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2006.12.07

四国、よいとこ 1035 「高知県伊野町立伊野小学校 同盟休校の十六日間」 その五。

 二〇〇六年十二月六日。

 『伊野町史』は、勤務評定反対の運動について「伊野町の場合、最悪の事態は三十四年(一九五九)年度であった」としています。
 「最悪の事態」という表現は、この本の編集者の立場を表現しています。

 十月三十日、伊野町教員組合と伊野町教育委員会(片岡福馬教育委員長、弘田稲男教育長)は、町公民館で勤務評定について交渉しました。
 「会談は激化し、ついに事態を憂慮して退去命令を出した福島町長は、伊野署に出動を要請する。伊野署ではただちに待機の姿勢をとったが、教員組合側も自主的に退去して事なきを得たのである」(『伊野町史』)。

 五九年四月、僕は町立伊野中学校に入学しました。
 伊野小学校の中山校長は佐川中学校へ転任し、伊野小学校に岡田巧(おかだ・たくみ)校長が着任しました。
 当時の県教員組合の校長部会は、常に民主教育の先頭に立つという立場から勤務評定に反対していました。
 岡田校長は、県教育委員会への勤務評定の提出を拒否していました。

 その岡田校長が、書いています。
 「昭和三十五年(一九六〇年)一月高知県教組の勤務評定書不提出のきびしい闘争は、いよいよ大詰めの段階にせまっていた。これまで不提出の結束を固めて闘ってきた県下七百の小、中、高の校長は、第二年目の苦しい闘いにさすがに疲れを感じ、戦術転換に期待をかけようとする気運も動き始めていた。
 折りしも高知市長氏原一郎氏が事態収拾の斡旋に乗り出し、その提言が出されると、さしも強固に見えた高知県教組校長部の結束に動揺を生じ、大勢は勤評書提出の方向に動いていった。そうしてあくまで教育者の良心に基づき不提出の誓いを守る者の数は今や七十名ほどとなった。
 高知県教育委員会は校長の大量切りくずしにいよいよ勢いを得て、残る六十八名の校長を説得して全員説得の成果をあげ、昨年度の白紙返還の不首尾をばんかいしようと、全県下の地教委や市町村長、議員全員、PTA、父母の会その他有力者を総動員して、不提出校長に対して各個げき破の色々の手が加えられてきた。
 息づまるような空気の中に、三月最後の段階が迫ってくる。当時私は吾川郡伊野小学校校長として着任第一年目であった。勤評に対しては教育的見地からこれに反対し、これまで父母にも理解と協力を訴えてきたもので、今さら勤評を提出する気になれなかった」(『四十二人の手記 高知の勤評不提出校長たち』、高知県「勤評の会」)。

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