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2007年7月

2007.07.02

高知市大津 「目覚ましなんか ほっといて…」。

 二〇〇七年七月一日。

 よし、きょうは
 目覚ましなんか ほっといて
 ぐっすり寝よう あすは休日

 
  【お誘い】

  日常のドキュメント・「田辺島発」にも、どうぞ。
  http://fujihara.cocolog-nifty.com/tabesima/

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2007.07.06

高知市 平和への思いをしたためた短歌の総集編です。ご批評を乞う。

 二〇〇七年七月五日。

 高知県の平和を求める群像

義父、義母と掩体壕(えんたいごう)群見てる夏 侵略の日を照らす光景

戦争のおろかさ伝える掩体壕(えんたいごう) 機銃の跡に悲鳴聞いてる

特攻の訓練中に襲われて重症の床 義父の終戦

空襲で家も焼かれた十七歳 義母は「その時」、なにげに語る 

兵隊で何をしたかを語らずに 生涯終えた父の中国

わが母も風船爆弾すかされた 証言テープがどこかにあるはず

アメリカのイラク撤兵求めてる イベント続く帯屋町筋

あの日からピースライブは十四回 高知の人の確かな足取り

九条を守れの署名各戸ごと 訴える群れ清水も十和も

靴脱いでステージを跳ぶ十九歳 ロックの心は愛と平和と

土佐弁で平和の憲法読み上げる 二十二歳の穏やかな顔

出張の帰りの道脇 「平和像」しっかり建っててバイクを停める

「掩体壕(えんたいごう)文化財に指定して」 住民運動、ついに実った

青年に中年たちも手助けし 八時間もの平和のライブ

「平和だよ」 ブレイクダンスの青年も思いを込めて跳ぶよ、飛んでる

「あの人も、おおあの人も」名を連ね 九条守れの新聞広告

「九条をかえたらいかん」 自動車にはりつけ走る旧友がいる

公園に戦争するなの碑が並ぶ 高知の街の民衆の意気

僕たちを育ててくれた教師らの 「繰り返さぬぞ‥」の詩碑読みふける

詩の作者、どんな人かと尋ねてる 父の世代の反戦の意志

自社の壁、「輝け憲法!!」大書する社長のいるまち わが高知市は

焼け跡を飛び立ったのか折り鶴は 数十万羽がアーケードに舞う

「戦争いや」筆と墨とで伝えたい 紅真(こうしん)、着物で涼しげにいく

九条を守れの署名過半数 清水、大月 十和(とうわ)の村も

爆弾を乗せて突っ込む「震洋(しんよう)」の壕(ごう)残ってて やぶ分けている

占拠家の柱に残る刀傷 特攻兵の焦燥ゆえとか

わが町の勤評闘争調べてる 反対した人、賛成した人

勤評の同盟休校、写真見る 弟、どこかで笑っているはず

勤評に父、母、僕も弟も反対したこと 誇っているよ 

今度こそ戦争への道拒みたい 元校長ら名を連ねてる

勤評の大闘争が生きていて 教育長ら教育基本法(きほんほう)守れ

プラスター、改悪ノーと呼びかける はりまや橋の会期末朝

「♪戦争が起きないように」綾香、聞く 改悪法が通った翌朝 

戦争を聞き取る仕事「やりたいわ」 娘さんたち、みなチャーミング

老兵は戦争への道拒むため余命捧げる 年賀の思い

草の家、新事務局長二十二で 平和の思い引き継いでいる

被爆者の思いのたけをビデオにし発表するとか 青年やよし

駆け巡り平和の映画見せている 後輩のこと自慢にしてる
  
全校に空襲体験聞かせると 女性校長静かな情熱

戦死した夫のことを語る人 用水ぞいの独り住む家

子ども用、戦争柄のふとんなどずらりと並ぶ平和の展示

出征は母のおなかのときでした 六十三歳、、父を知らぬと

酒蔵の門前近く九条の看板をおく社長と語る

田のわきも国道ぞいも九条の看板が立つ安芸市を走る

空襲の犠牲者名簿もう二人 雨の野外の祈念式展

九条を太陽と呼ぶ歌聞いて 「しか、しか、しか」とひざを打ってる

母、娘、そのまた娘が踊ってる 平和の思いを世々引き継いで

戦争はやってはいかん六十年 九条守れの声満ちる年

九条を守れの攻防たけなわで日本共産党(とう)車はめぐる山も分け入り

来年は平和の仕事ビデオにし広めたいよね 友と語らう

パソコンで三十一文字(みそひともじ)を組み立てて「九条守れ」をブログにはなつ

  【注】 七月十七日に改善した内容です。


 
  【お誘い】

  日常のドキュメント・「田辺島発」にも、どうぞ。
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高知県津野町から、東洋町から。

