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2006.06.05

四国、よいとこ 577 高知市 自由民権家・坂崎紫瀾(さかざき・しらん)さんの意気込み。

 二〇〇六年六月五日。

 ひょんなことで、坂崎紫瀾(さかざき・しらん)さんのことに興味がわきました。
 今夜、調べてみました。
 以下、そのメモです。

 一八五三年、江戸鍛冶橋の土佐藩邸で、土佐藩の藩医・坂崎耕芸(さかざき・こううん)さんの二男として誕生。本名・斌(さかん)。
 五五年二月、一家は大地震に遭遇。その翌年、一家をあげて、江戸の巣鴨村を避け、高知城下の廿代町に帰ってきました。
 七二年ころは、土佐郡江ノ口村大川淵二十一番屋敷に移りました。
 八〇年七月、「高知新聞」が発刊されると、同紙の記者になり、自由民権運動の宣伝普及をしました。
 八一年十二月十五日、紫瀾さんは、高知県長岡郡中島村での演説をとがめられ高知県内での一年間の演説禁止の命令を受けます。
 すると、翌年一月には、遊芸稼人(ゆうげいかじん)の監察を受けます。
 芸名を馬鹿林鈍翁(ばかばやしどんおう)と名乗り、東洋一派民権講釈師馬鹿林鈍翁一座(六人)をつくります。
 そして、同月二十一日夜、上の新地、広栄座で東洋一派民権講釈の初興行を打ちました。
 二日目には、官憲により一座は講釈を中止させられ、解散させられました。紫瀾さんらは警官に拘引されます。
 二月七日、高知裁判所は、紫瀾さんに不敬罪(!!!)で、重禁固三ケ月、罰金二十円、監視六カ月の判決を下します。
 すると、紫瀾さんは、今度は『冷血千里の駒』という坂本龍馬を主人公にした小説を書き始めました(「土曜新聞」八三年一月二十四日付から九月二十七日付まで連載)。
 九三年一月、「土曜新聞」に招かれ、四年間、高知にいました。
 その間、九四年、九五年の日清戦争に記者として従軍しています。
 九九年、東京にいき、『維新土佐勤皇史』の執筆にあたります。か
 一九一三年、東京で亡くなりました。

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