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2006年8月

2006.08.02

四国、よいとこ 681 広島県呉市 セミドキュメンタリー「赤い月の街 呉空襲」。

 二〇〇六年八月一日。

 夜、いい映画を見ました。
 セミドキュメンタリー「赤い月の街 呉空襲」(三十五分。一九八六年)です。
 高校生たちの平和運動を追いながらアメリカの呉空襲の実際を紹介しています。
 感動の力作です。
 このブログの左上の「リンク」にある「呉戦災を記録する会」のホームページで見ることができます。

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四国、よいとこ 682 小説『僕が彼女を好きになったわけ』 七 一年生の樋口伸子の「出現」。

 文理学部自治会正副委員長選挙で石川浩と川崎義男は、当選しました。
 さぁ、学生大会の準備です。
 大会記事録の書記を誰にやってもらおうか。
 川崎が、高校の後輩で、今年入学した女性に頼んでくれました。
 文理学部の樋口伸子と、教育学部の山田恵美でした。
 後で知ったのですが、伸子と恵美は、中学校時代からの大の仲良しで二人で「交換日記」をつくって自分の思いを伝え合っていた間柄でした。
 顔にこだわるわけではないのですが、恵美は、目がぱっちりしたいわゆる美人、伸子は、「普通」で「それなりに美しい女性」です。
 悪くいえば美人と「引き立て役」というコンビでした。
 学生大会をきっかけに、浩は、このコンビと話すようになりました。
 浩は美人が好きなくせに、伸子が気にかかりました。
 そのうち、伸子のことが、いろいろとわかってきました。

 ○ 無口で知的な人でした。何だかわからないけど「向かい風の中を髪をたなびかせて進んでいく女性」といった印象でした。
 ○ 昼食は、いつも、キャンパスの学生会館の売店で菓子パンと牛乳ですましています。恐怖の「パン党」です(浩は、「ご飯党」)。
 ○ 市内に住んでいて、父親は不動産鑑定士、母親は不動産業者です。
 ○ 運動神経が「ちょっと…」のせいか、いまだに自転車に乗れません。
 ○ 某新興宗教団体に入っていました。父親が入っているせいで、その宗教は、家族の誰かが入ると「一家ぐるみ」信者のようにあつかうのです。伸子も、時々、その宗教団体の集まりにいっているようです。

 浩にとっては、「何だか、ひどく気になる女性」でした。
 (つづく)

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2006.08.03

四国、よいとこ 683 「お疲れ様でした」か「御苦労様でした」か。

 二〇〇六年八月三日。

 言葉って難しいですね。
 文化庁のホームページに載っていた「平成17年度『国語に関する世論調査』の結果について」が話題になりました。
 今年七月二十六日の文書です。

 ● 仕事が終わったときに、どのような言葉を掛けるか。

 「お疲れ様(でした)」
 「御苦労様(でした)」

 ● 外部の人の前で、自分の職場の人を何と呼ぶか。

 「鈴木は…」
  「課長の鈴木は…」
 「鈴木課長は…」

 ● 会社へのあて名の敬称は何と書くか。

  「御中」
 「様」
 「行」
 「殿」

 ● どちらの言い方を使うか。

 ☆「あいそ(う)を振りまく」 「あいきょうを振りまく」 ○

 ☆「怒り心頭に発する」 ○ 「怒り心頭に達する」

 ☆「腹に据えかねる」 ○ 「肝に据えかねる」

 ☆「言葉を濁す」 ○ 「口を濁す」

 ● 気になる言い方。

 ☆「うそをついてあとで後悔した」

 ☆「早起きして行ったのに、順番を一番最後にされた」

 ☆「今年の元旦(がんたん)の夜は、みんなで初もうでに行こうよ

 ☆「その方法は、従来から行われていたやり方だ」

 ☆「美術館建設の候補地として、この村に白羽の矢が当たった」 ○「立った」

 くわしくは、http://www.bunka.go.jp/new_fr4.htmlで。

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2006.08.04

四国、よいとこ 684 香川県高松市 朝の栗林公園。

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 二〇〇六年八月三日。

 香川県高松市の栗林公園の近くのビジネスホテルに泊まっていました。

 朝、栗林公園の近くを通ると、その林全体からセミの音がわきあがっていました。
 「開いているかもしれない。入ってみるか」
 いってみたらもう午前五時半から開園していました。
 すごく早いですね。
 ハスの花がきれいに咲いていました。

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四国、よいとこ 685 高知市 高見山の花たち。

 二〇〇六年八月四日。

 高知市に高見山という低山があります。
 そこのふもとに住む、僕より先輩の女性から、この山の花のことを聞きました。
 ノハナショウブ。
 スイラン。
 コクラン。
 という花が咲くそうです。
 キンラン、ギンランも。
 皿が峰という三百六十度見晴らしがきく所もあるといいます。
 一度、いい時期に登ってみようと「決意」しました。

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2006.08.05

四国、よいとこ 686 高知市 水風呂に飛び込むと…。

 二〇〇六年八月五日。

 自転車で 走って帰り
 水風呂に 飛び込むたびに
 湯気が立つよう

 暑いねー。
 元気ですか。

 本日は、もう暑くて、暑くて……。
 家に帰ると、とにかく寝よう。
 で、午後十時に起き上がって、作業再開。

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四国、よいとこ 687 「五枚組み うたごえ伴奏CD 百曲」。

 二〇〇六年八月五日。

 実は、この間、高松市にいった時、「五枚組み うたごえ伴奏CD 百曲」を買い込みました。
 いま一枚目を聞いています。
 「いぬふぐり」
 「ウラルのぐみの木」
 素晴らしいですね。

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四国、よいとこ 688 小説『僕が彼女を好きになったわけ』 八 狙われた樋口伸子の「求道者的性格」。

 樋口伸子の「求道者的性格」を察知したやからが、彼女にいいよってきました。
 韓国の男性を教祖にした集団結婚で有名な「宗教団体」です。

 午後のことでした。
 ここの男子学生が、伸子を大学構内の学生会館の一室に連れ込んで入信の説得をしていました。
 それを見つけた石川浩は「すわ、一大事」とばかり、その部屋のドアを開けて(勢いでいえば「け破って」という感じでした)、割って入りました。
 「樋口さん。これは大変なエセ宗教だ。だまされてはいけない」
 「何でお前が出てくるんだ」とばかりに抗議する男子学生。
 「何をいうか」と、ばせいを浴びせ、伸子を部屋から連れ出し「救出」する浩。
 浩は騎士きどりですが、どうみても浩のほうがろうぜき者です。
 相手の学生の顔は見たことがありません。他大学からのオルグのようです。
 浩の介入に納得のいかない伸子。

 そのうち伸子は、市内の繁華街である、その「宗教団体」の「合宿学習会」に出るといい始めました。
 これから路面電車で、そこにいくというのです。
 浩も、伸子に続いて、路面電車に乗り込みました。
 彼女の横に座って、にじりよるようにして、なぜあの「宗教」はいけないかを語り続ける浩。
 「横暴な人だ。なんで、ちょっと話したがあるだけのこいつに、そんなことまで束縛されなきゃいけないの。先輩といえども許せない」
 伸子は、むかつきました。
 そんな彼女のむかつきにとん着なく、「正義」をかざして彼女にしつこくつきまとう浩。
 この日は「時間切れ」で、伸子は「合宿学習会」に参加できませんでした。
  (つづく)

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四国、よいとこ 689 小説『僕が彼女を好きになったわけ』 九 石川浩の恋愛観の背景。

 ところで、何の関係もなく、そのころの石川浩の恋愛観に立ち入ることにしましょう。
 まずは、その背景から…。

 彼の父母の関係には、太平洋戦争が重くのしかかっていました。
 父は、兵庫県明石市の漁師でしたが、徴兵で陸軍の輜重兵(しちょうへい)に。中国にいきました。
 たぶん、むごいこともし、「従軍慰安婦」とも接したことでしょう。
 戦後、明石市に帰り、大阪市に魚の行商で出ていました。
 そこで、たまたま、ふるさとから大阪市にきていた母と出会いました。
 「丈夫そうで、一緒に働いて生活をつくっていけそうな女性だった」というのが父が気に入った理由だったようです。
 母は、京都市で「女中」をやっていた十六歳の時、警官と恋仲になり娘を生んでいます。
 その後、ふるさとで小学校の同級生の大工と結婚しました。
 長男が生まれました。
 しかし、夫は、徴兵で出征。軍隊での銃剣術の訓練で胸を突かれたことから、入院し、亡くなりました。
 長男も栄養失調で世を去ります。
 その後、母は、風船爆弾の紙をすくために徴用されます。
 母は、「ぼろぼろで」戦後を迎えました。

 そんな二人が一緒になり、やがて、浩が生まれました。
 そして、三人一緒に母のふるさとに帰ってきました。
 父は、機械ずきの紙工場で働きました。
 母は、手すきの女工でした。
 身なりにかまっているひまはありません。
 そのうちに父は、「浮気」をするようになりました。
 父は、戦争で失った「青春」を取り戻したいのか、一心不乱に「浮気」をしました。 
 かなりの金が、そのためにつぎ込まれ、家庭の紛争になりました。
 浩や弟たちの小中学校の給食費なども出せない状況でした。

 浩は、そんな二人を見て育ちました。
 そんな結婚は、まっぴらでした。
 (つづく)

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2006.08.06

四国、よいとこ 690 高知市 一日に 「やれること」など 少なくて…。

 二〇〇六年八月五日。

 一日に 「やれること」など 少なくて
 零時を過ぎて
 パソコンをおく

 では、また、あした。
 おやすみなさい。

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四国、よいとこ 691 小説『僕が彼女を好きになったわけ』 十 石川浩の「理想の恋愛」。

 石川浩が大学に入学したころ、昼休みのキャンパスには「うたごえ」が響いていました。
 グリークラブという混声合唱団があって、木陰で何人かを集めて「みんな歌う会」をやっていました。
 浩も音痴は音痴なりに、何度も、その会に参加しました。
 そこで歌った曲のいくつかが、彼の「理想の恋愛」のイメージをふくらませていきました。

 ナンバーワンは「どこまでも幸せ求めて」(作詞・作曲・長谷治さん)です。

 一、夕べ二人で
   歩いたことが
   私の心を
   開いてくれた
   若者の明日を
   切開くために
   どこまでもあの人と
   一緒に歩きたい

 二、ひとみがささやく
   おふくろのように
   いつでもおいらに
   話しかけてくる
   やさしい君の
   平和のうたで
   どこまでも幸せを
   求めて歩きたい

 三、夜明けに向かって
   二人で歩こう
   あなたと私の
   子どものために
   喜び広げる
   仲間の中で
   みんなと一緒に
   駆け出して行こう

 「わたぼこの中に咲いた花」(作詞・千阪昌代さん、作曲・多泉 和人さん)も、その一つです。

 一、夕べ彼と話した 工場のへいにもたれて
   たくましい笑顔が わたしは好き
   わたぼこの中に 咲いた花
   まわす機械に 咲いた恋

 二、母さん恋しくなった つらい仕事で泣いた
   今は仲間と 励ましあって
   わたぼこの中に 咲いた花
   まわす機械に 咲いた恋

 三、二人の愛たしかめて よろこびの歌うたう
   幸せなあした きずいてゆこう
   わたぼこの中に 咲いた花
   まわす機械に 咲いた恋

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2006.08.07

四国、よいとこ 692 高知市 つらーい夏の一日のこと。

 二〇〇六年八月七日。

 つらい日でした。

 「なんだかねー 違うんだよねー」
 そうだろな
 わかっているが 表現できない

 そんなこと 進行してたか
 後で知り
 ボロアンテナを 直しにかかる

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四国、よいとこ 693 高知市 東京の妻からの「某日某時、熊本空港にきなさい」の手紙。

 二〇〇六年八月七日。

 夜、高知市の家に帰ったら東京都の妻からの手紙が届いていました。
 「今月下旬の某日某時、熊本空港にきてください。ここで会って、三泊四日の九州旅行をしましょう」という内容のメモが入ってました。
 彼女に電話すると「できればオートバイでやってきなさい。私を後ろに乗せなさい」とのことでした。

