« 四国、よいとこ 2213 愛媛県伊方町 佐田岬の灯台周辺が立ち入り禁止だったころ その五 鑑札がないと出入りできない所。 | トップページ | 四国、よいとこ 2215 高知市大津 何か家の中が片付きません。 »

2007.05.22

四国、よいとこ 2214 愛媛県伊方町 佐田岬の灯台周辺が立ち入り禁止だったころ その六 佐多岬砲台関連の年表。

 二〇〇七年五月二十一日。

 「南海日日新聞」の連載「戦争、その日 佐田岬・豊予要塞」を参考にして佐多岬砲台関連の年表をつくりました。

 ● 一九一五年、佐多岬灯台の建設の工事が始まりました。
 ● 一九一八年四月一日、佐多岬灯台が発点滅。
 ● 一九一九年、「要塞整備要綱」が決定され、豊予要塞の新設が予定されました。
 ● 一九二四年九月、佐田岬第一砲台(灯台の北東)を起工。
 ● 一九二六年八月、大分県佐賀関町に豊予要塞司令部を設置。
 ● 同年十一月、佐田岬第一砲台が竣工。
 ● 同月、佐田岬第二砲台(さらに北東)が起工。
 ● 一九二七年十月、佐田岬第二砲台が竣工。
 ● 一九三四年二月、佐田岬第二砲台の備砲・七年式三十糎短榴弾砲四門を撤去し、「攻城砲」に転用しました。
 ● 一九四一年、下関要塞から豊予要塞に一個中隊約百二十人の歩兵が派遣され、そのうち一個小隊(数十人)が佐田岬砲台に配置されました。
 ● 一九四一年十二月八日、昭和天皇が太平洋戦争を開始。
 ● 同月二十日、要塞部隊が臨時編成を命じられます。
 ● 同月末、佐田岬砲台に重砲兵第十八連隊の第五中隊約百人が増強配備されました。
 ● 一九四二年一月十三日、要塞部隊が臨時編成を完結。
 要塞部隊は西部軍に属しました。司令部は大分県佐賀関町に設置。司令官は三宮満治陸軍少将。兵員は、重砲兵連隊千百九十三人と馬四十九頭。陸軍病院も建設されていました。装備火砲は、三十加砲二基、十五加砲四基、十二速加砲四基、九速加砲四基、野砲(三八式)十基でした。
 うち佐田岬第一砲台には七年式十五糎加農砲四基が装備されていました(その後、同砲台の火砲は十二榴散弾式四基に変わりました)。
 ● 一九四二年、佐田岬第二砲台が廃止されました。
 ● 一九四二年六月十九日、同要塞守備隊は、第十六方面軍戦闘序列に編入され、熊本師管区司令部の指揮下に入りました。
 ● 一九四四年十月、佐田岬第一砲台の七年式十五糎加農砲四基が撤去され、鹿児島県志布志湾西側入口の高崎砲台に移設されました。
 ● 一九四五年二月、佐田岬の灯台下、御籠島(大島)に砲台が建設されました。
 ● 同年六月、佐田岬の灯台下の砲台の建設中に事故で三人の兵隊が死亡。
 ● 同月、豊予要塞司令部は独立混成百十八旅団に編成され、佐田岬砲台には、独立歩兵第七百十六大隊の役九百人の歩兵が配備展開しました。砲兵、工兵、通信兵をふくめると約千人の兵員が配備されていました。

|

« 四国、よいとこ 2213 愛媛県伊方町 佐田岬の灯台周辺が立ち入り禁止だったころ その五 鑑札がないと出入りできない所。 | トップページ | 四国、よいとこ 2215 高知市大津 何か家の中が片付きません。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30274/15163384

この記事へのトラックバック一覧です: 四国、よいとこ 2214 愛媛県伊方町 佐田岬の灯台周辺が立ち入り禁止だったころ その六 佐多岬砲台関連の年表。:

« 四国、よいとこ 2213 愛媛県伊方町 佐田岬の灯台周辺が立ち入り禁止だったころ その五 鑑札がないと出入りできない所。 | トップページ | 四国、よいとこ 2215 高知市大津 何か家の中が片付きません。 »