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2006年9月

2006.09.02

四国、よいとこ 775 高知県香美市 こんな花たちが迎えてくれました。

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 二〇〇六年九月二日。

 朝から仕事で高知県香美市へ。
 オートバイで六か所を訪問し、わっせわっせ。
 その途中で出合った花たちです。

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四国、よいとこ 776 高知県香美市 いいでしょ、物部川(ものべがわ)のエメラルドグリーン。

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 二〇〇六年九月二日。

 高知県香美市の物部川(ものべがわ)の上流です。
 このエメラルドグリーンがいい。

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四国、よいとこ 777 高知県香美市 民家の柱の「遺族の家」のプレートです。

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 二〇〇六年九月二日。

 高知県香美市の民家の柱の「遺族の家」のプレートです。
 上に天皇家の紋章のようなものが入っています。
 以前に県下の土佐市の民家でも同じものを見ました。
 太平洋戦争のときの戦死者の出た家という意味だと思います。
 戦争中のものでしょうか。戦後のものでしょうか。どこがつくったものでしょうか。
 ごぞんじのかた、教えていただけませんでしょうか。

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四国、よいとこ 778 高知県香美市 道路わきの「核兵器廃絶 平和の搭」です。

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 二〇〇六年九月二日。

 前にも少し紹介しましたが高知県香美市の道路わきの「核兵器廃絶 平和の搭」の像の一部です。
 何メートルもある塔です。

 青空に 両手合わせて
 「平和を」と 叫んでいるよな
 女性像、見る

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四国、よいとこ 779 高知県香美市 歌人・吉井勇さんと高知県。

 二〇〇六年九月二日。

 高知県香美市といえば、歌人の吉井勇さん(一八八六年十月八日~一九六〇年十一月十九日)の高知県香美市立吉井勇記念館があるんですね。

 吉井さん、高知に住んだことがあるんですね!!!!!
 一九三四年 高知の猪野々(現・香美市)に草庵を構えます。
 一九三七年 高知市築屋敷(上町)に転居。
 一九三八年 京都の北白川に転居。

 吉井さんについてはあまり知りません。
 じっくりつきあってみたいと思っています。

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2006.09.03

四国、よいとこ 780 「九月三日って、僕の誕生日だっけ」。息子からのお祝いコール。

 二〇〇六年九月三日。

 午前中、高知県香美市で仕事をしていました。
 携帯に見慣れない電話番号が記録されていることに気がつきました。
 その番号に電話しましたが、なんだか要領を得ません。
 「すみません。どなたでしょうか」
 やっと、相手が東京都の息子だということがわかりました。

 「誕生日おめでとう」なんかいうものだから…。
 僕の誕生日は、二月ですよ。
 「誕生日おめでとうなら、昨日、九月二日が、君の母親と、その父の誕生日だよ、電話してあげて」

 その後、「点検」したら、東京都の妻の家には、その後、彼と、そのつれあいから電話があったそうです。

 それにしても疎遠な変な父、息子です。
 ま、息子から電話がかかってくるなんてことは、近年にないものですから、調子がくるってしまいます。

 息子夫婦は、あすから海外旅行とか。
 実は、これも、息子のつれあいの父母から聞いた情報です。
 つれあいさんのほうは、実家とはうまく連絡してるようです。
 うらやましいですね。

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四国、よいとこ 781 福岡県北九州市の「からしめんたいこ」。

 二〇〇六年九月三日。

 夜、「からしめんたいこ」を温かいご飯にまぶして食べるています。おいしい。
 福岡県北九州市の、息子のつれあいの父母がおくってくれたものです。
 僕の、これまでの食生活では、あまりなじみのないものでした。
 「親せきの輪」で、食の世界も広がっています。

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2006.09.04

四国、よいとこ 782 高知県香美市 皇紀二千六百年の碑。 

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 二〇〇六年九月四日。

 話は、さかのぼりますが、三日午後、高知県香美市の楠目小学校跡の前で、この碑を見ました。
 後ろをみると寄付者の名前がずらーっと書いてありました。
 皇紀二千六百年の碑は、県下でも愛媛県でも、いろんな所に残っています。
 皇紀二千六百年キャンペーンについては、「何のために、どんなふうに、それで…」ということをきちんと勉強する必要がありそうです。

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四国、よいとこ 783 高知市 事務所のベランダのゴーヤに実がつきました。

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 二〇〇六年九月四日。

 高知市の事務所のベランダにKさんがゴーヤを植えてありました。
 きょう見たら、それに黄色の花が咲き、実も二つなっていました。
 なんだかうれしいですね。
 昼休みに事務所にいるときには、僕も、みんなといっしょに昼食をとっています。
 自分のでもないのに、
 「五つぐらい実って、みんながいるときにゴーヤを食べようよ」
 と、提案しています。

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四国、よいとこ 784 高知市 「ブック・オフ」に僕の歌集が三冊……。

 二〇〇六年九月四日。

 仕事の帰りに高知市内の「ブック・オフ」に寄りました。
 短歌のコーナーを見たら、僕の歌集も三冊出ていました。
 『歌集 春への季節』 五百五十円。
 『歌集 今日もサワッデー』 五百円。
 『あなたに贈る短歌の花束』 五百五十円。

 なんか複雑な思いでした。

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2006.09.05

四国、よいとこ 785 約束を忘れてしまって……。悲しい現実。

 二〇〇六年九月四日。

 書かないでおこうと思いましたが、自分を見つめるうえで書いておきます。

 夕方から高知市内のある所にいって楽しい集いに参加する予定でしたが、失念してパス。
 夕方から電話二通、メール二通をいただいていたのに、それを気づいたのは夜の十一時でした。
 前夜から、ある新しい仕事を発見して、それに埋没していたこともあったのですが……。

 実は、このあいだも夕方のつどいに出席するつもりで予定表にも書き込み、直前まで覚えていたのにすぱっと忘れてしまっていました。
 このときは、朝からモーレツに走り、ヒューズがとんでしまったのだと思います。

 その前には、東京であるつどいを忘れてしまい、仕事にまい進。
 「おーい、どうしたんだ」という電話がきても、
 「あれかい。いくよ。○日だったよな」
 「何にいっているんだ、もう始まっているよ」

 う、う、う、う、う……。
 よっぽど気をつけないと、また、やってしまいそうです。

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四国、よいとこ 786 広島市 百円の群青色のワイシャツを買いました。

 二〇〇六年九月五日。

 朝から仕事で広島市へ。
 帰りに広島駅でやっていた「JR・私鉄払い下げ忘れ物大放出」の店をのぞきました。
 百円の群青色のワイシャツがありました。
 しめしめ。
 ゲット。
 明日はオートバイで遠くへ仕事にいく予定です。
 これを着ていくことにしましょう。

 僕は、着るものは機能本位です。
 というより、フォーマルなものは「すかん」。
 ネクタイをするのも年に一回あるかないかです。

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四国、よいとこ 787 広島市 思い出しました。母と食べた「いっぱいの、きつねうどん」。

 二〇〇六年九月五日。

 帰りに新幹線の広島駅構内で、きつねうどんを食べました。
 「アゲ」(?)の甘辛く煮たものが一枚丸まる入っていて、「すまき」(?)の薄切りが二枚、そしてネギを刻んだもの……。
 僕にとっての「典型的なきつねうどん」でした。
 汁も、のみつくしました。
 四百五十円でした。

 食べている間に、小学生のころだったか母に町内(高知県伊野町)の食堂に連れていってもらったときのことを思い出しました。
 きつねうどん一つと、ご飯を一つ取ってくれました。
 それを半分わけして「ご飯入りの、きつねうどん」二人分にして、母子ですすりました。
 すごくおいしかった。
 ごちそうでした。
 当時、きつねうどんは三十円くらいだったでしょうか。

 父、母とも働いていました。
 小学校上級生のころの僕も、かせいでいました。
 新聞の朝刊、夕刊を配っていました(毎日新聞だと思っていましたが、夕刊があったということは、高知新聞だったのでしょうか。それとも朝刊は毎日新聞、夕刊は高知新聞だったでしょうか…)。
 配達地域は、国鉄伊野駅の北でした。
 朝は、ものすごく眠たい、夕刊時間は遊べない。けっこうつらかったですね。新聞配達って。

