« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月

2008.05.01

The friends who came over on this star in the same times. I want to tell my present feeling to you. The past life was interesting. I will create the splendid lives together from now on.

 二〇〇八年五月一日。

 この星に 同じ時代に やってきて 面白かったね 「さぁ、これからも」

 という、僕の短歌を「Yahoo! 翻訳」で訳してみました。
 こうなりました。

 Come over in the times same on this star, and is interesting; from seed "さぁ, this"

 ちょっと無理なようですね。

 で、こんな文章にしてみました。

 この星に同じ時代にやってきた仲間たちよ。君たちに今の私の気持ちを伝えたい。これまでの人生は面白かったね。これからも一緒に素晴らしい人生をつくりだしてこうよ

 それでやってみたら、こんな訳になりました。 

 The friends who came over on this star in the same times. I want to tell my present feeling to you. The past life was interesting. I will create the splendid lives together from now on.

 こんなところでしょうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

高知市 仕事の夢を見て目覚めました。

 二〇〇八年五月一日。

 夢にうなされて午前九時に起きました。

 夢。
 「若いの」と二人で仕事をしているものです。
 すんなりといかないので冷や汗をかいています。
 何とか突破しなくてはとあせっているところで夢から覚めました。

 前の仕事に未練があるのだと思います。
 あの緊張感、あの充実感……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 高知大学名物の理髪店。健在でした。

025

 二〇〇八年五月一日。

 四時間目の授業を受けに高知大学にいきました。
 しかし、授業開始の時間になっても教室の鍵は開いていません。

 知り合いの院生の一人に電話。
 「もしかして、高知大学って、きょうは休みなの」
 「そうです」

 とぼとぼと帰っていると構内の理髪店にいきあたりました。
 大学の正門の近くです。
 この前から「僕が、ここの学生だったときにもあったけど、まだあるんだ」と気になっていました。

 高知大学に通ったことのある人なら、この理髪店は懐かしい存在だと思います。
 散髪したのは、えーっと四万十市にいったときだから……、何カ月かはたっているはずです。
 入りました。
 店主は僕と同年配の男性。
 この理髪店は大学が誕生した翌年からあるそうです。
 そして、彼は父の後をついだ二代目。
 話しているうちに僕と同じ中学校の同学年生だということがわかりました。
 MIさんでした。
 おたがいは知らない存在でしたが何人か共通に知っている同学年生の名前があがりました。

 ちなみに、料金は二千円でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市の高知大学で見た「招魂碑」です。

019   二〇〇八年五月一日。

 高知市の高知大学で見た「招魂碑」です。

 大正六年十二月に高知県師範学校校友会が建てたということです。

  この時期に、何のために建てられたものでしょうか。

 なぜ、ここ高知大学にあるのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 きのう見た花。きょう見た花。

003

023_2

 二〇〇八年五月一日。

 一枚目は昨日、高知市内で見た花。

 そして、二枚目は、きょう高知市の高知大学で見た花です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.02

ブログ演説  めっそう、年寄りをやしべるな。 「お年寄りの医療保険料と介護保険料をゼロにします」法案の方向に日本の政治を変えていきませんか。

 二〇〇八年五月二日。

 みなさん。こんにちは。

 私が、いま一番いいたいこと。それは「めっそう、年寄りをやしべるな」ということです。
 四月からスタートした後期高齢者医療制度のことです。
 千三百万人もの七十五歳以上の人を、これまでとは別枠の医療の内容を制限する制度に囲い込んでしまいました。
 日本共産党は、他の三党とともに国会に、この制度を廃止する廃止法案を出しています。国会で、この法案を成立さるために奮闘しています。

 この制度のどこが問題か。
 一番の問題は、この制度が、すべてにわたって差別医療であることです。
 たとえば「健康診断」は、七十五歳をすぎたら義務対象から外す。
 通院の場合、糖尿病や高血圧に「定額制(包括払い)」が導入され、必要な検査や治療が受けにくくなる。
 入院の場合は「退院支援計画」をつくった病院に診療報酬を上乗せするなど病院からの追い出しをはかる。
 「終末期医療」の場合は「在宅死」を推進し、ここでも病院からの追い出しをやる仕掛けをつくる。
 そして、亡くなった場合は葬祭費まで減額される。

 政府が、この制度を導入した目的は何か。
 七十五歳のお年寄りに対する差別を持ち込んで、医療費を削減しようということです。
 政府は、二〇二五年までに医療費を五兆円削減しようという目標を立てています。
 今月から天引きが始まったのは、千三百万人の加入者のうち八百万人です。健康保険の扶養家族だった人など一部凍結の対象になっているお年よりの天引きは十月からです。
 非課税措置がある税金とは違って後期高齢者医療の保険料は全員が払わなくてはなりません。わずか月一万五千円の年金から、介護保険料に加えて医療保険料まで天引きすることは、お年よりの命をおびやかすやり方です。
 年金が月一万五千円に満たないお年よりからは天引きはしません。しかし、滞納が続くと保険証を取り上げられて、窓口で医療費全額を払わなければならなくなります。これまでの老人保健制度では、病気がちなお年よりの特性に配慮して、決してやらなかった冷酷な仕打ちです。
 同制度は、保険料が二年に一回改定されます。七十五歳以上の人口が増えることなどで、保険料が際限なく上がる仕掛けになっています。「団塊(だんかい)の世代」が後期高齢者になる二〇二五年には保険料は、平均で年十六万円になるという試算もあります(四月二十五日、CS朝日ニュースター番組「各党はいま」での日本共産党の志位和夫委員長の発言)。

 日本共産党などの反対を押し切って、こんな血も涙もない制度をつくったのは自民党、公明党です。
 この制度、自民党支持者も公明党支持者も同じように苦しむことになります。
 「産経新聞」の十七日付に「『後期』とは社会の『別枠』か」という記事が載りました。書き手は、自民党の衆院議員だった八十六歳の「しおじい」こと塩川正十郎さんです。
 「しおじい」の所にも、この制度の通知がきました。
 「しおじい」は、その通知を見て、これは「私の人生を否定するもの」だと思ったといいます。「日本の政治からぬくもりが消えた」と実感したといいます。
 また、「しおじい」は、新幹線の中で見知らぬ高齢者から「わしらはもう死ねということですか」と涙目で訴えられたそうです。
 「国が間違っとる」と返すのがやっとだったといいます。
 「しおじい」は、この制度は「財政上の都合ばかり優先され、人間味が欠けている」と、いっています。
 まさに、そのとおりです。

 私たち日本共産党は、みなさんと一緒に、この制度を撤回・中止に追い込もうと、いま署名運動をやっております。
 ぜひ、ご協力をお願いします。

 みなさん。
 四月二十五日のテレビの「太田総理…秘書田中」をごらんになりましたか。
 えなりかずきさんが、「お年寄りの医療保険料と介護保険料をゼロにします」法案を提案していました。
 こうした方向こそが、政治の本道だと思います。
 現に日本でも一九七三年元日から八二年までは七十歳以上のかたの医療費は無料でした。

 いまこそ、日本の政治は、こうした、お年寄りを大事にする政治の方向に踏み出すべきではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知県 安芸ちんどん倶楽部(くらぶ)の追っかけをしようと思っています。

 二〇〇八年五月二日。

 あす、安芸ちんどん倶楽部(くらぶ)の追っかけをしようと思っています。

 【参考】

 ◎ チン、チン、ドン、ドン…人も街も笑顔で元気に/結成10年半の「安芸ちんどん倶楽部」/高知

   笑いふりまき心の交流も

 「町内のみなさま。笑いは健康の素(もと)です。いやでも、おかしくなくても笑いにまいりましょう」。高知県安芸市の安芸ちんどん倶楽部(くらぶ)です。結成して10年半、人々の爆笑とともに生きてきた同倶楽部の物語です。 (高知・藤原義一通信員)

   「アメリカには こんなのない」

 チン、チン、ドン、ドン…。カネ、太鼓、テナーサックス、アルトサックス…の、にぎやかな演奏です。けん玉をやりながら歩く72歳の男性も。
 3日午前、その日の午後に開かれる「土佐の芸人が大集合 弁天座初笑い」(香南市赤岡町)の宣伝で町内をねり歩きました。
 街角で出会った老若の女性たちは、立ち止まって「東京音頭」の演奏に手拍子を打ち始めました。そして、チンドンに割り込んで一緒に「写真を撮って!」。
 家々から人が飛び出してきます。チンドンについて回っていた同市のマイケル・ロバートソンさん(22)=アメリカ人の英語教師=は「すごく面白かった。アメリカには、こんなのないですね。初めて見ました」。

   自分も楽しく相手も喜んで

 1997年、安芸市で民族歌舞団「わらび座」の公演がありました。公演を成功させようと同市の有志たちがチンドン屋に扮(ふん)して市内を宣伝して回りました。好評だったので残していこうと、その年の夏、倶楽部を結成しました。モットーは「人の元気と、街の元気を」です。
 現在のメンバーは11人。赤岡町をねり歩いて口上をのべた座長でカネと太鼓担当の川島憲彦さん(60)=日本共産党安芸市議=や、赤い振り袖姿のテナーサックス奏者・宇田卓志さん(59)=土木工事会社社長=は、当時からのメンバーです。
 やっていてうれしかったのは? 二人とも、老人介護施設のホール、病室をめぐりチンドンをやったとき、寝たきりの人たちが涙を流して喜んでくれたことをあげます。
 「自分も楽しい。相手も喜んでくれる。そこに感情の交流、心の交流があるんです」と、宇田さん。

   「この感動、若い人も受け継いで」

 宇田さんは、ジャズのトランペット奏者、ルイ・ダニエル・アームストロング(故人)にあこがれていました。「昨年12月8日、高知市の、ひろめ市場の前でやっていたら通りかがりの男性が一緒に踊ってくれました。アームストロングがニューオーリンズの黒人街で『聖者の行進』を吹いているシーンとダブりました」
 次の日の9日、高知市で開かれた第2回高知県革新懇文化祭芸能大会にも出演。見てくれた女性教師が「私も参加させてくれませんか」と。
 太鼓の小松美紀さん(56)が倶楽部に参加したのも、同じようなきっかけです。3年ほど前、知人の結婚式で川島さんらがやったチンドンを見て、後ろからついて踊りました。「私は、これをやりたかった」とメンバーに。「見ているかたみんなが、おなかをかかえて笑ってくださる。その姿を見るのが喜びです」

   さぁ、新曲の「お富さん」?

 3日午後に開かれた「土佐の芸人が大集合」で、安芸ちんどん倶楽部は最後の出番です。「よさこい節」で登場しました。
 「みなさんがた、知らないかたが、たくさんあろうと思いますが、新しい曲でございます。さぁ、いきましょう。『お富さん』」
 1954年の〝新曲〟です。演奏に会場がわきます。「青い山脈」が続きます。舞台の近くまで寄ってきて、いくつもの「おひねり」をパーッと舞台に投げ入れてくれる人も。
 1月は、ほかに香美市土佐山田町のチャリティー紅白歌合戦(13日)、安芸市の消防の出初式のアトラクション(14日)と出番があります。安芸ちんどん倶楽部の今年の抱負は?
 「チンドンの使命は人の笑顔をつくること。今年もこれです」(川島さん)
 「街で音楽を吹いて踊ることができる。聞く人は楽しんでくれる。この感動を若い人に受け継いでいってもらいたいですね」(宇田さん)

( 2008年01月10日  くらし面 赤旗)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第三十三回高知県短詩型文学賞(短歌の部)の結果。僕の作品は「予選通過作品」の中にリストアップされていました。

 二〇〇八年五月二日。

 本日、第三十三回高知県短詩型文学賞(短歌の部)の結果の手紙が届きました。
 僕の作品は入選していませんでした。
 でも「予選通過作品」九作の中にリストアップされていました。
 「予選通過作品」のうち一人が文学賞、三人が佳作でした。

 来年は、なんとしても……。
 いい作品を詠まなくては。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 後期高齢者医療制度をやめさせましょうの、つじ演説。「お兄ちゃんのファンになっちゃったよ」。

 二〇〇八年五月二日。

 午前中は高知女子大の授業に。

 午後、地域で計四人で行動。
 後期高齢者医療制度をやめさせましょうの訴えです。
 僕はハンドマイクで何回か、つじ演説。
 この地域は、二回目です。
 ある僕より少し年配かなという女性が、ドアを開けて出てきてくれて「がんばって」と声をかけてくれました。
 一休みしたとき、その女性に会ったら「お兄ちゃんのファンになっちゃったよ」。
 ありがたいお言葉でした。

 やっ、時間です。こんどは高知短大の授業に向かいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「お母さん」は行方不明。どうなっているのでしょうか……。

