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2006.06.25

四国、よいとこ 625 国民学校の音楽の時間 十七時間目 「南へ、南へ、国威はのび行く 山田長政 日本男子」なんて。

 二〇〇六年六月二十五日。

 『初等科音楽 一』の楠木正成の次は山田長政です。

 山田長政(やまだ・ながまさ。一五九〇年~一六三〇年)は、駿河国沼津出身。通称は、仁左衛門(にざえもん)。江戸時代にシャム(現在のタイ)の日本人町を中心に東南アジアで活動しました。
 一六一二年に朱印船でシャムに渡りました。
 後に、津田又左右衛門筆頭の日本人傭兵隊に加わり、アユタヤー郊外の日本人町の頭領になりました。
 アユタヤー王朝の国王・ソンタムの信任を得、チャオプラヤー川に入る船から税を取る権利を与えられました。
 ソンタム王の死後、長政は、シーウォーラウォン(後のプラーサートトーン)と共同でチェーターティラートを王にたてました。
 しかし、チェーターティラートは、シーウォーラウォンを排除しようとして失敗し、シーウォーラウォンに処刑されました。
 その後、チェーターティラートの弟のアーティッタヤウォンが王としてたてられましたが、幼すぎるので、官吏らはそのころチャオプラヤー・カラーホームスリヤウォンに昇進していたシーウォーラウォンに王位に付くように願いました。
 長政はこれに反対したために、宮廷内で反感を買いました。
 この時、当時、長政は六昆(ナコーンシータマラート)の防衛を理由にシーウォーラウォンによって左遷されました。
 長政は、一六三〇年、パタニ軍との戦闘中に脚を負傷し、傷口に毒入りの膏薬を塗られて死亡しました。

 彼は、当時の、天皇の海外侵略戦争とイメージをダブらせた形で音楽教科書に起用されたようです。

 一 黒潮寄せ来る大うな原も、
   わたれば近し、シャムの国、
   南へ、南へ、船行く、船行く。
    山田長政 日本男子。
 二 正義のいくさに力をそへて、
   いさをは高し、ナコン王、
   南へ、南へ、国威はのび行く
    山田長政 日本男子。

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