 おそろいの 赤いメットを 買いにいこ
 六十前の
 タンデム(オートバイの二人乗り)の旅

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2006.08.08

四国、よいとこ 694 みなさん。元気ですか。暑中お見舞い申し上げます。 

 二〇〇六年八月八日。

 熱風が体に吹きつけてくる夏です。
 いま出張から帰ってきたばかりですが、いっていた先も猛烈な暑さでした。
 みなさん。暑中お見舞い申し上げます。
 この間、韓国、カナダや北海道に移り住んだかたも元気ですか。

 東京から高知にやってきて一年、最近、反省することが多い毎日です。

 ● 世の中でどんなことがおころうとしていて、どんなことが起きているかをキャッチする力が弱くなっているということです。
 本日もメーラーを開けたら三十通くらいメールがきていましたが、広告が圧倒的で、「うれしいお便り」は、東京都のIさんからの一通だけでした。Iさん、優しいお便りありがとうございました。多くのかたと「ひんぱんにメールをいただける関係」を築いていかなければと痛感しています。

 ● 引き続き現場にいくことを重視して走っています。しかし、最近気になっているのは一つひとつの仕事を仕上げる速度が遅くなっていることです。
 あまり、「うーん」と考え込まないで、「『仕事』と対じし、一気にやってのける」。その迫力を持ちたいと思っています。

 ● 暮らしでは、「洗濯以外の家事は『ほとんど』パス」「食事も不規則だし短時間」という状態におちいっていることです。
 掃除、食事づくりなども復活し、独り暮らしなら独り暮らしなりの「生活」をつくっていきたいものだ思うきょうこのごろです。妻も東京で独りでがんばっているようですし……。

 以下、このブログに書き込んできた、最近の「心境」、最近の短歌です。

 そんなこと 進行してたか
 後で知り
 ボロアンテナを 直しにかかる

 締め切りに 助けてもらい 仕事する
 ゴールに向かって
 きょうも スタート

 「現場には 真実がある」
 そう信じ
 歩いてきたよ 靴はヘタヘタ

 「なんだかねー 違うんだよねー」
 そうだろな
 わかっているが 表現できない

 前向きに 変わる一瞬
 その「ゆげ」を とらえてみたいな
 なしえてないが

 次々と 数十枚を 削除して
 五枚残った
 デジカメデータ

 わが仕事
 「優しくていい」 声あって
 心うきうき あすも歩こう

 「生活の 常識がない」 批判あり
 許せ、僕にも
 いいとこはある

 自転車で 走って帰り
 水風呂に 飛び込むたびに
 湯気が立つよう

 夜八時 さあ、これからが 洗濯だ
 乾くだろうか
 予報を見てる

 喜びを うたってみたい 夜のこと
 カシャ、カシャ、カシャも
 軽やかである

 パソコンの 画面に刻む 文字群が
 五、七、五…の
 リズム生む時

 離れ住む 妻への不満も 短歌(うた)にして
 一つ、二つと
 たくわえている

 言の葉の
 一つひとつを つむぐ日々
 短歌(うた)詠む時に 心は開く

 短歌(うた)詠めば
 新たなる風 わきおこる
 日々の暮らしに 世界の明日に

 一日に 「やれること」など 少なくて
 零時を過ぎて
 パソコンをおく

 おそろいの 赤いメットを 買いにいこ
 六十前の
 タンデム(オートバイの二人乗り)の旅
 (これは、これからです)

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2006.08.10

四国、よいとこ 695 高知市、松山市 高速バスは夢の中いく。

 二〇〇六年八月九日。

 朝から高速バスで松山市へ。

 目覚めれば 両側緑 空は青
 高速バスは
 夢の中いく

 空いていたので、いすを最大限倒して、ゆったりと旅行できました。
 しかし、仕事のほうは……。
 帰りのバスの中で、三崎亜記さんの小説『 となり町戦争』を読みました。
 ひさしぶりに小説らしいものを読んだという感じです。
 高知市に帰ってから事務所にいって一仕事。
 近くの生鮮スーパーが午前零時まで開いていることを「発見」。この二、三日の食料を買い込みました。

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四国、よいとこ 696 愛媛県松山市 松山海軍航空隊の「えんたいごう」。

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 二〇〇六年八月十日。

 本日も朝から高速バスで松山市へ。
 すごいものを見ました。
 住宅街の松山海軍航空隊の「えんたいごう」です。

 軍用機が「頭」から入る形になっています。
 あくまで「逃げ込む」という形になっていて、ここから「出撃する」という形にはなっていません。

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四国、よいとこ 697 高知市 よさこい祭りの「謎のコマまわしおじさん」。

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 二〇〇六年八月十日。

 夜、高知市に帰り着いて、菜園場(さえんば)の商店街で、よさこい祭りの踊りを見ました。

 この踊りは、瞬間に見ている人をひきつける必要があります。
 ● まずは、衣装。
 ● 音楽。
 ● 振り付け。
 ● パワー。
 一時間ほど見ましたが、残念ながら、なかなかピンとくるものがありません。
 この一年間、いろんな所でトップクラスのチームの踊りを見てきたせいか、比較してしまうのだと思います。

 面白かったのは、チームとチームの間に割ってはいる「謎のコマまわしのおじさん」。
 実にうまいし芸達者。

 踊り子さんたち、この人に食われていました。

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四国、よいとこ 698 高知市 独りの部屋の不気味なおしゃべり。

 二〇〇六年八月十日。

 高知市のアパートに独りで住んでいます。
 自分でも気持ちが悪いのが、独りでしゃべっていることです。
 「へへーっ、おもしろい」
 「ふふーん」
 など、など。
 「はっ」と、気がついて「誰に聞いてもらうんだよー」。
 本当は「頭の中だけで」しゃべっていればいいのですが……。

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2006.08.11

四国、よいとこ 699 高知市 「シンキ」って土佐弁でしたっけ。

 二〇〇六年八月十一日。

 朝風呂に ざぶっとつかり いい気分
 シンキになって
 さぁ、出勤だ

 高知で「シンキ」といいます。
 「新しくなること。新しいもの」です。
 漢字は「新規」と書くのでしょうが、標準語の語感とはちょっと違うような気がします。
 「この靴、ぼろぼろやき、シンキをこうて」とか、よく使います。

 風呂に入って、エリンギ、チンゲンサイたっぷりの焼きそばをつくって朝食。
 「暑いよー」
 ちょっと食べるものの選択を誤ったようです。

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2006.08.12

四国、よいとこ 700 高知市 今夜も、よさこい踊りを見ました。

20060811_065


 二〇〇六年八月十二日。

 夕方、雷と雨。
 ちょうど、その時間にオートバイで郵便局に向かっていてびしょぬれに。
 雨は、しばらくしてやみました。

 仕事中、窓を開けていたら、ずーっと「よさこい踊り」の音がわーわー入ってきます。
 たまらなくなって仕事が終わってから見にいきました。

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四国、よいとこ 701 高知市 八月十五日の終戦の日を前にして。

 二〇〇六年八月十二日。

 昨日から、極東軍事裁判所の東京裁判のことを考えています。
 何だったのでしょうか。
 じっくり勉強する必要があると思っています。

 ● 連合国側(一九四五年八月十五日の終戦直前の八月九日に参戦した国もふくめて)の法廷です。日本が侵略した当時の日本の侵略の最高権力者が裁かれるべきものでした。しかし、不思議なことに主犯は免訴されました。

 ● この判決が出る前に「BC級戦犯」が裁判に付され処断されています。それは順序としても疑問です。主犯などの罪状が確定してから、それらの裁判はおこなわれるべきではなかったでしょうか。

 「戦争遂行についての絶対権力を保持していて侵略せよと命じた人」、「その命を受けて、そうせよと命じた人たち」、「命じられて、それを遂行した人たち(確信犯であったにせよ、疑問を持ちながらであったにせよ)」は、「侵略者」としては同じですが、その罪の「負いかた」は、やはり違うのではないでしょうか。

 よさこい祭りの「けん騒」の中で、あれこれと考え、まだ結論の出ていないことです。
 あなたは、どう考えますか。

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2006.08.13

四国、よいとこ 702 映画「武蔵野夫人」の映像と、今日の恋、夫婦の愛…。

 二〇〇六年八月十三日。

 一九五〇年ころの東京の武蔵野の風景でしょうか。
 林、田畑、そして、わき水。
 「野川」というせりふも出てきます。
 野川の水源地「恋ヶ窪」の名も。
 いまは国分寺市です。
 美しい世界です。

 夕方、DVDで見た映画「武蔵野夫人」(五一年、東宝、 監督・溝口健二、原作・大岡昇平)です。
 ここを舞台に、太平洋戦争下の武蔵野、戦前の男女関係のいびつな仕組み、この戦争が日本国民の男女の「愛憎」という心に残した傷跡を突き詰めていきます。

 双方にその気さえあれば、一対の男女が、純粋に、その内なる思いによってのみ恋をし、ともに家庭を持ち、その恋と愛を貫いて生きぬいていくことが可能な今の日本の尊さを感じます。

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四国、よいとこ 703 高知県・東京都  「ちょっとー。三十分後に電話するね」。妻はガッチャン…。

 二〇〇六年八月十三日。

 午後十時十三分、東京都の「愛妻」に電話したら
 「ちょっとー。(いま駄目)三十分後に電話するね」
 ガッチャン。
 すわ、彼女の命にかかわるような重大事態がおこっているのでしょうか。
 ジャン、ジャン…。

 ま、たぶん、NHKテレビの衛星放送で「山内さんち」のドラマを見ているのだと思います。
 どうも、妻の「ドラマ大好き」は、こまりものです。

 せっかく、僕の今夜の名せりふ、「双方にその気さえあれば、一対の男女が、純粋に、その内なる思いによってのみ恋をし、ともに家庭を持ち、その恋と愛を貫いて生きぬいていくことが可能な今の日本の尊さを感じます」というのを伝えようと思ったのですが……。

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2006.08.14

四国、よいとこ 704 高知県 休刊日の新聞の花火の写真。

 二〇〇六年八月十四日。

 本日は、たいていの新聞は休刊の日です。
 しかし、高知新聞の朝刊は発行されていました。

 注目したのは、昨夜の「第五十六回高知市納涼花火大会」の写真です。
 二枚載っていますが、どちらもきれいです。

 高知市柳原の鏡川河畔で開かれました。
 僕も、少し遅れて、九反田橋の所から見ました。
 二箇所に打ち上げられていました。
 一箇所のほうは、三分の一がビルに妨げられて見えません。
 なぜ、もっと高く上げないのか。
 もう一箇所のほうは高く上がって、いいのですが、球が小さい感じで、「わーっ」という感じになりません。
 「夕方の雨で花火がぬれたがやろうか」
 「花火師がへたながやろうか」
 「予算がきびしくなっているからなぁ」
 そんな声がまわりから聞こえます。
 脚立もセットして写真を撮ろうとしていた男性が早々とカメラをしまいこんでしまいました。
 
 高知新聞の写真はすごい。
 一面のは、豪勢な花火の写真です。「同市の筆山から多重露光」とあります。
 二十二面のものは柳原の対岸から撮ったものです。
 やっぱり、写真を撮るからには場所を選ばないとだめですねー。

 ところで、この日、この花火大会で約一時間半に打ち上げられたのは、打ち上げ花火四千五百発と仕掛け花火十五基とか。
 二十面を見たら、同日、県下土佐清水市で開かれた「第四十五回市民祭あしずりまつり」では、約五十分にわたって「過去最多の約八千五百発(の花火)が豪快に夜空を彩った」とあります。

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2006.08.16

四国、よいとこ 705 この夜に生まれ出でたる短歌(うた)一つ。

 二〇〇六年八月十四日

 いやなこと うれしいことが あるたびに
 「話したいよー」
 離れ住む妻

 この夜に 生まれ出でたる
 短歌(うた)一つ
 電話で妻に 読み上げている

 「アッハッハ」
 陽気な声だ 元気だな
 妻との電話は 安どの時間 

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四国、よいとこ 706 書家の高松紅真(たかまつ・こうしん)さんの「風」。

