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2008.03.30

高知市大津 『母(かあ)べえ』の野上巌さん。

 二〇〇八年三月三十日。

 野上照代さんの本『母(かあ)べえ』(中央公論新社)を読みました。
 野上巌さんの「思想」を問われての逮捕、「たらい回し」、そうした中での家族など当時の様子がよくわかる作品です。
 「あとがき」を読んでがく然としました。
 「父が拘置所で急死するのはフィクションです」
 何か、こういうものにフィクションは入れてほしくなかったなというのが僕の感想です。

 「しんぶん赤旗」に野上巌さんのことが載っていました。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-03-15/2008031512_01faq_0.html

 ◎映画「母べえ」で「父べえ」のモデルは誰?

 〈問い〉 映画「母べえ」で、坂東三津五郎が演じた「父べえ」のモデルは実在の人で小林多喜二とも交流があったと聞きました。どういう人だったのですか?(東京・一読者)

 〈答え〉 映画の実在の主人公はドイツ文学者の新島繁(本名・野上巌)で「母べえ」の綾子さんともども戦前戦後の二十数年間を杉並で暮らしました。
 新島は1901(明治34)年山口県生まれ。県立山口中学、山口高等学校をへて東大文学部ドイツ文学科を卒業、26年日本大学予科のドイツ語教授となり、プロレタリア文化運動に積極的に参加しました。こうした活動が大学当局ににらまれ思想上の理由で日大を追われ失職します。新島はやむなく31年、杉並区高円寺に古書店大衆書房を開き、綾子さんは代用教員をして生活を支えます。この古書店には、近くの馬橋に住んでいた小林多喜二が時たま、「インタナショナル」(野呂栄太郎主幹の産業労働調査所発行)などを買いに立ち寄っていました。
 新島は、33年3月15日、二人の娘、「初べえ」と「照べえ」の手を引いて敬愛する多喜二の労農葬会場・築地小劇場へかけつけました。しかし、会場付近は警官隊が包囲していて近づけませんでした。
 新島は32年10月、戸坂潤、岡邦雄、永田広志、服部之総(しそう)らが中心になって、哲学者、社会・自然科学者などが幅広く参加する唯物論研究会の結成に参加。後に幹事となり、『社会運動思想史』を書きます。
 この唯研は、科学的社会主義にもとづく文化運動が弾圧・解体されていったとき、唯物論の学問的研究を掲げて創立された研究団体でした。特高警察は38年11月から翌年にかけて、その中心幹部をはじめ43人を治安維持法違反として一斉に検挙しました。新島もその一人で、都内の警察署をたらい回しにされ拷問をともなう取り調べを受け、40年4月起訴され、未決勾留入獄します。
 映画の主人公は獄死しますが、新島は獄中で初志を貫けず、心ならずも「上申書」を提出することによって同年12月保釈出獄します。
 敗戦を迎えた新島は、戦中に多喜二のようにたたかえずに挫折した過ちへの深い反省に立って、日本共産党にいち早く入党し精力的に活動を始めます。執筆活動をしながら自由懇話会、全日本教員組合、民主主義科学者協会などの設立に尽力し、杉並区民生委員などの地域活動、原水禁運動、松川事件救援活動などに献身しました。
 54年綾子さんの死去後、55年神戸大学に赴任し57年教授となりますが同年12月病死しました。地元杉並では「唯研弾圧事件」60周年にあたる1998年から新島繁の業績に光をあてる顕彰運動をすすめてきました。(中)

 〔「しんぶん赤旗」日刊紙 2008・3・15(土)〕

 ◎文化/映画「母べえ」原作者野上照代さん/「父べえ」の思い出

 「こんなに幸運に恵まれるなんて。何かのおまじないが効いてるのでしょうか」と野上照代さん。自伝的物語が映画「母(かあ)べえ」(山田洋次監督)となり、原作『母べえ』(中央公論新社)と、自分史を語る『蜥蜴(とかげ)の尻(し)っぽ―とっておき映画の話』(文芸春秋)もあいつぎ刊行。映画のキャンペーンもくわわって「盆も正月もないのよ」と言います。 児玉由紀恵記者

 (中略)野上さんの父、野上巌さんは、1901年生まれ。ドイツ文学者でした。新島繁のペンネームで天皇制下、プロレタリア文化運動に加わり、勤務先の日本大学を追放。38年、治安維持法による唯物論研究会への弾圧で、検挙、投獄されます。
 原作『母べえ』は、その獄中の父(父べえ)と野上さんら母子が交わした手紙を織り込み、太平洋戦争が始まる時代に、肩を寄せ合って生きる一家の姿を伝えます。
 現実の巌さんは、40年に保釈出獄。敗戦直後から、民主主義科学者協会、新日本文学会など民主諸団体で活躍し、57年に56歳で亡くなります。
 「父は、子どもたちに〝早く帰ってきて〟とせがまれて、どんなにつらかったことかと思います。今思えば、悪いことをしたなと胸が痛みます。終戦と同時に共産党に入りました。唯物論研究会の仲間だった戸坂潤さんや三木清さんらが獄死していますし、潔癖な人でしたから、上申書を書いて出所した自分に罪悪感もあったのでしょう」
 巌さんは、『社会運動思想史』ほかの著訳書や詩を残しています。その中には、小林多喜二の葬儀に幼いわが子とともにかけつけた、という一編も―。
 「父の書斎には、拘置所との往復書簡や自分の詩の原稿を入れた、『非常持出』と書いた袋がありました。詩集を出すのが夢で、『知られざる星座』というタイトルも決まっていました。生きている間に出してあげれば良かったのに―」
 映画「母べえ」のラストに、妻を思う父の詩が流れてきます。「そこへ来ると涙があふれる」という野上さん。「母は肺結核で50歳で亡くなりました。医者に見せるお金も無くて。二人が生きていたら、映画化をどんなに喜んでくれたことか」
 (中略)
 野上さんは、父に勧められて、敗戦直後、日本共産党本部で働き、ガリ版のチラシ作りに没頭しました。新しい時代の息吹があふれていたころです。
 「木造のバラックで足元がギシギシ。面白い人がいっぱいいた。そのころの若者の気持ちにピッタリでしたね」
 (中略)

 のがみ・てるよ=1927年、東京生まれ。43年、都立家政女学校卒。雑誌記者を経て、大映京都撮影所でスクリプターに。50年、「羅生門」で黒沢明監督作品につき、以後、「白痴」以外の全黒沢作品にかかわる

(「しんぶん赤旗」日曜版 2008年02月03日)

 以下、野上巌さんのことがわかるページです。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~setagaya-9jou/archives/setagaya-9zyonokai32.html

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