« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

2006年12月

2006.12.01

四国、よいとこ 1024 三分間で読める小説。「父の左胸の鉄砲の弾」。 

 二〇〇六年十二月一日。

 夜、家に帰ってから、こんな「小説」(?)を書きました。
 三分間で読める小説です。
 読んでいただけませんか。

  小説 父の左胸の鉄砲の弾


 僕が高知県伊野町の中学生だったころのことです。
 父が、夏の夕方、上半身裸で縁側で涼んでいました。
 父は、この町一番の大会社、日本紙業高知工場の営繕係でした。
 肉体労働者で引き締まった体つきですが、真っ白な肌です。
 父は、左の胸の下の小さな傷跡をしぼっていました。
 へんなことをするのだなと思いました。
 「戦争にいっていて敵に撃たれた弾が、まだ体の中に残っている。いくらしぼっても、これが出てくる」
 そういって、さびた鉄のかけらのような物を見せました。
 「へーつ。もう戦争が終わって十何年もたつのに。戦争。どこへいっちょったが」
 「南洋よね」
 そう一言いって、父は遠くを見つめるような目をして黙りこくってしまいました。
 僕は、「南洋でどうだったか」を知りたかったのですが、やめました。
 それ以上、聞いてはならないような気がしたのです。

 その父が亡くなったのは、僕が二十二歳の時、一九七〇年二月九日のことでした。
 父が生まれたのは、一九一一年十一月十八日ですから、早すぎる死でした。
 父は、前に勤めていた工場を定年退職し、近くにある関連会社・宇津野特紙という工場に勤めていました。
 工場の昼休みに、すぐ近くの自宅へ食事をとるために帰っていて、土間で倒れました。
 そして、その日の午後六時十分に息をひきとりました。
 僕は、東京で働いていて、知らせを聞いてかけつけました。
 湯かんは母、母の姉、当時、高知大学の四年生だった僕の恋人がやってくれたといいます。

 父が亡くなって数年たって、父が南洋で何をしたのかが気になってしようがなくなりました。 
 「聞いておくべきだった」
 父が自分のことを書いたものは一枚もありません。
 本籍のある県に問い合わせば軍歴がわかるのではないか。
 父は、兵隊にいく前は、兵庫県明石市の小学校を出てから地元で漁師をやっていたはずです。
 兵庫県民生部援護課に問い合わせの手紙を書きました。
 しばらくして、夜中に家に帰り着いたら、元恋人が「兵庫県庁から手紙がきてるわよ」。
 民生部援護課からのものでした。
 同封されていた軍歴を一読して「えーっ」と声が出ました。
 「南洋ではない。朝鮮、中国にいっていたんだ…」

 以下が、父の軍歴です。

 一九四三年八月二十日 輜重兵(しちょうへい)第五四連隊補充隊に応召。同日二等兵。
 【三十歳の時の徴兵です。】
 同年十月二十三日 博多出航。同日、釜山上陸。
 【たった二カ月の訓練で戦地に向かわされています。】
 同年十月二十五日 朝満国境通過。
 【「朝満」というのは日本が直接支配していた朝鮮と日本がかいらい政権をつくって支配していた中国の東北部の「満州」のことです。】 
 同年十月二十六日 満支国境通過。同日、輜重兵第一七連隊に転属。
 【「支」は中国のことです。】
 同年十月三十日 上海着。
 一九四四年二月二十日 一等兵。
 同年四月五日 上海発。
 同年四月七日 除州着。
 同年八月九日 同地発。
 同年八月十日 南京着。同日、第六一師団輜重隊に転属。
 同年十二月十一日 第六一師団水路輸送隊に転属。
 一九四五年二月一日 南京発。
 同年二月六日 上海発。
 同年八月十五日 終戦。
 同年十二月二十七日 上海出航。
 一九四六年一月一日 鹿児島上陸。同日、上等兵。

 僕は、手紙に入っていた父の軍歴の資料に見入ったまま、ずーっと座り込んでいました。
 「そうか。朝鮮、中国といったら、そこで、どんなひどいことをしたかを話さなくてはならなくなる。南洋といえば何となく『玉砕』の島とか、負け戦でひどい目にあったとい感じになるからなのか」
 子どもには、自分のした、ひどいことは話したくなかったということなのか。
 子どもに話せないほどの、ひどいことをしたということなのか……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.02

四国、よいとこ 1025 三分間で読める小説。「十九歳の恋」。

 二〇〇六年十二月ニ日。

 今夜は徳島駅前のビジネスホテルです。

 三分間で読める小説の第二弾です。


    小説 十九歳の恋


 その女の子は、突然、僕の前に現れました。
 ほっそりした知的な顔立ちで、二重まぶたで、小さなくちびる。そして、腰のあたりまでの長い黒髪。
 「天は、かくも美しい造形物をつくりたもうたか」。
 優しいけれど、自分の意思の明確な話し方。……。

 僕が大学の文理学部の二年生で、全学の新入生歓迎実行委員会の実行委員長だったときのことです。
 大教室での新入生歓迎行事が終わったとき、彼女は、そこで演説した僕の前に現れました。
 教育学部の新入生でした。
 僕と同じ町から通っていました。
 県下の商業高校を卒業していました。
 高校のときから、日本共産党とともにがんばる日本民主青年同盟員でした。
 僕の立ち振る舞いに、「この人は日本共産党員か日本民主青年同盟員だろうな」と思ったのだとのでしょう。
 そう、僕は、その年の一月に日本共産党に入党していました。
 十九歳になる一か月前のことでした。
 日本民主青年同盟員でもありました。
 彼女一目見て、その姿に胸をきゅんとわしづかみにされました。
 「この女の子が恋人だったら、どんなに素敵だろうか」と、思いました。

 そのころ、僕たちのキャンパスでは、学生の五人に名一人は日本民主青年同盟員でした。
 彼女は、僕とは違う日本民主青年同盟の班に属しました。
 しばらくして、僕たちは、僕の意に反して、「兄と妹」のように仲のよくなりました。
 僕は文理学部学生自治会の委員長として、どうしても帰りが遅くなります。
 彼女も日本民主青年同盟などの活動で遅くなります。
 毎日のように大学の周辺で待ち合わせました。
 大学前から終点の僕たちの町に通じる路面電車。
 それに乗って、終点に着き、後は夜の町を三十分ほど歩いて彼女の家に送りました。
 道々の語らいの楽しかったこと。
 僕は夢心地でした。
 彼女の家の前で別れる前に「あしたの夜の会う時間と場所」を決めました。
 そして、四十分ほど歩いて帰宅しました。
 帰り道も心がほっこりあったかかったことを覚えています。

 彼女は、すごく魅力的な女性でした。
 たぶん、これは客観的な事実だと思います。
 その証拠に、次から次へと、「付き合ってほしい」と、いいよってくる男子学生がいました。
 彼女は、「こういう人が、こういうことをいってきたけれど、どうしょう」と、僕に相談をもちかけてきました。
 いろいろ理屈をつけて「その男と付き合うのはやめたほうがいい」と、いいました。
 ずいぶん多くの男性を傷つけました。

 僕たちは「いつでも一緒の仲良しコンビ」になっていました。
 映画にも、二人でいきました。
 でも、形は、ずーっと「兄と妹」でした。
 彼女は堅実で、きちんとアルバイトもして稼いでいました。
 僕は「学生運動が忙しい」ということを理由にアルバイトはしませんでした。
 二人で喫茶店にいっても金を出すのは彼女。「借りとくね」。
 なんと情けない「兄」でしょうか。

 ある夜、大学の近くで待ち合わせました。
 そのとき、何か切なくなって、立っていた彼女の額にキスしました。
 彼女も、静かに、それを受け入れました。

 しばらくして、ある喫茶店。
 僕は彼女に一般論の形をとって「結婚は何歳くらいでするの?」と、聞きました。
 彼女は「少なくても二十四歳までは結婚しないわ。きちんと教師としての地歩を築きたいから」と、いいました。
 そのころ二十歳だった僕は、「いますぐにでも結婚したい」と、いう気持ちでした。
 「これは、僕の気持ちにたいする拒絶だ」と、思いました。
 そして、あきらめました。
 僕は二十三歳で結婚しました。
 彼女も、その後すぐに結婚しました。