 紅真(こうしん)の
 「風」が扇子(せんす)に 舞っていて
 涼しい風を 吹かせているよ


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  二〇〇六年八月十五日。

 いま高知市丸の内二の一の一〇の高知城ホール一階ロビーで書家の高松紅真さん(高知市在住)が「平和祈念書展 戦争の八月」を開催中です。
 後に高知大学学長になった関田英里さん(故人)が学徒出陣の時につくった句も彼女の筆で額になっていました。
 関田先生夫妻は、僕たちの仲人さんでした。
 紅真さんの作品で僕が一番気に入ったのが、この「風」です。
 見ていると涼しい風が吹いてくるような感じでした。

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四国、よいとこ 707 高知市 きょうは、暑過ぎてちゃがまりました。

 二〇〇六年八月十六日。

 高知市は暑い。
 でも、わが事務所はクーラー嫌いが多数。
 午後もクーラーをかけずにがまん、がまん…。
 ということで、ちゃがまってとまいました。

 おっと、「ちゃまがる」というのは、土佐弁で「駄目になる」とか「ダウンする」とかいう意味です。

 うれしかったのは、オートバイに乗るとき用の涼しい布地の上下を手に入れたこと。ちゃくちゃくと、ツーリングの準備が進んでいます。

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四国、よいとこ 708 高知市 役知公園のノウゼンカズラの花。

20060817_007


 二〇〇六年八月十六日。

 事務所からの帰りに高知市内の役知公園を通りかかったらノウゼンカズラがきれいに咲いていました。
 いつ見ても花の中の上のほうの形状がユニークです。
 花を上向きに保つ支えでしょうか。

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四国、よいとこ 709 高知市 超弱いパソコンオセロとのたたかいの日々。

 二〇〇六年八月十六日。

 超弱い パソコンオセロに 勝ちまくり
 悦にいってる
 昨夜も今夜も

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四国、よいとこ 710 高知市 一九五三年の日本映画「雨月物語」。

 二〇〇六年八月十六日。

 夜、DVDで一九五三年の日本映画「雨月物語」を見ました。
 「すっごーい」と、いう感じ。
 「こうした人類の遺産を味わい切らないままでは死ねないなぁ」
 そう思う、きょうこのごろです。

 ま、そう長くは(一千年も)生きれないでしょうから、急いで急いでいいものを見て、何とか「こんないいものがあるんだよー」と、ブログなどで叫んで、次の世代に引き継ぎたいものです。

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2006.08.17

四国、よいとこ 711 高知市 この市がやっているから木曜日…。

 二〇〇六年八月十七日。

 この市が やっているから
 木曜日
 ふと気づいてる 出勤の道

 高知市の県庁近くの木曜市です。

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四国、よいとこ 712 徳島県 県の平和、核兵器ノーの新聞広告。

 二〇〇六年八月十七日。

 徳島新聞の六日付朝刊二十五面に徳島県の五段の広告が出ていました。
 「築こう平和な未来 核兵器のない世界 その未来 こどもたちも見つめています」
 徳島県議会の一九八二年十月二十日の非核の県宣言にもとづいて、この広告を載せたとのことです。


    「非核の県」宣言


 世界恒久平和の実現は、徳島県民の悲願である。
 しかしながら、今日、諸外国における核兵器の拡充、開発に伴う国際情勢の緊迫化は、県民にとってまことに憂慮にたえない。
 よって、徳島県議会は
 一,徳島県の区域内では核兵器を生産・貯蔵・配備をさせない。
 二,核兵器ないし軍事的用途の核物質は、徳島県内の区域を通過させない。
 三,核兵器等の完全な廃絶のため徳島県を「非核の県」とする。
 右、宣言する。
         昭和五十七年十月二十日
          徳 島 県 議 会

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四国、よいとこ 713 高知市 「てこにあわんきねぇ」。

 二〇〇六年八月十七日。

 「あの人は、僕では、てこにあわんきねぇ」
 と、いってしまってから、「てこにあわん」って何だっけ。
 土佐弁では「手に負えない」という意味でしたね。確か。

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四国、よいとこ 714 一九六二年のアメリカ映画「アラバマ物語」が告発したもの。

 二〇〇六年八月十七日。

 夜、DVDで映画「アラバマ物語」を見ました。
 何度か見た映画ですが、何度見ても面白いですね。
 一九六二年、アメリカ映画です。
 三〇年代のアメリカ南部アラバマ州の、ある町が舞台です。
 真実を曲げてまで無実の黒人青年を罪におとしいれる白人たちの黒人差別の根深さを描ききっています。

 「アラバマ(映画「アラバマ物語」)」の
 六歳の娘(こ)は いまいずこ
 会ってみたいな しわしわだろか

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2006.08.18

四国、よいとこ 715 高知市 「燃えきらぬ仕事をしている日々なのか…」。

 二〇〇六年八月十八日。

 燃えきらぬ 仕事をしている
 日々なのか
 続きを見ている 毎朝の夢

 気がかりだけど、前に進んでいないテーマがあってもんもんとしているせいでしょう。
 毎朝のように、その仕事に果敢にとりくんでいる夢をみます。

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四国、よいとこ 716 高知市 「高知製糸女工哀歌」の「まるで地獄の十四時間」。

 二〇〇六年八月十八日。

 高知新聞十五日付朝刊の「一所懸命土佐に生きて 依光 裕」に「高知製糸女工哀歌」が載っていました。
 高知製糸は、高知市旭にあった工場です。

 一、家を出る時 笑い顔
   汽車や電車に身を乗せて
   赤石(あかいし)前に着きにけり

 二、高知製糸に来てみれば
   ぐるりは高垣 窓ガラス
   ねずみも通わぬ籠(かご)の鳥
 
 三、朝は四時にて晩七時
   十四時間の其(そ)の間
   三度の食事もいそいそと

 四、まるで地獄の十四時間
   便所に行くのもままならず
   鬼のような監督さん

 五、あまり工場(こうば)のきびしさに
   寄宿に帰りて思案する
   ああ此(こ)の世の苦労より

 六、遠きあの世の極楽へ
   人も寝静む一時ごろ
   棚の行李(こうり) を引きおろし

 七、上から下まで着替えして
   門番さんの目を盗み
   鏡川原へ急がるる

 八、鏡川原を 西東(にしひがし)
   袂(たもと)に小石を拾い込み
   父母(ちちはは)許したまえよと

 九、西に向いては手を合わせ
   東を向いては手を合わせ
   死ぬる覚悟をしたけれど

 十、死んだら在所の親元へ
   会社は借金取り立てる
   死ぬに死なれぬ籠の鳥

 母の姉、母が戦前、ここで働いていたことがあります。
 母の姉は、ここでのストライキに参加したことがあるといっていました。
 母が、ここに勤めたのは小学校を卒業してすぐのことだったそうです。

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四国、よいとこ 717 高知市 立ったまま下にある物を取ろうとしたら…。

 二〇〇六年八月十八日。

 午前中、事務所で仕事をしていて、立ったまま下にある物を取ろうとしたら「ツウ!!!」。
 腰をやられてしまいました。
 で、この苦痛に耐える一日になってしまいました。
 鎮痛剤は買ってきましたが、「痛み、さよなら」というわけにはいきません。

 誰かが「加齢はみな平等」などといっています。
 シクシク…。

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2006.08.19

四国、よいとこ 718 与謝野晶子さんの短歌、「水軍の大尉となりて我が四郎み軍(いくさ)にゆくたけく戦へ」。

 二〇〇六年八月十九日。

 歌人の三枝昂之(さいぐさ・たかゆき)さんが愛媛新聞八月十一日付に、与謝野晶子さんの晩年の短歌を紹介しています。
 短歌雑誌『冬柏』一九四二年一月号に載ったものだといいます。

 戦(いくさ)ある太平洋の西南を思ひてわれは寒き夜を泣く

 水軍の大尉となりて我が四郎み軍(いくさ)にゆくたけく戦へ

 子が船の黒潮越えて戦はん日も甲斐(かい)なしや病(やま)ひする母

 この三首です。
 「四郎」というのは晶子さんの四男(一九一三年二月生まれ)のことで、海軍大尉でした。
 晶子さんが、かって詩にうたったアウギユスト君のことです。

    我家の四男

 おもちやの熊(くま)を抱く時は
 熊の兄とも思ふらし、
 母に先だち行(ゆ)く時は
 母より路(みち)を知りげなり。
 五歳(いつゝ)に満たぬアウギユスト、
 みづから恃(たの)むその性(さが)を
 母はよしやと笑(ゑ)みながら、
 はた涙ぐむ、人知れず。

    アウギユスト

 アウギユスト、アウギユスト、
 わたしの五歳(いつつ)になるアウギユスト、
 おまへこそは「真実」の典型。
 おまへが両手を拡げて
 自然にする身振の一つでも、
 わたしは、どうして、
 わたしの言葉に訳すことが出来よう。
 わたしは唯(た)だ
 ほれぼれと其(そ)れを眺めるだけですよ、
 喜んで目を見張るだけですよ。
 アウギユスト、アウギユスト、
 母の粗末な芸術なんかが
 ああ、何(なん)にならう。
 私はおまへに由(よ)つて知ることが出来た。
 真実の彫刻を、
 真実の歌を、
 真実の音楽を、
 そして真実の愛を。
 おまへは一瞬ごとに
 神変(しんぺん)不思議を示し、
 玲瓏(れいろう)円転として踊り廻る。
 
 このころの晶子さんの様子を書いておきます。
 三五年三月二十六日、夫・寛が死去。
 三七年三月十二日、脳溢血(のういっけつ)で倒れました。一か月病床に。
 四〇年五月に二度目の脳溢血で倒れました。
 以後、右半身不随の病床生活となります。
 八月、二女・七瀬のすすめでカソリックの洗礼を受けます。
 そして、四一年十二月八日の昭和天皇の太平洋戦争開戦…。
 この短歌は、このころのものでしょうか。
 〇四年、明治天皇の日露戦争に従軍の弟を思う詩「君死にたまふことなかれ」と比べると、彼女の戦争観はどうだったんだろうと考えてしまいます。

 四二年五月二十九日、晶子さん死去。

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四国、よいとこ 719 高知県 漫画家・やなせたかしさんの弟・柳瀬千尋さんのこと。

 二〇〇六年八月十九日。

 高知新聞の夕刊を見たら、漫画家・やなせたかしさんのエッセイ「オイドル絵っせい」が載っていました。
 「回天」という題です。
 弟の柳瀬千尋さんのことを書いてありました。
 京都帝国大学法科を卒業して海軍予備学生になったこと。
 海軍少尉に任官して人間魚雷「回天」の特別攻撃隊員としてフィリピン島バシー海峡で戦死したこと。
 「…自分が実際に戦争を体験してからは心の底から戦争が大嫌いになった。平和ボケも戦争の悲劇に比較すればよほどいい。正義の美名で虐殺が許されるはずがない」
 「ぼくは既に人生の晩年に達したが、最近しきりに亡弟千尋のことが偲(しの)ばれる。あいつが生きていればと残念でならない」
 やなせさんの言葉です。

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四国、よいとこ 720 与謝野晶子さんの「旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて」の詩。

 二〇〇六年八月十九日。

 与謝野晶子さんの昭和天皇の侵略戦争後押しの短歌について考える上で、彼女が、明治天皇の侵略戦争・日露戦争のさなか、『明星』一九〇四年九月号に発表した詩についてふれておくひつようがあります。
 「君死にたまふことなかれ (旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて)」です。

 ああ、弟よ、君を泣く、
 君死にたまふことなかれ。
 末(すゑ)に生れし君なれば
 親のなさけは勝(まさ)りしも、
 親は刄(やいば)をにぎらせて
 人を殺せと教へしや、
 人を殺して死ねよとて
 廿四(にじふし)までを育てしや。