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四国、よいとこ 788 高知市 吉井勇さんの「寂しければ」に寄せて。

 二〇〇六年九月五日。

 高知県に移り住んだ歌人の吉井勇さんが、「寂しければ」で始まる短歌をたくさん(執拗に)詠んでいることを知りました。
 僕も詠んでみましょう。

 寂しければ 優しい言葉に 涙する いい人ばかりに かこまれていて

 寂しければ 親しい人の ブログ見る この人いつも 輝いている
 
 寂しければ 思い聞いてと ブログ打つ 悲しい人も うれしい人も

 寂しければ 息子(こ)の電話聞き 歓喜する あす、つれあいと 北京にいくとか

 寂しければ 独居の妻に 電話する 「サランへヨ(愛してる)だよ」 「何? わかんない」

 寂しければ DVDで 映画見る 喜怒哀楽を ともにしている

 寂しければ 晶子の変節 たどってる なぜなんだろう 侵略美化は

 寂しければ 小説なども 読んでみて 「うん、そうなのか」 ひとりごちする

 寂しければ 野獣のごとく 仕事追う も二つ体が ほしいと思う

 寂しければ 短歌(うた)次々と 生まれくる うれしい気持ち 詠みたいのだが

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四国、よいとこ 789 高知市 零時に寝なくてはもたない「シンデレラ男」の悲しさ。

 二〇〇六年九月五日。

 うーーっ、もうすぐ午前零時です。
 明日の準備をして寝なくては、「明日」に差し支えます。
 なんと悲しい老年の習性。
 若いときは、「寝なくても大丈夫」という感じで走っていたのに。
 シクシク。

 まず、バッグの用意です。

 ● 記録用=デシタルカメラ。電池。コンパクトフラッシュ(百六十七枚撮れます)。カード。ICレコーダー。電池。ノート、日程用、メモ用。サインペン。パソコン。エッジ。コード。
 ● 資料。
 ● オートバイ用=運転免許証。鍵。眼鏡。グローブ。地図。雨具。
 ● 携帯電話と家の鍵。
 ● 金。
 ● 名刺。
 ● 事務所の鍵。

 ずいぶんといるものだと、つくづく思います。
 すべてバッグに入れました。
 水風呂に飛び込んで、すきっとして、ひたすら寝ます。

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2006.09.07

四国、よいとこ 790 高知県津野町 オートバイで十二時間駆け回りました。

 二〇〇六年九月六日。

 僕って、もしかしたら「五十九歳のおっさん」にしてはタフなのかもしれません。

 午前九時、高知市からオートバイで県下の津野町へ。仕事です。
 町内八箇所を訪問。
 午後九時過ぎ、高知市に帰着。
 その間、夕方までは激しい雨の中の走行でした。
 帰ってから午前零時半までかかって仕事の「けり」をつけました。

 就寝目標午前一時半。
 七日も朝から仕事です。

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四国、よいとこ 791 高知県南国市 南国郵便局の図書室。いいですねー。

 二〇〇六年九月七日。

 朝から仕事で高知県南国市に。
 市役所にいった帰りに、その近くの南国郵便局に寄ると左手のかなり広いスペースが図書室になっていました。
 年配の女性が熱心に本を読んでいました。
 借り出したいときには、自分で、そなえつけのノートに書けばOK。
 いいです。
 なんか感動しました。

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四国、よいとこ 792 高知市 東京の財団法人大宅壮一文庫の雑誌の複写資料の「代引き宅配便」。

 二〇〇六年九月七日。

 夕方、仕事で戦後すぐの雑誌の記事が必要になりました。
 「こんなときは、財団法人大宅壮一文庫」でしょうが、そこは東京都です。
 ホームページを開いたら「やっほー」。
 「記事の出典が明確な場合は『代引き宅配便』で所蔵雑誌の複写資料をお送りできます」
 そっそく、ファクスでお願いしました(前からほしかった二つの雑誌の記事もふくめて)。
 一時間ほどして「うち二つはあります。お送りしますか」の電話がありました。
 すごい。
 土曜日の午後には着くそうです。
 すごい。
 費用は安くはありませんが、非常に貴重な存在です。

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四国、よいとこ 793 高知市 東京の美和書店の本の郵送サービス。

 二〇〇六年九月七日。

 本も必要になりました。
 これはファクスで東京都の美和書店に頼みました。
 在庫があれば、きちんと送ってくれます。
 信頼できる本屋さんです。

 渋谷区千駄ケ谷4-25-6
 03-3402-4146 ファクス03-3402-4147

 です。

 ところで、「紀子様 お子さまに授乳」が本日夕のNHK総合テレビのビッグニュースです。
 このネタって、「きこさんちの家族新聞」でいいのでは……。

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四国、よいとこ 794 高知市 「寂しければ」の短歌のつづき。

 二〇〇六年九月七日。

 寂しければ
 独居の妻に 夜(よ)の電話
 「仕事、まだある。あとにしてよ。ね」 

 寂しければ
 独居弟(おとうと)に 夜(よ)の電話
 やっと通じて 「生きちょったかよ」

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四国、よいとこ 795 高知市 あの木村久夫さんと関田英里さんは高知高校の同級生だったんですね。

 二〇〇六年九月七日。

 木村久夫さんのことを調べていて、仲人の関田英里さんのインタビュー記事と出合いました。
 「’95年夏 問いつづける平和 ―4―/還らぬ学友/歴史に時効はない/高知市立自由民権記念館長/関田英里さん」(「しんぶん赤旗」、一九九五年八月十八日付)です。
 あの木村久夫さんと関田英里さんは高知高校の同級生だったんですね。

 以下、引用です。

 旧制高知高校三年間のうち二年間同じクラスで机を並べていた学友・木村久夫が、シンガポールのチャンギー刑務所で戦犯として処刑されて、ことしは五十回忌でした。
 (中略)木村は、(一九)四二年の秋に応召。南方派遣軍の一員としてインド洋のカーニコバル島に上陸しそこで終戦を迎えます。その直前、島民のスパイの検挙・処刑がおこなわれた時、木村は通訳としてかかわったばかりに軍事裁判で戦争犯罪人として死刑を宣告され、四六年五月に絞首刑となったのです。彼に命令を下した上官の責任を一身にかぶせられて。
 英語に熟達していたことがわざわいしようとは――。(中略)彼の遺書に接した時の驚きは、何ともいいようがありません。その遺書はいま『きけわだつみのこえ』(岩波文庫)に収められています。
 木村久夫は、善良で実にいい男でした。高知市新屋敷にあった彼の家に私はちょいちょい遊びにいったりもしました。彼には一風変わったところがあり、自分が尊敬できない先生には反抗もするし、欠席もする。その課目はあまり勉強もしない。そのため、私より一年早く入学していながら、卒業も一年遅れましたが英語は達者でした。四二年に高知高校を卒業した彼は、京都大学経済学部に進み本格的に社会科学の勉強を始めたようです。その年の夏に京都で彼と会ったのが最後になってしまいました。
 木村は吉井勇の歌が好きで、吉井が一時期住んでいた高知県香北町猪野々の「溪鬼荘」を高校時代よく訪れて逗留(とうりゅう)していたようです。ことしの五月、木村の知人や旧制高知高校の友人らが「溪鬼荘」に集まり、彼を偲(しの)ぶ会を開きました。無念の死を無念のままに終わらせたくありません。木村が獄中で詠んだ歌を刻む記念碑を、ゆかりの地に建て戦後世代の若者たちにも知らせようと、私が発起人代表になり募金も呼びかけることにしました。
 旧制高知高校の校歌は冒頭が「自由の空に寄す南溟(なんめい)の 永久(とわ)なる浪の響き…」ですし、寮歌の「豪気節」では、「南のお国は土佐の国 革命と自由の生まれし地」と歌われています。自由民権運動の発祥の地に大正デモクラシー期に創立された高知高校は、全国でも珍しいほどリベラルな学風で、建学の精神は「感激なき人生は空虚なり」。しかし私が入学した三八年には、国家総動員法が公布され、戦時体制は外から整えられてきていました。“自由”“自治”の精神はしだいに侵され、奪われていったのです。けれども精いっぱいの抵抗を示し、学びあった学友たち――。
 私は、高知高校から東京大学に進みましたが、戦局の悪化から、四三年十月、大学、高専の学生生徒に卒業まで認められていた徴兵猶予の制度が、文科系には突然なくなり、いわゆる「学徒出陣」、私たちがその第一号になったわけです。私は徴兵検査は丙種でしたがその私にまで召集令状(赤紙)がきて、十二月一日、高知の歩兵連隊に入営しました。
 その後転々として、終戦は、浜松の飛行場大隊で迎えました。八月十五日、天皇の終戦の放送を聞いた時は、むなしさとともに激しい悲しみにおそわれました。いったい何のために無数の命が奪われたのか。何のためのたたかいだったのか、と。
 (後略)

