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2007年2月

2007.02.01

四国、よいとこ 1962 高知市 「還暦を 祝ってくれる 人らいて…」。

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 二〇〇七年二月一日。

 還暦を 祝ってくれる 人らいて
 胸熱くして
 杯を重ねる

 亡くなって 一カ月だね
 携帯に コールをすれば
 「使われてない」

 写真は還暦祝いにいただいた、お手玉です。

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2007.02.02

四国、よいとこ 1963 高知市 やっと梅の花に出合いました。

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 二〇〇七年二月一日。

 高知市の寺田寅彦記念館の庭の梅の花です。
 ことし初めて梅の花を見ました。

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2007.02.03

四国、よいとこ 1964 高知市  三十一文字(みそひともじ)の「戦争はいや」。

 二〇〇七年二月二日。

 夜、昨年の「平和の短歌」をまとめてみました。


   三十一文字(みそひともじ)の「戦争はいや」

 パソコンで
 三十一文字(みそひともじ)を 組み立てて
 「戦争いや」を ブログにはなつ

 ああ、ここに
 防空壕(ぼうくうごう)が あったんだ
 「すべり山」わき 通る真夏日

 一豊の 銅像なども 奪い取り
 武器にしたとか
 あの戦争は

 「をじさんが、今日は無言で 帰られた…」
 あのころ歌う
 少年、白髪

 アメリカに 家を焼かれた 十七歳
 そこから始まる
 義母の戦後史

 新しい 花を供えられ 生きている
 槇村浩(まきむら・こう)の
 反戦の遺志

 僕たちを 育ててくれた 教師らの
 「繰り返さぬぞ‥」の
 詩碑読みふける

 胴体に
 九条守れを 大書した
 路面電車が ゆきかう高知

 出張の 帰りの道わき
 「平和像」 すっくとたってて
 バイクを停める

 青年に 中年たちも 手助けし
 八時間もの
 平和のライブ

 あの人も おおあの人も 名を連ね
 九条守れの
 新聞広告

 自社の壁 「輝け憲法!!」 大書する
 社長のいるまち
 わが高知市は

 平和への 思い託した 折り鶴が
 七十万舞う
 アーケードにいる

 戦争いや 筆と墨とで 伝えたい
 紅真(こうしん)、着物で
 涼しげにいく

 九条を
 守れの署名 過半数
 清水、大月 十和の村も

 勤評の 大闘争が 生きていて
 教育長ら
 教育基本法(きほんほう)守れ

 このままじゃ…
 教育基本法さん がんばれと
 「ぞーもんでいる」 きのうも、きょうも

 悪法が 衆院通過
 その夜にも
 教育守れの ビラ配りいく妻

 「♪戦争が 起きないように」
 綾香、聞く
 改悪法が 通った翌朝 

 戦争は やってはいかん 六十年
 九条守れの
 声満ちる年

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四国、よいとこ 1965 高知県 「わが町は『核』の是非問う年迎え…」。東洋町の男性の短歌です。

 二〇〇七年二月三日。

 わが町は「核」の是非問う年迎え空、海、山の青さいや増す

 高知新聞の、きょうの朝刊の「文芸」の「短歌」欄に、この短歌が載っていました。
 東洋町の原田英祐さんの作品です。

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四国、よいとこ 1966 高知市 高校の同学年生、小川有里さんの「育爺(いくじい)」論について。

 二〇〇七年二月三日。

 刺激的なタイトルの本をいただきました。
 『定年オヤジの しつけ方』(講談社)。
 筆者は、わが高校の同学年生、小川有里さんです。
 この人、容姿は美女系ですが(ぱちぱち)、書くことは辛らつ。
 まあ、「美女」と「辛らつ」は両立するとは思いますが。
 「育爺(いくじい)」の言葉には、思わず「わっはっは」。
 これは笑うしかありません。

 妻は、小川さんファン。
 「こんど高知にきたとき、この本を読んだら」
 こう電話しておきました。

 僕のほうは「育婆(いくばあ)」の作戦を立てているところです。
 うっふっふふ……。

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2007.02.04

四国、よいとこ 1967 高知市 ライダーとしての僕は、ええかっこしい。

 二〇〇七年二月四日。

 ライダーとしての僕は、ええかっこしいです。

 一週間前の朝のことです。
 オートバイを停めた所が少し坂になっていてスタンドをかけたままオートバイがガシャン。
 オートバイの下になって、左足のすねを打ってしまいました。

 そのとき僕がとっさにしたのは、まわりを見回したこと。
 「よかった。誰も、このみっともないさまを見ている人がいなかった」
 ほっとしました。
 
 すねは、いまだに傷になっていますが、ひたすら痛さをがまんしています。

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2007.02.05

四国、よいとこ 1968 高知市 なぜか、「ケンチャナ」というハングルが大好きです。

 二〇〇七年二月五日。


 夜、家で韓国映画をDVDで見ています。
 聞き取れるハングルをメモに取りながら。

 どなた
 オブセヨ
 
 ノムさん
 ノムシ

 食堂で店の人が「ありがとうございました」。
 客が「はい」。
 店の人が「さようなら」。
 客が「ごちそうさま」。 
 「カムサミダ アンニョンハセヨ」。
 「ネー」
 「アンニョンハセヨ」
 「アンニョンハセヨ」

 友だち
 チング

 本当にごめん
 チョンマイ ミヤネー

 でも…
 クロテー

 そこで(場所)
 コギソー

 大丈夫?
 ええ、大丈夫
 ケンチャナ
 ネー ケンチャーナ

 はい
 ネー

 いいえ
 アニエヨ

 日曜日
 イルイルダ

 なぜか、「ケンチャナ」というハングルが大好きです。

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2007.02.07

四国、よいとこ 1969 高知県 国道55号のナギの木は、こうして残った。

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 二〇〇七年二月六日。

 朝八時二十分、オートバイで高知市発。

 途中、国道55号の真ん中が小公園みたいになっています。
 たぶん、ここは安芸市です。
 前から気になっていましたが、本日は、立ち寄ってみました。
 写真のような表示がありました。
 ナギの木は、こうして残ったのです。
 何か、すっごーいという感じです。
 「高知賢人、やるやいか」
 写真のようにナギは美しい木です。

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四国、よいとこ 1970 高知県東洋町 千四百五十二人が放射性廃棄物の持ち込みを禁止する条例を制定する直接請求を町選挙管理委員会に提出。

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 二〇〇七年二月六日。

 高知県の東洋町にやってくるとコバルトブルーの海の色が素敵です。
正午、同町の生見(いくみ)海岸では若者たち九人がサーフィンを楽しんでいました。
 午後一時過ぎ、この海岸近くの同町役場の前に、約四十人の町民が集まり、「応募撤回を」「核のゴミを埋めないで!」「未来の子どもたちに安心を…」ブラスターを掲げました。
 その中の一人、弘田祐一さん(69)が持つ同町への放射性廃棄物の持ち込みを禁止する条例を制定する直接請求書の署名簿の束には千四百五十二人分の署名がぎっしり。
 同町役場で一行は、この直接請求書を山岡七三十四(なみとし)同町選挙管理委員長に提出しました。


 同請求書は、同町に同施設などの持ち込みを禁止する条例をつくるためのものです。
 条例制定の理由として高レベル放射性廃棄物の地中処分の安全性についての諸懸念はクリアされていない、同町は南海地震の直撃を受ける運命にあり処分地としてはもっとも不適切な場であることをあげ、「我々東洋町民は、この自然豊かな東洋町を守り、安全な生活を未来に継承するためにも、全ての放射性廃棄物の持ち込みを禁止する必要がある」としています。
 千四百五十二人分の署名数は、直接請求に必要な有権者(昨年十二月一日現在、三千七人)の五十分の一(六十人)以上の有効署名を大幅に上回り、有権者の半数を超えています。
 この直接請求の署名運動が始まったのは一月三十日夕ですから、すごいスピードでの広がりでした。