 堺(さかい)の街のあきびとの
 老舗(しにせ)を誇るあるじにて、
 親の名を継ぐ君なれば、
 君死にたまふことなかれ。
 旅順の城はほろぶとも、
 ほろびずとても、何事(なにごと)ぞ、
 君は知らじな、あきびとの
 家(いへ)の習ひに無きことを。

 君死にたまふことなかれ。
 すめらみことは、戦ひに
 おほみづからは出(い)でまさね
 互(かたみ)に人の血を流し、
 獣(けもの)の道(みち)に死ねよとは、
 死ぬるを人の誉(ほま)れとは、
 おほみこころの深ければ、
 もとより如何(いか)で思(おぼ)されん。

 ああ、弟よ、戦ひに
 君死にたまふことなかれ。
 過ぎにし秋を父君(ちゝぎみ)に
 おくれたまへる母君(はゝぎみ)は、
 歎きのなかに、いたましく、
 我子(わがこ)を召(め)され、家(いへ)を守(も)り、
 安(やす)しと聞ける大御代(おほみよ)も
 母の白髪(しらが)は増さりゆく。

 暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
 あえかに若き新妻(にひづま)を
 君忘るるや、思へるや。
 十月(とつき)も添はで別れたる
 少女(をとめ)ごころを思ひみよ。
 この世ひとりの君ならで
 ああまた誰(たれ)を頼むべき。
 君死にたまふことなかれ。

 「すめらみこと」、つまり明治天皇を引き合いに出していることが、この詩のインパクトを高めていました。

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四国、よいとこ 721 与謝野晶子さんを「賊子」とののしった大町桂月さんの情けなさ。

 二〇〇六年八月十九日。

 この与謝野晶子さんの「君死にたまふことなかれ」の詩について、「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」と、ののしったひとがいます。
 大町桂月さん(おおまち・けいげつ)です。
 なんとまぁ情けない人でしょうか。
 「皇室中心主義の眼を以て、…検す」ること自体がおかしいのです。
 自分の眼で、ちゃんと見なくては。
 この人は、一八六九年三月六日生まれで、高知市出身。本名は大町芳衛。東京帝国大学国文科卒の詩人・歌人・随筆家・評論家。

 おいおい、高知の人かよー。

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四国、よいとこ 722 与謝野晶子さんの大町桂月さんへの「引きながら」の反論。

 二〇〇六年八月十九日。

大町桂月さんのののしりに与謝野晶子さんは「さればとて少女と申す者誰も戦争(いくさ)ぎらひに候」と、反撃しました。
 『明星』一九〇四年十一月号の「ひらきぶみ」です。
 「ひらきぶみ」は、夫への手紙という形をとっています。
 少し引用しておきます。
 彼女が明治天皇に逆らっているわけではないのですよと「引きながら」反論していることがわかります。
 この戦争を引き起こしているのが明治天皇であるのにもかかわらずです。
 このが後々の彼女の弱点になっていきます。

 こちら母思ひしよりはやつれ居給(いたま)はず、君がかく帰し給ひしみなさけを大喜び致し、皆の者に誇りをり候。おせいさんは少しならず思ひくづをれ候すがたしるく、わかき人をおきて出(い)でし旅順(りよじゆん)の弟の、たび/\帰りて慰めくれと申しこし候は、母よりも第一にこの新妻(にいづま)の上と、私見るから涙さしぐみ候。弟、私へはあのやうにしげ/\申し参りしに、宅へはこの人へも母へも余り文おくらぬ様子に候。思へば弟の心ひとしほあはれに候て。

 車中にて何心なく『太陽』を読み候に、君はもう今頃御知りなされしなるべし、桂月(けいげつ)様の御評のりをり候に驚き候。私風情(ふぜい)のなま/\に作り候物にまでお眼お通し下され候こと、忝(かたじけな)きよりは先づ恥しさに顔紅(あか)くなり候。勿体(もつたい)なきことに存じ候。さはいへ出征致し候弟、一人の弟の留守見舞に百三十里を帰りて、母なだめたし弟の嫁ちからづけたしとのみに都を離れ候身には、この御評一も二もなく服しかね候。
 私が弟への手紙のはしに書きつけやり候歌、なになれば悪(わ)ろく候にや。あれは歌に候。この国に生れ候私は、私らは、この国を愛(め)で候こと誰にか劣り候べき。物堅き家の両親は私に何をか教へ候ひし。堺(さかい)の街(まち)にて亡(な)き父ほど天子様を思ひ、御上(おかみ)の御用に自分を忘れし商家のあるじはなかりしに候。弟が宅(うち)へは手紙ださぬ心づよさにも、亡き父のおもかげ思はれ候。まして九つより『栄華(えいが)』や『源氏(げんじ)』手にのみ致し候少女は、大きく成りてもます/\王朝の御代(みよ)なつかしく、下様(しもざま)の下司(げす)ばり候ことのみ綴(つづ)り候今時(いまどき)の読物をあさましとひ候ほどなれば、『平民新聞』とやらの人たちの御議論などひと言ききて身ぶるひ致し候。さればとて少女と申す者誰も戦争(いくさ)ぎらひに候。御国のために止(や)むを得ぬ事と承りて、さらばこのいくさ勝てと祈り、勝ちて早く済めと祈り、はた今の久しきわびずまひに、春以来君にめりやすのしやつ一枚買ひまゐらせたきも我慢して頂きをり候ほどのなかより、私らが及ぶだけのことをこのいくさにどれほど致しをり候か、人様に申すべきに候はねど、村の者ぞ知りをり候べき。提灯(ちようちん)行列のためのみには君ことわり給ひつれど、その他のことはこの和泉(いずみ)の家の恤兵(じゆつぺい)の百金にも当り候はずや。馬車きらびやかに御者馬丁(ぎよしやばてい)に先き追はせて、赤十字社への路に、うちの末(すえ)が致してもよきほどの手わざ、聞(きこ)えはおどろしき繃帯巻(ほうたいまき)を、立派な令夫人がなされ候やうのおん真似(まね)は、あなかしこ私などの知らぬこと願はぬことながら、私の、私どものこの国びととしての務(つとめ)は、精一杯致しをり候つもり、先日××様仰せられ候、筆とりてひとかどのこと論ずる仲間ほど世の中の義捐(ぎえん)などいふ事に冷(ひやや)かなりと候ひし嘲(あざけ)りは、私ひそかにわれらに係(かか)はりなきやうの心地(ここち)致しても聞きをり候ひき。
 君知ろしめす如し、弟は召されて勇ましく彼地へ参り候、万一の時の後の事などもけなげに申して行き候。この頃新聞に見え候勇士々々が勇士に候はば、私のいとしき弟も疑(うたがい)なき勇士にて候べし。さりながら亡き父は、末の男の子に、なさけ知らぬけものの如き人に成れ、人を殺せ、死ぬるやうなる所へ行くを好めとは教へず候ひき。学校に入り歌俳句も作り候を許され候わが弟は、あのやうにしげ/\妻のこと母のこと身ごもり候児(こ)のこと、君と私との事ども案じこし候。かやうに人間の心もち候弟に、女の私、今の戦争唱歌にあり候やうのこと歌はれ候べきや。
 私が「君死にたまふこと勿(なか)れ」と歌ひ候こと、桂月様たいさう危険なる思想と仰せられ候へど、当節のやうに死ねよ/\と申し候こと、またなにごとにも忠君愛国などの文字や、畏(おそれ)おほき教育御勅語(ごちよくご)などを引きて論ずることの流行は、この方かへつて危険と申すものに候はずや。私よくは存ぜぬことながら、私の好きな王朝の書きもの今に残りをり候なかには、かやうに人を死ねと申すことも、畏(おそれ)おほく勿体(もつたい)なきことかまはずに書きちらしたる文章も見あたらぬやう心得候。いくさのこと多く書きたる源平時代の御本にも、さやうのことはあるまじく、いかがや。
 歌は歌に候。歌よみならひ候からには、私どうぞ後の人に笑はれぬ、まことの心を歌ひおきたく候。まことの心うたはぬ歌に、何のねうちか候べき。まことの歌や文や作らぬ人に、何の見どころか候べき。長き/\年月(としつき)の後まで動かぬかはらぬまことのなさけ、まことの道理に私あこがれ候心もち居るかと思ひ候。この心を歌にて述べ候ことは、桂月様お許し下されたく候。桂月様は弟御(おとうとご)様おありなさらぬかも存ぜず候へど、弟御様はなくとも、新橋(しんばし)渋谷などの汽車の出で候ところに、軍隊の立ち候日、一時間お立ちなされ候はば、見送の親兄弟や友達親類が、行く子の手を握り候て、口々に「無事で帰れ、気を附けよ」と申し、大ごゑに「万歳」とも申し候こと、御眼と御耳とに必ずとまり給ふべく候。渋谷のステーシヨンにては、巡査も神主様も村長様も宅の光(ひかる)までもかく申し候。かく申し候は悪ろく候や。私思ひ候に、「無事で帰れ、気を附けよ、万歳」と申し候は、やがて私のつたなき歌の「君死にたまふこと勿れ」と申すことにて候はずや。彼れもまことの声、これもまことの声、私はまことの心をまことの声に出だし候とより外に、歌のよみかた心得ず候。

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四国、よいとこ 723 与謝野晶子さんは、天皇のシベリヤ出兵に反対の声をあげています。

 二〇〇六年八月十九日。

 与謝野晶子さんは果敢でした。
 天皇のシベリヤ出兵に反対の声をあげています。
 『横浜貿易新報』一九一八年三月一七日の「何故の出兵か」です。
 ここでも「露西亜(ロシヤ)のレニン一派の政府のように極端な無抵抗主義に殉じるの愚」とわざといい、私は社会主義者ではないのですよ、間違わないでねと言い訳をしながら論じているところが、彼女のすきっとしないところです。
 以下、その引用です。 