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四国、よいとこ 796 あの時代に、権力ともっとも勇敢にたたかった人を描いた映画。

 二〇〇六年九月七日。

 夜、DVDで映画「時代(とき)を撃(う)て、多喜二(たきじ) 生きたい 書きたい--。」を見ました。
 あの時代に、権力ともっとも勇敢にたたかった人。
 そうだと思います。
 あの小林多喜二さんは。

 「うぉ、あっはっは…」と、だらしなく泣きながら見ました。

 「そして、彼等は、立ち上がった。--もう一度!」
 彼の『蟹工船』の最後の文章です。
 ぐっとこみ上げてくるものがあります。

 「昭和天皇」の手下たちに虐殺された多喜二の死体に向かって「もう一回、立たねか」と叫ぶ、多喜二の母。
 また、とめどなく涙が流れました。

 もう一度、全集を読み直して見たいと思います。
 すこし時間はかかりそうですが。

 僕もまた 多喜二のように
 恐れつつ
 日本共産党(とう)を選んだ 十八の時

 もう一度 多喜二のすべて 読み切って
 思いを継いで
 進め。われらも。

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2006.09.08

四国、よいとこ 797 えっ!? 清流・四万十川の源流点のある高知県津野町に原発のゴミ捨て場を誘致しようだって!?

 二〇〇六年九月八日。

 高知県津野町。緑豊かな、僕の大好きな町です。
 清流・四万十川の源流点がある所です。
 この町に原子力発電所ゴミ最終処理施設(高レベル放射性廃棄物最終処分施設)誘致の動きが持ち上がっています。

 高レベル放射性廃棄物は、原子力発電所で燃やした核燃料からプルトニウムを取りだすための再処理の際に出る放射能が極めて強い廃棄物です。そのまま処分するのは危険なので、廃液にガラス化剤を加えて固化体(ガラス固化体)にします。
 しかし、放射能が問題のないレベルにまで低下するのに何万年もかかるため、その管理・処分は非常に困難な問題です。
 日本はフランスに再処理を依頼し、返還されたガラス固化体を青森県六ケ所村の貯蔵施設に一時保管しています。
 原子力発電環境整備機構(東京都港区)の計画では、六ケ所村に三十-五十年間貯蔵した後、各地の地下に埋めたてて最終処分することになっています。

 同施設の建設について、原子力発電環境整備機構は、二〇〇二年十二月から同施設の「設置可能性を調査する区域」(区域の面積の目安は十平方キロメートル)を公募してきました。
 しかし、いまだに一つも応募がありません。
 そんな中、津野町の町民の一部が、四日、同町議会に町として候補地への応募を求める陳情書を出しました。
 提出の動き知った町民たち二グループも同日、それぞれ同施設を誘致しないでという陳情書を提出しました。

 同町の町議は十四人で全員が無所属。候補地に応募すれば「文献調査段階」でも地方自治体に最高年二億一千万円の交付金が出ることから、多くの町議が「財源確保」のために同施設の誘致について「研究」「研修」してきました。
 町議が地区の代表の集まりで誘致計画を宣伝したり、議員三人の連名で町民に「国のエネルギー政策に理解、協力を」と青森県六ヶ所村の核関連施設の「視察研修」への参加を呼びかけたりしていました(二泊三日。参加分担金七千円)。
 同機構側も、先月、同町内の団体役員の会議で同施設の「安全性」を説明。参加者全員に無料で同機構が制作した小冊子四冊、ビデオ二巻を配布しています。

 ● 高レベル放射性廃棄物の放射能が問題ないレベルまで低下するのに数万年かかるとされています。
 どんなに丈夫な容器に入れても、どんなに頑丈な施設をつくっても数万年も持つでしょうか。
 ● 高知県では南海大地震が起こると心配されていますが、もし地層中に高レベル放射性廃棄物が露出した場合、地下水を通して環境と生命に大きな悪影響を及ぼしかねません。
 ● だからこそ、同処分場誘致に応募する市町村が一つもないのです。
 高知県では、二〇〇三年十二月、佐賀町議会(十二人)に一部の町民から高レベル放射性廃棄物最終処分場の誘致を求める請願が出されました。翌年、二〇〇四年九月十六日の九月定例議会本会議は、この請願を否決しました。
 ● 政府は、「文献調査」の交付金をぐーんと値上げしてつろうとしていますが、額が多いほど「危険性がすごいんだよ」といっているも同じです。

 津野町議会に出されている三つの陳情書は、十二日午後一時から、同町議会委員会で、この三つの陳情書が審議されます。場所は西庁舎(旧東津野村役場)三階の本会議場です。傍聴は「先着二十五人まで」となっています。

 また、誘致に疑問を持つ同町民有志は、この問題についてきちんと知ろうと「実行委員会」をつくり、「高レベル放射性廃棄物って何? 本当に安全?」をテーマに講演会(十六日夜七時、町内の里楽ホール)を開く予定です。講師は、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんです。

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四国、よいとこ 798 高知市 ミニコチョウランの鉢を買いました。

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 二〇〇六年九月八日。

 高知県南国市の二カ所を回って高知市の事務所に向かっていました。
 暑い。
 また夏がやってきました。
 ぐったり。
 ひょいと店をのぞいたらミニコチョウランの鉢が千円で売っていました。
 うーーっ、ほしい。
 買いました。
 この写真です。
 素敵でしよう。
 事務所において悦に入っています。

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2006.09.09

四国、よいとこ 799  高知市から東京都へ愛を込めて「青い二五〇CCのオートバイ」の短歌集です。

 二〇〇六年九月九日。

 東京在住の妻は、九月二日で五十九歳になりました。
 僕が、彼女に出会った時は、彼女は十八歳。
 「向かい風に髪をたなびかせて歩く少女」という感じでした。
 いまは、……。
 ええ、いまも、すばらしい人です。
 そうですとも。そうですよ……。
 誕生日に寄せて、最近の短歌をまとめてみました。
 高知市から、愛を込めて彼女に贈ります。
 なんちゃって……。


 青い二五〇CCのオートバイ


   快感

 定着を 恐れているのか この男
 勢い込んで 
 旅に出る朝

 空は青 道、山あいに 続いてて
 ニーグリップし
 緑に向かう

 巡礼の 道との表示
 あぜのよな でこぼこ道を
 バイクでたどる

 鼻歌も 「♪潮の香りの中…」
 晴天の 黒潮ライン
 バイクと僕と

 ビシビシと 肌打ちすえる 雨の中
 高速道を
 東に向かう

   仕事

 紙すきの 里を求めて
 山道を 向かうバイクに
 雪、降りしきる
 
 この仕事 一つなしとげ 死なんとも
 悔いはないかも
 アクセル吹かす

 イノシシに 注意の表示 左に見
 ゆっくりとばす
 徳島高速

 ログに住み
「九条パン」を つくってる
 夫婦に会って 急坂下る

 霧の中 道を求めて 下ってる
 バイクのメーター
 二十キロだよ

 出張の 帰りの道脇
 「平和像」 しっかり建ってて
 バイクを停める

 「ここまでを バイクできたか」
 それぞれに
 あきれる人と 危ぶむ人と
 
 雨の中 十二時間を 走りくる
 「百行分」の
 成果を乗せて

   二人

 新しい 赤ヘルメット 買い込んで
 百十七歳の
 タンデムの旅
 
 タンデムの
 肩を書見(しょけん)に 地図を見て
 「そこ右、そこそこ」 指図する妻

 タンデムで
 ゆったり山道 走ってる
 「お先に、どうぞ」 道あけてやる

 タンデムに
 冷やかしホーンが 鳴っている
 メットの二人 還暦まぢか

 三日日間 後ろに乗って
 「体中 ブルブルしてる」
 湯の後の妻

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四国、よいとこ 800 高知市 夜、一瞬、電灯が消え「ゴロゴロゴロ」。

