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2006.06.08

四国、よいとこ 584 高知市 自由民権家・坂崎紫瀾(さかざき・しらん)さんの略伝。

 二〇〇六年六月八日。

 自由民権家・坂崎紫瀾(さかざき・しらん)のことを少し調べました。
 この間の記事を補足して「略伝」を書いておきます。

 【土佐藩の藩医の二男として生まれて…】

 一八五三年十一月七日、江戸鍛冶橋の土佐藩邸で、土佐藩の藩医・坂崎耕芸(さかざき・こううん)の二男として誕生。幼名・健次。名・斌(さかん)。三人兄弟。
 五五年十一月十一日の安政大地震で藩邸の長屋がつぶれます。
 江戸の巣鴨村に引っ越します。
 その翌五六年、一家をあげて、高知城下の廿代町に帰ってきました。
 紫瀾は、六五年、得業生として藩校・致道館に入りました。
 翌六八年(明治一年)には、素読席句読補助、六九年には句読師に進み、五人扶持を給せられました。
 この間、函館の戦争に参加しました。
 七〇年、藩費を給せられて広島に遊学しました(三月末日、高知を出発)。
 七一年、迎えられて彦根藩の藩校の教授になり彦根に赴任しました。
 一家は、七二年ころ、土佐郡江ノ口村大川淵二十一番屋敷に移りました。
 七三年、紫瀾は、上京し、ニコライ塾に学びました。

 【愛国公党に加わって】

 七四年には高知に帰ってきました。
 七四年一月十二日、板垣退助さんらの愛国公党が組織成された時、紫瀾は、これに加わりました。
 七五年、司法省に就職。十五等出仕に任ぜられます。

 【長野県松本での政談演説会】

 七六年、十四等出仕に進み、同年十月、二十五歳で、長野県松本の松本裁判所の判事になりました。
 七六年冬、高知で永島某の娘と結婚し、松本につれていきました。
 翌七七年九月、紫瀾たちは松本で政談演説会を開始します。
 同年十月、判事をやめて「松本新聞」の編集長になり、「普通選挙は行うべし」と、制限選挙を批判した論説などを書きました。
 一方で、「猶興義塾(ゆうこうぎじゅく)」を開きました。
 各地でおこなわれた政談演説会では、同士の中でも最高の二十七回の演説をしました。 
 木下尚江(なおえ)が、この演説を自宅近くの松本の宝栄寺で聞いていました。
 尚江は、自伝的小説『懺悔(ざんげ)』で、つぎのように書いています。
 「予は或時(あるとき)一個の非常なる雄弁家を見た。趣旨は『今日の圧制政治を覆へして自由の世界に出づるためには、我々は皆な一身を棄てなければならぬ』と云(い)ふのであった。‥‥余は実に『死んでも可(よ)い』と思った」
 七七年十二月、妻と離婚しています(結婚期間は一年。のちに、板垣退助の媒酌で、越前藩士・中村敬蔵の娘・徳子と結婚。一女三男を得ています)。

 【高知での自由民権の活動】

 紫瀾は、七七年(?)、高知に帰り、佐々木高行や谷千城を背景とする中立社設立に参加しました。
 八〇年七月五日、紫瀾は高知県の「高知新聞」の編集長になり、自由民権運動の宣伝普及をしました(紫瀾は、のちに主幹に)。
 紫瀾は、「女権家」をにんじ、八〇年九月十九日付では、当人同士の意向を無視した結婚を「福引婚礼」とし、それは「父母圧制といはさるを得ざる」とのべました。
 八一年五月八日、高知北奉公人町の末広亭での演説でも「自由婚姻論」と題する演説をしています(「高知新聞」八一年五月七日付)。
  『佐々木高行日記』に、同年八月九日の佐々之治の書簡が載っています。
 高知の自由民権運動についての情報です。
 「民権踊り第二の曲、今回左記の通りを持って、是又(これまた)南川原納涼場に於(おい)て、彼(か)の輩(やから)の壮年及(およ)び浦戸、種崎などの漁夫等(ら)が毎夜踊舞致(いた)し候(そうろう)」
 「南川原」というのは高知市を流れる鏡川の南河原のことです。

 そして、「民権踊り第二の曲」の歌詞を書いています。

 ジヤッパンニース是(これ)なぜ泣く●與欠●(か)。親も無いか子も無いか。親も子もごんす。たった一つの我(わが)自由。鷹(たか)めに取られてきのうけふ(きょう)。きのふと(きのうと)思えど二千年。三千余万の兄弟と。共に取りたい我が自由。「ウラル」の山に腰掛けて。東を遥(はる)かに。ながむれば。卑屈世界の亜細亜洲