 二〇〇七年七月五日。

 これも、総集編です。


    高知県津野町から、東洋町から


「受け入れの 意思示したら 二億円」 原発ゴミの 捨て場をあさる

六ヶ所の 核処理施設 見にきてね 七千円です 二泊三日で

「行革」の 言葉の魔力に とらえられ 核ゴミ誘致に 走る町議ら

町議らの 核ゴミ呼ぼうの 攻勢に 津野の山里 戦慄走る
 
日本共産党員(とういん)と 保守、無党派が 手を結び 核ゴミノーの 火の手が上がる

「兄貴はね 推進派だが」 自然派の 若い坊様 「核ゴミはいや」   

源流の 茶やグロリオサ 守りぬけ 核ゴミ入れるな 農家も立った

僕も、また グロリオサのごと 燃えたって 野にいたいもの 走りたいもの

エネ庁の 「地層処分」の 模型車が 戦車のように 役場に居座る

会場を あふれ出ていた 参加者が 核ゴミノーに 弾みをつける

核ゴミは いやだの歌も 快調で ピースライブは 雨吹き飛ばす
 
町議らは 「安全は無視」 「赤旗」の 議事録の記事 活路を開く

町民の 核ゴミいらぬの 切望が 町議の心 とらえ始めた

全議員 「誘致する」派の この議会 全員「やめた」 世論がおした

正副の 議長辞任で 責めを負い 核ゴミ誘致が ジ・エンドとなる

町長と 町議らが 手を結び 「核ゴミうちに」 サーフィンの町

核ゴミは 絶対いやと サーファーら 反対の声 役場に届ける

わが町の 「清ら」を守れ 年賀くる 東洋町の 良識を聞く

住民の 六割強が 署名した 「核ゴミ ノー」が 奔流(ほんりゅう)になる

町議らの 半数、いまや 核ゴミの 持ち込みノーの 旗をかかげる

六割の 反対知っていて 核ゴミを もってくる気か この町長は

「軍艦に 小舟で向かい 一矢(いっし)を」と 国家に向かい 人々は立つ
 
核ゴミの 持ち込み禁止の 条例つくれ 猛スピードで 署名集まる

核ゴミに 反対してる 女(おみな)たち 会場整理 一糸乱れず

貧乏は 耐えてみせるが 核のゴミ 絶対いやと 女(おみな)らの声

宍喰(ししくい)の 宿の主人も 核ゴミに 絶対反対 話が弾む

日本共産党衆院議員(とうぎいん) 海辺の町に はせ参じ 核ゴミノーと 涙の連帯

バッグにも 核ゴミノーの 意志をはる 女(おみな)のいる町 東洋町は

世の中は 変えられるぞと 信じきて 四十二年か 明日の策ねる

核ゴミの 町長辞任で チャンスきた 反対住民 その輪広める
 
選挙前 エネ庁部隊 乗り込んで 核ゴミOK ビラ乱れ飛ぶ
 
エネ庁が 「安全だよ」と ラッパ吹き 核ゴミいやの 世論固まる

「交付金 原発麻薬」の 日本共産党(とう)のビラ 核ゴミ勢力 あわてふためく

「核ゴミに 反対です」の 看板の 立ち並ぶ町 わがバイクいく

「核のゴミ いやだ」の候補 圧勝で サーフィンの町 深夜までわく

核ゴミを 拒否する町政 誕生で 通産大臣 あわてふためく

「核ゴミの 応募やめます」 電話する シーン撮ったよ シャッターいい音

サーファーの 核ゴミいやで 始まった 思いが実った 春の日うらら

「私たち ついにやったわ」 日本共産党(とう)候補 迎える町の 女(おみな)は陽気

核ゴミを 阻止したビデオ 高知市の 平和展でも 流されていた


 
  【お誘い】

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2007.07.09

「高知市大津の田辺島(たべしま)に住む」。

 二〇〇七年七月九日。

 やっと十首まとまりました。