 二〇〇八年五月二日。

 わが妻は、いまだ東京都在住です。
 本当は、もう高知市への引っ越しが終わっているはずでした。
 でも、「片づかない」といって引っ越しをのばしています。
 「なぞ」の行動です。
 固定電話は、もう取り外しています。
 で、携帯電話だけでつながっています。

 ところが、その彼女が四月三十日を最後に連絡を絶っているのです(携帯電話に電話しても出てこない状態)。

 本日夜十時ころ、東京都在住の息子から「もしもし」。
 「お母さん、どうなってるの。連絡がとれないけれど」。
 やっぱり……。

 これも東京都在住の娘に電話すると「きょう午後四時ころ、お母さんから電話がかかってきたよ」。
 しかし、その後の「足取り」は不明のままです。

 実は、僕も、彼女にお願いしたいことがあったんだけど……。
 「お母さん。どうなってるの」

 追伸

 三日午前七時三十四分、ついに「お母さん」から電話がありました。

 「夜十時なんて、もう寝てたよ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「学ぶこと」と「送り出すこと」。いま、ちょっと、ぎくしゃく。

 二〇〇八年五月二日。

 いま少し自分の中で、ぎくしゃくしています。

 「送り出したい」、そのためにも「学びたい」と思って高知短期大学に入学しました。
 入ってみると、高知短期大学は、かなりヘビーでした。

 毎時間、すごい「知的刺激」を受け続けています。

 授業を受けるごとに関心も広がって「あれも知りたい」「これも知りたい」に。

 一方で、実は目の前に「送り出したい」課題が山積みになっているのです。

 が、それらが、お預け状態になっています。

 ほかにも「やらねばならないこと」がたくさんあります。

 これらに、どう調整をつけるか。

 はやく学びながら、送り出しもドンドンできるような「自分の中のレール」をつけていきたいと思う、きょうこのごろです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.03

「街角のテナーサックス奏者」の写真。高知県安芸市の安芸ちんどん倶楽部(くらぶ)の「追っかけ」をしました。

085

249_2 188_2

二〇〇八年五月三日。
 
 朝五時半起床で、高知県四万十市へ。
 高知県安芸市の安芸ちんどん倶楽部(くらぶ)が、ご当地の祭りに出演するというので、その写真撮影のためです。
 「成果」は以上のとおりです。
 テナーサックス奏者」です。
 人を楽します行為というのは素敵なことだなぁとあらためて思いました。
 何か見ていて感動の涙が出てきましたよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市大津 ある先輩への「おたより」。いま「生み出したい」テーマ。

 二〇〇八年五月三日。

 暑いですねー。

 もう夜中ですが、窓、ドアを開け放って作業をしています。

 きょうは写真の撮影にいっていました。

 展示の作品として「発表」するつもりです(初めてです)。

 ブログにも載せましたが、僕としては「いいもの」になったと思っています。

「カシオの手書き・音声つき」のハングル辞典、おかげさまで、いま使っています。

まだ使い方がいまいちわからないのですが……。

連休明けにはハングルの一回目の試験があります。暗記していかなければならない項目がかなりありますが、覚えられなくて苦悩しています。

さぁ、あした、四日から「僕の連休」です。

東京に住んでいた妻が七日に高知市にやってきます(高知市に「永住」する予定です)。

八日朝には、東京の本宅(というのかな)の四部屋に詰め込んであった物がやってきます。

それを、こちらで少しスペースの空いている二部屋に収納することになっています。

八日朝までに、収納できる「空間」をつくっておかなければなりません。

その作業も明日からやらなければなりません。

次から次へ「用事」をつくっている僕です。

いま「生み出したい」テーマは以下のとおりです。

   短歌、川柳をたくさんつくって「発表」する。

   写真、たくさんとって、そのうちから「発表」できるものを生み出したい。

   歌集二千部を普及しきる。

   いま書いている本を完成させる。

   戦中史の調査と調査結果の発表。

   「本づくりの助っ人」の仕事を軌道に乗せる。

   表装の基礎を学ぶ。

   彫塑、陶芸に挑戦する。

僕の「悠々自適」は、何歳ころからでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.04

高知市 「半日を リポートづくりに ついやして……」。

 二〇〇八年五月四日。

 半日を リポートづくりに ついやして
 少しわかった
 連休二日目

 リポートのテーマは「後期高齢者医療制度の問題点 導入二カ月を前に」です。
 完成までには後何日かかかりそうです。
 勉強しなくては。
 午後、友人のMO夫妻がきてくれました。
 タケノコ料理とタケノコをゆでたものをもってきてくれたのです。
 朝食、昼食のおかずは魚の缶詰でしたが、夜は豪華にタケノコで。
 うまーい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.05

高知市大津 もうすぐ、「四部屋分の本」が来襲してきます。

 二〇〇八年五月五日。

 いま、高知市大津の、わが家では二部屋が「本の部屋」になっています。

 で、近々、東京都に三十ウン年くらしていた妻が「家をたたんで」帰ってきます。
 僕が東京都の家に残してあった本、彼女の本がやってくることになっています。
 実は、この本たちは「四つの部屋」においていたものです。
 「あんたの本はできるだけ捨てなさい」と、いってあるのですが、彼女が自分の本を捨てるはずがありません。
 実際、僕たち夫婦の財産は本だけなのですから。

 で、「四つの部屋」の本を収容するためにこの四日から新たな「本の部屋」二室の準備をしています。

 いままでの一階の「本の部屋」は戦争と平和関係の本と漫画、授業で必要な本を中心に収納する。
 これまでの二階の部屋と廊下は「いま使っている本」を中心にする。
 あとは新たな別棟の二部屋に押し込む。
 さぁ、これでうまくいくか。

 五日は朝から、下準備の本の移動作業をしました。
 で、途中でへばってしまって昼寝。
 うーん、本がトドッとくる前に受け入れの準備ができるかおぼつかなくなっています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 朗報。カズー仲間が一人増えたよ。

 二〇〇八年五月五日。

 三日、高知市と高知県四万十市を行き帰りしたとき、三人と一緒でした。
 行き帰りに「カズーって、面白い楽器ですよ」と、アピールしました。
 早速、素敵な女性(僕と同じ学年のようです)が反応してくれました。

 五日、電話がかかっていました。
 「さっそくカズーを手に入れました、うん、おもしろいね」
 と、いう趣旨でした。

 うれしいですね。
 カズー仲間が一人増えました。

 【参考】

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BA%E3%83%BC

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 東京都の妻の動向。人生を楽しんでいます。わが妻は。

 二〇〇八年五月五日。

 で、東京の妻の動向。

 夕方、電話したら、これから、息子、そのつれあいと食事にとのこと。
 人生を楽しんでいます。わが妻は。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 NHK総合テレビの「ニュース」に出ていた高知県立高知追手前高校で同学年生のYOさんのこと。

 二〇〇八年五月五日。

 夜八時五十分、NHK総合テレビの「ニュース」を見ていたら、四十年以上、ずーっと会いたいと思っていた人の名前が出てきました。
 高知県立高知追手前高校で同学年生だったYOさんです。

 彼女は、自分のチャーミングな表情を隠したいと思ったのでしょうか。表情を隠せる眼鏡をかけていました。
 どちらかといえば「孤高の人」。 あまり「仲間」をつくりたがらないタイプだったと思います。自分の世界を一所懸命につくっていた時期だったのでしょう。

 考えてみれば、彼女と、語り合った記憶がありません。

 「わーっ、すっげー」と、いうような素敵なバイオリンを弾きました。
 高校時代にも聴いたと思いますが、その後にも、いろんなコンサートにいって聴きました。 

 「音楽というのは、こんなこともできる」
 彼女によって、そのことを教わりました。

 僕は彼女のファンでした。

 ステージでの、彼女の「あご」だけでバイオリンを支えるポーズにほれぼれしました。

 二十歳で高知市を出て、その後、彼女のバイオリンに接する機会もないままです。
 
 「ニュース」ではYOさんが、がんとたたかっていたことを伝えていました。
 画面の彼女の表情は「孤高の人」などではなく、多くの人々を「ウエルカム」してくれそうな表情になっていました。

 会ってみたいですね。
 十代の彼女に。

 そして、六十一(たぶん)の彼女に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 国民学校六年生のとき「勝ちぬく僕等少国民」を歌っていた少女の、いま。

 二〇〇八年五月五日。

 夜十一時、ファクス到来。
 高知県四万十市の元海軍飛行予科練習生からです。
 僕の歌集を読んでの感想を書いてくれていました。

 その中に、歌「勝ちぬく僕等少国民」のことが書かれていました。

 「妻は『勝ちぬく僕等少国民』の歌、小学校(国民学校)六年の時、隣近所の者と大きな声で歌いながら登校したといってなつかしそうに大声はり上げ歌っていました」

 うおーっ、この歌をうたっていた人と出会いたいと思っていました。
 また、四万十市にいかなくっちゃあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 「片隅に 生きてる男(お)の子も それなりに……」。 

 二〇〇八年五月五日。

 片隅に 生きてる男(お)の子も それなりに
 人に恋して
 命を燃やす

| | コメント (0) | トラックバック (0)

僕は、実は「女解放の戦士」。ほんまかいな。

 二〇〇八年五月五日。

 一世代下の女性が僕のことを「女、男」と評しました。

 妻は、僕のことを「女のくさり」といっています。

 一方、高知大学、三年間いきましが、その同級生の、ある男性からは、「あのころは、お前ばかり持てやがって」と非難されています。

 女性たちの評価は、一見、寡黙なふりをしているけど、しゃべりはじめたら、ぐちぐとと「自分のこと」を、しゃべってやまない。
 そのしゃべる内容が「細かい」くて「執よう」。
 などの「優れた面」を表現してのことだと思います。

 その男性の評価は、僕が「女、男」として、女性たちを仲間として気軽に付き合ってきたことを勘違いしているのだと思います。

 大学時代に、僕のまわりに女性が一杯いたとういことは、僕に女性との「親和性」が、あったからだと思います。

 そのころは、僕は、いろんな事情から「女性解放の運動の戦士になろう」と、思っていました。

 実は、いまも、その志は変わらないのですが、僕の妻にたいする態度が、それにふさわしいかということについては、実情を知る世間から、かなりの「石つぶて」が飛んできています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.06

高知市 「人生は 人との出会いの ありようか……」。 

 二〇〇八年五月五日。

 人生は 人との出会いの ありようか
 六十一歳
 悟りの境地

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市  「『あら』という 魚の死骸 食っていて……」。

 二〇〇八年五月五日。

 「あら」という 魚の死骸 食っていて
 「うまい」と感じる
 人の残酷

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.07

札幌市の福山瑛子さんから彼女の小説集『矢臼別(やうすべつ)の人々』。

 二〇〇八年五月七日。

 札幌市の福山瑛子さんから彼女の小説集『矢臼別(やうすべつ)の人々』をいただきました。
 ありがとうございます。
 ゆっくり読ませていただきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ビデオで元兵士の戦争体験を撮る女性。

 二〇〇八年五月七日。

 本日、土佐女子高校出身で東京都在住の素敵な女性(四十歳)NEさんと出会いました。
 僕のブログの記事を見て、高知市在住の僕の妻の父が元特攻隊員だということを知って、妻の父の戦争体験を聞きにいらっしゃったのです。
 僕も取材に同席させてもらいました。
 ビデオで伝えたいということでビデオを撮影していかれました。
 ボランティアで、そうした活動をされているとのこと。大切な作業だと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市大津 「カキの花 枝いっぱいに 咲いていて……」。

025 006

 
 二〇〇八年五月七日。

 カキの花 枝いっぱいに 咲いていて
 実のなる季節に
 思いをはせる

 朝、庭を散策したらカキの花がいっぱい咲いていました。
 そして、ミカンの白い花も。
 楽しみです。
 いま、わが家で収穫できているのはイチゴとダイコン、そしてホウレンソウ。
 スイカは何か成長しませんねー。土が悪いのかなぁ。
 菜園を整理しましたので、何か新しい苗を植えてみることにしましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.08

高知市 英文和訳。短編の推理小説読むようにな感じです。

 二〇〇八年五月八日。

 短編の 推理小説 読むように
 英文和訳に
 浸っている夜

 意味がわかったとき、うれしい。ほんとに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市大津 妻の引っ越し荷物で、わが家は満杯に。

