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2008.07.27

「『古事記』にえがかれている高天原、葦原の中国、黄泉の国の位置関係はどうなっているのか。四カ月考えてきて、いまいえること。

 二〇〇八年七月二十七日。

 『古事記』にえがかれてい高天原、葦原の中国、黄泉の国の位置関係は、どうなっているのか。
 このテーマを、この四カ月、考え続けてきました。
 そして、以下のようにまとめてみました。

 『古事記』は、上つ巻(序、神話)、中つ巻(初代から十五代天皇まで)、下つ巻(第十六代から三十三代天皇まで)の三巻からなっています。
 六七二年の内乱、壬申の乱(じんしんのらん)は、天智天皇の太子・大友皇子(おおとものみこ)に、皇弟・大海人皇子(おおあまのみこ)が地方支配者を味方につけて反旗をひるがえしたもので、大海人皇子が勝利しました。大海人皇子が、翌年、六七三年、天武天皇になります。
 『古事記』の序によれば、この天武天皇が、諸氏所属の家々に持ち伝えられている『帝紀』(天皇の系譜)、『旧辞』(古い伝承)を取捨選択して編集し「真(まこと)を定め」ようといいだし、同天皇の側近に奉仕していた舎人(近習)の稗田阿礼(ひえだのあれ)に『帝紀』、『旧辞』を誦み習わせました。当時、稗田阿礼は二十九歳でした。
 しかし、天武天皇が亡くなり、この作業は未完となりました。
 その後、元明天皇が、七一一年九月十八日、太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶。七二三年没)に、稗田阿礼から『帝紀』、『旧辞』を聞き取り、文書として整理して提出するように命じました。
 稗田阿礼は、すでにかなりの老人でした。太朝臣安萬侶は、稗田阿礼から聞き取り、書物につくり上げる作業をなしとげ、七一二年一月二十八日に献上しました。
 この間、わずか三カ月と十日。ものすごく集中した懸命の作業だったと思われます。
 〈でも、いくらなんでも作業が早すぎます。いまみたいにレコーダーで録音して、パソコンで起こしてということだったら、この期間でも可能でしょうが……。もしかしたら、すでに稗田阿礼の話は、すでに文章になっていて、それをもとに再度、稗田阿礼から聞き取りをしながら訂正、補充をして、再構成していったのではないのでしょうか。ま、これは、根拠のない想像です〉
 内容は、神代における天地(あめつち)の始まりから推古天皇の時代にいたるまでのさまざまな出来事(神話や伝説などを含む)を収録しています。また、数多くの歌謡を含んでいます。
 本文は、変体漢文を主体としつつも、古語や固有名詞のように漢文では代用しづらい微妙な部分は一字一音表記で記すという表記スタイルをとっています。歌謡部分は、すべて一字一音表記で記されています。
 内容を読んでみると、その編集の意図が明確です。
 天界の指示によって天皇族が日本を支配するようになったこと、つぎつぎと、それまでの地方支配者を打倒し支配地域を広げていったことがえがかれています。天皇族の支配の正当化をはかった書物だったのでしょう。
 神野志隆光は、中国の律令制度をもととしてつくられた古代国家の完成段階に『古事記』がつくられたと指摘し、「天皇の世界を根拠づける営みとして『古事記』は成された。」としています(1)。
 天皇族は、私生活においては多数の妻を持ち、ときには父の妻だったものを自分の妻にしたり、近親婚をしたりします。
 支配のために身内をきたないやり方で殺したりもします。
 地方支配者への攻撃も謀略的なきたないやり方です。
 現代から見たら、それは、目をおおいたくなる記述ですが、当時においては、それらの事実こそが正義であったのではないでしょうか。

 『古事記』の世界は、高天原(たかまのはら)、葦原の中国(あしはらのなかつくに)、黄泉国(よもつくに)、根之堅州国(ねのかたすくに)、綿津見神之宮(わたつみかみのみや)などによって構成されています。
 このうち、高天原・葦原の中国・黄泉の国の位置関係についてのべます。
 『古事記』の世界は「あめ」と「くに」の二元からなっています。
 高天原は、この「あめ」です。
 その「あめ」の下に、葦原の中国、黄泉国、根之堅州国、綿津見神之宮などの「くに」があります。

 【高天原】

 高天原は、『古事記』の冒頭に天地のはじめに神々の生まれ出る場所としてその名が登場します。
 イザナキ、イザナミの両神が「天(あめ)の浮橋(うきはし)に立たして」、そこから矛を海に下ろして島をつくるくだりがあります(2)。
 このことを見ても高天原は、天空に浮いているのではないでしょうか。
 ここには、多くの神々(天津神=あまのかみ)が住んでいます。
 機織の場などもありました。
 天の岩戸もあります。
 なんだか、その世界の様子は地上とそっくりです。
 〈後に、天照大神は、イザナキから高天原を治めるよう命じられましたが、その彼女が、弟・スサノオノミコトの所業に怒り天の岩戸に立てこもるシーンがあります。
 高天原、葦原の中国では夜ばかりが続くことになりました。
 そこで、高天原の大勢の神々が真っ暗な中、組織的に行動し、天照大神を天の岩戸から出すための作戦を遂行します。
 どうも、ここの神々は超能力で真っ暗な中でも目が見えるようです。
 天照大神は天皇の祖先だということですが、どうもやることが子どもっぽい。弟への怒りを人々を苦しめることではらすなんぞ、とんでもない人ですね。作者は、天照大神をおちゃらかしているように見えますが、どうでしょうか。「女性は太陽であった」ということですが、こんなのでは困りますね。
 天皇族は、朝鮮からやってきたという説がありますが、もし、そうなら高天原は、朝鮮の母国を想定いしたものだったのではないでしょうか〉

