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2008年4月

2008.04.01

高知市大津 「給食で 脱脂粉乳 飲んだ日々……」。

 二〇〇八年四月一日。

 給食で 脱脂粉乳 飲んだ日々
 夢見て起きる
 四月一日

 新しい学年が始まりますね。

 僕が通った高知県伊野町立伊野小学校で給食が始まったのは一九五七年。その年の四月、僕は五年生になりました。
 小学校の給食の脱脂粉乳はアメリカの援助物資でした。
 当時、アメリカでは飼料にも使われていたといいます。

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高知市 「ガソリンが 二十五円も 下がったよ……」。

 二〇〇八年四月一日。

 ガソリンが 二十五円も 下がったよ
 政治の季節の
 四月一日

 高知市ではレギュラー、一リットル、百二十五円で売る店もあったといいます(高知新聞、四月一日付夕刊)。

 【参考】

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-01/2008040101_03_0.html

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高知市大津 「ぐんるりと 川と田んぼに 囲まれて わが集落は 水に浮く島」。

105

 二〇〇八年四月一日。

 ぐんるりと 川、水田に 囲まれて
 わが集落は
 水に浮く島

 わが里の田んぼは、もう半分ほどが田植え終了。
 晴れの日の夕方は田んぼが輝いて奇麗です。
 田んぼのシラサギたちをアップで撮ろうと、きのう、きょう、いろいろやっていますが駄目です。
 警戒心が強くてカメラを向けると、すぐ飛び立ちます。
 早くシラサギたちの仲良くなりたいと思います。

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2008.04.04

高知市大津 「自慢はね いい友達が いることさ……」。

 二〇〇八年四月三日。

 自慢はね いい友達が いることさ
 杯重ねてる
 渋谷の「チン」と

 岩国市の○○さん。

 ひょんなことで、実は彼が、今夜、僕んちにきたんですよ。

 彼の本をもらいました。
 お送りしますね。

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2008.04.06

高知市 お迎えはマイクロバス。松山市へ。

 二〇〇八年四月四日。

 渋谷区の彼と一緒に松山市にいくことになりました。
 高知市のKAさんが車を出してくれました。
 迎えに来てくれた車を見てびっくりしました。
 マイクロバスです。
 乗ってみたらベッドを二つそろえたキャラバンカーでした。
 梅雨(つゆ)どきには、これで夫婦で北海道に行くそうです。

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愛媛県大洲市 「柴窯(さいがま)」を訪問しました。

022 029

 015 二〇〇八年四月四日。

 何と松山市行きは大洲市(愛媛県)経由でした。
 山の中腹の陶芸の工房を訪問しました。

 主は、若い男性です。
 大きな窯(かま)がありました。
 窯だけでなく、生活もマキを使っているそうです。
 蔵の中に作品を展示してありました。

 友人はコップなどを買い込みました。
 僕は、そこの、ご主人の「すき間からのぞく顔」の作品と詩を彫り込んだ筒には感激しました。

 陶器のお好きな方は、一度、行かれたらどうでしょうか。
 素晴らしい作品がたくさんありましたよ。
 「素樸(そぼく)で美しく いのちのあふれるような そういうものが生まれてくるのが ねがい」だそうです。

 柴窯(さいがま)

 愛媛県大洲市柴甲三一六
 窪 幸一
 0893(54)0484

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高知市 「わーい。花見だ。花見だ」。 

047

 二〇〇八年四月五日。

 高知市大津の山の上の「いいとこ」での花見の会に妻と一緒に参加。
 それを終えて妻は東京へ帰っていきました。
 夜は、市の中心地で彫塑(ちょうそ)講習会に参加した人たちの「打ち上げ」。
 過激な一日でした。 

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高知市 「妻や子に 入学祝い せがんでる……」。

 二〇〇八年四月六日。

 若きらに 混じってわれら 中高年
 入学式の
 一画占める

 教官が 六十一と 二十一の
 入学記念の
 写真をパチリ

 ゼミ担任 わが息子(こ)と同じ 年ごろで
 講義の中身
 面白そうだよ
 
 わがゼミの 代議員に 立候補
 同じことした
 四十余年前

 妻や子に 入学祝い せがんでる
 独りで祝った
 六日の夜に

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2008.04.07

高知 僕の歌集を読んでくださった人。「一日で 読んでしまった。貴重です」。

 二〇〇八年四月七日。

 「一日で 読んでしまった。貴重です」

 電話の主は

 特攻隊長

 

 一日発行の歌集を読んでいただいたかたから次々に電話をいたいただいています。

 本日、お電話をいただいたのは、東京都在住の日本海軍の「震洋(しんよう)」の基地の隊長だった男性です。

 「震洋」というのはベニヤ板製のボートの先端に爆弾を乗せて、人間もろとも「敵」艦に突っ込むという兵器です。

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高知市 高知県立短期大学二日目。

 二〇〇八年四月七日。

 短大の 履修説明
 年配は
 大教室の 前に固まる

 「受けたい」が こじゃんとあるが
 ダブってて
 迷いに迷う 履修説明

 女子大の 授業も受けれる
 八単位
 授業内容 手に入れている

 帰宅時は 夜十時半
 夜間短大
 体力勝負

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2008.04.09

高知市 「『毎授業、発見あります』 教官の アピールを聞く 講義案内」。

 二〇〇八年四月八日。

 群れる人 ポツンといる人 それぞれで

 大教室の

 夜が始まる

 すごいよね みんな熱ある 教官で

 高知短大

 大好きになる

 「毎授業、発見あります」

 教官の アピールを聞く

 講義案内

 高知県立高知短期大学の講義案内です。

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2008.04.10

高知県 あの村上信夫さんが僕の歌集のことを書いてくれました。

 二〇〇八年四月十日。

 あの村上信夫さんが僕の歌集のことを書いてくれました。

 うれしーーっ。

 ここに書いてくれています。

 http://goalkokkai.blog108.fc2.com/blog-entry-145.html

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高知市 「九条を 守れの署名 一万人 七十九歳 喜作のパッション」。

 二〇〇八年四月十日。

 九条を 守れの署名 一万人
 七十九歳
 喜作のパッション

 「喜作」というのは東京都小金井市の簑輪喜作さんのことです。

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短歌 僕は高知短大一年生 

 二〇〇八年四月十日。

 最近の短歌をまとめました。

   