 二〇〇八年五月八日。

 七日午後十一時前、東京都から高知市の自宅に妻が到着。
 八日午前、妻の引っ越し荷物が到着。
 八つの部屋に段ボール箱などが積み上がっています。
 しばらくは、この引っ越し荷物との格闘しなくてはなりません。
 妻も僕も、かなり長く独り暮らしでしたので、「独りの自由」が好きになっています。
 さぁ、仲良く暮らせていけるでしょうか。
 ジャジャーン。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市の「Grass roots House」(平和資料館・草の家)が『United Nations Publication on Peace  Peace Museums Worldwide』(平和に関する国連出版 世界的な平和博物館)という本に紹介されていました。

 二〇〇八年五月八日。

 『United Nations Publication on Peace  Peace Museums Worldwide』(平和に関する国連出版 世界的な平和博物館)という英文の本を貸していただきました(一九九八年出版)。
 この本に、わが高知の平和博物館も二つ紹介されていました(四十四ページ、四十五ページです)
 平和資料館・草の家と高知市立自由民権記念館です。
 平和資料館・草の家は、Grass roots House という表現になっています。

 【参考】
 

 http://ha1.seikyou.ne.jp/home/Shigeo.Nishimori/

 http://www.minken.city.kochi.kochi.jp/top.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.09

高知市大津 菜園のキュウリ花、ダイコンの花が咲きました。

013 014

 二〇〇八年五月九日。

 キュウリ花 ダイコンの花 咲きました
 何だかうれしい
 初夏の朝庭

 妻は「疲れが蓄積してる。なんちゃぁやりとうない」と、テレビの前に陣取っています。

 菜園の水やり、洗濯、朝食の用意。いつもの僕の朝が始まりました。

 本日の予定。午前中、高知女子大の授業。午後、職安関係のセミナー。それから本屋と高知県立図書館に。そして、夜は高知短大の授業に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 「エクセルって こんなにかしこい やつなのか……」。

 二〇〇八年五月九日。

 エクセルって こんなにかしこい やつなのか
 無視してきてた
 二十数年

| | コメント (0) | トラックバック (0)

僕のダーウィンの船

二〇〇八年五月九日。

最近の短歌をまとめました。

女学生、「おー、できた。できた」と声上げる 「情報処理」の夜の教室

エクセルって超かしこいやつだった 無視して生きてた二十数年

短編の推理小説読むように英文和訳の辞書を引く夜

「あたりそう」 どきどきしながら身構える 四十年ぶり英語の時間

「この次はテストをやる」という教師 覚えられるかハングル単語

 

講義中、質問項目メモにする もっと知りたい六十一歳

読みかけの本数冊を積み上げて 今夜もあきらめ灯を消す

半日をリポートづくりについやして 少しわかった連休二日目

僕もいま、ビーグル号に乗り組んで知の海をいく 短大一年

短大の春の広場に わがゼミは 駄菓子屋を出す 「さあーて、売れるか」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.11

小説「雨の記憶」に涙しました。「楽しかったねぇ。新聞配達」。

 二〇〇八年五月十日。

 『民主文学』五月号の小説「雨の記憶」を読みました。

 死期に近い母と、その娘。
 二人の、こんなせりふがありました。

 「本当に、楽しかった?」
 震える声で、私は訊(き)いた。
 「楽しかったねぇ。新聞配達」

 ドドーッと涙があふれました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 また同居、「どこに行くのも、ともにしよう」の申し出でに、妻は……。

 二〇〇八年五月十日。

 また同居
 「どこに行くのも、ともにしよう」
 妻は「いやよ」と。「私は私よ」

 僕の提案に妻はバシッと……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 陶芸を習うことにしました。

 二〇〇八年五月十一日。

 妻と朝食。

 午前中、市内の陶芸家宅へ。
 一週間に一回、陶芸を教えてもらうことになりました。
 授業料は、一点につき千円。やっすーい。

 急いで家に帰り、妻と昼食。

 午後、英語劇「父と暮らせば」を見ました。

 それが終わると、文学の集まりに。
 ここで初めて前から話したかったNA先生と話すことができました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.13

高知市 「カ、ナ、タ、ラ、マ、パ、サ……」。覚えられるか。 

 二〇〇八年五月十二日。

 風呂に入り 「カ、ナ、タ、ラ、マ、パ、サ……」 唱えてる
 ハングル初級の
 テスト目の前

 今夜も隣の部屋で妻が寝ているというのに大声で唱えています。
 明日はハングルの母音と子音のテストです。

 あーーーーっ、覚えが悪い。
 ああ、眠たい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 この葉は、何という木の葉でしょうか。 

103

109  二〇〇八年五月十三日。

 エゴノキの花の写真をアップしておいたら、見てくれていた人がいました。
 ありがとう。
 十二日、高知市の城西公園に寄ったら、こんな木の葉と出合いました。
 この出っ張った所に種が入っているようです。
 四年ほど前に東京都の公園でも見ましたが、何の木だかわからずじまいでした。
 もし、何の木がわかるかたがいらっしやったら教えていただけませんでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 妻と同居後の初さや当て。いやはや、今後が楽しみ。

 二〇〇八年五月十三日。

 夜、前から買ってあったパソコンのスキャナの設定をしようと思い立ちました。

 「USBのコードがいるけど、どこかな」

 書斎の押し入れを開けたら、パソコン関連部品置き場の上に文書類がドドッ、ドドッと積まれていました。

 妻の仕業です。

 「こんなことをするな」
 「何いってんのよ。ちゃんとかたづけといてっていってあったのに、あんたがかたづけておかないから、あわてて、こうしたのよ。悪いのは、あなたじゃない」
 「何いってるんだ。これをどけろよ。探せないじゃぁないか」
 「何いってるよ。だいたい、こうなっていることを今になって気づくなんて遅すぎるわよ」

 こんなときの妻の目はつりあがっています。
 「だいたい、こうなっていることを今になって気づくなんて」という居直り言葉が出てきたら危険水域を超えています。

 そばに大きな花瓶がないのが幸いでした。てごろな花瓶があったら、僕は、いまころ、こんなことを書いていられなかったと思います。

 同居後、初さや当てでした。

 しかし、それにもめげずUSBのコードを探し当て、設定終了。
 写真を二枚、スキャナしました。

 もうすぐ午前零時。外は「ピカ」「ドドーーン」。雷をともなう大雨になっています。
 妻は、怨念を抱いたまま睡眠中です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.14

高知市 「ドドドドッと 思いっきり降り 青い空」。

 二〇〇八年五月十四日。

 ドドドドッと
 思いっきり降り
 青い空

 朝、いい天気になりました。
 妻は風呂の掃除などで朝食の仕度はしません。
 で、僕が二人分、ありあわせのもので用意。
 「八時十五分だよ」
 で、NHK総合テレビのドラマを見て対話復活。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市城西公園の「不思議な葉っぱ」の場所。

 二〇〇八年五月十四日。

 例の高知市城西公園の「不思議な葉っぱ」の場所は、以下の所です。

 「すべり山」から一番近い入口から入り、路をいくと、すぐ左手にあります。

 その近くに築山がある所です。

 ところで、きょうは時間を間違って高知女子大の授業に一時間前に到着。だいぶ混乱してきました。

 さて、もうすぐ「あした」です。英語の予習をやって寝ます。

 あすは朝から陶芸を習いに行って……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.16

あの藤原尋子(ふじはら・ひろこ)さんが始めた、すっごーいブログ、その名も「はちきんホエールズ」のこと。

 二〇〇八年五月十四日。

 僕が十九歳のときから、六十一歳のいままで付き合っている素敵な女性がいます。
 藤原尋子(ふじはら・ひろこ)さんです。旧姓は矢野です。

 高知市の小学校、広島市の小学校、高知市の中学校、高校、大学に通いました。
 そして、東京都の台東区、調布市、国立市、西東京市、国分寺市で公立中学校の国語の教師をやっていました。

 ほんの一部では、「世が世なら文部科学大臣に」という声もあったぐらい、シャープな人です。

 ご存知のかたも多いと思います。

 いま、五月から高知市に引っ越してきて「次の何か」をやろうとしています。
 その彼女が本日夜、ブログを始めました。
 その名も「はちきんホエールズ」です。

 「はちきん」というのは、男性の四倍ですから、すごいパワーがあって、しかも優しい女性のことです。
 「ホエールズ」は、高知のクジラと「ほえる」をかけた言葉と見受けました。

 そのうわさのブログは、ここです。

 http://www.kochijin.com/165/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

陶芸教室、初日。右手の形を刻み込んだビールジョッキー。

 二〇〇八年五月十四日。

 とにかく午前九時までに。
 オートバイで走りました。
 生徒一人の陶芸教室です。
 先生に、粘土のねりかたから教えていただきました。
 本日は、ビールジョッキーつくり。
 てびねりです。
 非常に丁寧なつくりかたを教えていただきました。
 できあがったビールジョッキーを、右手で握りしめて、右手の形を刻み込みました。
 これで、ぐっと持つことができます。
 形は、できました。
 これから、どうするか。
 来週から楽しみです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

センダンの木に紫の花。サークル部室「守れ」の行動。東洋史の青木学生部長との関係。

021_2

 二〇〇八年五月十四日。

 午後、「ポピュラー音楽基礎」の授業を受けに高知大学に行きました。
 正門の右手のセンダンの木に紫の花が咲いていました。
 写真を撮っていると白人の女性が「これは何という木ですか」と、僕に問いかけてきました。
 「センダンです」
 お互いに日本語の会話です。
 (英語でいってくれれば、英語で答えたのに……)
 高知大学のセンダンの木は、かなり切られていますが(この件については、そのことを指示した誰かに断固抗議)、まだ、たくさん残っています。
 僕たちが高知大学に入学した年の五月、僕たちはセンダンの花、そのかおりの中にいて、青春に酔っていました。
 しかし、そのころの僕は、花に何の関心もありませんでした。
 少し、大学の構内を散歩しました。
 二階建ての兵舎跡のサークル部室は、立派な建物になっていました。
 あれは、一年生のときでした。
 サークル部室がなくなろうとしていました。
 「守れ」の行動に参加しました。
 学生たちは、東洋史の青木学生部長などと徹夜で交渉しました。
 僕も、もちろん、それに参加しました。
 その青木先生が、僕の指導教官でした。
 青木先生との「緊迫した関係」。これが、僕の、その後の大学生活に「やな影響」を与えました。
 ま、いろいろありましたが、青木先生の授業をきちんと受けなかったのが、いま悔やまれます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ついにCD「山口百恵 全曲集」を買いました。いま、「女の子」時代を聴いています。

 二〇〇八年五月十五日。

 ついにCD「山口百恵 全曲集」を買いました。
 本日の夜中のことです。

 これまで、何度も買いたくて、買いたくて、飼いたくて、我慢して、我慢して、我慢していたものです。

 とにかく高い。

 午後の高知大学の「ポピュラー音楽基礎」の講義で、彼女の曲が紹介されました。
 それで、やもたても……という感じで、高知短期大学の授業、代議員会が終わると、一直線に、それが置いてある店に。

 まだ、売れていませんでした。
 よかった。

 いま、初期のものを聴いています。
 声がいい。
 僕は、語学では声の区別があまりできませんが、心に響く声の識別能力はあるつもりです。
 歌詞が、いい。
 曲が、いい。

  「おかしな恋人」というのもあったんですね。

 心に響き過ぎる歌詞でした。

 この時期の彼女の歌のキーワードは「女の子」ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 アクセル実習。うまくいっていません。あせ、あせ。

 二〇〇八年五月十六日。

 「打ち込んで 平均求めて 刷りなさい」
 アクセル実習
 あせりにあせる

 高知短期大学の「情報処理Ⅰ」です。
 結局、二つ目の課題は完成せず、次週に持ち越し。

 弱点は正確に数字の打ち込みの遅さ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.17

高知市展に出す予定です。【彫刻】「慈悲」(若い女性の頭像です)、【写真】「街角のテナーサックス奏者」(二点)など。

 二〇〇八年五月十六日。

 もう、「あした」になってしまいます。
 やっと高知市展(五月二十四日~六月二十日。高知市文化プラザかるぽーと)に出す作品の「調整」が終わりました。

 【彫刻】 「慈悲」(若い女性の頭像です)。
 【写真】 「街角のテナーサックス奏者」(二点)。
 【陶芸】 三点つくりましたが、そのうち一点が出る予定です。

 思えば展示して見てもらえた体験の最初は、二〇〇六年の高知県南国市の「貫之短歌大会」でした。
 この時、僕の短歌一首も色紙の形で展示されました。
 そして、高知市大津の文化祭に二つ、短歌の額を出しました。
 そして、そして、今年の高知ペンクラブの展示会に短歌と写真を組み合わせた額を出しました。

 「展示して見ていただけること」はむじょうの喜びです。
 お願い、高知市展に見にきててください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 「人生って出会いだなぁ」って思うとき。