 そのあとでも、ずーっと、気になっていることがあります。
 あのとき、彼女は、僕の切実な思いをわからななかったのでしょうか。
 それとも、わかっていて、あんなふうにいったのでしょうか。
 いまだにわかりません。
 彼女は、いま、オートバイでひとっ走りしたら会える場所に住んでいます。
 「あのときの気持ちは?」
 そう聞いてみたいと思います。
 でも、ずーっと聞けないでいます。
 「えっ。あなたのことを私が…。それは、あなたの勘違いよ。とんでもない」
 そんな言葉が返ってくるのがこわくて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.03

四国、よいとこ 1026 NHK教育テレビ「チェオクの剣」の主人公。

 二〇〇六年十二月ニ日。

 夜十一時からのNHK教育テレビで「チェヌクの剣」が始まりました。
 主人公は若い女性なんですね。
 また、妻が熱中しそうな韓国ドラマが始まりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1027 徳島県阿南市 職場の先輩の四冊目の本は、彼の父の住んでいる町の太平洋戦争戦死者の話です。

 二〇〇六年十二月三日。

 朝から徳島県阿南市の病院へ。
 職場の先輩が県下の父の家の屋根の修理をしようとして転落し、骨折して、寝たきりになっているのです。
 東京都国立市の奥さんがやってきて付き添っています。
 先輩は、まだ、起きられませんが意気軒昂(いきけんこう)で安心しました。

 いま六十五歳。
 定年になってから本を二冊だしました。
 いま三冊目が印刷屋に入っているとのことです。
 テーマは、江戸時代の徳島県の一揆の話です。
 四冊目のテーマも決まっているといいます。
 父の住んでいる町の太平洋戦争戦死者の話です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1028 徳島県阿南市 「人気けない 家の二階の ツタ燃えて…」。

20061203_1_019


 二〇〇六年十二月三日。

 人気けない 家の二階の ツタ燃えて
 秋から冬へ
 季節うつろう

 朝から徳島県阿南市羽ノ浦(はのうら)の風景です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.05

四国、よいとこ 1029 三分間で読める小説。「高校の職員室の前の成績表」。

 二〇〇六年十二月四日。

 三分間で読める小説の第三弾です。

 小説 高校の職員室の前の成績表

 僕は、高知市の高知県立高知追手前高校を卒業しました。
 その高校のことを思うと、実力テストのことを思い出します。
 実力テストが終わってしばらくすると、職員室の前に学年ごとの上位百番まで氏名と点数が書かれた白い紙が壁面いっぱいにはられていました。

 あれは、いつから始まったのでしょう。
 少なくても僕が三年生になってからは、それが、そこに掲げられました。
 僕にとっては「気持ちのいもの」でした。
 いつも、少なくても一ケタ台に僕の名前があったかです。

 となりまちの町立中学校を卒業したときの成績は「オール5」でした。
 小学校では、成績は「中ごろ」でした。
 中学校に入って、体操部に入って、何か自信がつきました。「僕も、こんなことができるんだ。僕ってすごい」って感じでしょうか。
 急に勉強も好きになりました。

 ところが高校に入ったら「広い世界」になり、そうはいかなくなりました。
 かなり「普通」の成績になりました。
 一年生の一学期に体操部の練習中に右腕を折ってしまいました。
 このことが僕を「ますます普通」の成績にしました。
 そのうえ、受験、受験と追い立てる一部の教師たちが嫌いになってしまいました。
 「お前の授業なんて…」って、感じです。
 ますます、成績表は3が中心で、少し4ということになっていきました。

 実力テストは、僕には、嫌いな教師たちを見返してやる舞台になりました。
 3のやつが上位に躍り出る。
 「お前たち教師の教え方がよかったのじゃなくて、僕が独自に努力したんだよ。えっへっへ」
 こんな感覚でした。
 壁面の番号を見て、一見クールな表情をしながら、心の中では「えっへっへ」と、ほくそえんでいる。
 そんなヤナ高校生でした。
 三年生最後の実力テストの結果がはり出され、僕の名前が一番上にあったときは、心の中で小躍りしました。

 こうした僕のゆがんだ性格を矯正するには何年もかかりました。
 もしかすると、まだ矯正されていないかもしれません。
 たぶん。きっと。

 なぜ、こんなことを書いたのか。
 実は、きょう、二〇〇六年十二月四日、ある男性が僕の二年後輩だとわかりました。
 子どもが真っ直ぐ伸びていける教育を守ろう。教育を教育基本法を改悪させてはいけない。そう思って、一生懸命走り回っている人です。
 「追手前高校には、いい思い出はないですね。高校時代はビートルズばかり聞いていました」
 その彼が、「いい思い出はない」の例としてあげたのが、この壁の百番までの成績表だったのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1030 高知市 一九七一年、韓国、「愛しています」を歌った。

 二〇〇六年十二月四日。

 夜中に韓国の音楽を聞いています。
 気に入ったのは一九七一年の「愛しています」。
 この歌のことについては、また書こうと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.07

四国、よいとこ 1031 「高知県伊野町立伊野小学校 同盟休校の十六日間」 その一。

 二〇〇六年十二月六日。

 二〇〇七年十一月に公開される映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の舞台は一九五九年だといいます。
 僕が、そのことを知ったのは二〇〇六年十二月六日のことでした。
 午前九時五十分、JR高知駅発の特急「南風」で中村駅へ。
 列車の中で読んだ漫画雑誌に、そのことが載っていました。

 「一九五九年。そう高知県伊野町にいたことは確かだな。いくつだったか。二月二十三日に十二歳になったな。四月には伊野町立伊野小学校六年生か。この年だったら町内の内野(うつの)に住んでいたな。勤評闘争があった年かな」

 午前十一時四十五分。列車は、中村駅に到着。
 ここ四万十市で仕事をして高知市の自宅に帰りついたのは午後九時。
 僕は、「一九五九年」を再発見しようと家中の、その年のことがわかりそうな本を集めて積み上げました。
 一メートルほどの高さになりました。
 さて。「勤評」をヒントに調べ始めることにしましょう。

 調べ始めたら、やはり、そうでした。
 それは、僕たちの町、高知県伊野町の「町立伊野小学校の同盟休校の十六日間」につながる日々でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1032 「高知県伊野町立伊野小学校 同盟休校の十六日間」 その二。

 二〇〇六年十二月六日。

 ことは、少なくても二年前の一九五七年に始まっていました。
 この年の七月十二日、内藤誉三郎文部省初等中等教育局長が、国会で小、中、高校の教師への勤務評定の全国実施の方針を公言しました。

 高知県でも勤務評定への反対運動が始まりました。
 同年十二月二十二日、日教組は、勤務評定への反対運動を強化するために東京都の九段会館で第十六回臨時大会を開きました。
 この大会で、高知県教組の山原健二郎代議員は「私たちの県では、勤評は戦略体制とつながるところがあるので、スローガンにおいても、勤評絶対反対ではなく、戦争につながる勤評反対ということをいっています」と、発言しました。
 一九五八年六月二十五日、高知県下の公立小学校、中学校、高校の児童、生徒の多くは担任の教師から「あすは家庭学習で授業はありません」ということを聞きました。
 翌二十六日午前六時四十分、高知県教職員組合(? 「高知県教員組合」かもしれません。要調査)は、勤務評定反対のいっせい休暇に入りました。
 組合員の99・6%、約七千人がいっせい休暇に参加しました。
 高知市の城西中学校の校庭で、高知県勤評撤回総決起大会が開かれ、教師、支援の人たちが集いました。
 校庭に面した校舎の壁には「高知県勤評撤回総決起大会 平和と子どもたちの幸福を守るために」の看板が掲げられました。
 会場には「戦場にふたたび子どもを送るな」のプラカードもありました。
 大会後、デモ行進をやっていますが、その隊列は二キロメートルにもなったといいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1033 「高知県伊野町立伊野小学校 同盟休校の十六日間」 その三。

