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2006.06.18

四国、よいとこ 590 妻の母の高知市空襲体験 その一 職場から若い男性がいなくなって……。

 二〇〇六年六月十八日。

 高知市に住む妻の母に、一九四五年七月四日午前一時五十二分から約一時間のアメリカ軍機の高知市空襲の体験を聞きました。
  
 彼女は、一九二七年(昭和二年)一月二十四日生まれです。

 家は、高知市廿代町(にじゅうだいまち)の木造の平屋でした。
 入交(いりまじり)さん宅の前で、西隣は大家(たいけ)さんという瓦の商売をしている人の宅でした(いまでも、電車どおりの角にガソリンスタンドがあります)。
 蓮池町の荒物雑貨、竹崎商店の番頭をつとめる父と住んでいました(母は、すでに亡くなっていました)。

 高知市立第二小学校、高知市立実科女学校を出ました。
 (第二小学校は、今の高知病院の所です。オリンピックに出た水泳の北川選手の出身校です。縦二十五メートル、横五メートルのプールがありました。ナンバースクールは第六までありました。第三が追手前でした。実科女学校は、錦川町にありました。いまの高知女子大のある所です)。

 市内の四国営林局の前の高知県地方木材株式会社につとめていました(今の高知県庁西庁舎の所。四階建ての鉄筋コンクリートのビルでエレベーターがありました)。
 職員は百人くらいいましたが、男性は課長級から上と小遣いさん(坊や)だけでした。
 若い男性がどんどん戦争にとられていたからです。
 木材が統制になっていて、この会社の仕事は、指令に従って木材を供給する仕事でした。

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