 二〇〇六年九月九日。

 午後十時半ころの、高知市。
 一瞬、電灯が消えました。 
 そして、
 「ゴロゴロゴロ」
 近くです。
 そして、いま雷まぢりの土砂降りです。

 二階の四つの窓をすべて開け放って、二つの部屋の真ん中あたりで仰向けに寝転びました。
 「うわーっ、ー涼しい」
 しばらくすると、また電灯が消えました。
 「ゴロゴロゴロ」
 うーっ、すごい。
 野外で雷の攻撃に耐えているような気分です。
 と思いながら、いつの間にかグー、グー……。

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2006.09.11

四国、よいとこ 801 高知県津野町 原子力発電所ゴミ最終処分場誘致の本音 「要は安全危険とかいうことうんぬんよりもですね、財源確保のためにはこれは絶対にやるべきだ…」。

 二〇〇六年九月十一日。

 十二日午後、高知県津野町議会の町行財政改革特別委員会(大地勝義委員長。委員は議員全員十四人)で、同町に原子力発電所ゴミ最終処分場(高レベル放射性廃棄物最終処分場)の「文献調査」に応募することを求める陳情書、応募に反対する二件の陳情書の審議がおこなわれます。

 この処分場は、原子力発電所を持つ各電力会社が資金を拠出している原子力発電環境整備機構(東京都港区)が公募しているものです。

 町議たちは「要は安全危険とかいうことうんぬんよりもですね、財源確保のためにはこれ(同処分場の誘致)は絶対にやるべきだ…」(三月町議会での於茂田義一議員の質問)と昨年から誘致運動を展開してきました。
 この発言、じっくり読むと背筋がぞーっとします。
 いくら政権与党派の議員といっても……。

 同町の議員たちは、町民たちを青森県六ヶ所村の核関連施設への「見学会」に連れていき、同処分場の「安全性」をキャンペーンしてきました。
 この「見学会」は同機構が旅費、宿泊費などを負担。自己負担は食費程度です。

 しかし、多くの町民は、誘致をの陳情書提出で、この問題を始めて知りました。
 六日からは三人の農業従事者が、四万十川源流の町に原子力発電所ゴミ最終処分場を誘致しないでという「要請書」の署名運動を始めています。
 また、誘致に疑問を持つ町民たちは、この問題についてきちんと知ろうと十六日夜七時、町内の里楽ホールで「高レベル放射性廃棄物って何? 本当に安全?」をテーマに講演会を開く予定です。

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四国、よいとこ 802 「水戸黄門」の由美かおるさんの若さ。すごいですね。これは、世界遺産ですね。

 二〇〇六年九月十一日。

 夜八時台のテレビで「水戸黄門」を見ています。
 いつ、つくったものでしょうか。
 由美かおるさんが、娘さんのようです。
 この人、本当に不思議な人です。
 僕とあまり違わない世代の人(ちょっといいすぎでしょうか)だと思うのに、いま二十歳の役をやってもOKです。

 ずーっと前に、お会いしたことがありますが、そのときと、ちっとも変わらない若さに拍手。 
 これは、世界遺産ですね。
 ついでに、「御老公」、若すぎ。
 メイクしても、なりきれていません。

 なんとかして!!!

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2006.09.12

四国、よいとこ 803 高知県津野町 原子力発電所ゴミ最終処分場誘致 議員たちは「やる気満々」。

 二〇〇六年九月十二日。

 十二日午後、高知県津野町議会の町行財政改革特別委員会(大地勝義委員長。委員は議員全員十四人)で、同町に原子力発電所ゴミ最終処分場(高レベル放射性廃棄物最終処分場)の「文献調査」に応募することを求める陳情書、応募に反対する二件の陳情書の審議がおこなわれました。
 同委員会で、「応募を」の陳情書の代表者二人が、十一日に代表を辞退することを申し出たことも報告されました。
 反対の世論の高まる中でのできごとです。
 審議の結果は、いずれも継続審査に。
 しかし、各議員の発言を聞いていると、議員たちは、今後、同処分場誘致の必要性を全町民レベルで徹底していく構えです。
 「誘致へ、やる気満々」という感じでした。

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2006.09.13

四国、よいとこ 804 高知県津野町 「グロリオサのごと 燃えたって…」。

 二〇〇六年九月十三日。

 本日もオートバイで高知県津野町へ。

 グロリオサの花を出荷しているという男性と出会いました。
 グロリオサ、グロリオサ、グロリオサ…。
 繰り返してみても花の姿が浮かびません。
 後でインターネットで調べると、「ああ、これなのか」。
 赤い炎が燃え上がったような花でした。
 見たことがありました。
 そうか、あれがグロリオサなのか。

 ユリ科グロリオサ属だそうです。

 われも、また
 グロリオサのごと 燃えたって
 野にいたいもの 走りたいもの

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2006.09.14

四国、よいとこ 805 高知市 「わーっ、ひさしぶりの真っ青な空!!!!!」。

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 二〇〇六年九月十四日。

 朝、起きて窓の外を見ました。
 「わーっ、ひさしぶりの真っ青な空!!!!!」
 うれしい。

 早速、洗濯。
 外に干しました。
 明日は気持ちのいい衣服を着ていくことができます(実をいうと、この何日間か、半がわき…ということも。単身男の哀しさ…)。

 風呂に入って、二階の窓を開け放ち、窓の所のベッドに、どてん。
 いい風が入ってきます。
 「いいなぁ、生きているって…」
 な、なんと単純なと思いつつ、いい時間を過ごしました。

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四国、よいとこ 806 高知市 県下の高レベル放射能廃棄物最終処理場誘致問題 橋本大二郎高知県知事が「札びらでほっぺたを叩いて進めていく原子力政策」と批判。

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 二〇〇六年九月十四日。

 橋本大二郎高知県知事は、十四日の記者会見で、同県津野町、東洋町で高レベル放射性廃棄物最終処理場の候補地応募の動きが出ていることに聞かれ、県内への誘致に否定的な考えを示しました。橋本知事は、二〇〇三年-二〇〇四年に同県佐賀町(いまは黒潮町)で同施設の誘致を求める動きが出たときにも、県議会で「私の在任中には、こうした施設を受け入れるつもりはない」と答弁しています。この記者会見での橋本知事の発言はつぎのとおりです。

   【交付金が欲しいからというようなのも、いかがなものかなと…】

 「…自分の考え方とか気持ちというのは(佐賀町で誘致の動きが起こったときと)変わりありません」
 「…賛成をされるのであれば、交付金が欲しいからというようなのも、私はいかがなものかなと、ということを思うんです。本当に原子力政策というものを日本の国のエネルギーと地球温暖化というものを考えて進めていこうというのであれば、そもそも国の政策として交付金を出し、当該自治体には十億円ほど、また近隣の市町村にも同じ額を、正直言ってばらまいて何とか納得させているというふうな原子力政策はやめるべきではないかなと。そういうふうに札びらでほっぺたを叩いて進めていく原子力政策がいかに無駄な金を使って、それこそ無駄な地域のズレや溝を起こさせてきたかというようなことを考え直してもらわなきゃいけないと思うんですね」
 「…受け入れるのであればそれはもう交付金なんかいらないから、エネルギーとか地球温暖化ということを考えたとき絶対必要だと、そういうことを自治体としてやっていくんです、という住民意思を表明していただきたいと思いますし…」