若きらに混じって僕ら中高年 入学式の一画占める

短大の履修説明 年配は大教室の前に固まる

ゼミ担任 わが息子()と同じ年ごろで講義の中身 面白そうだよ

手を挙げてゼミ代議員立候補 同じことした四十余年前

妻や子に入学祝いせがんでる 独りで祝った六日の夜に

「受けたい」が こじゃんとあるがダブってて「どれを受けるか」迷いに迷う

「女子大の講義もどうぞ」の声あって 授業内容手に入れている

「毎授業、発見あります」教官のアピールを聞く講義案内

「すごいよね、みんな熱ある教官で」高知短大 大好きになる

群れる人、ポツンといる人 それぞれで 大教室の夜が始まる

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2008.04.13

高知県香美市土佐山田 炭を焼く先輩たちの嬉々とした顔。

 二〇〇八年四月十二日。

 炭を焼く 年輩たちは 嬉々として
 「つくる」の楽しさ
 体感している

 午前、午後と二つ「日程」があったのですが、両方ともなくなりました。
 午前中は高知県香美市土佐山田の民家で炭焼きをしているのを見ました。

ここは地域の仲間たち何人かでやっているようです。

一クールで十日ほどかかるそうです。

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高知県香美市土佐山田 「温泉の マッサージ機と 同化して……」。 

 二〇〇八年四月十二日。

 温泉の マッサージ機と 同化して
 グーグーグーと
 夢の世界に

 高知県香美市土佐山田の炭焼きの見学が終わったのが午前九時半。
 その近くの温泉へ。
 短時間入浴し、後は「百円マッサージ機」に体を横たえて一時間ほどグーグーグーグー。

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高知市大津 「わが庭に スイカの苗を 植えました……」。

 二〇〇八年四月十二日。

 わが庭に スイカの苗を 植えました
 孫たち夏に
 やってこい、こい 

 高知県香美市土佐山田から高知市大津に帰ってきて「配達」。
 その途中で買い込んできたスイカの苗、十こを庭に植えました。

 弟のやっているアパートに新しい人が入居しました。
 感じのいい人です。
 これで全室埋まりました。

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高知市大津 「講演の 『お願い』なども 飛んできて……」。

 二〇〇八年四月十二日。

 講演の 「お願い」なども 飛んできて
 生きてるって
 面白いもの

 ある先輩の女性から電話あり。ある団体の総会で講演をしてほしいとのこと。

 おーっ、ありがたい。


 こんなお話をすることにしました。

 ● タイトル
 
 「『面白い』をやってみませんか。たとえばブログ。超簡単です」。

 ● 内容

 昨年十二月末に退職しました。
 それから、いろいろ「学ぶこと」「つくる」ことを始めています。
 短歌の月刊誌の編集の手伝い、歌集の出版、『父は水中の特攻隊員でした』の本の執筆(妻と共著)川柳、戦争中の高知県の学徒勤労動員についての調査、表装(いまは掛軸づくり)、彫塑(石こう像)、陶芸、高知県立高知短期大学への入学……。
 すべて僕にとっては「面白い」ことです。
 今回は、何年か前からやっている面白いことのお話。インターネットの日記型のホームページ・ブログでの発信です。「日々の思い」「自分なりの発見」「聞いてほしいこと」などを記事や写真で発信しています。記事にイタリアの文学者からも問い合わせがあったり、わくわくしながらやっています。もし、あなたが、ブログをやっていなければ一つやってみませんか。つくるのは一時間以内にできますよ。

 夕方、『古事記』を読んでいるうちに「眠りの国」に。

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高知市 初めての陶芸。講師のおかげで三つできました。

 二〇〇八年四月十二日。

 午前中から高知市文化プラザかるぽーとの「陶芸一日体験会」に参加。

 陶芸って生まれて初めてです。
 受講生は約二十人。講師が二人に一人つきました(僕はワンツーマン)。
 ていねいな指導でした。

 こんなものをつくりました。

 ● 自作の短歌を彫り込んだ皿(つるせるようにしてあります)。

 ● 筆立て。

 ● 僕がつかみやすいように右手がくいこむようにしたビールジョッキー。

 本日は粘土で形をつくっただけ。あとの工程が三日分あります。

 右の手の 指の形を 彫りこんだ

 粘土のジョッキー

 いま形なす

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2008.04.15

高知市 高知ペンクラブの総合文芸展。僕も出品しています。見に来てくださーい。 

069 068 

 二〇〇八年四月十五日。

 十五日から二十日まで高知市の高知市文化プラザかるぽーと七階第五展示室で第三十八回総合文芸展(主催・高知ペンクラブ)が開かれています。
 午前十時から午後五時までです。
 僕も短歌の色紙と歌集を出しています(写真)。
 見に来てください。
 無料ですよー。

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2008.04.17

高知市 「『判決は イラク派兵は 違憲です』 電話の向こう 『わーっ』と拍手」。

 二〇〇八年四月十七日。

 「判決は イラク派兵は 違憲です」
 電話の向こう
 「わーっ」と拍手

 午後から立て続けに電話がかかってきました。

 高知市の先輩の女性から電話。僕は、高知市大津の「田辺島」のバス停前にいました。
 僕がある短歌の賞を得ようとして出していて最終選考まで残った作品の件(つまり入賞しなかったということですが)。その作品を次号の短歌雑誌に載せてくれるとのこと。

 午後二時十四分、高知市の先輩の女性から電話。名古屋市からです。高知市の高知大学構内を歩いていました。
 自衛隊のイラク派遣は憲法違反として高知県関係者をふくむ約千五百人が国に派遣の差し止めや慰謝料を求めた訴訟の控訴審判決(名古屋高等裁判所)の結果を知らせてくれました。

 その後、高知ペンクラブの総合文芸展で、素晴らしい賞をもらった先輩の男性から電話。このときも高知大学構内を歩いていました。
   「文芸展を見に行ったらおまんのも賞をもろうちょったのう。東京へ帰ったといううわさもあったが、高知におったかよ」
 二十日の表彰式の後の「飲み会」で、ご一緒することになりました。

 夜中に家に帰り着いて見た高知新聞の夕刊、一面トップの見出しは以下のとおり。

 空自イラク派遣 違憲

 名古屋高裁 初判断

 空輸は「武力行使」

 特措法にも違反

 差し止めは棄却

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2008.04.18

高知市 うっまーーーい。高知市柳町の「つくし」のイタドリの煮たもの。

 二〇〇八年四月十七日。

 「こんなにも おいしかったか イタドリは」

 三皿たいらげ

 「さぁ、明日がある」

 高知県立高知短期大学の帰りに、なじみの「飲み屋さん」(高知市柳町の「つくし」)によったらイタドリを煮たのがありました。
 「う、うまい」
 ごんごん食べました。

 おかみが教えてくれたつくりかた、以下のとおり。

 ● イタドリを半日、陰干しします。

 ● そのイタドリの皮をはいで、一晩、水にさらします。ときどき水を変えます。これで酸っぱさがなくなります。

 (こういう状態になったものを高知市の日曜市などで売っています)