 同町長は、一月二十五日、応募について町民の合意が得られたとして独断で原子力発電環境整備機構の高レベル放射性廃棄物最終処分施設候補地の公募に応募しました。
 その理由として、この問題の「勉強会」を一定やってきた、十人の町議のうち四人が応募に賛成していることを上げました。
 「勉強会」といっても、講師は公募側の幹部という一方的な宣伝でした。応募に反対する講師を呼んでの「勉強会」もやるといっていましたが、やっていません。
 実際には、昨年秋から町民の中から「ポンカンとサーフィンの町を守れ」と応募反対の声が起こり、一月十五日、町民有志が応募反対の陳情書を町同議会に提出を提出していました(人口三千四百四十六人中二千百九十三人の署名付)。
 二十五日には、応募反対の請願書も町議会に提出されました(二百二十八人の署名付)。
 同町長の応募は、二つの請願書が町議会で審査される前でした。
 こうした町民無視、町議会無視の応募に怒った町議六人は一月末に、同機構の山路亨理事長に「東洋町長からの応募の受理撤回を」の要望書を提出しています。
 同町長は、昨年三月にも「応募書」を出し、同機構から町議会、町民の合意を得てからでも遅くないと返却されていた「前歴」もあります。
 直接請求書を提出した町民たちは、同日午後、同町長と会見。参加した女性たちから「今のやりかたは民主的なやり方ではありませんねえ。議会にもかけずに勝手に出すというのはおかしいんじゃぁないですか」「四国の宝物を捨てないでください」「町長。(応募を)白紙に戻してください」の声が飛びました。

 この直接請求書の本請求を受けて、高知県東洋町の田嶋裕起町長は、請求受理から二十日以内に同町議会を召集し、条例案に意見をつけて町議会に付議します。
 また、同町議会は、九日午前九時から臨時議会を開き、応募反対の請願書、応募反対の請願書を審査します。

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四国、よいとこ 1971 高知県 僕が「うれしい」と実感する時。

 二〇〇七年二月六日。

 夕方、妻に電話。
 後で返信が。
 「きょうから長野」
 スキー場です。
 仕事だそうです。


   「うれしい」と実感する時


 四時間の 走行距離まで 出張で
 バイクにブルルと
 カツを入れてる

 目の前で 意外な事態 起こってて
 僕のカメラも
 パシャパシャ元気

 息つめて
 百五十行 書き切って
 「送信済み」の マーク笑んでる

 風邪ひきの 妻のトゲトゲ 取れてきて
 「元気、元気」が
 復活したよ

 久しぶり 弟がきて アテつくり
 「あす」のことなど
 語り合う夜

 何ゆえか ブログのアクセス 多い日よ
 「うん、ありがとう」
 世界にお礼

 「ああ、君も 同じ思いで 生きている」
 心のメール
 読む晩のこと

 朝早く われらが新聞 開き見て
 わが記事二本
 繰り返し読む

 「がんばって。私もとるわ。よろしくね」
 購読するの
 メールがきた朝

 「よかったよ。この前の記事」
 「ありがとう」
 何だか顔が にやけてくるよ

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四国、よいとこ 1972 また柳沢厚生労働大臣の暴言。

 二〇〇七年二月六日。
 
 また柳沢厚生労働大臣が「若い人たちは結婚をしたい、子どもも二人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる。そういう日本の若者の健全な希望にフィットした政策を出していくことが非常に大事だと思う」と語りました。

 彼は「女性は生む機械」の発言のどこが問題か、ちっともわかっていなかったようです。
 また、かばう安倍首相。
 どうなってるんだ。

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2007.02.08

四国、よいとこ 1973 高知県東洋町 オートバイがダウンして知った町の人たちの温かさ。

 二〇〇七年二月七日。

 朝、高知県東洋町のホテルをオートバイで出ました。
 「次の仕事まで少し時間があるからコーヒーでも」と、思っていました。

 走行中、国道55号でオートバイがシュルルルという感じでダウン。
 同町野根です。
 「ガソリンは、まだあるはずだけどおかしいなぁ」と、思いつつぼう然としていました。

 その時、左手にいた「おじさん」と目があいました。
 ずうずうしく困っている旨を告げました。

 その「おじさん」の軽トラックに乗せてもらって、ガソリンスタンドにいってガソリン五リットル買って、「現場」乗せて帰ってきてもらって給油しました。
 うるうる。

 給油のさい、ガソリンがもれたのを心配して、左手にいた「おばさん」が、それをふくための新聞紙をもってきてくれました。
 うるうる。

 しかし、オートバイはシュルシュルというだけでエンジンがかかりません。
 近所の二人の「おじさん」たちもいろいろ心配してくれました。
 うるうる。

 最初の「おじさん」の助けで自動車修理店の男性がきてくれました。
 僕の整備不足のよるダウンとわかり、わがオートバイは、その店に「入院」しました。

 その後、いろいろあって、高知市には知り合いの車に乗せといただいて帰り着きました。
 うるうる。

 人の情けが身に染む一日でした。
 みんな、いい人。

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四国、よいとこ 1974  高知県東洋町 九日午前九時から町議会が高レベル放射性廃棄物最終処分施設への応募に反対する請願書を審査。

 二〇〇七年二月八日。

 高知県東洋町 九日午前九時から町議会が高レベル放射性廃棄物最終処分施設への応募に反対する請願書を審査。

 高知県東洋町議会(十人全員が無所属)は、九日午前、臨時町議会を開き、町民有志から出されていた田嶋裕起町長が高レベル放射性廃棄物最終処分施設の候補地に応募しないようにという請願書を審査します。
 この請願書は、一月十五日、町民有志が町同議会に提出を提出していたものです(人口三千四百四十六人中二千百九十三人の署名付)。
 同請願書は、原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物を地下に埋め捨てにする処分方法の安全性に危ぐを表明し、同町の豊かな自然を子どもたちに引き渡すためにも安全で安心な生活環境を守らなければならないとして応募に反対しています。
 同町長は、この請願書に五町議が紹介議員になっていることから、この請願書が審査される前をねらって一月二十五日、原子力発電環境整備機構に候補地への応募書を提出しました。
 同町選挙管理委員会には、今月六日、有権者有志から同町への放射性廃棄物持ち込み禁止の条例を制定する直接請求書も提出されています。

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四国、よいとこ 1975  高知市 十五日、金英丸(キム・ヨンファン)さんと再会できます。

 二〇〇七年二月八日。

 韓国、カナダで活動している平和活動家・金英丸さんが、古巣の高知市に一時帰ってきます。
 英丸さんは、「息子にしたいような」好青年です。

 青年グループ「Wind of Peace」が、講演会「金英丸(キム・ヨンファン)おかえり会」を計画しています。
 十五日(木曜日)午後六時半~八時半。
 高知市升形九の一一の平和資料館・草の家ホール。
 参加費無料。

 「お土産話」などを聞きくそうです。

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2007.02.09

四国、よいとこ 1976 高知県 せいいっぱい働いた一日。

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 二〇〇七年二月九日。

 午前三時半、高知市の自宅で起床。
 午前四時半、「もう一つのオートバイ」、ホンダの二五〇CCのマグナにまたがりました。
 このオートバイ、ずうたいが大きくて重くて、とりあつかいが難しいのですが、走り出したら快調。クルーザーで湖を走っているような感じなのです。

 午前五時四十五分、安芸市の早朝からやっている喫茶店に到着。
 モーニング。
 そして、次なる目標、東洋町役場へ。

 東洋町に入って、写真のような光景に出くわしました。
 漁具の網をつくろっているのだと思います。

 午前八時過ぎに東洋町役場に到着し、ここで仕事。
 短い昼休みに役場の近くのコンビニにいったら閉鎖されていました。
 働いていた人たちは、どうしたんだろう……。

 で、昼食抜きに。
 夕方、帰りに室戸市で食事をして満腹。

 高知市の事務所に帰り着いて、「あすの仕事」の手配をして自宅に帰ってきたら夜九時半。
 われながらよく働きますね。
 えらい。誰かほめてー。

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2007.02.10

四国、よいとこ 1977 高知市 「九時間も 寝きって目覚め…」。

 二〇〇七年二月十日。

 九時間も 寝きって目覚め
 風呂に入る
 デジカメOK バイクに向かう

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2007.02.11

四国、よいとこ 1978 高知市 潮江橋から鏡川を見たら…。カモたちも元気。

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 二〇〇七年二月十一日。

 昨日から東京都の妻が高知市にやってきています。
 
 それで、それとは何の関係もなく、本日午後、近くの潮江橋から鏡川を見ました。
 かなりいい景色だということを発見。
 左の一番高いビルの下のあたりに僕の借家があります。
 カモたちも元気でした。

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四国、よいとこ 1979 高知県東洋町 九日午前の臨時町議会で…。

