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2007.05.22

四国、よいとこ 2219 高知市 介良(けら)の鉢伏山(はちぶせやま)も戦場だったんですね。

 二〇〇七年五月二十ニ日。

 高知市介良(けら)も、あのとき戦争の真っ只中にいたんですね。
 「しんぶん赤旗」十二日付、中国・四国のページに載った高知市の介良在住の竹村昭三さん(78)へのインタビューを読んで、そう思いました。

 こんなことが書いてありました。


 生まれたのも今の介良の家です。
 松山海軍航空隊の飛行練習生でした。復員したのが一九四五年八月三十一日でした。
 家の南の鉢伏山(はちぶせやま。標高二一二・九㍍)にはふもとから頂上近くまで横穴の壕(ごう)が掘られていました。山を切り開き、田んぼをつぶして物資を運ぶ広い道がついていました。
 本土決戦に備えて四五年四月から、高知市から春野町にかけて陸軍の約二万人の兵が展開していました。その錦兵団(第一一師団)の司令部が、この山のふもとにありました。たくさんの農家に兵隊が住んでいたといいます。
 この山の頂上からは南に太平洋を望めます。
 同年八月十五日の終戦がもっと遅れていたら、アメリカ軍が太平洋から上陸し、介良でも陸上戦がおこなわれていたかもしれないのです。
 近くに旧介良村の「忠霊塔」があります。
 ここにまつられている戦死者は日露戦争は八人、日中戦争は六人、太平洋戦争は八十三人です。
 日露戦争の時、二百三高地で戦死した祖父も入っています。私の介良国民学校の同級生も二人戦死しています。私の家の地域・藪多(やぶおおし)には八世帯ありましたが、三世帯から六人が戦死しています。
 地域の、夫が戦死した女性は「こういう私のような人は、私を最後にしてちょうだいね」といいます。本当に、そうだと思います。

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