 ● 鍋に水とカツオ節を入れて沸騰させます。

 ● カツオ節を除き、淡口の醤油を入れて、また沸騰させます。

 ● これに適当に切ったイタドリを入れ、沸騰したら、すぐイタドリを取り出し、皿に入れてさまします。

 ● 鍋に残ったスープをさまします。

 ● それを、皿のイタドリにかけます。

 【参考 イタドリとは】

 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%89%E3%83%AA#.E9.A3.9F.E3.81.B9.E6.96.B9

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漫画家の上田トシコさんの訃報。三月七日に亡くなっていました。

 二〇〇八年四月十七日。

 高知新聞の夕刊を見たら漫画家の上田トシコさんの訃報が載っていました。
 うわーーっ。
 三月七日に亡くなっていました。

 僕が彼女に、お話をうかがったころには東京都文京区湯島に住んでいました(ずっと、そこだったようです)。
 僕は、当時、すぐ近くの台東区営教員住宅に住んでいました。
 何度か、うかがいました。

 日本の中国侵略戦争に関連した、お父さんの悲しい死のことも、お聞きしましたね。

 そういえば、当時のはやりの少女漫画の単行本を何冊か、お貸ししたことがありました。

 ずーっと年賀状のやりとりはしていましたが……。

 手塚治虫先生の死につぐ大ショックです。

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米子市の岡村英治さん。ありがとうございました。

 二〇〇八年四月十八日。

 米子市の岡村英治さんが僕の歌集のことを書いてくれていました。

 感謝。

 ここです。

 http://jcpy.sakura.ne.jp/o/?p=1140#more-1140

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僕のブログ演説  いま、政治に正義を貫きたい。イラク派兵。

 二〇〇八年四月十八日。

 みなさん。こんにちは。

 しばらく、お聞き取りください。

 十七日午後、名古屋高裁に「自衛隊イラク派兵差止訴訟」控訴審判決を聞きに行っていた高知市の原告のかたから電話をいただきました。
 「いま、すごい判決がでたわよ」。電話にワーッというどよめきや大きな拍手がはいっていました。
 判決は、「現在のイラクでは、国際的な武力紛争が行われている」とし、いまおこなわれている航空自衛隊の武装兵員空輸活動は「他国による武力行使と一体化した行動」といい、「武力行使を禁止したイラク特措法二条二項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条三項に違反し、かつ憲法九条一項に違反する活動を含んでいることが認められる」としました。
 憲法第九条第一項は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とさだめています。
 この正義が裁判の場で貫かれました。
 判決は、憲法前文に盛り込まれている平和的生存権は「憲法上の法的な権利と認められるべきだ」として、「九条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には、裁判所に救済を求めることができる」としました。
 政府は「自衛隊のイラク派遣は人道的支援」いってきましたが、この言い分が真っ向から否定されました。私たちが、ずーっと日本共産党は、イラクが「戦闘地域」であり「自衛隊派兵は米軍の戦争支援にあたる」「イラク派兵は憲法九条に違反している」と主張し続けてきたことが認められました。
 政府は、いまもイラクに航空自衛隊を派兵しています。政府は、この判決にしたがって、いまこそ航空自衛隊を撤退すべきではないでしょうか。

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2008.04.19

ブログ演説 後期高齢者医療制度をやめさせたい。

 二〇〇八年四月十九日。

 みなさん。こんにちは。

 しばらく、お聞き取りください。

 いまの政治の誤りを正したい、正義を貫きたいと思っています。
 今月からスタートした後期高齢者医療制度のことです。
 千三百万人もの七十五歳以上の人を別枠の医療の内容を制限する制度に囲い込み、差別的に扱うなど、ひどい制度です。
 日本共産党などの反対を押し切って、こんな血も涙もない制度をつくった自民党、公明党です。

 この制度、自民党支持者も公明党支持者も同じように苦しむことになります。
 「産経新聞」の十七日付に「『後期』とは社会の『別枠』か」という記事が載りました。書き手は、自民党の衆院議員だった八十六歳の「しおじい」こと塩川正十郎さんです。

 「しおじい」の所にも、この制度の通知がきました。
 「しおじい」は、その通知を見て、これは「私の人生を否定するもの」だと思ったといいます。「日本の政治からぬくもりが消えた」と実感したといいます。
 また、「しおじい」は、新幹線の中で見知らぬ高齢者から「わしらはもう死ねということですか」と涙目で訴えられたそうです。
 「国が間違っとる」と返すのがやっとだったといいます。
 「しおじい」は、この制度は「財政上の都合ばかり優先され、人間味が欠けている」と、いっています。
 まさに、そのとおりです。
 今月から天引きが始まったのは、千三百万人の加入者のうち八百万人です。健康保険の扶養家族だった人など一部凍結の対象になっているお年よりの天引きは十月からです。
 非課税措置がある税金とは違って後期高齢者医療の保険料は全員が払わなくてはなりません。わずか月一万五千円の年金から、介護保険料に加えて医療保険料まで天引きすることは、お年よりの命をおびやかすやり方です。
 年金が月一万五千円に満たないお年よりからは天引きはしません。しかし、滞納が続くと保険証を取り上げられて、窓口で医療費全額を払わなければならなくなります。これまでの老人保健制度では、病気がちなお年よりの特性に配慮して、決してやらなかった冷酷な仕打ちです。
 私たち日本共産党は、みなさんと一緒に、この制度を撤回・中止に追い込もうと、いま署名運動をやっております。
 ぜひ、ご協力をお願いします。

 みなさん。こんにちは。

 医療に正義を貫く運動を広げるために、私たち日本共産党は、医療と介護をよくするための討論集会を開きます。
 二十七日、日曜日の午後二時から四時半まで、高知市本町のRKCホールです。
 上町病院の院長さん、高知市老人クラブ連合会の会長さん、日本共産党の春名なおあきさんらがお話をします。
 ぜひ、足をお運びください。

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高知市大津 つじ演説を十回ほどやりました。原稿を見ないでやれるようになりました。

 二〇〇八年四月十九日。

 高知市大津で、午後から、つじ演説を十回ほどやりました。
 五分ほどのものですが、原稿を見ないでやれるようになりました。
 引用する言葉のメモは見ましたが……。
 うれしい前進です。

 原稿を 見ないでできたよ 演説が

 老を守れは

 わが思いゆえ

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高知市大津 「卒業の第二のボタン祖母にやる」にほれました。

 二〇〇八年四月十九日。

 午後、高知市大津の、ある喫茶店に入ったら壁に俳句や短歌がいっぱいはってありました。
 その中の「卒業の第二のボタン祖母にやる」という「協」さんの俳句が好きになりました。
 ところで、その喫茶店、コーヒーが三百十円でした。
 僕が知っている所では一番安い。

