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2008.07.02

高知市 個人新聞を出すことにしました。第一号です。出会った人に渡す。マイ・オピニョンです。

ブログ高知 新聞版

 第一号 二〇〇八年七月三日 藤原 義一

 戦争展に、どうぞ。

六日までです。

 今年も高知市の自由民権会館で「戦争と平和を考える資料展」が開かれています(主催、「ピースウェイブ2008inこうち実行委員会」)。

午前九時半から午後五時までです(最終日の六日は午後四時まで)。入場は、なんと無料。

 私も企画の一部に参加させていただいています。「桟橋通四丁目」電停近くです。ぜひ、足を、おはこびください。

 以下、小学生向けの説明文です。

 ● おじいさんやおばあさんが子どもだったとき、日本は、お隣の朝鮮(いまは北朝鮮と韓国)を自分のものにし、中国やアメリカ、イギリスと戦争をしていました。

 ● この写真は、南国市片山の山の中に、いまも残っている、当時の日本の軍隊の基地です。

 アメリカの軍隊が海から上陸してきたときに、ここに立てこもってたたかおうとしていたんですね。

 ● これは高知県の四万十町の農村、宮内という所にあった日本の軍隊の飛行場に残っていた飛行機の車輪です。

 軍隊は、この田んぼを飛行場にして、まわりの民家を宿舎にしました。

 その飛行場で、爆弾をつけた飛行機でアメリカの軍艦にぶつかる訓練をしていました。ぶつかると、飛行機を操縦している人も死んでしまいます。

 ● このビデオを見てください。アメリカ軍の爆撃機が日本を攻撃している様子です。

 高知市にもアメリカの爆撃機が、たくさんやってきて爆弾や焼夷弾(しょういだん)という家や人を焼いてしまう爆弾をたくさん落としました。

 これが焼夷弾の実物の大きさの模型です。

 このなかに、小さな焼夷弾が三十九個入っていて空から落ちている途中で、ぱーっと散らかって地上に落ちて、まわり全体を火の海にしました。

 ● これは当時の高知市掛川町の地図です。

 みなさんは、おいくつですか。この地図を書いたのは当時八歳の酒屋さんの息子です。

 焼夷弾がどんどん落ちてきて、たくさんの人が、この防空壕という逃げる所にいったそうです。

 この男の子は、近くの鏡川に逃げました。

 この防空壕に入っていた人たちは熱で蒸し焼きになったような感じで亡くなりました。

 この八歳の男の子のお母さんも、妹も、ここで亡くなっています。

 ● ここにあるのが、そのアメリカの攻撃のあとの高知市の街です。

 ほとんどの建物が壊れていますね。

 ● もちろん、アメリカの爆撃機が爆弾を落とそうとしたとき、どうするか、みんないろいろ考えていました。

 爆撃機に見つからないように、家の電灯の光が、そとにもれないようにしました。こんな傘を電灯につけていました。

 逃げるとき、頭にかぶる、こんな防空頭巾(ぼうくうずきん)も持っていました。

 ここにあるのは火を消すための消火弾です。

 でも、実際には役に立ちませんでした。

 一時間のアメリカの爆撃機の攻撃で何百人もの人が亡くなりました。

 ● 戦争が終わって日本人は、戦争をしかけて他の国の人々に迷惑をかけたことを反省して、もう日本は決して戦争をしませんと約束しました。

 みなさんも学校で習うと思いますが、それが日本国憲法第九条です。

 ● ここには、ほかにもたくさん展示があります。

 できるだけたくさん見て帰ってください。

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