   【自然を活かした地域づくりなどの方向性とはマッチするものではない】

 「…私だけではなくて、お隣のまちの町長さんなども明確に『非常に迷惑な話で、やめていただきたい』ということを発言されておりますし、直接お会いをしてもそういうことを言っておられます。それはひとつのまちだけじゃなくて、いくつかの近隣の自治体の長と直接お話をしましたけれども、明確に反対をされております。それはやはりこれまでの高知県の、……自然とかそういうものを活かした地域づくりだとか、交流人口を増やしていこうという方向性とは決してマッチするものではないというふうに、そういう思いの方々みんながとらえているからではないかと思います」

   【いまの政府のかたちでいいのか、国のかたちでいいのか】

 「…そこまで地方を追い込んできている、またそういう追い込んだ地方にさらに巨額なお金で、札びらでほっぺたを叩いて地域にまた大きな紛争を起こしながら国の政策を進めていこうというようなやり方に強い疑問を感じますし、そういうようないまの政府のあり方というものをやっぱり高知県民というのが一人ひとり考えて、いまの政府のかたちでいいのか、国のかたちでいいのかということを意思表示していかなければいけないときにもう来ているというふうに私は思います」

 写真は津野町の風景。あの「お馬さん」が生まれたところなんですね。

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四国、よいとこ 807 高知市 明日も晴れの天気予報に「わおーっ!!」。

 二〇〇六年九月十四日。

 明日も晴れ
 天気予報に 「わおーっ!!」の声
 雨具をおいて バイクは走る

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四国、よいとこ 808 高知市 「超弱(ちょうよわ)い パソコンオセロに 勝ち続け…」。

 二〇〇六年九月十四日。

 超弱(ちょうよわ)い パソコンオセロに
 勝ち続け
 夜を過ごしてる なんか哀しい

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2006.09.15

四国、よいとこ 809 高知県南国市 ニラの花、サフランモドキの花…。

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 二〇〇六年九月十五日。

 朝から、オートバイで高知市から県下の南国市へ。
 途中で、きれいな花々に出合いました。
 マンジュシャゲ。
 ニラ。
 サフランモドキ。
 ●●
 などです。
 田んぼの中に「神様」をまってあるのもいい。
 田植えを待つ水田(みずた)にシラサギが二羽たたずんでいるシーンも素敵。

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四国、よいとこ 810 高知県香美市 木村久夫さんの歌碑を見ました。

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 二〇〇六年九月十五日。

 高校、大学の大先輩の車に乗せていただき、南国市から香美市の木村久夫さんの歌碑を見にいきました。
 猪野々の歌碑を見、ゆかりの渓鬼荘(けいきそう。かやぶきで六畳間と四畳半間。近くに移築されています)も見ました。

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四国、よいとこ 811 高知市 「マンジュシャゲの花、イタドリの花の咲くころのツガニはうまい」。

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 二〇〇六年九月十五日。

 前日夕方、先輩のKさんが「マンジュシャゲの花、イタドリの花の咲くころのツガニはうまい」と、いいだしました。
 ツガニ?
 川のカニだそうです。
 どんなものだろう。
 その夜から頭の中に「ツガニ」という大きな文字が入り込んでしまいました。

 本日、南国市にいったら広域農道のわきに「つがに 1K 1、?00」の看板がありました。
 しかし、この店は、まだ開いていません。
 もう少しいくと「ツガニ汁」の看板。
 店に入ってみると女性の主人が「いまはありません。予約してもらわないと。腐りやすいのですぐ食べないとだめなんです。ここいらにくるのは愛媛県の川之江あたりでとれたものです」。
 頭の中の「ツガニ」という文字が、さらに大きくなります。

 午後、高知市に帰っていると携帯電話が鳴り、Nさんが「ツガニをゆでているよ」。
 帰り着いてごちそうになりました。
 うん。かわいそうだけど、うまい。
 これは吉野川でとれたものだとのことです。

 ツガニは、モクズガニともいうそうです。

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四国、よいとこ 812 高知県南国市 『PEACE 香長ゼミナールと窪田充治の活動の記録』。

 二〇〇六年九月十五日。

 高知県南国市の香長ゼミナールの窪田充治さんが『PEACE 香長ゼミナールと窪田充治の活動の記録』という美しい本を出しました。
 カラー写真を満載。日本語、英語、中国語、ハングルで書いています。
 英語は高校の英語教師だった窪田さんが、中国語は中国語講師の玉置啓子さんが、ハングルはキム・ヨンファンさんが担当しています。

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2006.09.17

四国、よいとこ 813 高知県津野町 高レベル放射能廃棄物最終処理場誘致に反対する人たちの講演会 超、超満員の三百人以上。

 二〇〇六年九月十六日。

 夜、車に乗せてもらって高知県津野町へ。
 高レベル放射能廃棄物最終処理場誘致の問題で反対する人たちが講演会。
 百人ほどの会場に、三百人以上が。
 いす席の前にも、敷物をしいて座る席をつくります。
 ドアの外にも、いすを構えました。
 それでも座れない人は、ステージに。
 推進している町議たちも、少なくても三人はきていました。

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四国、よいとこ 814 高知県津野町 高レベル放射能廃棄物最終処理場誘致に反対する歌ができていました。ショーン・バーゴインさんの歌です。

 二〇〇六年九月十七日。

 高知市の「高知街ラ・ラ・ラ音楽祭」にいきました。
 高知市内の街頭十二箇所で同時開催。
 その一つ、「ピースライブ」で、津野町に住んでいる男性が自作の高レベル放射能廃棄物最終処理場誘致に反対する歌をうたいました。
 すばらしい曲で、ぐっときました。

 追記

 ◎原発ゴミ処分場 「いらない」を歌で 地震の多い国では危険 高知県津野町のショーン・バーゴインさん

 フォークバンド「ベテランひげ」のボーカル、ショーン・バーゴインさん(38)=高知県津野町在住=が同町に原子力発電所ゴミ最終処分場(高レベル放射性廃棄物最終処分場)はきてほしくないという思いを曲にして歌い始めました。
 同処分場は、同町の町議たちが誘致しようとしているものです。
 「ベテランひげ」は、十七日の「高知街ラ・ラ・ラ音楽祭2006」の「ピースライブ」で演奏。ショーンさんは「うちの裏庭に核廃棄物の処理場をつくろうという計画があって、とんでもないと思っています。ほしくないやろう。そんな所。平和的にたたかいたいと思っています。みんなの力を貸してください」と語りかけて、「核廃棄物の処理場の近くに住みたい」を歌いました。
 「♪核廃棄物の処理場の近くに住みたい 魚釣りは、めちゃ楽 だって、魚はもう死んで川に浮いちゅう」
 「♪核廃棄物の処理場の近くに住みたい 草刈りは、もうせんでいい だって、なんちゃあ生えてこない……」
 ショーンさんは、十六年前から日本に。英会話教師をしています。
 「原子力発電は特に日本のような地震の多い国では危険性があると思います。廃棄物の始末もできにくいし。本当は原子力発電を使っている場合ではないのではありませんか。どの国でも太陽がありますから、それを利用した発電を使ったほうがいいのではないかと思っています。私の出身地、オーストラリアのビクトリア州には原子力発電所はありません」と、話しています。
(「しんぶん赤旗」 2006年9月21日付)

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四国、よいとこ 815 高知市 妻の両親の敬老を祝う会。

 二〇〇六年九月十七日。

 夜、市内の料理屋で妻の両親の敬老を祝う会。
 妻、僕、弟も参加。
 妻の父は八十二歳(九月二日生まれ)、妻の母は七十九歳(一月二十四日生まれ)。
 僕の両親は、すでに亡くなっています。

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四国、よいとこ 816 高知市 テレビ高知の「僕たちの戦争」を見ました。

 二〇〇六年九月十七日。

 夜、妻、弟の三人でテレビ高知の「僕たちの戦争」を見ました。
 うーん。
 弟と僕が議論しながら見るので、妻が後ろから「やかましい。聞かして」。

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2006.09.18

四国、よいとこ 817 高知市 「三日日間 訪れくれし わが妻と…」。

 二〇〇六年九月十八日。


 三日日間 訪れくれし わが妻と
 別れる間際に
 いがみ合う日よ

 おお、やだ、やだ……。
 今夜は、不快です。

 と、いいながらハングルの勉強。
 木村久夫さんのことの勉強。

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2006.09.19

四国、よいとこ 818 高知市 久しぶりの休日の過ごし方。夕方から、すっごい雨。

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 二〇〇六年九月十九日。

 高知市です。
 前日午前二時ころまで勉強。

 午前八時前、電話。
 しまった。八時からハングル教室だった。
 「すみません。すみません…」
 忘れていました。またです。
 休みました。

 月一回の病院に。

 事務所に、「焼きうどん」の差し入れがくると知って、アタック。
 昼食に計五人で食べました。

 パソコンの店を二カ所まわりました。
 結局、ハングルのソフトを買ってきました。

 そして、きのう見つけた九反田の「街路花」のマンジュシャゲを撮りにいきました。

 午後五時過ぎ、すごい雨になりました。
 すべてを洗い流すような雨です。
 「しまった。二階の窓。開けっ放しだ」
 急いで閉めにいきました。
 しかし、ときすでに遅し……。
 
 「高知街ラ・ラ・ラ音楽祭」の中央公園会場で買ってきた「土佐キムチ」で夕食。

 後は、ハングルの勉強。
 木村久夫さんの勉強。

 あすは早いぞ。

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2006.09.20

四国、よいとこ 819 木村久夫さんの遺書が語りかけること その一 高知県香美市猪野々(いのの)の猪野沢温泉の「…『明日』という字を…」の歌碑。  

 『新版 きけ わだつみのこえ 日本戦没学生記念会編』(岩波文庫)に遺書が載っている木村久夫(きむら・ひさお)さんのことを調べてみるつもりです。
 高知県香美市猪野々(いのの)の猪野沢温泉のかやぶき屋根の草庵「渓鬼荘(けいきそう)」(六畳、四畳半の二間)があった所の近くに木村久夫さんの歌碑がたっています。
 「音もなく我より去りしものなれど書きて偲びぬ明日(あす)という字を」
 「撰文」の最後は、こうです。
 「今後いくとせ春来れば猪野々の山々を白雲が棚引き秋訪れれば物部の清流のささやきに耳を傾ける静かな自然の輪廻は悲惨な戦争を拒み平和を希求する『明日』という字を讃えて永遠に過ぎ行くことであろう」
 高知高等学校の同級生の関田英里(せきた・ひでさと)さん(当時、高知市立自由民権記念館長)が代表発起人になって広く募金を集めて、一九九六年四月九日につくったものです。
 関田さんには、彼が高知大学の経済学の教授だったころに習いました。関田さん夫婦に僕たちの仲人をしていただきました。
 (二〇〇六年九月二十日)

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四国、よいとこ 820 木村久夫さんの遺書が語りかけること その二 「木村久夫は、善良で実にいい男でした」(関田英里さん)。

 木村久夫さんは、一九一八年四月九日生まれ。大阪府出身です。
千里第二尋常小学校を卒業。
 一九三八年四月、彼は、高知高等学校(三年制)に入学しました。
 文科甲類二組です。
 入学と同時に、母、妹の孝子(こうこ)さんも、大阪から高知市に移住しました。
 高知市の新屋敷に住みました。
 同級生に関田英里さん、竹内邦夫さん(後に香川大学教授)、畔上孝さんなどがいます。
 高知高等学校三年間のうち二年間、同じクラスで机を並べていた関田さんが高等学校時代の木村さんを語っています。
 「木村久夫は、善良で実にいい男でした。高知市新屋敷にあった彼の家に私はちょいちょい遊びにいったりもしました。彼には一風変わったところがあり、自分が尊敬できない先生には反抗もするし、欠席もする。その課目はあまり勉強もしない。そのため、私より一年早く入学していながら、卒業も一年遅れましたが英語は達者でした」
 「木村は吉井勇の歌が好きで、吉井が一時期住んでいた高知県香北町猪野々の『溪鬼荘』を高校時代よく訪れて逗留(とうりゅう)していたようです」
 吉井勇(よしい・いさむ)は、一八八六年十月八日、東京芝区生まれ。一九六〇年十一月十九日没。歌人、脚本家。
 香北町(かほくちょう)は、高知県の北東部、物部川中流の山間に位置していた町です。二〇〇六年三月一日、土佐山田町、物部村と合併し、香美市となりました。
 「旧制高知高校の校歌は冒頭が『自由の空に寄す南溟(なんめい)の 永久(とわ)なる浪の響き…』ですし、寮歌の『豪気節』では、『南のお国は土佐の国 革命と自由の生まれし地』と歌われています。自由民権運動の発祥の地に大正デモクラシー期に創立された高知高校は、全国でも珍しいほどリベラルな学風で、建学の精神は『感激なき人生は空虚なり』。しかし私が入学した三八年には、国家総動員法が公布され、戦時体制は外から整えられてきていました。“自由”“自治”の精神はしだいに侵され、奪われていったのです。けれども精いっぱいの抵抗を示し、学びあった学友たち――」(「しんぶん赤旗」一九九五年八月十八日付、「’95年夏 問いつづける平和 4」)。

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四国、よいとこ 821  木村久夫さんの遺書が語りかけること その三 高知高等学校の教師・八波直則さんの学生・木村久夫さんの印象。

 当時の教師に、塩尻公明さん(倫理学)、八波直則さん(英文学)、徳田弥さん(英語学)などがいます。
 八波直則さんが、高知高等学校時代の木村さんについて、こう書いています。
 「私は彼が入学同時(記者注・「当時」か)当時のクラス主任でしたが、決して秀才型の生徒じゃなかった。出身が大阪だからか、ぜいろく的というか、ちょっとぐうたらな所もあったように思います。その代わり潔癖すぎるほど好き嫌いがはっきりしていた。好きなものには真一文字に打ち込むが、きらいな学科や先生は、徹底的に毛ぎらいする。権威主義が大きらいで、威張る先生、ヒューマニチックでない教師をきらいぬいた。授業にも出ない。白紙答案を出す。こうして原級を繰り返し卒業までに六年かかった。原級すると同じ科目をやり直すわけですが、同じ講義ノートを用いる先生の時間には最前列に座り、ノートも取らず、ほおづえついている。先生もやりにくいわけで、『木村には参った』と私にまで苦情を持ち込まれたものです。
 家は大阪・吹田の素封家で、お父さんは村長まで勤めたそうですが、封建的な人で複雑な女性関係もあり、家庭には波乱が絶えなかったようです。そんなこともあってか彼は友人宅や寮を泊まり歩き、それこそ流転荒亡に近い日々を送っていた。それがある日突然、学問の道に目ざめた。きっかけは塩尻さんの経済学の講義であった」(『私の慕南歌 回想と随筆』。注・これは原典にあたっていません。探すつもりです)。

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四国、よいとこ 822 高知市 「離れ住む 妻に電話を しない日々…」。

 二〇〇六年九月二十日。

 離れ住む 妻に電話を しない日々
 きょう一日目
 あすは、どうかな

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四国、よいとこ 823 木村久夫さんの遺書が語りかけること その四 高知高等学校の教師・塩尻公明さんの学生・木村久夫さんの印象 ①。 

 僕が、一歳で、高知県伊野町に住んでいたころの一九四八年のことです。
 塩尻公明さんは、『新潮』一九四八年六月号に「或(あ)る遺書について」という文章を載せます(以下、新漢字、いまの仮名遣いにしてあります)。
 木村久夫さんの遺書のことです。

