室は、店の主人の出してくれたキムチ入りのソーメンを食べながら、コーヒーを飲みながら…。
 帰りには「ごちそう様」。

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四国、よいとこ 564 高知市 上町(かみまち)一丁目の「龍馬郵便局」。

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 二〇〇六年五月三十日。

 高知市上町(かみまち)二丁目の事務所に越してきてから「ここは、前の市内の小津町とはちょっと違った雰囲気の街だな」と思っています。
 坂本龍馬さんの生家が上町にあったということもあって「龍馬づくし」です。
 近所を歩いていたら竜馬さんの仲間の生家跡もありました。
 きょう、振込みで上町一丁目の郵便局にいきました。
 な、なんと「龍馬郵便局」という名前でした。

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四国、よいとこ 565 高知市 鏡川のシジミとりの男性。

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 二〇〇六年五月三十日。

 午後、高知市の天神大橋の所を自転車で通りかかったら、男性が、鏡川につかりながらで何やら漁をしていました。
 「何がとれるんですか」
 「シジミ」
 へーっ、そうなんだ。
 妻の父母が住んでいるのは歩いて五分の所です。
 高知市の街の中の川でシジミの漁ができる。すごいですね。

 急に、わが生地、大阪市の街中の川のドブのにおいを思い起こしました。

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四国、よいとこ 566 高知市 はりまや橋の、からくり時計がくりひろげる「よさこい鳴子踊り」。

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 二〇〇六年五月三十日。

 前にも高知市はりまや橋の「からくり時計」のことを書きました。

 きょうは、午後四時、夜九時と、自転車で、ここを通りかかって、この「時計」が、よさこい鳴子踊りを踊るのを見ることができました。

 夜のほうでは、見入っていた東京からの観光客らしい女性が「浅草の、からくり時計のほうが立派」だとか話しています。
 聞いていた僕は胸のうちで「浅草のは、よさこい鳴子踊りを踊ってないでしょ」と、いっていました。
 だんだん発想が「土佐人」に戻っている僕。
 いい感じです。

 前に単身赴任していた長野県には「おらほ」という言葉がありました。
 やっぱり、「おらほ」は、いい所です。

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四国、よいとこ 567 「岡山市 備前焼の、これは何??」に回答がありました。

 二〇〇六年五月三十日。

 「四国、よいとこ 560 岡山市 備前焼の、これは何??」に回答がありました。
 「手榴弾!」

 そ、そうだったそうです。
 太平洋戦争中につくられたものだといいます。

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四国、よいとこ 568 高知県 弟が育てたソラマメ。「おいしいよ」。

 二〇〇六年五月三十日。

 高知県いの町の弟が、自分が育てたソラマメを持ってきてくれていました。
 むかないまま冷凍庫に入れてありました。

 今夜は、それを冷凍庫から取り出して、そのまま沸き立つ熱湯に入れました。
 しばらくしてから、取り出して水冷。
 豆を取り出して、それに塩、コショウをふって食べています。

 うーん。なかなかいけます。
 けっこう値が張る「つまみ」かもしれません。

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2006.05.31

四国、よいとこ 569 鳴門海峡を写した絵はがきから消された淡路島!?

 二〇〇六年五月三十一日。

 五月二十八日付の徳島新聞に昭和初期の鳴門海峡を写した絵はがきの写真が載っていました。
 「天下之絶景鳴門海峡渦巻く干汐の潮流と裸島銚子の口を御茶園観潮場より眺望す」の説明がついています。

 しかし、変な写真です。
 中央の裸島の向こう側に見えるはずの淡路島がないのです。

 淡路島が完全に消されて、水平線になっているのです。
 誰が、こんなことをしたのでしょか。

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四国、よいとこ 570 高知市 わが庭にテッポウユリが咲いたよ。

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 二〇〇六年五月三十一日。

 「おつかれ」と
 白い花たち お出迎え
 テッポウユリが 咲いた夜(よ)のこと

 夜十時、高知市の自宅に帰りついたら、庭に白いテッポウユリの花が四つ咲いていました。
 ちなみに庭といっても畳で三畳くらいのものですが…。

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