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2008.06.13

フランス革命が提起した「飢えない権利」の、いま。【第二稿】

 二〇〇八年六月十三日。

 以下、午前中の授業と夜の授業の間の走り書きです。

 (六月二十四日に加筆しました)

 

   フランス革命が提起した

   「飢えない権利」の、いま
       
 

 フランス革命(一七八九年七月十四日~九四年七月二十七日)は、国王ルイ16世の絶対王政にたいして国民が起こした革命でした。その革命の中で「飢えない権利」(生存権)が提起され、一時は憲法にも規定されました。その精神は、現在、世界の各国の憲法にも規定されています。この権利が、どのようにして提起され、いま、世界で、どんな形で影響力を発揮しているかを見ます。

 一、「飢えない権利」は、フランス革命で、どう提起されたか

   【「赤い司教」ドリヴィエの提起】

 フランス革命の中で、この権利を最初に提起したのは、ピエール・ドリヴィエです。
 彼は、パリ南方の農村・モーシャン村(戸数四十戸余り)の司教でした。「赤い司教」の一人で農民運動の代弁者でした。
 一七九二年五月一日、ドリヴィエが起草しエタムプ周辺六か村の住民四十人の名が入った請願が、立法議会に提出されました。
 「食糧の価格が騰貴(とうき)して貧しい労働者や日雇い農民の手の届かないほどになるのを放置しておくことは、とりもなおさず、彼らから食糧を奪うことであり、換言すれば、飢えない権利というものを、富裕な人間だけにしか認めないことである。」(『フランス革命 歴史における劇薬』。遅塚忠躬。岩波ジュニア新書)。
 この革命の中で、所有権の神聖不可侵という原則が確立されました。所有権が神聖不可侵であるかぎり、穀物の所有者が、それをどんな値段で売ろうと不平はいえませんし、地主がどんなに広い土地を所有しようと文句がいえません。
 一方、弱肉強食の自由経済のもとでは、貧富の差は、いよいよ開き、働きたくても、耕す土地も勤める職場も見つからないという貧困者が、ますます増えていました。
 そんな中で、ドリヴィエは、どんな貧しい人にも最低限度の生活をいとなむ権利があることを主張し、その生存権によって所有権に歯止めをかけようとしたのです。

   【ロベスピエールの国民公会での発言】

 ドリヴィエの、この請願を読んだジャコバン派のリーダー、マクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエール(弁護士。一七五八年五月六日~九四年七月二十八日)は、一七九二年十二月二日の国民公会で、つぎのようにのべます。
 「社会の第一の目的は何か。それは、人間の不滅の諸権利を維持することである。その諸権利のうちで第一位にあるものは何か。生存する権利である。それゆえ、社会の第一の法は、社会のすべてのメンバーに生存の手段を保障する法であり、その他のすべての法は、これに従属する。……人間に必要な食料品は、生命それ自身と同様に神聖である。およそ生命の保全にとって不可欠なものは、社会全体の共同の所有であり、それ以上の超過部分だけが、個人的所有である。」(『フランス革命 歴史における劇薬』)。
 このロベスピエールの主張は、ブルジョワを代表する国民公会の賛同を得るにはいたりませんでした。

  【九四年の憲法で生存権がうたわれました】

 この精神は、のちに憲法に位置づけられました。
 一七九四年五月三十一日から六月二日まで、民衆が国民公会を包囲し、ジロンド派の主要議員を追放しました(ジャコバン派の支配の開始)。
 その後の六月二十四日、新憲法(「一七九三年六月二十四日憲法律ならびに人および市民の権利の宣言」)が可決されました(九四年憲法)。
 この憲法は、ロベスピエールの主張の一部を採用して、「社会の目的は、共同の幸福である。--政府は、人にその自然で消滅することのない自然権を保障するために設けられる。」(第一条)、「公の救済は、一の神聖な負債である。社会は、不幸な市民に労働を与え、または労働することができない人々の生存の手段を確保することにより、これらの人々の生計を引きうけなければならない」(第二一条)と定めました(『人権宣言集』。高木八尺・末延三次・宮沢俊義編。岩波文庫)。
 しかし、革命の進展の中で、権力を持つ者が変わり、翌月、七月二十八日、ロベスピエールらは処刑されました。ロベスピエールは当時、三十六歳でした。
 一七九四年末、生活必需品の「最高価格法」のような経済統制は廃止され、物価騰貴が進行します。
 パリの民衆は、一七九五年四月と五月に、「パンと九三年の憲法を」というスローガンをかかげて蜂起しますが、鎮圧され、多くのジャコバン派の議員がこれに連座して死刑や流刑になります。
 そして、一七九五年八月に新しい憲法が制定され、財産を持つ人々の支配が復活しました。
 ドリヴィエは、一八三〇年、ブルターニュの小さな町で世を去りました。