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高知市 わおーっ、美しい雲。シャッターを切りました。

018

 二〇〇八年四月十九日。

 夕方、高知市永国寺町の高知県立高知短期大学へ向かいました。
 午後六時から経済学のサークルがあるのです。
 途中、こんな雲を見ました。
 うっとりしました。
 帰りも真ん丸の奇麗な月を見ました。

 春の夕 天使の梯子に 見とれてる

 降りてきてから

 六十一年

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2008.04.20

高知市 僕の大学の「前期」に何を学ぶか。方向が出ました。

 二〇〇八年四月十九日。

 僕の「前期」の勉強の方向が固まりました。

 メーンは、高知県立高知短期大学での勉強です。

 【情報処理】

 「情報処理Ⅰ」。

 ブログを運営しながら実践で。

 【語学】

 「韓国語Ⅰ」。

 「外書購読Ⅰ」。

 「英語ⅠA」。

 【文学】

「日本語論」(高知県立高知女子大)。

「日本神話購読(『古事記』)」(高知県立高知女子大)。

 「日本文学入門」(高知県立高知女子大)。

 高知歌人での勉強。

 「民主文学」の支部での勉強。

 「詩人会議」での発表。

 川柳も勉強するつもりです。

【歴史学】 

「西洋近現代史」。

「地域史Ⅰ」。

「大東亜戦争」時代のことを中心に調査と執筆を通じての勉強をしていきたいと思っています。

【そのほかの社会科学】

「平和学」

「政治史Ⅰ」

「ジェンダー論」

「社会科学演習」

「経済学」(高知県立高知短期大学の経済学のサークルで)

【音楽】

「ポピュラー音楽基礎」(高知大学)

作詞の試みに挑戦するつもりです。 

【表装、彫塑、陶芸、写真】

表装は、月二回の教室。

彫塑は、これからは独学。

陶芸も、これからは独学。

写真も、発表の場を発掘して独学で前進させたいと思っています。

【演説・講演】

実践して、日々、心に届く演説を生み出したいと思っています。

五月には、講演の機会もありますので挑戦したい。

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高知市 四月からの「完読」二号。

 二〇〇八年四月十九日。

 僕は、本を道具のように使っています。

 必要な所をササーッと読んで「活用する」というやり方です。

 まずいなと思っています。

 四月から、きちんと「完読」していこうと思い始めました。

 まず、ある小説を読み終えました。

 感激しました。

 こんなのを書きたいと思いました。

 そして、「完読」第二号が『新釈古事記』(石川淳。ちくま文庫)です。

 本日朝、読了。

 いつのころか、わが家にあったものですが、『古事記』の世界を伝えるユニークな本でした。

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2008.04.21

 総合文芸展(主催・高知ペンクラブ)のアイディア賞の表彰式。

 二〇〇八年四月二十日。

 二十日午後四時、で高知市の高知市文化プラザかるぽーと七階第五展示室で第三十八回総合文芸展(主催・高知ペンクラブ)のアイディア賞の表彰式がおこなわれました。
 僕の短歌の作品に高知ペンクラブ副会長賞をいただきました。
 ふたたび高知で住み始めて二つ目の賞状です。
 うれしなったです。ほんと。

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2008.04.22

高知市 自民党支部長さんからのお電話。

 二〇〇八年四月二十二日。
 
 朝、ある県の自民党支部長さんからお電話をいただきました。
 数年前に知り合ったかたです。

 新しい歌集をお送りしてありました。
 その感想を寄せてくれたのです。
 「いろいろ人生を楽しもうとしておられる。ゆっくり楽しんでください」
 優しい言葉でした。

 もちろん僕が日本共産党員であるということはご存じです。
 党派は違いますが、心は通じる人はたんさんいますね。

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高知市 放射性廃棄物最終処理場誘致反対の動きの中で知り合った長尾弘道さんの死。

 二〇〇八年四月二十二日。

 えーっつ、長尾弘道さんが亡くなった。
 本日の高知新聞朝刊の「声 ひろば」の植田幸作さん(七十二歳)の投書に、そのことが書かれてありました。
 四月十日のことだったといいます。

 高知県津野町や東洋町で放射性廃棄物最終処理場誘致反対の動きがあったとき、彼もこの運動に参加していました。
 そうそう、高知市の「ひろめ市場」で高知県の大野見村立第二中学校の教師だった植田さん、教え子の長尾さん、岡村啓佐さんらと飲んだことがありましたね。
 中学生のころの学力テスト反対の意思表明のこと、高知を走っていた憲法九条を守れと大書した路面電車のことなどを語り合いましたね。
 五十六歳でした。

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2008.04.23

高知市 「何日も 通ってやっと 初認定……」。

 二〇〇八年四月二十三日。

 何日も 通ってやっと 初認定
 失業手当
 八日分だけ

 まわり、みな 口一文字
 求人パソコン
 見つめる仲間ら

 「そんな職 一つもないよ」と
 答えくる
 求人パソコン 憎らしいよね

 スイカ苗 九つ追加
 この夏は 庭に並べて
 パーティーやるか

 午前十一時、職業安定所へ。
 授業まで少し時間があります。
 庭にスイカの苗を植え込みました。
 そして、遅い昼食の仕度。
 炊きたてのご飯と自家製のキュウリの漬け物が食卓に並ぶ予定です。

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2008.04.24

高知県 あの愛知の自衛隊のイラク派兵差し止め訴訟、高知の原告は五十二人。報告会があるよ。

 二〇〇八年四月二十四日。

 昨夜、新日本婦人の会高知市支部の新聞「さざなみ」四月二十一日号をいただきました。
 あの愛知の自衛隊のイラク派兵差し止め訴訟の記事がありました(上町班の中内理津子さん執筆)。
 それによると高知には五十二人の原告がいたんですねー。
 歴史を前に動かしている現在の英雄たちです。

 ● 自衛隊イラク派兵差止訴訟「勝利の違憲判決」の報告会・原告の会。

 4月26日(土)午前9時半から。
 高知市升形の平和資料館・ 草の家。

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高知県 「すくすくと 育ちゆかない 世にあって……」。

 二〇〇八年四月二十四日。

 きょうの新聞にいくつか衝撃的な記事が載っていました。
 「うーん」と考え込んでしまいました。

 すくすくと 育ちゆかない 世にあって
 突きつけられる
 事象の数々

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高知市大津 わが庭の「今年最後のキンカン」。  

 二〇〇八年四月二十四日。

 昨日午後からの雨が上がって「わーっ。いい天気」。
 庭に出てキンカンを四つ採りました。
 これで「今年のキンカン」はおしまい。
 このキンカンが最初に実をつけたのは昨年の夏ではなかったでしょうか。
 かくも長く実をつけ続けるとは。驚異です。

 【参考】

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%B3

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ある人が大きな過ちを犯し窮地に立ちました。そのとき、まわりの人は、その人にどう対処するか。A certain person committed a big mistake and was in a predicament. How does a person of a circumference deal with the person then?

