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2007年6月

2007.06.01

「人生で 一番いいとき 今かもね」

 二〇〇七年六月一日。


 「人生で 一番いい時 今かもね」
 知力、意欲の
 六十の歳

 今、午前二時前です。

 こんなことを考えました。

 何か、これまでより、世の中が見わたせるようになってきたなという感じがしています。
 失われていっているものもたくさんあるのは承知しています。
 瞬発力などです。
 しかし、体の内からは知的なエネルギーがわきあがっています。
 このことを知りたい、このことをなしとげたい、これを果たせずに死ねるか……という感じです。


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2007.06.03

「ロックかけ 独りで踊る この夜中…」。

 ロックかけ 独りで踊る この夜中
 六十歳は
 青春してる


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2007.06.05

「四つもの 仕事やり終え…」

 二〇〇七年六月四日。

 四つもの 仕事やり終え
 久々の わが休日が
 静かに終わる


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「わが胸の 紅蓮の炎 燃えさかる…」

 二〇〇七年六月五日。


 わが胸の 紅蓮(ぐれん)の炎 燃えさかる
 あの日のことを
 温めている


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「快活な 妻の電話が うとましく…」

 二〇〇七年六月五日。

 快活な 妻の電話が うとましく
 不機嫌声で
 早々に切る 


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「留守電に 高校の友 入ってて…」

 二〇〇七年六月五日。

 留守電に 高校の友 入ってて
 繰り返し聞く
 夜の独り家(ひとりや)


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2007.06.07

うたごえCDを聞きながら。

 二〇〇七年六月七日。


   うたごえCDを聞きながら

 センダンの 大学の庭
 「うたう会」
 音痴の僕が 歌い始めた

 夏の日の 代表派遣の カンパ箱 
 「原爆なくせ」の
 思い語って

 元兵舎 自治会室に 陣取って
 ビラを切ってる
 ガリ版の音

 すべり山 学生同志 集まって
 「地底(じぞこ)の歌」を
 教えてもらった

 夏の雨 市営グランド 襲う中
 友と腕組む
 「うたごえ」の宴

 ベトナムの 子を抱く母の 貯金箱
 僕も貯めたよ
 支援の思い

 すれ違い ゲバ棒人(げばぼうびと)に なったとか
 どうしているのか
 年下の彼


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2007.06.10

「日に十人 われらが思い 届けよう…」。「マイハンドマイク」を注文したよ。

 二〇〇七年六月九日。

 日に十人
 われらが思い 届けよう
 やり始めたよ 六月九日

 本日、電器店にいって個人用のハンドマイクを注文しました。


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「連れ合いが 転職したのに 知らせない…」。

 二〇〇七年六月十日。

 連れ合いが 転職したのに 知らせない
 どうなってるんだ
 われらが息子は

 妻が、息子の連れ合いに東京都国分寺駅の駅頭で偶然に会って、そのことを知ったといいます。
 僕たちの息子って…。


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2007.06.13

高知市桟橋通り二丁目 「高一の 長ーい髪の 同級生…」。

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 二〇〇七年六月十三日。

 高一の 長ーい髪の 同級生
 ここらに住んでた
 桟橋あたり

 桟橋通り二丁目を歩いていたら、どうやら彼女、NAさんの実家らしい家に出くわしました。
 一年の時はホームが一緒。ずーっとコースが一緒だったので三年間一緒に学んだという感じの人です。
 高校の同級生MO君と一緒になり、大阪市に住んでいます。
 その彼と再会したのは、確か、東京都練馬区の僕の部屋でやった東京都と、その近辺の高校の時の友だちの飲み会ではなかったかな。
 当時、彼女は病院勤務で、彼は東京大学の大学院生ではなかったかと思います。
 元気でいるかな、二人とも。
 写真は、桟橋通り二丁目で出合った花たちです。

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高知市大津 「ステーキ弁当 ありがたく食う」。

 二〇〇七年六月十三日。

 なるほどね
 こんなに薄く 切れるんだ
 ステーキ弁当 ありがたく食う
 
 夕方、高知市大津を歩いていて、何かへたへたとなってしまいました。
 そういえば昼食がまだでした。
 弁当の店に入って弁当と水を買い込み、近くの公園のベンチでがつがつ。
 うーん、元気、元気。


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高知市大津 「ご近所の 良心市で…」。

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 二〇〇七年六月十三日。

 ご近所の 良心市で
 ナス、キュウリ
 今夜の「アテ」を 抱えて帰る

 高知市大津の畑の所の良心市です。
 ナス五つ、百円。
 キュウリ五つ、百円。
 ナス五つは、早速、僕の手にかかりました。
 なべに油を引いて、指で縦に二つにしたナスを入れて焼く。
 そろそろ、いいにおいがしてきました。


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高知市大津 「夜になり 雨、しとしとと 降り始め…」。

 二〇〇七年六月十三日。

 夜になり 雨、しとしとと 降り始め
 ゲコ、ゲコ、ゲコも
 うれしそうだね

 四国地方は、梅雨(つゆ)入り。
 去年より五日遅いですね。

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2007.06.14

高知市大津 ヒマワリの種をまきました。

 二〇〇七年六月十四日。

 雨の中 買い込んできた
 ヒマワリの 種をまいてる
 さぁ、芽を出して

 夕方のことです。


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2007.06.15

ある男の十九歳の恋のこと。

200706015_019_1


 二〇〇七年六月十五日。

   ある男の十九歳の恋のこと

 突然に
 長い髪の娘(こ) 現れて
 「私も仲間よ。よろしく」という

 強烈な 夏のシャワーも 何のその
 君と腕組み
 うたごえの宴

 長マフラー 君と僕とを 包み込み
 送っていったね
 君の家まで

 好きなのに 兄貴のふりして ごまかして
 いい寄る男
 なぎ倒した日々

 年下の 女性(ひと)のバイトの 金借りて
 生きのびていた
 学生のころ

 いとおしい 思いに負けて
 とっけつに
 君のひたいに キスをした夜

 「結婚は?」「二十五くらいね」
 六年後!
 拒否と受け取り 身を引いた午後

 「もしかして。好きだったのかい。僕のこと」
 聞いてみたいが
 怖くて聞けない

 たしなめて 昔のように さとす女性(ひと)
 りりしい顔の
 十九の口調

 雨の中 りんと咲いてる 花がいる
 元気かい、君
 僕は、しょぼくれ

 短歌にはフィクションもありとのことです。

 写真は、本日、オートバイで走っていていて出合った花です。


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2007.06.17

庭の畑で弟が育てたナス三つを焼いて食べました。

 庭どれの ナス焼いている 朝のこと
 産地との距離
 十メートルか

 二〇〇七年六月十七日。

 昨日は、いい天気でした。
 午前中からオートバイ、そして乗用車に同乗と高知市内を走りました。
 夜、家に帰って、よいしょと座いすに座ってたゆたっていたたら、そのままスースー。
 起きたら、かなりの時間で、何にもできずにベッドへ。
 うーん。残念。

 朝、庭の畑で弟が育てたナス三つを焼いて食べました。
 おいしい。
 なんせ、産地が目の前ですから。
 僕がプランターや庭の畑に植えたものは、いまだに収穫なし…。

 さーて。仕事にでるか。
 外は雨。


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2007.06.18

高知市大津 「庭どれの キュウリのトゲを 洗いとり…」。

 二〇〇七年六月十八日。

 庭どれの キュウリのトゲを 洗いとり
 ガリガリガリと
 食っている朝

 出るまでに あと半時間
 そうじ、洗たく…
 主夫は面倒

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2007.06.19

高知市 魚の干物の切り方の違い。あなたの地方は…。

 二〇〇七年六月十八日。

 今夜、魚の干物の切り方が地域によって違うことを知りました。
 高知で一般的なのは頭は切らず、「肩」から切っています。
 でも、地方によっては頭を真っ二つに切って…という所があるそうです。

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2007.06.21

高知市大津 「いくつかの 新しい本 携えて…」。

 二〇〇七年六月二十日。

 いくつかの 新しい本 携えて
 高知に着いたよ
 日帰り出張

 早朝、高知市大津の自宅からオートバイで市内の事務所に走って一仕事して、高知駅から広島市へ。
 帰り着いたのは午後十一時半でした。


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2007.06.23

高知市大津 「この峰を クリアしないと かたづかぬ…」。

 二〇〇七年六月二十三日。

 「この峰を クリアしないと かたづかぬ」
 思い悩んで
 夢さめた朝

 午前六時起床。
 夢に疲れて、もう少し寝なおしました。


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香川県高松市 ビジネスホテルの部屋の鏡の前での百面相。

 二〇〇七年六月二十三日。

 パソコンの 作業の合い間
 鏡の前で 百面相
 深夜のホテル

 いま高松市のビジネスホテルです。
 夜中ですが、なぜか、仕事は、まだ終わりません。
 デスクの目の前が鏡。
 いやーっ、真っ黒に日焼けした顔です。
 ほっぺたが、もう少し落ちれば精かんないい顔だと思うのですが…。
 

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2007.06.26

高知市 「おーい、君も B29を見たのかい」。

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 二〇〇七年六月二十六日。

 「おーい、君も B29を見たのかい」
 公園の木を
 仰ぎ見る、初夏。

 なぜか、こう 平和の思い わき上がる
 終戦の夏
 出発の夏

 昨夜から東京の妻が高知市大津のわが家にやってきています。
 で、きょうは休み。
 しかし、午前中は昨日の仕事の続き。
 正午から午後三時半までビラ配布。
 午後五時から仕事。
 というわけで、休みやら仕事やら…。
 夕方、二十分くらい時間が空いて、高知市の中島町公園でゆったりした時間を過ごしました。
 大きな木が五本。
 たぶん、七十年以上は生きているのではないでしょうか。

 【参考】

 B-29 (爆撃機)

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から。

 B-29は、第二次世界大戦末期から朝鮮戦争期のアメリカの主力戦略爆撃機。
 中型爆撃機構想から発展したB-17と異なり、最初から長距離戦略爆撃を想定して設計された。
 当初は陸軍戦略航空軍所属であったが、1947年に空軍の独立と共に空軍に移管。
 設計・製造はボーイング社、中翼単葉プロペラ4発の大型爆撃機である。
 爆弾の搭載量は最大9トン。航続距離は4,585km。ニックネームは「超空の要塞(スーパーフォートレス /Superfortress)」 。
 アメリカ陸軍の航空部門は、第二次世界大戦が始まる5年前の1934年5月に超長距離大型爆撃機開発計画「プロジェクトA」を発足させた。
 これは1トンの爆弾を積んで8,000km以上を飛ぶことができる爆撃機を作る計画で、長距離渡洋爆撃を想定していた。
 B-29はこの構想の中から生まれた機体で、1938年に完成した試作機(ボーイングXB-15)から得られた種々のデータや、新しい航空力学のデータをもとに設計製作された。
 1940年6月27日(ヨーロッパでの戦争は始まっていたが、真珠湾前なのでアメリカは参戦していなかった)XB-29が発注され、1942年9月21日に初飛行した。
 当初は中南米が主なターゲットとされていたとされる。中南米にナチスドイツの同盟国が出現したりナチスドイツの占領下におかれた場合への、アメリカ本土の防衛策として開発された。その航続距離は、ベネズエラ・赤道ギアナ付近を想定したものであった。
 従来の飛行機は高空を飛ぶ場合、空気が薄くなる対策として乗員・乗客に酸素マスクの装備が必要であった。 B-29は、室内を海面に近い空気圧に保ち快適に飛行できる与圧室を装備しており、乗員は通常酸素マスク無しで搭乗していた。
 遠隔操作により、機銃操作員が銃塔内から窓越しに見える敵迎撃機に向かって機銃を操作する事はなくなった。
 その結果機銃砲塔が非常にコンパクトになっている。 火器管制装置の搭載により非常に高い練度を必要とする見越し射撃を誰でも行えるようになった。
 敵迎撃機を照準機のレティクルの中に捉えるだけで、火器管制装置が自動的に弾道計算して発砲するという優れたシステムであった。
 この結果、従来の爆撃機に搭載された防御砲火と比較して命中率が驚異的に向上し、敵迎撃機はうかつに接近する事もできなかった(後にB-29の強敵となるMig-15戦闘機ですら、この強力な防御砲火は極めて脅威であった)。
 1944年4月にヨーロッパ経由でインドに集結、1944年6月から中国内陸部の成都基地より九州・満州・東南アジア方面に爆撃を行った。
 1944年11月以降は、マリアナ諸島のサイパン島およびグアム島から日本本土のほぼ全域に対する戦略爆撃を行った。
 最初は爆撃対象を軍施設や軍需工場に限定して高高度からの精密レーダー照準爆撃であったがジェット気流の影響により目標からはずれることも多かった。
 1945年に入りアメリカ空軍のカーチス・ルメイが、前任アーノルドが消極的と判断されて指揮官となると、「日本の継戦能力を根本から絶つ」として、爆撃対象は軍・民間を問わなくなり、低高度からの夜間無差別絨毯爆撃を開始した。総計14万から17万トン(諸説あり)の爆弾を東京・大阪をはじめ、日本各地の都市に対して絨毯的に投下し、主要都市を焦土化した。
 原爆投下後のエノラ・ゲイ都市の住民8万人近くが焼死あるいは重傷・罹災等になった東京大空襲や、大阪大空襲は、B-29の重要な戦果とされる。
 さらに日本各地の港湾・航路に空中投下機雷を散布し、国内航路に大打撃を与えた。特に関門海峡には多くの機雷が投下された。
 当初は数十機編隊で、1機あたり爆弾の搭載量も2~3トンであったが、1945年になると5~6トンを搭載するようになり、終戦近い頃にはB-29とそれを護衛する戦闘機の集団約500機(戦爆連合とも)で来襲するようになった。
 広島市・長崎市に、原子爆弾(新型爆弾)を投下し、数十万人の市民が被災した。
 広島市に原子爆弾を投下したB-29はエノラ・ゲイ、長崎市に原子爆弾を投下した機はボックスカーと呼ばれる。広島にはウラン型の「リトルボーイ」が、長崎にはプルトニウム型の「ファットマン」が投下された(詳細は広島市への原子爆弾投下、長崎市への原子爆弾投下参照)。
 初期以来の精密爆撃や末期の原子爆弾投下および偵察飛行において、B-29は本来の性能を発揮できる高高度(9000~10000m)で行われた。
 日本を空襲するB-29飛行機の品質が低下し純度の高い燃料の入手が無理な日本の戦力では、高空を飛行するB-29を迎撃する事は至難であった。
 迎撃には単座戦闘機鍾馗・飛燕・雷電・紫電改などが使用されたが、1万m以上の高空では排気タービンをつけたB29の方が高速であり、追いつくのも困難であった。
 このため待ち伏せの体当たりが主流となってゆく。
 夜間爆撃は低空侵入だったので斜め20mm砲を装備した双発の月光、屠龍等が撃墜の成果を挙げた。
 1945年3月に硫黄島がアメリカ軍に占領され、護衛戦闘機P-51が随伴するようになると、双発機は使用できず日本軍迎撃機によるB-29の撃墜は一段と困難になった。
 カーチス・E・ルメイが戦術変更して以来、B-29の空襲は主に夜間に行われるようになり、夜間は日本側の単座戦闘機が飛べないので2~3千メートルまで降下して絨毯爆撃を加えるようになった。
 センチメートル波の小型機上レーダーはおろか、各機を管制する防空システムがない日本側では効果的な迎撃を行うことができず、パイロットは寒さの中で、夜間戦闘機が爆撃の火災に照らし出されるB-29を発見・攻撃する状態であり、灯火管制の中止を要求する飛行隊もあった。
 日本側の戦闘機による迎撃能力が問題にならないことに気づいたアメリカ側は、東京大空襲の際には、低高度での有効な対空兵器のない日本の首都にたいして、高度300Mで進入爆撃した。
 B-29の後部銃座以外の防御火器を撤去し、砲塔の跡はジュラルミンで塞ぎ通常より多い6トンの高性能焼夷弾を搭載し攻撃した。

 
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高知市 あの「地球33番地」に立ちました。

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 二〇〇七年六月二十六日。

 「おお、ここが 33番地か」
 川の中
 地球の点に たたずんでいる

 仕事の帰りに、前からいきたかった「地球33番地」にいきました。
 高知市江ノ口川付近にある、東経133度33分33秒、北緯33度33分33秒と3が12も並ぶ地点です。
 川の中に、こんなモニュメントがありました。

 
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2007.06.29

高知市 「真夜中に 話り合う人 求めてる…」。

 二〇〇七年六月二十九日。

 真夜中に
 話り合う人 求めてる
 どっかにいないか バカいえる人

 
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