 二〇〇八年五月十七日。

 「人生って出会いだなぁ」
 初夏の夜中に、そんなことを思っています。

 僕に本を読むことの楽しさを教えてくれた女性がいました。
 高校一年生のときでした。

 髪の毛が一メートル以上もある女性が目の前に現れました。
 絶世の美女でした。
 大学二年生の春でした。
 そのとき以来、「いつも一緒」でした。
 たぶん、おたがいに「この人と結婚することになるかも」と、感じていたと思います。
 言葉の行き違いで、そうはなりませんでした。

 そんなとき、「向かい風に髪をなびかせている」女性が、かたわらにいました。
 二十歳のときに、その女性と結婚を約束しました。
 その彼女は、どうしたって?
 いるんですよ。同じ家に。
 隣の部屋で、音もなく熟睡しています。

 彼女は六十歳。僕は六十一歳。
 彼女は、大学時代からやっていた「母親運動」に、まい進する予定です。
 僕は、夜間の短期大学の一年生。
 彼女は、僕の三度の食事をつくってくれています。
 彼女にとって僕は、わがままな学生の息子でしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 宇津野一の谷遊歩道の陸軍錦部隊の壕(ごう)の跡。

074

 二〇〇八年五月十七日。

 戦争中、高知市内の国民学校、中学校などの「御真影(昭和天皇、皇后の写真)」を同市の秦国民学校に疎開したようです。
 そのことを調べ始めました。
 午前中、高知市の前里へ。当時の国民学校の児童に、その件で話をお聞きました。
 その過程で、この地域には当時、満州(中国東北部)からの陸軍の錦部隊が展開していたという話になりました。
 「その錦部隊のつくった壕(ごう)に案内しましょう」
 で、案内していただきました。
 着いたところは市内宇津野の「宇津野一の谷遊歩道」の入口でした。
 どんどん山道を登っていきます。道の右手は谷川です。
 素敵な遊歩道です。
 少し登ると谷川の向こうに大きな壕がありました。
 入口はふさがれています。
 その少し上手にも同じような壕がありました。
 これも入口はふさがれています。
 そのかたによると、この上には当時、錦部隊がつくった道路があるといいます。
 いまは「市道円行寺三谷線」だそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 街角で出合った「憲法九条守れ」のアピール。

096

 二〇〇八年五月十七日。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.19

高知県いの町 「わが前に すっくと立った 短歌(うた)一つ」。

114

141

 二〇〇八年五月十九日。

 十八日、短歌の会の吟行会(ぎんこうかい)に参加しました。
 会場は、高知県いの町の「土佐和紙工芸村 くらうど」でした。

 わが前に すっくと立った 短歌(うた)一つ
 ああ、この人の
 命の声か

 カタコトと コーヒー置く音
 それぞれの 短歌(うた)選びとる
 二十数人
 
 「こうしたら」「それはいかんよ」
 熱入れた 議論が続く
 初夏の歌会
  
 心して 「後ろずさり」を 排すべし
 議論の中で
 短歌(うち)一つ出る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.20

高知市 「妻寝かせ 悲恋映画に 浸ってる……」。

 二〇〇八年五月二十日。

 妻寝かせ 悲恋映画に 浸ってる
 六十一も
 涙を流す

 思いつつ すれ違っていく 恋のこと
 重ね合わせる
 「ラブストーリー」
 
 何度目かの韓国映画「ラブストーリー」です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.21

高知市 ハングルの子音のテスト、書けましたよーーっ。

 二〇〇八年五月二十日。

「おっ、書けた」
 子音のテスト 大正解
 ハングル教師は 「来週、母音ね」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 冬越したハイビスカス。まず一つ目の赤い花が咲きました。

023

 二〇〇八年五月二十一日。

 冬越した ハイビスカスは 八本か
 まず一つ目の
 赤い花咲く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市  「『私、いま、こんなテーマで 調べてる』 夜間短大 対話は数分」。

 二〇〇八年五月二十一日。

  「私、いま、こんなテーマで 調べてる」
 夜間短大
 対話は数分

 二十二歳の女性です。
 いろんなことに関心を持って突っ込んでいこうとしています。
 頭が下がります。
 
 しかし、本日はグロッキー。

 ● 職業安定所へ。

 ● 表装教室のことで、香美市へ(これは弟の乗用車に同乗して)。

 ● 高知市の「布師田」へ。

 ● 青年二人を、わが家に招いて、おしゃぺり。

 ● 高知女子大の授業へ。

 ● 高知短期大学の授業二科目。

 ● 家に帰って表装の訓練。

 ● 社会科学演習のレジュメつくり。

 ● これから、「英語初級Ⅰ」の予習。

 ● あすの陶芸教室でつくるものをデザインすること。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 「♪まるで妹みたいと いつも、みんなにいわれる あなたと、私は不思議な関係……」。

 二〇〇八年五月二十一日。

 もうすぐ「あす」です。

 くり返し山口百恵さんの「おかしな恋人」を聴いています。

 「♪まるで妹みたいと いつも、みんなにいわれる あなたと、私は不思議な関係……」

 何か、すごい、いい歌詞ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.23

高知市 パキスタンでの未婚の男女の性交にたいする人々の厳しすぎる処罰の話。

 二〇〇八年五月二十二日。

 本日午後、パキスタン人の男性から、パキスタンでの未婚の男女の性交にたいする人々の厳しすぎる処罰の話を聞きました。

 すごい内容でした。

 この人がホラを吹いているとは思えませんが、あまりにも、すごい内容だったので、自分でも調べてみてから、その内容を明かしたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 「命令語 妻との対話で 教えられ」。

 二〇〇八年五月二十三日。

 命令語 妻との対話で 教えられ

 長年やってきた仕事のせいか、妻は、僕との対話でも「丁寧な命令語」を乱発。

 反対に、僕が「●●を取って」といえば「あなたが近い」。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.24