 日本人の上に今や一つの大問題が起っております。近頃の新聞を読む人の誰も気が附く通り、それは西伯利亜(シベリヤ)へ日本の大兵を出すか出さないかという問題です。

 私はこの問題について自分だけの感想を述べようと思います。
 先ず私の戦争観を述べます。「兵は凶器なり」という支那の古諺(こげん)にも、戦争を以て「正義人道を亡す暴力なり」とするトルストイの抗議にも私は無条件に同意する者です。独逸(ドイツ)流の教育を受けた官僚的学者にはこれを以て空想的戦争観とする人ばかりのようですが、一人福田徳三(ふくだとくぞう)博士は「これを個人の間において言うも、相互間の親密を増進し、意志の疏通(そつう)を計るがために、先ず人を殴打するということのあるべき道理は決してない。国際間においても干戈(かんか)を以て立つということは、既に平和の破壊であって、正義人道とは全く矛盾した行動である。それ故に如何なる口実の下においても、戦争たる以上は正義人道の上から見ると変則であるといわねばならぬ。実に戦争その物が正義人道を実現するものでないことは多言するまでもない」と本月の『太陽』で述べられたのが光輝を放って私の眼に映じます。私は福田博士と全く同じ考えを戦争の上に持っております。
 それなら、性急に軍備の即時撤廃を望むかというと、私はそれの行われがたいことを予見します。内政のためでなくて、今日のように国際のために設けられた軍備は、露西亜(ロシヤ)のレニン一派の政府のように極端な無抵抗主義に殉じるの愚を演じない限り、一国だけが単独に撤廃されるものではありません。それは列国の合意の下で円滑に実行される日に向って期待すべきことで、今からその日の到来を早くすることに努力するのが自然の順序だと思います。
 私は遺憾ながら或程度の軍備保存はやむをえないことだと思います。国内の秩序を衛(まも)るために巡査の必要があるように、国際の平和と通商上の利権とを自衛するために国家としては軍備を或程度まで必要とします。これは決して永久のことでなく、列国が同時に軍備を撤廃し得る事情に達する日までの必要において変則的に保存されるばかりです。その「或程度」というのはあくまでも「自衛」の範囲を越えないことを意味します。それを越ゆれば軍国主義や侵略主義のための軍備に堕落することになります。私は日本の軍備が夙(つと)にこの程度を甚だしく越えていることを恐ろしく思っております。
 さて我国は何のために出兵するのでしょうか。秘密主義の軍閥政府は出兵についてまだ今日まで一言も口外しませんから、私たちは外国電報と在野の出兵論者の議論とに由って想像する外ありませんが、政府に出兵の意志の十分にあることは、干渉好きの政府が出兵論者の極端な議論を抑制しない上に、議会において出兵の無用を少しも明言しないので解ります。
 英仏が我国に出兵を強要して、露西亜の反過激派を救援し、少くも莫斯科(モスクワ)以東の地を独逸勢力の東漸から独立させたい希望のあることは明かですが、これは日本軍が自衛の範囲を越えて露西亜の護衛兵となるのですから、名義は立派なようでも断じて応じることの出来ない問題です。露国は露人自身が衛るべきものだと思います。露人に全く、自衛の力がないとは思われません。それに果して独逸の勢力が東漸するか、露国の反過激派が日本に信頼するかも疑問です。
 今一つの出兵理由は、西比利亜(シベリヤ)に独逸の勢力が及ばない先に、出兵に由って予めそれを防ぐことは、西比利亜に接近している我国が独逸から受ける脅威に対して取る積極的自衛策であるという説です。これが補説としては、西比利亜に渋滞している日本の貨物の莫大な量を独逸へ転送されない前に抑留せねばならないといい、また西比利亜にある七、八万の独逸俘虜(ふりょ)が既に武装しつつあることの危険を報じます。
 しかし私たち国民は決してこのような「積極的自衛策」の口実に眩惑(げんわく)されてはなりません。西部戦場での決戦さえまだ手を附けない独逸が、連合軍側が口穢(くちぎたな)く言い過ぎるように如何に狂暴であるにしても、その武力を割(さ)いて西比利亜に及ぼし、兼ねて日本を脅威しようとは想像されません。我国の参戦程度を手温(てぬる)しとする英仏は、種々の註文を出して日本を戦争の災禍の中心に引入れたいために、独逸勢力の東漸を法外に誇大するでしょうが、日本人はそれを軽信してはならないと思います。
 西比利亜出兵は恐らく独軍と接戦することはないでしょうから、殺人行為を繁くするには到らないでしょうが、無意義な出兵のために、露人を初め米国から(後には英仏からも)日本の領土的野心を猜疑(さいぎ)され、嫉視され、その上数年にわたって撤兵することが出来ずに、戦費のために再び莫大の外債を負い、戦後にわたって今に幾倍する国内の生活難を激成するならば、積極的自衛策どころか、かえって国民を自滅の危殆(きたい)に陥らしめる結果となるでしょう。
 以上は紙数の制限のために甚だ簡略な説明になりましたが、この理由から私は出兵に対してあくまでも反対しようと思っております。

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四国、よいとこ 724 与謝野晶子さんの「我等は陛下の赤子(せきし)」という宣言。

 二〇〇六年八月十九日。

 与謝野晶子さん中で一つの変化が起こっていました。
 それは、天皇崇拝への傾斜です。
 「無題」ですが、こんな詩があります。
 一九二七年の正月をうたった詩です。

 粛として静まり、
 皎として清らかなる
 昭和二年の正月、
 門に松飾無く、
 国旗には黒き布を附く。
 人は先帝の喪に服して
 涙未(いま)だ乾かざれども、
 厚氷その片端の解くる如く
 心は既に新しき御代の春に和らぐ
 初日うららかなる下(もと)に、
 草莽の貧女われすらも
 襟正し、胸躍らせて読むは、
 今上陛下朝見第一日の御勅語。
    ×
 世は変る、変る、
 新しく健やかに変る、
 大きく光りて変る。
 世は変る、変る、
 偏すること無く変る、
 愛と正義の中に変る。
    ×
 跪づき、諸手さし延べ、我れも言祝ぐ、
 新しき御代の光は国の内外(うちと)に。
    ×
 祖宗宏遠の遺徳、
 世界博大の新智を
 御身一つに集めさせ給ひ、
 仁慈にして英明、
 威容巍巍と若やかに、
 天つ日を受けて光らせ給ふ陛下、
 ああ地は広けれども、何処(いづこ)ぞや、
 今、かゝる聖天子のましますは。
 我等幸ひに東に生れ、
 物更に改まる昭和の御代に遇ふ。
 世界は如何に動くべき、
 国民(くにたみ)は何を望める、
 畏きかな、忝なきかな、
 斯かる事、陛下ぞ先づ知ろしめす。
    ×
 我等は陛下の赤子(せきし)、
 唯だ陛下の尊を知り、
 唯だ陛下の徳を学び、
 唯だ陛下の御心(みこゝろ)に集まる。
 陛下は地上の太陽、
 唯だ光もて被(おほ)ひ給ふ、
 唯だ育み給ふ、
 唯だ我等と共に笑み給ふ。
    ×
 我等は日本人、
 国は小なれども
 自ら之れを小とせず、
 早く世界を容(い)るるに慣れたれば。
 我等は日本人、
 生生(せいせい)として常に春なり、
 まして今、
 華やかに若き陛下まします。
    ×
 争ひは無し、今日の心に、
 事に勤労(いそし)む者は
 皆自らの力を楽み、
 勝たんとしつる者は
 内なる野人の心を恥ぢ、
 物に乏しき者は
 自らの怠りを責め、
 足る者は他に分ち、
 強きは救はんことを思ふ。
 あはれ清し、正月元日、
 争ひは無し、今日の心に。
    ×
 眠りつるは覚めよ、
 怠(たゆ)みつるは引き緊まれ、
 乱れつるは正せ、
 逸(そ)れつるは本に復(かへ)れ。
 他(ひと)の国には他(ひと)の振、
 己が国には己が振。
 改まるべき日は来(きた)る、
 夜(よ)は明けんとす、東(ひんがし)に。
    ×
 我等が行くべき方(かた)は
 陛下今指さし給ふ。
 止(や)めよ、財の争ひ、
 更に高き彼方の路へ
 一体となりて行かん。

 読んでいるとぞくっとします。
 あれほど個をうたった彼女の「我等は陛下の赤子(せきし)」という宣言をしたのです。

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四国、よいとこ 725 与謝野晶子さんが読売新聞記者安藤覺氏の上海からの侵略の通信を読み感動して作った詩。

 二〇〇六年八月十九日。

 「我等は陛下の赤子(せきし)」ということですから、昭和天皇のやることには何でも賛成ということになります。
 一九三七年七月七日、昭和天皇は侵略戦争を中国全土に拡大しました。
 このときに与謝野晶子さんがとったのは「君死にたまう…」とは、かけ離れた態度でした。
 与謝野晶子さんは「読売新聞記者安藤覺氏の上海通信を読み感動して作る」という傍注をした「紅顔の死」という詩をつくりました。
 侵略している側を「善き隣なる日本」とし、中国を「敵」と位置づけ、その上で、昭和天皇の軍隊に殺された「学生隊」に同情するという詩になっています。 
 侵略しなければ、こんなことは起こっていないことは自明なのにです。

 江湾鎮の西の方(かた)
 かの塹壕に何を見る。
 行けど行けども敵の死屍、
 折れ重なれる敵の死屍。

 中に一きは哀しきは
 学生隊の二百人。
 十七八の若さなり、
 二十歳(はたち)を出たる顔も無し。

 彼等、やさしき母あらん、
 その母如何に是れを見ん。
 支那の習ひに、美くしき
 許嫁(いひなづけ)さへあるならん。

 彼等すこしく書を読めり、
 世界の事も知りたらん。
 国の和平を希(ねが)ひたる
 孫中山(そんちゆうざん)の名も知らん。

 誰れぞ、彼等を欺きて、
 そのうら若き純情に、
 善き隣なる日本をば
 侮るべしと教へしは。

 誰れぞ、彼等を唆(そその)かし、
 筆を剣(つるぎ)に代へしめて、
 若き命を、此春の
 梅に先だち散らせるは。

 十九路軍の総司令蔡廷※〔金+皆〕(さいていかい)の愚かさよ、
 今日の中(うち)にも亡ぶべき
 己れの軍を知らざりき。

 江湾鎮の西の方
 かの塹壕に何を見る。
 泥と血を浴び斃れたる
 紅顔の子の二百人。

 すでに「詩人としての与謝野晶子」は、昭和天皇賛美の詩を世におくった時点で滅びていたのではないでしょうか。

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2006.08.20

四国、よいとこ 726 高知市 長浜の雪渓寺(せっけいじ)で買ったバクダンスイカ。

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 二〇〇六年八月二十日。

 本日も仕事。
 なんか、ほとんど休んでないですねー。
 と、いいながら二十三日からは休み。うぉっほっほほ。

 昼休みは高知市長浜の雪渓寺(せっけいじ)で。
 境内の露店でマクワウリ、バクダンスイカなどを売っていました。
 男性の店主によるとマクワウリは「笑った」のがおいしいそうです。大きいのが三百円。ほしかったけど…。
 バクダンスイカは高知産。黒っぽくて長四角い感じ。店主は「冷蔵庫に入れやすいように、こんな形に育てているんです。もちろん中は真っ赤です」。
 一つ買いました。
 一時前からの仕事を終えて市内の事務所に帰り、独りで食べました。
 半分は冷蔵庫に。
 事務所のみなさん、少ないけど味わってください。
 僕は、あすは出張です。

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四国、よいとこ 727 高知市 長浜の雪渓寺(せっけいじ)の夏の花。

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 二〇〇六年八月二十日。

 この日、高知市長浜の雪渓寺(せっけいじ)で見た花が、これ。
 うーん、いいですねー。
 実は、この夏、市内のみませなどで、この花と何度か出会っています。
 でも、君の名前を、まだ知らないんだよね。
 残念です。

 夜は家に早く帰り着いて洗濯、掃除。
 少し家がきれいになりました。

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2006.08.22

四国、よいとこ 728 広島市 縮景園(しゅっけいえん)の戦争 その一。

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 二〇〇六年八月二十一日。

 広島市の庭園・縮景園(しゅっけいえん)に立ち寄りました。
 水鳥がゆうゆうと歩いていました。
 池の真ん中に跨虹橋(ここうきょう)がありました。
 一九四五年八月六日のアメリカの原爆投下ときの被害を示す表示がありました。

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四国、よいとこ 729 広島市 縮景園(しゅっけいえん)の戦争 その二。

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 二〇〇六年八月二十一日。

 縮景園の中には、一九四五年八月六日のアメリカの原爆投下のさいの爆風で傾いたままの大イチョウの木がありました。
 園内の京橋川のほとりに慰霊碑がありました。
 八七年七月三十一日、この地に埋葬されていた原爆死没者の遺体を発見、六十四体の遺骨を発掘しました。
 それらの犠牲者の慰霊碑です。

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四国、よいとこ 730 広島市 縮景園(しゅっけいえん)の戦争 その三。

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 二〇〇六年八月二十一日。

 縮景園の建物のいくつかに、この建物は原爆で焼失して、その後、復元したものだとの表示があります。
 この建物たちも、そうです。

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四国、よいとこ 731 長男なのに三郎!? 夕日町の「終戦記念日」。

 二〇〇六年八月二十二日。

 この間から気になっていた漫画があります。
 『ビッグコミックオリジナル』(小学館)八月二十日号の西岸良平さんの「三丁目の夕日」の「終戦記念日」です。
 戦争ごっこをする男の子たち。
 その中の一人、三郎は長男です。
 妹が一人います。
 なぜ、長男なのに三郎なのか?
 疑問に思った三郎は母に聞きます。
 母は、上に一郎と次郎がいたといいます。
 太平洋戦争中の一九四五年初夏、アメリカ軍機が夕日町を襲いました。
 そのとき、一郎は亡くなりました。
 その年の冬、次郎が栄養失調と肺炎で亡くなりました。
 四六年春、夫が戦地から帰ってきました。
 その次の年に三郎が生まれました。
 父母は、一郎、次郎のことを忘れないように、赤ん坊を三郎と名づけました。