 二〇〇六年十二月六日。

 当時の伊野小学校の校長は、中山清城(なかやま・せいき)さんでした。

 中山さんが、当時のことを書き残しています。
 高校として着任した第二年目(五八年四月から)に勤務評定反対の運動が始まったと書いています。
 「校長室には毎日の如(ごと)く、父母の会(保守系)の人々、時には大勢大挙して殺到すれば、反対側の民主教育を守る会(革新系)の方々が入れ代わり、立ち代って来る。更(さら)に教員組合の面々と、次から次へと応接に暇がない有様(ありさま)でした。
 『校長は、一体保守か革新か態度をはっきりせよ』
 『校長よ、この段階で両方都合よしで事は済まんぜよ』
 『校長よ、今日の子供の犠牲は将来の子供の幸せのためには止むを得んぜよ。』
等々と詰問攻めに会ったが、答えは常に『私は、千五百の現に預かっている児童の校長である。保守であろうと、革新であろうと問題ではない。如何(いか)にすれば、子供達に混乱の被害を受けないよう、幸せな学校生活をさせるか、即(すなわ)ち正常な学校運営によって、現在の子供達に正しい教育を実施するのが、私に課せられた最大唯一の責任である。』の一点張り、●「熟」の下がない文字●れにも偏せず、自己の良心に従って、終始一貫した」(『伊野小学 開校百年記念史』)。

 同年七月二十七日、伊野小学校のPTAは、勤務評定問題の今後の対策のため総会を開催します。
 しかし、議論の末、解散を決定します。

 僕の家族は、伊野町の日本紙業に勤める父、町内の和紙製造の工場で紙をすく母、僕、そして、三学年下の弟でした。
 全員が勤評定実施に反対でした。
 僕の場合は「そんなことをやられたら先生たちが窮屈になってしまうじゃあないか」ということでした。
 それに担任の若い男性の「高野先生」も反対していました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1034 「高知県伊野町立伊野小学校 同盟休校の十六日間」 その四。

 二〇〇六年十二月六日。

 ところで、一九五八年四月には、もう、伊野小学校でも昼の学校給食が始まっていましたね。
 食パン、おかず。そして、アメリカの脱脂粉乳のミルクが出ました。
 カレーライスのときもあったようです。
 弟が給食のカレーライスを食べた後、皿をぺろぺろなめたということを聞いたのも、このころのことでした。

 このころ、子どもたちの間でフラフープが流行しました。
 十一月十一日、高知市の大丸デパートで、フラフープが売り出されました。
 硬質ポリエチレンの輪で、一つ二百七十円でした。
 これを腰の所に巻くようにして、くるくるまわして遊びました。

 同月二十八日午前七時、NHK高知テレビ放送局が開局を前に正式電波を出しました。
 翌十二月一日、NHK高知テレビ放送局が開局しました。
 翌年の五九年四月一日、ラジオ高知テレビが開局しました。
 当時は白黒の画面でした。
 テレビを買ってもらった子は夢中でテレビを見ました。
 買ってもらえなかった子は、近所のテレビのある家に押しかけて見せてもらいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1035 「高知県伊野町立伊野小学校 同盟休校の十六日間」 その五。

 二〇〇六年十二月六日。

 『伊野町史』は、勤務評定反対の運動について「伊野町の場合、最悪の事態は三十四年(一九五九)年度であった」としています。
 「最悪の事態」という表現は、この本の編集者の立場を表現しています。

 十月三十日、伊野町教員組合と伊野町教育委員会(片岡福馬教育委員長、弘田稲男教育長)は、町公民館で勤務評定について交渉しました。
 「会談は激化し、ついに事態を憂慮して退去命令を出した福島町長は、伊野署に出動を要請する。伊野署ではただちに待機の姿勢をとったが、教員組合側も自主的に退去して事なきを得たのである」(『伊野町史』)。

 五九年四月、僕は町立伊野中学校に入学しました。
 伊野小学校の中山校長は佐川中学校へ転任し、伊野小学校に岡田巧(おかだ・たくみ)校長が着任しました。
 当時の県教員組合の校長部会は、常に民主教育の先頭に立つという立場から勤務評定に反対していました。
 岡田校長は、県教育委員会への勤務評定の提出を拒否していました。

 その岡田校長が、書いています。
 「昭和三十五年(一九六〇年)一月高知県教組の勤務評定書不提出のきびしい闘争は、いよいよ大詰めの段階にせまっていた。これまで不提出の結束を固めて闘ってきた県下七百の小、中、高の校長は、第二年目の苦しい闘いにさすがに疲れを感じ、戦術転換に期待をかけようとする気運も動き始めていた。
 折りしも高知市長氏原一郎氏が事態収拾の斡旋に乗り出し、その提言が出されると、さしも強固に見えた高知県教組校長部の結束に動揺を生じ、大勢は勤評書提出の方向に動いていった。そうしてあくまで教育者の良心に基づき不提出の誓いを守る者の数は今や七十名ほどとなった。
 高知県教育委員会は校長の大量切りくずしにいよいよ勢いを得て、残る六十八名の校長を説得して全員説得の成果をあげ、昨年度の白紙返還の不首尾をばんかいしようと、全県下の地教委や市町村長、議員全員、PTA、父母の会その他有力者を総動員して、不提出校長に対して各個げき破の色々の手が加えられてきた。
 息づまるような空気の中に、三月最後の段階が迫ってくる。当時私は吾川郡伊野小学校校長として着任第一年目であった。勤評に対しては教育的見地からこれに反対し、これまで父母にも理解と協力を訴えてきたもので、今さら勤評を提出する気になれなかった」(『四十二人の手記 高知の勤評不提出校長たち』、高知県「勤評の会」)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1036 「高知県伊野町立伊野小学校 同盟休校の十六日間」 その六。

 二〇〇六年十二月六日。

 一九六〇年三月三十一日、伊野町教職員組合は、全員集会を伊野小学校の家庭科教室で開き、今後の行動計画などについて協議を続けていました。
 その日の午後四時三十分、伊野小学校の岡田校長あてに電報が届きました。
 岡田校長は、その内容をいちべつして「くるべきものがきた。これから、また、新しいたたかいだ」といって電文を読み上げました。
 「貴職を昭和三十五年(一九六〇年)三月三十一日付で、地方公務員法第二十八条第一項第三号の規定により免職する 高知県教育委員会」

 処分を受けた校長は、計八人でした。
 そのうち三人が伊野町でした。
 伊野町立出来地小学校の宇津木実校長、伊野町立神谷中学校の近藤利仲校長も処分を受けました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1037 「高知県伊野町立伊野小学校 同盟休校の十六日間」 その七。

 二〇〇六年十二月六日。

 一九六〇年四月、僕は中学二年生になりました。
 同月、伊野小学校には岡林義長校長が着任しました。

 勤務評定反対運動を支持した伊野地区労働組合連合会は、伊野小学校の岡田校長への処分に抗議し、伊野小学校に通学している師弟の登校を拒否しました。
 同盟休校といいました。

 四月十一日、反対派は、同町の吾川郡教育会館(木造二階建て)、音竹公民館に「平和学園」を設置し、大学新卒の人を雇って児童を学習させます。
 一日目に参加したのは、約千五百人の児童のうち役八十人でした。
 しかし、翌日は約二百七十人に。
 さらに、約三百二十人にふくれあがっていきました。
 僕の弟も、吾川郡教育会館の通いました。
 いま高知県議をつとめているKIさんは、音竹公民館の「平和学園」に通ったといいます。

 これに抗議して、勤務評定賛成の父母たちは、伊野町教育正常会を結成しました。

 十四日、伊野町の町立神谷中学校でも二百三人中六十七人の生徒が同盟休校に入りました。
 この日、同盟休校の生徒たちは、町内の紙の手すき工場跡で始業式をしました。
 これは免職処分を受けた近藤校長を慕う生徒会の抗議行動でした。

 同日、同盟休校に反対する町民たちは、伊野小学校教頭に「授業を始めよ」と、迫りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1038 「高知県伊野町立伊野小学校 同盟休校の十六日間」 その八。