 【葦原の中国】

 葦原の中国は、イザナキ、イザナミがつくった地上世界です。現在の日本の一部を指すようです。
 葦原の中国は、天津神によって平定され、天照大神の孫のニニギが天降りします(天孫降臨)。以降、天孫の子孫である天皇が葦原の中国を治めることになったとしています。
 この葦原の中国という命名について神野志隆光は「……アシは生命力を意味すると見ることができる。(中略)〈クニ〉において、中央なる、生命力に満ちた世界という価値づけが、『中』や『葦原』という命名にはあると認められる……」としています(3)。
 葦原の中国は、地上のやがて天皇族に支配される地域、さらに支配しようとする世界です。
 この葦原の中国は、天皇族の侵攻によって広がっていきます。
 〈それにしても侵攻のやり方はえげつない。謀略につぐ謀略です……。「何の罪もない人たちに、こんなきたねぇことをしやがって」と「平らげられたほう」に同情してしまいます。こんなのを読まされたら、読んだ人は天皇族を嫌悪すると思うのですが、作者は、そこは、どう考えていたのでしょうか。「どんなことをしててでも勝てばいいのさ」が当時の支配者たちの倫理だったのでしょうか〉

 【黄泉の国】

 かつては黄泉の国は地下にあったという考え方が支配的でした。
 それに一石を投じたのが佐藤正英(日本思想史)の一九八三年の論文です。佐藤は、地下にあったという説を批判し、山中他界説を主張、結論部分で「…いまは、黄泉国の在りかが地下ではなく、山中であることを確かめるにとどまる他はない」としています(4)。
 「かれ、その神避りましし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺(さかひ)の比婆(ひば)の山に葬(はぶ)りき」と、あります(5)。
 亡くなったイザナギの妻・イザナミは出雲国と伯伎の国の境にある比婆之山に葬られます。
 イザナキは亡き妻を、この目で見ようと黄泉の国に行き、そこで妻と会います。
 ということは、黄泉の国は、イザナミが葬られた比婆之山の山中を含む地域にあるということです。
 そこにはイザナミの住む殿があります。
 その国のかまどで煮た物を食べると他の国には出られません。
 イザナミの体にはウジムシがたかりイカヅチたちがまつわりついています。
 ヨモツシコメ、ヨモノイクサなどイザナミを守る者たちがいます。
 会いに行ったイザナミのあまりの変わりように驚いたイザナキは、黄泉の国から逃げさりますが、このときに黄泉比良坂の坂本に着いたとあります。坂本は坂の下・坂の上り口を表しています。イザナキは黄泉の国の比良坂を駆け下りてきたということが示唆されています。
 ここが、黄泉の国と葦原の中国の境目の一つでした。
 黄泉の国は、葦原の中国と地続きの所で、イザナミが葬られた比婆之山の山中を含む地域にあって、黄泉比良坂の坂本を上った所にあるのではないでしょうか。
 ここで考えなければならないことは、黄泉の国の表記に「黄泉(よみ)」があてられていることです。
 黄泉は、もともと漢語で「地下の泉」を意味しました。
 作者は、この漢字をあてることで、地下にあるというイメージを与えようとしているともとられることです。
 この点について西條勉は、つぎのようにのべています。
 「ヨモツクニが『黄泉国』と書かれているのを、かるくみることはできないのである。いったい、なぜ、ヨモツクニは『黄泉国』と書かれるのか。また、ヨモツクニは、どのようにして『黄泉国』にされていくのか。このような問いかけを糸口にして、わたしたちは、神代の世界が一義的に固定される以前の、もっと混沌としたテクスト生成の現場に踏み込んでいくべきであろう」(6)。
 〈イザナキといさかったイザナミは、地上の人々を日に千人殺すと宣言します。それにたいして、イザナキは、それなら日に千五百人の産屋を建てようといいます。どうも、『古事記』では女性は悪役ですね。『古事記』については、つぎは、その歌謡をじっくり読み込んでいきたいと思っています。では、では……〉

 【注】
(1) 神野志隆光 『新編 日本古典文学全集1 古事記』(校注・訳/山口佳紀・神野志隆光。小学館)の解説。一九九七年五月二十二日。
(2) 西宮一民校注 『新潮日本古典集成 第二十七回 古事記』。新潮社。一九七九年六月。
(3) 神野志隆光 『古事記の世界観』。吉川弘文堂。一九八六年。
(4) 佐藤正英 「黄泉国の在りか 『古事記』の神話をめぐって」。『現代思想』一九八二年九月臨時増刊号。
(5) 西宮一民校注 『新潮日本古典集成 第二十七回 古事記』。新潮社。一九七九年六月。
(6) 西條勉 「黄泉/ヨモ(ヨミ) 漢語に隠される和語の世界」。『東アジアの古代文化』。一九九七年二月冬号。

 (以上)

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コメント

 根の国は木々を確保する場面が多くでますね。出雲の安来あたりではたたら製鉄をするために全国から木々があつめられたらしいです。もちろん製鉄のため。出雲は鉄を全国の流通によって配布し、逆にその流通で木々を確保していた経済流通のダイナミクスが感じられるお話ですね。

投稿: 中部財界人 | 2009.01.07 01:24

 その比婆の山は島根県安来市にありますが、なぜ多くの人々はこれを認めないのでしょう。古事記世界における出雲の優位性を否定する風潮はどこで生まれたのか不思議だ。

投稿: 山陰松江人 | 2015.08.07 00:35

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