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四国、よいとこ 732 能條純一さんの漫画「アレルヤ」。

 二〇〇六年八月二十二日。

 『ビッグコミックオリジナル』(小学館)で、もう一つ気になっている連載漫画があります。
 能條純一さんの「アレルヤ」です。
 野にある天才的な青年バイオリストの話です。

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四国、よいとこ 733 明日から夏休みですー。うれしい。

 二〇〇六年八月二十二日。

 明日からは
 少し遅れた 夏休み
 短歌(うた)詠む旅に わくわくしてる

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2006.08.23

四国、よいとこ 734 高知、東京 妻との真夜中の対話。

 二〇〇六年八月二十二日。

 真夜中に電話で東京の妻と話しました。

 「今回も オールAなの」
 一泊の 検診終えた
 妻の快活

 「回天の 映画の小説 読んだわよ」
 僕も買ったよ
 「まだ、半分だ」

 同じ本を読んでいました。
 横山秀夫さんの『出口のない海』(講談社文庫)です。
 彼女は、ささっと読めたなんていっていますが、僕は、つらくて、つらくて休み休みです。

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2006.08.24

四国、よいとこ 735 高知市 「おそろいの 赤ヘルメット 買いにいこ 百十七歳 タンデムの旅」。

 二〇〇六年八月二十三日。

 夏休み初日。
 午後から高知市内で開かれた第十六回高知県下合同短歌大会(山原健二郎追悼歌会)に参加しました。
 現代短歌を考える会の主催です。
 詠草は、百七首。

 百七の 心の声と 向かい合い
 同化している
 きょうの歌会 

 僕の出した短歌は以下のものです。

 おそろいの 赤いメットを 買いにいこ 六十前の タンデムの旅

 タンデムというのはオートバイの二人ののことです。

 作品の講評で、市川敦子さん、講師の大島史洋さんが、この短歌にもふれてくださいました。

 以下、こんなふうに添削してみました。

 おそろいの 赤ヘルメット 買いにいこ 百十七歳 タンデムの旅

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四国、よいとこ 736 高知市 青空。さぁ、ツーリング。

 二〇〇六年八月二十四日。

 夏休み二日目。
 午前六時前に起床。
 高知市は、青空が広がっています。
 二五〇ccのオートバイでツーリングに出発します。
 まずは、東京の妻との待ち合わせ場所、熊本空港まで。

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四国、よいとこ 737 いま、バイクです その一 高知県春野町の仁淀川河口で。

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 二〇〇六年八月二十四日。

 午前八時、高知市の、はりまや橋付近から出発。
 とにかく太平洋沿いを西へ。

 鼻歌も ♪潮の香りの中…
 晴天の 黒潮ライン
 バイクと僕と

 春野町の仁淀川河口に。

 源(みなもと)の その一滴も ここにくる
 仁淀河口に
 海鳥の舞う

 河原に下りてい河口を見ていると年配の男性が、何やら荷物を持ってやってきました。
 水のでウナギが泳いでいます。
 「いの町吾北の谷で六月二十二日に獲った。二キロ百ある。川漁を六十年やっているが、こんな大きなウナギは初めて。みんなに見てもろうたし海にかえしちゃろう思うて」。
 ウナギは、河口に消えていきました。
 おじさんは、なんかサバサバした感じで帰っていきました。

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四国、よいとこ 738 いま、バイクです その二 高知県四万十町の七子峠からのながめ。

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 二〇〇六年八月二十四日。

 土佐市、須崎市…。
 上の写真は、須崎市で出合った花です。
 下の写真は、四万十町の七子峠からながめです。
 なんか好きな風景です。
 黒潮町、四万十市と走って午後一時前、宿毛市のフェリー乗り場へ。
 しかし、次の九州・佐伯までの便は午後三時発です。

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四国、よいとこ 739 いま、バイクです その三 高知県宿毛市から大分県へのフェリー。

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 二〇〇六年八月二十四日。

 フェリーは、三時間で佐伯市に。

 フェリーには バイクは一台
 誇らしく またがっている
 さぁ、大分だ

 本日は、佐伯市のビジネスホテル泊。

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2006.08.25

四国、よいとこ 740 いま、バイクです その四 大分県 久保ん谷湧水(ゆうすい)の真っ赤な真っ赤なマンジュシャゲ。

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 二〇〇六年八月二十五日。

 大分県佐伯市のホテルを午前八時半に出発。
 きょうは、ふらふらツーリングです。
 勝手な方向に走って、興味のある看板の指示に向かって走る、全体として熊本県のほうに向かうということにしています。
 まずは、大分県野津町の風連鍾乳洞(ふうれんしょうにゅうどう)。
 鍾乳洞は、悪くないのですがヒビッときませんでした。
 山道に入って、「久保ん谷湧水(ゆうすい)」に向かいます。
 いい所にきました。
 大成果は、マンジュシャゲ。一つだけ咲いていました。真っ赤な真っ赤なマンジュシャゲ。大好きな花です。

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四国、よいとこ 741 いま、バイクです その五 大分県豊後大野市 朝倉文夫さんの女性像たち。

 二〇〇六年八月二十五日。

 そして、国道57号へ。
 この路線は、いろいろ見たいものがたくさんありますね。
 「朝倉文夫」という文字が盛んに出てきます。
 「朝倉文夫」。「東京」。「彫刻家」。
 こんな単語しか浮かんできません。
 右に入って、向かいました。五キロ先だということです。
 山里の朝倉文夫記念館。三階建てでした。
 二階で女性像に囲まれました。
 裸像は、どれも、腹いっぱい食べた後のように、お腹がぷくっと出ているものです。
 彼にとって「美しい女性」だったのだと思います。

 荻原守衛さんのライバルだったといいます。
 守衛さんが描いた女性たちの像は、みな声を上げています。
 たとえば「わーっ、世界はどうなってしまったの。私、もう駄目。もう駄目よーっ」とか。
 でも、ここにいる女性たちは静かに、声を、この形の中に閉じ込められたようにして存在しています。
 僕は声を上げている女性像のほうが好きです。

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四国、よいとこ 742 いま、バイクです その六 大分県竹田市 岡城跡にいってきました。

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 二〇〇六年八月二十五日。

 「荒城の月」の看板にひかれて、左にまわりました。
 この歌の舞台、竹田市の岡城跡に向かいます。
 入口で三百円徴収されました。
 観光地になっているのです。
 ひたすら上ります。
 石垣だけで建物はありません。
 石垣を見ても堅牢な山城だったことがわかります。
 滝廉太郎(たき・れんたろう)が「荒城の月」を作曲したときにも、建物は、もうなかったようです。
 いやーっ、きつい城です。
 汗がだらだら。
 この城を維持するために平地の人々がどんなに苦労したことか。

 荒城を 汗たらたらで まわってる
 ひと威圧する
 石垣のさま


 荒城の月

 一、春高楼(こうろう)の花の宴(えん)
   めぐる盃かげさして
   千代の松が枝わけいでし
   むかしの光いまいずこ

 二、秋陣営(じんえい)の霜の色
   鳴きゆく雁の数見せて
   植うるつるぎに照りそいし
   むかしの光いまいずこ

 三、いま荒城のよわの月
   替わらぬ光たがためぞ
   垣(かき)に残るはただかづら
   松に歌うはただあらし

 四、天上影は替わらねど
   栄枯(えいこ)は移る世の姿
   写さんとてか今もなお
   鳴呼(ああ)荒城のよわの月

  追記

 おっと、はまってしまうところでした。
  「荒城の月」は、土井晩翠さんの歌詞に一九〇一年、瀧廉太郎さんが作曲したものです。
 土井さんは仙台市の出身で、この歌は宮城県仙台市の青葉城址を想定してつくられたようです。

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四国、よいとこ 743 いま、バイクです その七 大分県県立竹田高校の近くの三つの横穴、「火薬貯蔵庫」も。

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 二〇〇六年八月二十五日。

 実は、岡城跡にいく前の県立竹田高校の近くで、すごいものを「発見」していました。 
 岡城跡から、そこに向かいます。
 やっぱり、これは……。
 大きな横穴が三つあります。
 左のものは、かなり深く掘っています。手堀りのようです。
 真ん中のものには「金庫」のような物が入っています。「火薬貯蔵庫」と書いてあります。なぜ、いま、ここに。
 市役所にいって「あれは、なに?」とききましたが「……」。

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四国、よいとこ 745 いま、バイクです その八 NHK総合のテレビのニュースの「みられることが、わかりました」。

 二〇〇六年八月二十五日。

 夜、熊本県のホテルにいます。
 NHK総合のテレビのニュースを見ています。
 アナウンサーが、盛んに「みられることが、わかりました」といっています。
 要するに、かちっとしたことは何もわかっていないに、わかったみたいなことをいっているのです。
 おとなしい僕も怒りますよ。「けしからん」

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四国、よいとこ 746 いま、バイクです その九 「空の神」を作曲した高木東六さんが亡くなったそうです。

 二〇〇六年八月二十五日。

 高木東六さんが亡くなったといいます。
 百二歳。
 太平洋戦争中、「空の神兵」を作曲しました。

 一、藍より蒼き 大空に 大空に
   忽ち開く 百千の
   真白き薔薇の 花模様
   見よ落下傘 空に降り
   見よ落下傘 空を征く
   見よ落下傘 空を征く

 二、世紀の華よ 落下傘 落下傘
   その純白に 赤き血を
   捧げて悔いぬ 奇襲隊
   この青空も 敵の空
   この山河も 敵の陣
   この山河も 敵の陣

 三、敵撃砕と 舞い降る 舞い降る
   まなじり高き つわものの
   いずくか見ゆる おさな顔
   ああ純白の 花負いて
   ああ青雲に 花負いて
   ああ青雲に 花負いて

 四、讃えよ空の 神兵を 神兵を
   肉弾粉と 砕くとも
   撃ちてしやまぬ 大和魂
   わが丈夫は 天降る
   わが皇軍は 天降る
   わが皇軍は 天降る

 一九四二年一月十一日、日本海軍の落下傘部隊が蘭領印度(現在のインドネシア)のセレベス島(現在のスラウェシ)メナドに降下しました。
 続いて二月十四日、日本陸軍の落下傘部隊がスマトラ島のパレンバンに降下しました。
 この歌はその時の様子を歌ったものだといいます。
 彼は、どういう気持ちで、この曲を作曲したのでしょうか。
 彼の「戦後」は、どうだったのでしょうか。

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2006.08.26

四国、よいとこ 747 いま、バイクです その十 熊本県西原村 「壕(ごう)の上に地蔵さんが二つ!?」。

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 二〇〇六年八月二十六日。

 午前中、熊本空港を確認してから、熊本県西原村を走行。
 道路端の畑を見たら写真のような物がありました。
 「壕(ごう)の上に地蔵さんが二つ」と見えました。
 何だろうと引き返してきたら、地蔵さんのように見えたのは空気を取り込む筒でした。
 まわりに、同じものがいくつかあります。
 近所の男性に「何でしょうか」と聞きました。
 「サツマイモの貯蔵庫です。中は年中十何度です。これのおかげで年中、いつでも出荷できます」

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四国、よいとこ 748 いま、バイクです その十一 熊本県南小国町の黒川温泉 「タンデムの肩を書見(しょけん)に地図を見て…」。

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 二〇〇六年八月二十六日。

 熊本空港で羽田からやってくる妻を待ちました。
 少し遅れて午後一時十分ころ接近遭遇。
 オートバイに乗せて、同県南小国町の黒川温泉へ。
 妻が宿を予約してくれています。
 途中で雨が降ってきました。
 「あんたも雨具を着いや」
 「もってきてない」
 しかたなく、僕のを貸し、僕は濡れながら走りました。
 (美しい!!)
 いき方は妻しか知りません。
 うわーっ、ものすごい雷です。

 タンデムの
 肩を書見(しょけん)に 地図を見て
 「そこ右、そこそこ」 指図する妻

 午後四時、到着。豪勢な五階建ての宿です。
 僕たちの部屋は一階で、その下は川。涼しい風が吹き上げてきます。
 僕なら一泊四千いくらのビジネスホテルに泊まるところですが、妻は宿屋そのもの、温泉、料理を楽しむタイプ。これでは貯金はできませんね。とほほ……。 
 妻は、さきほど、「まずは『竹林の湯』」と、温泉に入りにいきました。

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2006.08.27

四国、よいとこ 749 いま、バイクです その十二 熊本県南小国町の黒川温泉 いつもは十五分なのに、二時間かけての食事!!