 「……彼は所謂(いわゆる)秀才肌の学生ではなかった。殊(こと)に高等学校時代の初期には家庭的な葛藤、殊に父親と母親とが感情的にしっくりゆかず、父親にはかなり封建的な我儘(わがまま)が見られるということを苦にして、勉強も手つかず、写真を写してまわったり、喫茶店をめぐりをしたり、酒を飲んで町を歩いたりしていたので、学校当局からは不頼の生徒と見られ、友人や町の人々からも放逸の生徒と見られていた。殊に講義のより好みをして彼の好まぬ講義は徹底的にさぼるので、教師たちの人望も甚(はなは)だ芳しくなかった。然(しか)し乍(なが)ら、彼の内には、こういう表面の姿からは想像もつかぬような真摯な好学心が潜んでいて、簡素な不自由な衣食住にも耐えて幾日でもぶっ続けに勉強に没頭することの出来る逞(たくま)しい力をもっていた。自分が彼の提出した論文に対して些(いささ)かの批評や感想を与えると、これに感動してまた驚くほどの労苦を投じて新しい論文を作り上げた。最初は政治学的なものを書いていたが徐々に経済学的なものに深入りしてきた。二年生の頃の論文はやたらに広く読んで其等(それら)の材料をつなぎ合わせたものに過ぎず、たヾその読書の量に感心する程度のものであったが、三年生になると次第に自己独自のものを閃(ひら)めかすようになった。『このような難しいものには私はとても手が出ません』と語っている難解の書物を、一二ケ月の後にはいつの間にか読んでしまっているのでこちらが驚かされた。読書の範囲も哲学経済学政治学歴史学など広汎な領域に亘(わた)っていて、結局は経済学専攻ということに決めたのであるが、彼のねばり強さと広汎な理解力を以(もっ)てすれば、彼が所謂(いわゆる)俊敏な秀才肌でなかったことの故に、却(かえ)ってかえってむしろ重厚な学徒らしい学徒となる可能性があったのではないかと思う。」

 以下、続きます。

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四国、よいとこ 824 木村久夫さんのことを書き始めた気持ち。

 いつも元気な「もけっと」さん。
 大阪市吹田市に住んでいるみなさん。
 高知大学出身のみなさん、在学のみなさん。 
 京都大学出身のみなさん、在学のみなさん。
 そして、このブログを読んでいただいている、すべてのみなさん。
 お元気ですか。

 僕は、「あの」木村久夫さんのことを書き始めました。

 学問を究めたいと情熱を傾けていた善良な、学なかばの大学生が昭和天皇の軍隊に動員され、天皇の軍隊の陸軍上等兵として海外でなしたことで罪を得て、絞首刑になりました。
 そのことの意味問うてみたいと思っています。

 世が世なら「すぐ沸騰する、おっちょこちょいな僕」なんか、「にっくき敵」を示されて、「国と、家族を守るために」なんていわれれば、率先して「切り込み隊」になっていたかもしれません。

 木村さんの遺書の問いかけるものを、いまの日本の課題との関係で読み解きたいと思っています。
 仕上がるまでに、少し時間がかかりそうです。

 ぜひ、お読みいただいて、ご感想、ご批判を。
 できれば、そのことを深めるデータを、お示しください。

 あなたに。
 「この時代に生きる仲間」としての、僕の心からなる愛をこめて。

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四国、よいとこ 825 NHK滋賀のニュース大津放送局、「余呉町核のごみ処分場誘致へ」。 

 うわーっ、大変なことになってきました。
 高知県津野町の人が教えてくれました。
 わが愛する関西のニュースです。

 NHK滋賀のニュース大津放送局トップ
 大津放送局2006年9月20日 19時0分更新

   余呉町核のごみ処分場誘致へ 

 原子力発電に伴って発生する高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のごみ」を埋め立てる最終処分場の選定が難航している中、余呉町の畑野佐久郎町長は、処分場の誘致を前提とした地盤調査に応募する方針を明らかにしました。
 「高レベル放射性廃棄物」は、原発で燃やした後の使用済み核燃料から、再び燃料として使えるプルトニウムなどを取り出した後に残る、いわゆる「核のごみ」です。放射能のレベルがきわめて高く地下300メートル以上に建設する最終処分場に埋め立てる計画で、候補地となる自治体を募集していますが正式な応募は一つもなく、国は、誘致の前提となる地盤調査を受け入れた自治体などに出す交付金を、来年度から最高で20億円に増額する方針を打ち出しています。これについて余呉町の畑野町長は21日の町議会の中で「調査を受けることで、もらえる交付金は大きな財政支援になる。また電力の多くを原子力に頼っている以上高レベル放射性廃棄物は、どこかが受け入れないといけない」と述べ、地盤調査に応募する考えを示しました。
 また具体的な誘致場所については「人里離れた山中を考えている」と述べました。畑野町長は、今後、住民説明会などを開いて理解を得た上で正式に応募したい考えです。しかし誘致を表明した全国の自治体の中には住民や県の反対で撤回を余儀なくされたケースもあり、正式な手続きにいたるかは不透明な情勢です。

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2006.09.22

四国、よいとこ 826 高知県安芸市 「おお、ここか。元気でいたかよ」。国道55号のわきで寅さんに会ったよ。

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 二〇〇六年九月二十一日。

 「おお、ここか。元気でいたかよ」
 「寅さん地蔵」に
 声かけている

 マンジュシャゲ
 「寅さん地蔵」を 飾ってて
 「うん、いいシーン」 シャッターを切る
 
 朝、高知市を出発。国道55号を高知県東洋町に走っていました。
 すると道の左手に「寅さん地蔵」の看板が次々と目に飛び込んできました。
 「しかたない(?)。ストップ」
 左に折れて、いってみました。
 この写真です。

 安芸市に映画「男はつらいよ」の誘致運動を展開し、「男はつらいよ」第四十九作「寅次郎花へんろ」の高知ロケが決定していましたが、主役の渥美清さんが逝去。かなわぬ夢となりました。
 それを記念して一九九七年八月に「寅さんを土佐に呼ぶ会」が、つくったものだといいます。
 制作は、日本共産党安芸市議の川島憲彦(かわしま・のりひこ)さんです。
 川島さんは、学年でいえば僕の一学年下の人です。
 いい仕事をしていますね。
 すごい。

 「お遍路が 一列に行く 虹の中」
 この渥美さんの句碑も、そえられていました。

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四国、よいとこ 827 高知県東洋町 なんと美しい町!!!

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 二〇〇六年九月二十一日。

 東洋町は、美しい町でした。
 この写真を見てください。

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2006.09.25

四国、よいとこ 828 高知県室戸市 「道わきの 夫婦岩(みょうといわ)にも 腹が立つ…」。

 二〇〇六年九月二十二日。

 道わきの 夫婦岩(みょうといわ)にも
 腹が立つ
 妻との喧嘩 トゲが抜けない

 夫婦岩は、高知県室戸市にあります。

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四国、よいとこ 829 徳島県 一ノ森、剣山、へなへな登頂記 その一 前夜から「遠足」気分です。

 二〇〇六年九月二十二日。

 前夜から「遠足」気分です。

 新しいリュックサックを買い込みました。
 それに、次々と、こんなものを詰め込みました。

 ● 一眼レフのデシタルカメラとチャージャー。
 ● デジタルカメラ。
 ● ICコーダーと電池。
 ● 携帯電話。
 ● 登山用の上下と手袋。
 ● 帽子。
 ● ヤッケと雨具の下。
 ● 水入りのペットボトル。
 ● 金。
 ● ノート。
 ● ボールペン。
 ● 風邪薬、胃腸薬。
 など。

 追記

 結果的に足らなかったのはトイレ用の紙。
 途中で、「調達」しましたが、これは必須条件でした。

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2006.09.26

四国、よいとこ 830 徳島県 一ノ森、剣山、へなへな登頂記 その二 祖谷のかずら橋 ( いやのかずらばし )。

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 二〇〇六年九月二十三日。

 朝、Nさんの車に乗せてもらって出発。
 山道のわきに群れ咲くマンジュシャゲの美しさに息をのみました。
 そのシーンが次から次に現れるのです。
 すっごーい。

 途中で、祖谷のかずら橋 ( いやのかずらばし )に寄りました。
 写真を見てください。
 長さは四十五メートル。高さは十四メートル。幅は二メートルです。

 もちろん僕は渡りませんでした。
 僕は、高所恐怖症、閉所恐怖症、恐妻症です。

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四国、よいとこ 831 徳島県 一ノ森、剣山、へなへな登頂記 その三 やっぱりリフトで…。励ましてくれたピンクの小花。