サブプライム問題 勉強し始めました。

 『サブプライム問題とは何か アメリカ帝国の終焉(しゅうえん)』(春山昇華著、宝島社新書)のリポート  「プロローグ ステップ返済がサブプライムローンになる時」

   二〇〇八年五月二十四日

 ここでは大きくいって四つのことをいっています。  一、アメリカにはサブプライムローンというのがあるんですよ。それは、こういうものですよ。 二、このローンが、二〇〇七年六月から八月にかけての世界の金融市場を揺さぶったんですよ。 三、要するにサブプライムローンというのは悪徳サラ金と同じようなものですよ。 四、アメリカの「住宅バブル崩壊」でサブプライムローンの被害が拡大したんですよ。  きょうは、一にあげました、このサブプライムローンというのはどんなものなのかということをつかんでおきたいと思います。  ● 低所得者向けの住宅ローンです。対象者の多くは、銀行口座を持っていない、ローンの延滞履歴があるなど、普通の住宅ローンの申請条件を満たすことができない、そのままでは政府の住宅購入促進策の恩恵は受けられない層ですよ。 ● このローンでは、最終的に低所得者が月々の収入では到底返せないような支払い条件でローンをくませています。当初、二年間程度の返済条件を軽くして融資しておいて、据え置き期間が過ぎたら返済額が急増する形が多いですよ。 金利は、通常金利に3%程度上乗せしています。据え置き期間が過ぎたら返済金利が10%以上になったものもありました。 ローンに食いつきやすくて、据え置き期間中なら払えるけれど、この期間が過ぎたら払えなくなって破たんするということを始めから見越したやり方です。 その極端な例が、ニンジャローンです。 (十五ページの二行目から五行目まで)  ● サブプライムローンの会社は、ローン債権の転売をして、このローンの借り手が破たんしても会社は困らないようにしています。 (十六ページ一行目から五行目と、十七ページ最後から六行目から十八ページ三行目までに説明があります)  ● 典型的な借り入れパターンが紹介されています。 (十二ページ最後から三行目から十三ページ七ページ目まで)  文献を探していたら、この問題についてわかりやすい記事がありましたので、以下、紹介します。  ● ここが知りたい特集/サブプライム金融危機/金融商品の金ピカ偽装/サブプライム問題日本にも暗雲  (前略)  サラ金版住宅ローン  問題の発端は、米国でサブプライム住宅ローンの焦げ付きが急増したことです。サブプライムローンは、返済能力が十分な顧客(プライム)ではなく、返済能力の低い人(サブプライム)に高い金利で貸し付けるローンです。ローンが焦げ付く危険と引き換えに、金利を高くしています。いわば、「住宅ローンのサラ金版」です。 米国では一般に、将来の値上がりを見込んで不動産や証券を購入して貯蓄代わりにします。数年来の住宅ブームの中で、値上がりを見込んだ住宅購入が急増しました。住宅ローンには所得税控除があって「節税」効果が大きいため、ローンが住宅購入を促しました。 借り手にとっては、値上がりした住宅を担保に別のローンに借り替えると、前のローンより多く借りられるので、前のローンを返した残りを消費に回すことができます。住宅ローンは、住宅を購入するという本来の目的のほかに、消費者ローンの代わりにも使われました。そして、住宅の値上がりが個人消費を促し、個人消費が米国の景気を支えました。  値上がりが前提  プライムローンが伸びなくなると、ローン会社は貸し出し条件を緩和し、サブプライムローンを増やしました。サブプライムローンの対象は、低所得者や、ローンを焦げ付かせたり、自己破産したりした経歴がある人など、信用力が低い人です。 サブプライムローンには、初めの二―三年間は返済額を低く設定し、その後、高くなる仕組みのものが多くあります。低所得者でも、とっつきやすくするためです。 借り手の側では、返済額がはね上がる前に別のローンに借り替えると、月々の返済額を低く抑えることができます。 借金はどんどん増えていきますが、住宅が値上がりする限り、帳尻は合います。サブプライムローンの中には、返済できなくなったとき、担保の住宅を引き渡せば、全額返済したことにするというものもあります。 貸す側も借りる側も、住宅は値上がりするものと決めてかかっていたのです。しかし、永久に値上がりし続けることが不可能なのは、かつての日本の「土地バブル」からも明らかです。 住宅ブームが陰ってくると、ローンの焦げ付きが始まりました。二―三年後に返済額がはね上がる仕組みですから、焦げ付きは今後も増えていくとみられます。  返済能力考えず  それだけでなく、サブプライム住宅ローンは、元利の返済を受ける権利(債権)が転売され、証券化されました。 転売と証券化で、ローン会社は、返済期限以前に元利の全額を手にし、それをまた貸し付けることができます。債権を購入した銀行やその代理人がローンの回収を行うため、借り手が返済できなくても、ローン会社はもはや関知しません。ローン会社は、返済能力を考えず、ひたすら貸し付けを増やすことに走りました。 中には、「うそつきローン」というのがあります。ローンを申し込む人に所得を実際より多く記入させます。NINJAローンというのもあります。ノー・インカム(収入なし)、ノー・ジョブ(仕事なし)、ノー・アセット(資産なし)の頭文字をとって、NINJA。無収入・無職・無資産の人にも、購入する住宅を担保にローンを貸し付けるのです。  金融大手が証券化  証券化の技術は米国で発展しました。証券化というのは、不動産などの資産を担保にして、証券を発行し資金調達を行うことをいいます。住宅ローンの場合は、ローン会社などが貸し付けた長期の住宅ローンを担保にして証券化を行います。 サブプライムローンはもともと低信用層向けですから、貸し倒れなどの危険が高いものです。そのため、サブプライムローンをもとにした証券化商品を売りさばくには、金ぴかに「偽装」して見せる必要があります。 金融機関は、証券化という複雑で高度な金融技術を駆使することで、危険を隠すとともに、手数料や利ざやをかせぎまくっていました。 この証券化を積極的に行っていたのが米国のメリルリンチやシティなどの巨大金融機関でした。 彼らは、サブプライムローンを集めて住宅ローン担保証券(MBS)を作り、投資家に販売していました。さらに、消費者カードローン、自動車ローンや中小企業向けのローンなど別の証券を組み合わせて、証券化を重ねた債務担保証券(CDO)を作り出していました。何重にも証券化を重ねることで、証券化商品にどんな危険性が存在しているのか、非常に分かりにくくなりました。  投機的基金使う  証券化商品を販売する際には、投資家の好みに合わせて、危険が低いものから高いものといった格付けをし、小口に分けて販売します。 そのうち、危険の高い証券化商品を多く購入していたのは、ヘッジファンド(投機的基金)です。ヘッジファンドの活動はベールに包まれていますが、大手金融機関はヘッジファンドに巨額の資金を提供し、傘下に置いてきました。大手金融機関は、傘下のヘッジファンドに危険の高い商品を引き受けさせることで、危険の低い証券化商品を「金ぴか」商品として世界中で売り出すことができたのです。 証券化商品が「金ぴか商品」であることを名乗るためには、第三者による「品質保証」が必要です。その保証を行うのが格付け会社の役目です。 しかし、格付け会社の利益のもとは、証券を発行する金融機関からの手数料です。それで、審査が金融機関に「甘くなる」と指摘されています。しかも、サブプライムローンの場合、格付け会社が受け取る手数料は、通常の社債よりも高く、格付け会社も証券化作業に参加し、口をはさんでいたといわれています。  別動隊をつくる  証券化の舞台となったのが、SIVと呼ばれるペーパーカンパニーでした。SIVは、大手金融機関が自らの事業活動から切り離すために設立した特別目的事業体のことです。いわば、大手金融機関の別動隊です。税金逃れのために、多くはタックスヘイブン(租税回避地)に登録されています。 SIVは、大手金融機関が保証をつけているため、その信用力によって低コストで資金を集め、利益をあげる仕組みになっています。現在は、約三十のSIVが存在するとみられています。  バブルはじけ損失  大手金融機関は、証券化することで、住宅ローンの返済の遅滞や不履行の危険を回避することができるとされてきましたが、住宅バブルがはじけると、損失が一気に表面化しました。シティやメリルリンチは、数兆円もの損失を出しています。 大手金融機関はSIVに対して、「事が起きたとき」の保証をしているために、その保証実行を迫られるという形で、危険が大手銀行にブーメランのように戻ってきたためです。また、大手金融が自ら抱え込んでいた住宅ローン担保証券や債務担保証券が値崩れを起こしています。  保証会社に打撃  信用不安は、証券化商品の保証を行っている、モノラインと呼ばれる保証会社の経営問題に飛び火しています。モノラインは、単一の事業という意味で、金融保証保険を専門に行う保険会社です。債務者が債務不履行になった場合、モノラインが元利支払いを行うことを投資家に対して保証しています。もともとモノラインの保証の主力は地方債です。このため、混乱は、地方債にまで広がっています。モノライン最大手のMBIAは、資金繰りが悪化したため、債務担保証券などの保証業務を一時中止する事態に陥っています。  金利下げ副作用  サブプライム金融危機に直面した各国の中央銀行は、短期資金を市場に供給しました。また、震源地の米国では、連続的に金利を引き下げました。金利の引き下げは、マネーの暴走を加速させる副作用をもたらします。このところの原油や穀物などの価格の高騰も、投機マネーが原因と指摘されています。一方、預貯金金利はゼロ近辺のままです。 米国の大手金融機関は、大量の人員整理を開始。日本の金融機関もサブプライムローン関連商品の損失を拡大させています。 世界経済は、米国の「過剰な消費」に頼った経済運営を行っていました。すでに米国の消費は赤信号が点滅。特に、米国への輸出に依存してきた日本経済の先行きには暗雲が広がっています。 (「しんぶん赤旗」日刊紙、二〇〇八年三月二日。北川俊文、金子豊弘)  疑問1・アメリカでは銀行口座をつくる条件は、どうなっているのでしよう。  疑問2・ローン債権の転売というのイメージがよくわかりません。説明していただけませんでしょうか。    【参考】  ● サブプライムローン   フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から。  サブプライムローン(米:subprime lending)は、主にアメリカ合衆国において貸し付けられたローンのうち、優良顧客(プライム層)向けでないものをいう。狭義には、住宅を担保とする住宅ローンに限定されるが、広義には、自動車担保など住宅以外を担保とするものを含む。一般的に他のローンと比べて信頼度が低いとされている。 2007年夏頃から、主に住宅ローン(狭義のサブプライムローン)返済の延滞率が上昇し、これを組み入れた金融商品の劣化をきっかけとした金融不安に関わる問題が起きている。報道機関がこの問題を扱う際に、しばしば低所得者向けローンであるとの説明が加えられ、収入が乏しい借り手に多額の貸し付けを行ったというニュアンスで取り上げられるが、厳密には信用度の低い人向けのローンである。実際、信用力の評価基準に所得の多寡は含まれていない。   概要  サブプライムモーゲージ(subprime mortgage)ともいい、通常は住宅ローン担保証券(RMBSもしくはMBS)の形で証券化され、さらにそれらが債務担保証券(CDO)の形に再証券化されて、投資家に販売される。RMBSやCDOは格付け機関により格付けされており、市場で取引される。つまり、不動産のローンによる売買そのものを証券化し、金融機関や投資家の間で取引されたことになる。 住宅ローンの実施にあたっては、債務者の信用力を数値化したFICO信用点数が用いられる。十分な信用力を有している債務者に対しては、プライムローンとして扱われる。ここで所定の基準を満たさない債務者に対する貸付を行う場合を総称し、プライムローンに対して、サブプライム(sub-下に prime-優れた→信用度の低い)ローンと呼ぶ。債務者の所得水準が低い場合が典型的であるが、信用力を超えた借入を行って不動産投資を行う場合などにも、同様にサブプライムローンが利用されている。 一般的な特徴としては、貸付利率が通常の住宅ローンに比べて高くなり、貸付者が取る信用リスクも高くなる。このため、債務者が弁済を容易とするための特別なアレンジや、貸付を行う側としては、貸付リスクの分散が通常の住宅ローンよりも重視されることとなる。 サブプライムローンの貸付残高は拡大したが、債務者の信用水準が一定基準を満たさない者に集中しているという本質的な特質から、返済の遅延・不能、および波及的効果としての信用の収縮など、以下のような問題点が表面化している。  問題点  背景  サブプライムローンに限らず、アメリカにおいて、住宅ローンの返済方法として、当初数年間の金利を抑えたり、当初数年間は金利のみの支払いを行ったりと、当初の返済負担を軽減したものが普及し、そのため債務者が自分の返済能力を無視した借入を行うことが可能となり、そのような貸付が増加していた。 本質的には債務不履行のリスクは通常の住宅ローンよりも高い構造を有しているものであるが、住宅の価格が上昇している場面においては、返済の破綻はこれまでは必ずしも表面化しなかった。債務者の所得が上昇せず、生活費が上昇して本来であれば返済に行き詰まる状況であっても、住宅価格が上がっている場合には、債務者は住宅価格の値上がり分について、担保余力が拡大することから、その部分を担保に、新たな追加借入を受けることができた(ホームエクイティローン)。これにより破綻を先延ばしするだけでなく、消費を拡大することもできた。 また、住宅価格が大きく上昇すれば、当該住宅を転売してローンを返済し、さらに売買差益も得ることも可能であった。当初負担の軽い返済方式の普及によって所得からすれば本来、住宅ローンを組めない人にまでローンを組む人が増えて、住宅ブームが拡大する間は破綻が表面化せず、むしろ住宅ブームを加速した。  過熱  このように当初の支払額を軽減した返済方式は、当初期間経過後、支払額が急増するというリスクがある。以下は参考のため日本における住宅購入に、サブプライムローンを適用したと仮定して説明する。3千万円の住宅の購入に当たり、全額を無利子で借り入れたとすると、10年ローンでは月々の返済は25万になる。ここで最初の3年間は月々10万に抑えると残り7年は月々約30万強の返済額になる。現実的な契約では利息がつきもっと複雑になり、最初は返済金に占める利子の割合が大きく、ここで返済額を抑えると元金がほとんど減らない状況もありえる。 所得の確実な増加が見込めるならば、住宅価格の上昇を前提とせずにこのようなローンを組むのも合理的だと言えるが、所得が伸びない低所得階層には全く不向きである。ところが住宅ブームの中で、高利回りの債権の開発の要請と、債権の需要から、米国へ移民して間もなくクレジットヒストリーの無い外国人や、クレジットヒストリーの瑕疵からプライムローンの対象にならない顧客にも積極的に貸し付ける様になり、更には住宅価格の上昇を前提として低所得階層にまで半ば強引な貸付が行われ、サブプライムローンが拡大していった。低所得者層に十分な説明が行われないまま契約を行ったり、複雑な説明をして契約を行った例がある。中には当然プライムローンの対象となる優良な顧客に対してサブプライムローンを貸し付け、より高い利息の収益を図った例もある。一方で、利息が低い期間の間に住宅価格が充分に上昇すれば、支払った利息を超える差額を手にして転売することが出来るし、支払いを着実に行えばクレジットヒストリーの蓄積とみなされて、より利率の低いプライムローンへの借り換えも考えられる。しかし、サブプライムローンの行き過ぎは1990年代後半頃から問題視されるようになり、同時に住宅バブルが指摘されるようになる。 