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2008.04.25

「服部良一さんがつくった軍歌・軍国歌謡 その一」。「祖国の柱」。

 二〇〇八年四月二十四日。

 服部良一さんは、軍歌はつくらなかったということがいわれてきました。
 二十四日、また、そういう説をいう人がいたので、それは違うよといっておきたくて書きました。

 軍歌をどう規定するかということにもよりますが、「天皇の侵略戦争のために臣民は身を挺しましょう」という歌はたくさんつくっています。

 彼が戦後いい仕事をしただけに、残念な事実ですが……。

 ● 「祖国の柱」(国民歌謡。大木惇夫作詞。服部良一作曲。奥田良三歌。一九三七年十二月・コロムビア)。

 一、高梁(こうりゃん)枯れて 烏啼く
   赤き夕陽の 国境
   思えば悲し つわものは
   曠野の露と 消え果てて
   今は眠るか この丘に

 二、祖国のために 捧げたる
   いとも尊き 人柱
   苔むすかばね 霊あらば
   わが呼ぶ声に 谺(こだま)して
   塚も動けよ 秋風に

 三、手向(たむ)けの花は 薫れども
   赤き夕陽の 血に染みて
   風愁々の 音を忍ぶ
   幽魂ながく とどまりて
   祖国を護れ 亡き友よ

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コメント

 これは亡き兄がよく口ずさんでいたそうです。彼は昭和20年4月フィリピン沖で海の藻屑となったよし(享年20)、そして小生は7月に誕生、この子はシゲオの生まれ変わりだよと育てられたことから、永年この曲を探していました。
 姉から口伝えに聴いて曲を書き取りましたが、時を越えて人の心を打つものがあります。ようやく見つけた楽譜は作詞作曲とも日本の一流の手になるもの。さすが。当時の状況からしてお二方とも意に染まぬ仕事であったと推察していますが、軍歌ゆえに偏見をもつのは如何かと考えます。
 軍のイメージソング、戦争昂揚という目的からは程遠いものと思います。軍歌の体裁はとっていますが音楽性もたかく、軍国主義への反骨反発が秘められていると感じるのは私だけでしょうか。軍には音楽的素養がなかったのか、よくこの曲を軍歌と認めたものだと思います。
 私は今小説の真似事をやっております。ご高覧いただければ幸いです。題して、
椰子の風に吹かれてhttps://sites.google.com/site/yashinokazenifukarete/
佐々木三郎作品集
http://blogs.yahoo.co.jp/shusaku0410

投稿: 周作 | 2012.03.17 09:36

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