 二〇〇六年十二月六日。

 伊野町立神谷中学校校長だった近藤利仲さんが、一九六〇年三月、四月当時のことを書き残しています。

 「町内はわいた。町教委の措置に怒った。
 吾川郡四名、その中の三名が伊野町、しかも三名とも節をまげない県教組の校長とあっては黙ってはいられない。
 『不当処分撤回』のポスターは町内くまなく張出された。
 郡教組、町教組、革新議員、地区労、民主団体は連日町教委へ詰めたが肝心の町教育長は行方をくらまして全く顔を出さない。
 首は切ったが人前に顔をよう出さない非礼にして卑劣な態度に怒った伊野小・神谷中の父母達は多くの民主勢力の私事を受けて四月十一日遂(つい)に同盟休校に入った。
 伊野小は吾川郡教育会館の二階と部落の集会書、神谷中は近辺の手漉(てすき)製紙工場の乾燥場。
 思い出のある生徒達、Nは私と掛図の棚を造り中庭の石つきの修理をした二年生、今三年生でこの教室の指導役におされている。
 新しい一年生まできている。聞いてみると『小学校の卒業式でお話が嬉しかったから。』という。私も嬉しかった。
 ここに来ている六十名余りの者は生徒会の中心になって私の処分撤回の署名運動を早くからはじめていた。『そんな事をしていたら進学・就職のためにならんぞね』といういやみをおし切って家から言えへ歩いて集めた。
 生徒会十三名の代表は地元の革新議員に頼んで町教育長交渉を行った。
 記録によると教育長の答えは『法にあるから』『法治国であるから』の一点張り。人間味のある質問、教育の本質にかかわる質問には一切黙秘」」(『四十二人の手記 高知の勤評不提出校長たち』。文章の行替えをしています)。

 この時、この町の中で、僕も呼吸していました。
 町中のおとなも、子どもも自分の意見を持ち、それをぶっつけて、行動していました。
 わくわくする毎日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1039 「高知県伊野町立伊野小学校 同盟休校の十六日間」 その九。

 二〇〇六年十二月六日。

 一九六〇年四月二十六日、伊野町立伊野小学校、町立神谷中学校の同盟休校は中止されます。
 伊野小学校は十六日ぶりです。

 その事情を、伊野町立神谷中学校校長だった近藤利仲さんが書き残しています。
 「四月二十六日革新議員五名の斡旋で臨時町議会が開かれた。今回の教育上の混乱は町教委のとった措置は万全を欠く点があったこと、今後かかる問題が起こらないよう善処することを町教委が認め、革新議員との間で調印、同盟休校は終結した」(『四十二人の手記 高知の勤評不提出校長たち』)。

 翌二十七日、伊野小学校の授業は再開されました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1040 「高知県伊野町立伊野小学校 同盟休校の十六日間」 その十。

 二〇〇六年十二月六日。

 一九六〇年当時、伊野中学校の生徒たちの間でも、勤務評定反対派、賛成派が競い合っていました。
 僕は、反対派でした。
 体操部の副部長でした。
 部長の三宮(さんのみや)民生さんは生徒会の会長でもあり、反対派でした。
 彼は、伊野町の外の別の小学校の校長で勤務評定反対を貫いていた三宮梅吉さんの息子でした。
 野球部の一部の生徒を中心に賛成派がつくられ、三宮さんを生徒会長から追い落とそうとしていました。
 しかし、賛成派は、それを実現することができませんでした。

 伊野町立伊野小学校の校長だった岡田巧さんが、こんな言葉を残しています。
 「あのとき、ああしておったら日本はこんなことになるのではなかったのに………の後悔は、正しい批判、正しい抵抗のおこなわなかったことにたいする自省の声である。これを思えばこそ、私は勤評に反対したのである」(『土佐の夜明け』、山原健二郎さん、民衆社)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1041 高知市 即席ラーメンの袋を切るには、どうしてますか?

 二〇〇六年十二月七日。

 ラーメンの 袋、歯で切る われを見て
 あきれる人ら
 「なぜ?」と問う、僕

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1042 高知市 「『魂の こもった叫び』と 父、評す…」。

 二〇〇六年十二月七日。

 「魂の こもった叫び」と 父、評す
 息子(こ)は、少しだけ
 おとなになってる

 昔だったら、とにかく、くさしていたと思いますが、少し高見に立って発言するようになりました。
 パチパチ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.08

四国、よいとこ 1043 高知市 一冊だけの歌集『いま風になって』。

 二〇〇六年十二月八日。

 休み。
 午前中から歌集づくりの作業。


 ブログ開け
 短歌(うた)の数々 コピーする
 二年で千首 詠んでいそうだ

 出版の 費用ないこと 承知して
 二年の歌集
 編んでいる午後

 日の目見ぬ 歌集の名前 考える
 『いま風になって』
 うん、いい感じ

 二つもの パソコン駆使し 編んでいる
 わが新歌集
 形をなしてる

 さぁ、刷るか
 十二時間 作業の末に
 一冊できる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.09

四国、よいとこ 1044 香川県高松市 よっ、「さぬきの寅さん」名演技!!

二〇〇六年十二月九日。

 午後、香川県高松市の、ある集会で東京は葛飾の寅さんのかっこうをした男性の口上を聞きました。
 堂に入ってる。上手。話の内容が、いまの政治への批判にもおよび軽妙かつ辛らつ。
 感激しました。

 「さぬきの寅さん」というそうです。
 香川県の高齢協劇団・エルダーキャッツの団長の小西金太郎さんです。
 高松市のデザイン工業株式会社取締役会長。そして、香川県商工団体連合会会長です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.10

四国、よいとこ 1045 いま編集中の『歌集 いま風になって』の中間報告です。

 二〇〇六年十二月九日。

 いま編集中の『歌集 いま風になって』の中間報告を載せました。

 ホームページの左上の

 花詠み人の歌集『いま風になって』

 を、クリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1046 「なんか。いいこと。ないかなー」の、僕の大好きなエイゴの世界かな。

 二〇〇六年十二月十日。

 新しい自分の歌集の原稿を、少しだけ突き放して読んでみて、考えることがありました。

 なんか、これは、「なんか。いいこと。ないかなー」の、僕の大好きなエイゴの世界ではないかなと。
 この短歌群には、「変革のバックボーン」が、しっかりしてないんじゃぁないかとも。

 うーん。
 十八歳のから、ずいぶん努力してきたつもりです。
 しかし、五十九歳にして、この程度です。

 でも、「この程度」を、さらしながら生きていくということも「あり」かなと思います。
 
 来年、六十歳になったころには、もう少し、「きぱっ」とした短歌がつくれるようになるかもしれません。

 しかし、情けないことに、いつまでも、子どもの「おっぽ」を持ったままの五十九歳です。

 息子が、「おやじの、あほ」と、いって、とーーっと先を、とことこと歩いていっています。
 こいつは、すごいやつです。
 「まよい」とは、未成年の時に対じして、克服しています。
 いまは「悟りの境地」のようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1047 高知市 手作りの『歌集 いま風になって』が九冊できました。

 二〇〇六年十二月十日。

 夜、『歌集 いま風になって』を九冊つくりました。
 B5判、三十五ページです。
 裏表に刷って、ホッチキスでとめて、表紙をつけて、…と「一流」です。
 
 少ししたら、この半分の大きさ(何判というのでしょうか)のもつくってみたいと思っています。

 表紙のイラストも、ある青年にお願いしました。
 これができあがれば、かなり「すっごーい」という本がつくれます。

 ホッチキスでとめる手法でなくて、「普通の」本のような製本ができないでしょうか。
 要調査です。

 たしか、「家庭用」の製本機というのも、あったような気がしますが…。

 手作り本への欲望は、次から次へとふくらんでいきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.11

四国、よいとこ 1048 高知市 ひろめ市場の似顔絵コーナー。「修正もできますよ」にひかれて。

 二〇〇六年十二月十一日。

 忙しい一日でした。
 家に帰り着いたのは午後十時半。

 少しゆったりした時間もありました。
 こんなシーンです。

 昼食に、高知市の、ひろめ市場にいったら、似顔絵をかいてくれる男性がいました。
 「修正もできますよ」
 「おっ、それなら」
 かいてもらいました。

 「体重五十キロくらいのやせた顔に修正してください」
 「いままでの人生で一番楽しかったことを思い出してください。いい顔になりますよ」
 なんだっただろうな。結婚……。
 それを探していたら、かえって真剣な顔になってしまいました。

 まわりにいた「おばさん」たちは、かきかけの似顔絵をのぞきこんで「にーちゅー」。
 「にいちょったら、いかんがやけんど…」

 で、できあがり。
 やっぱり似てました。
 本人そのままの、ふくれた顔、たれたマユ…。
 僕としては、やせぎすの顔、りんとそったマユにしてもらいたかったのですが…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1049 カナダにいる西土佐村の「なままま」、二十歳、復活していました。