   高知市大津の田辺島(たべしま)に住む


 貫之(つらゆき)も
 帰り船から 見ただろか
 いま地続きの 田辺島に住む

 庭どれの キュウリのトゲを 洗いとり
 ガリガリガリと
 食っている朝

 足元の 用水わけて
 サギたちが 飛び立っていく
 人は怖いか

 青稲穂 広がる農道
 歩きぬき
 「田辺島」という 電停に着く

 夕刻の 庭の畑を 一巡し
 赤いトマトを
 一つもぎ取る

 留守電に 高校の友 入ってて
 繰り返し聞く
 夜の独り家(ひとりや)

 夜になり 雨、しとしとと 降り始め
 ゲコ、ゲコ、ゲコも
 うれしそうだね

 ロックかけ 独りで踊る この夜中
 六十歳も
 青春してる

 休日は 日本共産党(とう)ビラ配布の この半年
 担当地域は
 数百戸分

 ご近所の 良心市で
 ナス、キュウリ
 今夜の「アテ」を 抱えて帰る

 
  【お誘い】

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高知県 『歌集 少年から青年へ』。

 二〇〇七年七月九日。

 以下、七月二十日に改善したものです。


 歌集 少年から青年へ

 

   父、母のこと

弾丸を胸に宿した父でした 従軍のこと沈黙のまま

母がすく紙加工して風船の爆弾にした 君が代の国

大阪は戦争終えた父、母が 出会い結ばれ僕を得たとこ

「この街の瓦礫(がれき)の中で産んだの」と 語った母と語るすべなく

父、母も紙工場で糧を得て 僕ら育てた紙の町・伊野

昼休み、倒れて逝った僕の父 「過労死」という いま言葉では

亡き父が勤めた工場(こうば)がなくなった 作業着の父、門に消えた日

息子への手紙を書いて父思う 確か一枚、はがきがあった

グローブと同じだったね母の手は さらし粉使う紙すきのさが

「ガハハハハ」、豪傑笑い耳にして いまは亡き母思い出してる

復員の兵の長男 わが歳も六十になる 九条の子が

   戦争寡婦の戦後

小娘のわが伯母殿もストの群れ 高知市旭の片倉製糸(かたくら)の跡

三十を過ぎていましたわが伯父は 根こそぎ男に銃を持たせた

いつ、どこで、どんなふうにもわからずに 戦死公報、空の骨箱

伯父たちの三百七十九人名を刻む 紙の伊野町、「忠霊」の塔

軍服の伯父の遺影が見ていたよ 伯母に頼ったわが家の暮らし

家を出て尼の修行の日々もある 戦争寡婦の切ない暮らし

「四四年八月十日、グアムで死す」 「お知らせ」がきた 七七年

伯父が死ぬ半年前の手紙読む 「一意報国」、悲しい言葉

コオロギの声に託して 寡婦、伯母が 悲しみつづる日記に見入る

   貸本屋に通った道

貸本屋 学齢前から通ったね 手塚治虫(てづか・おさむ)と 仲良くなった

こんなにも狭かったのか この道は 漫画抱えて歩いてた道

米もらい ポン菓子を待つつじのこと 「ポーン」の爆発「ヤッホー。できた」

   小学校一、二年生のころ

どうしても靴の左右がわからずに困っていたね 入学のころ

自転車の荷台にすがり「乗せてって!」 せがんで泣いた小一のころ

好きな娘(こ)のブランコ取った先輩と格闘したね 僕の小一

「ゴジラ」見た小学二年 水爆のアメリカなんかきらいになったよ

映画館、みんなでいって楽しんで それが授業という日もあったね

   わが家の食卓のクジラ   

あのころの、わが家の食卓 クジラ肉 うまさ思えば母思い出す

腐り飯、干しておやつに出した母 貧しさからか子への愛から

食堂のきつねうどんが大ごちそう ごはんで増やし食べた母と児(こ)