 二〇〇七年二月十一日。

 以下、少し遅い報告です。

 高知県東洋町議会は、九日午前、臨時議会を開き、町民有志から出されていた田嶋裕起町長が高レベル放射性廃棄物最終処分施設の候補地に応募しないようにという請願書を採択し、同町長に応募の取り下げを迫る「放射性廃棄物等持ち込みに反対する東洋町議会決議案」を議決しました。また、町長にたいする辞職勧告決議案を可決しました。

 この請願書は、一月十五日、町民有志が町同議会に提出を提出していたものです(人口三千四百四十六人中二千百九十三人の署名付)。
 同町長は、請願書に全議員十人中五人が紹介議員になっていることから、請願書が審査される前をねらって一月二十五日、原子力発電環境整備機構に候補地への応募書を提出しました。
 この日の同議会は、応募反対の請願書を賛成多数で可決しました。

 引き続き、議員提案の「放射性廃棄物等持ち込みに反対する東洋町議会決議案」を賛成多数で可決しました。
 同決議は、同町長に「即時応募を取り下げ放射能抜きの町再建にとりくむべきである」ことを迫り、「東洋町を放射能汚染の恐怖から守り、子や孫達がかけがえのない美しい自然の中で、何時いつまでも笑顔で暮らせるよう」放射性廃棄物持ち込みを永久に禁止すると宣言しています。

 同町議会の決議を受け、議員からの「応募取り下げを」との質問がありましたが、同町長は、それに応じませんでした。
 そのため議員から同町長への辞職勧告決議案が提出されました。
 同町長が町議会で「議会や住民の理解、同意なしに応募することはない」と明言しておきながら、議会や住民の意思を無視して応募したことなどを理由にしたもので、賛成多数で可決されました。

 「放射性廃棄物等持ち込みに反対する東洋町議会決議」は次のようなものです。

 原子力発電によって発生する放射性廃棄物処理方法については、世界中今だに確立した例はない。消滅まで数万年もかかるといわれる放射能の恐怖。安全性、危険性の勉強もしないまま住民及び議会の反対をも無視して応募した事は、住民主体の自治の根幹を覆す暴挙である。
 町長は、即時応募を取り下げ放射能抜きの町再建にとりくむべきである。
 我々東洋町議会は、この町長の独断横暴に対し住民代表として断固その責任を追及するものである。
 一人一人の心の中にある真っ赤な夕焼けとトンボ・川辺の野花・潮騒、そして山野・海辺の思いでは、金銭に替えられない宝物であり、幾百年の先人からの贈り物である。この麗しい故郷東洋町を放射能汚染の恐怖から守り、子や孫達がかけがえのない美しい自然の中で、何時いつまでも笑顔で暮らせるよう東洋町議会は、放射性廃棄物持ち込みを永久に禁止する事を町民及び全国民に宣言する。

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四国、よいとこ 1980 高知市  「姉さんの 父への祝い 届いたわ…」。

 二〇〇七年二月十一日。

 今晩は高知市で妻の母の満八十歳のお祝いをやりました。
 妻の母、その夫、妻、僕、妻の弟、その妻、僕の弟といったメンバーでの会食でした。

 この日、東京都の娘からは僕の満六十歳の誕生日のお祝いの郵便が届きました。

 「姉さんの 父への祝い 届いたわ」
 妻が息子に
 圧かけている

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四国、よいとこ 1981 高知市 「山勘(ヤマカン)」と「山本勘助」との関係?

二〇〇七年二月十一日。

 きのう妻の母から「山勘(ヤマカン)というのは山本勘助からきたということをテレビでやっていた」と、聞きました。
 まっさかー。
 でも、説としてはあるようですね。

 山本勘助
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から。

 時代 戦国時代
 生誕 明応2年(1493年)?
 死没 永禄4年9月10日(1561年10月18日)?
 別名 大林勘助、晴幸、菅助(別名)
 諡号 道鬼
 主君 武田信玄
 氏族 山本氏→大林氏→山本氏
 山本 勘助(菅助)(やまもと かんすけ、明応2年(1493年)? - 永禄4年9月10日(1561年10月18日)?)は、戦国時代の武将。諱を晴幸、出家後道鬼斎を称したというが、信憑性はない。武田二十四将の一人で、武田の五名臣の一人でもある。武田信玄の伝説的軍師として講談などで有名であるが、近年の研究によると実際は武田軍の伝令将校とされている。生没年は、『甲陽軍鑑』によると1493年~1561年という。生年は1500年説、1501年説もある。
 ……当て推量なことを「山勘」「ヤマカン」と言うが、山本勘助を略したという説(大言海、辞海)と「山師の勘」(三省堂国語辞典)の二つの説がある。

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2007.02.13

四国、よいとこ 1982 高知市 海だった昔をとどめる「舟戸」「北浦」。

 二〇〇七年二月十二日。

 舟戸(ふなと)やら 北浦などと
 海だった 昔とどめる
 街走りゆく

 きょう高知県南国市でいきあった女性から「あなたからの年賀状が二等に当たりました。干物をもらいました。ありがとう」と礼をいわれました。

 わが家にきた年賀状が当選しているかどうか、まだ調べていません。
 一度、ひまなときにと思っているのですが……。

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四国、よいとこ 1983 高知県東町 「大自然を破壊し、私たちや周辺の人類の生存を危うくするこの核廃棄物の冒険的事業を永久に拒絶します」の宣言。

 二〇〇七年二月十三日。

 十三日午後、高知県東洋町役場前広場で「高レベル放射性廃棄物の東洋町への持ち込みに反対する町民決起集会」が開かれました。
 同町の田嶋裕起町長が一月二十五日、同施設への「応募書」を原子力発電環境整備機構に提出したことに抗議するためのものです。  
 集会には約三百人が参加しました。

 以下、その集会の「決議文」です。

 高知県民の皆さん、徳島県民の皆さん、そして、全国の皆さん、
 高知県東洋町の町民を代表して宣言します。
 私たちは、高レベル放射性廃棄物の東洋町持ち込みに反対します。
  また、そのためのいかなる調査も拒絶いたします。
 私たちは、高レベルであれ、低レベルであれ核廃棄物の最終処分場の実験台になることを拒否します。1月25日の東洋町長の「応募書」を私たちは認めません。
  町民の過半数の同意のない「特定放射性廃棄物に関する法律」の適用は憲法違反です。
 全国の皆さん、核廃棄物の地下処分の技術はまだまだ研究開発の段階です。
 2006年度の原環機構の事業計画書でも、「放射線防護等に関する諸外国あるいは他廃棄物等における先行例の調査研究や最新の情報の収集・評価を継続していく。」といっているように、地下処分の技術は確立されていず、安全性については誰も保証するものはいません。
 地下処分といわず、どんな処分でも核廃棄物は現在の人類の技術と能力ではこれを安全に隔離する方法は確立されていないのです。
 とりわけ、巨大地震の頻発するこの地方での地下処分はいかなる技術をもってしても、その安全性を主張できなるものではありません。
 これは、実験で実証された科学の適用ではなく、のるかそるかの冒険であります。
 今回の東洋町への核持ち込みの動きは、この冒険の場として過疎の貧しい村をねらった一種の棄民政策というしかありません。
  巨額の交付金をえさに「金でほっぺたをたたく」ような手法で東洋町の田嶋町長を説得できても、私たち町民の心を買うことは出来ません。
 私たちは貧しくとも自然を生かした地道な生活を楽しみ、これを子孫に伝えていきます。
 私たちは、大自然を破壊し、私たちや周辺の人類の生存を危うくするこの核廃棄物の冒険的事業を永久に拒絶します。
 このことを、全世界に向かって宣言し、ここに決議します。

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2007.02.14

四国、よいとこ 1984 高知市 久しぶりの雨です。

 二〇〇七年二月十四日。

 午前七時半、起床。
 雨が降っています。
 このことがニュースになるほど久しぶりの雨です。
 雨はバラバラと音を立てて地上のモノたちをうちすえています。

 さぁ、定時です。
 仕事に出かけることにしましょう。

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四国、よいとこ 1985 高知市 「閉店」「閉店」「閉店」。

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 二〇〇七年二月十四日。

 高知市での発見です。

 事務所のある上町二丁目の交差点わきのガソリンスタンドが一月二十日に閉店していました。

 ひろめ市場の前の古書店・西沢書店が一月二十二日に閉店していました。五十二年続いいたそうです。
 この閉店で高知市内には古書店が三つだけになりました(大型多売店を除く)。

