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2006.06.18

四国、よいとこ 594 高知市 妻の母の高知市空襲体験 その五 家は丸焼けになっていました。

 二〇〇六年六月十八日。

 彼女たちが高知市内廿代町の帰ってみると、家は丸焼けになっていました。
 裏に井戸があって、庭に散水するように水道がありました。
 防火のために、その下に洗濯用より大きなたらいをおいて水をいっぱい入れてありました。
 逃げていく時、「水、出しちょこう」と、いって水を出しておきました。
 そのたらいはふちが少し焦げていましたが、水が満タンになったまま残っていました。
 「一巻の終わりで写真もなにもなくなってしまいました」

 高知市立第二小学校も丸焼けになりました。
 奉安殿だけが残りました。

 近くに醤油の醸造元がありました。そこには醤油の入った大きな醸造樽がありました。
 私と同年輩の女性は炎の中、その樽に浸かって一夜を明かしたといいます。

 同僚の女性が会社にやってきましたが、顔の片方べったりやけどになっていました。
 はりまや橋の四差路の真ん中で油脂焼夷弾(ゆししょういだん)の油で滑って転んだということでした。

 鏡川の南の市営グラウンドの所から遺体を焼く臭い煙があがっていました。

 妻の父は、アメリカ軍機に撃たれ広島県呉の海軍病院に入院していました。
 八月六日のアメリカ軍機の広島市への原爆投下。
 傷ついた人たちが呉海軍病院に押し寄せ、押し出された格好で父たちは別の病院に移動します。
 列車に乗って福山に通りかかった時、福山はアメリカ軍機の空襲を受けました。列車の両側は、ぼんぼん燃えていました。
 岡山で乗り換え、鳥取の海軍病院に落ち着きました。
 八月十五日に敗戦。
 八月二十日に高知に復員した妻の父は、「高知駅に着くと、高知の街は丸焼けで、すぐ前に筆山(ひつざん)が見えた。高知は、こんなに狭い所だったろうかと思った」と、いいます。
 上は上町五丁目まで丸焼け。しもじ、旭、中須賀、菜園場(さえんば)の一部、知寄町の一部を残して、市内大半は焼かれたということです。

 彼女と父は、その後、市内旭の赤石町(あかいしちょう)のおばの家に疎開したといいます。
 会社は場所が「はねばし」・鉄砲町(てっぽうちょう)に変わりましたが、終戦までいきました。
              ◇
 終戦になり、空襲の時つとめていた高知県地方木材株式会社の社屋は占領軍が接収しました。
 アメリカ国旗がたなびいていました。

 妻の母と父は、戦後の結婚です。
 戦争の中で、からくも生き残って、結婚し、初めての子ども、つまり、いまの、わが妻が生まれました。

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