 二、フランス革命で提起された「飢えない権利」が世界に与えている影響

 フランス革命で提起された「飢えない権利」(生存権)が効力を発揮しだしたのは、第二次世界大戦の後です。
 一九四六年十一月三日に公布された日本国憲法(一九四七年五月三日施行)は、第二十五条【生存権、国の生存権保障義務】で、つぎのようにうたいました。
 「1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」
 また、一九四八年十二月十日に国際連合(国連)の第三回総会が満場一致で採択した「世界人権宣言」は、「何人も、生存、自由、および身体の安全を享有する権利を有する。(第三条)と定めました(『人権宣言集』)。
 日本では、高齢者差別医療制度、後期高齢者医療制度が実施されるなど生存権の根幹を揺るがす事態が生まれています。
 こうした時代のなかで、生存権のよってきたるところを思い返すことは意義あることだと思います。
 最後に、一七九二年五月一日の請願の全文が載った本から「飢えない権利」の部分を、より詳しく引用しておきたいと思います(『ロベスピエールとドリヴィエ フランス革命の世界史的位置』。遅塚忠躬。東京大学出版会。百三十七ページ、百三十八ページ。行換えをしました)。
 「……第一の必需品たる食糧の価格が騰貴(とうき)して貧しい労働者や日雇農民の手の届かないほどになるのを放置しておくことは、とりもなおさず、彼らから食糧を奪うことであり、換言すれば、飢えない権利というものを、富裕な人間---それが世に有用な人間であろうとなかろうと---だけにしか認めないことである。
 かくも貴重な特権を持って生まれた人々は幸なるかな!
 だが、自然法の教えるところだけに耳を傾けるならば、次のように考えられる。
 すなわち、確かに社会で最も重要なのは、叡智(えいち)を以(もっ)て宇宙を統(す)べ給う神にも似て、理性の光を以て社会秩序を整え、その法律を正しい基礎の上に樹立しようと務めている人々であり、また、その法律を正しく守らせるという重要な職務を遂行している人々であるが、敢(あ)て言うならば、そういう人々に次いで、社会の福祉がもっぱら注がれるべきなのは、社会のために最も苦しい労働に孜々(しし)として励んでいる人の上にこそなのであり、自然の恵みの最良の部分を受取るべき手は、自然を耕して稔(みの)りあらしめるのに最も貢献している手である、と思われる。
 ところが、実際にはこれと逆のことが生じており、何の財産も持たずに生まれた大衆は、暑熱の苦労に耐えて働きながら、絶えず、自分の労働の成果に他ならないパンにもこと欠く危険に身をさらすべく運命づけられている。
 かかる不正は、明らかに、自然の不正ではなく、政治の不正である。
 政治が巨大な誤謬(ごびゅう)を神聖化し、その誤謬の上にわれわれのすべての社会的諸法が築かれており、そこから、必然的に、それら諸法の錯雑紛糾(さくざつふんきゅう)と絶えざる矛盾とが生じている。
 人はなかなかその誤謬に気付かず、その誤謬についてはっきりと意見を述べることさえまだ憚(はばか)られるほどである。
 それほどまでに、その誤謬は、本源的正義についてのわれわれの観念のすべてを混濁(こんだく)させてしまったのである。
 だが、誤謬に基(もと)づく議論が横行していても、われわれには、なお常につぎのような胸奥の感情が残っている。
 すなわち、われわれ苦しい労働にいそしんでいる者たちは、少なくともパンを食べることができるべきである、と。……」

(以上)

 

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