 二〇〇八年四月二十四日。

 ある人が大きな過ちを犯し窮地に立っています。
 まわりの人は、その人に向かってどうするか。
 批判し、突き放すことは簡単です。
 そうではないことをやっている人たちがいました。
 その人が反省できるように援助し、また立ち上がってまっとうに生きていけるように手をさしのべようという人たちです。
 きょう、その一人の青年に出会いました。
 彼のまわりの何人かの人たちも、そうしているといいます。
 彼の話を聞いて胸が熱くなりました。

 A certain person commits a big mistake and is in a predicament.
 What do you do for the person of the circumference toward the person?
 I criticize it, and it is easy to push it.
 There were the people who did the thing that was not so.
 I assist it so that the person can reflect, and it is people to hold out a hand I stand up again, and to be able to live honestly.
 I met the one young man today.
 It is said that there are some people around him in that way.
 I heard his story, and a chest became hot.

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『古事記(こじき)』の歌と、いまの短歌。The song of "the description of folk history" and the present tanka.

 二〇〇八年四月二十四日。

 『古事記(こじき)』は、日本最古の書物です。
 その書物に、たくさんの歌が載っています。
 長い歌があります。
 たいていが物語です。
 短歌や俳句くらいの短い歌があります。
 そうした歌では、たいていが、特定の人を相手にしています。
 出来事を伝えたり、気持ちを伝えたり、それに答えたりといった内容です。
 いまの短歌は、ここから出ていると思います。
 特定の人に、出来事や、気持ちを伝える。そして、それに応答する。その要素を大切にして短歌を詠みたいと思います。

 "The description of folk history"is the Japanese oldest book.
 A lot of songs appear in the book.
 There is a long song.
 I cook it, and it is a burr story.
 There is a short song of a tanka and a haiku.
 I cook it with such a song and do it against a burr, an authorized person.
 I convey an event and convey a feeling, and it is contents answering it.
 I think that the present tanka goes out of here.
 I tell an event and a feeling to an authorized person. And I reply to it. I take good care of the element and want to write a tanka.

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2008.04.25

「服部良一さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その一」。「祖国の柱」。

 二〇〇八年四月二十四日。

 服部良一さんは、軍歌はつくらなかったということがいわれてきました。
 二十四日、また、そういう説をいう人がいたので、それは違うよといっておきたくて書きました。

 軍歌をどう規定するかということにもよりますが、「天皇の侵略戦争のために臣民は身を挺しましょう」という歌はたくさんつくっています。

 彼が戦後いい仕事をしただけに、残念な事実ですが……。

 ● 「祖国の柱」(国民歌謡。大木惇夫作詞。服部良一作曲。奥田良三歌。一九三七年十二月・コロムビア)。

 一、高梁(こうりゃん)枯れて 烏啼く
   赤き夕陽の 国境
   思えば悲し つわものは
   曠野の露と 消え果てて
   今は眠るか この丘に

 二、祖国のために 捧げたる
   いとも尊き 人柱
   苔むすかばね 霊あらば
   わが呼ぶ声に 谺(こだま)して
   塚も動けよ 秋風に

 三、手向(たむ)けの花は 薫れども
   赤き夕陽の 血に染みて
   風愁々の 音を忍ぶ
   幽魂ながく とどまりて
   祖国を護れ 亡き友よ

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「服部良一さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その二」。「沈黙の凱旋」。

 二〇〇八年四月二十四日。

 ● 「沈黙の凱旋」(国民歌謡。新居あづま作曲。服部良一作曲。伊藤久夫歌。一九三七年十二月・コロムビア)。

 一、これが別離(わかれ)ぞ このつぎに
   見(まみ)えん時は 沈黙の
   白木の棺(はこ)よ その折も
   「万歳」たのむと 笑いたる
   祖国(くに)の勇士は 今還る

 二、赤き夕陽の 戦場に
   屍を越えて 血に染みて
   進みし人の 凱旋と
   思へばこころ おどれども
   あわれ勇士は もの言わず

 三、あの日別れに 誓ひたる
   白木の棺の 眼のあたり
   祀るも冷く 惨ましく
   護国の鬼と 冴ゆるさへ
   きょうを悲壮の ふるさとや

 四、桜花(はな)と薫りし 殉忠の
   かがやく武勲 永久に
   誉は今か きはまれど
   野萩に白し 秋風の
   君は無言の 凱旋よ

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「服部良一さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その三」。「凱旋前夜」。

 二〇〇八年四月二十四日。

 ● 「凱旋前夜」(中川紀元作詞。服部良一作曲。霧島昇歌。一九三八年六月・コロムビア)。

 一、ああ戦跡に 草萌えて
   氷も解ける クリークに
   解けぬ無量の この憾(うら)み
   明日凱旋の 胸の中
   
 二、思えば共に 励まして
   幾転戦の 昼も夜も
   われ後(おく)れじと 戦った
   ああその友は 今や亡し

 三、あの日あの時 猛然と
   火を吹くトーチカ 踏みにじり
   阿修羅(あしゅら)と荒れた 戦友の
   最後の雄叫び 血の叫び
 
 四、伜の戦死 本懐と
   お手紙ありし 父君の
   戦の庭に 児を送る
   日本の親の 御覚悟

 五、江南の空 黄昏れて
   愁いは更に 新しく
   思いぞ竟(つい)に 果しなし
   訣別(わかれ)の手向け いざさらば

 六、勇士の魂(みたま) この丘に
   守る墓標の 微(ほの)白く
   瞳に沁みて 夕闇の
   漂(ただよ)う中に 一人立つ

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「服部良一さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その四」。「武人の妻」。

 二〇〇八年四月二十四日。

 ● 「武人の妻」(高瀬千鶴子作詞。服部良一作曲。渡辺はま子歌。一九三八年七月・コロムビア)。

 一、どうせ一度は 死ぬ身ゆえ
   待ちし召集 受けたるは
   わが身の幸(さち)と 喜びて
   心置きなく 潔(いさぎ)よく
   元気で往って 下さいね

 二、国に捧げた 身じゃものを
   今更私が 泣きはせぬ
   笑ってあなたを 送ります
   私を忘れて 朗らかに
   戦地へ往って 下さいね

 三、あとは心配 しなくても
   二人の子供は この私
   立派に育てて まいります
   心の残さず 国の為
   手柄をたてて 下さいね

 四、どうせ散るなら 美しく
   花と散るよに 祈ります
   なんで私は 泣きましょう
   嬉しくあなたを 迎えます
   生命(いのち)惜しまで 下さいね

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「服部良一さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その五」。「兵隊さんを思ったら」。