   紙芝居のおじさん

拍子木がチョン、チョンと鳴り飛んで出た 紙芝居だよ、小学時代

水あめをなめなめ見入った紙芝居 「君の名は」などやってた記憶

B29(ビー)のこと教えてくれたね 紙芝居、語る合間に 傷痍軍人(しょういぐんじん)

フラフープやったもんだね くるくると 紙芝居屋がやってきたころ

わが家にも白黒テレビやってきて 紙芝居屋がいつしか消えた

   僕が拾ってきた子犬

あの子犬、どうなったのか 父が捨て僕が一日泣いた、あの夜

飼っていた僕のウサギが知らぬ間に食卓にいて 煮えていた夕

学級費、せがんで泣いた小学のあの日思えば 父母の渋顔

この道は新聞少年、この僕が 毎朝夕を走ってた道

実り田のあぜに咲く花、マンジュシャゲ 幼いころになじんだシーン

あの山の向こう側には野蛮のみ 少年の日の狭い了見

   中学校に入学して

「おお、僕も宙を舞えるよ」 中一の僕、体操部員

旭(あきら)派と裕次郎派が競い合い 帽子にロウぬり気取ってたころ

女子たちのお尻を触る教師いて 音楽嫌いの生徒になったね

「おい、お前。まじめ過ぎるぞ」 短刀で脅されたよね。中学時代
 
   勤務評定反対のころ

あの塀の「にあんちゃん」のポスターが、ふとよみがえる 映画思えば

教師らの純粋うたう映画だな 妻にも見せたい「人間の壁」

教師への勤務評定反対と 紙すく母も加わった町

勤評に僕も反対 中学生 好きな教師と同じ輪にいた

勤評の同盟休校、写真見る 弟、どこかで笑っているはず

「うたごえ」も守ってくれてた僕たちを 「子供を守る…」の歌に聞き入る

戦前の日本共産党(とう)の存在 映像で初めて見た日 「武器なき斗い」

中学の僕も手に入れ読んでみた 『共産党宣言』 「武器なき…」を見て

中学の僕を燃やしたあの映画 「宅配映画屋」、持ち込んでいた

   高校生のころ

色白が岩波文庫貸してくれ 体操少年、文学の子に

バスに乗り手を差し出した瞬間の 恥じらいの顔 走る電流

ああ、やっと、あの娘(こ)と一緒 フォークダンスの柔らかな手よ

城跡で自由を説いて職を辞す 一年習った僕らの恩師

カネのない僕らを招き無料塾 二年続けた数学教師

担任がつないでくれたアルバイト 家庭教師で学費が払えた

夏休み コカコーラ車の助手になる 二ケース持って汗はぐたぐた

あのひげのシャイな男に誘われて ホームみんなで山にいったね

「ああ、これも」あの娘(こ)と一緒に写ってる 九州一周・修学旅行

「♪匂い優しい白百合の…」髪飾り見て授業が終わる

点数の順に人の名張られてる 映画のシーン わが高校のとき

主役らが「これでいいとや!」 叫んでる その高校生もあのときの僕

「高校は民主の場だよ」 議論してビラを作った仲間のあの顔

高校を批判したビラ 仲間らと 正門に立ち まいた十七

「なぜビラを?」 澄んだ瞳の問いかけに 熱弁したね 電車で会って

   大学生になって

体型も精神面もがりがりで目だけが燃えてた 大学一年

センダンの大学の庭 「うたう会」 音痴の僕が歌い始めた

ガリ版で文集つくった日のことを 文科一年 覚えているか

級友とママチャリに乗り数日間 走ったことを、ふと思い出す

「仲間」知り「仲間」増やして手を結ぶ大収穫の 十八の初夏

「サークルの部室壊すな」 空手部も一緒に燃えた夜中の団交

夏の日の代表派遣のカンパ箱 「原爆なくせ」の思い語って

元兵舎、自治会室に陣取って ビラを切ってるガリ版の音

校門でビラまく学生記憶して センダン花は ほほ笑んで咲く

カンパ得て全学連旗つくったね 再建二年、みんなの自治会

ベトナムの子を抱く母の貯金箱 僕も貯めたよ 支援の思い

   日本共産党(とう)に入った日

「僕もまた、多喜二のように」 恐れつつ入党決めた十八のとき

世の中の母たち笑う日よこいと 入党用紙に 書いた十八

辷山(すべりやま) 学生同志集まって 地底(じぞこ)の歌」を教えてもらった

日本共産党(とう)の旗、はためいている城のわき 辷山(すべりやま)下 党県事務所

「ああ、ここに」 森田正喜の墓碑を読む 四七年、日本共産党(とう)県委員長

   長い髪の年下の娘(こ)