このような行き過ぎの中で、低所得階層に過重な手数料を求めたり、あるいは返済できないために低所得階層が物件を差し押さえられ住宅を失ったりといった問題が生み出された。この問題は略奪的貸付(predatory lending)として知られる。かつてアメリカでは、貧しい黒人居住地域を金融機関が融資上差別したことが、レッドライニングと呼ばれる社会問題を生み出したが、住宅ブームの中で、むしろ貸し過ぎが問題にされるようになった。なお、この略奪的貸付については、低所得階層が貸し込み先になっているという意味で、日本における消費者金融の多重債務問題や、バブル経済下での目先の収益獲得に追われた金融機関による、中小・零細企業からの貸し剥がしと性格が似ているという指摘がある。 もともとアメリカの住宅ローンでは、融資する側では金融機関による融資とローン債権の流動化がローンの拡大を支えていたが、流動化がこのような信用力の劣るサブプライムローンにまで及んできたことは、サブプライムローンの拡大を下支えした。  延滞の増加・信用の収縮  しかし、住宅価格上昇率が2006年に入って以降急速に鈍化すると、予測されたことだが、サブプライムローンの延滞率が目立って上昇を始めた。2006年末に住宅ローン全体の約13%を占めるサブプライムローンにおいて利払いが3か月以上滞る延滞率が13%を超えた。担保住宅処分後により8割は回収できるとされるが、その想定が甘いとの指摘もある(日本経済新聞2007年3月19日による)。 (サブプライムローンを借りて、差し押さえになった世帯の10~20%は、頭金がなしで、利子を一度も払ったことがないとのこと。差し押さえまで最短でも1年かかるために、一年間はただで住んだことになる。 債務者の延滞が顕著となってくると、次は、サブプライムローンの貸し手である融資専門会社に対する融資に金融機関が慎重になり、専門会社の中には資金繰りが悪化して経営破綻する例が出始めた。大手金融機関では貸倒引当金を増やさざるを得ず、利益を圧迫する結果になっている。 2007年3月13日に大手のニュー・センチュリー・ファイナンシャルが、経営破綻が懸念されるとしてNYSEでの取引が停止され、上場廃止が決まった。3月20日までに連邦倒産法第11章に基づく資産保全を申請した会社は4社、業務停止は20社以上となった。その後、ニュー・センチュリーは4月2日に連邦倒産法第11章の適用を申請した。 サブプライムローンは貸付債権として証券化・分割され、複数の金融商品に構成要素の一つとして組み入れられた。そもそも金融商品には本質的に高い利回りを求められる。サブプライムローンは高率の返済利息に裏づけられた高利率を期待できる貸付債権であった。一方で、本質的に高いリスクを内包するサブプライムローンを分割し、他の安全な証券と組み合わせて金融商品を構成することで、リスクを制御・抑制することが出来ると考えられた。 金融商品については、必ずしも構成要素にサブプライムローンが含まれていることを明示していないものがあった。また、サブプライムローンを組み入れているものであっても、大数の法則・担保の提供によりリスクが軽減されていると考えられたが、実際にサブプライムローンの延滞率が上昇してくると、必ずしも当初の目論見どおりにリスクがヘッジされているわけではなく、金融商品自体が想定された利回りを下回ったり、元本自体の返済が不能となったりする例が浮上してきている。 こうして、サブプライムローンの信用リスクの顕在化は、この債権を組み込んだ金融商品そのものの信用リスクに波及した。 2007年6月22日には、米大手証券ベアスターンズ傘下のヘッジファンドが、サブプライムローンに関連した運用に失敗したことが明らかになり、問題は金融市場全体に拡大した。ファンドの中には、資金繰りが悪化して資金の引出を停止したり、解散を決めたりするものが相次いだ。ファンドは大手金融機関から多額の融資を受けており、問題の拡大が懸念された。ヘッジファンドは、高い利回りを求めて、住宅ローン担保証券の中でもリスクの高いエクイティ債や、エクイティ債を組み込んだ債務担保証券に好んで投資してきた。 7月10日には米格付け機関のムーディーズが、サブプライムローンを組み込んだ住宅ローン担保証券RMBSの大量格下げを発表した。この結果、投資家がリスクマネーの供給に慎重になるなど、心理的影響の波及も懸念されている。さらに、この格下げのタイミングが後手に回ったとして、格付け機関自体の信用度を疑問視する意見も出ている。 また、サブプライムローンに関する問題は、いわゆる優良な顧客としての、通常の債務者を対象とする住宅ローンなどの貸付に関する貸付の縮小の動きにも繋がっていることから、限定された債務者に対する貸付の問題のみならず、より広く融資・信用供与のシステム全体における動揺をもたらしかねないとする懸念が起こっている。  個人向け貸し付けへの影響  住宅ローンの返済遅延等の増加や、住宅価格の低下により、クレジットカードの利用増加及び、貸し倒れが増加している。詳細はクレジットカード#2007年のサブプライム問題の影響を参照。 また、高金利のペイディローンに手を出す人が増えている。   金融政策的対応  サブプライムローンに関する信用への問題が顕在化するにつれて、それを要因に含んだものとされる各国の株式市場の株価の下落や、為替におけるドル安の動きなどが見られた。アメリカ合衆国の政府はじめ金融当局は、サブプライムローン問題の直接の金融システムないしは信用システムに対する危機的悪影響を否定しているが、アメリカ連邦準備制度理事会や各国の中央銀行は、市場に対する資金の供給量を増すなど、本問題を契機とする信用問題に対して一定の対策を取りはじめている。 8月、事態を重く見たジョージ・W・ブッシュ大統領はサブプライム問題の被害者への救済に乗りだすことを表明した。  資本市場への影響、及び問題の本質  サブプライム問題の背景として論じられる幾つかの要素は、必ずしも本現象の直接的な要因とは言えないものもある。例えば変動金利型ローンは、銀行等の住宅ローン債権者にとって元来管理が難しかった金利変動リスクを、デュレーション(債権キャッシュフローの平均回収期間)の短期化を通じてより効率的に管理する有効なツールであり、サブプライムビジネス固有の金融商品ではない。 また、サブプライム層に対する融資も、(強制的な貸付け等、一部に指摘されている様な倫理的に問題のあるケースを除き)借り手の信用力がローン金利の高低等によって適切に調整・吸収されている限りは問題ない。問題となるのは、あくまで債権者側が従来見積もっていた様な債務不履行確率(及びそれに基づく貸付金利の設定)以上に実際の債務不履行事象が発生する等の場合であり、また、その様なアウトライヤーイベント(想定外の事象)の発生するリスクはサブプライムローンに限らず、より信用力の高い貸し手に対するローンビジネス、或いは金融以外の様々な経済取引においても同様に起こり得ることである。 ベアースターンズやBNPパリバ等のヘッジファンドのニュースにしても、本質的には一部の金融機関が一部の金融取引でのアウトライヤーイベントの発生によって想定外の損失を被った、ということでしかない。ただし、2007年7月から同年8月にかけて、サブプライム問題を材料に世界中で株価の急落や信用市場の混乱、果てはFRBによる公定歩合の緊急引き下げといった事態にまで発展した最大の要因は、幾層もの証券化を通じて住宅ローン債権の本来のリスク特性が見えなくなっていた中で、市場参加者の多くがパニック的に極端なリスク回避行動に出たことにあると言える(2008年現在進行中の事象であり、解釈には注意が必要)。 なお、市場参加者の中にはサブプライム問題を材料にした、極端な円高や住宅担保証券の下落で大きく利益を上げた者も多い。Institutional InvestorのAlpha誌の調査によると、2007年のヘッジファンド業界の報酬トップはPaulson & Co.の創業者、ジョン・ポールソン氏の37億ドル(約3800億円)だった。ポールソン氏のヘッジファンドは住宅担保証券の下落で大きな利益を上げた。興味深いことに、ポールソン氏は元ベアースターンズのマネジングディレクターである。  ● 貧困・投機・環境――資本主義は限界かテレビ朝日系番組 志位委員長大いに語る  日本共産党の志位和夫委員長は、十八日放送されたテレビ朝日系番組「サンデープロジェクト」が企画した「資本主義は限界か」に出席し、田原総一朗氏のインタビューを受けました。コメンテーターは、朝日新聞編集委員の星浩氏、米戦略国際問題研究所非常勤研究員の渡部恒雄氏でした。 (中略)  田原 (中略)アメリカでサブプライムローンが破綻(はたん)し、アメリカ経済が大打撃を受け、これは世界にも及び、日本の経済がだめになっている。実はそのマルクスが、百年以上前に、将来は、資本主義の限界が見えてきて、その限界で破綻すると。そういう状態にいまなっているのかなあと思っている人が多いけれども、志位さんはどう見ますか。 (中略)  志位 いま「資本主義の限界」といわれたんですが、ちょっとフリップをつくりましたが、大きくいって、世界でも日本でも、貧困と格差が広がり、それから投機マネーが暴れまわって、穀物や原油に流れ込んで高騰をもたらしている。(田原「石油は一バレル百五十ドルと、むちゃくちゃなことになっている」)そうです。もう本当の高騰で、全部の生活必需品を値上げさせていますよね。それから環境破壊で、地球温暖化まで出てきた。マルクスは資本主義の本性は「利潤第一主義」で、儲(もう)け第一でともかく突っ走ると。この暴走がどうも限界にきているとやはりいえると思うんですね。 (中略)  田原氏は、つぎに、「いま一番聞きたいのは、アメリカのサブプライムローンが焦げ付いて、いま大問題になっていますが。これはどう見ます?」と質問。志位氏は次のように答えました。 志位 サブプライムローンというのは、いわゆる低所得者向けの住宅ローンです。これを詐欺商法のようなひどいやり方で貸し付けて、貸し付けた側はすぐ証券にして売り飛ばしちゃう。そして、手数料だけ取るという非常にひどいやり方がはびこった。 田原 この詐欺商法を具体的にいうと、とにかくマイノリティー(少数民族)とか、所得の低い人たちのためのサブプライムローンで、金利が高い。ところが頭金がなし、最初は金利がほとんどなく、安くて借りやすい。それで、三年、四年たって(利息が)ガーンと上がってくる。どうすればいいのかと。住宅(の価格)が上がるんだから売り払えばいいといっていたのに、住宅が下がってしまった。 志位 住宅が上がり続けることを前提にしたものだったんですが、そんなことはありえないですから、ボーンと下がって大破綻が起こった。 田原 どうしてアメリカの資本主義が発達した先に、こんな詐欺商法になっちゃったんだろう。 志位 マルクスの言葉を一つ。『資本論』のなかでこういう言葉が出てくるんです。「信用制度が…過度投機の主要な梃子(てこ)として現れる」と。それから、「信用制度は…巨大な賭博とペテンの制度にまで発展させる」と。 田原 このサブプライムローンは賭博とペテンだと。 志位 そうですね。サブプライムローンというのは、賭博とペテンの典型だと思いますね。 田原 渡部さん、賭博とペテンですか。 渡部 過度な場合はそうでしょうけれども、ではいま、信用制度がなくなったらお金は借りられないから、たとえば中小企業がビジネスをすることもできないんですよ。 田原 アメリカが過度な賭博とペテンをやったから、アメリカにたいする信用がなくなり、ドルがどんどん安くなったということがありますね。 志位 そうです。ですから、そういう事態がありますが、私たちは信用制度全体をなくせといっているわけではない。「過度な投機」というところが問題です。 田原 アメリカがそうです。 志位 アメリカがそうです。もう一つは、過度な投機マネーがどれだけ暴れまくっているか。これは、三菱UFJ証券がつくった金融経済と実物経済の比較表です。実物経済は世界のGDP(名目)で、四十八・一兆ドル(二〇〇六年)。 田原 たいした伸びはない。 志位 それでもまあ伸びています。それでガーっと伸びているのは金融経済のほうで、百五十一・九兆ドル。ですから、百兆ドルぐらいの差があるわけですよ。 田原 実物経済より、金融経済がドーンと伸びていると。 志位 ドーンと伸びている。これが全部が投機マネーとはいえませんけど、(この資料を)分析した方によれば五十兆ドルぐらいは余ったお金だということです。この余ったお金が世界中を徘徊(はいかい)して、原油や穀物に流れ込んで、そしてこれで一番困っているのは、世界の庶民です。それから発展途上国でしょう。食糧危機で暴動まで起こっている。やはり、非常に深刻な限界が表れていると思います。  投機マネーの問題から、日本経済のあり方に議論はすすみます。 田原 そこで聞きたいんですが、実はそのサブプライムローンの影響は、日本はほとんどありません。サブプライムローンでやられているのは、やっぱりアメリカとヨーロッパなんですが、日本にはほとんど影響がないんです。にもかかわらず日本の株が、ドーンと下がっている。一番の震源地はアメリカなのに、ニューヨークの株価よりも日本の株価のほうがドーンと落ちている。なんで日本がこんなにダメなんだ。 さらに、ちょうど去年八月以来、つまり自民党が負けたときから、外国人の投資家がどんどん日本から逃げていっている。どうも日本を見捨てているんじゃないか。なんで、こういうことが起きるのか。 そういえば志位さん、実はこの一人当たりのGDP(国内総生産)で、OECD(経済協力開発機構)のランクで言うと、日本は九三年には二位だったのに、いま十八位にまで落ちている。ドーンと落ちているわけです。それから、実はこれは世界経済フォーラムが出典の国別競争力では、日本は八位です。技術、情報技術競争力にいたっては十九位で、もうドーンと日本は落ちている。これは何でなんだろう。 志位 (日本の)株が落ちたことについていいますと、直接的には田原さんがこのフリップ(外国人投資家の株式売買動向)を出しましたが、外国人投資家がどんどん売った。大体いまの日本の株式市場の(売買の)六割ぐらいが外国人投資家ですが、この人たちは短期の株の売買で利ざやを稼ぐという動きをするわけで、この人たちが売った。 これが直接的な原因だと思うんですが、問題はなぜそういう売りが出たかということです。根本を言えば、日本の経済が、“外需頼み、内需がないがしろ”になっている。(田原「つまり輸出頼みね」)輸出頼みになっている。つまり「成長」というが、伸びているのは輸出なんです。「繁栄」というが、繁栄しているのは一部の輸出大企業なんです。それで、経済の五割以上を占める家計消費をはじめとする内需のほうは低迷している。つまり内需を犠牲にして、外需を強くすればいいというやり方が行き詰まった。(田原「ずっとそれできたの日本は」)ずーっとそれできたんだけれども、とうとうそれが行き詰まって、そこを見透かされる。 つまり、そうなると、アメリカのほうでサブプライム(問題)が起こる。アメリカの市場が収縮する。そうすれば輸出が危ないぞということで、パッと逃げていくという状況だと思います。 田原 ほんとはね、アメリカの信用がだめになったら、ぼくは日本株でも買おうかと思って。 志位 でも、外需頼みの経済をつくってしまったのだから、ここは経済のあり方を内需主導で、とくに家計を大事にする、家計にテコ入れをして、経済が健全に発展していくような方向をとるべきです。そうしないと、長期的には、先ほど言った国際競争力の問題にしても長期の展望が出てこなくなります。(田原「内需ですね」)内需が大事だと。 (後略) (「しんぶん赤旗」日刊紙、二〇〇八年五月十九日)  この記事の全文は、日本共産党中央委員会のホームページに掲載されています。  http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-05-19/2008051925_01_0.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 「ベトナムの 僧の焼身 シーン見て……」。