 この歌の作詞者について家永三郎さんは『植木枝盛研究』(第一版。岩波書店)で「…あるいは…坂崎であったと思われるが…」と、しています。
 紫瀾は、同年八月二十六日には、板垣にしだがって陸路高知を発し、東北地方を遊説しました。
 同年十月二十九日、板垣を総理とする自由党が結成されました。
 高知に帰ったあと、政談演説では、フランス革命などをとりいれ政府を攻撃しました。
 同年十二月十日夜、紫瀾は、高知県長岡郡中島村でも演説します。
 翌十一日、中島村での演説をとがめられ高知警察本署に召喚になり、県庁から何分の達があるまで演説禁止を申しつけられます。
 同月十五日、高知県令から一年間の演説禁止の命令を受けます。
 すると、紫瀾は、翌八二年一月には、遊芸稼人(ゆうげいかじん)の監察を受けます。
 芸名を馬鹿林鈍翁(ばかばやしどんおう)と名乗り、東洋一派民権講釈師馬鹿林鈍翁一座(六人)をつくります。
 そして、同月二十一日夜、高知上の新地の広栄座で東洋一派民権講釈の初興行を打ちました(当初は二十三日まで三日間の予定)。
 二日目の二十二日夜には、官憲により一座は講釈を中止させられ、解散させられました。紫瀾らは、現場で警官に逮捕されます。
 紫瀾さんはの演じた講談「羅馬英雄ブラタス小伝」の中の「天子(てんし。天皇)は人民より税を絞りて独り安坐す。税を取りて上坐に位するは天子と私しの二人なり」が不敬罪(天皇にたいして「不敬」な行為があったとして罰せられました)に問われ、講談にたくして政談をおこなったことは集会条例に違反するとされたのです。
 二月七日、高知軽罪裁判所は、紫瀾に不敬罪で、重禁固三カ月、罰金二十円、監視六カ月の判決を下します。
 この間、政府を批判した「高知新聞」は、八二年七月十四日、発行禁止の処分を受けます。
 七月十六日、約五千人の参加で「高知新聞」の「葬式」がおこなわれました。
 「火葬」地の上り口に「ひつぎ」を安置し、紫瀾が「祭辞」をのべました。
 保釈中の八三年一月、紫瀾は、『冷血千里の駒』という坂本龍馬を主人公にした小説を書き始めました(「土曜新聞」同年一月二十四日付から九月二十七日付まで連載)。
 同年六月に高知監獄から出獄します。

 【東京を追われ仙台…】

 その後、紫瀾は、「土曜新聞」にいましたが、翌八四年四月、退社。上京して「自由新聞」に入りました。ここでは主筆をつとめました。
 その後、「浪華新聞」、「今日新聞」などの主筆を歴任します。
 八七年十二月二十五日、保安条例が公布されます。
 反政府派とされた紫瀾は、この条例で、皇居三里以外に追放されます。
 彼は、家族とともに仙台に移住しました。
 その後、山形の「山形新聞」に招かれ、のちに「大同新聞」、「国民新聞」など各社を転々とします。
 八〇年、高知に帰り、大川淵(大川筋)に新居を定め、県庁の学務課に出仕しました。
 妻・徳子は、夫とともに女権拡張運動に参加。
 八三年の京都四条北劇場の女子大演説会にも出演しています。
 八四年五月十一日、自由党幹部の星亨さんが新聞『自由燈(じゆうのともしび)』創刊しました。
 紫瀾も、創刊とともに上京し、主筆(記者、画師)として、この新聞に参加します(八五年十二月に退社)。
 彼は、ここで八四年九月から退社までに男女同権、一夫一妻制を主張する女権論の論説を二十六本書きました。
 九三年一月、「土曜新聞」に招かれ、四年間、高知にいました。
 その間、九四年、九五年の日清戦争に記者として従軍しています。
 九九年、東京にいき、『維新土佐勤皇史』の執筆にあたります。か
 一九一三年二月十七日、東京で亡くなりました。五十九歳。

 【参考にさせていただいた文献】

 ● 『松本地方における自由民権運動の一源流 松本時代の坂崎紫瀾の言論活動』(山田貞光、『信濃』第十八巻第十一号)。
 ● 『自由民権裁判の研究 下』(手塚豊。慶応通信)。
 ● 『土佐自由民権運動史』(外崎光広、高知文化振興事業団)。
 ● 『植木枝盛研究』(第一版。家永三郎、岩波書店)。
 ● 『自由燈の研究』(松尾章一。日本経済評論社)。
 ● 『自由民権運動と女性』(大木基子、ドメス出版)。
 ● 「紫瀾雑録」(滝石登鯉、『土佐史談』第百十五号)。
 ● 『続郷土史夜話』(平尾道雄、高知新聞社)。
 ● 『夢・人・自由 土佐の自由民権マップ』(監修・山本大、高知新聞社)。
 ● 『伝えたい 土佐の百人 その言葉』(高知新聞社)。
 ● 『高知の近代文学素描 悲痛と反骨の系譜』(高橋正。土佐文化資料調査研究会)。
 ● 『土佐の百人』(高知新聞社)。
 ● 『日本共産党の七十年 党史年表』(日本共産党中央委員会)。

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