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2007.05.21

四国、よいとこ 2206 愛媛県伊方町 「大東亜戦争九軍神慰霊碑」の「九軍神」とは。

 二〇〇七年五月二十日。

 伊方町の旧・瀬戸町の「須賀の森」の「大東亜九軍神慰霊碑」について。
 「九軍神」のことをメモしておきます。

 ● 一九四一年十二月八日、昭和天皇は太平洋戦争の開戦を布告しました。
 「詔書
 天佑を保有し萬世一系の皇祚を踐たる大日本帝国天皇は昭に忠誠勇武なる汝有衆に示す。
 朕茲に米国及英国に対して戦を宣す。朕が陸海将兵は全力を奮て交戦に従事し、朕が百僚有司は励精職務を奉行し、朕が衆庶は各々其の本分を尽し、億兆一心国家の総力を挙げて征戦の目的を達成するに遺算なからむことを期せよ。
 抑々東亜の安定を確保し、以て世界の平和に寄与するは丕顕なる皇祖考丕承なる皇考の作述せる遠猷にして、朕が挙々措かざる所、而して列国との交誼を篤くし、万邦共栄の楽を偕にするは、之亦帝国が常に国交の要義と為す所なり。今や不幸にして米英両国と釁端を開くに至る、洵に巳むを得ざるものあり。豈朕が志ならむや。
 中華民国政府、曩に帝国の真意を解せず、濫に事を構へて東亜の平和を攪乱し、遂に帝国をして干戈を執るに至らしめ、茲に四年有余を経たり。幸に国民政府更新するあり、帝国は之と善隣の誼を結び相提携するに至れるも、重慶に残存する政権は、米英の庇蔭を恃みて兄弟尚未だ牆に相鬩くを悛めず。米英両国は、残存政権を支援して東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿れて東洋制覇の非望を逞うせむとす。剰へ与国を誘ひ、帝国の周辺に於て武備を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有らゆる妨害を与へ、遂に経済断交を敢てし、帝国の生存に重大なる脅威を加ふ。朕は政府をして事態を平和の裡に回復せしめんとし、隠忍久しきに彌りたるも、彼は毫も交譲の精神なく、徒に時局の解決を遷延せしめて、此の間却つて益々経済上軍事上の脅威を増大し、以て我を屈従せしめむとす。斯の如くにして推移せむか、東亜安定に関する帝国積年の努力は、悉く水泡に帰し、帝国の存立亦正に危殆に瀕せり。事既に此に至る。帝国は今や自存自衛の為、蹶然起つて一切の障礙を破砕するの外なきなり。
 皇祖皇宗の神霊上に在り。朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚し、祖宗の遺業を恢弘し、速に禍根を芟除して東亜永遠の平和を確立し、以て帝国の光栄を保全せむことを期す。
 御 名 御 璽」

 ● すでに昭和天皇の侵略は始まっていました。
 アメリカの真珠湾への攻撃には、海軍の特殊潜航艇もくわわっていました。
 この特殊潜航艇は、甲標的甲型といわれるものです。
 艦首に直径四十五センチの九七式魚雷を二本搭載する乗員二人のものです。全長、二十四メートル。全幅、一・八五メートル。水中航続距離、百四十八キロメートル。航続距離は短く、操縦性も悪く、電池を使い切ってしまえば動けなくなものでした。一度出撃してしまえば帰還することが期待できない兵器でした。
 これを潜水艦から発射し、アメリカ艦隊を攻撃しようというのです。
 乗員は、愛媛県西宇和郡瀬戸町に面した三机湾で訓練にしたといいます。

 ● 真珠湾攻撃に特殊潜航艇五艇で出動した乗員は、士官五人、下士官五人でした。一艇に、士官、下士官が一人ずつ乗り組みました。
 伊号潜水艦から発射された特殊潜航艇は、一艇も攻撃に「成功」しませんでした。
 九人は戦死。一人は、アメリカ軍の捕虜になりました。
 このとき、母艦から発進しようとした酒巻和男少尉(徳島県阿波郡阿波町林の出身)、稲垣清二等兵曹の艇は、ジャイロコンパス(羅針儀)が故障しているのが分かっていました。しかし、酒巻少尉は出撃します。海底で悪戦苦闘し、結局、ベローズ基地の沖合いで艇を捨て海岸まで泳ぎ着こうとしました。稲垣二等兵曹は、このとき水死します。酒巻少尉は浜辺に泳ぎ着き、倒れているところをパトロール中のアメリカ兵に見つかりました。

 ● 翌四二年三月六日、この作戦のことや戦死した九人の氏名などが発表されました。いずれも二階級進級していました。
 岩佐直治中佐(群馬)
 古野繁実少佐(福岡)
 横山正治少佐(鹿児島)
 広尾章大尉(佐賀)
 佐々木直吉少尉(島根)
 横山薫範少尉(鳥取)
 稲垣清兵曹長(三重)
 上田定兵曹長(廣島)
 片山義雄兵曹長(岡山)
 (階級は二階級進級後のものです。佐々木少尉以下は生前は下士官です)
 航空攻撃によってアメリカ軍艦アリゾナが爆沈したのを、この九人の戦果として発表しました。
 アメリカ軍の捕虜になった酒巻和男少尉のことには何も触れられていませんでした。
 ラジオ、新聞、雑誌、映画、小説は九人の戦死者を「いくさがみ」と絶賛しました。
 たとえば、発表の翌日の朝日新聞は「殉忠古今に絶す軍神九柱」「偉勲輝く特別攻撃隊」「九勇士ニ階級を特進」という見出しをかかげました。
 出撃直前に内地で写した十人の集合写真から酒巻少尉を削除されていました。
 新聞に載せられた、この写真は、上段に四人の士官、下段に五人の下士官ということになっています。
 作家・獅子文六さんは、本名の岩田豊雄で横山少佐をモデルにして、朝日新聞に連載小説を書きました(四二年七月~十二月)。
 この年、「九軍神」を讃える軍歌として「特別攻撃隊」(選詩・読売新聞社、作曲・東京音楽学校)、「嗚呼(ああ)特別攻撃隊」(作詞・米山忠雄、作曲・若松 巌)がつくられました。
 「軍神」の生家には「軍神之家」の標札が掲げられ、各地から軍神詣での人々が訪れました。

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