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2008.07.14

高知県 僕が愛している「しんぶん赤旗」に、僕のコメントが登場しました。生まれて初めての快挙です。

 この七月、僕が愛している「しんぶん赤旗」に、僕のコメントが登場しました。生まれて初めての快挙です。

 七月三日付、中国・四国のページの、この記事です。

  ◎ 中四国リポート/高知・四万十町海軍窪川飛行場跡/「本土決戦」備え山あいに急造/平和資料展で紹介

 高知市で開催中の第30回戦争と平和を考える資料展の中に「本土決戦のためでした 窪川の山あいの海軍の飛行場」があります。県西部の標高200㍍の町の戦争を見ました。(高知県・窪田和教)

 「高知海軍航空隊窪川飛行場」は窪川町(現四万十町)宮内にありました。今は田んぼが広がり、五十㌢に伸びた苗が梅雨の細かな雨にぬれています。

   特攻基地として

 一九四五年(昭和二十年)、戦局が絶望的な状況を迎えていたとき、海軍呉鎮守府第五一一三設営隊が「本土決戦に備えて極秘に緊急に」造った特攻隊基地。国民学校高等科の児童や近くの人を強制動員して作業がおこなわれ、長さ千八百㍍、幅百五十㍍の滑走路ができました。丸太棒をシュロ縄で編んで敷き詰めた急ごしらえの「飛行場」でした。
 土地は農家から取り上げ、約百五十人の隊員の宿舎に民家や学校が接収されました。市川和男さん(75)の家は本部にされました。「高知市に下宿して中学に通っていましたが、帰省すると田んぼが滑走路に変わり、家は取り上げられていました。仕方なく親せきの家に行きました」と市川さんは話します。
 ここには五つの神社からなる「五社様」(高岡神社)があります。宮内、という地名も鳥居の内というところからきたものです。地域の人の精神的支柱の「五社様」の境内に燃料用ドラム缶が積まれました。

   集落の入り口に

 小学校教諭だった武市昌子さん(84)は「集落の入り口で銃剣をもった警備兵に通行証を見せて通りました」といいます。
 配備されたのは「白菊」。五人乗り練習機で、特攻機として使用されていました。四五年六月に沖縄がアメリカに占領されたことで、「特攻作戦」(菊水作戦)は打ち切られ、鹿児島にあった「白菊」を窪川飛行場にもってきて「本土決戦」に備えたのです。
 ここから特攻作戦に出て戦死した、という記録はありません。
 このコーナーを担当した平和資料館・草の家研究員の藤原義一さん(61)は「恐ろしい時代の高知のことを、リアルにつかまえる仕事を今後もしていきたいですね。戦争を繰り返さないために」と話しています。

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