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2006.06.19

四国、よいとこ 596 高知市空襲下、「御真影(ごしんえい)」、「教育勅語(きょういくちょくご)」を守れと必死になった国民学校校長たちのこと…。

 二〇〇六年六月十八日。

 あまりにも暑くて午後三時ころダウン。
 昼寝して、夜になってから勉強しました。

 『高校生が聞いた 高知市空襲の記録』(編集・発行・尾崎之治さん、田所金久さん、安並和雄さん)を読みました。

 高知空襲の一九四五年七月四日当時、高知市立第二小学校の校長だった男性の体験話が紹介されています(筆者は、松岡淳子さん。祖父の話の聞き書きです)。
 以下、大要です。
 
 山田町の八幡神社、岡林宅、第二国民学校の順に焼かれました。
 焼夷弾(しょういだん)が盛んに落とされました。
 第二国民学校の校舎が焼け出したので、校長と、同校に最初に駆けつけた「杉村先生」が「御真影」(ごしんえい。昭和天皇と皇后の写真)と「教育勅語」(きょういくちょくご)を持って、一宮(いっく)国民学校に向かって出発しました。
 その時、市中一面が火事で相生橋付近が通れず、山田橋から一文橋を通って、一宮に向かう途中、広い田んぼの中に何百本もの焼夷弾が燃えていました。
 午後四時ごろ、一宮国民学校に「御真影」、「教育勅語」を安置して、第二国民学校に帰りました。
 高知市は一面火事になり、黒煙が空をみたし、第二国民学校は全焼。校庭には焼夷弾が九十本以上突き刺さっていました。
 高知駅の西方の防空壕(ぼうくうごう)で老夫婦が黒焦げになっていました。
 はりまや橋交差点と潮江橋との中間路上で十五、十六歳くらいの青年が両手をつき方足を高くあげて黒こげになって死んでいました。
 潮江橋と山内神社までの鏡川には、焼死者が多数ありました。
 第一国民学校、第二国民学校は焼失したので、焼け残った昭和国民学校に全生徒を合併して授業をしました。

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