新入の長い髪の娘(こ)現れて「私も仲間よ。よろしく」という

夏の雨 市営グランド襲う中 友と腕組むうたごえ祭典」

長マフラー、君と僕とを包み込み 送っていったね。君の家まで

年下の女性(ひと)のバイトの金借りて生きのびていた 学生のころ

「結婚は?」「二十五くらいね」 六年後! 拒否と受け取り身を引いた午後

   何人目かの初恋の女性(ひと)

自治会の委員長、僕 大会の書記をした君 確か、そんな出会い

原理研 そんな宗派にいきそうな 君に「やめろよ」 僕、救い主

アメリカとたたかいぬいてたベトナムが 君の心を静かに変えたね

烈風に向かって髪をなびかせて前見詰めてた そのころの妻

昼食は学生会館 いつもパン 四十年後もパン食の君

「好きな人、いて悩んでる」 「だれ、それは?」 「君だよ!」なんて きざなせりふだ

   巣立ちのころ

センダンの薄紫花(うすむらさきばな)咲いてるか 三年で出た大学のこと

このあたり 全商連の新聞を配っていたね 自転車駆って

ソ連らのチェコ侵略に抗議する われらが「旗」に歓喜したとき

結婚をとまどう君を「プチブル」と批判した僕 若気の勝利

上京し日に一通のラブレター 一年半も 高知の君に

「山原」の初当選を支えぬき 卒論駆け込み君は世に出る

上京の僕を追いかけ、やってきて 教師になって君が始まる

「僕なんか、腕時計もない」 「愚痴やめて! 買ってやるわよ」 婚約時代

「学習を毎日二人でできるよね」 式の前後の「理想の家庭」

   高校、大学の友たち

「定年になったらきなさい。教えるわ」ピアノ教師の高校の友

ふるさとの元日行事は墓参り 恩師をしのぶ 二組夫婦

高校の恩師の思想受け継いで 無料塾やる友の熱情

定年し日本共産党(とう)アナウンサーやっている 元寮長の張り切った声

十八の光の姫のそのままに歳を重ねた僕の後輩

大学でともに学んだ後輩が、いま継いでいる 「宅配映画屋」

九条の絵手紙かいて広げてる 看護士さんは僕の後輩

「党支部でがんばってるわよ」 後輩の電話の声の晴れやかなこと

すれ違いゲバ棒人(げばぼうびと)になったとか どうしているのか年下の彼

僕も寝ることにしましょう。

  【お誘い】

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2007.07.10

高知市大津 ビラ配布の楽しさ。

 二〇〇七年七月十日。

 党のビラ 「いいです」という 女性(ひと)がいて
 噴き出る汗見て
 さっと手を出す


  【お誘い】

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2007.07.11

高知市 「九条を太陽と呼ぶ歌聞いて…」。

 二〇〇七年七月十日。

 九条を 太陽と呼ぶ 歌聞いて
 「しか、しか、しか」と
 ひざを打ってる


 母、娘 そのまた娘が 踊ってる
 平和の思いを
 世々引き継いで
 

  【お誘い】

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高知市大津 「雨やんで 三百のビラ 抱え出る…」。

 二〇〇七年七月十一日。

 雨やんで
 三百のビラ 抱え出る
 最後の一枚 ポトンといい音

 三月から計数千枚のビラを配布しきりました。
 決意と体力のいる「仕事」でした。
 「明日から本番」
 よおーーーっし。
 
 
  【お誘い】

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高知市大津 「このごろは アサリにシジミ 大好きで…」。