 同じビルの仮谷洋傘寝具店も一月二十五日に閉店していました。六十余年続いていたそうです。

 うーーん。

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四国、よいとこ 1986 高知市 NTT西日本高知支店には窓口がないのですね。

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 二〇〇七年二月十四日。

 高知市のNTT西日本高知支店には窓口がないのですね。
 高知市内の別の所に引っ越すため電話をつけるための相談をしようと探したのですが……。
 いってみると大きなビルなのに、どこの入り口も閉まっていました。

 これでは積極的な顧客サービスは無理というものです。

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四国、よいとこ 1987 高知市 カーペンターズのカレン・カーペンターさんの美しい声。

 二〇〇七年二月十四日。

 今夜は、高知市の家で、いろんなCDを聞いて過ごしています。
 カレン・カーペンターさんの声が美しい。
 聞いていると感動で、身内からゾクッという感じがわきあがってきます。

 彼女は若くして、あの空に去っていったけれど、彼女のスピリットは、こうしてCDに込められていて僕たちに語りかけてくれます。

 
 カーペンターズ
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から。

 リチャード・カーペンター(1946年10月15日 - )とカレン・カーペンター(1950年3月2日 - 1983年2月4日)の兄妹からなるミュージック・グループ。
 カレンはボーカルと、一部ドラムなどを担当し、声の美しさ、なかでも低音域での美しさに定評がある。
リチャードはボーカル、作曲、アレンジなどを担当する。メロディの美しさが評価される。
 1969年11月15日にアルバムOFFERING(のちにTicket to ride(涙の乗車券)にタイトル変更)でA&Mレコードよりデビュー。
 その後、世界的なヒットに恵まれるが、コンサートツアーの過酷さや過度のプレッシャー等から、兄リチャードがクオルード依存症となり1979年から約2年間、活動を停止する。
 妹のカレンがBillboard誌に"Richard's chubby sister(リチャードのぽっちゃりした妹)"と書かれたことにショックを受けたのがきっかけで摂食障害を患ったと言われている。
 1975年、ラスベガスのコンサートで"Top of the World"を歌っている最中に倒れたことから、後に予定されていたUKとJapanツアーがキャンセルされてしまった。
 1979年にリチャードはカンザス州のリハビリ施設で依存症からの回復を試みる。
 その間、カレンはカーペンターズ時代のイメージとは違う大人向けのディスコ調の曲でソロ活動を始めるが、リチャードやレコード会社からの反応が悪く、1996年までお蔵入りとなる。
 兄の回復と共にカーペンターズとして活動を再開する。
 1982年、カレンは拒食症を改善するためにNYの有名なセラピストスティーブン・レベンクロンからセラピーを受け始め、カリフォルニア州に戻り離婚の最終段階の準備を始める。
 カレンは1週間で5kgも体重が戻ることになるが、そのために心臓に負荷がかかりすぎてしまった。
 1983年2月4日、両親の家で急性心不全により32歳の若さで急逝。
 リチャードは翌年に結婚し、カレンの死後も音楽活動を続けることになる。

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2007.02.16

四国、よいとこ 1988 高知市 大エノキのある日当たり良好の家での暮らし。

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 二〇〇七年二月十五日。

 高知市の中央部の借家に独りで住んでいます。
 同市の東部に引っ越すことにしました。
 本日、契約完了。

 表に大きなエノキがある家です。
 日当たり良好。
 家の前の道を隔てて田んぼや畑が広がっています。
 左に五百メートルいけば小高い所に神社があります。
 その先は二級河川です。
 カモがたくさんいます。
 オートバイで右手に十分くらいいけば海です。
 
 来年の四月からは東京都の妻、高知県いの町の弟と三人の住まいになります。
 まず弟が十七日に引越します。
 僕も順次、荷物を運ぶ予定です。
 妻は、来年の四月にやってきます。

 僕と弟はささいなことで大げんかするので別棟に住むことにしました。
 ただし、弟の棟のうち、三部屋は僕の「本の置き場」になる予定です。

 僕が所帯を持ってから一番大人数で暮らしたのは六人でした。
 僕、妻、娘、息子、母、弟でした。
 最初は、東京の区営住宅の部屋でした。
 東京都下の二階家に引っ越してからも、この六人でした。
 母が亡くなりました。
 弟は、その後、東京から去りました。
 息子は、浪人時代から別居になりました。
 娘は結婚して家を出ました。
 いろんなことがあって、高知市東部で家族が再結集しようとしています。

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四国、よいとこ 1989 高知市 ヒマラヤの青いケシの花を心に持っている人。

 二〇〇七年二月十六日。

 「メコノプシスの花が好き」
 ある若い人が、こんなことをいいました。
 「メコノプシス?」
 ヒマラヤの青いケシだそうです。

 インターネットで調べてみました。
 確かに清楚な美しい花です。
 ケシ科メコノプシス属。
多年草(日本では条件により一年草)。
原産地・ヒマラヤなど。
別名・ブルーポピー。

 この人の心の中に咲いている花なのかもしれません。
 この人、人の悲しみに涙する美しい魂の持ち主です。

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四国、よいとこ 1990 高知市 あっ、ここにありました。人を楽しくさせる文章。

 二〇〇七年二月十六日。

 人を楽しくさせる文章を書きたいと思っています。
 でも、なかなかうまくいかないもんね。
 なぜか。

 人を楽しくさせる文章、今晩、ブログ「『もけっと』ポケット」で読みました。
 二月十六日付の「いつまでも、いつまでも。」です。

 この僕の記事の左の「『もけっと』ポケット」の所をクリックすると彼女の所にいけます。
 例の「どこでもドア」のように。

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四国、よいとこ 1991 高知市 エノキの実は甘いらしい。楽しみです。

 二〇〇七年二月十六日。

 エノキ
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から。

 エノキ(榎、学名 Celtis sinensis)はニレ科エノキ属の落葉高木樹。英名はJapanese hackberry。東アジアに分布する。
 雌雄同株で高さは20m以上、幹の直径は1m以上になる。枝が多く、枝ぶりは曲がりくねっている。根元で数本に別れていることもある。樹皮は灰黒褐色。 葉は互生し、長さ4-9cmの卵形又は長楕円形で先は尾状にのびている。葉の質は厚く、縁は鋸歯状だが先端まで葉脈がはったつしておらず、丸みを帯びている。
 花には雄花と雌花がある。葉と同時期(4月頃)に葉の根元に小さな花を咲かせる。花の後に直径5-6mmの球形で緑色の実をつける。熟すと橙褐色になり食べられる。味は甘い。
 木材の質はやや堅いが強度はそれほど強くない。また狂いが生じやすい。辺材と心材の境が明瞭でない。建築用材、家具材、道具材、薪炭などに使われる。風合いが似ている事からケヤキの代用とされる。エノキの名の由来も鍬などの農機具の柄に使われたからという説もある。
 江戸時代には街道の一里塚として植えられた。
 葉は、オオムラサキの幼虫の餌になる。

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2007.02.17

四国、よいとこ 1992 高知市 早朝、激痛に襲われて…。

 二〇〇七年二月十七日。

 早朝、五時ころでしょうか、ふとんの中で体をのばしたとたん、右足がつってしまって、ものすごい痛みが…。
 どうすることもできず、そのまま気絶したような形でまた寝入りこんでしまいました。
 ううーん。どうなってんだ。この体は。

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四国、よいとこ 1993 高知市 「国運」「国民全体の責任」という言葉で侵略戦争推進の側に立った歌人・与謝野晶子さん。

 二〇〇七年二月十七日。

 雨の中、オートバイで走って風邪をひいてしまいました。
 今晩は、ゆっくり寝るつもりです。

 ところで四国新聞十六日付に歌人・与謝野晶子さんの香川県高松市の明善高等女学校(現・英明高校)の教諭・椎名六郎さんへの手紙についての記事が載っていました。
 一九三二年二月一日には前年の「満州事変」など中国における昭和天皇の軍隊の軍事行動に触れた部分があるそうです。