 二〇〇八年五月二十三日。

 ベトナムの 僧の焼身 シーン見て
 涙が、涙が……
 「平和学」の夜(よ)

 娘より 若い同級 親切で
 アクセル問題
 も一つクリア

 若きらも わが年配も 助け合い
 夜間短大
 学びの花咲く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.25

高知県 初めての掛け軸が完成しました。

 二〇〇八年五月二十五日。

 午前八時十分、雨の中、朝から高知県香美市の表装の教室に。

 なぜか、オートバイの後ろには妻が。

 教室の近くの「夢の温泉」のとこに妻を下ろし、教室へ。

 三作品が同時進行です。

 で、初めての掛け軸が仕上がりました。

 僕の短歌を妻が書いたものです。

 仕上がったといっても、ほとんど先生がやってくれたものなのですが…。

 正午に終わり、温泉をたんのうした妻を拾って高知市へ。

 とにかく妻は温泉が大好きです。  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「政治には優しさ必要だと思いませんか」。雨の中、後期高齢者医療制度をやめさせましようの訴え。

 二〇〇八年五月二十五日。

 雨の中、午後から、高知市大津を三人でまわりました。

 後期高齢者医療制度をやめさせましようの訴えのためです。

 昨日に続いての行動です。

  「きのうも、まわっていましたねえ」(女性)という声も。

 印象的だったのは「どうやっても、この悪い政治は変わらん」と話し合いを拒もうとした八十歳代の男性のことです。

 帰りがけのちょっとした声がけで一気に対話の花が咲きました。

 「戦後、シベリアに抑留されていた。その補償が、たったの十万円……」など、しっかり話し合うことができました。

 ● 政治には優しさ必要だと思いませんか。

 ● 年寄りを「やしべた」政治はいかんぜよ。

 を、キャッチフレーズに、また、回っていきたいと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 昨年末に退職してから、いろんな「お役」をいただいています。

 二〇〇八年五月二十五日。

 昨年末に退職してから、いろんな「お役」をいただいています。

 順にのべていきます。

 一月 平和資料館草の家(高知市)研究員。

 五月 月刊誌『高知歌人』編集委員。

 五月二十五日 平和資料館草の家理事。

 いまは、つぎのようなテーマで動いています。

 ● 英語、韓国語、社会科学、文学、音楽、表装、陶芸、彫塑の勉強。

 高知短大、高知女子大、高知大学の授業を受け、高知短期大学の三つのサークルに入っています。

 彫塑は、いま「お休み」になっていますが、家でも小さな物をつくっていきたいと思っています。

 ● 「戦時下の高知」の実態の調査。

 ● 後期高齢者医療制度を廃止させるための運動。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 言葉のこと1 「じゃいちゃう」。

 二〇〇八年五月二十五日。

 最近、妻が、高知市で開かれた、あるつどいで「じゃいちゃう」という言葉を聞いたと教えてくれました。
 土佐弁で「しっとしている」という意味だといいます。
 非常に便利な言葉で、その後の夫婦の対話でも「あんた、じゃいちゃうがやない」などと双方で使わせていただいています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 言葉のこと2 「何々なの」。

 二〇〇八年五月二十五日。

 僕自身の言葉で、後で気がついて気持ちが悪いのは「何々なの」という「女言葉」を常習していることです。
 妻や娘、娘の娘たちと「つきあっている」せいでしょうか。
 出てしまうのです。「の」言葉。
 自分でも「きもい」と思うのですが……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 言葉のこと3 「じゃんか」「じゃんか」「じゃんか」「じゃんか」。

 二〇〇八年五月二十五日。

 本日夜の、あるつどいで、ある人の行動と発言に、ほんの少し物申しました。
 そのさい、僕は、「じゃんか」という言葉を四回使ったそうです。
 同席していた妻が「『じゃんか』は、ため口で、あの場にふさわしくない」と、批判してきました。
 「ほー、じゃんかという言葉を使ったじゃんか」
 でも、ま、六十一歳が、僕より若い「偉い人」に「ため口」をきくのは「容認」の範囲ではないでしょうか。
 で、「じゃんか」って、どこの言葉でしょうか。
 僕は「無国籍」になってしまっ、どこの言葉かわからなくなっています。
 ちなみに、僕は、本格的に「ことをかまえる」ときは「威圧するのに便利な特殊な広島弁」で、しゃべることにしています。
 本日の「じゃんか」は「国籍不明」ですが、かなり「おとなしい」言葉だったと思うのですが……。
 僕が本当に怒ったら、そんなありきたり言葉ではすみません。
 それは、そうしたバトルのたった独りの相手、わが妻だけが知っています。
 いつでも、どこでも、好々爺の藤原義一です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 「なにいってるのよ。私が、あなたのパンツを何万回洗ったというのよ」。

 二〇〇八年五月二十五日。

 ある僕の、かなり親しい知り合いの家の話です。

 彼の妻は、妙なくせがありました。
 風呂に入るときに、脱いだパンティを風呂場に置き、そのまま出てしまうのです。
 その娘の母の影響か、同じことをします。
 夫君は、それらのパンテイをひらって洗濯して干していたそうです。
 最近、その夫が、妻に、「こうだったね」と、過去のことを非難めかして語りました。
 そうしたら、彼の妻が研ぎ澄まされた角を、にょきにょきと出して、うれしそうに、こういったといいます。
 「なにいってるのよ。私が、あなたのパンツを何万回洗ったというのよ。あなたは、日に二回、三回と着替える人でしょ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市  「『一途(いちず)』って 言葉のあること 思い出す……」。

二〇〇八年五月二十五日。

 「一途(いちず)」って
 言葉のあること 思い出す
 幼なじみに 恋いする映画

 韓国映画「天国からの手紙」を観て。

 女は、過去の、淡い恋など「なんちゃって」で、ずぶとく競争社会を生き抜いているのに、男って、いつまでも子どもみたいに純朴で、その昔の恋に一途過ぎて、かわいそすぎるよーーーーーーーーっ。
 一途なオッパーは、オッパーは、オッパーは……、グスン、グスン、グスン。
 ごくごく一部の、女性たちは、いつも、男性の「一途」に気づかないで……。

 僕の妻に観せたい映画の一つです。

 たぶん、「つまんないーーーーーっ」て、あくびすると思うけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.26

高知市 本日の、つじ演説、十一回。

 二〇〇八年五月二十六日。

 「がんばって」 農婦の声に 励まされて
 十一回目の
 マイクを握る

 午後一時から、三人で高知市大津の地域を回りました。
 後期高齢者医療制度を廃止させようの呼びかけです。

 僕はハンドマイクの担当。
 自転車の荷台にハンドマイクを積んでの移動です。
 風邪を引いたようで、つじ演説中、声がかすれています。

 移動中、向こうから自転車でやってきた農婦が、励ましの声をかけてくれました。
 「よーっし、あと一回」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.27

高知市 今年になってつくった二枚目のビラ。

Image1

 二〇〇八年五月二十七日。

 僕がつくりだしたいものの一つに「ビラ」があります。

 今年になって二枚目のビラが、いまできあがりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.28

高知市 ハングル、ハングル、ハングル。出発点で悪戦苦闘しています。

 二〇〇八年五月二十七日。  「韓国語初級」。  このところ、これで僕の「世の中」は回っています。  ハングル、ハングル、ハングル。出発点で悪戦苦闘しています。  本日は先週に続いて小テスト。  授業の初めに先週の返してもらいましたが、なんと百点。  さぁ、今週のテスト。  試験用紙を前にして、がく然。  さっきまで覚えていたのが頭から消えてしまっています。  めろめろの結果でした。  その後の授業は超スピード。  途中、ある学生から「はーーーっ」という深いため息が出ました。  最後は、「自分の名前をハングルで書きなさい」  これもおたおた。  これは違う、これも違うと先生の指摘を受けて、ようやく完成しました。  「はーーーっ」  でも、ここで逃げたら一生、ハングルはものにできそうにありません。  が、がんばるぞーーっ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008.05.29

後期高齢者医療制度の廃止を、なぜ求めるのか 導入後二カ月に当たって

 二〇〇八年五月二十九日。

 

  自民党のホームページに「長寿医療制度テレビCMを発表」という記事が載っています。 

 「わが党が制作した長寿医療制度(後期高齢者医療制度)のテレビCMが完成し、河村建夫広報本部長と野田聖子広報局長が(5月)27日、党本部で記者発表した。CMは元衆院議員の浜田幸一氏(79)が同制度に加入するお年寄りの代表として、わが党を叱咤激励する内容。画面いっぱいに映し出された浜田氏が『自民党はおじいちゃん、おばあちゃんを大事にする政党なんだろ。だから制度をつくったんだろ』と同制度を導入した理由を視聴者に力強く訴え、『かわいい子供たちのためにも頼むよ!自民党!』と締めくくっている。30日から沖縄県で放送を開始し、党ホームページやLDPチャンネル(You Tube)でも放映される。」

 このCMは、自民党のホームページの次のページで見ることができます。

 http://jp.youtube.com/watch?v=QPBICWwKVZ

 長寿医療制度、つまり後期高齢者医療制度への国民の批判を「捨て身の正面突破作戦」で乗り切ろうというものです。

 しかし、私は、このコマーシャルは、この政権の命取りになるのではないかと思っています。

  私が、この制度への批判で、一番ぴんときたのは、ことし一月七日に放映されたテレビ東京系「主治医が見つかる診療所」での北海道の旭川赤十字病院の脳神経外科医の上山博康さんの、つぎのような発言です(日本共産党中央機関紙「しんぶん赤旗」二〇〇八年一月九日付)。

  「(後期高齢者医療制度は)七十五歳以上にはまともな医療は受けさせないで、医療費を削減しようということだ」

  「七十五歳になったら、『長生きおめでとうございます。今日から医療費の心配はいりません』というならわかるが、逆に年金から天引きで負担が増えていく。しかも四月からの診療報酬改定で、七十五歳以上の方の治療をやるほど、病院が赤字になる仕組みができたら差別医療になりかねない」

  「やがて公園に死体が転がる時代になる」 

  「施行するのが理解できない」

 五月二十五日朝のNHKの日曜討論は、政府、各党の代表の討論でしたが、タイトルは「後期高齢者医療制度 見直しか? 廃止か?」でした。

 四月一日の、この制度の発足から、もうすぐ二カ月ですが、すでに、「そのまま存続」と、いうことは問題にされていません。

 それほど、この制度には問題があるということだと思います。

 五月に入ってからの各世論調査でもこの制度を「廃止すべきだ」は、共同通信で46・5%、ANNで62%と高率です。私も、この法案は廃止すべきだと思います。

 以下、後期高齢者医療制度の問題点をみながら、「廃止すべきだ」の理由をのべます。

 【後期高齢者医療制度の役割】

 政府は、七十五歳以上の人(政府は、後期高齢者と呼んでいます)全員を、これまで加入していた国民健康保険や健康保険から脱退させ、七十五歳以上の人だけが加入する新しい独立の医療保険制度に組み入れました。 それが、後期高齢者医療制度です。

 なぜ、こういう制度をつくったのでしょうか。 厚生労働省の社会保障審議会の特別部会報告に、その本音が書かれています。

 そこでは「後期高齢者の心身の特性」について「老化に伴う生理的機能の低下により、治療の長期化、複数疾患への罹患(りかん)が見られる」「多くの高齢者に……認知症の問題が見られる」「いずれ避けることができない死を迎える」とまとめています。

 また、厚生労働省は、この制度によって二〇一五年までに五兆円の医療費が削減できるという試算を示しています。

 後期高齢者医療制度の解説書、『高齢者の医療の確保に関する法律の解説』(二〇〇八年二月発行・法研)が出ています。編著者は、同制度創設に携わった土佐和男・高齢者医療制度施行準備室室長補佐です。

 この解説書の「後期高齢者の診療報酬体系の必要性」の所で、四月からの診療報酬(医療の値段)で、七十五歳以上だけ別建ての終末期医療の診療報酬体系を新設した理由を解説しています。

 土佐氏は、「年齢別に見ると、一番医療費がかかっているのが後期高齢者」「この部分の医療費を適正化していかなければならない」と強調。特に終末期医療の問題を挙げ、「後期高齢者が亡くなりそうになり、家族が一時間でも、一分でも生かしてほしいと要望して、いろいろな治療がされる。それがかさむと500万円とか1000万円の金額になってしまう」と、延命を求めることが医療費膨張の原因であり、問題だ、と決めつけました。

 そして、「家族の感情から発生した医療費」を「抑制する仕組みを検討するのが終末期医療の評価の問題である」として、後期高齢者の新たな診療報酬体系の意図が、「延命治療」の制限にあると力説しました。 「後期高齢者の場合は、高額な医療費を使っても亡くなられる事例が多い」「それを抑制する仕組み」などとして、この制度によって、七十五歳以上の終末期医療費を抑え込むことができると説明しています。

 どうせ治らない、いずれ死ぬのだからとばかり、「医療費の削減」を目的にしてお年寄りを差別するという、この制度の本質が語られた文書だと思います。

 【予防、外来、入院、終末期まで差別、差別】

 この制度では、七十五歳を越えたというだけで、病気の予防から、病院の外来、入院、終末期まで、あらゆる場面で差別がおこなわれます。

 後期高齢者医療制度では、医療費の窓口負担は、「原則=一割」「現役並み所得者=三割」で変わりません。ただし、政府は、後期高齢者とそれ以下の世代で、病院・診療所に払われる診療報酬(医療の値段)を別建てにし、格差をつけようとしています。

 ● 病気予防でいえば、健康診断は行政の義務ではなくなりました。

 ● 「保険でかかれるのはここまで」と、治療費に上限をつける「定額制」が導入されました。そのため、外来では、糖尿病や高血圧で診療所にかよっている人は、検査の回数を減らされたりして、手厚い治療がうけにくくなります。