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 二〇〇六年八月二十六日。

 熊本県南小国町の黒川温泉での夕食。
 「部屋食」でした。
 この写真の料理が「第一陣」。
 次から次へ持ってきてくれて、すべて平らげて、食事が終わったのが二時間後。
 いつもは食事時間十五分なのですが…。
 「いやーっ、もう食べれない」

 川の冷気のおかげでクーラーなしで寝ました。
 「ザーッ」という音の中で小舟の中で寝ている感じです。

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四国、よいとこ 750 いま、バイクです その十三 そういえば与謝野晶子さんの作詞した「川内幼稚園園歌」って鹿児島県薩摩川内市の…。

 二〇〇六年八月二十七日。

 九州にきて、この間から気になっていた与謝野晶子さんの作品のことを思い出しました。
 一九四二年の「川内幼稚園園歌」です。

 西の薩摩の城いくつ
 廻ぐりめぐりて大海へ
 川内川(せんだいがは)の出でてゆく
 姿を下にのぞむ山
 神代の樟の群立(むらだ)ちの
 影いと深く清らなる
 御垣の内を許されて
 我れ等は学び我れ等は遊ぶ
 戦(いくさ)の後(のち)に大事なは
 愛の心と人も知る
 愛(え)の御社の大神よ
 深き教を垂れ賜ひ
 大き興亜の御業に
 我れ等も与(あづか)らしめ給へ。

 「大き興亜の御業」というのは昭和天皇の侵略戦争ということです。

 この園は、鹿児島県薩摩川内市にある川内幼稚園のことだと思いますが…。
 その園のホームページによると、同園は私立幼稚園で、一九二七年、川内市内の最初の幼稚園として真光寺の境内にできました。
 一九四五年、戦災にあい、一時休園しています。

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四国、よいとこ 751 いま、バイクです その十四 長身の砲を乗せた自衛隊の車両十七台とすれ違いました。

 二〇〇六年八月二十七日。

 朝から、黒川温泉から大分県の湯布院に向けて「やまなみハイウエー」を走りました。
 向かい側からどんどん自衛隊の車両が走ってきます。
 後ろに大きな長身の砲を乗せたものもあります。
 数えていると、この砲を乗せた車両と十数台すれ違いました。
 乗っている自衛官は、みな迷彩服、ヘルメット姿です。

 九条の Tシャツを着る 僕のわき
 砲のトラック
 つぎつぎといく

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四国、よいとこ 752 いま、バイクです その十五 大分県九重町 「くじゅう野の花の郷」のマツムシソウ、ヤツシロソウ。

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 二〇〇六年八月二十七日。

 大分県九重町の「くじゅう野の花の郷」に到着。
 マツムシソウ、ヤツシロソウと出合いました。
 なんか僕って紫の花が好きですね。

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四国、よいとこ 753 いま、バイクです その十六 大分県九重町大字田野 「雪月花時最思友 康成」の文学碑。

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 二〇〇六年八月二十七日。

 ふたたび「やまなみハイウエー」。
 写真のような風景を見ながら走ります。

 オートバイの後ろの女性が「止まって! 止まって! 川端康成」。
 道の左手に作家の川端康成さんの文学碑がありました。
 「川端康成が好きなの?」
 「別にー」
 妻は公立中学校の国語教師。教材になりそうなものは、何でもゲットしておこうということなのだと思います。

 この日の場所は、大分県九重町大字田野。
 川端さんの九重を舞台にした小説『浜千鳥』にちなんで立てられた文学碑でした。
 表面には自筆の色紙から「雪月花時最思友 康成」という言葉が刻まれ、裏面には飯田高原を描写した一節が記されています。

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四国、よいとこ 754 いま、バイクです その十七 大分県湯布院町 足湯と佐藤渓(さとう・けい)さんと。

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 二〇〇六年八月二十七日。

 大分県の湯布院町にやってきました。
 足湯のある美術館、湯布院美術館にやってきました。
 まずは足湯に。
 うーん、気持ちがいい。
 ここの詩人、画家の佐藤渓(さとう・けい)さんの作品で気に入ったのは詩「ともだち経」です。
 しみじみといい詩です。

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四国、よいとこ 755 いま、バイクです その十八 大分県別府市 海地獄のコバルトブルー。

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 二〇〇六年八月二十七日。

 本日の宿泊地、大分県別府市に到着。
 まずは海地獄へ。
 温泉の湯煙がもうもうとたっている池です。
 池の湯の色がコバルトブルーできれい。
 好きな色です。
 近くの鉄輪(かんなみ)ひなびた宿にいって「空いていますか」。
 OKでした。

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四国、よいとこ 756 いま、バイクです その十九 長崎の、さだまさしコンサートをテレビで見ました。

 二〇〇六年八月二十七日。

 宿のNHK総合テレビをつけたら「二〇〇六夏・長崎から・さだまさしコンサートファイナル」をやっていました。
 僕の好きな曲もやっていました。

 「案山子(かかし)」。
 ♪元気でいるか 街には慣れたか…

 「道化師(ピエロ)のソネット」。
 ♪笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために…

 彼らがグレープ(さだまさしさん、吉田政美さん)を名乗っていたとき♪忍ぶ忍ばず無縁坂…(「無縁坂」)と歌いましたが、そのころ、僕は、東京の無縁坂の近くの台東区営住宅に住んでいました。
 歌って、そのとき、そのときの、それぞれの人々の人生とともにあるものなんですね。

 番組表には「平和への願いを込め二十年・感動の最終章」と、ありました。
 まだ二十回なのにファイナルですか、さださん。
 平和へのいとなみは、いまが正念場です。

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2006.08.28

四国、よいとこ 757 いま、バイクです その二十 大分県別府市 街は湯煙がいっぱい。

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 二〇〇六年八月二十八日。

 昨夜も旅館で出された物をぜんぶ食べて「げっぷ」。
 ビールを飲む意欲も出ません。
 そのままごろん。
 二十八日朝六時に起床。
 硫黄のにおいがいっぱいです。
 窓から見ると、あちこちから湯煙が出ています。

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四国、よいとこ 758 いま、バイクです その二十一 与謝野晶子さんの「我れの此歌も、破壊筒をば抱きながら鉄条網にわしり寄り 投ぐる心に通へかし」。

 二〇〇六年八月二十八日。

 与謝野晶子さんのことが夢にまで出てきますので、追加を書いておきます。

 まず、一九三二年の詩です。
 この年一月二十八日、関東軍の謀略で上海事変おこします。
 日本海軍陸戦隊の兵力は約二千人と第十九路軍とのたたかいになりました。
 日本軍は苦戦を強いられました。
 陸軍中央部は白川義則大将を司令官とする上海派遣軍を増援しました。金沢の第九師団と久留米の第十二師団より編成した混成旅団の総兵力は約一万七千人にのぼりました。
 二月二十日から二十五日まで、日本軍は上海市北郊の大場鎮、江湾鎮方面で第十九路軍に総攻撃をかけました。
 しかし、市街地に塹壕を築き、鉄条網を幾重にも張りめぐらせ自動小銃で抵抗する第十九路軍の猛攻で、日本軍は死傷者が続出しました。
 こうした背景のもと「爆弾三勇士」の物語が出現します。
 二月二十四日、日本の商業紙は、いっせいに「爆弾三勇士」の記事を掲載しました。
 東京朝日、「〝帝国万歳″を叫んで我身は木端微塵、三工兵点火せる爆弾を抱き、鉄条網に躍りこむ」。
 大阪朝日、「これぞ真の肉弾! 壮烈無比の爆死、志願して爆弾を身につけ鉄条網を破壊した三勇士」。
 大阪毎日、「肉弾で鉄条網を撃破す、点火した爆弾を身につけ、躍進した三人の一等兵、忠烈まさに粉骨破身」。
 東京日日、「世界比ありやこの気塊、点火爆弾を抱き鉄条網を爆破
す、廟行鎮攻撃の三勇士」。
 国家、マスコミ一体となった「爆弾三勇士」づくりが始まりました。
 朝日、毎日は、二月二十八日、それぞれ「肉弾三勇士の歌」、「爆弾三勇士の歌」を懸賞募集する社告を出しました。
 この歌は三月十五日に朝日、毎日にに入選作が発表されました。
 毎日の「爆弾三勇士の歌」には与謝野晶子の夫、与謝野寛の作品が選ばれました。

 一、廟行鏡の敵の陣
   我れの友隊すでに攻む
   折から凍る二月の
   二十二日の午前五時
 二、命令下る、正面に
   開け、歩兵の突撃路
   装置の間なし、点火して
   破壊筒をば抱き行け
 三、答へて「はい」と工兵の
   作江、北川、江下ら
   凍たる心三人が
   思ふことこそ一つなれ
 四、我等が上に戴くは
   天皇陛下の大御稜威
   後ろに負ふは国民の
   意志に代れる重き任

 与謝野晶子さんは、以前紹介した「紅顔の死」につづく作品で「日本国民 朝の歌」(一九三二年六月『日本国民』別巻「日本女性」)で、この「爆弾三勇士」にふれています。

 ああ大御代の凜凜しさよ、
 人の心は目醒めたり。
 責任感に燃ゆる世ぞ、
 「誠」一つに励む世ぞ。

 空疎の議論こゑを絶ち、
 妥協、惰弱の夢破る。
 正しき方(かた)に行くを知り、
 百の苦難に突撃す。

 身は一兵士、しかれども、
 破壊筒をば抱く時は、
 鉄条網に躍り入り、
 実にその身を粉(こ)と成せり。

 身は一少佐、しかれども、
 敵のなさけに安んぜず、
 花より清く身を散らし、
 武士の名誉を生かせたり。

 其等の人に限らんや、
 同じ心の烈士たち、
 わが皇軍の行く所、
 北と南に奮ひ起つ。

 わづかに是れは一(いつ)の例。
 われら銃後の民もまた、
 おのおの励む業(わざ)の為め、
 自己の勇気を幾倍す。

 武人にあらぬ国民も、
 尖る心に血を流し、
 命を断えず小刻みに
 国に尽すは変り無し。

 たとへば我れの此歌も、
 破壊筒をば抱きながら
 鉄条網にわしり寄り
 投ぐる心に通へかし。

 無力の女われさへも
 かくの如くに思ふなり。
 況(いはん)やすべて秀でたる
 父祖の美風を継げる民。

 ああ大御代の凜凜しさよ、
 人の心は目醒めたり。
 責任感に燃ゆる世ぞ、
 「誠」一つに励む世ぞ。

 「たとへば我れの此歌も、 破壊筒をば抱きながら 鉄条網にわしり寄り 投ぐる心に通へかし。」ですか、うーん、ここまでいくとは…。

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四国、よいとこ 759 いま、バイクです その二十二 与謝野晶子さんの「滿洲の荒野も今は 大君の御旗のもと」という詩。

 二〇〇六年八月二十八日。

 与謝野晶子さんは、一九三三年には「吉本米子夫人に」という詩をつくっています。

 日木は伸びたり、
 滿洲の荒野も今は
 大君の御旗のもと。

 よきかな、我友吉本夫人、
 かかる世に雄雄しくも
 海こえて行き給ふ。

 願はくは君に由りて、
 その親しさを加へよ、
 日満の民。

 夫人こそ東の
 我等女子に代る
 平和の使節。

 君の過ぎ給ふところ、
 如何に愛と微笑の
 美くしき花咲かん。

 淑(しと)やかにつつましき夫人は
 語らざれども、その徳
 おのづから人に及ばん。

 ああ旅順にして、日露の役に
 死して還らぬ夫君(ふくん)の霊、
 茲に君を招き給ふか。

 行き給へ、吉本夫人、
 生きて平和に尽すも
 偏(ひとへ)に大御代の為めなり。

 まして君は歌びと、
 新しき滿洲の感激に
 みこころ如何に躍らん。

 我れは祝ふ、吉本夫人、
 非常時は君を起たしむ、
 非常時は君を送る。

 吉本米子さんについてはよく知りませんが、この後、一九三四年にで『満洲旅行記』( 冬柏発行所)を出しています。
 「日木は伸びたり、滿洲の荒野も今は大君の御旗のもと」という嬉々とした表現が不気味です。

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2006.08.29

四国、よいとこ 760 いま、バイクです その二十三 「あんた自分勝手やねぇ」のひとことと大分県豊後高田市の熊野の磨崖仏での一件。

 二〇〇六年八月二十八日。

 昨夜の大分県別府市の旅館の部屋での妻のひとことが胸にこたえました。
 僕 「ちょうど立ったからテレビの電源をつけて」
 妻 「あんた自分勝手やねぇ。職場でもきらわれているやろう」
 僕 「……」

 そして、きょうは、ここから福岡県北九州市にむけて出発します。
 「せっかく、すぐそばにあるんだからサファリパークに寄っていこう」
 「いや」

 しかたなく、まずは大分県豊後高田市の熊野の磨崖仏へ。
 おっと、ここにいくのはつえを借りて山登りをしなくてはなりません。
 途中で妻が「荷物が重い。どちらかが、ここで荷物を番していて、かわりばんこに登ってこよう」
 僕、「じゃあ、僕が、ここにいるから先にいってきな」
 妻は、僕を残して嬉々として登っていきました。
 しばらくして「荷物」まで帰ってきた妻いわく。
 「きつい。あなたはいかないほうがいい。(オートバイの)運転にさしつかえるから」
 翻訳すると「あなたが、これから登って、疲れてしまって、オートバイで事故でもしたら、後ろに乗っている私が困るでしょ」。
 「はいはい。そうですか」
 「荷物」の所から二人で降りました。
 なんのために、僕は、ここにやってきたのでしょうか。

 自分勝手って、誰のことだ!!!!!

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四国、よいとこ 761 いま、バイクです その二十四 大分県豊後高田市の豊貴寺(ふきじ) 「こけむして頭もかけた石仏が…」。

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 二〇〇六年八月二十八日。

 大分県豊後高田市です。
 豊貴寺(ふきじ)に到着。
 ここは、いい。
 まず仁王の表情がグー。
 こけむした石仏もグー。

 こけむして 頭もかけた 石仏が
 手を合わせてる
 人の世のため

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四国、よいとこ 762 いま、バイクです その二十五 大分県豊後高田市の元宮磨崖仏を見ました。

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 二〇〇六年八月二十八日。

 大分県豊後高田市の元宮磨崖仏を見ました。
 五体ありました。
 気に入ったのは、これです。

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四国、よいとこ 763 いま、バイクです その二十六 大分県宇佐市の掩体壕(えんたいごう)群。

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 二〇〇六年八月二十八日。

 やっほー、大分県宇佐市です。
 国道10号の左手に掩体壕(えんたいごう)への表示がありました。
 よーっし、いくぞ。
 ありました。
 このまわりを走ると、あと五つありました。
 もっとあるかもしれませんが…。

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四国、よいとこ 764 いま、バイクです その二十七 大分県 東光寺の五百羅漢(ごひゃくらかん)と中学校の朝礼。

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 二〇〇六年八月二十八日。

 大分県の東光寺の五百羅漢(ごひゃくらかん)を見ました。

 「よそ見した 羅漢(らかん)もいるね」
 妻は笑む
 「五百人いて 朝礼のよう」

 妻は、東京都の公立中学校の国語教師です。全校生徒約五百人の。

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四国、よいとこ 765 いま、バイクです その二十八 国道10号 うわーっ、目の前をジェット戦闘機。

 二〇〇六年八月二十八日。

 国道10号を北九州に向かって走っていたら目の前をジェット戦闘機が横切りました。
 超低空飛行です。
 思わず、「わーっ」と声を上げました。
 右手が基地のようです。
 やばい所です。

 後で調べたら福岡県築上町の航空自衛隊築城基地だそうです。
 『ツーリングマップル 七 九州・沖縄』(旺文社)を見たら「頭上をかすめるようにジェット機が飛ぶ」と書いてありました。

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四国、よいとこ 766 いま、バイクです その二十九 福岡県北九州市の「息子の妻の両親」のお宅です。

 二〇〇六年八月二十八日。

 暗くなって、やっと着きました。
 福岡県北九州市の「息子の妻の両親」のお宅です。
 お母さんのおいしい料理をいただきながら、ビール、焼酎、ウイスキー。
 しゃべりたいだけしゃべって、グオーツ。

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四国、よいとこ 767 いま、バイクです その三十 福岡県北九州市 関門連絡線通路跡の、のぞき穴。

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 二〇〇六年八月二十九日。

 本日は、「お母さん」が、僕たち夫婦を車で案内してくれることになりました。
 まずは北九州の門司港へ。
 JR門司港駅は、いい感じでした。
 中に入ると、関門連絡線通路跡がありました。
 おとなの目の位置くらいの所に、こんな穴があいていました。

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四国、よいとこ 768 いま、バイクです その三十一 山口県下関市 長府毛利邸の生け花。

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 二〇〇六年八月二十九日。

 「お母さん」の案内で福岡県北九州市の門司港から船に乗って山口県下関市に。
 いくつかまわりましたが、大いに気に入ったのが長府毛利邸。
 生け花がすてきでした。
 北九州市に帰って、ここから妻は東京へ。
 僕も「お父さん」、「お母さん」に「ありがとうございました。さようなら」。
 オートバイの人となって、ふたたび大分県へ向かいます。

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四国、よいとこ 769 いま、バイクです その三十二 福岡県築上町のメタセの杜(もり)物産館 えっ、なぜ? 航空自衛隊築城基地のグッズコーナー。

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 二〇〇六年八月二十九日。

 まずは、福岡県の古墳に寄りました。
 そして、ひたすら大分県へ。午後三時ころ、国道10号を走っていると激しい雨が降ってきました。
 前がよく見えません。
 そのうえ、ものすごい雷。
 福岡県築上町のメタセの杜(もり)物産館に逃げ込みました。
 ここの売場には航空自衛隊築城基地のグッズコーナーが。
 えっ、なぜ?
 聞いてみると、ここの土地は防衛庁に借りているとのことで、その関係で、「基地の店」があるとのことです。
 
 小降りになったので、出発。
 本日は大分県中津市のビジネスホテル泊。

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2006.08.30

四国、よいとこ 770 いま、バイクです その三十三 初めての本格的なタンデムツーリングで気がついたこと。

 二〇〇六年八月三十日。

 妻との初めての本格的なオートバイでのタンデムツーリングで気がついたこと。

 ● カープなどで後ろの妻がどう動くかわからないので不安。僕は「カーブのとき体を倒したりしないで、完全な荷物になっていて」といっているのですが…。

 ● やっぱり持っていった荷物が多すぎました。僕が「薄目の」リュックサックをしょって、妻が余裕をもって後ろに乗るという形にしなければ。僕のリュックを体の前に「背負ったり」いろいろやってみましたが、やっぱり運転するのに邪魔。

 ● 地図です。ツーリングマップと都市用の細かいのと両方いるね。ツーリングマップしかもっていなかったので、都市部の家を探すのに困りました。

 ● 今回は、妻を後ろに乗せてからは、「妻のいきたい所へ、妻の指図で」という形でしたが、気がついたのは妻が「地図を読めない人」だったということです。反対の方向へいけと指示したり、ちょっと大変でした。運転の免許を何ももっていないので、地図を読む訓練ができていないせいでしょうか。僕も、自分で、ちゃんと地図を読むようにすべきでした。今後、妻にも地図を読む訓練をしてもらおうと思っていますが。

 ● 妻に上下のカッパを構えるようにいっていなかったのは失敗。二人とも、きちんと雨に備えること。

 ● リュックサックの中の防水を完全にしないとだめですね。中の荷物を小分けにしてビニール袋にいれましたが、一部、濡れてしまって…というのもありました。とほほほ…。

 ● よかったのは、夕方には走るのをやめ、ゆっくり寝て、「お目目ぱっちり」で走り続けたこと。無理をしないことっていいことですね。僕は短気で無理したくなるたちですが…。

 ● 「妻といっしょ」は三日間。ちょうどでした。これ以上いっしょにツーリングしていると、お互いのわがままが爆発して、いがみ合うことになってしまっていたのかもしれません。妻は、昨夜くらいに東京の自宅についているはずです(連絡はなし)。僕は、あと少しのツーリングを楽しんでいる最中です。

 またいこうね、タンデムツーリング。

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2006.08.31

四国、よいとこ 771 いま、バイクです その三十四 大分県佐伯市 ビジネスホテルに海上自衛隊佐伯基地のグッズがたくさんおいてありました。

 二〇〇六年八月三十日。

 本日も国道10号。
 大分県佐伯市(さいきし)に向かっています。
 ずーっと雨です。
 本日は佐伯市泊。
 フェリーの発着場の近くで…とビジネスホテルを探したら、少し市の中心部に入った所にありました。
 入ってびっくりしました。
 ここにも自衛隊グッズがいっぱい。
 帽子、カレンダー、機雷に頬ずりする女性の写真、潜水艦「はるしお」の写真、掃海母艦「うらが」の写真…。
 ここのは、同市の海上自衛隊佐伯基地のものです。
 佐伯基地は、呉地方隊呉警備隊隷下の基地です。

 各ホームページを見てみました。

 ● 大分合同新聞七月十六日付には次の記事が載っていました。

 「佐伯市鶴谷町の野岡緑道ふれあい広場で16日、『OCEAN国際ミュージックフェスティバル』(大分合同新聞後援)をはじめとする『海の日』関連行事が催され、各種のイベントで終日にぎわった」
 「 海の日記念式典があり、西嶋泰義市長が式辞。海事関係者を表彰した。さいきキャンペーンレディーを一日海上保安官、海上自衛隊佐伯基地分遣隊一日隊長に任命。…」

 ● 「市報さいき」七月十五日号に、こんな記事が載っていました。

 7月17日(月)
 ★第9回ちびっ子ヤング大会
  ●時間    9時~15時
  ●ところ   海上自衛隊佐伯基地分遣隊グラウンド
  ●内容    自衛隊グッズや特製カレーの販売、通信指揮者や小型車両の展示及び試乗、子ども用ミニ制服の試着など
  ●問い合わせ 海上自衛隊佐伯基地分遣隊総務科(22-0370)

 着々と自衛隊の国民に浸透していく作戦が進行しています。

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四国、よいとこ 772 いま、バイクです その三十五 大分県佐伯市 午前一時起床、高知に向かいます。

 二〇〇六年八月三十一日。

 大分県佐伯市(さいきし)のビジネスホテルで午前一時に起床。
 これから市内の高知県宿毛いきのフェリーの発着場へ。
 出るのは午前三時です。

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四国、よいとこ 773 いま、バイクです その三十六 僕の「夏」は終わりました。

 二〇〇六年八月三十一日。

 午前六時、高知県宿毛市に到着。
 さっそく、高知市に向かって走ります。
 途中、四万十町の岩本寺、土佐市の岩屋地蔵、佐川町の牧野富太郎さんの生誕地を見て午前十一時半に高知市着。
 途中、いの町、高知市朝倉の路面電車の線路わきにオレンジ色のコスモスの花が咲いていました。
 秋がやってきています。

 僕の「夏」は終わりました。
 あすから、仕事、仕事。

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四国、よいとこ 774 「戦争と与謝野晶子さん」を書きかえました。

 二〇〇六年八月三十一日。

 「戦争と与謝野晶子さん」を書きかえました。
 読んでいただけるかたは、左のリンクの所の「戦争と与謝野晶子さん」の所をクリックしてください。

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