 「日支事件のため国運の未来が刻々に案ぜられ申し候。軍閥が始めしことながら、かくなれば国民全体の責任を辞し難く候。何とぞ禍(わざわい)を転じて福に致したく候」

 彼女が「国運」を論じ、「国民全体の責任」という論理で侵略戦争推進の側に立っていく姿がよくわかる文章です。

 この過程については、この文勝の左の「侵略戦争と与謝野晶子さん」をクリックしていただければ、僕の、この問題についての到達点がつづってあります。
 そこにも書いてありますが、彼女は、この年の「日本国民 朝の歌」(同年六月『日本国民』別巻「日本女性」)で、「責任感」を論じ「たとへば我れの此歌も、 破壊筒をば抱きながら 鉄条網にわしり寄り 投ぐる心に通へかし。」としています。
 以下、その全文です。

 ああ大御代の凜凜しさよ、
 人の心は目醒めたり。
 責任感に燃ゆる世ぞ、
 「誠」一つに励む世ぞ。

 空疎の議論こゑを絶ち、
 妥協、惰弱の夢破る。
 正しき方(かた)に行くを知り、
 百の苦難に突撃す。

 身は一兵士、しかれども、
 破壊筒をば抱く時は、
 鉄条網に躍り入り、
 実にその身を粉(こ)と成せり。

 身は一少佐、しかれども、
 敵のなさけに安んぜず、
 花より清く身を散らし、
 武士の名誉を生かせたり。

 其等の人に限らんや、
 同じ心の烈士たち、
 わが皇軍の行く所、
 北と南に奮ひ起つ。

 わづかに是れは一(いつ)の例。
 われら銃後の民もまた、
 おのおの励む業(わざ)の為め、
 自己の勇気を幾倍す。

 武人にあらぬ国民も、
 尖る心に血を流し、
 命を断えず小刻みに
 国に尽すは変り無し。

 たとへば我れの此歌も、
 破壊筒をば抱きながら
 鉄条網にわしり寄り
 投ぐる心に通へかし。

 無力の女われさへも
 かくの如くに思ふなり。
 況(いはん)やすべて秀でたる
 父祖の美風を継げる民。

 ああ大御代の凜凜しさよ、
 人の心は目醒めたり。
 責任感に燃ゆる世ぞ、
 「誠」一つに励む世ぞ。

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四国、よいとこ 1994 俳優・藤田まことさんが持っている兄からのはがきの「さようなら」の意味。

 二〇〇七年二月十七日。

 四国新聞といえば、十二日付には俳優・藤田まことさんのことが載っていました。

 一九四四年夏に届いた兄のはがきを今も手元に残しているそうです。
 最後に「さようなら」と書いてありました。
 兄からはがきが届いた二カ月後、兄は、船で鹿児島から沖縄へ向かう途中、アメリカ軍の攻撃を受けて戦死しました。

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四国、よいとこ 1995 夜中の映画鑑賞(DVDで)はやめられません。

 二〇〇七年二月十七日。

 忙しい、忙しいと心はせいているのですが、夜中の映画鑑賞(DVDで)はやめられません。
 昨夜は韓国の「グニムル 漢江の怪物」。
 あの娘さんは生かせてほしかったですね。なぜ、死なせたのでしょうか。
 今夜は日本の「日本沈没」。
 柴咲コウさんが、のっけからかっこいい。

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2007.02.18

四国、よいとこ 1996 高知市 新居にはキンカン、カキがありました。

 二〇〇七年二月十八日。

 休み。
 家で洗濯をしてから、高知市東部の新居に出かけました。

 弟は昨日、雨の中、引っ越して、もう生活ができるようにしてありました(二階建て。六部屋と台所、浴室、トイレ)。
 電話も開通しました。

 僕は、別棟の僕と妻の家になる所の掃除。
 これも二階建てです。一階は広間と台所、浴室、トイレ。二階は三部屋です。
 窓とコンセントがたくさんあるのが特徴。窓をすべて開け放つと、風の中にいるような感じです。

 三月になると「東京都の娘と、その娘たち」、「埼玉県の娘の夫の妹の一家」が遊びにくることになったので(今朝決定)、それまでに住めるようにしておかなくてはなりません。

 庭を見ると野菜が少しできています。
 キンカンがなっていましたし、カキもあります。
 いま僕の借家にあるヤマモモ三本も、ここに持ってくる予定です。
 庭でなった野菜や果物を楽しめそうです。

 即席ラーメンと玄米ごはんの昼食をとってから、二人で遊びに出かけました。

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四国、よいとこ 1997 高知県南国市 西島園芸団地の花々、スイカ、メロン。

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 二〇〇七年二月十八日。

 弟と二人で遊びにいったのは、お隣の南国市の西島園芸団地です。
 ハウスでスイカ、メロン、イチゴ、トマトなどをつくっている所で観光地になっています。
 久しぶりに花たちと出合えました。
 写真上から、ブーゲンビリア、メロン、ボケ、ノボタン。

 そして、この写真のスイカとメロンが七百五十円なり。
 味はたいしたものでした。

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2007.02.19

四国、よいとこ 1998 知り合いの茂木祐司(もてき・ゆうじ)さん(50)が、十八日に投開票された長野県御代田(みよた)町の町長選挙で当選!!!

 二〇〇七年二月十九日。

 知り合いの茂木祐司(もてき・ゆうじ)さん(50)が、十八日に投開票された長野県御代田(みよた)町の町長選挙で当選しました。日本共産党前町議です。
 すっごーい。

 以下、「しんぶん赤旗」十九日付B版から。

 長野県御代田(みよた)町の町長選挙が十八日に投開票され、日本共産党前町議で「明るい御代田町をつくる会」の茂木祐司(もてき・ゆうじ)氏(50)が、現職の土屋清氏を破り、初当選しました。……
 人口約一万四千人の同町では、県内一高い国保税や、県下でずばぬけて多い国保資格証明書発行、下水道や保育料などの引き上げなど、暮らし切り捨てが行われています。
 一方で、同和事業に年四千万円も支出。「解同」(部落解放同盟)に補助金六百万円、「解同」役員の「国際研修」という名の「海外旅行」にも補助しています。こうした町政に町民の批判が高まっていました。同和問題では、昨年十月に現役の担当課長が自殺する事件も起きています。
 このなかで茂木氏は党町議会議員としてタブーを恐れず追及してきました。町長も「圧力や脅し」を認めざるを得ませんでした。暮らし優先、自由に物が言える町、公正な町政のために、「なんとしても町政を変えて」と幅広い町民の声におされて町議四期目の茂木氏が出馬表明しました。
 選挙戦では、保守や無党派の町民を含む二百人を超す町民が立ち上がり、ハンドマイクで宣伝したり、元助役や保守系議員も候補者カーから茂木支持を訴えました。
 ……

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四国、よいとこ 1999 高知市 「いまの奥さんで十分よ。女房は顔じゃない」という「毒舌」。

 二〇〇七年二月十九日。

 午前中、高知市帯屋町を通ったら音楽CDの店に若い男女の列ができていました。
 最後尾の若い女性に「何ですか」と聞くと、あの「毒舌」の中年男性の口演のチケットを買っているのだということでした。

 「毒舌」といえば、高知市の僕の知り合いの僕より一回り若い女性も巧みです。
 本日の「毒舌」二発。

 ● (「結婚する前に何人もの女性に振られた。その中には絶世の美女もいたが…」という年上の男性に) 「いまの奥さんで十分よ。女房は顔じゃない」。ということは、その男性の妻は、どんな顔をしているの…。

 ● (ある女性が、お菓子を送ってくれたことについて) 「あの人は与えたいほうでよかったねえ。私は奪いたい。しぼりとるほうだ。人には与えない。犬やネコに愛を与えるだけ」

 「自由に」ものをいって生きるって、すばらしいことですね。

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2007.02.20

四国、よいとこ 2000 高知市 街路樹の白い大花がぱっと咲きました。

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 二〇〇七年二月二十日。

 青空に 向かって咲いてる 白い花
 バイクを止めて
 撮りこんでいる

 朝の出勤時に高知市九反田の道路わきで、こんな白い花が咲いていました。
 オートバイを止めて、この花の写真を撮っていると、通りかがりの女性が「コブシですよね。早いですよねー」。
 でも、これはハクモクレンかも知れませんね。
 
 僕の大好きな花咲き乱れる季節が始まっています。

 きょうは花に縁のある日でした。 
 高知市長浜の仕事先で、その人の家の熱帯の花や果物を育てている温室を見せてもらいました。
 「テニアンのにおい」でいっぱいの温室でした。
 僕にとって「テニアンのにおい」というのは熱帯地帯特有の果物のいいにおいです。
 ところで、この温室のために灯油代が年に二十万円いるそうです。