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 二〇〇六年九月二十三日。

 剣山の登山口に到着。
 やっぱり、リフトを選択。

 まず、めざすのは一ノ森の「一の森ヒュッテ」。
 五分くらい上ると心臓がへーへーいいます。
 休み休み上ります。
 山道の小さなピンクの花が「ゆっくり、がんばって」と励ましてくれました。
 ほとんどの仲間は、まずは真っ直ぐ剣山山頂をめざしましたが、「たっすい」僕とNさんは、途中から左に折れて、ダウン、アップ、長時間の「一の森ヒュッテ」直行のコースに。
 ヒュッテに近づくと先に着いていた愛媛県のHさんが迎えにきてくれていました。
 優しい人です。

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四国、よいとこ 832 徳島県 一ノ森、剣山、へなへな登頂記 その四  「雲生まれ 雲流れゆく 瞬間を…」。

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 二〇〇六年九月二十三日。

 「一の森ヒュッテ」には徳島、愛媛、高知から五十六人が集まりました。
 午後三時ころから交流会。
 ビールは、飲み放題。
 料理も、ご飯もおいしい。
 みんな盛り上がっています。
 あまりにも静かな僕を心配して高知市の先輩の女性が「どうしたが。体が悪いが。やっぱりそうかね。夫もおんなじやったけど、栄養指導でなおった。あんたも努力すればなおるきねー」と、励ましてくれました。
 ありがたいことです。

 午後七時ころ、部屋へ。
 三段ベッドが二つ。
 二段目に飛び込んで寝始めました。
 夜中、みんながドヤドヤと入ってきました。

 そして、午前五時ころ、同室のSさんが「日の出だ。起きろ。起きろ」と、叫びます。
 外に出て、しばらくすると雲海を染める日の出。
 
 雲生まれ 雲流れゆく 瞬間を
 ほうけて見てる
 一の森、朝

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四国、よいとこ 833 徳島県 一ノ森、剣山、へなへな登頂記 その五 「百メートル 上って、休み 目指してる…」。

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 二〇〇六年九月二十四日。

 まずは、一の森ヒュッテの山頂を征服。
 そして、剣山の山頂へ。
 これも、きつい。

 百メートル 上って、休み 目指してる
 剣山頂
 まだまだのよう

 やっと数百メートル先に山頂が見えました。
 山道の右手に倒れ込み、天向いて寝ました。
 しばらくして起きました。
 「どうも自分の部屋と違うようだな。あっ、つるぎだ」
 そして、山頂へ。

 香川県のY子さんたち四人も上ってきて、みんなで山頂付近で交流会。

 帰りはNさんに最寄りのJRの駅まで送ってもらいました。
 感謝。感謝。

 高知市に着いて、HOさんの車で県下の津野町へ。

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四国、よいとこ 834 高知県津野町 高レベル放射性廃棄物最終処理場誘致の「説明会」で見た人としての生き方。

 二〇〇六年九月二十六日。

 高知県津野町の町議たちの高レベル放射性廃棄物最終処理場誘致の運動の背景に、政府と電力会社の金と人を投入した「工作」があったんですねー。
 二十四日夜、二十五日夜と同町の、この問題での「説明会」を聞いて、つくづく、そう思いました。
 権力が、津野町の町民などに牙をむき出しにして襲いかかっているのです。

 怖かったのは原子力発電環境整備機構理事の横井川寛さん。
 誘致を批判した青年をどう喝しました。
 質問した町民に、もっと勉強してくださいというようなことをいいました。
 町民から批判の出た「政策買収」みたいな同機構がほとんどの費用を出した「津野町から青森県六ヶ所村への七千円の二泊三日の旅行」を、今後も、どんどんやると宣言しました。

 もっと怖かったのは、東京大学大学院工学系研究科教授の長崎晋也さん。
 東京大学の権威、学問の権威を武器に、この施設は安全といい切ります。大地震がきてもOKだそうです。
 高知市の土佐高校を出たそうですが…。
 たとえば、徳川幕府が、その身の安全のために関所など何重もの「バリア」をはったことを例に出して、この施設の「安全」を語りました。
 なんて、あほらしい。
 その徳川幕府が何万年続いたというのでしょうか。
 すぐに「明治維新」で「バリア」を破られ、倒されてしまいます。
 何万年も放射線を出し続ける高レベル放射性廃棄物を地中に埋めておくことが安全か問われているのです。
 奇弁に奇弁を重ねていく彼の話に、彼の「学問」「科学」の崩壊を見る思いでした。

 彼の研究室のホームページを見たら、彼は、かつて原子力発電を進める四国電力の社員だったそうです。
 そうでしょうね。
 
 調査にもとづいて主催者側の「安全神話」を追及した参加者の若い女性の医師。
 敏感な生活者としいの感覚で主催者側を批判した参加者たち。
 この人たちの感覚、発言、行動にこそ、日本の未来はある。
 しみじみと、そう思いました。

 人間は、やっぱり正直に、経済的などで恵まれないときがあろうとも、胸を張って、明るい未来をめざして、堂々と人間として生きていきたい。

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四国、よいとこ 835 高知市 地震で起きました。

 二〇〇六年九月二十六日。

 午前七時三分ころ、ぐえーっという感じで起きました。
 地震です。
 
 後でデータを見たら震度2。

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2006.09.27

四国、よいとこ 836 高知市 プロボクサー、住職…いろんな人との出会い。うれしいですね。

 二〇〇六年九月二十七日。

 いやーっ、「僕の仕事」って、おもしろいですね。
 本日は、いろんな方と話をし、手紙をいただき、メールのやりとりをし、電話をしました。

 女性の県議会議員。
 プロボクサー。・
 女性の市議会議員。
 主婦。
 住職。
 等々。

 なんか、うれしいですね。

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2006.09.28

四国、よいとこ 837 高知県室戸市 「街路花」、ハイビスカスの美しさ。

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 二〇〇六年九月二十八日。

 午前六時半、高知市を出発して、県下の東洋町役場に午前十時前に着きました。
 オートバイでいきました。
 途中、室戸市の「街路花」、ハイビスカスがきれいで、二回もストップして写真を撮りました。

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四国、よいとこ 838 高知県東洋町 サーファー天国。

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 二〇〇六年九月二十八日。

 高知県東洋町の役場に着きました。
 ある若い女性に会うために、役場と道一つ隔てた「サーファー天国」にいきました。

 しばらく、サーファーたちに見入りました。
 この写真です。

 近くの食堂で昼食。
 女性の店主は「冬もふくめて一年中、サーファーがきます」。
 すごいですね。

 一度、やってみたいですね。サーフィン。
 でも、僕みたいに八十ウンキロの体重では、どうでしょうか。
 動作は、わりに機敏なほうですが、よるとしなみ。とほほほ……。
 でも、僕も、一度、自在に波に乗って、波を制して楽しみたい!!!!!!

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2006.09.29

四国、よいとこ 839 高知県室戸市 「カメムシの 集中攻撃 受けながら…」。

 二〇〇六年九月二十八日。

 カメムシの 集中攻撃 受けながら
 夜のバイクは
 室戸をぬける

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2006.09.30

四国、よいとこ 840 香川県高松市 十二時間以上寝ました。快調。

 二〇〇六年九月三十日。

 二十九日は朝一番の高速バスで高知市から高松市の香川県庁へ。
 夕方、仕事を終えて高松駅近くのビジネスホテルへ。
 このところ睡眠時間が少なかったせいか、午後七時前からすーすー。

 三十日、起きたら午前七時半です。
 快調。
 昨夜は、ビールをのむ気力もなかったのですが…。
 さぁ、これからフェリーで小豆島に渡ります。
 夜、高知市に帰って、また一仕事…、という日程です。


 追記

 九月二十九日、高知県議会予算委員会での吉良県議の質問は素晴らしかったようです。
 これは、あとで中継を見ての感想です。

 短大を 守れ、守れと
 吉良県議
 知事との論戦 火花散ってる

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