 二〇〇八年四月二十五日。

 ● 「兵隊さんを思ったら」(野村俊夫作詞。服部良一作曲。渡辺はま子歌。一九四一年・コロムビア)。

 一、雪の日につけ 風につけ
     若(も)しやご苦労 なさらぬか
   まして吹雪の 募る夜に
   兵隊さんを 思ったら
   熱い感謝で 泣けました

 二、妻も我子も 父母も
   忠の一字と 取り替えて
   笑顔雄々しい 戦線の
   兵隊さんを 思ったら
   固く心が 締まります

 三、鳥も通わぬ 海原に
   馬も通わぬ 奥山に
   かざす正義の 日の御旗
   兵隊さんを 思ったら
   兵隊さんを 思ったら
   務忘れて なりましょか

 四、慰問袋は 軽いのに
   礼の手紙の この重さ
   たとえわずかな 品でさえ
   兵隊さんを 思ったら
   兵隊さんを 思ったら
   明日も送って あげましょう

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「服部良一さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その六」。「銃後の妻」。

 二〇〇八年四月二十五日。

  

 ● 「銃後の妻」(朝倉安蔵作詞。服部良一作曲。菊池章子歌。一九四三年三月・コロムビア)。

 一、南十字や 北斗星
   いずこで見るか ますらおよ
   戦の庭を 偲びつつ
   仰ぐ雲間の 月蒼(あお)し

 二、坊やごらんと 指さして
   遥かに望む 空の涯
   心で叫ぶ 万歳の
   声に応えて 雁が鳴く

 三、可愛いもみじの 手を振って
   首途を送った この坊や
   こんなに大きく なりました
   せめて映(うつ)せよ 夜半(よわ)の月

 四、モンペ姿の 束ね髪
   覚悟は固い 銃後妻
   しっかり留守を 引受けて
   とかぬ心の 紅襷(べにだすき)

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「服部良一さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その七」。「母は青空」。

 二〇〇八年四月二十五日。

 ● 「母は青空」 (西条八十作詞。服部良一作曲。李香蘭歌。一九四三年七月・コロムビア)。

 一、思い出すのは 幼い頃の
   母の背中の 水色星よ
   螢飛ぶ飛ぶ 畦(あぜ)道の
   遠い祭の 笛太鼓

 二、思い出すのは 兄弟(きょうだい)喧嘩
   父に叱られ 小藪の木陰
   我が家恋しい 黄昏を
   呼んだやさしい 母の声

 三、思い出すのは 首途の朝の
   母のあの顔 小さい姿
   振った日の丸 思うさえ
   手柄立てずに 還らりょか

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「服部良一さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その八」。「君は船びと」。

 二〇〇八年四月二十五日。

 ● 「君は船びと」(西条八十作詞。服部良一作曲。轟夕起子歌。一九四四年七月・コロムビア)。

 一、乙女の夢は さみどりの
   波路の果て行く 白い船
   海を生命(いのち)の 若人が
   星を眺める 雄々しの眸

 二、小鳥が歌う 故郷を
   御国を想う 真心に
   何の未練も 断(た)ち捨てて
   君は往く往く 南の空へ

 三、乙女が待つは さみどりの
   波路はるばる 来る便り
   君がやさしの ペンの字に
   匂う南の 見知らぬ花よ

 四、父母在(い)ます 故郷を
   国の男子(おのこ)の 情熱に
   去りてますらお いとし君
   永久(とわ)に朗らか やさしくおませ

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「服部良一さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その九」。「この仇討たん」。

 二〇〇八年四月二十五日。


 ● 「この仇討たん」(高橋掬太郎作詞。服部良一作曲。高峰三枝子・日蓄女声合唱団唄。一九四四年十一月・ニッチク)。

 一、大和桜の 散り際見せて
   勇士の熱い 血潮の飛沫(しぶき)
   玉と砕けた 山崎部隊
   一億誓って この仇討たん

 二、破けた戒衣を 夜露に曝し
   草を噛み噛み 戦いぬいた
   ガダルカナルの 怨みも深い
   一億誓って この仇討たん

 三、続く反抗、 マーシャルまでも
   深く食い入る 敵機の憎さ
   醜の御楯の 覚悟は今ぞ
   一億誓って この仇討たん

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「古賀政男さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その一」。「軍国の母」。

 二〇〇八年四月二十五日。

 これまで服部良一さんのつくった軍歌・軍国歌謡について書いてきました。
 二十四日、同じ人から作曲家の古賀政男さんは基本的に平和主義者で、第二次世界大戦中は売れっ子でありながら、戦時歌謡の類はほとんどつくらなかったんですよという話を聞きました。
 これも明らかに違います。

 ● 「軍国の母」(島田馨也作詞。古賀政男作曲。美ち奴歌。一九三七年九月・テイチク)。

 【歌詞の載っているページ】

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「古賀政男さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その二」。「馬」。

 二〇〇八年四月二十五日。

 ● 「馬」(佐藤惣之助作詞。古賀政男作曲。伊藤久男・菊地章子歌。一九四一年一月・コロムビア)。

 【歌詞が載っているページ】

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「古賀政男さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その三」。「そうだその意気(国民総意の歌)」。

 二〇〇八年四月二十五日。

 ● 「そうだその意気(国民総意の歌)」(西条八十作詞。古賀政男作曲。霧島昇・松原操・李香蘭歌。一九四一年七月・コロムビア)。

 【歌詞が載っているページ】

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「古賀政男さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その四」。「サヨンの鐘」。

 二〇〇八年四月二十五日。

 ● 「サヨンの鐘」(西条八十作詞。古賀政男作曲。一九四三年六月・コロムビア)。

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「古賀政男さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その五」。「勝利の日まで」。

 二〇〇八年四月二十五日。
 ● 「勝利の日まで」(サトウハチロー作詞。古賀政男作曲。霧島昇歌。一九四四年四月・コロムビア)。                

 【歌詞が載っているページ】

 http://gunka.xii.jp/gunka/data/frame/index.html

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「古賀政男さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その六」。「いさおを胸に」。

 二〇〇八年四月二十五日。

 ● 「いさおを胸に」(国民合唱。サトウハチロー作詞。古賀政男作曲。楠木繁夫・松原操歌。一九四四年十月・ニッチク)。

 【歌詞が載っているページ】

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「古賀政男さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その七」。「カボチャの歌」。

 二〇〇八年四月二十五日。

 ● 「カボチャの歌」(サトーハチロー作詞。古賀政男作詞。楠木繁夫・渡辺はま子歌。一九四四年十月・コムムビア)。

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「古賀政男さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その八」。「月夜船」。

