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2006.07.13

四国、よいとこ 675 高知市朝倉 あの野中婉(のなか・えん)さんの屋敷跡。

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 二〇〇六年七月十三日。

 高知市は晴れました。
 やっほー。
 ということで、早朝からオートバイで仕事にでかけました。
 まずは、市内の朝倉。

 着くのが少し早すぎました。
 で、前から気になっていた 野中婉(のなか・えん)さんの屋敷跡にいきました。
 路面電車の「朝倉神社前」の電停の真正面にあります。

 青年のころ、今井正監督の映画「婉という女」を見ました。
 データを見ると、発表は一九七一年となっています。
 ずーっと六八年ころと思っていましたが……。

 「あらすじ」は、こうでした。

 土佐藩家老・野中兼山が失脚して亡くなると、藩政を握った政敵たちは、四歳だった婉たち兼山の遺族を宿毛へ閉じ込めました。
 外界と完全に接触を断たれた婉は、狭い獄舎を、それほど苦しいとは思いませんでした。
 しかし、娘として成熟するにつれ、獄舎は狭くなり、自由ではなくなってきました。
 「他人に会いたい!」
 くずれるような婉を学問が支えました。
 婉が二十六歳になった時、亡き父・兼山を敬慕する青年学者・谷秦山が幽居を訪ねてきました。
 獄吏にさえぎられて対面はきませんでしたが、許された年に一、二度、それも学問上の質疑に限られた秦山との文通は、婉の中の女の生命の炎を燃やしました。
 そして、四十年ぶりに触れる新しい世界。
 互の存在を知りあって二十年ぶりの婉と秦山との初対面。
 別れしな、婉の手をつつむように握った秦山の手のぬくもりは、いつまでも消えることはありませんでした。
 だが、外界も、婉ののぞんだような自由な世界ではありませんでした。
 世間の好奇な眼があり、妻子ある秦山と会うことは思うにまかせず、いぜんとして文通でしか心は通じあえませんでした。
 世間というとらえがたい障害、しかも、秦山は、その力に抗じがたいものを見、婉から遠ざかろうとしています。
 秦山に想いを寄せる婉の気持とは逆に、秦山は婉に婚姻をすすめました。
 やがて、土佐藩の継続問題がもとで、秦山が幽居を命ぜられました。
 「幽居にはじめて訪れたただ一人の人。こんどは私が会わずば気がすまぬ」
 婉は、駕篭(かご)を駆りました。
 途中、城代、山内主馬の行列とぶつかりました。
 婉は、侍たちをキッと見上げました。
 「元家老、兼山の娘、婉、邪魔だちは許しませぬぞ!」
 婉の体内に、政治へのすさまじい抵抗がみなぎっていました。

 婉さんは、一七ニ五年死去。六十六歳でした。

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