 二〇〇七年七月十一日。

 このごろは アサリにシジミ 大好きで
 貝塚なんかも
 できそな勢い

 今夜の「アテ」のメニュー。
 ● アサリ、エリンギ、ニンニクを炊いて、しょう油をつけて。
 ● キュウリを薄く切って、しょう油をつけて。


  【お誘い】

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2007.07.13

高知市大津 台風4号くるか? 「次々と 雨戸を閉めて 立てこもる…」。

 二〇〇七年七月十三日。

 次々と 雨戸を閉めて 立てこもる
 明日(あした)にも
 台風4号 くるとの予報

 雨戸の多い家です。
 十八ありました。

 ところで、隣の棟の弟は昨日から九州を旅行中です。

 【お誘い】

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高知市大津 「子供を守るうた」。この合唱を聞きたい。

 二〇〇七年七月十三日。

 「うたごえ」も 守ってくれてた 僕たちを
 「子供を守る…」の
 歌に聞き入る

 今夜は、CDで荒木栄さんの作品集を聞いています。
 「ああ、この歌は、いま、歌われるべきだ」と思ったのが、上野博子さん作詞、荒木栄さん作曲の「子供を守るうた」です。


 全声: 子供達よ 健やかに育ちゆく 子供達よ

 …ピアノ間奏…

 女声: 「先生!」と呼びかけて 今日も集まる 五十四人の つぶらな瞳 私の愛する 子供達よ

 ソプラノ: どう教えたらよいのだろう どう知らせたらよいのだろう 私の上に みんなの上に 覆い掛かる暗い影を

女声: この影を この暗い影を

 …ピアノ間奏…

 ソプラノ: ねえ、みんな! この中に一人でも わけも分からず 怒鳴られたり 笑われたり 人を蹴落として 自分だけが いい子になろうとしたら どんなに どんなに 悲しいことだろう

 …ピアノ間奏…

 男声: 御国(みくに)の為に「死ね!」と教えた 昔
命を散らした 教え子の顔が 目に浮かぶ 目に浮かぶ 良心の呵責(かしゃく)が 弱さを支え 平和を守る心が私を鍛えた

 …ピアノ間奏…

 女声: 明るい太陽の その下で すくすくと伸びる子供達よ 笑い顔(笑い顔) 怒り顔(怒り顔) おどけた顔で 野の花のように 美しく 育てよ育て 平和な未来を 築くために

 …ピアノ間奏…

 全声: 国の隅々から 湧(わ)き上がる 声は 子供を守る父母(ちちはは)の 教師の叫び 初めて巻いたハチマキの 鮮やかな白さ 初めて組んだスクラムの 力強さ

 私は立ち上がった みんなは立ち上がった
 この闘いが 平和を守る

 勤評(反対!)反対!(反対!)
 戦争(反対!)反対! 子供達を戦争へ送るな!


 この歌は、一九五七年から始まった教員の勤務評定反対闘争の中で作られました。
 九州の大牟田の中学校教員で大牟田センター合唱団の作詞者の詩を、同合唱団と作曲者がさらに練り上げて完成したといいます。


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2007.07.14

高知市大津 「写真みな 外付けハードに 移し込み…」。

 二〇〇七年七月十三日。

 写真みな 外付けハードに 移し込み
 軽いパソコン
 バッグに入れる

  【お誘い】

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高知県伊野町 映画「ゴジラ」を見た日のこと。

 二〇〇七年七月十四日。

 「ゴジラ」見た 小学二年
 水爆の アメリカなんか
 きらいになったよ

 一九五四年三月一日に第五福竜丸事件が起き、同年十一月三日に映画「ゴジラ」第一作が封切られました。
 高知県伊野町の「伊野シネマ」で見ました。
 別の映画館だったかも知れませんが同じ町内です。

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高知県 蒸気機関車が走っていたころ。

 二〇〇七年七月十四日。

 本土には 蒸気機関車、連絡船
 大学時代の
 高知の暮らし

 高松と 岡山結ぶ
 連絡船
 きつねうどんが おいしかったね

 高知県の伊野町立伊野中学校の同級生だって国立高知高等専門学校にいっていた友人が、伊野駅から高知市方面に蒸気機関車で通っていました。
 土佐女子高校の生徒を見初めて列車の中でわくわくしていたということです。
 彼女たちのことを僕らは「ツー」といっていました。
 セーラー服の二本の白線からです。