 二〇〇六年十二月十一日。

 おっと、十二月九日にカナダのブログ「なままな」が復活していました。
 生きていたんだ。彼女。

 九月二十三日が最後で、二カ月半の「お休み」でしたね。
 元気でよかった。

 このブログのホームページのリンクの所をクリックすると「なままま」にたどり着きます。
 高知県四万十市西土佐発。現住所はカナダのカルガリーの二十歳です。

 あなたは、この独特の、すっごい、彼女の環境を知っている人にしか理解できないかもしれない文章の前に圧倒されるにちがいありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.12

四国、よいとこ 1050 高知市 一日の アクセス内容 確かめて。

 二〇〇六年十二月十ニ日。

 一日の アクセス内容 確かめて
 眠りにつくか
 ブログ持つ人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1051 高知県の大崎博澄教育長が、県議会本会議で教育基本法改悪にを疑義。

 二〇〇六年十二月十一日。

 高知県の大崎博澄教育長は、十一日午後の高知県議会本会議で、参院で審議されている教育基本法改悪案に疑義を表明しました。
 こんな答弁でした。

 「これまでの国会での審議等を報道を通じて見聞きする限りにおきましては、(教育基本法の)改正を必要とする理由が私にはよくわかりません。
 また、(教育基本法を)改正をすることによって、いま私たちが直面している教育課題の解決に大きく展望が開けれとも思われません。
 現行教育基本法は、高い理想をかかげる立派な法律で、その理念の実現こそが私たちには最も求められていることだと考えています」

 これは「日本共産党と緑心会」の吉良富彦議員の質問に答えたものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.13

四国、よいとこ 1052 高知市 「高知で、一人ひとりの『戦争』を聞き取り、記録する仕事。あなたもやりませんか」。

 二〇〇六年十二月十ニ日。

 高松市で、どたばたと仕事をしました。
 夜、高知市に帰り着いて、ある人を外国に送り出す会に参加しました。

 その会場で、ある人に、このところずーっと思い続けてきたことを打ち明けました。

 「高知の、太平洋戦争の時の様子を浮き彫りにするために、七十歳以上の人の『戦争』を聞き取って、それを記録として残していく作業をしたいと思っています。
 これは、この数年でやらなければ、やれなくなる仕事だと思います。
 僕だけではなく、少なくとも五人の、そのことに興味があって、地味でめげない人をつのりたい。
 その五人の誰が、その材料を利用して、論文や本にしてもいい。
 それを材料に論文にしたい人がいるなら、大いに利用していただければいい。
 でも、基本は、一人ひとりの『戦争』を聞き取って、記録するという地道な作業です。
 これは、いまだからできる作業で、いまでないとできない作業ではないでしょうか。
 あなたは、いかがですか。
 一緒に、やりませんか」

 その人は応じてくれました。
 う・れ・し・い。
 勇気りんりんです。
 新年明けから仲間を募りたいと思っています。

 「戦争を聞き取る」ことについては、どうすれがいいかという、僕なりの「手引き」のようなものをつくりたいと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1053 高知市 ある女子学生のキム・ヨンファンさん評。「幸せに生きる生き方を教えてくれた人」。

 二〇〇六年十二月十三日。

 高知市にいた韓国人青年・キム・ヨンファンさんが、今朝、高知市を去りました。
 しばらくしたらカナダに落ち着くそうです。

 前日夜の送別会に、かなり遅れてから参加しました。
 この会で、ある女子学生が、彼を評して「幸せに生きる生き方を教えてくれた人」と評していました。
 すごい言葉でした。
 こんなこと、一度でもいわれてみたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1054 高知市 夜の「明日の行動計画」のメモをつくって…。

 二〇〇六年十二月十三日。

 師走というこもあるのか、なんかせわしい。
 近ごろは、前夜、家に帰ってから「明日の行動計画」を考えてメモするようにしています。
 しかし、それが、そのとおりはなかなかいかないんですよねー

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.14

四国、よいとこ 1055 高知県 教育基本法改悪案、高知県の教育長たちの危ぐ。

 二〇〇六年十二月十三日。

 教育基本法改悪案にたいする高知県の市町村の全三十五人の教育長の態度、意見を「子どもの教育を守る県連絡会」(西森稔世話人代表)が調べ、十二月十二日に発表しました。
 それによると「改正反対」が十五人、「疑問がある」が三人、「慎重に審議せよ」が十二人、「変わってもこだわる必要なし」が一人でした。
 「ノーコメント」が四人でした。
 「改正」に積極的賛成の教育長はいませんでした。
 なお、大崎博澄県教育長は、十一日の県議会での答弁でも「現行教育基本法は、高い理想をかかげる立派な法律」とし、改悪案に疑義を表明しています。

 十二月の地方議会でも、首長や教育長の発言が続いています。

 【十一日の高知県本山町議会本会議 日本共産党の田岡敬行議員の質問に】

 ○ 今西芳彦町長

 教育基本法について「戦前の教育への反省の上に立って、平和憲法の精神を受け継ぎ、教育はどうあるべきかを明文化されたものであると考えています」とした上で、「私は、この教育基本法の改正は、憲法改正論議と同列にあって、わが国の平和と民主主義にとって大きな脅威になるのではないかと危ぐし、反対いたしております」とのべました。

 ○ 岩塚忠男教育長

 教育基本法について「戦後の新しい国家を樹立していく上で必要な、教育にたいする根本的な理念を示した法律であります」「私自身も長年この法律の下で、みずから信じる教育実践につとめてきたという自負があり、もっと積極的に評価されるべきではないかという思いを持っております。現行法の遵守が基本であります」とし、「法の見直しや法の改正につきましては、十分な手続きと、特に広範な国民的論議とコンセンサスが必要という考えを持っており、十分な時間をかけた慎重なとりくみを期待しております」と答えました。

 【十二日の高知市議会本会議 日本共産党の、はた愛議員の質問に】

 ○ 岡崎誠也市長

 教育基本法について「わが国の教育の基本的な理念や原則を定める重要な法律でございます」と位置付け。そして、同法の改悪案について「なぜ改正するのかという根幹にかかわる問題や『愛国心』を盛り込む理由などについて、まだまだ議論が十分つくされたとはいいがたいのではないかと思っています」「先の衆議院本会議でおこなわれたように、野党が採択に反対し欠席をした中で与党が単独で可決するといった手段ではなく、広く国民の声を聞き、議論を重ね、審議をつくすことが必要だと考えております」と、答弁しました。

 ○ 吉川明男教育長

 「教育基本法は、わが国の教育の方向性を示す重要な法であり、国の将来のありようにも関係する極めて重要な法律でございますので、国民の代表の場である国会において十分に審議がなされることを強く念願しております」と、答えました。

 【十三日の高知県土佐市議会本会議 日本共産党の西村導郎議員の質問に】

 ○ 瀧本豊教育長

 「現行の教育基本法は平和憲法の趣旨にのっとり、短い条文の中に、個人の尊厳と平和を希求する完成度の高いものと感じております」と、答弁。
 教育基本法改悪案の審議について「教育現場や地方行政関係者の間には、もうひとつ改正理由や改正点のはあくができていない感があります」「もう少し時間をかけた中で、多くの意見を熟慮し十分な検討と国民に説明していくことが大切と考えております」と、しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1056 高知県 教育基本法改悪案が参院の委員会を通過!!!!!

 二〇〇六年十二月十四日。

 午後六時ころ、教育基本法改悪案が参院の委員会で採択されました。
 日本は、これでいいのか!!!!