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2007.02.21

四国、よいとこ 2001 高知市 「目覚ましを 半時間後に セットして…」。

 二〇〇七年二月二十一日。

 目覚ましを 半時間後に セットして
 また寝ているよ
 きのうと同じ

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2007.02.22

四国、よいとこ 2002 高知市 橋本大二郎高知県知事が「手を携えてたたかっていく」 「高レベル放射性廃棄物最終処分施設の設置可能性を調査する区域」応募問題で。

 二〇〇七年二月二十二日。

 高知県議会が始まりました。

 高知県東洋町長の「高レベル放射性廃棄物最終処分施設の設置可能性を調査する区域」応募問題での橋本大二郎知事、議会の対応に興味をひかれました。
 橋本知事は「(同施設を公募している原子力発電環境整備機構、監督官庁の経済産業省が)今後、もし、このままの形で、調査に向けての手続きが進められることがあれば、同じ思いを持つ市町村長や議会のみなさまがたと、手を携えてたたかっていくことをお約束します」とのべました。
 そして、続いて「この問題は、今後の県全体にとっても重要な問題になりますので、今年、各種の選挙に立候補されるかたは、この問題にたいする賛否を、マニフェストなどで、明確に表明されるべきではないかと思います」とも。
 ぱちぱちです。

 この日、高知県議会の各派は二十二日の県議会本会議に「高レベル放射性廃棄物最終処分施設の文献調査に関する決議案」を共同提案。同案は、全会一致で可決しました。
 決議は「本県は、近い将来、高い確率で南海大地震が発生することが予想されており、高レベル放射性廃棄物最終処分施設の誘致については、安全性に対する住民の不安や、農林漁業や観光等に対する影響や風評被害など、多くの危惧(きぐ)する声が上がっている」などをあげ「住民と議会の理解が得られてない状況で、国および関係機関は、文献調査は開始すべきでない」としています。

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四国、よいとこ 2003 高知市 「♪ 如月(きさらぎ)の 二十二日の午前五時…」。で、二月二十三日は何の日?

 二〇〇七年二月二十二日。

 きょうは二月二十二日と確認していたら、ある「おじさん」が、突然、「♪廟行鎮(びょうこうちん)の敵の陣 我の友隊(ゆうたい)すでに攻む 折から凍る如月(きさらぎ)の 二十二日の午前五時…」と歌い始めました。
 あの上海事変中の一九三二年二月二十二日にあったとされる「肉弾三勇士(にくだんさんゆうし)」の事件の歌です。
 作詞は、あの与謝野鉄幹さん。
 「おじさん」は七十五歳。
 軍国の洗脳恐るべし。

 ところで、あす二月二十三日は何の日?
 僕が六十年前、大阪市で生まれた日です。

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四国、よいとこ 2004 高知市 「他人の家にきたら、玄関の靴は外向きにしてそろえておくべきものだ」。そうなの。

 二〇〇七年二月二十二日。

 夜、ある人の家にいったら、その家の「おじさん」に「他人の家にきたら、玄関の靴は外向きにしてそろえておくべきものだ」という意味のことをいわれました。
 幸いにも僕は、そうしていました。

 でも、後で考えました。
 なんで、そんなことが礼儀になったのかなぁと。
 これって、日本だけの礼儀ですかねえ。

 よく考えると、玄関で後ろ向きに靴を履いて、その家の人に前を向いてあいさつしてからその場を辞するのが合理的な感じもするのですが。

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2007.02.23

四国、よいとこ 2005 高知市 「…六十歳は まだまだいける」。

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 二〇〇七年二月二十三日。

 ● 本日、六十歳を迎えました。

 朝刊に わが記事二本 載っている
 六十歳は
 まだまだいける
 
 ● 「青空のもと、沈丁花の花香る」街のかたから「おめでとうメール」をいただきました。
 うれしかった。ありがとうございました。
 写真は、本日の高知市のものです。

 ● でも、何かおかしな日でした。
 昼食をとった喫茶店にカバンを忘れかけたり、
 診察を受けてからお金を払わないで帰りかけたり、
 ……

 ● この日を記念して、一九四七年二月二十三日以降の「自分用の年表」をつくろうとノートを買ってきました。

 ● そうしていると「この間、お買い上げいただいたテレビ、いまから持ってあがります」の電話。
 新居にテレビが入りました。

 白黒を 初めて見たね 十二歳
 六十迎え
 デジタル迎える

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四国、よいとこ 2006 高知市 きえさんの「それは、だんなはんの命令でがんすか」。

 二〇〇七年二月二十三日。

 テレビで映画「隠し剣 鬼の爪」を見ました。
 きえさん(松たか子さん)の存在が、この映画の「救い」ですね。

 「それは、だんなはんの命令でがんすか」
 「んだ、おれの命令だ」
 「ご命令だば、しかたありません」

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2007.02.24

四国、よいとこ 2007 高知市 高知大学の新入生歓迎運動実行委員会のメンバーたち。

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 二〇〇七年二月二十四日。

 朝七時半ころに高知駅のバスターミナルに。
 高知大学の新入生歓迎運動実行委員会のスタッフが数十集まっていました。
 受験生に交通や旅館の案内をするようです。
 白いスタッフジャンバーの背中に、この運動が四十四回目であることが書かれていました。

 僕が実行委員長をやったのが一九六六年でした。
 かなり初期の実行委員長です。
 「昨年、歓迎されてうれしかったから…」と僕の二年生のクラスからもスタッフが出てくれました。
 この時、入学してきたのが高知県の小学校校長の山本さん、高知県の会社社長の馴田さん、高知県の政党幹部の本多さん、広島市の藤井さん、大阪府の仁井田さん、東京都の政党スタッフで英語とアラビア語の達人の井上さん、東京都の中学校国語教師の矢野さん、埼玉県の山崎さん……。
 次の年、一九六七年には事務局長をやりました。
 この年に入学してきたのが兵庫県の藤崎さんたちでした。
 この時に上映した映画を見て感激の涙を流している僕を見て、「じぶんらぁだけ、感激しちゅう」という言葉を投げつけたのも藤崎さんでした。
 みんな元気ですか。

 少し話が外れていきましたが、僕たちが発展させた運動が、いまも引き継がれている。何か感激しました。

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四国、よいとこ 2008 徳島市 JRの「府中(こう)」という駅。

 二〇〇七年二月二十四日。

 午後、縁あって徳島市のJRの「府中(こう)」という駅の前にきています。
 各地に、府中(ふちゅう)という地名がありますが、ここは「こう」と読みます。


 府中駅 (徳島県)
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

 府中駅(こうえき)は、徳島県徳島市国府町府中にある四国旅客鉄道(JR四国)徳島線の駅である。

 相対式ホーム2面2線を有する地上駅。跨線橋がある。
 業務委託駅で、古くからの木造駅舎は改装されている。
 切符等はほぼ自動券売機でしか購入ができない。

 地名の通り、古代には阿波国国府があったと推定される。なお「府中」と書いて「こう」と読むのは、江戸時代に「府中=不忠」に通じるのを嫌った徳島藩が、「国府」にかけ、かつ「孝」に通じるよう読ませたため、と言われている。

 1899年(明治32年)2月16日 - 開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、四国旅客鉄道に承継。


 国府
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 から

 国府(こくふ)は、日本の奈良時代から平安時代に、令制国の国司が政務を執る施設が置かれた場所や都市を指す。

 律令制において、国司が政務を執った施設を国庁といい、国庁の周囲は塀などによって方形に区画されていた。国庁および区画された領域を総称して国衙(こくが)という。

 国庁は国の儀式と執務の場であったが、後に国司の私邸で政務が執られるようになると、規模が小さくなり、終いには消滅した。国庁は政庁とも呼んだ。

 国衙には国司の他、史生、国博士、国医師、徭丁などの職員が勤務しており、小国で数十人、大国では数百人の人数規模だった。そのため、国衙周辺にはこれら職員の住宅や交易の市が置かれるなど、都市的な領域が形成された。国府とは、この国衙周辺に形成された都市を指す語である。

