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2007.02.17

四国、よいとこ 1993 高知市 「国運」「国民全体の責任」という言葉で侵略戦争推進の側に立った歌人・与謝野晶子さん。

 二〇〇七年二月十七日。

 雨の中、オートバイで走って風邪をひいてしまいました。
 今晩は、ゆっくり寝るつもりです。

 ところで四国新聞十六日付に歌人・与謝野晶子さんの香川県高松市の明善高等女学校(現・英明高校)の教諭・椎名六郎さんへの手紙についての記事が載っていました。
 一九三二年二月一日には前年の「満州事変」など中国における昭和天皇の軍隊の軍事行動に触れた部分があるそうです。

 「日支事件のため国運の未来が刻々に案ぜられ申し候。軍閥が始めしことながら、かくなれば国民全体の責任を辞し難く候。何とぞ禍(わざわい)を転じて福に致したく候」

 彼女が「国運」を論じ、「国民全体の責任」という論理で侵略戦争推進の側に立っていく姿がよくわかる文章です。

 この過程については、この文勝の左の「侵略戦争と与謝野晶子さん」をクリックしていただければ、僕の、この問題についての到達点がつづってあります。
 そこにも書いてありますが、彼女は、この年の「日本国民 朝の歌」(同年六月『日本国民』別巻「日本女性」)で、「責任感」を論じ「たとへば我れの此歌も、 破壊筒をば抱きながら 鉄条網にわしり寄り 投ぐる心に通へかし。」としています。
 以下、その全文です。

 ああ大御代の凜凜しさよ、
 人の心は目醒めたり。
 責任感に燃ゆる世ぞ、
 「誠」一つに励む世ぞ。

 空疎の議論こゑを絶ち、
 妥協、惰弱の夢破る。
 正しき方(かた)に行くを知り、
 百の苦難に突撃す。

 身は一兵士、しかれども、
 破壊筒をば抱く時は、
 鉄条網に躍り入り、
 実にその身を粉(こ)と成せり。

 身は一少佐、しかれども、
 敵のなさけに安んぜず、
 花より清く身を散らし、
 武士の名誉を生かせたり。

 其等の人に限らんや、
 同じ心の烈士たち、
 わが皇軍の行く所、
 北と南に奮ひ起つ。

 わづかに是れは一(いつ)の例。
 われら銃後の民もまた、
 おのおの励む業(わざ)の為め、
 自己の勇気を幾倍す。

 武人にあらぬ国民も、
 尖る心に血を流し、
 命を断えず小刻みに
 国に尽すは変り無し。

 たとへば我れの此歌も、
 破壊筒をば抱きながら
 鉄条網にわしり寄り
 投ぐる心に通へかし。

 無力の女われさへも
 かくの如くに思ふなり。
 況(いはん)やすべて秀でたる
 父祖の美風を継げる民。

 ああ大御代の凜凜しさよ、
 人の心は目醒めたり。
 責任感に燃ゆる世ぞ、
 「誠」一つに励む世ぞ。

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