 二〇〇八年四月二十五日。

 ● 「月夜船」(藤浦洸作詞。古賀政男作曲。波平暁男歌。一九四四年十月・コロムビア)。

 【歌詞が載っているページ】

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「古賀政男さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その九」。「祖国の花」。

 二〇〇八年四月二十五日。

 ● 「祖国の花」(サトーハチロー作詞。古賀政男作曲。轟夕起子歌。一九四四年十二月・コロムビア)。

 【歌詞が載っているページ】

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「古賀政男さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その十」。「敵の炎」。

 二〇〇八年四月二十五日。

 ● 「敵の炎」(防衛総司令部陸軍省報道部推薦。サトーハチロー作詞。古賀政男作曲。伊原久男・楠木繁夫歌。一九四四年十二月・コロムビア)。

 【歌詞が載っているページ】

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「古賀政男さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その十一」。「敵白旗掲げるまで」。

 二〇〇八年四月二十五日。

 ● 「敵白旗掲げるまで」(軍事工業新聞選定。古賀政男作曲。楠木繁夫・波平暁男・近江俊郎・高倉敏歌。一九四四年十二月・コロムビア)。

 【歌詞が載っているページ】

 http://gunka.xii.jp/gunka/data/frame/index.html

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高知市大津 庭のイチゴにありがとう。 

 二〇〇八年四月二十五日。

 庭に出て イチゴ摘み取り 食べてみる
 この数日の
 朝の楽しみ

 この四日ばかり、朝、庭に出てイチゴをいくつかちぎって食べています。
 まだしばらく楽しめそうです。

 午前中に一人、午後に一人、男性の訪問者あり。
 おとなしく過ごしているようなので心配して見に来てくれたようです。
 ありがとうございます。

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高知市大津 「何だかね わくわくしないね 花見ても……」。

 二〇〇八年四月二十五日。

 何だかね わくわくしないね 花見ても
 心が疲れて
 いるせいなのか

 午後は忙しかった。
 ニュースの配達。
 ビラの配布。
 キュウリの苗の買い込み。
 おかずの買い出し。
 上の短歌は、その過程で気がついた心の変化です。
 そして、いまから高知県立高知短大へ。

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2008.04.27

高知市 「情報処理」の 夜の教室のできごと。 

 二〇〇八年四月二十五日。

 女学生
 「おー、できた。できた」と 声上げる
 「情報処理」の 夜の教室

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高知市 「まとまらぬ 作業の本を 積み上げて……」。 

 二〇〇八年四月二十六日。

 まとまらぬ 作業の本を 積み上げて
 追いつめられてる
 土曜日の午後

 「イライラは 手を出しすぎが 原因さ」
 わかっているが 
 土曜も走る

 なぜか、家がかたづきません。
 頭の中もかたづきません。
 「あしたから」、一つひとつかたづけていくことにしましょう。

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笹岡優さんが随筆で僕の新しい歌集のことに触れてくれました。

 二〇〇八年四月二十六日。

 笹岡優さんが随筆で僕の新しい歌集のことに触れてくれました。

 ありがとうございました。

 以下のページに、その随筆が載っています。 

 http://www.jcp-sikoku.jp/archives/299

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高知市 ひさしぶりにカメラの仕事をしました。

 二〇〇八年四月二十七日。

 ひさしぶりにカメラの仕事をしました。
 屋内の集会の様子を写す仕事でした。
 しかし、なかなかうまくいきませんねえ。これが。
 もう少し腕をみがかなくては。

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高知市 声をそろえて「いらっしゃいませ。こんばんは」の連呼って僕はきらい。

 二〇〇八年四月二十七日。

 夕方、高知市内の食堂「鳥●●」へ。
 初めての店です。
 なにげに「ちゃんぽん鶏ちゃん」というのを注文してみました。
 これが、生のものをコンロにかけてというものでした。
 「うわーっ、急いでいたのに……」
 でも、後の祭りです。
 それにしても、この店、例の「マニュアル店」です。
 客が入ってくると若い男女の店員たちが、声をそろえて
 「いらっしゃいませ。こんばんは」
 僕のよくいく、「いまごろ古書店」も、これと同じです。
 実は、これが、いやでいやでたまらないんですよ。僕は。
 そーっと店に入って、静かににんまりして、自分の世界に入って楽しむというのが好きなのです。
 「いらっしゃいませ。こんばんは」
 の合唱は僕にとっては「わずらわしい」だけです。

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高知市  「燃え上がる赤い情熱のような花」、グロリオサの球根を買い込んできました。

 
 二〇〇八年四月二十七日。
 
 帰りにグロリオサの球根を買い込んできました。
 この花に、二年ほど前に高知県津野町で出合いました。
 「燃え上がる赤い情熱のような花」です。
 それから、ずーっと恋いこがれていました。
 帰り着いたら暗くなっていて植え込みは明日以降に。
 でも、すっごく楽しみ。

 【参考】

 http://yasashi.info/ku_00016.htm

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高知市 NHK教育テレビで韓国のチェジュドのことをやっています。

 二〇〇八年四月二十七日。

 夜、NHK教育テレビで韓国のチェジュドのことをやっています。

 日本の戦争の傷跡だらけの島です。
 そして、戦後も四・三事件の弾圧で血を流された島です。

 日本の支配下、島民の抵抗運動が発展しました。

 一九四五年十一月十日、アメリカ軍が、ここで軍政を始めました。

 これが新しい惨事の幕開けでした。

 アメリカ軍が供出を強要しました。

 それを批判する歌も生まれたといいます。

 権力に島民が殺される事件をきっかけに島全体がゼネラルストライキに入ります。

 中学生をふくめて反抗する運動が広がります。

 捕まって警察の拷問で殺された中学生も。

 「チョジュドは死んでいない。生きているのだ」

 反抗は広がり、武装蜂起になりました。

 竹やりや手おのが武器でした。

 停戦の動きの中、警察の謀略が起きました。

 四八年、アメリカの後押しのもと朝鮮の南部に大韓民国が成立しました。

 一カ月後、ソ連(当時は社会区主義を目指す国でなく、その理想を裏切る国家になっていました)の後押しのもと朝鮮の北部に朝鮮民主主義共和国ができます。

 武装隊は朝鮮民主主義共和国を支持して運動をしました。 

 この蜂起は、権力の弾圧を受けました。

 たとえば、村を焼きつくす作戦で……。

 そして、軍による機関銃での四百人の村民の虐殺。子どもも妊婦も、そのお腹の子どもも殺されました。

 捕まった女性は、すぐ処刑されました。

 一万人の島民が犠牲になりました。

 武装隊の司令官は、はりつけにされました。

 武装隊は「暴徒(ボクト)」とみなされました。

 殺りくは続きました。

 こうした弾圧のもと、たくさんの島民が日本に密航して逃げてきました。

 一九五〇年、朝鮮民主主義共和国は韓国に攻め込み朝鮮戦争を起こします。

 そうしたもと、大韓民国の政権は、「思想」を問題にしてチェジュドの島民を多数殺します。

 こうした弾圧をえがいた『火山島』という本があるといいます。

 読んでみたいと思いたいと思います。

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2008.04.28

高知市 太田紘志(おおた・ひろし)さんの「月曜随想 違憲判決導いた九条」。

 二〇〇八年四月二十八日。

 高知新聞の朝刊に知り合いの太田紘志(おおた・ひろし)さんの文章が出ていました。
 「月曜随想 違憲判決導いた九条」
 原告の一人として判決の現場にいあわせた彼ならではの文章です。