 東京の妻は、今晩も教育基本法守れのビラを配布していたとのことです。
 あすもビラ配布をするといいます。

 がんばれ、東京の教師たち。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1057 高知県 「おじいさんが言った。『ヘヨン、心配ない。雨は、いつかやむ。その後の日差しは美しい』」。

 二〇〇六年十二月十四日。

 寝る前にと思って韓国映画「デイジー」を、もう一度、見始めました。
 のっけから、いいせりふが出てきました。

 「おじいさんが言った。『ヘヨン、心配ない。雨は、いつかやむ。その後の日差しは美しい』」

 今夜は、途中で寝るとしましょう。

 明日の天気予報は晴れ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.15

四国、よいとこ 1058 高知市 会期末の日の朝、はりまや橋の教育基本法改悪のプラスター。

 二〇〇六年十二月十五日。

 プラスター 改悪ノーと 呼びかける
 はりまや橋の
 会期末、朝

 午前六時に起床。
 きょうは高知県四万十市へ出張。
 途中、高知市の、はりまや橋で見た光景です。
 ぐっと胸の奥から突き上げてくるものがありました。
 最後の最後まで、あきらめないで教育基本法改悪をおししとどめようとしている群像に拍手。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1059 高知県四万十市 四万十川の輝く夕焼け。

20061215_120


 二〇〇六年十二月十五日。

 高知県四万十市にきています。

 三人の話を聞いてから川漁の写真を撮りに四万十川へ。
 道から、道なき道を降りて河原へ。
 投げ網漁で落ちアユを採っているのは撮らせてもらいました。
 連射の能力の高い一眼レフカメラのおかげで、いい写真が捕れました。
 そのうちに、川の向こうは美しい夕焼け。
 これを見ただけで、ここにやってきた価値がありました。
 帰りは、また垂直に近い道なき道を登って道路へ。
 ズボンが泥だらけになりました。

 ビジネスホテルに入って、ベッドに倒れこんで一瞬、気絶状態に。
 少しはやせたかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1060 高知県四万十市 教育基本法改悪案の成立。新しい運動へ。

 二〇〇六年十二月十五日。

 午後七時のテレビニュースは、教育基本法改悪案の成立。

 悪法が 通ったニュース あっさりで
 テレビら、今夜も
 楽しい日本

 権力の 教育介入 こばみぬく
 国民パワー
 明日から築く

 要するに
 日本共産党(とう)の議席が 増えないと
 前に向かない
 この日本は

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.16

四国、よいとこ 1061 高知県四万十市 「戦争が起きないように…」。平原綾香さんの新曲「クリスマス リスト」。

 二〇〇六年十二月十六日。

 これからの日本を考えて寝付けない夜でした。

 朝、ブログ「『もけっと』ポケット」を開いたら、十二月十五日に、平原綾香さんの新曲「クリスマス リスト」のことを書いていました。

 こんな曲でした。

 どうしても叶(かな)えたい
 思いがあるの
 私じゃなく
 必要な人に

 戦争が起きないように
 引き裂かれないように
 時よ癒(いや)して
 友達がいて
 正義が勝つこと
 愛は終わらない
 これが私のクリスマス リスト

 あきらめてはいけない
 わたしたちのクリスマス リスト

 「♪戦争が 起きないように」
 綾香、聞く
 改悪法が 通った翌朝 

 「『もけっと』ポケット」さん、ありがとう。

 (ここで試聴ができます。)

 http://www.youtube.com/watch?v=OO-I9tFU1OM


 追記

 十七日夜、その曲のDVDを買ってきました。
 何度聞いても、いい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1062 高知市 韓国映画「デイジー」の舞台は、どこなんでしょうか。

 二〇〇六年十二月十六日。

 韓国映画「デイジー」の舞台は、どこなんでしょうか。
 「ユーロ圏」で、英語を話す国のようですが。
 あの広場にいってみたいと思います。
 オランダのアムステルダムなんでしょうか。

 話は変わって。

 今夜は、弟がきて、僕と妻と彼が「高知県のどこで住むか」の検討をしました。
 そして、初めて弟と二人で高知市の夜の街に繰り出しました。
 一軒目。
 年金者組合の人と出会いました。
 弟は、アルコールが入ると、より、おしゃぺりになります。
 二軒目。
 高知市の大学時代に世話になった青年運動の闘士、四万十市の川漁の理論家、県議会の職員、市役所の職員に出会いました。

 二人で、わが家に帰ってきました。
 僕の耳もとで、弟が、際限なく、大声で、しゃべり続けています。
 僕も、偉いと思います。
 酔ってもないのに、ぐっとがまんして、「酔うたんばう」の、おしゃべりを聞いて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.17

四国、よいとこ 1063 高知市 石原慎太郎東京都知事が生出演。あの都民の税金を自分の享楽と身内の利益のために使い続けている件です。彼の目の表情を見ていると面白いですね。

 二〇〇六年十二月十七日。

 夜十時過ぎ、おっもしろーいテレビ番組を見ています。
 「東京サンデーサイト」というのでしょうか。

 あの都民の税金を自分の享楽と身内の利益のために使い続けている石原慎太郎東京都知事が生出演しているのです。
 チャンネルを合わせてみてください。
 なかなか快調ですよ。

 この問題、日本共産党が調べて公表し追及しているものです。
 テレビで、石原知事は、ニコニコしているのですが、おろおろしています。
 彼の顔面を見ていると、それがよくわかります。
 表面は強気ですが、すごく小心なおじいさんですので、すぐ表情に現れます。
 特に目の表情。
 「うちの息子(四男・延啓さん)」というときの表情が特に興味深いですね。

 何が何でもという感じで石原知事をむちゃくちゃ擁護する養老さん。人間としての点数を下げています。かつて東京大学で教えていた人なんですね。

 勇気を出して石原都知事に切り込む、押切もえさん。パチパチ。
 
 石原知事の日本共産党への攻撃は、あいかわらずです。
 しかし、こんな人が都知事ではこまりまーーす。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.18

四国、よいとこ 1064 高知県 農業、アユ漁、改悪教育基本法…。きょうも、心がどきどきとする、いい日でした。

 二〇〇六年十二月十八日。

 午前は、高知市で「高知県の農業の現状と展望」についての話を一時間聞きました。

 午後は、高知県香南市で「アユがわく四万十川にするには、どうしたらいいか」という話を一時間聞きました。

 夕方は、この日の高知県春野町議会で教育長が改悪教育基本法に確固たる批判をしたということを知りました。

 きょうも、心がどきどきとする、いい日でした。

 まだまだ、やらなくてはならないことがたくさんありますが、本日は、最後に洗濯物を干して、これにて終了。
 もうすぐ午前零時です。

 追伸

 一日を 生きたしるしを 身に刻み
 一年生きて 消えるとか
 いとおしいアユ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.19

四国、よいとこ 1064 高知市 ある望年会での僕の「大演説」。予定原稿。

 二〇〇六年十二月十八日。

 ある望年会で、こんな「大演説」をぶつつもりです。

 このところ、十二月十六日から、毎晩、平原綾香さんの新曲「クリスマス リスト」を聞いています。
 みなさんに、彼女の曲の一節を、お贈りします。

 あなたの膝(ひざ)で
 願いごとした日のこと

 おとなになったけれど
 助けてくれますか
 子どものように
 まだ、夢を見てる

 どうしても叶(かな)えたい
 思いがあるの
 私じゃなく
 必要な人に

 戦争が起きないように
 引き裂かれないように
 時よ癒(いや)して
 友達がいて
 正義が勝つこと
 愛は終わらない
 これが私のクリスマス リスト

 彼女の曲は、最後に「あきらめてはいけない わたしたちのクリスマス リスト」と、呼びかけています。

 ことしも、みんなでがんばりました。
 来年も、がんばりましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1065 高知市 「そうよねー。男は弱いきねえ。守ってやらないかん」。

 二〇〇六年十二月十八日。

 「モーニング」で高知市内の喫茶店にいったら、女性の店主と客の「おじいさん」がしみじみと話していました。
 女性店主、いわく。
 「そうよねー。男は弱いきねえ。守ってやらないかん」
 味わい深い言葉でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.21

四国、よいとこ 1066 高知市 「名刺は自分の分身です。必ず両手で…」。

 二〇〇六年十二月十九日。

 「名刺はね 両手で持って 渡すのよ」
 大後輩の
 説教を聞く

 夜、高知市の素晴らしい女性政治家と話しました。
 名刺の話が出ました。

 彼女いわく。
 「名刺は自分の分身です。
 必ず両手で持って、お渡ししています。
 もちろん、相手のかたの名刺をいたただく時も両手でいただきます」

 うーんと考え込みました。
 いままで、右手でビラを配るように自分の名刺を渡していたのではないかと。

 やっぱり彼女のいうことが正論です。
 反省。
 そして、この女性政治家の迫力にパチパチ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1067 高知市 列車の中のパソコン作業は……。

 二〇〇六年十二月二十日。

 朝から広島市に出張。
 いきの列車の中で、帰りの列車の中で懸案の仕事を終わらせようとパソコンに向かいました。
 帰りには、途中で、なんだか気持ちが悪くなってダウン。