 ● 政府は、七十五歳以上の人の病院追い出しをすすめる新しい診療報酬制度を導入しました。これにもとづいて「『退院支援計画』をつくるので、早く退院してください」とせまられます。

 ● 政府は、「終末期医療」にかかる費用を削減し、「在宅死」をふやそうという方針を出しています。「終末期」と診断されたら、本人や家族に「延命治療はひかえめに」などの「誓約書」を出すことをすすめられます。

 ● 亡くなった場合は葬祭費まで減額されます。 こうした差別医療については週刊誌も追及しています。

   「がん 脳卒中ほか 団塊(だんかい)世代はやがて 年間47万人が斬り捨てられる 後期高齢者の終末医療 『延命やめたら医師に お手当2千円』 『高齢者は1分でも早く死ね』 あまりにも酷(むご)すぎる厚労省の本音文書入手!」(『週刊ポスト』、五月九・十六日号)。

 「福田〝姥捨て〟政権が究極の〝老人いじめ〟 冷酷! 後期高齢者『余命宣言』制度の仰天中身 『延命治療』カットで『治療費のかかる老人は早く死ね』と言うのか 『年金天引き』と同時に秘かに スタートしていた」(『週刊現代』、五月十、十七日号)。

 【年金月一万五千円の人からも保険料を天引き】

 保険料も過酷です。

 ● 収入ゼロでも、「扶養家族」でこれまで支払う必要のなかった人でも、すべての人が保険料をとられます。 高知県の場合、年平均八万一千六百二円です(高知県国保・児童課の試算)。

 ● 保険料は年金から「天引き」です。 「天引き」の対象は年金が月一万五千円以上です。 つまり年金が月一万五千円の人も、介護保険料(全国平均四千九十円)とあわせると毎月一万円を「天引き」されるのです。 四月十五日から天引きが始まったのは、千三百万人の加入者のうち八百万人です。一部の自治体や、健保の扶養家族だった人など一部凍結の対象になっているお年よりの天引きは十月からです。 この保険料は、二年ごとに見直され、七十五歳医療費や人口が増えるにしたがって自動的に引き上がる仕組みです。

 日本共産党が厚生労働省のデータをもとに計算すると、後期高齢者医療制度の保険料は「団塊(だんかい)の世代」、私など終戦後のベビーブームの世代、が七十五歳になる二〇二五年度には、いまの二倍以上の年額十六万円になるといいます。私の年金の二カ月分です。

 ● これまでは、七十五歳以上の人は、障害者や被爆者などと同じく、“保険料を滞納しても、保険証を取り上げてはならない”とされてきました。 しかし、この制度では、年金が月一万五千円に満たないため「天引き」できない人が保険料を滞納すれば保険証を取り上げられて、短期保険証・資格証明書を発行されることになりました。窓口で医療費全額を払わなければならなくなります。

 年金は二カ月分が一度に支給されます。この制度の保険料も、この日に年金から二カ月分一緒に天引きされます。これから引き続く、二カ月に一度の年金支給日は後期高齢者たちが、この制度をつくった自民党、公明党への憤りをつのらせる日となることでしょう。

 【後期高齢者医療制度の略史】

 この差別的な高齢者医療保険制度は、財界と政府・与党の合作です。

 高齢者を年齢で切り離す医療保険制度の原案が作られたのは、一九九七年、橋本龍太郎内閣(自民党、社民党、さきがけ政権)の時です。 小泉純一郎厚相の下で、同省が公表した「21世紀の医療保険制度」(同年八月)のなかに次のように明記しました。

  「高齢者の医療については、心身の特性等を踏まえ…別建ての制度とする」「全ての高齢者について保険料を徴収する」―。

 小泉氏は一九〇一年四月に首相に就任します。

 小泉内閣の時の二〇〇一年秋、経済財政諮問会議で厚労省が高齢者狙い撃ちの医療費抑制策を打ち出しました。

 これに対し、日本経団連会長の奥田碩トヨタ自動車会長(当時)が「新しい高齢者医療制度の創設を含めて抜本改革が必要だ。早急に改革案を提示願いたい」と迫りました。

 それに応え、公明党の坂口力厚労相が「後期高齢者に着目した保険制度の創設」の試案をまとめました。

 二〇〇六年二月十日、小泉内閣は、後期高齢者医療制度を盛り込んだ医療改悪法案を国会に提出しました。

 この法案に明確に反対したのは日本共産党です。

 たとえば、六月八日の参議院厚生労働委員会では、小池晃議員が、「七十五歳以上のお年寄りを集めて、そこではできるだけ医療費を抑制する仕組みという全体像だ。まるで『うば捨て山』のようになるという批判が出るのは当然だ」と追及しています。

 論戦で制度の欠陥ぶりがぼろぼろ出てきました。 しかし、六月十三日の参議院厚生労働委員会で、自民党、公明党は「審議を尽くした」と採決を強行しました。

 この医療改悪法案には、日本共産党のほかに、民主党、社民党も反対しました。

 しかし、採決した同じ委員会で、民主党、社民党は「心身の特性等にふさわしい診療報酬とする」という差別医療導入につながる内容を盛り込んだ付帯決議には賛成しました。

 自民党、公明党は参院でも強行採決を繰り返し、小泉内閣が提案した後期高齢者医療制度を含む医療改悪法は六月十四日に成立しました。

 公明党は、この法案について「『国民皆保険』の信頼守る」「公明党の主張を随所に反映」(「公明新聞」二〇〇六年六月十五日付)としました。

 【自民党の中からのとまどいと批判】

 この問題への国民の批判の中、自民党の中でも揺れが出ています。

  「産経新聞」の四月十七日付の「塩爺の よく聞いてください 元財務相 塩川正十郎」というコラムに「『後期』とは社会の『別枠』か」という記事が載りました。

 書き手は、自民党の衆院議員だった「しおじい」こと塩川正十郎さんです。

 大阪府東大阪市に住む「しおじい」の所にも、この制度の通知がきました。 「しおじい」は、その通知を見て、こう思ったといいます。

  「私は昭和21年の復員後から60余年、86歳の今日まで無我夢中で働き、懸命に人生を歩んできたつもりだ。しかし、その紙きれは私の人生を否定するものでしかなかった。

 世間や社会の『別枠』『邪魔者』になってしまったのか…。例えようのない寂しさ、悲しさに襲われた」 また、「しおじい」は、大阪から東京に向かう新幹線の中で見知らぬ高齢者から「わしらはもう死ねということですか」と涙目で訴えらかけられたそうです。

 「国が間違っとる」と、返すのがやっとだったといいます。

 「しおじい」は、「今回の後期高齢者医療制度は財政上の都合ばかり優先され、人間味が欠けている」と、いっています。

 まさに、そのとおりです。

 七十八歳の堀内光雄衆議院議員(自民党)は、月刊誌『文藝春秋』六月号に「『後期高齢者』は死ねというのか 七十八歳の私も保険証を返却した。ただちに凍結せよ」と題する手記を寄せています。

 堀内さんは、この制度によって「私が約五十年にわたって経営に携わってきた富士急行の健康保険から放り出されてしま」ったということです。

 「長年にわたって保険料を支払い続けてきた場所から、本人の意志も確かめずに一片の通知で保険証を無効にする、そんな強権が国にはあるのだろうか。不快感と寂しさを抱いた……」と、いいます。

 「四月から施行された『後期高齢者医療制度』。この制度の内容を見ると、私を含めた七十五歳以上の人たちはもはや用済みとばかりに、国が率先して“姥(うば)捨て山”を作ったかのような印象を受ける」

 本当に、そうですねー。 「日本は世界一の長寿国である。国民が安心して老後を過ごせる制度を作るのが、官僚、政治家の仕事だ。長年にわたり、日本の発展に貢献してきた高齢者たちに、寂しさや悲しさを感じさせるような国に未来はない。政治とは、たとえ大きな功は成さなくても、日々地道に努力している多くの人たちに光を当て、その汗に報いるべきものなのである」

 【後期高齢者医療制度を、どうすればいいか】

 後期高齢者医療制度を、どうすればいいか。 やっぱり、これは廃止すべきだと思います。

 いま、日本共産党、民主党、社民党、国民新党の野党四党は、後期高齢者医療制度を廃止する法案を、衆議院、参議院に提出しています。

 四野党の法案は、後期高齢者医療制度の導入そのものを撤回させる内容。同じく四月から実施された七十―七十四歳の病院窓口負担の二割への引き上げ(現行一割)や、六十五―七十四歳の国保料(税)を年金から天引きする改悪についても、中止するとしています。 私は、この法案に大賛成です。

 「でも、財源は、どうするんだい」というむきもあります。

 財源は、不当な支出を削ってまわせばいいのです。 たとえば在日アメリカ軍にたいする支出です。

 日本には百三十のアメリカ基地があります。日本を拠点にして海外に侵略していく部隊です。アメリカ兵の数は四万八千八百四十四人です。

 日本政府は、在日アメリカ軍への「思いやり予算」特別協定(在日米軍駐留経費負担特別協定)にもとづいてアメリカに「思いやり予算」をふんだんに出しています。

 地位協定第二四条は、在日アメリカ軍の維持経費について「日本国に負担をかけないで合衆国が負担する」と規定しています。「思いやり予算」特別協定は、この原則に反するものだからです。

 政府は一九七八年、「思いやり」と称して、アメリカ軍駐留経費の一部負担をはじめました。

 一九八七年には、地位協定の解釈からも説明のつかない負担受け入れのために、特別協定を締結しました。

  「思いやり予算」を開始した一九七八年度の負担額は、基地で働く日本人従業員の福利費などに限られ、金額も六十二億円でした。 それがいまや、戦闘と直接結びつく施設であろうと米軍人の遊興費であろうと、アメリカ軍人の給与以外は何でも血税で負担するまでになっています。

 豪華な司令官用住宅、ゴルフ場の建設、アメリカ兵のための施設のバーテンダーや宴会係の経費、ゴルフ練習場係の経費、アメリカ兵のディズニーランド旅行などのレジャーのさいの観光バスの有料道路料金まで負担しています。

 二〇〇八年度の負担額は、特別協定分を含め二千八十三億円にのぼります。

 私が、いま一番いいたいこと。それは「めっそう、年寄りをやしべるな」ということです。政治には、国民へのあたたかい「まなざし」が必要だと思っています。国民の暮らしや人生にあたたかい手をさしのべるためにこそ政治はあるのだと思います。

 四月二十五日のテレビの「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」で、タレントの、えなりかずきさんが、「お年寄りの医療保険料と介護保険料は0円にします」法案を提案していました。こうした方向こそが、政治の本道だと思います。

 現に日本でも国の制度として七十歳以上のかたの医療費は無料だった時代があります。一九七三年元日から八三年一月三十一日までの十年間です。

 一九六八年十二月、東京都に革新知事が誕生し、七十歳以上の医療無料化を実施したことを契機に、全国の地方自治体にこの制度が広がり、ついには国の制度になったものです。

 自民党の後藤田正純衆議院議員も「本当は高齢者や障害者などの弱者は負担ゼロが一番いい」と発言しています(五月六日、TBSテレビ系の「みのもんたの朝ズバッ!」で)。

 いまこそ、日本の政治は、こうした、お年寄りを大事にする政治の方向に踏み出すべきではないでしょうか。                              

(終わり)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市大津 「自転車に ハンドマイクの この姿 田の風景に なじんできたよ」。

 二〇〇八年五月二十九日。

 午前十時から十一時半まで、地域をまわりハンドマイクで演説。
 八回。
 風邪をひいているらしく声が変。

 自転車に ハンドマイクの この姿
 田の風景に
 なじんできたよ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市 短歌を二首、載せていたただきました。「ラブ」の短歌です。

 二〇〇八年五月二十九日。

 「こうち高齢者ふくし生協ニュース」(二〇〇八年六月一日号)の「文芸欄」に短歌が二つ載りました。

   韓国映画「ラブストーリー」に寄せて

思いつつ すれ違っていく 恋のこと

重ね合わせる

「ラブストーリー」

片隅に 生きてるおきなも それなりに

人に恋して

命を燃やす

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知市大津 「東京の家を売り出しているが、そのためにも掃除をしてくる」と、妻は去っていきましたが……。

 二〇〇八年五月二十九日。

 妻は、午後から東京へ。
 それも飛行機で。
 僕なら高速バスですが……。

 「東京の(いままで住んでいた) 家を売り出しているが、そのためにも掃除をしてくる」

 実際は、息子夫妻の家に泊まったり、娘夫妻の家に泊まって孫娘たちと遊んだりということが楽しみのだという様子がありあり。

 妻は、まだ、「私は、極貧の年金生活者になったのよ」という自覚がないようですねー。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »