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2006.12.07

四国、よいとこ 1033 「高知県伊野町立伊野小学校 同盟休校の十六日間」 その三。

 二〇〇六年十二月六日。

 当時の伊野小学校の校長は、中山清城(なかやま・せいき)さんでした。

 中山さんが、当時のことを書き残しています。
 高校として着任した第二年目(五八年四月から)に勤務評定反対の運動が始まったと書いています。
 「校長室には毎日の如(ごと)く、父母の会(保守系)の人々、時には大勢大挙して殺到すれば、反対側の民主教育を守る会(革新系)の方々が入れ代わり、立ち代って来る。更(さら)に教員組合の面々と、次から次へと応接に暇がない有様(ありさま)でした。
 『校長は、一体保守か革新か態度をはっきりせよ』
 『校長よ、この段階で両方都合よしで事は済まんぜよ』
 『校長よ、今日の子供の犠牲は将来の子供の幸せのためには止むを得んぜよ。』
等々と詰問攻めに会ったが、答えは常に『私は、千五百の現に預かっている児童の校長である。保守であろうと、革新であろうと問題ではない。如何(いか)にすれば、子供達に混乱の被害を受けないよう、幸せな学校生活をさせるか、即(すなわ)ち正常な学校運営によって、現在の子供達に正しい教育を実施するのが、私に課せられた最大唯一の責任である。』の一点張り、●「熟」の下がない文字●れにも偏せず、自己の良心に従って、終始一貫した」(『伊野小学 開校百年記念史』)。

 同年七月二十七日、伊野小学校のPTAは、勤務評定問題の今後の対策のため総会を開催します。
 しかし、議論の末、解散を決定します。

 僕の家族は、伊野町の日本紙業に勤める父、町内の和紙製造の工場で紙をすく母、僕、そして、三学年下の弟でした。
 全員が勤評定実施に反対でした。
 僕の場合は「そんなことをやられたら先生たちが窮屈になってしまうじゃあないか」ということでした。
 それに担任の若い男性の「高野先生」も反対していました。

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