 高知市の家に帰り着いて、午前一時半になって終結しました。
 パチパチ。

 おっと、明日も早いぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.22

四国、よいとこ 1068 高知県四万十市西土佐村 「十川(とうかわ)で生徒ら降りて…」。

 二〇〇六年十二月二十一日。

 列車で、高知市から県下四万十市の西土佐に向かっています。

 十川(とうかわ)で 生徒ら降りて
 僕一人
 夕の予土線 下っているよ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1069 安倍首相が任命した本間政府税調会長が、ついに、「一身上の都合」で辞任しました。

 二〇〇六年十二月二十一日。

 「一身上の都合」だ、そうです。
 安倍晋三首相が任命した本間正明政府税調会長(62)が、ついに、そのポストを辞任しました。
 国民への大増税を熱心に主張する一方、みずからは結婚しているのに豪華公務員宿舎に「妻でない女性」と同居していた、あの人です。
 こういう人を任命し、問題が発覚してからも、「職責をまっとうしてもらいたい」と、この人を擁護してきた安倍首相。なんなの。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1070 高知県四万十市西土佐村 四万十川は朝もやの中。

20061222_008


20061222_184


 二〇〇六年十二月二十二日。

 高知県四万十市西土佐村にいます。
  
 真っ白な 朝もやの中
 四万十(しまんと)は
 晴れ上がる時 じっと待ってる

 朝もやが すっかり飛んで
 とうとうの 四万十川と
 空の青さと

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1071 高知県四万十市西土佐村 天神社の台座の「出征記念」の文字。

 二〇〇六年十二月二十二日。

 引き続き高知県四万十市西土佐村です。

 天神社に寄ったら狛犬の台座に「出征記念」と彫りこんでありました。

 狛犬に
 「出征記念」の 文字残す
 ここ西土佐の 戦争の時

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1072 高知県春野町  「国家が国民の心、思想を縛ることができる教育基本法が制定されるということになります」。改悪教育基本法で井澤武大教育長が答弁。

 二〇〇六年十二月二十二日。

 高知県の地方議会での以下の答弁が本日付の「しんぶん赤旗」の一面で全国に紹介されています。

 春野町の井澤武大教育長の、十二月十八日の同町議会本会議で答弁です。
 改悪教育基本法について「今後、なお一層の国民の間での十分な論議が必要であると考えています」と、答弁しました。
 日本共産党の加納弘史議員の質問に答えたものです。
 こんな内容でした。

 春野町議会は、平成十五年十一月十九日「教育基本法の理念の実現を求める意見書」を可決し、内閣総理大臣、文部科学大臣、衆参両議院議長に提出しておりますので、その提出文の内容を参考にしてお答えします。
 現行の教育基本法は、三千五百万人、日本だけでも三百から三百五十万人もの尊い命が奪われた二度にわたる世界大戦の反省の上に立って、今後、政府の行為によって、再び絶対に戦争を起こしてはならないという決意のもとに制定されたものです。
 それは、国、そして教育行政が教育の内容まで立ち入り、国民の教育を進めたことによって戦争への道を歩んだという反省に立って制定されたものです。
 現行法の一〇条(教育行政)の条文には、教育行政は「教育の目的を遂行するに必要な条件の整備確立を目標として行われなければならない」と教育行政(国)は、教育を進めるために必要な条件整備をすることが仕事であるとうたわれています。
 つまり、教育行政(国)が教育の内容にまで立ち入ってはならないと規定されています。
 しかし、改正案を見ると、この「条件整備をすることが教育行政(国)の仕事である」という条項が削除され、法律によって教育を進めると置き換えられています。
 結局、国民の心、思想を統制する法律をつくり、国家が国民の心、思想を縛ることができる教育基本法が制定されるということになります。
 六十数年前の日本の社会に逆戻りし、世界の国々から孤立する日本になるのではないかと憂慮されます。
 今後、なお一層の国民の間での十分な論議が必要であると考えています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.23

四国、よいとこ 1073 晴れた日の川や海の一眼レフのデジタルカメラでの撮影。僕の悩み。

20061222_175


 二〇〇六年十二月二十三日。

 いま一つの悩みを抱えています。

 晴れた日の川や海の一眼レフのデジタルカメラでの撮影についてです。

 ● きらめくの海(川)の水面も空も「空色」に写したいのです。
 実際は水面が黒っぽくなったりします。
 ● 日の出や夕焼けの海(川)の空や水面を目に見えるように写したい。
 実際には、似ても似つかない感じに写ってしまいます。

 どうすればうまくいくでしょうか。
 どなたか教えていたただけませんか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.24

四国、よいとこ 1074 高知県 「奈路」という地名の意味は…。

 二〇〇六年十二月二十三日。

 義父の運転で弟と一緒に高知県春野町、高知市朝倉をまわりました。
 道々、義父が「県下に奈路という地名がたくさんある」といいだしました。
 「奈路は、どんな意味ですか」
 「山あいの平坦な地のことよね。
 平らなことを『なろい』というろう」
 長年、不動産鑑定士をやってきた義父は、こういうことに強い。

 家に帰ってインターネットで調べてみると、なるほど、県下、いろんな所にありました。
 「宿毛市立宿毛文教センター」のホームページには、その説明がしてありました。

 奥奈路(おくなろ)

 橋上長町に奥奈路という集落がある。奈路(奈呂)というのは、高知県や愛媛県で山麓の平坦地をいう言葉で、奈路のついた地名は県内いたる所である。
 ……明治二二年橋上村が成立するとともに、奥奈呂は大字名となり現在に至っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1075 「最後はいつも光差す方を向いていたい。ハッピーエンドの物語を今後も書きたい」。

 二〇〇六年十二月二十四日。

 「最後はいつも光差す方を向いていたい。ハッピーエンドの物語を今後も書きたい」
 いい言葉ですよね。
 高知新聞朝刊の「著者と語る」での作家・小路幸也(しょうじ・ゆきや)さんの言葉です。

 『空を見上げる古い歌を口ずさむ』
 『東京バンドワゴン』
 『東京公園』
 などの著作があるそうです。
 一つひとつ読んでみることにしましょう。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1076 高知市 「独り居るクリスマスイブ…」。

 二〇〇六年十二月二十四日。

 独り居る クリスマスイブ
 なんだかね
 信者でないが 祝ってみたい

 僕は、いま高知市の自宅です。
 夕方、東京都の妻のケータイに電話したら、都内の娘夫婦の家にいるとのことです。
 彼女の弟の娘、二人の孫娘たちとクリスマスイブのお祝いをしているとのことです。
 ちなみに上の孫娘はキリスト教会の幼稚園にいっています。
 父親も、ここにいっていた、近いなどが理由のようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1077 高知県香美市 この人も、紀元二千六百年奉祝美実展に出品していたのか。

 二〇〇六年十二月二十四日。

 本日は「一応」、休み。
 オートバイで高知市から県下香美市土佐山田町へ。
 香美市立美術館にいきました。
 中村博展です。
 ほとんどが油絵です。

 ひとまわりしてから作者の略歴を見てはっとしました。
 一九四〇年十月、東京府美術館で開かれた紀元二千六百年奉祝美実展に出品しているのです。
 「ああ、この人も…」
 「紀元二千六百年」は、昭和天皇万歳、侵略戦争遂行のキャンペーンでした。
 それを「奉祝」する美術展です。
 これに出品した作品は展示されていませんでした。

 ところで、ここからは別の話。
 この作品展のことではありませんが、やはり、びゅーんと胸に飛び込んできて、胸の中をかきまわしてくれる作品と出合いたいですね。
 作品展にいくと、よく、お金さえあればすぐにでも売ってもらって家に飾っておきたいという作品に出合います。
 そんな突き上げるような思いに駆られたいから「見にいく」のだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1078 高知県香美市  「まな板いらずの空中すぱすぱ包丁」をゲット。

20061224_148

 二〇〇六年十二月二十四日。

 高知県香美市の協同組合土佐刃物流通センターにいってきました。
 いいものがありました。
 「まな板いらずの空中すぱすぱ包丁」です。
 これは僕の勝手な命名ですが、いい感じです。
 わっかの所に指を入れて、すぱすぱといくわけです。
 山崎龍太郎さんの作品でした。
 買ってきました。
 僕自身へのクリスマスプレゼントとして。

