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2006.09.20

四国、よいとこ 823 木村久夫さんの遺書が語りかけること その四 高知高等学校の教師・塩尻公明さんの学生・木村久夫さんの印象 ①。 

 僕が、一歳で、高知県伊野町に住んでいたころの一九四八年のことです。
 塩尻公明さんは、『新潮』一九四八年六月号に「或(あ)る遺書について」という文章を載せます(以下、新漢字、いまの仮名遣いにしてあります)。
 木村久夫さんの遺書のことです。

 「……彼は所謂(いわゆる)秀才肌の学生ではなかった。殊(こと)に高等学校時代の初期には家庭的な葛藤、殊に父親と母親とが感情的にしっくりゆかず、父親にはかなり封建的な我儘(わがまま)が見られるということを苦にして、勉強も手つかず、写真を写してまわったり、喫茶店をめぐりをしたり、酒を飲んで町を歩いたりしていたので、学校当局からは不頼の生徒と見られ、友人や町の人々からも放逸の生徒と見られていた。殊に講義のより好みをして彼の好まぬ講義は徹底的にさぼるので、教師たちの人望も甚(はなは)だ芳しくなかった。然(しか)し乍(なが)ら、彼の内には、こういう表面の姿からは想像もつかぬような真摯な好学心が潜んでいて、簡素な不自由な衣食住にも耐えて幾日でもぶっ続けに勉強に没頭することの出来る逞(たくま)しい力をもっていた。自分が彼の提出した論文に対して些(いささ)かの批評や感想を与えると、これに感動してまた驚くほどの労苦を投じて新しい論文を作り上げた。最初は政治学的なものを書いていたが徐々に経済学的なものに深入りしてきた。二年生の頃の論文はやたらに広く読んで其等(それら)の材料をつなぎ合わせたものに過ぎず、たヾその読書の量に感心する程度のものであったが、三年生になると次第に自己独自のものを閃(ひら)めかすようになった。『このような難しいものには私はとても手が出ません』と語っている難解の書物を、一二ケ月の後にはいつの間にか読んでしまっているのでこちらが驚かされた。読書の範囲も哲学経済学政治学歴史学など広汎な領域に亘(わた)っていて、結局は経済学専攻ということに決めたのであるが、彼のねばり強さと広汎な理解力を以(もっ)てすれば、彼が所謂(いわゆる)俊敏な秀才肌でなかったことの故に、却(かえ)ってかえってむしろ重厚な学徒らしい学徒となる可能性があったのではないかと思う。」

 以下、続きます。

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