 国府には、国庁を含む国衙が設置された他、国分寺、国分尼寺、総社が集中して建てられることもあった。

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2007.02.25

四国、よいとこ 2009 徳島市 山崎ハコさんのアルバムのCD「飛・び・ま・す」を、また買いました。

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 二〇〇七年二月二十五日。

 昨日は徳島県阿南市のビジネスホテルでした。

 午前中、徳島駅へ。
 高知いきの連絡が悪く待ちぼうけ。
 近くのデパートに寄って山崎ハコさんのCD「飛・び・ま・す」を買いました。
 アルバムのレコード「飛・び・ま・す」(一九七五年)、「綱渡り」(七六年)が出たころ僕は、週刊紙の青年のページ、芸能・テレビを担当していて、週に一回は都内の各レコード会社を回って新しいアルバムをかき集めてきていました。
 そんな時、知ったのがハコの歌声でした。
 胸をわしづかみされるような歌詞と歌声でした。
 広島市で一回、東京都で二回、コンサートを聞きました。

 家のどこかに、このアルバムはあると思うのですが…。

 ホームページ http://www31.ocn.ne.jp/~hako/


 山崎ハコ
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

 山崎 ハコ (やまさき はこ、1957年5月18日 - ) は、大分県日田市出身の歌手、シンガーソングライター、女優、文筆家。
 本名、安田 初子(やすだ はつこ、旧姓・山崎)。
 大分県内の高校を中退・横浜へ単身のぼり1975年にアルバム『飛・び・ま・す』で歌手デビュー。150センチあるかないかの小柄で痩せた体躯からは想像もできないパワフルな声量・表現力を誇る歌唱と、暗く鋭く愛から社会を抉る歌詞で、デビュー当時中島みゆきのライバルと言われた事もある。1975年12月、TBSホールの『パック祭り』に出演。大反響となり、TBS『パックインミュージック』を中心に、“深夜放送のマドンナ”と言われ始める。1979年4月~80年3月 ニッポン放送『オールナイトニッポン』火曜日のDJを担当。その後もリリースやコンサート活動を続け、女性フォークシンガーとして活躍する一方で、エッセイの執筆、演劇出演など多彩な活動を行う。現在も全国のライブハウスを渡り歩くなど、精力的に活動している。
 幼少時代から慢性膵炎の持病を抱えており『酒・タバコどころか(膵臓に負担過大なので)ラーメン・コーヒーも口にできない(本人談)』体質である。それゆえ度々ダウンすることもあったが、彼女の歌唱や楽曲制作への意欲は病に負けるどころか、むしろ力強く、多岐に渡り精力的な活動を展開している。また活動拠点をずっと横浜に置き続けているのも、彼女のこだわりである。
 永年独身を通していたが、演奏・作編曲など長く仕事を共にしたギタリストの安田裕美(やすだ ひろみ)と結婚。結婚後も良好な公私のパートナー関係であり続けている。

   シングル
 流れ酔い唄
 地獄「心だけ愛して」
 ララバイ横須賀
 男のウ井スキー
 織江の唄
 幻想旅行
 雨に唄えない
 風の歌
 町よ
 テル・ア・ライ
 ANOU
 気分を変えて
 蛍
 アカシアの雨がやむとき
 私が生まれた日
 たどりついたらいつも雨ふり
 わっしょいニッポン
 たずね人-冒険者-
 希望
 やさしい歌
 刹那の夢

   アルバム
 飛・び・ま・す(1975年)
 綱渡り(1976年)
 藍色の詩
 山崎ハコ ファーストライブ
 流れ酔い唄
 人間まがい
 山崎 ハコライブII/歌在りて
 軌跡
 歩いて
 茜
 幻想旅行
 幻想旅行II
 硝子の景色
 風の色
 ダージリン
 てっせんの花
 光る夢
 時は流れて
 なわとび
 私の幸せ
 SA・SU・GA(流石)
 日本詩集-遠い町 遠い空

  ベスト
 流行歌(はやりうた)が聞こえる
 メンフィスまで
 十八番
 私が生まれた日
 ハコのお箱
 唯心
 山崎ハコ BEST

   ミニアルバム
 飛びます・・・17歳

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四国、よいとこ 2010 徳島市 株取引との関係で見ると、「景気がいい」が…。

 二〇〇七年二月二十五日。

 徳島駅前のバスターミナルでバス待ちながらパソコンを操作していると白髪まじりの男性が話しかけてきました。
 初めての人です。家では光通信でやっているけど、屋外で通信するのはどうすればいいのかを知りたかったそうです(僕のはエッジで使えるようにしています)。

 徳島市で自営業をやっていて五十六歳。祖父母は県下上勝町に住んでいるとのことです。
 十年前から株の取引をやっていて、いまは、それをパソコンでやっているそうです。
 「新参の会社のソフトが良くて、千円で買ったものが下がって九百円になると自動で売ってくれる」など、僕の知らない世界の話を聞かせてくれました。
 株取引との関係で、いまの景気を見ると「いい」そうです。
 しかし、自分の商売を含めて徳島の自営業は「悪い。以前は、うちでも月に三百万円も利益が出たことがあったけど…」。
 「シャッターがしまっている所が多い」と、いいます。

 「やっぱり、本業が景気よくならないとだめですね」

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四国、よいとこ 2011 高知市 「余命二カ月」の韓国の青年の話です。

 二〇〇七年二月二十五日。

 やっと帰り着きました。高知市です。

 新居にたどり着いて、韓国映画のDVD「小さな恋のステップ」を見ています。
 「余命二カ月」の青年の話です。
 高校生時代からずっと、密かに前から彼のことを慕っている二十四歳の娘さんが素敵です。

 あくそんいえよ 悪性です
 ぼよ       見える
 かよ       帰る
 くろむ      じゃあ
 たそ       五つ
 ちょぎよ     ちょっと
 しゅび      守備
 みやねよ    ごめんよ
 あんねよ    だめよ
 ちょぎ      あそこ
 けんちゃな   大丈夫
 よぶせよ    もしもし
 こますみだ   ありがとう

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四国、よいとこ 2012 高知市 「『つまんねえ』 そうつぶやくと…」。

 二〇〇七年二月二十五日。

 「つまんねえ」 そうつぶやくと
 一瞬で
 世界がぱっと なくなっちゃった

 「フン」なんて 鼻で声上げ
 見ているよ
 何回目かな いい映画だな

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2007.02.26

四国、よいとこ 2013 高知市 わが家のハクモクレンも咲きました。

 二〇〇七年二月二十六日。

 休み。
 何か「ひさしぶり」という感じで高知市九反田の借家にいます。
 午前中、引越しの準備をして少し寝たら、そのまま夕方まで寝てしまいました。
 食材を買いにいって、食事をして…。
 ひよいと庭を見たら、ハクモクレンが咲いていました。
 この間見たときには「まだまだ」という感じだったのに…。

 純白の 花の盛りは 短くて
 息つめて咲く
 ハクモクレンは

 山崎ハコさんのアルバム「私が生まれた日」を聞きはじめました。

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四国、よいとこ 2014 高知市 僕が、初めて電話をかけた時のこと。

 二〇〇七年二月二十六日。

 高知県伊野町の、わが家には電話がありませんでした。
 僕が初めて自分の意思で電話をかけたのは高知市の高校の二年生の夏のことでした。

 その夏、僕は高知市桟橋にあった四国コカ・コーラボトリングでアルバイトをしていました。
 アメリカ文化の日本侵略の手先をしているようで、かなり抵抗はありました。しかし、これも授業料、生活費のためです。
 小学生の時から新聞配達のアルバイトをやり、高校に入ってからは家庭教師もやってきましたが、「稼ぐ」ということには魅力がありました。

 事務所より駐車場が広い所で、駐車場に箱に入ったコカ・コーラが積み上げてありました。
 コカ・コーラを満載した専用トラックに運転手とアルバイトの助手二人(?)がセットで働きました。
 出発前に金属製の頑丈なクーラーにコカ・コーラをいっぱい詰め込みました。途中で三人で飲むためのものです。
 店に到着すると両手にコカ・コーラの木箱を持って運びます。
 だらだらと流れる汗。次々とコカ・コーラを空けました。うっまーいいいー。
 楽しみだったのは昼休みの休憩。
 日陰にトラックを止めて窓を開け放って寝ました。
 この会社の所長の息子だった同級生の大西君、同級生の小池倍夫(ますお)君も一緒に、このアルバイトをしました。同志社大学の痩せた学生もいましたね。

 横道に入ってしまいましたが、その仕事で出先から事務所に連絡しなくてはならなくなって公衆電話から電話をしました。そのころもたぶん一通話十円だったと思います。
 十円をコトンと入れて、ダイアルを回して……。
 なんだか、どきどきしながらの行為だったことを覚えています。