 野菜など 洗って、ちぎって 鍋で炊く
 「前衛」的な
 わが料理法

 アイデアの 空中切りの 包丁を
 手にいれました
 いくぞ、すぱすぱ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1079 高知市 一冊一冊の手づくりの本、『歌集 いま風になって』、読んでいただけませんか。

 二〇〇六年十二月二十四日。

 今夜は、独りさびしくパソコンで『歌集 いま風になって』を、一冊ずつ、つくっています。
 二年間の短歌を選んで収録しました。
 この間から、表紙が変わったり、内容が変わったり、組み方が変わったりと、いろいろ変容をとげながら一冊一冊と生産されています。
 年末までに、まだ短歌が追加されることでしょう。

 本当は文庫本タイプにして千万部ほど出したいのですが、そこが自費出版の哀しさ、「年末ジャンボが当たったら」ということになっています。

 いまのところ、ずーっと当分、一冊一冊の手づくりの歌集です。
 「よーっし。読んでやろうか」
 と、いってくれたあなた。
 住所、氏名をメールで教えていただければすぐ、お送りします。
 もちろん無料です。
 これは僕の「より多くの人に読んでもらいたい」という、無欲の、切実な欲求による行為ですから。

 何か人間って、「自分と共感してくれる他者」をつくりたがる、変な生き物ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1080 高知市 東京の病気だったはずの妻のいいよう。「これからレイトショーなの。映画の。十二時ころまで」。

 二〇〇六年十二月二十四日。

 午後八時半、東京都の妻も、そろそろ家に帰っているだろうと電話。
 「うん。家に帰ってるんだけど。いまね、これからレイトショーなの。映画の。十二時ころまで」

 首が痛い。
 右半身が麻痺している。

 そう聞いて、心配していました。
 妻が苦しんでいるのに、僕だけが楽しんでいるわけにはいかないと自重していました。

 なのに。なのに。
 妻は、いくら痛くても、みずからの楽しみに「突進」。
 こやつ!!!
 なかなか治らないと思うよ。
 こんなことでは。
 病気の時には、治すことに専念すべきではありませんか。諸君。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1081 高知市 「旧友の電話不通で…」。

 二〇〇六年十二月二十四日。

 旧友の 電話不通で
 「もしかして」
 眠れない夜を 過ごしいているよ

 追伸

 これは高知市に住むの高校、大学の時の友人のことです。
 二十五日夜、やっと連絡がとれました。
 家を改修したついでに「電話のない暮らし」にしたとのことです。
 なんと……。
 一家離散したのではないかと心配しましたよ。
 本当に。

 三十一日朝、つれあい同士、計四人で会って、高校一年の時の数学の先生の墓参りにいくことになりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1082 高知市 「亡き友の今年の年賀読んでいる…」。

 二〇〇六年十二月二十四日。

 亡き友の
 今年の年賀 読んでいる
 意気揚々で 文字躍ってる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.25

四国、よいとこ 1083 「後輩が 五十七歳 亡くなった…」。

 二〇〇六年十二月二十四日。

 後輩が 五十七歳 亡くなった
 喪中はがきは
 その妻の名で

 彼は、愛知県大府市で活躍していましたが…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1084 「岩国の 友のブログに ワッハッハ…」。

 二〇〇六年十二月二十五日。

 岩国の 友のブログに ワッハッハ
 幸せそうな
 家庭が見える

 「あなたがたの幸せが、いつまでも続くように」
 高知市発の、僕からのクリスマスメッセージです。

 わが妻は、昨夜は映画「硫黄島からの便り」(?)を見にいっていたそうです。
 「深夜だと料金が安いのよね」
 とのことでした。
 もう!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.26

四国、よいとこ 1085 高知市  「お酒は、両手でつぎなさい。両手でいただきなさい」。

 二〇〇六年十二月二十六日。

 「お酒はね 両手でつぐもの」
 「おお、そうか」
 説教されてる 五十九歳が

 「お酒も両手でつぎなさい。両手でいただきなさい」
 後輩に説教されました。

 酒は、独りで「ぼそぼそと」のむことが多い。
 酒宴は、なれていません。
 酒宴の時も「手酌」が好みです。
 他人につぐ習慣がありません。
 ま、もうすぐ六十歳になるおとなですから、そろそろ世間の常識をわきまえなくては…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1086 高知市 「三十九歳 年下の 『「飲もうよ』メール…」。

 二〇〇六年十二月二十六日。

 うれしいね 三十九歳 年下の
 「飲もうよ」メール
 いい年の瀬だ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.27

四国、よいとこ 1087 高知市 「演説も『カラオケマイク』」でやっている…」。

 二〇〇六年十二月二十七日。

 演説も 「カラオケマイク」で やっている
 候補者、君に
 エールを送る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1088 高知市 「飲んでても忘れるなかれ 『ノー・ウオー』を…」。

 二〇〇六年十二月二十七日。

 飲んでても 忘れるなかれ
 「ノー・ウオー」を
 バーのトイレの ワッペンに合う

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.29

四国、よいとこ 1089 高知市 「しびる」高知市中央公園で九時間の「うるおいある町づくり年越しライブ」。

20070101_3_269_1


 二〇〇六年十二月二十八日。

 わーっ、ひやい日です。
 「しびる」という感じですね。

 午前十一時過ぎから高知市中央公園で九時間の「うるおいある町づくり年越しライブ」(主催・同実行委員会)が開かれました。
 なんと午後八時過ぎまででした。
 九時間です。
 これは、同市永国寺の県立高知女子大学・高知短期大学のキャンパスを残そう、同市本町の県民文化ホールを残そうというキャンペーンです。
 公園にはテントがはられ、その中にコタツが三つ。コタツに入って見る人もいました。
 暗くなるとだんだん十代、二十代の観客が増えて、常時五十人ほどに。
 とりは若い男性二人のシュガーベイベ。
 ギターで歌います。
 これがうまい。
 「二曲入った音源を無料配布します」
 彼らの呼びかけに若い女性たちがわっと集まって、すぐに「売り切れ」。

 写真は、高知市中央公園のイルミネーションです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1090 高知市 「うるおいある町づくり年越しライブ」でカナダから一時帰国中の安藤眞菜さんが「私は勇気」を歌いました。

 二〇〇六年十二月二十八日。

 高知市中央公園での「うるおいある町づくり年越しライブ」の続きです。

 四月からカナダで働いていて一時帰国中の安藤眞菜さん(二十歳。女性三人のロックグループ「Theヌーディー’S」のベース担当)も出演。ギターの弾き語りをしました。
 カナダにいってからつくったという「私は勇気」がよかった。

 私は飛びたちました あなたの手から飛びたちました
 私はあなたを忘れる事はできませんが、
 あなたと離れてもっと強い自分にならなきゃと
 気づきました

 私は飛びたちました あなたの手から飛びたちました
 涙の上に涙を重ね 最初は淋しかったけれど
 私は出会いました すてきな 本や音楽と
 私は出会いました すてきな 人々と

 私は飛びたちました 私の世界から飛び立ちました

 私は飛び立ちました

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1091 高知市 やっぱり、ザ・ブルーハーツ。

 二〇〇六年十二月二十八日。

 五十九と 二十歳をつなぐ 歌の群れ
 ザ・ブルーハーツは
 うん、いい感じ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.31

四国、よいとこ 1092 高知県 「海があり 川、山があり 安全で…」。わがついの住家。

 二〇〇六年十二月三十日。

 海があり 川、山があり 安全で
 ついの住家を
 師走に探す

 八軒を たずねて歩いて まだ、迷う
 ついの住家は
 まだ決まらない

 二十九日夜、東京都から妻が到着。
 三十日は妻の母、妻、弟との四人で家探し。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四国、よいとこ 1093 高知市 「正月の もちなどを買う おおみそか…」。

 二〇〇六年十二月三十一日。

 二夫婦で 恩師の墓に まいってる
 おおみそか朝
 お世話になった 

 同い年 一年ぶりの 二夫婦が
 病気のことで
 盛り上がってる
 
 おおみそか 午後三時前 メール年賀
 打ってくる息子(こ)よ
 せっかちすぎるよ

 正月の もちなどを買う おおみそか
 来年こそは
 来年こそは
 
 やっぱりね
 締め切り過ぎて 年賀書き
 僕、妻、弟の おおみそか、夜

 それはそうと、妻は、二十七日、二十八日と山口県長門市の俵山温泉にいってきたといいます。
 ひなびた温泉村らしい温泉村だったそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »