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2006.06.18

四国、よいとこ 592 高知市 妻の母の空襲体験 その三 ブーッというB29爆撃機の音がし始めていました。

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 二〇〇六年六月十八日。

 一九四五年七月四日未明のアメリカ軍機の高知市空襲は、彼女が十七歳の時のことです。

 その夜は、父、桂浜の姉とその息子(赤ちゃん)が一緒にいました。
 枕元に防空ずきん、着替え、荷物を置いて寝ていました。

 つけっぱなしだったラジオが「空襲警報発令。空襲警報発令」と放送しました。
 隣の家も、ばたばたしだしました。
 ブーッというB29爆撃機の音がし始めていました。
 「重厚な怖いような音」でした。

 父が「おきないかんぞ。逃げないかん」と、いいました。
 父は姉に「赤ちゃんをつれちゅうき、なんちゃぁもたんとはよう、どんどん逃げて」と、いいました。
 姉は息子を抱いて、北へ逃げました。
 彼女も救護袋を肩にかけて、父と走って逃げました。
 焼夷弾(しょういだんが)パア、パアと火花を散らして落ちてきていました。
 暗くありません。

 所々で、「キャーッ」といって、みんなが防空壕に入り込んでいました。
 「入りよったらいかん。入りよったらいかん。時間をとられるから」と、父。
 防空壕に入っていたら時間を取られ逃げられなくなるということです。

 市内薊野(あぞの)に知った人がいるので、そこにいくということでした。
 そこに荷物も疎開していました。
 高知橋を通り、そこまでいきました。
 田んぼばかりの所でした。
 そこの奥さんが、おにぎりなどをつくってくれました。
 そうするうちに、父は、浦戸の母の親類宅へいこうといいだしました。

 浦戸にいく途中で市内山田町の県社八幡宮(山田町八幡さま)所で救護の炊き出しをしていました。
 にぎりめしを渡していました。
 そこで姉たちと会いました。
 「ああ、よかったねー」と、いいあいました。

 朝、逃げる時、朝倉町(あさくらまち)で、防空壕(ぼうくうごう)の入口の所で亡くなっていた母と赤ちゃんの黒く焼けただれた遺体に出会いました。
 「もう、みんとろう。みんとろう(見ないでいこう。見ないでいこう)」
 と、目を覆って逃げました。
 (朝倉町は、いまの南はりまや町です)。
 遺体は軍隊がトラックに乗せて、どんどん運んでいきました。

 そして、四人で浦戸にいきました。

 
 【注】

 県社八幡宮(山田町八幡さま)は、一九六七年、高知八幡宮と改称。現在の地名は、高知市はりまや町三丁目八の一一です。同宮のリーフレット「高知八幡宮略記」によると、「昭和二十年七月の戦災に炎上、戦前の建物で現存するのは境内神社の本殿と手水舎で他は戦後の建物であります」地図は、同リーフレットから。写真は、二〇〇六年六月二十一日撮影。

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