 僕は、高知市の城の近く、土佐女子高校の隣の高知県立高知追手前高校でした。
 帽子の白線は一本。
 ワンとはいいませんでしたね。

 蒸気機関車に乗っているとき、トンネルが近づくと窓を閉めましたね。
 閉めないと、煙が入ってきて大変だから。

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2007.07.16

高校のときのアルバイトのこと。

 二〇〇七年七月十六日。

 担任が つないでくれた アルバイト
 家庭教師で
 学費払えた

 夏休み
 コカコーラ配る 助手になる
 二ケース持って 汗はぐたぐた
  
 高校生のときのことです。

  【お誘い】

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2007.07.17

高知市大津  「党のビラ、お読みください」  「ありがとう」。

 二〇〇七年七月十七日。

 「党のビラ、お読みください」  「ありがとう」
 いい女性(ひと)がいる
 このかいわいは

 休み。晴れ。
 午前九時半からビラ配布を開始。
 一時間半で「ぐにゃ」。
 一休みして昼の部に。

 きょうは計三ラウンドでダウン。
 だいぶ体力が落ちています。


  【お誘い】

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2007.07.19

高知市 「目だけが燃えてた 大学一年」。

 二〇〇七年七月十九日。

 いま徳島駅前のビジネスホテルです。

 実は、半月ほど前から「生まれてから二十歳前後までの成長の自分史を短歌で表現できないだろうか」と考えています。

 きょうは、こんな作品が生まれました。

 体型も 精神面も がりがりで
 目だけが燃えてた
 大学一年

 「仲間」知り 「仲間」増やして
 手を結ぶ
 大収穫の 十八の初夏

 僕も寝ることにしましょう。


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2007.07.20

徳島市、高知市 「女高生  しゃべり終えて 夢の中…」。

 二〇〇七年七月二十日。

 女高生
 しゃべり終えて 夢の中
 朝一番の高速のバス

 徳島駅前午前七時四十五分発で高知駅に向かっています。
 やっと静かになりました。
 僕も寝ることにしましょう。

  【お誘い】

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2007.07.22

高知市大津 「バイクが出 ピチピチピチに クークークー…」。

二〇〇七年七月二十一日。


 バイクが出
 ピチピチピチに クークークー
 ミンミンミンも 始まって朝

 庭に出てマクワウリを一つとって食べました。
 いけます。


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高知県 戦争の短歌たち。

  二〇〇七年七月二十一日。

 このじりじりとした暑さは戦争の日を思い起こさせるのでしょうか。
 きょうの高知新聞の「短歌」欄でも、そうした作品が目立ちました。


 兵の日の夫の遺影は枕辺に軍刀突きて我を見守る
  宿毛市  浦田千鶴


 二十歳にてレイテの島に散りし義兄今の古里一目みせたし
   須崎市  谷  房子


 空襲に追われて夫の入りし川いま悠々と海亀泳ぐ
   高知市  森沢 悦子


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2007.07.27

高知市大津 「四カ月 三千五千 配り終え…」。

 二〇〇七年七月二十七日。


 夕方の ビラ配布終え
 庭に出て マクワウリ採る
 「うっひゃー、うまい」

 四カ月 三千五千 配り終え
 あと二日後に 
 その日迎える

 
 二十六日夜、東京都の妻が高知市大津に。
 二十七日から高知市で開かれる作文教育の研修集会に参加するためです。
 二十七日夜は、つづり方教育の劇を見ているそうです。

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2007.07.28

「青空が 落ちてこようが この愛は」。「愛の賛歌」のすごさ。

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 二〇〇七年七月二十七日。

 青空が 落ちてこようが この愛は
 「愛の賛歌」の
 パワーにほれた

 七月になってショックだったのは「愛の賛歌」の「正しい」訳を知ったことです。
 す、すごい歌詞をつくり、すごいことを歌っていたんだ!!!

 

 【参考】

 エディット・ピアフさん

 フランスのシャンソン歌手。


 1915年12月19日、エディット・ジョヴァンナ・ガションとしてパリの貧しい地区・ベルヴィルに生まれました。
 エディットという名はドイツ軍に処刑されたイギリス人看護婦イーディス・キャヴェルにちなんでいます。
 キャベルが処刑されたのはこの年の10月でパリでも大きな話題となっていました。
 母親のアンネッテ・ジョヴァンナ・メラール(1898-1945)はイタリア系で、出産当時、17歳でした。
 彼女はリヴォルノの出身でリーヌ・マルサの芸名のもとカフェのシンガーとして働いていました。
 エディットのミドルネーム「ジョヴァンナ」は母親からのものでしいた。
 父親のルイス=アルフォンス・ガション(1881-1944)は、過去に劇場で演技をしたこともある大道芸人でした。
 幼いエディットはまもなく母方の祖母の元に短期間預けられます。
 ほどなく、父親はエディットを、ノルマンディーで売春宿を営んでいたみずからの母親の元に連れていきました。
 その後、彼は1916年にフランス軍に入隊します。
 3歳から7歳にかけて彼女は目が見えませんでした。
 1929年になるとエディットは大道芸をする父と行動を共にします。
 その後、1930年には父に反発してグラン・オテル・ドゥ・クレルモンに一室を取り、父と別れてパリ郊外でのストリート・シンガーとしての道を歩むようになります。
 16歳で御用聞きの少年、ルイ・デュポンと恋に落ちまもなく子どもを産みました。
 女の赤ん坊はマルセルと命名されましたが、2年後に小児性髄膜炎で死にました。
 1935年、ナイトクラブのオーナー、ルイ・ルプレーに見出され、彼の店で歌を歌うようになります。
 エディットの身長は142cmでした。
 ルイは彼女に、後の芸名となる「小さなスズメ」(La Môme Piaf)の愛称を与えました。
 彼女の最初のレコードはこの年に録音されました。
 ほどなくルイは殺害され、ピアフはその共犯者であると告発されますが、無罪とされました。
 1940年、ジャン・コクトーが彼女のために脚本『Le Bel Indifférent』を執筆します。
 代表曲「ばら色の人生」は、第二次世界大戦のドイツ占領下に書かれました。
 この時期、彼女は大変な成功を収め、大きな人気を得ます。
 ワン・ツークラブでドイツ軍高官のために歌を歌うことでピアフはフランス兵捕虜との写真をとる権利を得ます。
 それは表面的には士気を高めるためのものとしておこなわましたが、捕虜たちは彼女と共に撮った写真からみずからの写った部分を切り取って、脱走計画に使用する偽造文書に貼り付けました。 戦後、彼女は、ヨーロッパとアメリカ合衆国、南アメリカで公演旅行をしました。
 ピアフの生涯の大恋愛はボクサーのマルセル・セルダンとのものです。
 セルダンは1949年に飛行機事故死します。
 1951年に彼女は自動車事故に遭い、その後、深刻なモルヒネ中毒に苦しみました。
 彼女は2度結婚していて、最初の夫は歌手のジャック・パルでした。
 2人は1952年に結婚し、1956年に離婚しました。
 2人目の夫はヘアドレッサーから歌手、俳優へ転身したテオファニス・ランボウカスでした。
 サラポはピアフよりも20歳も若かったのですが、ピアフの大ファンであったことことから交際するようになり、2人は1962年に結婚しました。
 1963年、最後の曲「ベルリンの男 」をレコーディングしています。
 47歳になってまもなくの1963年10月10日、リヴィエラでガンで死去します。
 サラポはピアフの死後、彼女の残した多額の借金を独力ですべて返済しました。


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 【追記】

 二十八日、彼女のCDを買いました。

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2007.07.31

高知市大津 「燃えつきる 恋情(れんじょう)知らず あの世いき…」。

 二〇〇七年七月三十一日。

 燃えつきる
 恋情(れんじょう)知らず あの世いき
 わが人生は はかなく、哀れ


 今夜の妻の「クール発言」に、がく然としました。
 妻との恋愛、長きにたる結婚生活は、何だったのでしょうか。

 そして、「そうだったんだ。それでだったんだ」と、これまでの積み重なり、気になっていた出来事の意味に納得がいきました。
 妻には、そういう「感性」がないのですから、いくら要求しても無駄だと思いますが……。

  【お誘い】

  日常のドキュメント・「田辺島発」にも、どうぞ。「クール発言」の内容も泣く泣く掲載しています。

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