 うちの娘、息子たちにとっては生まれた時から家に電話があって、「初めて電話した時」なんて印象はないと思います。

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四国、よいとこ 2015 高知市 独立してからも、しばらくは電話機は夢でした。

 二〇〇七年二月二十六日。

 独立した僕の所に電話がきたのはいつだったのでしょうか。

 初めは高知市の二階の二畳一間のアパートでした。
 上京してからは渋谷区の寮、練馬区の美容室の二階の一室のアパート。結婚してからも、ここにいました。
 そして、文京区にあった練馬区の教員住宅に。
 ここで電話を引きました。
 府中市の家に引っ越してからも電話はあります。
 携帯電話も使うようになりました。

 僕のほうは、一昨年、高知市九反田に引っ越しましたが、ここでは携帯電話のみ。
 いま、高知市の東部に引っ越しつつありますが、ここでは光の電話になります。

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四国、よいとこ 2016 高知市 「歌は悲しき時の母ともなり うれしい時の友ともなれば…」 「北辰斜めに」の「巻頭言」。

 二〇〇七年二月二十六日。

 珍しく全国の旧制高等学校の寮歌を聞いています。

 鹿児島県の第七高等学校の「北辰斜めに」は、高校時代から親しんできた歌ですが、きょうは「巻頭言」の一節にひかれました。

 「歌は悲しき時の母ともなり うれしい時の友ともなれば いざや歌わんかな我らが豪気(ごうき)の歌…」

 北辰斜にさすところ (七高第十四回記念祭歌)
 簗田勝三郎作詞・須川政太郎作曲

 《巻頭言》
 流星落ちて住む処、橄欖(かんらん)の実の熟るる郷(さと)
 あくがれの南(みんなみ)の国につどいにし
 三年(みとせ)の夢短しと結びも終えぬこの幸を、
 或いは饗宴(うたげ)の庭に或いは星夜の窓の下に、
 若い高らう感情の旋律をもて思いのままに歌い給え、
 歌は悲しき時の母ともなり嬉しき時の友ともなれば。

 北辰(ほくしん)斜にさすところ
 大瀛(たいえい)の水洋々乎(ようようこ)
 春花(はるはな)薫る神州の
 正気(せいき)は罩(こも)る白鶴城(はっかくじょう)
 芳英(ほうえい)永久(とわ)に朽(くち)せねば
 歴史も古りぬ四百年(しひゃくねん)

 紫さむる黎明(しののめ)の
 静けき波に星数え
 荒涼の気に咽(むせ)ぶとき
 微吟消え行く薩摩潟(がた)
 不屈の色もおごそかに
 東(ひがし)火を噴(は)く桜島

 悲歌に耳藉(か)す人もなく
 沈み濁れる末の世の
 驂鸞(さんらん)の夢よそにして
 疾風迅雨(じんう)に色さびし
 古城の風に嘯(うそぶ)ける
 健児七百意気高し

 南の翼(つばさ)この郷(さと)に
 三年(みとせ)とどまる鵬(ほう)の影
 行路(ゆくて)は万里雲湧きて
 雄図(ゆうと)もゆる天(あま)つ日や
 首途(かどで)の昔叫びにし
 理想の空に長駆(ちょうく)(注)せん

 ああ若き日の光栄は
 今年十四の記念祭
 祝うもうれし向上の
 旅の衣にちりかかる
 樟(くす)の下露清けらく
 今日南溟(なんめい)の秋にして

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四国、よいとこ 2017 「感動をありがとう 僕が出合った歌たち」 その一 「元気を出して」。

 二〇〇七年二月二十六日。

 薬師丸ひろ子(やくしまる・ひろこ)さんとの出会いは、彼女の出た映画「野性の証明」ででした。
 この映画は、一九七八年の公開です。
 当時、僕は、東京都にいました。公開されて、すぐに見たと思います。
 彼女は、一九六四年六月九日生まれ。当時は中学生だったのではないでしょうか。

 「すごく変わった、魅力的な声の女の子だな」
 それが僕の第一印象でした。
 彼女の声を「透明感のある声」と表現する人もいますが、僕は、いまだにどう表現していいかわかりません。
 歌手としての彼女がとっても好きです。
 CD、ビデオと、かなり買いました。

 やっぱり、「元気を出して」(作詞・作曲・竹内まりやさん)が僕の一番のお気に入りです。

 ♪ 涙など見せない強気なあなたを
   そんなに悲しませた 人は誰なの?
 
 薬師丸さんは、九一年、結婚。九八年、離婚。
 そして、二〇〇六年、八年ぶりにテレビの音楽番組に出演しました。
 一度も直接には会ったことがありませんが、何か「元気かい。元気に歌ってね」と声をかけたい相手です。

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2007.02.28

四国、よいとこ 2018 高知県 読めますか、この駅名。薊野、土佐一宮、布師田、後免、立田、西分、和食、穴内、唐浜…。

 二〇〇七年二月二十七日。

 午前十時九分発、の高知発、奈半利(なはり)いきの「ワンマン列車」に乗りました。
 一両で、車掌も乗っています。
 右手にデッキのコーナーがある車両です。きょうは雨模様ですが、晴れの日はいいでしょうね。
 ピンクの梅の花。ハクモクレンの花。ナノハナの黄色の花、赤いツバキの花、白い梅…。車窓から花見をしています。
 それにしても、県外の人にとっては読みにくい駅名が多いかもしれませんね。
 薊野(あぞうの)、土佐一宮(とさいっく)、布師田(ぬのしだ)、土佐大津、後免(ごめん)。ここまではJR四国。以降は、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線。後免町、立田 (たてだ)、野市(のいち)、よしかわ(吉川)、あかおか(赤岡)、香我美(かがみ)、夜須(やす)、西分(にしぶん)、和食(わじき)、赤野(あかの)、穴内(あなない)、球場前、安芸(あき)、伊尾木(いおぎ)、下山、唐浜(とうのはま)、安田、田野(たの)。

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四国、よいとこ 2019 高知県室戸市 白や黄色の「紙の花」。

 二〇〇七年二月二十七日。

 なかなかバスがきません。
 で、奈半利駅の近くの「物産館」を見物。おにぎりとキスの天ぷらを買い込んで昼食。
 おっ、バスがきました。
 午後零時二十二分発で、まずは室戸市のディープシーワールドまでいきます。

 バスの窓から見ていると左手の木々に白や黄色の「紙?の花」が咲いています。
 ビワの実をくるんでいるのだということです。

 白と黄色では、効果が違うのでしょうか。

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四国、よいとこ 2020 高知県東洋町 高知市を午前十時九分に出て東洋町に着いたのが午後三時半!!!

 二〇〇七年二月二十七日。

 バイクめげ
 交通機関の ぜい弱が
 身にしみている バスに揺られる 

 やっと東洋町に着きました。午後三時半です。
 修理に出してあったオートバイを取りにいって、即、仕事に。
 ビジネスホテルに入ってからも仕事。
 午前二時、終了。やっほー。

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四国、よいとこ 2021 高知県室戸市 黄と白の「花」の映像。

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 二〇〇七年二月二十八日。

 いい天気です。
 オートバイで東洋町から高知市に帰ります。
 途中、室戸市で黄、白の「花」の写真を撮りました。

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四国、よいとこ 2022 高知市 僕の新居の美木が切られてしまいました。

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二〇〇七年二月二十八日。

 二月二十八日夜です。
 高知市大津の新居にやってきていてます。

 きょうの午後、東洋町から、ここに着いてびっくりしました。
 弟と住むことになっている新居の一番立派な木が切られていたのです。
 「なぜ」という感じです。

 前々日に弟と話し合いました。
 弟は「この木のせいで家が陰になっているので、この木を切りたい」と、いいました。
 僕は「この木が何の木かもわからない。甘い実をもたらす木かもしれない。とにかく、しばらく見てみてからにしてはどうだろう。その前に、庭の畑を整備してはどうだろう」と、いいました。

 二十八日夜、弟と話し合いました。
 「なぜ、切ったの」
 弟は「畑は整備した。この木は邪魔なので。あんたも賛成したでしょ」。
 僕が、いつ、この木を切ることに賛成したというんだ。

 いろいろ二人で議論して確認しました。
 とにかく議論するときは、おたがいに、相手が勝手な解釈をする余地がないように「賛成」「反対」をきちんといって、意思を確認しあおう。
 今夜の確認事項です。

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