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2008.04.29

高知市 五台山は花盛り。高知文学学校ピクニックに参加しました。

115 079 104 100 025

 二〇〇八年四月二十九日。

 高知文学学校ピクニックに参加しました。
 行き先は高知市の五台山です。
 五台山は花盛りでした。
 写真を見てください。
 大学の同級生も参加していました。
 参加者の一人、YOさん(男性)が草笛を吹いていました。
 巧みです。
 さっそく教えてもらいました。
 やっほー、鳴りました。
 でも、まだメロディーを吹けません。
 ま、そのうちに。

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高知市 安いガソリンのガソリンスタンドには車が押し寄せていました。。

 二〇〇八年四月二十九日。

 午前中のこと、高知市内の安いガソリンのガソリンスタンドには車が押し寄せていました。
 セルフサービスの店です。

 午後のテレビでは「ガソリン携行缶」が売れているというニュースをやっています。

 国会の動きが即暮らしに直結する時代になっています。

 「四月三十日」、各党は、どういう態度をとるでしょうか。

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高知市大津 初夏です。わが家のご近所もいい感じです。

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 二〇〇八年四月二十九日。

 初夏です。
 わが家のご近所もいい感じです。
 写真をごらんください。

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今夜も僕は高知短大生(ある居酒屋の機関紙に投稿しようと思っている原稿案です)。

 「熟睡できない病」が悪化して「このままでは迷惑をかける」。ということで、昨年秋、四十年間勤めた職場をさる決意しました。で、それからはどうする……」。最初に思いついたのが「高知県立高知短期大学にいこう」でした。その高知短期大学社会科学科に、この四月、入学しました。
 なぜ、高知短期大学か。「勉強って面白い」。こう生きいきと語る在学生たちが素敵で、あこがれていたからです。
 わくわくしながら迎えた入学式。これまでの仕事の中で出会ったロックシンガー(二十一歳の女性)も同学年生でした。

 若きらに混じってわれら中高年 入学式の一画占める

 入学してから何日もオリエンテーション(説明会)がありました。

 「毎授業、発見あります」 教官のアピールを聞く 講義案内

 英語、ハングル、歴史学を優先させて時間割を組みました。履修説明で「高知女子大の科目も八単位履修できます」と聞きました。 さっそく、文学系の三科目を受けることにしました。計十三科目を受講中です。三日間は昼間も授業があります。
 熟睡できないのは相変わらずです。
 で、朝は、できるだけゆっくり寝て、じわじわとスタートしています。
 英語は二科目受けています。先生は、一九八〇年代の半ば、広島市に住んでいたとき一度話したことがある素敵な女性です。被爆二世だといいます。授業は丁寧できびしく。みな毎回一度は「指される」ので緊張しています。予習も、それなりにやっていっています。
 政治史の先生は、息子より年下のスマートな男性です。毎回、刺激的で家に帰ってから復習をしています。
 フランス革命、イギリスの産業革命、アメリカの独立革命の歴史の授業の教師も魅力的。体いっぱいを使って情熱的に語りかけてくれます。内容も、あまり知らなかったことですので興味津々。
 首ったけなのは女子大の『古事記』の授業。けっこう古代史も好きなんですよ。次々と参考書を買い込んでいます(読むのは、ゆっくりですが……)。
 情報処理も、パソコンは自己流でやってきたから「抜けている所」を補う上でもグー。

 「あたりそう」 どきどきしながら構えてる 四十年ぶり英語の時間

 「この次は テストをやる」と いう教師 覚えられるか ハングル単語
 
 講義中 質問項目 メモにする もっと知りたい 六十一歳

 女学生 「おー、できた。できた」と声上げる 「情報処理」の夜の教室

 すべての授業が面白い。「このことが知りたいな」と思い続けていたことに、その解決の道がつけられていっています。
 いまのところ、欠席なしです。
 思えば僕の「三年間」の高知大学学生のころは学生自治会室に通っている感じでした。ビラをつくるためにガリを切り、印刷し。それが終わるとオルグと称して友だちの下宿へいって話し込み。朝、門前でビラを配り。予習ぬきで英語、ドイツ語、漢文、古文書の授業に出て、冷や汗を書き。特定の素敵な女の子を追っかけることだけには熱心で。……。
 高知大学で一学年下の妻が、いまの僕の「勉強へのまじめな態度」を目撃したら見直してくれるかもしれません(ちなみに妻は東京に住んでいましたが、そろそろ高知にやってきそうです)。
 ゼミ(クラス)の代議員にもなりました。
 クラブは経済学と地域経済のに入りました。
 経済学クラブのテーマはサブプライム問題です。
 地域経済のクラブの初顔合わせにいったら、かなり前に卒業したという知り合いの夫婦もきていました。高知短大は、いろんな人を送り出しているんですね。

 昨年十二月三十日に退職してから地域でも、新しいことを始めました。ハンドマイクでの、つじ演説です。後期高齢者医療制度やめてくださいと語りかけています。
始めは自分でつくった原稿を読み上げる形でしたが、この間からは原稿なしで演説できるようになりました。
 人は進歩するんですよ。うん。

       (二〇〇八年四月二十八日)

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2008.04.30

高知市 しょう油もシャンプーも切れてしまって……。

 二〇〇八年四月三十日。

 どうも生活がうまくまわっていません。
 おかずの材料を買っていなかったので庭の菜園でダイコンを抜いてきました。
 朝食をとろうとしましたがしょう油が切れていました。塩で代用しました。
 風呂に入りましたが体を洗うソープ、シャンプーが切れていました。
 これから授業を受けに出かけます。
 帰りに何とか手に入れなくては……。

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高知市 「僕も、いま ビーグル号に 乗り組んで……」。

 二〇〇八年四月三十日。

 僕も、いま
 ビーグル号に 乗り組んで
 知の海をいく 短大一年

 ビーグル号はイギリスの生物学者・ダーウィン(一八〇九年~一八八二年)が研究のために乗り組んだ船の名前です。

 【参考】

http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/kurimotoUniv+.html

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